Book Review
■阿片王■ 佐野 眞一 著
私がこの本に興味を持ったのは、満州事変から第二次世界大戦に至る戦争遂行の実情を
より知りたい、と思ったことが主な理由でしたが、もうひとつ、ちょっと前に「環」という学芸誌で、
この本の著者である佐野氏の発言が頭に残っていたことも動機の一つとなりました。
『政治家や経済人といった、「人物論」が僕のメインストリームの仕事だと思います。
そういう中で、僕が人物を評価するときの基準が一つあります。
それは、人物の好き嫌いといってもいいでしょう。僕の好きな人間は、脇が甘くて懐が深い人間です。
ところが最近の人間、政治家、経済人、誰を見ても脇が堅くて懐が狭いんですね。
(略)
満鉄調査部というのは後藤新平の器量の大きさ、懐の深さを示すように、右もいれば左もいるという、
とんでもない、当時とすれば世界に冠たるシンクタンクだったと思います。
ここから、実に素晴らしい才能たちが輩出していった。人材の宝庫というか。
僕は人間を見るのが商売ですから、一人一人の人間がきわめておもしろい。』
ああ、佐野氏は満州に興味があるんだな、と思っていたら、この「阿片王(里見甫)」の本が出版されました。
私は佐野氏が批判的に執筆した前作、「小泉純一郎 血脈の王朝」と比較しながら読み始めました。
しかし、読み始めると、前作のことなどはすぐに忘れてしましました。
この本では、著者が、里見甫という人物の人間味に惚れ込んでいるのが伝わってきます。
先に引用した彼の発言は、現代日本の首脳陣と里見氏のような人物を重ね合わせることから
見えてきてしまう印象だろうということは納得できます。
この作品の最大の魅力は、佐野氏自身があとがきでも書かれていますが、
「過去の出来事」としての歴史ではなく、リアリティのある満州国をめぐる歴史が
生きた人間模様として感じられることです。
戦争を長期的に続けるだけの産業もなかった日本が、軍需のための資金をどうしていたのか、という
疑問のひとつの答えとして、満州国、中国国内でアヘンの栽培・密売を積極的に行ったことと、
また、その権益をめぐる様々な人間の姿が豊かに描写されています。
利権の真ん中に地位を占めながら、私腹を肥やそうとしなかった里見の人間の幅に魅力を感じる一方で、
(私の子供時代の記憶にもある右寄りの人々の名前も登場したこともあり)、
戦後も日本社会に継続して巣食う戦時中の問題点を、なぜ日本社会は反省して教訓に生かせないのか、
という現代社会の疑問の答えを、またひとつ垣間見てしまった気がしました。