神戸読売支部
since 1998/09/18
あなたは
人目の訪問者です。
標高1400メートルの崇山の山並みに続く小室山、そこは達磨大師面壁の聖山として知られる。
その山容は静謐な風景の中で一際厳しく、座して動かぬ達磨の姿を彷彿させる。
山の北麓の谷間には、山号を『崇山』と称する『少林寺』
がある。ここは北魏の首都洛陽に近い。
時は南北朝時代、天山南路(シルクロード)を経て中国に達した達磨は、やがて少林寺に入って
座禅行と共に易筋行を伝えることになる。
易筋行とは印度拳法であり、「天竺那羅の桷」あるいは「阿羅漢の拳」
とも呼ばれるもので、修行僧達の安全を守り、正法護持の役割を果たすものであった。
その盛行の様は、少林寺に残る壁画「羅漢連拳図」にうかがい知ることができる。
いつしか少林寺は剛健勇猛な名を馳せるようになり、拳法もまた、山門の外に出て、
宗門の行としての姿を薄くしながら、広く民衆の中に浸透していき、
栄枯盛衰を繰り返しながら新しい拳の道を開いていった。
しかし、拳法は徐々に終焉に近づいて行った。時には民衆運動の力となって歴史の舞台に
登場した拳法も1900年の一大愛国運動であった「義和団の乱」の廃滅
を機に、中国での長い歴史を閉じようとしていた。
ほとんど消滅しかけていた拳法に、新しい運命が訪れた。、それは若き日本青年
宗 道臣と陳老師の出会いであった。
いわばそれは、開祖 宗 道臣先生によって日本で昇華した少林寺拳法
の新しい歴史のはじまりであったのである。
(世界画報より)
あなたのブラウザはフレーム対応ですか?
神戸読売支部ホームページ作成担当
tet-5493@est.hi-ho.ne.jp