NHK「日本のこれから」憲法9条についてのアンケートと私の回答

 (原文に対し意味の補填や修正を加えてます)

Q(Question=質問、以下Q)、A(Answer=答え、以下A)

 

Q1−1:あなたは、現行の日本国憲法についてどう考えていますか?

A1−1 : 改正しないほうがよい

Q1−2:なかでも、戦争の放棄と戦力の不保持を定めた「憲法9条」についてどう考えていますか?

A1−2 : 改正しないほうがよい

なぜそう思うのか、特に9条改正に関するご意見やお考えなど自由にお書きください。

また、そう思うようになったきっかけなどがあれば、お書きください。

A1−2: 理由

9条の是非を問う場合、これからの日本は諸外国とどのような関係を築いていくのか、という問いが

避けて通れないのではないでしょうか。。日本政府と国民はかつての戦争開始の原因と経過について、

学び、そこから教訓を得ることができていないと思います。※1

外交に至っては、、アメリカについていけば間違いない、ということだけで60年間やってきてしまいました。

私は必ずしも9条を見直すことに絶対反対というわけではありませんが、現状で9条をなくせば、

単なるアメリカ政府と軍への従属が強まるだけに思えます。

 

外交は武力のバランスのみで行うものではないと思います。

たとえば、少し前の「冬のソナタ」ブームでの日本と韓国の一般市民レベルでの関係改善の著しさは、

多くの知識人を驚かせました。

 

9条改正を話すなら、まずかの戦争開始の原因と過度な戦線拡大の原因を

(妙なプライド感情を削ぎ落としたところで)分析し、教訓を学び取り、、アメリカだけが国際社会ではなくなった

現代のアジア各国を含めた国際社会とどのような関係を築くのか、という外交ビジョンの構築が先のはずです。

そのことなしに9条を解き放ち、いまの安倍政権のようなアメリカ重視、アジア軽視の独裁的政権に

制限なしの軍隊を与えてしまうことは危険すぎます。

 

※私の考える戦争の教訓について

開戦時に相手と自分の武力の強弱だけで、強気にでるか弱気にでるかを決めてしまった。会話外交による解決を

軟弱な姿勢と非難した勢いのわりに、長期的なプランがなく、長期戦争の基盤を支える産業基盤をどのように発展させるか

というようなプランがなかった。日本が輸入に頼らざるを得ない国であるにもj関わらず、海上の物資輸送船団の

警護などを軽んじ、その結果兵糧攻めにあった城のような状態を招くなど、長期的なカ国家運営プランが欠如していた。

また、国民生活よりも、国家のプライドを重視し、国家の威厳が保たれるならば、国民は耐えよ、という姿勢だった。

他民族への理解や配慮も著しく欠いていたため、現地住民を敵にまわし、自ら戦闘をより困難にした。など。

 

 

Q2 : 日本の戦後の歩みの中で、あなたは憲法9条の果たした役割を評価しますか?

なぜそう思うのか、ご意見やお考えなどを自由にお書き下さい。

 

A2 : 無条件降伏という完敗後の復興において、軍事に国家予算を浪費することなく、

経済・生活基盤の復興に全力を注ぐことができたと聞きます。

また、国際社会、とりわけ戦争で被害を与えた東アジア諸国に、日本が再び軍事大国になるという

恐れを抱かせることがなかったため、日本への賠償請求の条件緩和や破棄、東アジア諸国の産業の復興と

にほんとの関係改善を比較的スムースに行うことを助けたと思います。

 

 

Q3 : 日本国憲法はその成立過程において、連合国軍総司令部(GHQ)が作成した憲法草案を

日本側が受け入れ審議したという経緯から、外国に「押し付けられた」憲法だという見方があります。

あなたは、この考え方についてどう思いますか?

 

A3 : 「押し付け」であったかなかったか、という設問の立て方は適当ではないと思います。

GHQは、まず戦後の日本政府に憲法草案をつくるように指示しましたが、出来上がってきた草案が

あまりに明治憲法と変わらなかったので、やむなくGHQは自ら憲法草案を作成させたと聞いています。

つまり、当時の日本には人権とか民主主義の考え方が全くなく、男女平等もありませんでした。

明治に国家の体裁を整えるために、藩幕体制を解体して天皇制を中核に添えた国家体制の発想から

(敗戦後も)離れられなかった以上、(国家主義以外の社会体制を)自分たちで考えだすことは

そもそも不可能だったと思うのです。

もちろん、民主主義が問題のない制度とはいえないことを承知しているつもりですが、

もし、いまだに国家主義が基本の社会として日本が復興していたとしたら、

個人の自由な発想を源とする様々なものつくりの発想が生かされず、今の産業立国日本としての復興は

できなかっただろうと思います。

 

 

Q4 : 憲法施行後、朝鮮戦争の勃発を受けて警察予備隊が発足し、その後、

1954年(昭和29年)には自衛隊が誕生します。政府は「自衛隊は戦力にはあたらず、

自衛のための武力行使は憲法違反にならない」という見解を示していますが、

あなたは自衛隊の存在をどのように考えていますか?

 

A 4: 自衛隊は必要最小限度の軍隊であり、憲法違反に当たらない。

矛盾していることを承知で、私はこの選択肢をとります。

最低限の戦力は、常識の通用しない相手(怒りに我を忘れたテロリストや原理主義者など)への対処として、

必要だと思います。

しかし、戦争は常に“自衛”の名の元に行われることから、“相手(敵)”の定義、“自衛”の定義の拡大解釈を

常に警戒する必要があるはずです。

歴史は、“敵”も場合によっては捏造されることがあると教えているのではないでしょうか。

現代のように情報が駆け巡り、武器が強力になりすぎた時代においては、国家間の全面戦争は

起こりにくいと思います。この時代に、なにをもって“敵”とし、なにをもって“自衛”の戦闘とするのでしょうか。

災害救助や人道的支援活動への自衛隊の協力は素晴らしいと思います。

しかし、平和維持活動については、国連の要請によるものと、アメリカ単独の要請に基づくものを

別にして対処する必要があり、後者については国際的視野においてその是非を判断すべきでしょう。

 

 

 

Q5 : 近年、北朝鮮は弾道ミサイルの発射実験や核実験を行っています。

また、中国の軍事費は拡大傾向にあり、その中身も不透明とされています。

こうしたことから日本を取り巻く環境に「脅威が高まっている」という指摘がありますが、

こうした中で憲法9条の存在をどう考えますか?

 

A5 : 第2次世界大戦のときの世界の版図と現代は異なり、武器がより強力になったことと、情報化が進み、

誰が何を企んだかのかが明るみに出易く、大義なき戦闘行為は国際社会での国家の信頼を大きく落とします。

腕力では世界最強のアメリカでさえ、大義なき戦争行為を糾弾され、国際社会での信頼は大きく低下していると

思います。(これで経済力が落ちれば、世界中から一気に不満が爆発するに違いありません。)

日本は9条の可否の前に、アメリカ一辺倒の日本政府・外務省の外交姿勢を見直し、もっと多方面からの

外交を幅広く行い、お互いの理解を深めることが、未来に向けて重要な政策になるはずです。

隣人と挨拶も交わさず、外出するときは常に懐にナイフを持つことよりも、日常の挨拶や、ときには飲み会などを

開催して知り合う仲になるような外交のあり方はないのでしょうか。

 

 

Q6 : 自衛隊は国内での活動に加えて、PKO(国連平和維持活動)などでカンボジアや東ティモール、

イラクなど海外に派遣されていますが、あなたは、自衛隊はどんな役割を担うべきだと考えますか?

 

A6 : 国際社会は急に狭くなっています。地震や津波などで大きな被害を受けた外国へ、

機動力のある自衛隊が、救助や支援活動にでて、災害復興に協力するのは大切なことだと思います。

しかし、平和維持活動については、国連の要請があった場合に限るべきだと思います。

今のアメリカ政府の要請はアメリカ単独の国益重視に偏りすぎています。

「国際社会」と「アメリカ」を同一に語るのは、やめにしましょう。アメリカ追随のための単なるレトリックです。

 

 

Q7 : 日本は戦後、日米安全保障条約を結び、アメリカに「核の傘」の提供を受けるなど、

安全保障面での協力関係を進めてきました。これからの日本の国際的な安全保障体制のあり方と

憲法についてどうあるべきだと考えますか?

 

A7 : 他の欄でも書いていますが、世界情勢は常に動いていて、欧米だけが、国際社会と同等と考えても

大きな間違いではなかった時代は終わろうとしていると思います。

中国やインド、ロシアなどの世界経済への台頭は著しいですし、アメリカもまた、世界中から優秀な移民を

受け入れて発展していた時代が終わり、富を独占しようとして単独的・閉鎖的な傾向が強まっていると思います。

そうした世界の版図が変化している現代において、いつまでもアメリカ一辺倒の外交では、

日本はいずれ行き詰まるのではないかと思います。

アメリカとしても、日本よりも中国の将来性を買って政府の方針が変わったときに、日本はあっさり

アメリカに見放される可能性も考えておくべきでしょう。

そのため、アメリカとの関係を維持しながら、少しずつ他国との関係を多面的にj築いていく必要があると考えます。

 

 

Q8 : アメリカのような同盟国が他の国から攻撃を受けた時に、日本が直接攻撃されていなくても

反撃する権利のことを「集団的自衛権」と言います。

日本政府は「集団的自衛権は持っているが、憲法解釈上、行使できない」としています。

あなたは、集団的自衛権についてどう思いますか?

 

A8 : 日本が危機に直面しても、(アメリカに国益のない場合に)アメリカが本当に助けてくれるのでしょうか。

日本軍がフィリピンを占領した1941年、アメリカはヨーロッパ戦線を重視して、フィリピンのマッカーサーに

援軍も援助物資も送りませんでした。日本もフィリピンも当時のアメリカにとって重要ではないと

判断されていたからだったといわれます。

この問題提起の本当の狙いは、日本国民を守るということではなく、可能な限りアメリカに媚びて

国際社会での日本の地位(プライド)をアメリカに下支えしてもらいたいことにあるように思えてなりません。

空虚なプライドの維持のためだけにしては、払うリスクが大きすぎると思います。

 

 

Q9−1 : 今後、国際社会において、日本はどのような国を目指すべきだと考えますか?

A9−1 : @憲法9条の精神を推し進め、武力にかかわらない平和国家として生きるべきだ

A国際社会からの求めに応じて、平和維持活動なども行っていくべきだ。

 

@とAの中間が私の意見です。@では、「日本さえよければ他の国のことは知ったことではない」という立場の

表明になってしまうと思います。

Aでは、“国際社会”という言葉が、“アメリカ”と同義に使われ、アメリカ単独の国益のために、

日本軍が第3国の罪のない市民を爆撃・攻撃して、いらぬ恨みを後世の日本人に残す可能性があると思います。

 

Q9−2 : なぜそう思うのか、ご意見やお考えなどを自由にお書きください。

 

A9−2 : これからは、国連のような国際的な組織の重要性が増してくると思います。

今の国連は、予算や実行部隊の確保などにおいて、各国の国益やパワーバランスに振り回されて、

脆弱な組織でしかないかもしれません。しかし、だからこそ、未来志向の発想として、今の先進国の一員である

日本は軍事においても環境においても、国連のような国際的な話し合いの場を作り出して機能させることが

求められているはずです。

もし日本が、暴力ではなく、話し合いで世界的な問題を解決に導く道筋を世界に先駆けて創設する、

あるいは国連を強化することが実現できたなら、世界から尊敬される存在と認められることでしょう。

 

 

 

Q10 : あなたの憲法9条に対するお考えをお書きください。

その際、戦争体験や国内・海外での旅行や留学、ビジネスなどを通じて、

憲法9条について考えた個人的な体験や経験、エピソードなどがあれば、あわせてお書きください。

 

A10 : このアンケート全体で、私の考えを書いているつもりですので、重複を避けたいと思います。

ただ、一番強く主張したいのは、9条と外交思想とは切り離せないものだ、ということです。

9条をなくすなら、その代わりとして、豊かな外交手段を確立させなければなりません。

しかし、9条をなくす代わりにアメリカ製のナイフを持つ、ということだけなら、9条を手放さないことを

私は支持します。

率直にいって、日本人は島国で海に守られているためか、世界から引きこもりがちだと思います。

その結果、自分たちと異なる世界、その相手を理解しようとすることもなく、不必要に相手を恐れ、

武器の保持に頼ろうとするように思えてなりません。

9条云々の前に、開かれた外交をいかに工夫するか、ということを考える方が有意義ではないかと思います。