Book Review

■日本軍国主義の源流を問う■  星野 芳郎 著

 

日本は、なぜあの戦争を引き起こし、無謀な戦いと明らかになった後でもを拡大を止められなかったのか。

その判断と行為の背後にはどのような考えや感情が絡んでいたのか。

その正体をつかめないまま物質的充足に驕って歩めば、おそらく人間はまた同じことを繰り返す。

この本は、そうした私の持つ疑問と同じ動機を、従軍の経験からより強くもった著者によって

実に良く考察された論考になっている。私の知りたかったことはこれだ、と感じた。

 

実質的に2部構成になっている。前半は20世紀初頭の日本の戦争に対する著者の総論となり、

後半はその論拠となる日本帝国憲法発布の頃から日露戦争までの日本の姿の変遷を

産業・資本・思想などの側面から描写している。

 

前半の総論において、彼の主張するキーワードは

「日本の近代化が擬似近代化にすぎず、基本的人権をベースにした国家ではなく、

“まず集団社会ありき”というものだった」点、

「西洋文明への追従を《文明開化》と妄信し、それに遅れをとる朝鮮・中国にたいして見下す勘違いをした」点、

を挙げている。

 

そのどちらもが、今現在、戦後世代の我々によってまで脈々と無意識的に継承され、

日本社会の在り方に続いている。

日本において基本的人権はカタチばかりにすぎないので、何かあればすぐに集団の意思が個人に優先する。

政府に対する批判を言えば、それに理があっても「非国民」などといわれて抑圧しようとする。

(例えばイラクで人質になった3人のことを自民党の柏村議員は「反日的分子」と呼んだ。

民主党の西村議員は「教育の要は国のために死ねる人を生み出すこと」と発言している。)

 

このように、現状の日本社会では、個人の考えに基づいた行為であっても、

(時世時節の政府・世論の価値観による基づく)“国益”を損なう行為であると判断されれば厳し糾弾される。

今はその度合いが日に日に増していると思う。(これを右傾化というのだ)

現国会で審議されている共謀罪法案などは、この国家による国民の思想統制に乱用される恐れが大きい。

私達は、人権と国家権力の関係がどのように変化していくのか、しっかり見ていなければならない。

(その意味で、日本の国益を個人的信念とやらで損なっている小泉首相の独断先行こそ糾弾されるべきだろう。)

 

 

後半の日本帝国憲法発布からの歴史描写においては、19世紀に西洋文明の植民地主義が

東アジアに台頭してきた事態に対して、日本・中国(清)・朝鮮がどのように対処したか、

という三国の比較を多用した相対的な視点で描いているのが(日本人の書いた戦争論としては)

出色の文章となっていると思う。 

 

日本が清国と戦いを始めるまでの経緯や、欧米に対しての中・韓・日の対応の違いなどについて、

(特に中国や朝鮮における国内事情と欧米植民地化政策への対処の歴史と日本の関わりについて)

今まで知らなかった多くのことを学ぶことができた。

 

私の現在の所感としては、日本が黒船来航後、西洋列強に対する危機感から、

急速に明治維新、文明開化と改革を成し遂げていくために、「天皇制」を利用したことはやむを得なかった。

しかし、あまりに急速に国をまとめようとしすぎたために、“統帥権”のような軍部独走を可能にする

権力構造の抜け穴が明治憲法にはあった。

そこへ隣国の事情もあって、日清戦争・日露戦争と勝ち進んだがために、軍が過剰に強化され、

教育勅語のような思想統制も行われるなかで、権力者が独裁制を手にする手立てとしての天皇の利用法が

確立して広められていった。一方国民も緒戦の勝利に驕り高ぶって

無謀にも世界を相手に戦争を始めてしまうところまで転がっていくことになった、ということに思える。

 

そうした歴史を鑑みれば、今の憲法改正論議において、「天皇を国家元首とする」などという条文を

組み込め、などと言う発言がまかり通ること自体が、歴史から何も学んでいない愚かな人間性をあらわしていよう。

逆に言えば、小さい頃の教育というものの重要性を警鐘しているともいえる。

自分が幼い頃当たり前だったことは、あたかも何千年も前から「そうだった」と思い込み易い。

だがそれは間違いだ。そんなことへの危険性の認識すらないこの国の教育はどうなっているかと思ってしまう。

 

江戸までの千何百年の間、日本の文明の手本は中国大陸であったが、19世紀初頭、

文明開化を万能な世界と信じて、それまでの日本の在りようを一気に西洋式に置き換えようとした。

おそらく、このとき日本の歴史上初めて、日本が中国に対して優位にたったと感じ、

そのことに酔ったのではなかろうか。

 

今の日本人の一部にみられる中・韓蔑視はこのときにつくられた意識であろう。

また先出の柏村議員は、「中国なんてろくな裁判もない」とも発言している。

西洋文明の輸入がわずかに早かっただけなのに、この高飛車ぶりは何だろう。同じ日本人なのが恥ずかしい。

しかも戦時中の日本軍の正式文書は漢文調で書かれていたりして、馬鹿にしているはずの

中国文化を軍や己の権威づけに用いているなどは、滑稽ですらある。

 

今でも西洋文明をひたすら追い続けていればよい、という意識でいるようにみえる日本、

或いは政府・官僚の姿勢には悲しさすらを覚える。

美術が専門の私にも確かに西洋文化を(意識のなかで)超えなければならない時があった。

でもそれは、ずっと私個人の問題だと思っていた。

しかし、いまの政府・官僚のみならず、社会の重要な位置を占める人達の中にも、

いまだに(黒船ショックの反動といっていい)欧米至上主義が根深くはびこっているように思えてならない。

 

しかし、国際社会が欧米社会と同義語だった時代はすでに終わりつつある。

アメリカが推し進める民主主義の名のもとに行われえる資本主義の世界全体への強制が

引き起こすマイナス面も明らかになってきており、力をつけてきた他の社会から反感を買っている。

 

日本がそうした時代になっている自覚を持たずに、いまだに文明開化至上主義だけで、

国際社会と向き合う視野しか持つことができないならば、緩やかに孤立していき、廃れていく運命を

享受するしかなくなるだろうと私は思っている。

 

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