大内宿ツーリング

大内宿の奥の丘からの眺望

大内宿概要: 大内宿会津若松日光を繋ぐ会津西街道又は下野街道と呼ばれる街道の宿場町でした。江戸時代に入り街道が整備されると会津西街道は会津藩や新発田藩村上藩、米沢藩の参勤交代に使用され、経済的にも廻米道として利用されるなど重要視されました。又、大内宿は回りが高い山々に囲まれている為、独立した宿場町として発展し、本陣をはじめ旅籠や問屋などが設けられ賑わいをみせていました。明治維新後は街道制度が廃止され主要交通機関から外れた事で大内宿も次第に人や物資の往来が現象し衰退していきます。この事は大内宿の町並みが残される大きな要因となり昭和に入っても旧街道の両側には茅葺屋根の建物が軒を連ねていました。その後、時代が下がるにつれて大内宿にも近代化の流れが訪れ、道路の舗装化や金属板葺きの屋根、アルミサッシなどが目立つようになりましたが、古い町並みが残っている事で昭和56年(1981)に宿場町としては妻籠宿奈良井宿に次いで全国3番目に重要伝統的建造物群保存地区に選定、大内宿を含む前後10キロには旧会津西街道の石畳や、三郡境の塚、茶屋跡、一里塚、馬頭観世音碑などの遺構が見られることから国指定史跡に指定されています。現在の大内宿は保存運動にも力が入り再び茅葺屋根に戻す民家が増え、舗装道路も撤去され水路を復活するなど古来の大内宿の姿に戻りつつあります。

*インターネット福島県の町並みと歴史建築より抜粋
http://www.fukutabi.net/fuku/oouti.html

ツーリング仲間の遊佐さん

大内宿までは東北道須賀川インターから国道118号線、塔のへつり(渓谷)を経て到着。
車は大渋滞だが、オートバイは横をすり抜け到着。
帰りは会津若松から磐越道を経て仙台まで。

塔のへつり

遊佐さんにご馳走になった山形屋のそば