〜印象に残っている文章〜
■日米開戦、勝算なし■ NHK取材班 著
開戦か否か、国家の最終的意思決定には、
田辺さんたち陸海軍のエリート参謀の考えが事実上大きな影響力を持っていた。
「あの当時の会議の空気はみんな強気でしたね。ここで弱音を吐いたら首になる、
第一線に飛ばされてしまうという空気でした。
『やっちゃえ、やっちゃえ』というような空気が満ち満ちているわけですから、
弱音を吐くわけにはいかないんですよ。
みんな無理だと内心では思いながらも、表面的には強気の姿勢を見せていましたね。私も同じです。」
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ジェローム・B・コーヘン教授は、戦後アメリカ戦略爆撃調査団の一員として来日し、
日本の戦時経済の崩壊を研究したアメリカの学者だが、彼はその著書『戦時戦後の日本経済』でこう述べている。
「この戦争は、日本にとって乗るか反るかの大博打であったが、日本は博打を打つにあたって
船舶事情に充分な注意を払わないまま飛び込んだ。日本の船舶に対する処置は、
初期の過度の自信と無計画性、拙劣な行政、内部の利害対立という特色があった。
日本は海軍の攻撃と空襲で戦争を仕掛けた国としては奇怪なほど将来の見通しがなかった。
文章の上ではともかく、
実際には日本の戦争指導者たちがアメリカと長期戦を考えていなかったいちばんの証拠は、
経済部門でいうと、開戦当時、産業の基礎と能力を拡大する努力をいっさいしなかったという事実である。
彼らが開戦早々その時点であの全経済力を結集して敵にぶつかったのちは、敵が反撃をあきらめ、
下手に講和に出てくるのを待つという態度であった。
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「日本人は性格が生真面目で一定のパターンを律儀に守るので、
われわれの仕事(暗号解読)にとっては都合がいいんだよ。
それにしても、あんなにたくさん沈められたのに、
輸送船暗号のコードを日本軍は終戦までぜんぜん変えなかったよ。
アメリカ軍はたとえ解読されなくても、半年ごとに暗号はかえていたけれどね。」
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「物資の配分交渉は陸海軍両方の軍務局の担当者とやりました。
こっちは徹夜で資料を準備して『国民が生きていくためには、どうしてもこれだけは必要です。
だから、もうこれ以上は軍には出せません』と言うんだが、
軍はいつも『もっと民需を圧迫しろ、もっと船を働かせろ』と声高に攻めてくる。
結局、国力が減るとしわ寄せはみんな民需にくる。軍はいくらでも欲しいんだから。
『民需をもっと減らしても国民生活は何とかなるだろう』と言うんで
『これ以上減らしたら何ともならん』と反論すると、『何ともならなくても我慢しろ』という返事なんだ。
とにかく軍の圧力は強かった。軍は自分たちの要求さえ満たされればいいというやり方でした。
国全体とか、国民生活なんて理解しようともしませんでしたよ。」