〜印象に残っている文章〜
■ガダルカナル、学ばざる軍隊■ NHK取材班 著
「1・知られざる島」 より抜粋
日本はアメリカとの戦争に対して、どのような長期的な見通しをもっていたのだろうか。
日本のほとんど唯一の長期プランだといわれ、開戦直前に作成された
「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」にそってその見通しを要約すると次のようになる。
@南方の拠点と資源地帯を確保して長期戦を行う態勢を整え、アメリカ艦隊をおびき出して撃滅する。
A中国へのアメリカの支援ルートを絶つなどして作戦を強化し、蒋介石政権を屈服させる。
B同盟国のイタリアとドイツがイギリスを海上封鎖し、
いづれドイツが本土に上陸してイギリスを屈服させるはずである。
C中国とイギリスが屈服すれば、アメリカは戦争継続の意思がなくなるはずである。
ここにあるのは、海軍がアメリカと艦隊決戦をし陸軍が中国を屈服させるという方針以外は、
他人任せの思い込みだけである。
つまり、ここには陸軍がアメリカとどのように戦うつもりだったのかがうかがえる青写真は、
どこにも示されていないのである。
***
「2、見たことのない戦闘」 より抜粋
「無形的威力」や「必勝の信念」などが幅を利かせるにしたがって、
「有形的戦力」である装備の問題を論ずることは有害無益だとする風潮が生まれ、
さらにそれは敵情判断にもとづいて戦力の比較検討することさえも打算的だと排斥するような雰囲気が
陸軍全体を支配するまでになっていった。
(略)
この文章をを分かりやすいように、ガダルカナルの一木支隊の攻撃に重ね合わせながら読み替えると
次のようになる。
アメリカ軍の兵力がたとえ一万人であろうとたくさんの火砲を備えていようと、
敵のことなど考えて作戦を立てようなどと思ってはいけない。
ともかく積極的な攻撃によって主導権を奪い取ることが肝心なのだ。
日本軍はまず戦闘前に慎重熟慮してアメリカ軍の反攻は本格的なものではないと判断し、
そのためには機先を制して直ちに攻撃する方針を確立した。
だからそれにもとづいてひたすら攻撃すればよいのであって、
途中でアメリカ軍の火砲の威力がすさまじいことが分かり、
状況が変わったとしてもそんなことに惑わされて方針変更などしてはならない。
***
ノモンハン事件では、第一線の連隊長級の現場指揮官数人が責任をとって自決した。
その中には死を強要された指揮官もいた。
それに引き替え、始終事件の拡大を主張した参謀たちの処分は甘かった。
服部卓四郎は千葉歩兵学校付に、辻政信は中国の第十一軍司令部に転出させられただけであった。
それもごく一時的なものであり、
すでに見たように太平洋戦争前には二人とも大本営参謀の要職に抜擢されているのである。
アルビン・クックス教授は次のようにいう。
「辻や服部などの指導者は、ノモンハンを反省しませんでした。
自分たちは優秀で決して間違ったことなどしていない。
負けたのは部下が命令どおり動かなかったからだと考えたのです。悪いのは連隊長など現場の司令官で、
皆責任をとって自殺すべきだと考えていました。
現にノモンハンでは、多くの司令官が重圧に耐えかねて自殺しています。
自分たちが過ちを犯したと思わなければ、同じことを繰り返すのです。彼ら指導者たちは、
前回は戦車を八十五台しか使わなくて失敗したから今度は百八十五台使ってみようということはあっても
基本的な作戦や考え方については、全く変えようとはしなかったのです」
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「4、繰り返される失敗」 より抜粋
これまで辻参謀の報告と比較しながら、第二師団の攻撃の実際を見てきた。
そして分かるのは、辻参謀の報告がいかに現実とかけ離れたものであったかということである。
なぜこうなってしまうのか。
そこには二つの側面があるように思われる。一つは“強がり”である。
報告には「戦局は波乱があるだろうが、心配無用である」
「本夜は確実故、次回無電にて『バンザイ』を送る」など威勢のよい文句がついてまわる。
二見参謀長の更迭などに見られるように、日本軍という組織では絶えず積極的意見を言うことが
義務のように見なされる体質が出来上がっていた。
これは精神主義絶対の体質からきており、不用意に現実のありのままや、内心の弱気などを吐露すると
すぐ更迭されてしまいかねないのである。
もう一つの側面は、やはり現実を認識することができなかったためである。
その報告は、ジャングルの地形についても、
自軍と敵軍の火砲の格差についても認識できなかったことを示している。
たしかに「大兵のジャングル通過不能」といったんは考えた。
しかしその考えはすぐにひるがえされ実行に移された。
また奇襲をねらったのを見ても、敵の火力が優秀であるという認識はあった。
しかしそれは、「意気込みさえあれば何とかなる」程度の認識だったのではないだろうか。
このような現実を踏まえない作戦指導によって現場の部隊がどのような状況に追い込まれるかは、
すでに見てきた通りである。