(2015.04.27)

OLYMPUS Camedia AZ-2 ZOOM

2004年秋発表の屈曲光学系コンデジ。 1/2.7"CCD、400万画素、3倍クラスズーム(40-112mm/F2.9-4.8)。 LCDは2.5"/21万画素の半透過型TFT液晶(モバイルASV液晶ではない)。 同年春発売のAZ-1の後継機種だが、AZ-1の売れ行きが悲惨だったらしく、 国内では2005年1月にコジマのPB製品としてOEM供給されただけで、 オリンパスのデジカメとしては正式発売されていない。 その意味では、かなりレアな機種。

  AZ-1もAZ-2も3倍クラスのズーム機だが、AZ-1は「AZ-1」、AZ-2は「AZ-2 ZOOM」が正式名称のようだ。ただし、本稿では「AZ-2」という略称を使用する。

ちなみに、このAZシリーズは、MinoltaのDiMAGE Xシリーズ(2002年〜)の後追い製品で、 オリンパスとしては初の屈曲光学系モデル。 また、このシリーズの失敗に懲りてか、 その後しばらくオリンパスは屈曲光学系機を出さなかったので、 後にも先にも類似機種がない(コンセプトの異なるi:robeは別)。 オリンパスのコンデジの系譜の中で、この2機種だけがぽつんと孤立している感が強い。 それにしても、メーカーが後継機の国内発売を忌避してしまうほどのAZ-1とは、 いったいどんな物なのだろうか?まずは、そちらに興味を惹かれる。

●AZ-1の問題点

AZ-1は屈曲光学系フラットボディに、大型の高精細液晶(モバイルASV液晶)を組み合わせた点がウリだった。 単にスタイリッシュなだけではなく、フォトビューアとしての機能をアピールしていたようだ。だが、結果的にボディサイズが大きくなり、中途半端な重量感が出てしまった。デザインも悪くはないのだが、実サイズ以上に分厚くて重い印象を受けたようだ。加えて、実売価格もかなり高かった。1/2.7"-320万画素で5万かよ〜、は間違いなくあっただろう(ただし、あっという間に値崩れしたようだが)。同時期に発売されたDiMAGE Xg(2.5万)と比べて、どちらを買う?と聞かれれば、ほとんどのユーザーが、小型でスマートで安価なXgを選ぶだろう。性能とか利便性とか以前に、モノとしての魅力で負けている。

  AZ-1のCCDサイズは公表されていないが、Coolpix 3200と画素数・焦点距離が同じことから1/2.7"と判断した。

さらに、AZ-1は他社製品の悪いところを真似して、ことごとく玉砕しているように感じられる。たとえば完全メニュー式のUI、あるいはクレイドル式の充電器、撮影/再生切替用スライドスイッチなどは、他社が失敗を認めて、方向転換をした技術である。なぜ、そんなものをこの時点で敢えて採用したのか理解に苦しむ。オリンパスは今までこうした技術を採用していなかったのにも拘らず(C-21のような例外はあるが)。さらに、望遠端Sマクロという、オリンパス特有の欠陥仕様はしっかり踏襲している。なんか、各社の欠点の集大成みたいなスペックだ。ワザとやってるとしか思えない(u_u;)

  AZ-1は望遠端Sマクロではないという情報もあるが、手許に実機がないので確認できない。しかし、最短距離が8cmであるならば、通常は望遠端であると思われる。以下、この仮定の元に論を進める。

●AZ-1からAZ-2へ

そこでAZ-2である。AZ-2は上に挙げたAZ-1の欠点をことごとく修正している。UIはボタンを多用するタイプに変更されたし、充電も本体で行うようになった。撮影/再生切替は従来のスライドスイッチに加えて、ボタンでも可能になった。また、Sマクロが中望遠(65mm/F3.8相等;最短3cm)になったおかげで、若干だが手ぶれしにくくなった。オートのみだった感度も固定が可能になった。わずか半年後のマイナーチェンジ機で、これだけ大幅に仕様を変更した機種も珍しい。背面の操作系なんて、全然別機種のようで、AZ-1の面影はない。 ほとんど、ムキになって変更しているように感じられる。 それだったら、AZ-1の段階でもっと良く検討すべきだったと思うのだが。

  しかし、なぜオリンパスは毎度毎度一発目にスカを投入するのだろう? 技術の進歩とか、ユーザーの声のフィードバックとかの次元のハナシではない。 何度も同じ轍を踏んでいる。意図は不明だが、意図的にやっているとしか思えない。 あえて推測すれば、おそらく海外マーケット優先で製品開発をしているためだと思う。 海外マーケットでは安価で雑で子供でも扱える機種が ボリュームゾーンを占めるため、そこをターゲットに製品を企画し、それを そのまま国内で売ろうとして失敗しているような気がしてならない。 ま、FEシリーズのように途中から「粗悪品でどこが悪い!」と開き直った例もあるが。

しかし、AZ-1からAZ-2への最大の変更点は、液晶が高品質の《モバイルASV液晶》から、通常の「半透過型TFT液晶」にダウングレードされたことだろう。「フラットボディ+大型液晶」という基本コンセプトこそ踏襲されてはいるが、この変更は製品アイデンティティの根幹を失いかねないレベルの変更である。というか、仕様を大幅に変更し、ウリにしていたデバイスも止めたのなら、果たしてAZ-2をAZ-1の後継機として位置付ける意味があるのだろうか?光学系以外は、根本的に別物じゃね?という気さえしてくる。

さらに言えば、AZ-2はUI周りの仕様変更に伴いボディサイズが大きくなっている。おまけに、液晶が右手側に寄ったために、グリップホールドができなくなった(液晶の変更に伴い裏面パーツと光学系が干渉するようになったのか?)。確かにいくつもの点で改良はされているが、これって、果たして本当に改良版なのだろうか? 失敗作の在庫パーツを掃くために、(ひょっとすると別の開発チームが)類似モデルを作ったってことじゃないのだろうか? そうだとしたら、恐らく高価ゆえに必要分しか購入しなかったであろうASV液晶を採用するワケがない。辻褄は合う。が、下卑た邪推はこのくらいにしておく。

●屈曲光学系機の意義

ところで、私が屈曲光学系機に惹かれる最大の理由は、道具としてのスマートさ。この種のコンデジは、カメラやラジオの分解時のメモ撮りにしか使わないのだが、その際、レンズが延びないというのがメンタル的に非常に楽なのである。実際の起動も速いが、それ以上に気軽にシャッターが切れるのが良い。でしゃばらない、仰々しくない−−文房具の延長の感覚で使えるのだ。

その意味では、ミノルタのDiMAGE X20は素晴らしい機種だったんだが、惜しいかな彩度とコントラストが高すぎて、ブツ取りには全然向いていない。調整もできない。Xgもしかり。操作性もイマイチで、特にXgは使いにくい。SANYOのJ1も性能的に不十分な上に、軽快感にも乏しく、おまけに子供騙しのギミックにムカついた。じゃあ、屈曲光学系機をオリンパスが作るとどうよ?…というのが、このAZ-2を入手した直接の動機であった。

●AZ-2の使用感

と言うことで、実際に使ってみた。 マクロ専用機として見た時の最大の問題点は手ぶれ。Sマクロで約1段暗くなる。IOS 400で1/8"とか1/6"では手持ちは厳しい。Nマクロ+ストロボ+デジタルズームで逃げようと思ったが、流石に画質の劣化が激しくて実用は無理。デスクライトなどの補助光で何とかするしかないのだが、スタートラインで広角端Sマクロ機に負けているわけで、あえてこの機種を使う理由が見つからない。まあ、地味目の画像は加工しやすく、ブツ撮りには物凄くありがたいことは確かだが。

また、私が屈曲光学系機に望む最大のポイントである《ガジェット感覚》も、残念ながら乏しいと言わざるを得ない。メタル外装と相まって、意外に重量感を感じてしまう。撮影時重量は恐らくDiMAGE X20と大差ないと思われるのだが、ずっと重く感じる。グリップホールドできないのも軽快なイメージを奪っている。ひょいと構えて、パシャと撮るのではなく、液晶に指紋を付けないように気を付けて、シャッターボタンの位置を探りながら上下挟みで構えないといけない。

と、まあ、かなり苦しい。屈曲光学系機自体の限界も感じるのだが、それ以上に作り慣れていないというか、変なギコチなさを感じてしまう。こうなると、DiMAGE X20の画像にPCで補正を掛けて使用するのが最善かも知れない。

●電池&電源

電池は専用リチウムイオン充電池。フラットボディと大型液晶のためには、致し方ない選択肢だとも言えるが、分厚くなっても小型液晶でも良いので、単三電池の方がありがたい。でも、そんなことを言い出したら、そもそもこの機種を選ぶのが間違いなワケで、ここでは文句は封印(DiMAGE X20は単三2本でもフラットボディの屈曲光学系だけどね〜)。ただ、オリンパス製品としては珍しく、本体充電が可能で、ACアダプタがそのまま外部電源としても使用できるのは評価したい。電池がダメになっても、最悪AC電源で使用できる。ACアダプタ同梱と考えると、けっこうお買得感はある。

むしろ、LI-20Bってバッテリはどうよ、という気がする。オリンパスではこのAZシリーズでしか採用していない。フジやペンッタクスでは同一規格品(NP-60)が複数機種で採用されていたようなので、供給不安はそれほどないが、それにつけても電池の互換性をなくしてユーザーを支配するやり方は実に厭らしい。

●まとめ

このAZ-2単体で考えると、そう悪い機種ではないと思うのだが、やはりAZ-1の後始末のために生み出されたモデルという印象はぬぐえない。出自から言って必然的に次がないモデルだから、欠点が改良される見込みがまったくない。これがシリーズ第一弾ならば、短所も前向きな気持ちで受け入れることができるのだが、断種が宣言されては肯定は難しい。粗暴な子供は将来信長になるかもと期待させもするが、粗暴な老人は迷惑なだけである。

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