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日本の将来を救え!! ”いのち” 家庭教育

 

 日本の将来が危ない、教育の危険

 国家百年の計は教育にあり。『子供は将来の国の宝である』今、その宝を育てる義務教育補助金が大きく削られ

ようとしている。国家予算スリム化の数字合わせのために『将来の国の宝』育成の資本を削ってもいいのだろうか?

官公庁の浪費をはじめ、削る所はいくらでもある。

 文部省は、教育の構造改革を進めるために次の4つの理念を掲げている。

 ①個性と能力の尊重  

 ②社会性と国際性の涵養(かんよう)

 ③多様性と選択の重視

 ④公開と評価の推進

 文部省は「完全週休二日制の実施や教育カリキュラムや大学受験システムの変更」など教育改革に取り組んでい

る。しかし、理想やうたい文句とは裏腹に

 居場所を失い、子供らしさ失いつつある小学生

 かえって塾通いが増えた中学生

 ◆コロコロ変わり続ける受験システム、枝葉末節の改革に振り回されて右往左往し、受験テクニックに追われて

  進むべき道を見失った大学受験生

 これが偽らざる実態ではないだろうか? 

 

 このままでいいのか? 日本の教育!

 ①個性と能力の尊重

 この夏休み、あなたの子供はのびのび過ごせましたか?

 「週休二日制とゆとり教育」による学力低下を恐れ、膨大な量の宿題が出されていませんでしたか? テキストを

書写すだけで精一杯、詰め込み教育の実態はかえってエスカレートしていませんか。

 個性やダイナミックな能力の育つ余裕はありましたか?

 ☆親がしっかりとした子育ての信念を持つことです。学校や塾任せ、成績だけではなく、子供の特徴ややる

 気を生かし、その子に合った進路、人間として世の中に貢献できる生き方を一緒に考えてあけましょう! 

 もっと家族と触れ合える自由な時間を与え、田舎の自然や親の実家で古き良き風習や生活の智慧に触れ

 てこそ、独創的個性や柔軟性のある能力が育まれる。

 

②社会性と国際性の涵養(かんよう)とは?

 地域貢献が成績の評価対象となるからと、受験生(3年生)がにわかにボランティア活動に参加する・・・・作られ

 た社会性?

平素から家事手伝いをさせ、先ず家の中での貢献ができてこそ、社会貢献できる人となる。

 幼稚園、小学校から英会話を教え、パソコンを自由に操れることが本当に国際人を育てることになるのでしょう

か?

 幼稚園や私立小・中学校が少子化の子供たちを獲得するための手段方法、人寄せのうたい文句のために国際

 性になっていないでしょうか?

 ☆礼儀作法がしっかりでき、日本の文化や伝統、精神性が語れること、自国に誇りが持てる人こそ、国際人

  である。英会話が流暢にでき、インターネットで世界の情報を知っていても、日本人として語るべき中味が

  なければ何もならない。

 

③多様性と選択の重視

 大学全入時代を目前に、大卒の価値が失われつつある。にもかかわらず、受験飲現場では、まだまだ大学にネイ

 ム・バリューを見出そうとする実態がある。ほとんどが目的のない大学卒では多様性もなく、本当にやりたいことの

 選択など程遠い

IT革命など大きく変化し続ける多様性の二十一世紀だからこそ、変化に負けない強靭な精神力と体力が決

 定的に大切になる。部活動やスポーツで心身を鍛え、大競争時代の荒波を乗り切れる体力や粘り強さ、協

 調性や連帯感など培うこと。学生時代に座学だけの勉強ではなく、幅広い体験の実学をしてこそ正しい選択

 眼が養われるのです。

 

④公開と評価の推進

 情報公開がますます数字による成績評価、人間評価を生んでいるのではないか? 基準のはっきりしない「絶対

 評価」という化け物が子供たちの本当の価値をゆがめているのではないでしょうか?

数字に表れた結果だけではなく、一生懸命やった姿や苦手な科目が多くても、得意なこと一つを認めて生か

 してあげることが子供の未知の可能性を引き出して生かすことにつなが

 

 教育の本道とは何か

 教育」とは、を実践する()人間を育てることです。親に孝養を尽くし、社会に役立つことを実践できる人間を

 育てることです。と知識がどれほどあっても、自分の幸せと利益だけを中心に生きる人間が増えたら世の中は荒廃

 してしまいます。

 『亡き祖父母の名前がフルネームで言えますか?

 あなたの子供は、亡きおじいちゃんやおばあちゃんの名前がフルネームで言えますか? どんな人であったか、ど

 んな活躍をしたのか知っていますか?

 今必要なのは『命を大切にする家庭教育』なのです。

 昨年一年間の自殺者は約三万五千人です。十五分に一人が日本のどこかで自ら尊い命を絶ったことになります。

「平素から神仏やご先祖に手を合わせ、面々と続く命の流れ、目に見えない力『お陰』に感謝できる人は、多くのお

陰に守られて少々の失敗や挫折ですぐにあきらめたり自殺ししない。

 

 世界平和は家族愛から始まる

 先祖に手を合わせ、祖父母の恩やぬくもりを忘れない心、それは家族愛の原点です。家族愛があってこそ、はじ

めて他人を愛し生まれ育った郷里に対する郷土愛が生まれます。その上で国を愛する祖国愛が育ち、最後に国

や民族を超えた人類愛へと発展するのです。

 

 

仏の救いは目の前にある!

  すべては救いのメッセージ

 

 本当の救われとは何か

 私たちの毎日の生活には、うれしいこと悲しいこと、辛いこと、思いもよらないことが次々と起こっています。一体ど

こに仏の救いやご利益があるのでしょう。

 難病や経済苦、憎しみ恨みなど解決不可能な人間関係のトラブルなど、人間の力を超えたどう処理したらいいの

でしょう? それには人間を越える大きな力(仏=宇宙)に動いてもらうしかないのです。

 しかし、少しばかり努力をした私たちの小さな善行や徳積みで「巨大な宇宙=仏に動いてもらおう、動いてもらえる」

と思っていることが人間の慢心なのです。

出来事のすべては、自分の間違いや至らなさを教えてくれる「仏の慈悲であり、宇宙の救いの現れ」なのです。

目の前の問題を困ったことだと否定したり拒否しているうちは、仏の救いは現れてきません。

 つまり責任を人のせいにしているうちは出来事の真実は見えてこないのです。すべてを良いことと受け止めること

ができた時、仏の救いが現れてくるのです。

 

 常住此説法じょうじゅうしせっぽう

 仏は常にここ(私たちのすくそば)にいて私たちが良くなるように幸せになるようにと教えを説いてくれているので

す。すべての現象は、仏の私たちに対する説法なのです。仏の説法なのですから、全部良いことに決まっています。

それが分からないから、凡夫(信仰の浅い人や信仰心のない人)は反対の行動をとり、不幸になるように不幸にな

るようにと一生懸命頑張っているのです。

 

 一心欲見仏

 訪れる出来事のすべては仏の計らいであり、目の前の出来事の中に仏の説法を聞き分けなければなりません。

そのためには、ただ漠然と現実を眺めていてはいけません。

 この現実のどこかに仏がお見えになり、何が仏からの救いのメッセージなのだろう?と自分の都合や私心を捨て

て、一心に仏を見よう、仏の御心を感じとろうする時、真に救いの姿が見えてくるのです。

 

 救いは内側にある

 救いを与えてくれる対象を外に求めている間は根本解決はしません。救いは必ず内側、即ち自分の心に中にあ

るのです。

 「幸せは西にもあらず、東にも北(来た)道探せ、南(みな身)にぞあり」幸せはどこか遠くにあるのではなく、今日ま

で歩んできた自分の人生の中、心の中に種まきがあるのです。

 苦の中にこそ仏がいる。苦の裏側には必ず良いことの芽生えがあり、自分を大きくする救いがあるのです。悩み

の対象が自分を救ってくれる仏なのです。「意に添わぬことを 拝む心が仏様」です。

 自分を害する対象は自分に救いをもたらす拝むべき仏の分身なのです。

 「うきつらき 心に添わぬ ことをみな よきに悟りてよろこび得よ」

 自分を害する人、気に入らない人を拝める人になりましょう。

 

 不自惜身命

 そのためには、命がけの努力精進が必要です。挨拶、笑顔、誠意、勤勉など当たり前ですが、できそうでできない

良いことを続ける力が必要です。不自惜身命が辛いうちは仏は見えてきません。苦が私たちを生まれ変わらせてく

れるのです。

 

 

時代の流れを乗り超える!

  七転八起、活かせば生かされる

 

 諸行無常  

 《時の流れは川のように留まらず、世の中の同じ状態はいつまでも続かない》

 先日、連盟の総会である温泉ホテルに宿泊しました。名泉百選にも名を連ねる県下有数の温泉街です。

 会合のお世話をしてくれた元芸妓のお上が寂しそうに語った。

 「昔は、毎日全国各地から観光客が訪れたいそうな賑わいで、次から次へと新しいホテルや旅館が出来ました。

土曜日曜ともなれば、宴会のすんだお客さんたちが夜遅くまで、二次会三次会、夜食のラーメンやうどんを求めて

下駄の音を響かせながら温泉街を練り歩き、町全体が不夜城のようでした。

 しかし、勢いに乗ったホテルや旅館は、大勢の泊り客を当て込んで、ホテル内にスナックや夜食の店、朝市など

のお土産コーナーを作り、外へ出なくとも済むようになりました。

 至れり尽くせりで一見お客様は便利になりましたが、お陰で町の小さな食堂や土産物屋、飲み屋が寂れはじめ、

一軒また一軒と看板を降ろしていきました。今では、人っ子一人猫の子一匹いない真っ暗な通りに寂れてしまい、

町はますます活気を失い、客足はますます遠ざかってしまいました。

 

 末法,顛倒衆生てんどうしゅじょう

 《仏滅後、教えのない大衆は仏の真理と正反対のことを考える》

 これではいけないとホテルや旅館は無理して設備を終え、お客を確保しようとします。しかし、ホテルがデラックス

になるに連れて、小さな個人商店はますますやっていけなくなり、勢い町はどんどん寂れてしまいました。

町全体が暗く活気を失ってしまったものですから、魅力や楽しみがなくなり、結局客は遠のき、悪循環のいたちごっ

こです。

 莫大な設備投資をしたホテルや旅館も小さな体力のない所から潰れていきました。寂しい限りです」と、今は昔の

栄枯盛衰をしみじみと話してくれました。

 どこに原因があるのでしょうか?

 お客様の便宜やサービス向上、魅力ある店作りはいいのですが、自分のホテルにだけに人が集まり賑わえばい

い、自分だけが儲かればいいという自己中心的な小さな考え方、欲まちがいが、最後は自分が行き詰まるのです。

 

 諸法無我

 《すべての存在はお互いに関係しており、単独では存在しない》

 世の中は共生き、お互いに支えあい関係しあって生きているのです。

 私たちの社会は森と同じで、大きな木や小さな木、雑草などの下草、種類の違う木などいろいろあって、それぞれ

が知らず知らずのうちに影響し合い活かしあっているのです。

 もしも、野中の一本杉になって周囲に他の木や草が一本もなくなってしまったら、太陽の光と雨の恵みは独り占め

できますが、面白みのない殺風景な森になってしまいます。

 そして、いざ台風というとき、一本の木だけでは暴風を受け止め切れません。世の中も同じで、自分だけが幸せに

なればいい、自分の会社だけが儲かればいいという考え方は、大自然の真理に反していますから、いざという時に

持ちこたえられないのです。

 

 相手を活かせば生かされる

 この温泉街だけの問題ではありません。どこの町にもある問題です。大型スーパーや大型郊外店が進出して旧商

店街が寂れたり、メインストリートの老舗デパートが撤退したり、町興しに苦心惨憺している自治体も数多くあります。

 お客様に便利を計ることはいいことですが、「私も儲けますが、あなたも儲けてください。共に栄えていきましょう」と

「相手を活かせば、自分も生かされる」のが大自然の真理です。

 儲けを独り占めして、一軒だけ残るのが勝ち組ではありません。「八分の利口に二分の馬鹿」といって二割ぐらいは

周囲にも施し、共に喜びや幸せを分かち合う仲間がいてこそ本当の勝ち組なのではないでしょうか!

 

 

時代の流れに乗る! 

 流れに乗れる三つの条件

 

 時代の流れは変えられるか?

 自分が時代を変えたという人がいたら、それは慢心です。私たち人間の文明も大自然の一部であり、どんな偉大

な人でも、時代という怒涛の流れを自分一人の力で変えられるものではありません。

 「すべてをより良い方向へ発展させたい」という宇宙の意思、法則と「漠然と感じている民意」という膨大なエネル

ギーによって時代の本流が変わるのです。

 古来、川の流れが大きく変わる時は、大雨が降り洪水が起こって地形が変わるのです。当然、がけ崩れが起こっ

たり、大きな被害も出ます。反面、下流においては地味が肥え、また、災害を乗り越える知恵が増えるのです。

 つまり人間の文明は、大きく崩れる河に沿って都市を築き、時として痛みを伴いながら変化発展して来たのです。

時代は変えるものではありません。必要に応じて変わっていくのです。

 

 時代の流れを見抜く

 今政治も、経済も、教育も大きく変わろうとしています。特に今回の郵政民営化を巡る衆議院選挙の行方は、全国

民の注視するところであり興味津々のことと思います。

 本誌が皆様のお手元に届く頃には選挙の結果も出ていると思います。政策よりも政局中心の派手なパフォーマン

スだけに目を奪われていてはいけません。

 しかし、火事場の大騒ぎのような状況が、豊かさのぬるま湯にどっぷりつかってしまった私たち日本人に国の将来

を真剣に考え、政治と選挙に関心を持たしてくれることは、大変良いことです。各党の代表者によるTV討論会を見る

となるほどと言う意見もあるが、またそれぞれに無理な考え方もある。百パーセント完璧という法案などありえない。

誰かがよければ、誰かが不都合になる。

 要はいかに時代の流れを正しく見抜き、その本流にどう乗るかが大切です。

 

 時代の流れを正しく見抜くには、三つの条件があります。

 ①私欲、私心がないこと

 自分だけを守ろうという小さな欲の心があると流れを見誤ります。幸福の女神は前髪しかないのです。欲を捨て素

 早く決断しないと、幸福の女神は通り過ぎてしまい、チャンスを逃します。

 ②大義による行動であること

 自分の意地や都合ではなく、国を思い大衆を思う「己むに己まれぬ使命感、居てもたってもおられぬ情熱の発露」

 による自己犠牲の行動でなくてはなりません。そして、ことを起こす必然性、大義があれば天が動き、地が動き、人

 が動くのです。

 ③率直さと勇気

 過去のしがらみや今日までの功績を超越して、時代の流れを率直に受け入れ、思い切って飛び込んでいく勇気が

 必要です。地位、名誉、財産など失いたくない物が多すぎると行動が鈍ります。

 激流を泳いで渡ろうと思ったら、勇敢に服を脱ぎ、靴を脱ぎ捨て、身につけるものを最小限にしないと流れに負けて

 押し流されてしまいます。

 

 この三つの条件に合致し時代の流れに乗って成功した人を結果的に○○さんが時代を変えたとむいわれるので

 す。

 

 流れを乗り切る舵が必要

 政治の世界だけではありません。転職、結婚、企業独立、遺産相続など、大きな変化に直面した時も真理は同じ

です。

 大変化という非常時に人の本性が現れます。①全体を考える人 自分中心に考える人。 ②みんなの利益を考え

る人、自分の利益を優先する人。 ③見て見ぬ振りをする人、精一杯協力する人。

 目の前の変化に動揺し、初心を忘れ、進むべき大道を誤り、欲心と慢心に自分を見失うと時代の激流に流されて

しまいます。

 そうならないめに、しっかりした人生の舵である良き師匠、不断の友(利害損得を超越して助言してくれる良き友)

が必要なのです。

 

 

立ち上がれニート?

 親が働きに喜びを持とう!

 

 働かない若者の現状

 学校に通って勉強する気もなく、働く意欲のない若者たちが急増し、大きな社会問題になっています。ニート640

万人、フリーター213万人、引きこもり100万人。約400万人の将来ある若者たちが働かない、働けない状態に

あります。 一体何が彼らをそうさせてしまったのでしょうか?

 政府もこの社会問題を危惧し、全省庁挙げて分析と対策に本腰を入れ始めました。

 ①学校段階から仕事の意識をもつことのできるように、中学生が年間5日以上企業で職業体験をする。

 ②働く意欲が乏しいのだから、就職を促すために、基本的な生活習慣を身につける訓練やボランティア体験を合

 宿形式で行う「若者自立塾」を立ち上げる。

 ③企業が人材育成のためにかかる教育訓練経費の一部を法人税から免除する税制処置をとる。

などの行動計画が発表されました。どれも大切なことではありますが、下流の対処療法であって、源流の根本治療

ではないと思います。

 

 なぜ働く意欲がないのか

 先日ある番組の対談で小坂文部科学大臣は、社会構造の変化に大きな原因があることを指摘していました。

 昔は社会全体が第一次産業即ち自営業や製造業の町工場などが多く、毎日の生活の中で、父親の汗して働く姿

を見、家業のかたわらコツコツと家事に精出す母親の姿を見て育った。だから働くという実感が自然と身についたが、

今は第二次産業のサラリーマンがほとんどである。そして職業を持ったりパートに出かける母親が増えている。つま

り、父親や母親の働く姿を身近に見て育っていないので、働くという実感と価値観のわからない若者が増えているの

だと分析していた。

 

 親の働きに喜びはあるか!

 確かに実際親の働く姿を見て育つことは、子供心にも働くということの大変さや仕事に対する責任、やり遂げた時

の達成感などが感じ取れると思う。しかし、いまさらサラリーマン社会を無くすわけにいかない。自営業、製造業、農

業、サラリーマン、どんな職業であろうが、問題は実際に見るかどうかよりは、働いている親自身が喜んでやってい

るか、仕事に感謝や感動があるかどうかなのです。

 親自身が会社や仕事に愚痴や不足がたまり、喜びや感動、使命感もなく惰性で働いていませんか? 子供の前で

直接いわなくても親自身の無気力さは伝わるのです。、

朝早くから夜遅くまで忙しく働き、日曜日は接待ゴルフ、たまの休みには「俺は疲れているんだ」と家の中でごろごろ

している父親、パートに疲れ時間に追われてカリカリと家事をこなす母親、「昔おふくろの味、今はレトルトパックの袋

の味」で育つ子供たちから働く意欲が無くなっていくのは当然ではないでしょうか。

 

 家庭の立て直しが急務

 猪口少子化対策、男女共同参画担当大臣は、少子化による労働力不足が、超高齢化社会を支える負担になり、

その不安と重荷が重大な問題であるから、母親が安心して子供を預け働けるシステム、そして女性が男女の区別

なく同格で働ける社会、子育て終了後に正社員として復活できるシステム作りが大切と言われた。

 本末転倒であり、一体誰が子供をしつけ、社会人としての基本的生活習慣を身につけさせるのでしょうか?女性

の地位向上、労働に対する公平性は大切ですが、子育てとぬくもりある家庭作りはお金儲け以上に大切です。

中学生の授業の一環としてわざわざ企業体験するよりも、小さな頃から家庭の手伝いをさせ「働かざる者食うべか

ら ず」という責任感「自分も家庭の役に立っている」という充実感と感動を植えつけることが根本ではないでしょうか?

 子供の躾、ぬくもりある家庭作りをおろそかにして、夫婦共働きで物の豊かさを追い求め、高度経済成長、バブル

の時代に蓄財した富が皮肉にもニートを養う温床になっているのではないでしょうか? 女性が安心して働ける社

会よりも、安心して子育て家庭作りの出来る社会、経済システムを模索するべきではないだろうか。

 

 

子供は宝 ”いのち” の家庭教育  1

 いま子供の生命と希望ある人生が危機にさらされています。どこまでも幸せになる可能性を秘めた希望の人生を

親や大人たちがしっかりと守ってあげなくてはなりません。国や社会の責任ではなく、家庭環境、子育て環境から整

えていくしかありません。

 

 三つ子の魂百までの真意

 私たち人間は、母親のお腹の中から乳幼児(三歳)までの間に身に付けたことが一生の土台になります。その土

台の上に、人生経験を積み重ね一人の人格として成長します。

 しかし、学者でもお金持ちでも、どんなに立派でも老化と共に後から身に付けたものが一枚一枚剥げ落ちていき、

最後まで残るのが胎教から乳幼児(三歳)までに身に付けた人格の土台となる部分「根本人格」です。

 百歳以上の老人が一万人を超える高齢化社会となり、大半の人が長生きをし、老化を経験する時代を迎えた今日、

「三つ子の魂百まで」「胎内教育」は子供や若いお母さん方の問題ではありません。老化と共に自分中心的な醜態

をさらすか、清らかで美しく尊敬されながら老いるかが問われる時代になってきました。

 

 子育ては建築と同じ

 一人の人間を育てるのは一軒の家を建てるのと同じです一世一代の大仕事です。気を抜くわけにはいけません。

 ①先ずは自分たちの家が欲しいと本気てで思うこと。

 ⇒自分たちの子供が欲しい、自分たちの生命を受け継いでいく子供を育てたいと本気で思うこと。

 ②洋風か、和風か。間取りはどうするのかなど設計図の段階でしっかりと構想を練ること。

 ⇒妊娠したら男か女か、どんな子に育てようか夫婦がワクワクして子供に対する夢を膨らませること。

 ③設計図が出来たら、しっかりした土台を作ること。基礎がしっかりしていなかったら、2階3階と上へ行くほど狂い

 が出てくる。

 ⇒妊娠中は人格の土台作り、より良い環境で胎内教育をする。

 ④いよいよ建築。できるだけいい材料を使い、丹精込めて作っていく。決して手抜きはしない。面倒だからと小手

 間を省くと、後からの修理に大手間がかかる。

 ⇒いよいよ子育て、乳幼児期に親の溢れるほどの愛情を注いで育てる。

 ⑤完成したら神仏しご先祖をお祀りする。命の尊さや生かされている感謝を実感する心の拠り所です。神棚や仏

 壇のお祀りしていない家は精(=心棒)のないのと同じです。単なる物置と同じです。

 ⇒目に見えない神仏の力(大自然の恵み)や先祖の恩に手の合わさる生活は、豊かな心の人間を育てる。

 ⑥メンテナンスを怠らない。外壁、内装、子供の成長や家族構成にあわせた改築などをする。  

 ⇒子供の成長に応じたきめ細やかな子育てをする。

 

 出産に対する自覚が大切

 最近は出来ちゃった結婚が流行のように思われ、何かトレンディーのようにもてはやされていますが、ここに大き

な落とし穴があります。子供を産み、育てる自覚と決意もないまま、特別欲しくはないが「できてしまった」のでおろす

わけにもいかず、仕方がないから産む若者が増えています。

 「願って待ち望んで産んだ子」でないので、子供に対する本当の愛情が湧かず、育児放棄してしまう若夫婦、まだ

自分たちが遊びたいがためにわが子を邪魔になり殺してしまう若い母親、悲惨な事件が日常茶飯事になりつつあ

ります。

 先ず第一に子供が授かった時の母親と周囲に精神環境が生まれてくる子供に非常に多くの影響を及ぼします。

 ①妊婦も周囲の人(夫、両家の両親)も喜んでいる。

 ⇒子供は心身ともに健全、妊娠の経過も順調で、安産で生まれる。

 ②妊婦は喜んでいるが、周囲の人は喜んでいない

 ⇒裏表のある人間になり、二面的価値観に捉われやすい子になる。

 ③周囲は喜んでいるが、妊婦は産みたくない

 ⇒早産や低体重児、未熟児になりやすい。

 ④妊も周囲呑む人も歓迎していない

 ⇒感受性に乏しく、無気力な子が多く、寂しい子になりやすい。

 本気で自分たちの子供を産み育てようという決意と感動が不可欠です。

 

 胎内教育が人格形成の設計図

 母親と胎児はへその緒でつながり、文字どおり一心同体です。つまりお腹の中でお母さんと同じことを感じ、同じこ

とを考えているのです。これが子供の性格や感性を作っていくのです。

 妊娠四ヶ月で目口耳舌という感覚器官が全部完成し、五感を通してお腹の子供にストレートに伝わるようになりま

す。

 次にお母さんの強い怒り、深い悲しみ、恐怖や不安。このときに分泌されるホルモンが胎児の成長に重大な影響を

与えるのです。

 そして、お母さんから伝わる波動です。お母さんの共感したことに胎児も同じように共鳴するのです。特にゆったりと

した長い呼吸でお経を唱えることは、脳波をα(アルファー)波の波長にし、心身ともにリラックスして安定します。

 母から子へのこの三つの伝達が子供の「根本人格」を形成するのです。

 しかし、子育ては母親一人の責任ではありません。戦前の教育勅語に示されたように「父母に孝に兄弟に友に夫

婦相和し」という固い夫婦の愛と信頼に基づいた家族の絆、ぬくもりのある家庭環境を整えることが大切なのです。

 

 

子供は宝 ”いのち” の家庭教育  2

 子供は宝”いのち”の家庭教育 1で胎内教育が人生の設計図作りの大切な時期であることをお話しました。

  今回は、いよいよ子育てです。お母さんのお腹の中で子供の人生設計図ができ、幼児期に一生の基礎となる人

格の土台が作られます。

 

 徳のある子を育てよう  

 人生の価値は学歴や財力や地位だけで決まりません。人に慕われて尊敬される「人徳」があってこそ、地位や財

産、学歴が本当に生きてくるのです。しかし、人間の徳分は一朝一夕には身に付きません。その根本を作り上げる

のが、乳幼児期なのです。

 子供の徳を作るのは、お母さんです。徳のある子とは、親に大切にされ豊かな愛情で育てられた子を言うのです。

 仕事やお金が優先して、日常の小さな手間隙、愛情が欠けて育った子供は、人から尊敬されたり、大切にされた

り、大切にされる徳のある子にはなりにくいのです。

 乳幼児期に小さな手間の手抜きをして育てた子は、大きくなってから大手間がかかる子になります。自分の気持

ちや意見がしっかり言えなかったり、自分の行動に自信がないため、いじめられたり、引きこもりや孤独で寂しい子

になります。

 反対に愛されて育った実感がないため、人に対する不安と不信のため、乱暴になったりもします。

 

 母乳と母の声がけが絆を深める

 生後六週間までに授乳を通じて、根本的な信頼関係が培われます。お母さんとの関係、スキンシップの持ち方が

決定的に大事です。母乳を与える時、母の温かい胸、柔らかく優しい乳房の感触、赤ちゃんの目を見つめて微笑む

母の笑顔と優しい声がけに子供は深い安心感を覚えるのです。

 そして、赤ちゃんが母の乳首に吸い付く時、母の体内に愛情ホルモンが分泌され、わが子への注意力、愛情が何

十倍にもなるのです。だからこそ、母乳で育てることは母子の絆を強める上で不可欠です。

 生後六ヶ月までに「この人がお母さんだ」という刷り込み現象が起きます。つまり、お乳が欲しい、オムツが濡れた、

お腹が痛い時、赤ちゃんは泣き声で知らせます。その時お母さんの「はい、今行きますよ」というその声に母との距

離を把握します。そして、自分のために動いてくれる母の愛情を感じ、安心感が育まれるのです。これが成長してか

らの大切な要素になるのです。

 母との距離感が目標までの距離感覚をつかむ能力になるのです。つまり自分が到達したい目標と、現実の自分

の実力のギャップを正しく把握し、どのような努力をしたらいいのか分かるのです。

 最近、目標と現実の自分との距離感がつかめない若者が増えています。「社長になりたい。お金持ちになりたい。

人より幸せになりたい」といいながら、休みの日には昼まで寝ていたり、ほとんど努力もせず夢ばかり追いかけてい

る現実離れした若者が増えてきたのも、このことが大きく影響しているのです。

 また添い寝をする時は、必ず子供の体を撫でさすってあげましょう。幼児の脳は、皮膚感覚によって爆発的に発達

するのです。ポンポンと軽くたたくのではなく、「良い子に育つんだよ。人の役に立つ子になるんだよ」とやさしく語り

かけながら撫でてあげることです。

 ペットの犬でも、飼い主からいつも温かい声がけをしてもらい、優しくお腹をさすってもらえるスキンシップに「ここが

安住の地」と安心したら無駄吠えがなくなるそうです。

 このようにして三歳までに母と子との強い絆が築かれます。これが成長してからの子供の生き方に大きく影響する

のです。

 こうして育まれた母子の一体感こそ、人間らしい人間を作り出す基礎であり、人格形成の根本です。

 ・しっかり抱きしめられて育った子は、自信と安心のある寛容な人間に育ちます。

 ・溢れる愛情に包まれて育った子は、優しく思いやりがあり、率直な人間に育ちます。

 ・誉められて育った子は、人を認めることができ、苦難にめげない忍耐強い人間に育ちます。

 ・言葉を多くかけられて育った子は、表現力豊かな明るく積極的な人間に育ちます。

 愛情をしっかりかけた上で、躾はしっかりすることです。躾に理屈はいりません。ダメなことはダメ。してはいけない

ことはいけないと禁止する。するべきことはしなさいと命じる。たっぷりと抱っこして母子一体感がしっかりしていれば、

厳しい躾をしても大丈夫です。

 

 父母の愛情は車の両輪

 子育ての表舞台は、母と子のしっかりとした関係です。父親と母親がしっかりとした信頼と愛情結ばれていることが

不可欠です。夫婦は車の両輪です。どちらの車輪が欠けても、小さくても子供はまっすぐ前に進みません。

 父親は家庭を支えるためにしっかり働き、家庭に安心と豊かさを与えることが最大の責務です。休みのたびに遊

園地に連れて行くマイホームパパが父親の役割とは違います。進むべき道をしっかり示す羅針盤の役と経済的に家

族を守る男の力強い後姿を示すことです。

 男女平等の世の中になりましたが、男と女、父と母とは自ずと役割が違うのです。違うからこそ男と女があり、父と

母があるのです。それぞれの役割をしっかり果たしながら「徳のある子」を育てましょう。

 

 

子供は宝 ”いのち” の家庭教育  3

 母の愛

 最近の子供はよく切れるといわれる。なぜでしょう? 

 最大の原因は、「母の力=子供に注がれる無償の愛」が衰え、「まず一人の女性として生きようとする、わがまま

な母」が増えているからではないでしょうか?

 母親の代償を求めない愛、溢れるほどの無条件の愛情に包まれて育つ子供が少なくなったからです。

 パートの片手間の愛、幼稚園や保育園任せの子育てになっている母親が増えています。母にしっかりと愛された

安心感と満足感が、自信と思いやりのある人間として生きる力の根源になるのです。

 「母の愛は海より深し」といわれるように子を思う母の強い愛情、母の言葉や行動に触れて子供たちは人格を形

成し、人生の基礎を確立していくのです。

 

 母の影響力

 若い母親が子供にかける三大言葉があります。

 ①気をつけて

 文字通り、外へ出れば何が起こるかわからない物騒な世の中になりました。

 ②早くしなさい 

 母親自身もそれほどてきぱきと手早くないのだが、子供には口やかましい。

 ③迷惑を掛けてはいけません

 人様よりも一人の女性として生きている私自身に余分な迷惑を掛けないで欲しい。

 子供は親の言う通りには育ちません。親のやったとおりに育っていくのです。「親の道は子が通る」の教えの通り

です。

 ・一人っ子二人っ子が増えているのも重大な問題です。子供も三人いて初めて豊かな人間関係が生まれます。

二人では仲が良いか悪いか二通りの人間関係しかありませんが、三人いればみんな仲がいい、みんな仲が悪い、

AとBとが仲がいい、BとCとが仲がいい、CとAとが仲がいいなどいくつかの人間関係が生まれ、子供なりの小社

会ができ、社会性が養われます。

 ・朝食を食べない子供(欠食児)孤食(一人だけで食べる)の子供が増えています。職を持ったお母さんは子供の

世話をし、いっしょにゆっくり食べる時間の余裕がないのです。

・脳の発達と心の発達に欠かせないのが笑いです。子供といっしょに感動し心から笑う楽しい母、表現力豊かな母。

子供の目線まで親が降りていき、同じ背丈になって、同じ心になって接することです。

・本を読む子供が少なくなっています。根気強さと創造性を育てるのが読書であり、特にお母さんの絵本読みは、

ページをめくるその瞬間に子供の想像力を飛躍的に高めるのです。漫画のビデオではダメです。連続して与えられ

る膨大な情報に受身の子供になってしまいます。

 

 母の眼力

 過保護干渉は子供の自由に育つ芽を摘んでしまいます。

 子供の人数が少なくなったら分、教育熱心なお母さんも増えています。幼い時から、ピアノやスイミング、英会話や

数々の習い事に情熱を燃やすお母さん。決して悪いことではないのですが、本当に子供が興味を示し、やりたいこと

なのでしょうか? 親のやらせたいことであったり、親自身が幼い時に出来なかったことの実現であったら大変です。

親の自己満足や自己愛の犠牲にしないように気をつけましょう。

 子供が夢中になること、感動してやっていることの中にその子の個性の芽が隠されているのです。カード並べやお

人形並べであったり、マンガのお絵書かきであったり、子供が目を輝かせ夢中になっていることを見逃さず、誉めて

伸ばしてあげることです。

 発明王エジソンは、学校の成績が悪く、その上バカげた質問ばかりして手に負えない、頭が腐っていると担任教師

に言われ、エジソンの母は「この子はすばらしい力を持っている、私はそう信じています」と言って彼を連れ帰り、自

宅で教育しました。

 教育(エデュケーション)の語源は、エデュカーレというラテン語で「引き出す」という意味です。知識を教え込むこと

ではなく、その子の持っている資質や能力が発揮しやすい環境を与えてやり、可能性を引き出してあげることです。

 

 母の理解

 母が子供の一番の理解者になろう。エジソンはどんなことでも疑問が解決するまで質問し実験し続けるため、周囲

の人からうっとうしがられましたが、彼の母は「どうしてだろうね? 不思議だね」といっしょに考えてあげたのです。

 常にわが子の行動を肯定し温かく見守ってくれる良き理解者でありました。

 ①子供のありのままを受け入れ、信じ理解すること。

 ②この子はすばらしい力を持っていると心から信じて育てる。

 ③夢中になっていることを十分やらせてあげる。親の価値観で辞めさせない。

 

 母の教訓

 人として生まれてきた意味と使命、人生の意義など、小さな時から繰り返し繰り返し言い聞かせ、心に人生の基礎

を植えつけることが大切です。

 ①世の中の役に立つ人間になること

 ②人が困っている時、見てみないフリをしないこと

 ③卑怯者になってはいけない

 ④正しい信仰心を持ち、生かされている感謝の心を忘れないこと

 ⑤自分の可能性を信じること。決して途中であきらめない。超えられない問題はやって来ない

・・・・など、子供の心に残る価値観をしっかり根付かせるが「母の力、母の愛」です。

 

 

子供は宝 ”いのち” の家庭教育  4

 元気のいい子を育てる

 いま日本の子供たちの学力は、どんどん低下し、数学の応用力は世界第八位、読解力にいたっては十四位と低

しており、アジアだけで見てもトップレベルではない。急落である。

 あわてて文部科学省は十年あまり推し進めてきた「ゆとり教育」が失敗だったと民間企業のように学校に格付けを

し、競争原理を導入して学力向上を図ろうとし初めている。

 教育の根本がまったく理解されていない。教育の目的は「国を愛し、人を愛し、仕事を愛する。人として豊かな心を

育てること」にあります。十年周期に目先の手法だけをコロコロと変えていては、国家百年の計は成り立ちません。

そのたびに学校現場は混乱し、親は不安に駆られ、子供を学習塾に通わせる。勢い子供たちは、のびのびしたゆと

りも、情緒豊かな感性も、覇気も失い、ますます元気を失っています。

 元気があれば、学力は向上してきます。元気で活力のある子供を育てなければ、社会へ出ても言われたことしか

できない、工夫や粘りのない人間になってしまい、役に立ちません。

 

 活力ある人間とは

 ニートと呼ばれる働く目的や活力のない若者が急増しています。

 活力とは何か。 知力、体力、気力の総合力です。

 知力の根本は読み算盤。そして遊びや家の手伝いという生活体験の中からこそ生きた知恵、創意工夫の力がつ

くのです。

 体力の基本は食生活です。朝ご飯をちゃんと食べさせる。睡眠時間を十分とる。運動よりも塾や受験勉強にエネ

ルギーを使いすぎると、かえって受験に失敗したり、合格した後の学校生活に息切れしてしまいます。

 気力は、夢、目標を持たせること。国のため、家のため、自分のためと夢や目標が大きいほど気力は湧き上がっ

てきます。

 一つや二つの失敗でギブアップしない創意工夫のできる知力。一晩や二晩徹夜をしてもダウンしない体力。どん

な苦労をしても目標を達成しようとする気力。この活力が必要なのです。

 明治維新の原動力であり日本を変えていった多くの若者を指導した吉田松陰は、「学問は、人の人たるゆえんを

学ぶ」ためものと言った。人間性を磨き、人格を高めるのが学問の根幹であり本である。知識技能を身につけるの

は枝葉の学問である。本と末、幹と枝がバランスよく育ってこそ大木になるのです。

 今日の日本の低迷は、戦後教育において末の知識技能向上ばかりに力を入れ、本である人間性向上が置き忘

れられてきた結果です。今こそ本末を見直す時が来ているのです。

 

 躾は一生の宝

 「三つ子の魂百まで」とか「鉄は熱いうち打て」といいますが、親の真似をし、親の言うことをよく聞く幼児期や小学

生の頃にこそしっかりと躾をしなくてはなりません。学歴や勉強不足は、必要に迫られ「よしやろう」と自覚決意すれ

ば大人になってからでも、習得することはできます。

 しかし、小さなうちに身に付いた立ち振る舞い、マナー、言葉使いなどは一生ついてまわる人格の表看板です。

箸や鉛筆の持ち方など、いったん身についた変な癖はなかなか直らないものです。

 挨拶が明るく大きな声できちんとできる。靴をちゃんと揃えて家に上がる。席を立つ時はいすを元に戻しておくなど、

当たり前のようなことだけどやれない人も多い。

 学歴がなくても、マナーのしかりした人には気品が感じられます。高学歴であってもお金持ちでも、マナーの悪い人

は品が悪く尊敬されません。

 先日、車を運転していたら、前を走るセルシオの運手席から火のついたままのタバコの吸殻が投げ捨てられた。

 運転席を見たら、一見社長さんふうの初老の紳士である。せっかくの高級車も色あせて見えました。

 江戸時代の幕末、約八十名の若い武士たちが日米条約締結と視察の為にワシントンとニューヨークを訪れ、パレ

ードをした。アメリカ人に比べ背も低く浅黒い日本人が、ちょんまげに羽織袴、日本刀を腰にさして行進する姿は滑

稽で時代遅れの姿であった。しかし、威風堂々とした彼らの立ち振る舞いには、気品があり威厳が漂い、覇気が

感じられたのであろう。先進国アメリカ人を感動させた。そして、日本こそ「東洋の君子国、宗主国」であると絶賛し、

将来の日本の存在に脅威すら感じさせた。

 今日の日本に世界はどれだけの敬意を示し、脅威を感じているのでしょうか? 覇気のなさ、品のなさ、愛国心

のなさ、マナーの悪さこそが学力の低下以上に日本の評価を下げているのです。

 

 母の愛情が前向き人間を作る

 もう一つの活力の本は何といっても母親の愛情です。子供は拝んで育てましょう。幼児期寝かせる時には、お題

を唱えながら優しく撫で擦ってあげましょう。自分は愛されているんだ、生まれて来てよかったんだという安心感が

前向きで自信に溢れた性格の基礎を作ります。学校に行くようになったら必ず玄関まで出て、後姿を拝んで送り出

しましょう。

 親が拝んで育てた子し、必ず外でも尊ばれる人間になります。常に「いい子だね、大丈夫よ」といって安心できる

言葉を掛けましょう。母親の口癖は、知らず知らずのうちに子供の性格を作り上げていくのです。

 

 

子供は宝 ”いのち” の家庭教育  5

 ストップ、ザ虐待

 

 子供の虐待はなぜ起こる

 一つは、出来ちゃった結婚です。親としての実力、家庭を築こうという自覚やビジョンのないまま、まだ自分たちが

遊びたい恋人同士の延長戦上で子供が出来てしまい、何となく結婚し、子育てや家事、家族を養うための会社勤

めが重荷になって、そのストレスのはけ口が幼い子供に向けられる。

 もう一つは、親との別居です。仕事の都合や住む場所の物理的事情とは関係なく、しばらくのうちは別居して新

婚 生活を味わいたいという嫁、はっきりと自己主張をする嫁に気を使うのを嫌い別居することを奨励し容認する姑、

長男夫婦でも別居がブームのようになっています。

 長男夫婦に限らず、自分の思うように子育てがしたいと親が手を出し口出しするのを嫌がり、子育て雑誌をお手

本 にして教科書通りの子育てに悪戦苦闘している経験の浅いお母さんが急増です。それでも親に聞くことを嫌い、

地域 の子育て支援センターやサークルに通うヤンママ! 実力不足、経験不足から自信を失い、育児放棄、育児

ノイローゼとなり、感情の爆発として虐待が始まるのです。嫁姑共に辛抱のないわがママが増えているのです。

 

 叱れない親、怒る親

 最近、叱れない親、特に父親が増えています。反対にすぐにキレて怒る親(父、母共に)が急増しています。

 子供は誉めて育てるのが原則です。いつも親に怒られたり、小言ばかり言われている子は、学校や家の外でも

怒られたりいじめられたりされやすい子になります。

 しかし、学校などの集団生活や立派な社会人になるための躾として、基本的マナーや考え方を身につけてあげ

る厳しさは親としての重大な責任です。

 

 「怒る」というのは、自分のイライラや好き嫌い、その時の気分次第で感情をぶつけているだけのことで゛、ただ子

供 が自分の思うようにならないから腹が立っているだけのことです。しっかりした理由やスジの通った信念などあり

ません。だから子供は小さな時は怯え、成長すれば親に対する信頼と尊敬を失います。

 

 「叱る」というのは、子供のやったことが人としての道理やマナーに反した時、泣こうが喚(わめ)こうが言うべきこと、

教えるむべきことをきちっとまた厳しく言い聞かせることです。一時の感情で言うのではありません。

 そして叱った時は、子供がなぜ叱られたのかわかるように説明してあげることも大切です。ただヤミクモに叱って

いるだけでは効果は半減し意味がありません。叱られた後「なるほど」と納得のいく叱り方が大切です。

 その時は十分理解できなくても、後から叱られた意味がだんだん理解できたら、親に対する感謝と信頼が生まれ

てきます。

 

 子供を叱ってもよい五ケ条

 ①ウソをついた時

 昔から ウソつきは泥棒の始まりといいます。しょっちゅうウソをついていたら人からの信頼を失い、ろくな人生は渡

れ ない。

 ②目上をバカにした時

 親や恩人、先生や目上の人をバカにすることは、天につばを吐くようなもので、同じことが必ず自分に降りかかっ

 てくる。仏教では目上や恩人、親の恩を忘れた人は「忘恩の人生は滅ぶ」といって幸せにはなれないと教えていま

 す。

 ③人に迷惑をかけた時

 自分の都合だけを優先し、人のことを考えず、人を困らせた時。また、約束を守れなかった時は、率直に「ごめん

 なさい」と言える人になること。

 ④卑怯なことをした時

 弱い者いじめをしたり、一人を大勢で攻撃すること。自分が得をするために人をだますこと。後出しジャンケンのよ

 うなずるいことは、人間性が疑われる。「卑怯なこと」は人間として恥ずべきことである。

 ⑤危険なことをした時

 私たちの生命は、直接は親から大きく言えば仏様(大自然)から頂いた大切な生命であり、自分だけのものではな

 い。大切な預かりものであるから、大切に使わなければならない。ましてや人様の生命を粗末にしてはならない。

 冒険は大いに良いが、無謀は慎むべきである。

 自分の生命はもちろんのこと人の生命を粗末にすることは、仏教では「殺生」といい、五逆重罪の第一番に当たり

 ます。

 

 躾は愛情と手間暇かけて

 すべての人に仏性(生まれつき備わっている仏さまと同じ尊い心)があります。しかし、それは宝石の原石と同じ

です。愛情と手間隙を掛けて磨き出さなければ光り輝きません。

 仏教では薫中といって、良き縁や良き教えに毎日ふれている間に心にその香り(雰囲気) が染み付いてくると教

えています。正しい考え方や社会的マナーは、学歴以上になおざりに出来ない幸せな人生を築くための最小限の

基 礎です。若夫婦だけではなく、祖父母の経験や智慧を結集してこそ、すばらしい子育てが出来るのです。今こそ

ライスタイルを考え直す時が来ているのです。

 

 

子供は宝 ”いのち” の家庭教育 6

 子供の命をどう守るか

 

 何を信じればいいのか

 幼い子供たちの痛ましい事件が後を絶ちません。まだ人生のつぼみにもならない幼児、園児、無限の可能性を

持ちこれからどんどん伸びゆく若い枝葉の小中学生の命が、短絡的、身勝手な理由で無残に奪われています。

 あまりにも事件が多すぎて、一体どこの誰の事件かわからなくなってしまいます。

 自然も人も美しく、心豊かな日本はどこへ行ってしまったのでしょうか?

 不審者を恐れ、保護者が交代で送り迎えをする。その保護者が、加害者になってしまう。信じてあずけた、学校

や塾の先生による犯行・・・・一体誰を信じ、何に頼ればいいのか呆然と立ち尽くしてしまうのが現状です。人ごと

ではありません。いつどこで何が起こるかわかりません。

 子供110番、シルバー見守り隊、自動販売機を利用した自動監視システム、ITや携帯電話を利用し、官民上げ

てさまざまな対策が講じられています。しかし、無力な子供たちが襲われた時は、警報ブザーも監視システムも間

に合いません。事が起こってからのドロ縄式対処では子供は守りきれません。事後の対策ばかりに目が向けられ

ていますが、それよりも事件が起こらない社会作り、事件に巻き込まれないための事前の対策が大切です。

 

 子供は枝葉、先祖は根っこ

 子供は枝葉、自分たちは幹、親や先祖は根っこです。枝葉が弱ったり、枯れたりするのは、根っこに栄養が足りな

いか、根が切れてしまっているからです。ニート問題も子供の殺人事件なども、まさに若い枝葉が勢いを失い、枯れ

落ちていく姿です。

 つまり大恩ある親の元にはほとんど足を運ばず、ご先祖のことなど放ったらかしの無関心、切って捨ててしまって

いる日本全体の現状が根本の原因なのです。

 核家族化が進み、子供の事には幼稚園のうちから、スイミング、ピアノ、英会話、野球にサッカー、塾通いなど時

間もお金も惜しみなく使い、枝葉に直接肥料をやり、親やご先祖という根っこに水や肥料をやることを忘れてしまっ

たのです。根を切った樹木は枝葉から枯れていくのが真理です。

 

 二世帯住宅の間違い

 核家族化がどんどん進み、長男であっても親と同居する若夫婦が減り、老夫婦が切って捨てられ、最後は老人ホ

ーム行き。これでは我が家のルーツ、歴史と文化が消えてしまいます。

 いっしょに住んでも玄関別、お風呂も別、キッチンも別、これが官庁の奨励する二世帯住宅です。個人の権利とプ

ライバシーが行き過ぎて、表向きは同居でも真実は家庭内別居、温もりのないバラバラの家庭生活になっている。

自分さえ都合がよければ良い、人に迷惑をさえ掛けなければ良い、お互い気を使うのはイヤだなどという利己主義

の温床になっているのではないでしょうか?

 世帯の差、立場や好みの差をお互いに理解し、お互いに気を使い、認め合い譲り合い助け合ってこそ家族愛が生

まれ、他人に対する思いやりの心が生まれるのです。

 

 国を愛する心を取り戻そう

 単なる国籍としての国ではなく、自分の存在の源=祖になる国、先祖からのルーツが根付いている国、誇りと愛

着の持てるかけがえのない祖国のことを愛する気持ちが大切です。

 トリノオリンピックで金メダルを取った荒川選手、君が代が流れ、日の丸が上がってゆく時のあの美しさ、自然と目

頭が熱くなるあの感動しどこから湧いてくるのでしょう。

 君が代と日の丸は、世界に類を見ない高貴で美しい国家であり国旗です。他の国々の国家は、ほとんど戦いの歌

であり、勝利の歌です。君が代は、民族と国家の永遠性を歌い上げた平和の歌です。日の丸は、世界一簡素で力

強く美しい国家です。まさに    Simple is Beautifulです。

 かつて日の丸と君が代のもとで、痛ましい戦争が行なわれ、多くの尊い人命が失われましたが、それは為政者の

過ちであり、人間の愚かさであって、国旗や国家のせいではありません。国旗を掲げず、国家を歌わない国が世界

のどこにあるでしょう。

 オリンピックのメダルは、他の世界大会のメダルとは違うと言われます。なぜでしょう? 他の世界大会は一競技

だけを競い、個人のわざと栄冠を賭けて戦いますが、オリンピックは、あらゆる競技が一堂に会し、自分を生み、育

ててくれた愛する国(祖国)と国民の思いを背負っているからです。日本人はあまりしませんが、外国人は優勝する

と国旗を身にまとい、ウイニング・ランをします。純粋な祖国愛です。

 戦後六十年の世界に類を見ない経済発展の間に日本人が失ってきたものは、祖国を愛し、郷土を愛し、家族を愛

する気持ちです。これがさまざまな、痛ましくおぞましい非人道的な事件の根底にあるのです。国を愛し、ふるさとの

人と自然を愛し、家族を真に愛する人は、人の命を粗末にしません。家族の悲しむような身勝手なことはしません。

幼稚園や小学校から英語を教え、習い事をさせ、塾に通わせる前に人として日本人としての基礎を身につけさせま

しょう。それこそが尊い命を守る国づくりの第一歩です。

 

 

心の鉄筋は大丈夫か

 耐震強度偽装事件 ライブドアー 談合事件の本当の意味

 

 人生の心棒は大丈夫か

 ビルの心棒(鉄筋棒)が抜かれたり、細かったり、一連の耐震強度偽装事件が、日本を不信と不安の渦に巻き込

んでいます。もはや一級建築士や建設会社だけの問題ではありません。次々と新たな強度不足物件も発見され、

大きな社会問題となっています。

 違反者を摘発し、ビルを建て替えれば済む問題ではありません。

 最近のマンションブームの中に起きたこの事件は、何を教えているのでしょう! いったいどこに原因があるので

しょうか?

 マンションをはじめ、建売一戸建て物件のほとんどに仏壇や神棚がありません。仮に仏間があっても、押入れ代

わりになっている家庭が多いのが現実です。ここに大きな落とし穴があるのです。神様や仏様ご先祖様は目に見え

ませんが、私たちの生活を守ってくださる人生の大切な基礎であり、根本であり、心棒(鉄筋棒)なのです。

 核家族が大半となり、今や長男夫婦も親と最初から別居するのがブームとなり、先祖や仏様を祀っていない家が

多くなりました。目には見えませんが、人間生活の基礎がおろそかになり、まさに人生の鉄筋棒が抜け落ちてしまっ

ているのです。

 日本全国の家庭からどんどん心の鉄筋棒が失われているから、ビルの鉄筋が足りなかったり弱かったりする建物

が問題になってきたのだと悟るべきです。

 

 見聞触地、みな菩提に近づく

 この世の中の見ること、聞くこと、触れること、知ることはすべて仏様(=大自然)からのお知らせであり警鐘なの

です。

 今回の事件の被害者、加害者だけの問題ではありません。 

 他人事ではありません。自分の家の心の耐震強度は大丈夫か? いちど真剣に振り返って見ましょう。

 何宗でも結構です。自分のご縁のある宗教、親やご先祖から受け継いだ宗教の神様仏様、ご先祖をお祀りし、心

の鉄筋棒をしっかり入れることが大切なのです。

 

 天知る、地知る、我が身知る

 ライブドアーの粉飾決算疑惑、橋梁談合、防衛施設庁の談合など、エリート階層の欲得がらみの事件も雨後の竹

の子のように次から次へと発覚し、またか!と呆れるばかりです。この事件が収まっても、また同じようのことが起き

てくるのは目に見えています。

 戦後、宗教を持つことや、信仰をすることが、弱い者のすることであり、さも時代遅れの非科学的なことと思われ、

物質至上主義、金銭至上主義、学歴優先主義に偏ってきた歪みが出てきているのです。

 宗教界も大いに反省が必要です。生きた人間の救済ではなく、死んだ人にお経を上げる時だけの葬式宗教になっ

てしまった仏教、自然に対する畏敬の念よりは、物見遊山的な初詣や風習としての地鎮祭やお祭りになってしまって

いる神社にも責任があります。

 地位や学歴のあるエリートがなぜ軌道を外れていくのでしょうか? 

 みんな欲間違い、自分だけが儲かればよい、お金さえあれば幸せであり、お金があればなんでも自由になるという

錯覚に陥っているのでしょう。

 どんなことでも、「天知る、地知る、我が身知る」ということが解っていないのでしょう。人の道に外れた悪いことは、

最後は成功しないのです。

 今は死後のようになってしまいましたが、「お天道様はお見通し」なのです。

 そんな簡単なことが何故、学歴があり、地位があり、お金のある人がわからないのでしょうか?

 それは、小さな時から手を合わせたり、お参りしたりする経験がないので宗教音痴になり、目に見えない力に対す

る「お陰さま」の心が無くなってしまったのです。

 無神論、無宗教がインテリであり、強い人間なのだという大きな間違いがあるのです。外国に行くと、無神論者は

「信じる神もない、信用の置けない人」として本当の深い付き合いはしてもらえないのです。

 「日本の常識は、世界の非常識」であることに気付き襟を正し、本当の国際人、心の国に生まれ変わりましょう。

 

 

忍び寄る、若年認知症

 若年認知症の実態

 最近、若年認知症が注目されている。渡辺謙、樋口可南子主演の「明日の記憶」が話題を呼んでいる。韓流映画

の「私の頭の中の消しゴム」も必見である。認知症(痴呆症)は老人の病気と思っていたら、ここ数年二十代、三十

代、四十代、五十代、の若い世代の発症が増えている。なんと日本には約四万人の若年認知症の患者がいる。しっ

かりと診断できる専門医も少なく、予備軍も入れれば静かなる脅威である。

 

 昨日まで健常であった妻や夫が急に物忘れが激しくなり、だんだん簡単な計算が出来なくなり、漢字もわからなく

なり、新しい記憶から、身近か家族から忘れていく。

 あらゆる病気がそうであるように、若年層の病気はあっという間に進行していく。家族のどうすることも出来ない焦

りと不安、日一日と意思の疎通が出来なくなっていく絶望感に家族の絆と未来が音もなく足元から崩壊していく。

自分の存在のよりどころである過去の記憶と将来の夢や希望が毎日一ページずつ白紙になっていき、最後はすべ

てが白紙になってしまう。幸せだった家庭が天国から地獄へと一変してしまう恐ろしい現代病です。

 

 この病気には大きく二種類あって、『アルツハイマー型』と『脳血管障害型』です。アルツハイマー型は原因不明で

あり、現在の医学では進行は遅らせても完治させる方法はありません。脳血管障害型は早期発見早期手術などで

かなり回復できるそうです。「あれっ!へんなだな?」と思ったら、勇気を出して早めに診察してもらうのも必要でしょ

う。違っていれば幸いです。

 

 認知症の最大の原因は何か?

  一言で言って、自己中心主義の人生観が原因と言えます。自己主義と豊かさが行き過ぎ、俗に言う『線香も焚か

ず、屁もこかず』良いこともしないが悪いこともしないという人が増えています。自分だけが幸せならいい、自分だけ

儲かってリッチになればいい、とにかく自分の思うようにしたいと、自分のことしか考えない脳は、どんどん退化し働

きを失ってしまうのです。

 「明日の記憶」「私の頭の中の消しゴム」に二つの映画を見ても、虚構の世界ではあるが、因縁果報の真理に当て

はまっている。

 「明日の・・・・」は、会社において上司や取引先にはペコペコするが、部下にはあまり耳を貸さない自己中心の猛

烈部長。家庭においては、仕事中心で家族の協力など当たり前、いたわりの言葉もない仕事人間、49歳の夫。片

や一生懸命家を守ってきたが、実は不平不満と怒りが蓄積されていた妻。どこにでもありそうな夫婦だが、ここにも

互いに自分の都合からしか考えない身勝手な実態がある。

 「頭の中の・・・・」は、28歳の若妻がアルツハイマー症になっていく物語である。不倫であろうが、親の反対の相

手であろうが、周囲の気持ちなどお構いなしで自分の思い通りに突っ走るお金持ちのわがままお嬢さん。そして夫

は、実母を恨み、決して親と認めず過去を消そうとしている。

 今ではどこにでもありそうなことだが、このような自己中心型の生き方が増えてきたからこそ、現代病として若年

認知症が増えてきたのです。

 

 世の為、人の為が最大の予防

 「病気は気から」痴呆は年のせいだけではありません。宗教家や政治家、自治会の役員さんは七十、八十になっ

ても頭がしっかりして元気な方が多い。それは人様の幸せや国のよくなること、地域住民のためを考えて、行動し

ているから頭が活性化してボケないのです。人間は自分だけでは決して生きていくことはできません。特にこの病

気は、家族や夫婦だけでは対処しきれなくなり、病院はもとより、会社や地域の方々の理解と協力が不可欠になっ

てきます。つまり、病気になってしみじみわかる、生きている限り必ず誰かのお世話になっているのです。人様や地

域コミュニティーのお陰さまなのです。

 頭(脳)は、自他の幸せのために使うものであり、自分のためだけに使ってていたら、年に関係なく退化してしまう

のです。悪いことはしていなくても、自分のことだけを考える了見の小ささが脳を萎縮させてしまうのです。

 

 

人生は、関係性の中で生かされている

 価値観の転換が急務! お陰さまで成り立つ社会

 

 親先祖は根、夫婦は幹、子や孫は枝葉

 毎日のニュースを見ると、子供が親を短絡的に殺し、親が幼いわが子を虐待し殺すなど、目を被い耳をふさぎた

くなるような心の痛む事件ばかりです。情報時代の今日、凶悪は都会だけではなく、地方も田舎も変わりません。

 被害者はもちろん、加害者になった子供たちのいずれも、家庭生活における親子の関係や学校生活での人間

関係の歪による犠牲者となっているのです。 子供という枝葉が枯れたり、若さの勢いが無くひ弱になっているのは、

親ご先祖という根っこことの関係性が無くなり、枝葉に栄養が行かなくなっているのです。今こそ物質的に豊かなに

なりすぎた日本人のお金や物、学歴や成功に対する価値観を大きく修正することが急務です。時代の流れがすべ

て正しいとは言えないのです。

 

 勇気を持って価値観の転換を

 人間は知育、徳育、体育の三つのバランスよく身についてこそ、心身健全でりっぱな社会人になれるのです。幼

児期から小中学校時代までの家庭教育における「徳育」は決定的に重要です。幼児期から英語から英語塾に通

わせたり、いくつもの習い事やスポーツクラブに通わせることが親のステイタスになり、それで親の責任を果たして

いるという大きな錯覚があります。

 小さな子供にスキル(技術)を身につけさせるよりも、豊かな愛情と手間隙を掛け、勇気・優しさ・思いやり・勤労

など人間としての資質を育てることの方が重要です。心の成長が不十分で、学歴やスキル、必要以上のお金が身

についた子供は将に気狂いに刃物となってしまいます。コントロールが出来ないのです。

 

 こんな重要な役目があるのに、母親が物質的金銭的豊かさだけを求め、もっと豊かに、もっとリッチにとパートや

会社勤めをしていていいのでしょうか?

 家庭教育、子育ては何と言っても母親の役目が重大です。自分たちと子供だけという核家族が定着し、祖父母の

いないご家庭が増え、子供が家庭や学校や塾に取り残されててるのです。寂しいのです。

 

 しかし、もっと問題なのは専業主婦です。たまには心のリフレッシュや情報交換も必要ですが、幼稚園の送り迎え

の行き帰りに、毎日のように繰り返される井戸端会議、コーヒタイムにランチめぐり、働くお母さんより問題です。子

供は親の後姿を見て育つのです。

 別居家族が増え、気を使う親もない生活が行き過ぎているのではないでしょうか?

 なぜ同居を嫌うのか? ほとんどは嫁と姑のわがままではないでしょうか? お互いに『気を使いたくない自由気楽』

に自分の思うように暮らしたい』という究極の自己中ではないでしょうか?

 人間は有形無形の関係性の中で生かされているのです。何が本当に必要なのか、何が本当の幸せなのか? 一

度真剣に家族で考えてみて下さい。

 

 人生の三大苦、病気、貧乏、不和

 科学や医学がどんなに進歩しても、人間の三大苦はなくなりません。やはり第一は病気です。、次々と新しい病

気が現れ、若いからといって安心できないのが現実です。

 忍び寄る恐怖、若年認知症!で「若年認知症の原因は、自分だけの幸せを願い、人の世話にもならないが、人

のことにも関わりたくないという、自己中心的な考え方にあります」という記事を掲載したところ、色々なご意見やご

報告、ご質問を頂きました。

 

 ①子供を連れて再婚してこられたご近所の若奥さんが、あっという間に痴呆になられて入院されている方が見え

ます。ご主人に不幸な亡くなり方をした母親の墓参りや先祖まつりをしっかりするようにアドバイスしましたが、一向

にその気はありません。夫婦共々ご近所のつき合いもほとんど無いご家庭でした

 

 ②念願の新築マイホームが建ち、幸せの絶頂であるはずが、ある日突然ご主人が認知症になってしまった中年

夫婦のご家庭。決して人に怨まれたり、怨んだりされるような方でない仲のいいご夫婦だったのに・・・・何故なんで

しょうか?

 

 ③信仰でもしていなければ、ほとんどの人が自分の幸せしか願わないのではないでしょうか? 人様や世界の幸

せのことを真剣に願う人なんてほとんどいないのではないでしょうか?

 

 家族の単位が変わってしまった

 家族の幸せを願う事は決して悪いことではありません。しかし、「家族?」の単位が変わってしまったのです。自分

たち若夫婦と子供たちだけ、そこには親の存在が除外されているのです。親、実家、兄弟、・・・・などの関係性が限

りなく希薄になっているのです。

 食事に行くのも、旅行に行くのも自分たち夫婦と子供たちだけ、盆や正月は墓参りもせず、実家にも帰らず、海外

旅行やテーマパークへ直行。こんな家庭のこんなライフスタイルが当たり前になっていませんか?

 人間生活、社会生活の基本である「家族、社会」の関係性が欠落しています。その歪んだ人間生活への警鐘とし

て、得体の知れない新しい病気がどんどん現れるのです。

 

 お陰さまで成り立つ社会

 いざ大変となった時、親や兄弟、親戚の力を借りなければ、自分たち家族だけではどうにもならないことがありま

す。平素はつながっていないように見えても、お互いさまお陰さまの関係で支えられているという真実があるのです。

 網の目のようにすべての人がつながっているのです。網の目は一つだけだけで単独に存在することは出来ませ

ん。周囲のいくつかの網の目によって支えられ、その網の目もまたいくつかの自分を取り除く網の目によって形作ら

れているのです。これを仏教では『諸法無我』といいます。どれか一つの網の目が斜めに歪めば、離れた網の目ま

でが、引っ張られ変形してしまいます。それが社会現象です。

 すべての国と国、家庭と家庭、人と人は皆関係し合っているのです。自分だけが四角四面で真面目にやっていて

も幸せが保てるものではないのです。

 自分が幸せであると同時に、他の人たちもすべて幸せであることが、自分の幸せを保つために不可欠なことなの

です。

 

 

みんなに生かされている人生(諸法無我)

 苦労は飛躍のエネルギー

     心が変われば、現実が変わる!

               すべてはわが心にあり

 

 苦しさの中に飛躍のヒントがある

 シングルマザーで看護士の勉強に励んでいる若いお母さんからご相談です。

 「看護学校での勉強も第一段階を無事卒業し、この春から五、六人のグループで、地元のいくつかの病院に交替

で派遣され、研修生として現場実習に日夜一生懸命頑張っています。

 先日も手術の立会いがありました。気を失ったら減点です。血のにおいとメスを入れる様子にもう少しで気を失い

そうになりましたが、私は危うくセーフでした。いろいろな場面で、これでもうお仕舞かなということが幾度もありました

が、その都度不思議に守られ、ここまでクリアしてきました。

 しかし、今日看護士長さんに呼び出され『○○さん、しっかり頑張っているあなたには悪いけれど、他のメンバーが

あまりしっかりやっていないので、評価の点数は低いわよ。集団責任なので、うちの病院としては、不合格になるか

もしれないから』ときついお達しでした。

 ここまで頑張ってきて、もう少しで准看護士に手が届くという所で失格になってしまったら、今までの苦労が水の泡

です。自分のことなら何とか頑張りようがあるのですが、他人のことではどうしようもありません。ましてや、他のメン

バーは高校や大学を出たばかりの若者たちなので、今まででも注意やお願いをしても『おばさん!ひとりで何がんば

ってんの?関係ないわよ』と通じません。どう考えたらいいのでしょうか? と事態は深刻です。

 

 成功者の秘訣! 途中であきらめない

 悪いことが起こっても落胆してはいけない。落胆すれば、ますますことが悪い方に進み出し困ったことの悪循環に

陥ります。

 困ったことにぶつかった時、最後に「やればきっと出来る! やってみよう!」と決心することが成功する秘訣です。

どれだけ頑張っても成功しない人、いつまで経っても不幸な人は、途中で諦めてしまうのです。苦しい後一歩の所を

投げ捨ててしまうか、歯をくいしばってもうひと踏ん張りするかで、人生は百かゼロか、成功か失敗か、幸か不幸か

に分かれてしまうのです。

 

 彼女のバックグランドはこうです。数年前、三十を過ぎて子連れで離婚をし、実家に戻ってきました。とりあえずの

生活費を稼ぐためにパートやアルバイトをしましたが、なかなか長続きしませんでした。

 そこで、一念発起し安定した職を身につけようと看護学校に通うことにしました。いつまでも親におんぶに抱っこで

はいられない。目先のパートやアルバイトでは自立できない、子供は育てられないと決意したのでした。

しかし、彼女が看護学校に通う事をはじめは親も反対でした。学生時代勉強が大嫌いだった彼女が、しかも三十半

ばを過ぎてからの遅すぎる挑戦は、大冒険というよりは、荒唐無稽の無謀な挑戦でした。

 でも、看護士になることは、勉強が苦手だったが彼女の学生時代からの夢だったのです。「好きこそ物の上手なれ」

というように、つらい勉強も、きつい実習も頑張って来られたのです。

 「ここまで来られた事が夢のようで、仏さまの教えのお陰さまで准看護士の資格までもう一歩のところまで来ました」

といつも喜んでいましたが、今回は最大のピンチです。

 

 現実の真実を正しく受け止める

 すべてはわが心の鏡です。人のせいではありません。出来ない理由をいっぱい探しても百ならべたところで何の進

歩もありません。一つでもいいからやれる方法を探すことが問題打開の糸口になります。

 ヒントは困った中にあるものです。

 「あなた一人が頑張ってもダメです。集団責任です。」といわれた中に答えがあります。裏を返せば「みんなのお陰

で今がある」ということです。

 社会は家庭の延長です。 あなたが外で頑張っていられるのは、家で寂しい中にも辛抱して待っている小学一年の

娘さん、孫を世話してくれるお母さん、黙ってあなた方母娘を引き受けてくれているお父さん、そして文句も言わず

に見守っている長男である弟、みんなの協力と応援のお陰であなたが外で頑張っていられるのです。そのお陰に

心から気付き感謝しなさいという仏さまからのお知らせです。

 

 悟れば一瞬に解決する

 「先生ありがとうございます。思い当たることがいっぱいあります。家のことや子供のことは親に頼りっぱなしで当

たり前になり、感謝が欠けていました。自分だけが頑張っているという錯覚がありました。今晩よく反省して心新た

にがんばります」と気持ちを切り替えられました。

 翌日の夜、彼女から電話が入りました。「昨晩、自分の至らなさを心から懺悔したら、今日看護士長さんから、『○

○さん昨日はごめんなさいね。よく調べたら、病院側の仕事の引継ぎが不十分で、あなたたちに業務の内容がよく

伝わっていなかったみたいなの。心配しないでね。これからも頑張ってね』と状況が180度変わってしまい、ウソみた

いで信じられませんてした」と喜びの声でした。

 そして、後日学校から、その病院での実習は優秀な成績で合格し、評判もよかったですと、お褒めの言葉まで頂い

たそうです。人生、悟れば一瞬のうちに解決するのです。

 

 

無神論が日本を滅ぼす!

 神は隠れ、仏は消えた・・・・

 いのちのルーツが見失われている日本の将来が危ない

 

 殺人列島日本

 毎日信じられないような殺人事件が雨後の竹の子にように日本中で沸き起こっている。一体どこのだれの事件

だったか分からなくなってしまうほどだ。今や殺人事件は、特殊な家庭な起こるのではなく、普通の家庭から起こ

っている異常事態なのです。

 ①北海道稚内では離婚した両親を恨み、十六歳の少年が同級生に三十万円で実母の殺人を依頼し、成功した

ら父親も殺すつもりでいたという恐るべき事件。

 ②奈良の家族三人放火殺人事件では、医者を目指す成績優秀、スポーツ万能の理想の優等生?が二階で寝

ている義母とその幼い弟妹を焼死させた。逃走中にサッカーワールドカップの試合見たさに他人の家に忍び込み

逮捕された。父は医者、中流以上の裕福な家であり、外見的には仲のよい評判の家族だった。

 ③昨年(平成十七年)六月、東京板橋で起こった会社社員寮管理人夫婦殺人事件では、高校一年の男子が父

を撲殺し、平素から死にたい疲れたといっていた母を哀れに思い、刺殺した後、部屋をガス爆発させ殺人を偽装

している。

 子が親を殺すということは、余程のことであろうが、いわゆる尊属殺人がいとも簡単に実行され、しかも多発して

いる。数え上げれば切がない。

 できちゃった結婚でももともと子供を育てる意志のない母親、家事手伝いがしてないので主婦として母として何も

できないヤンママ、まだ自分たちが遊びたくて子供が邪魔になってしまう大人になり切れてないカップル。

 山口県の高専女子学生殺人事件では、同級生の十九歳少年が全国指名手配されている。身近でかけがえのな

い友達や恋人も自分の思うようにならないと簡単に殺してしまう。

 どの事件も考え方が短絡的で結論が極端である。目的と結果だけで中味が抜けている。まさに現代社会の縮図

がある。犯行の残忍さの反対に幼稚で身勝手な行動がある。辛抱強さや困難に対しての粘りが失われているので

はないか?

 

 家庭崩壊が生み出す殺人連鎖

 戦後六十一年、奇跡の復興を果たし、世界有数の物の豊かさを誇る経済大国となり、一億総中流家庭になった日

本。ほとんどの若者が高校か、大学に進学する反面、働く気のないニートや正社員として働く場所がないフリーター

が急増している。そして、自殺と殺人・・・・一体何が狂っているのか?

 ズバリ、家庭崩壊が最大の原因です。どの事件も親が離婚、再婚をする中、子供の心が置き忘れられたり、親夫

婦の不仲の狭間で子供の純粋な心が踏みにじられているのです。親が人生のお手本となっていないのです。

 物の豊かさが幸せのバロメーターになり、共働きの親が増え、親と心の触れ合いが希薄になって、子供たちの心

は寂しくしまったのです。

 せめて子供が中学校を卒業するまで、母親が家を守り家族を温かく迎えてあげる家庭の姿を取り戻しましょう。

 

 神が隠れ、仏が消えてしまった日本

 日本の常識は世界の非常識といわれて久しいが、無宗教や無神論がさも強い人間であり、自立した一人前の人

間としてまかり通っているのは日本ぐらいです。外国に行ったら《あなたには信じる神も仏もないのですか》と軽蔑

され一人前の人間として信頼されません。

 昔から氏より育ちといいます。育った環境によって、何を信じ、どんな価値観を身につけたかがその人の人格や人

間性を決めるのです。

 戦後GHQ(アメリカ軍)が小国日本の強さの原因を調査し、次のような報告をした。「どの家にも立派なホームチャ

ペルがあり、毎朝整然とホームミサが営まれている。家長を中心に家族の長幼の序列がしっかりと保たれ、信頼と

尊敬の強い絆で結ばれている。この精神性と秩序が天皇を中心とした日本の国民性となって強靭な力となっている」

つまりどの家にも神棚や仏壇が祀られ、毎日、祝詞やお経が唱えられ家族がまとまっていたというのだ。この日本の

伝統と美徳が崩壊し、日本の精神の宝が失われてしまったのです。

 最近はマンションや建売住宅から仏壇や神棚が消えてしまった。何宗でも結構です。自分の信じられる宗教。正し

い信仰のご本尊(生命の根源)を祀り、毎日手を合わせる生活が何事にも心のぶれない強さと人のことを思いやる

優しさを育む家庭教育、心の教育になるのです。

 

 犯罪の抑止力は宗教の力

 ある著名な犯罪心理学者は「殺人の最大の抑止力になるのは宗教である」と名言している。罰を与える神仏では

なく、病める人も貧しき人も迷える人もすべての人を平等に救いの道に導き、神の子、仏の子として私を見捨てずに

見守ってくださる「神仏の愛と慈悲と信頼」が、自暴自棄に孤独感に打ちひしがれる少年の心を繋ぎ止め、家族との

心をつなぐ絆となるのです。「君は一人ではないし、君も愛されている」というメッセージが、犯罪という一線から本来

の人間に引き戻してくれるのです。

 仏=死んだご先祖さまと勘違いして仏壇を祀ることを嫌う人が多いのです。仏とはすべての生命を生かしている調

和と真理なのですから、たとえ直接家族に死人の出ていない家にも、祀るべき一家の心棒なのです。無神論を唱え、

無宗教が近代的であると錯覚している教育者やインテリ、政治家の責任は大である。直ちに改めなければ日本の

将来は危うい。

 

 

美しい国、日本を再生する

 教育は国づくりの最も大切な基本

  自然と歴史、伝統と文化を受け継ぐ家庭教育

 

 温故知新は正しい発展の基礎

 戦後生まれの安倍晋三首相による新しい政権がいよいよ動き出した。改革を前面に打ち出し、様々なサプライズ

を演出した小泉総理の後を受け、一体どんな舵取りをするのか、期待と不安が交差する。どうか国民と日本という

国に活力と喜びが湧き、行く先の見える政治をして頂きたいとエールを送りたい。

 新聞各紙は論功行賞内閣とか、老荘青の新旧バランス内閣などと批判しているが、何でもかんでも新しく、古い

ものはすべて時代遅れと考えて、改革改革と耳ざわりの良い言葉に振り回されてはいけない。陋習(ろうしゅう)や悪弊

は切り捨てるべきだが、古き良きものまでを切り捨ててきた戦後六十年の教育の歪みが、今日の日本の世相混乱を

招き、日本人の心が荒廃する一因となっている。

 その責任はマスコミの報道の仕方にも問題があります。どの局も多彩なコメンテイターを擁し、まず視聴率有きの

ような揚げ足取り、あら捜し的報道によって大衆の興味を引く手法を一考する必要がある。物事の批判や悪い面だ

けではなく、もっといい面を国民に伝えるバランスの取れた報道が大切である。厭なことばかり聞かされればだんだ

ん心もおかしくなる。良い事やうれしい話をたくさん聞けば心も明るく穏やかになり、自分も良い事をしよう頑張ろうと

いう勇気も湧いてくる。

子育ても、教育も、政治も企業経済も同じである。欠点ばかりを指摘したり、愚痴ばかりこぼしていてはやる気も起き

ず成績も上がらない。

 昔から大阪商人は毎日の挨拶代わりに「儲かりまっか」「ぼちぼちでんなぁ」京都人は「へぇ、おおきに」が習慣であ

る。これが大切なのです。人生は口癖のようになっていくのです。「儲からん、儲からん」「相手が悪い。世間が悪い」

と暗く悲観的な言葉をみんなが発しているから、本当によくならないのです。

 

 美しい国日本の国づくりは如何に?

 安倍内閣は「美しい国創り内閣」と位置付け、「今日より明日が豊かになる社会」「公立高校をしっかり再生」「アジ

ア外交の重視」とめざす方向を示した。

 美しい国とは「美しい自然や日本の文化や歴史、伝統を大切にする国」「自立した、凛とした国を目指す」そのため

にも教育改革が最重要政策課題と明言し、歳出削減に向けても、先ず自らの給与を三十%カットすることを宣言した。

早速マスコミは、給与カット以外具体性がないと報道している。三十%カットは大変な負担であると思う。

 そして大方針、進むべき道を示してもらえたのだから、具体的にどうしたに美しい日本になるのかは、「よし、みん

なで考えよう!」という姿勢が良くしていくのです。一人ひとりが、各家庭や各会社が、各コミュニティーが自分たちも

考えようとする姿勢が大切ではないでしょうか?

 会社でも組織でも文句を言ったり批判をするのは簡単です。計画し、提案することは、大きなエネルギーが要るので

す。自分たちも考え提案し、身近なことから実践していくことが、自立した凛とした国づくりの第一歩です。

 

 国が滅びる原因

 イギリスの著名な歴史学者トインビーは「歴史の研究」という著書の中で「一つの国が滅びるのは戦争によってでは

ない。天変地異でもなければ、経済破綻によってでもない。国民の道徳心が失われた時、その国は滅びる」と指摘し

ている。

 今まさに日本は一般国民はじめ、官庁職員、教員、警察官という公職の人までも道徳心、モラルが失われ、自分さ

え良ければ人はどうでもいい、自分の思うままにしたい、自分さえ楽しければよいという孤人主義の社会になりつつ

ある。そして最も危険で憂うべきことは、目の前の金、物、地位、学歴といった物質的なものだけを信じ、神仏やご先

祖様という無形の力やお蔭に感謝し敬うという信仰心、宗教心がどんどん失われており、根無し草のような国になり

つつあるということです。

 かつて作家の三島由紀夫は「いつの日か、日本という国はなくなって、その代わりに無機質な、空っぽな、ニュート

ラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、ある経済大国が極東の一角に残るであろう」と日本の将来を憂いた。

現実そうなりつつある。

 

 本当の教育改革とは?

 家庭教育が人生の基本。しかし、その家庭教育が、塾へ行ったり、幼児に英語を習わしたり、様々な習い事をさせ

て、スキルを身につけさせることと勘違いしている親が多い。技術は後でいい。技術を正しく使いこなせる心と精神

を育てることが忘れられている。学校教育の家庭版をやっても意味がない。どんなことでも基本ができていなければ、

その先の発展と幸せは砂上の楼閣となってしまう。ましてや、先日東京地裁が国旗に対する起立、国家の斉唱を強

要することは違憲であるとした。世も末である。どこの国に国旗や国家に敬意を表しない国民がいるでしょうか?

国民としての基本中の基本です。あの判決は前半では違憲といい、後半では公務員の義務であると正反対の支離

滅裂なことを言っている。それをマスコミも大衆の興味を引くように違憲の部分だけを大きく報道している。子供や若

者たちは国旗や国家を尊ぶことは法律に違反する悪いことなんだと誤解してしまう。

 公の責任ばかりを言っていても国は良くならない。民間から、わが家庭から始めなくてならない時が来たのです。

 学校がダメなら、各家庭から祝日や祭日には「日の丸」を揚げましょう。そういう生活を幼い時から見て育てば、自

然に国の大切さや日本国民である有難さと誇りが身につき、すばらしい日本の国になると思います。身近な所から

実践しましょう。

 

 

日本再生、教育大転換

 学力向上より、人間力向上の教育を

 

 高校の教育現場に激震

 学力向上主義、受験対策教育の歪が、全国各地で露呈している。教育基本法改正が本格化している今この時期、

まさに神仏仏様からのタイムリーなメッセージであり神示であります。

 現実をしっかり受け止め、勇気ある決断と教育大転換をするチャンスがやってきたのです。

 学歴主義から実力主義の時代になったといわれていますが、教育現場は受験教育、点数主義、進学名門校の誉

れという呪縛から開放されていなかった。

 国の学習指導要領が無視され、受験に必要な科目のみを選び、人間的情操や情緒を育てる音楽や芸術、人間的

厚みを身につける歴史や倫理、郷土や日本の国、世界に対する認識を育てる地理など、人としての幅や教養を広

げるための科目が切り捨てられていた。特に公立高校に多かったことが驚きであり、重大な問題です。

 教育の目的は一流大学に入れる頭のいい人間を育てるのではなく、社会人になった時、世の中の役に立つ立派

な人間を育てるための基礎作りが本来の目的です。

 しかし、教育現場では受験に必要な知識だけを詰め込み、社会人としてバランスの取れた豊かな教養を身に付け

る人間的教育が失われていたのです。これでは世界に通用する魅力ある若者は育ちません。

 このアンバランスな教育の現状や教育者の姿勢が、子供たちのストレスや不安を作り出し、悲惨で残酷ないじめ

や不登校の温床になっているのではないでしょか?

 

 知識の教育から知恵の教育へ

 今こそ、知識の教育から知恵の教育への大転換が必要です。いじめ、不登校、ニート、フリーター、まさに日本の

若者は人間力が低下しています。必要以上に豊かになりすぎて障害に対する対処能力が落ちてしまったのです。

 人間だけではありません。犬や猫などの動物も同じです。最近良く交通事故で車に轢かれた無残な姿が目に付き

ます。動物もペット化され、必要以上に大切にされすぎて(たぶん飼い主の自己満足)本来備わっているはずの野生

の本能や俊敏性が失われた結果であると思います。車が来ても立ち止まり、足がすくんで固まってしまって逃げる

こともできず、自分を守ることができないのです。

 今の日本人、若者に限らず低迷している企業や組織のトップ、悩める子供を持つ親の姿も同じではないでしょうか

 苦しい現状に困った困ったと頭を抱えるだけで、目の前の難問題を何とか切り抜けよう、打破しようという努力や行

動をせず、その場に立ち止まりうずくまり、時さえ経てば救いの神が現れると他力本願?を決め込み、呆然と現実

に流されている人が多いのではないでしょうか!

 「果報は寝て待て」ではなく「果報は練って待て」なのです。精一杯の努力をして、後の答えは神様仏様にお任せす

るのです。

 人生の通過点である高校や大学が最終目的のようになり、点数点数、受験受験と追い立てられ、人間力が去勢

されてしまったのが現状です。

身に降りかかる目の前の危険や障害を乗り越えたり、回避することができなくて、立ちすくみ固まってしまい、一歩足

が出ないのがニートや引きこもりなのです。

 

 人間力教育とは?

 ①やさしさの教育

  ・生命の尊さ(先祖を尊び神仏を敬う信仰心、死を大前提とした人の命の大切さ)

  ・お蔭さまの人生(世の中は共存共生、自分ひとりの力で生きているのではない)

 ②包容力の教育

  ・みんな違って、みんないい

  ・個性の違いを認め受け入れる心、弱い者をいたわる心の器を作る

 ③決断力の教育

  ・正しい価値観の教育(歴史や古典に習う)

  ・損得ではなく善悪の価値基準を教える

 ④忍耐力の教育

  ・目の前の障害からすぐに逃げない

  ・石の上にも三年の辛抱強さを養う

 ⑤再生力の教育

  ・やり直しのきく人間作り

  ・失敗はあきらめた時に決定する(一度や二度の失敗で人生は決まらない)

 宇宙は誕生してから百五十億年、今も広がり続け発展と前進の方向に向いています。この大自然の大きな流れ

に逆らって生きることはできません。後退のベクトルはないのです。どんな難問題にぶつかっても「きっと良くなる」

これも自分を成長させてくれる宇宙(神仏)のお慈悲なのだと受け止めましょう。

 

 人生はロマンがいっぱい

 人間は

 いつでも、どこでも

 大自然からすくわれっぱなしである

 

 今日生かされていることが奇跡ま連続

 すべての出会いが奇跡の連続

 家族も奇跡

 友人も同僚も

 みんな奇跡の連鎖

 

 人間ってすばらしい

 人生ってありがたい

 そう思って生きる人が幸せに包まれる

 

 今日もいのちを ありがとう

 すべての出会いが ありがたい

 人生って すばらしい

 

 

日本再生、宗教こそ国を救う最後の砦

 宗教心が家庭と学校、社会を再生する

 

 いじめによる自殺の連鎖が止まらない。将来ある若者達が誰にも相談できず、一人寂しく掛け替えのない人生に

終止符を打つ痛ましい事件と報道に胸が痛みます。

 《教育再生-いじめ緊急報告》が通達された。

 「穀然とした対応」「個別指導」「社会奉仕」「見て見ぬふりをした者も加害者」「正しい」対応をしなかった教師の処

分」など様々な提言がなされましたが、根本解決ではなく泥縄式の、頭上のハエを追っているような、モグラ叩きの

ような、枝葉末節の対処法ではないでしょうか?

 

 個人主義教育の行き詰まり

 戦後の自由主義、個人主義の行き過ぎは今や個人主義になってしましました。

 「見て見ぬふり」などは、自分さえ良ければいい、自分の身にふりかからねばいいという、利己主義の典型です。

日本は恥の文化を持った国であり、゛弱いものを大勢でいじめる」など卑怯者のすることだと戒めてきました。

 人としての道徳心、人情が失われつつあることは、少子化以上に亡国の危機と言わざるを得ません。物質主義,

勝ち組負け組みの金儲け主義に対する大宇宙(仏様)の戒めでは無いでしょうか?

 犠牲者や加害者だけの問題ではなく、日本人すべての責任です。

 

 根本の責任は親と家庭にある

 いじめる子もいじめられる子も、根本原因は妊娠中の「胎内教育」と三つ子の魂百までの「幼児教育の子育て環

境]にあるのです。

 子供は親の後姿を見て育ちます。

 嫁VS姑、 嫁VS小姑のバトルを母親のお腹の中でしっかり感じ、母親の感じたまますべてが゛潜在意識に刻み込

まれて生まれてきます。

 また、弱い立場の嫁をいびる姑、小姑、何も言えずじっと耐えている嫁、反対に年老いた親を無視し、二世帯とは

名ばかりの家庭内別居、お互いに見て見ぬふりの陰湿な生活の中で幼児の心は大きく傷ついているのです。

挙句の果てはお互いに気を使わない方が楽だからと最初から別居し、縦の糸が切れてしまった核家族が当たり前

になり、同居など化石的存在か天然記念物になりつつあります。

 果ては親夫婦も離婚し親の横糸も切れ、シングル・マザー、シングル・ファーザーで寂しく育つ子供も急増していま

す。少子化で兄弟の横糸も弱弱しい。

 まさに子供達は荒んだ家庭環境の犠牲者なのです。いじめっ子もいじめられっ子も自分が見聞きしてきたとおりに

やっているだけのことなのです。潜在意識に潜むトラウマの浄化しかない。子供だけはなく、親自身の歪んだ心のト

ラウマを浄化し、救済しなければ子供は良くなりません。当に宗教の懺悔(さんげ)と罪障消滅しかありません。

 

 日本の良き伝統と宗教性を取り戻そう

 三世帯家族の復活。子供、両親、祖父母、そしてご先祖様や神仏と言う縦糸横糸が、機織りのようにしっかりと織

り込まれてこそ立派な家族が出来上がるのです。横糸だけでも縦糸だけでもバラバラになって布地は織れないので

す。

 伝教大師は「一目の羅、鳥を得ることあたわず」鳥を取る網も一つの網目だけでは役に立ちません。たくさんの網

の目がつながり合って初めて用が成すように、今日の幸せも大勢の人の協力と支えがあってこそ成り立っているの

だと教えられています。

根本仏教では、三法印と言って、諸行無常(すべてのものは移り変わる)、諸法無我(すべては関係性の中に生かさ

れている)、涅槃寂静(煩悩欲を離れれば心安らかになる)を説いています。世の中はすべてが繋がっており、大調和

の中で保たれていることを教えています。

 憲法では信教の自由が保障されていますが、信じる自由と共に信じない自由が認められているのです。これが曲

者(くせもの)です。食べず嫌いの人が多いのです。

 だから宗教音痴の若者が増え、オウムのようなカルト宗教にのめり込んでしまうのです。何宗でも結構です。正しい

宗教をちゃんと持ち、家族が日常生活に密着した信仰をすることによって人格が磨かれ、勤勉、感謝、思いやりのバ

ランスの取れた社会人になれるのです。

 但し、正月の初詣やお盆のお墓参りは本当の信仰ではありません。ほとんどの人は、単なる習俗、風習にになって

しまっています。

 教えを学び、お経や祝詞で祈りを捧げ、徳を積み、生活即信仰になってこそ宗教の教えが生きてくるのです。

 

 

企業と家庭の社会的責任

 謙虚、正直、善意、社会貢献(奉仕)

 

 大企業の信頼が揺らぎ始めた

 不ニ家の目を被い、耳を疑いたくなるような不祥事の数々、日興コーディアルグループの利益水増し事件、テレビ

番組「あるある大事典」のデータ捏造事件、また発覚したアパホテルグループにまつわる耐震偽装事件。

 いったい、この国の正義と秩序、至誠と良識はどうなってしまったのだろう。各業界の老舗やトップ企業、マスコミ

に至るまで、金儲けのためには手段を選ばずの無法地帯になってしまった。

「社会は家庭の延長」といいますが、まさに家庭教育の根底から立て直す時です。

 

 本当の立派な人間とは?

 いつの時代も、親の願いは、『立派な子になってほしい』と我が子を育ててきたはずですが、いつの頃からか『立派

な人』の意味が大きく変わってしまったのではないでしょうか?

  昔は、『世のため人のために役立つ人が立派な人』であったが、現代は『金儲けがうまくて、出生する人か立派』

と勘違いしている。家庭教育も、学校教育も根本から考え直さなければならないところにきているのです。

 歴史上の偉人、成功者の生きざまと精神を学ばせ、「本当の立派」という価値観を心に刻むことが大切である。

 

 お陰さまの心を取り戻そう

 いま日本人に一番欠けているものは『お陰さまの心』です。直接目に見えない『陰の存在』に対する感謝や畏敬の

念が薄くなり、お金や物、学歴や地位などの物質的価値観が最優先する世の中になってしまったのです。それが企

業をはじめ、家庭や学校の乱れ、社会的モラルの低下を招いているのです。

 勤勉努力の日本人は、戦後の物不足の貧困から立ち上がって奇跡の復活を成し遂げて来たが、その弊害として

物があることが幸福のバロメーターとなり、本当に生活に困ってではなく、よりリッチな生活をするために、3才にも満

たない乳幼児を保育園や幼稚園に預け、パートに行く母親が急増しています。愛情と物の価値観が逆転してしまい、

物は豊富に与えられるが愛情と真心の手間隙が欠けた寂しい子供が増えています。

 

 企業と家庭の役割

 企業も家庭もその根本は、人間作りです。

 それには①謙虚 ②正直 ③善意 ④社会貢献(奉仕)の精神が不可欠です。

 ①謙虚  お客様のお陰で仕事がさせて頂ける。

  子供の大切な命を預かり、育てさせて頂くという、謙虚で低い姿勢。

 ②正直  「悪銭身につかず」ウソやごまかしで儲けたお金や財は、最後は自分をだめにしていく。

 ③善意  何事も善意に受け止め、前向き努力していく。自分に都合よく解釈することとは違う。

 ④社会貢献(奉仕)  家庭や会社が食うため、儲けるためだけに働くなら、虫けらや動物と変わらない。人間の人

  間たる所間は、人様や世の中のために貢献し奉仕するところに価値があるのです。

 

 

家庭円満の秘訣

 寝食は心をつなぐ愛の架け橋

 

 寝食を共にする

 同じ部屋で枕を並べて寝ることやいっしょに食事をすることは、家族や夫婦の絆を強くする最も基本であり、最も大

切なことなのです。

 しかし最近は、同じ屋根の下に住みながらも、夫婦が別々の部屋で寝ていたり、家族がバラバラの時間に食事を

したり、子供や夫が一人ぽつんと食事をしていることが多くなっています。

 この現状が意志の疎通を欠き、心の通じ合わない家庭崩壊の隠れた温床となっているのです。

 母親は家族をつなぐパイプ役であり、家族の心の漏れを防ぐパッキングです。働いているお母さんは、時間的にも

肉体的にも大変でしょうが、「人はパンのみに生きるにあらず」子供や夫とのコミュニケーションや愛情が、お金や物

の犠牲になってしまっては本末転倒です。子供や夫といっしょに食事をしましょう!  夫が仕事で遅くなる時は、子供

や他の家族と先に食事は済ませばいいのですが、せめて側に座ってお給仕をしてあげ、いろいろと話をするだけで

よいのです。

 中高年男性を中心に年間三万人を超える自殺者、いじめによる子供の自殺連鎖。家族の微妙な変化に気付かな

ければいけません。

特に食事の時は会話と情報交換のチャンスです。誰か一人だけがしゃべるのではなく、それぞれが話題を提供しあ

うことが大切です。家族がお互いに自分から話をする努力をしなければ、楽しい食卓にはなりません。共に寝、共に

食べることで自然と心が通じ合い、職場や学校で疲れた心身が癒されるのです。

 人間には気というものがあります。今風に言えばオーラです。法華経の経典にも「身放無数光」といって全身から

光が放たれていると書いてあります。

 親子とともに忙しい現代人、たとえ食事をいっしょにする時間が少なくても、枕を並べて寝ている間に気と気が触

れ合い、オーラが混ざり合って言葉以外のところでお互いの気持ちが通じ合っていくのです。小さな子供を間に挟

んで「川」の字になって寝ると言う昔ながらの光景はとっても大切なことです。事情は色々あるでしょうが、早速実践

してみましょう!

 

 同じ釜の飯

 甲子園で活躍する高校野球のチームやその他多くのスポーツは全寮制であったり、大会前に強化合宿を行ない

ます。苦労を共にし、寝起きを共にし、同じものを食べることによって団結力や心の絆が強まり、ここ一番の勝負や

危機一髪の苦しい場面で思わぬ力が発揮され、拍手喝さいのファインプレーが飛び出すのです。

 家族も同様で一人ひとりの力は小さくても、心の通じ合った力の結集が成功や幸福といったうれしい結果の原動

力になるのです。

 何十年と異国の地で生活してこられた中国残留孤児の方や北朝鮮から帰国された拉致被害者の皆さんも最初

はどことはなく、中国人や朝鮮人の顔つきですが、帰国されて一、二年たつとすっかり日本人の顔になられます。

気候風土や言葉や風習の違いもありますが、やはり食べ物の影響は大きいと思います。

 若者の姿は顕著でないでしょうか? 韓国ソウルの女性も、東京新宿の女性も、名古屋も大阪もすらっと背が高く、

手足が長く、顔が小さく、目鼻立ちがはっきりし、みんな同じような風貌で見分けが付きにくくなりました。いわゆる先

進国社会は皆同じ顔つきになっています。マクドナルドをはじめ、西洋化、欧米化された肉や乳製品を中心とした食

生活が共通している特徴ではないでしょうか?

 

 「こ」食の危険性

 ①個食・・・・一人ひとりの食べるものがバラバラでファミリーレストラン状態の食卓。家族が共通のものを食べるこ

とが共通の意識につながります。レトルト食品や出来合いのお惣菜だけでは愛情は伝わりません。食事を食べると

いうことは、お母さんの愛情を食べることなのです。せめて一日一品お母さんの手料理を食べさせてあげましょう。

 ②孤食・・・・一人でする食事ほど味気ないものはありません。子供だけ、夫だけ、一人ぽつんと食事をする家庭が

増えています。パートで母親不在の子供たちが、コンビニ弁当を買って店先の地べたに座って食べているジベタリ

アンの中高生を見かけます。まさに心はストリート・チルドレンです。

 ③粉食・・・・パン、パスタ、スナック菓子など粉製品が主食の食生活。咀嚼力が落ち、脳の発達が遅れます。イカ

やタコ、ちょとした硬いものが噛み切れない子供が多くなっています。ご飯をしっかり噛んでしっかりこなす。粘り強く

芯の丈夫な子供に育つ基本です。

 ④小食・・・・朝ごはんを食べない子供は、エネルギー不足で落ち着きが無く、昼まで授業に集中できません。好き

なものはたくさん食べるが、嫌いなものは一切食べない子供。食べ物の好き嫌いは、人間の好き嫌い、仕事の好き

嫌い、勉強の好き嫌いにつながり、勉強が解らなくなり、落ちこぼれていく原因となり、いじめ、自殺へと進んで自分

の人生を狭いものにしてしまいます。

 通知表で1とか2しか取れない子供は、授業中は地獄です。すべて英語で授業を受けているのと同じです。まった

く解らないのです。チンプンカンプンなのです。基礎が解っていないのです。小学生の1や2は先生だけではなく親

の責任です。

 塾任せ、学校任せの自動販売機的子育てでは、本当のいい子は育ちません。

 勉強部屋でなくてもいいのい゛す。食事の後、食卓をきれいに片付けて、お母さんが洗い物をしている傍ら、少しづ

つ見てあげるのです。漢字の書き順が違うまま何十字練習しても、やり方がわからないまま計算ドリルをどれだけ

やっても身にはつきません。

 寝食を通じ家族の絆を強め、心の変化に気付き、苦しいこと悲しいことを共有できる笑顔の溢れる家庭を創りまし

ょう。

 

 

親子の絆を強める子育て

 「おんぶ」は子育ての宝

 

 赤ちゃんポストは是か非か?

 赤ちゃんポスト設置の報道に賛否両論、その是非が問われています。

 江戸時代の俳優柳多留の中に、赤ちゃんを捨てざるを得ない母親の悲しい心情を詠った川柳があります。

 「今捨てる子にありたけの乳を呑ませ」

 有効な避妊の方法もなく、貧乏な生活の中に授かってしまった赤ん坊、育てたくても育てることのできない極貧の

生活。そんな已むに已まれぬ現実のなかに、せめて最後にお腹いっぱいお乳を飲ませる母親の切ない情景が目

に浮かびます。

 「泣くよりもあわれ捨て子のわらひ顔」

 後ろ髪を引かれる思いで何の罪も無い赤ちゃんを置き去りにする負い目がうかがわれます。

 いつの時代も捨て子はありました。しかし、昔は子を捨てるにも暗黙のルールと親としての思いやりがあったので

す。産着にくるんでミカンのかごに入れ、名前を書いたお守り札を添えて・・・・、お金持ちの家など育ててもらえそう

な家の軒先にそっと置いたのだという。

 一人の人格として赤ちゃんの命を緊急避難的に救うための赤ちゃんポストは一概に否定できない。しかし、現代

と昔では子を捨てる家庭事情と親の心情に大きな違いがあるのではなかろうか?

 現在の日本で子供を捨てなくてはならないほどの極貧の家庭があるだろうか? 経済が貧しいのではなく、心が

貧しくなってきているのです。

 出来ちゃった結婚で親になる自覚もなく、自分たちがまだまだ遊びたいので子供が邪魔になったり、子供のための

再婚ではなく、自分のための再婚をし、新しい連れ添いとの間で子供がお荷物となり・・・・、無造作にコインロッカー

に捨てたり、育児放棄したりして死に至らしめる若いカップル。

 子は天からの授かりものではなく、自分たちの所有物のような錯覚がある。最近の子供の命名を見ても、まるでぺ

ット感覚での名づけが多い。

 

 親子の絆はおんぶから始まる

 最近、赤ちゃんをおんぶしているお母さんの姿がすっかり見られなくなった。家では抱っこか、ベットでひとり遊び。

外出の時はバスケット、車の中はチャイルドシート、スーパでの買い物中はほとんどカートの座席に座らせている。

 おんぶされた赤ちゃんは全身でお母さんの背中のぬくもりを感じ、安心して身を任せる最高のスキンシップです。

 昔から「子供は親の背中(後姿)を見て育つ」と言います。それは大きくなってから親の生活姿勢や働く姿を見て、

良いことも悪いことも親と同じように行動するようになると言う意味だけではなく、実は赤ちゃんの時からお母さん

の背中におんぶされ、まさに母親の背中を見て育つのです。

 抱っこでもスキンシップは出来ますが、抱っこしていては仕事は出来ません。小さな時から母親の背中におばれ、

お母さんが洗濯したり、お掃除したり、台所仕事をする姿を見て、親の苦労と働く身をもって感じ、幼心に勤労と感

謝の念が刻まれるのです。

 そして、何よりも長い時間お母さんとのスキンシップを持つことが出来、まさに一石二鳥の子育てです。

 ところが、最近のお母さんは、おんぶ紐は胸の形がわかってしまうとか、格好が悪いとかの理由で使わなくなり、

昔ながらのおんぶ紐じたいが売っていないそうです。あるのはリュックサック方式のものだそうですが、便利そうで

実はおんぶ紐よりも肩がこるのだそうです。

 

 おんぶは子育ての宝

 外出の時は仕方がないとしても、せめて家の中では出来るだけおんぶして、親子のスキンシップを深め、親の働

く姿、ご苦労を背中で感じながら育ててあげましょう。

 「三つ子の魂百まで」母親と子の心をつなぐ子供の掛け替えの無い宝となるのです。

 そして、苦労をして背中全体で子供の命を受け止めて育てるからこそ、母親の子供に対する母性愛も強まるので

す。

 「おんぶは子育ての宝」です。

 そんな親子の絆があれば、安易に子供を捨てたり、無慈悲な育児放棄などはしなくなるのです。

 我が娘に、我が家の嫁に勇気を持って<おんぶ子育て>を勧めて下さい。きっと感情豊かで思いやりのある子供

が育ち、親の心の汲める優しい子供となるのです。

 

 

正しい離婚の仕方? 

 親の都合だけで離婚はするな!

 

 離婚急増の原因

 平成十六年一年間の統計上、婚姻数が約72万件、離婚数が約27万件に及びます。離婚率33%、なんと三組

に 一組が離婚している計算になります。毎日、日本のどこかで1分30秒に一組が結婚し、2分に一組が離婚して

いるの です。異常な状況です。もちろんここ数年は熟年離婚も急増しており、若いカップルだけでの問題ではあり

ません。

 離婚理由の第一位は、男女とも共通して「性格の不一致」です。恋愛結婚がほとんどとなった現代。好き同士で結

婚したのだから、性格の不一致とはおかしな現象です。以下、男性側の理由は、妻の異性関係、浪費と 続く。

女性側の理由は、夫の暴力、異性関係となっています。 

 お互いに魅力がなくなり、隣の芝生はきれいに見える?という錯覚です。夫への魅力が無くなった妻は夫を無

視し、グルメ、ブランド商品、旅行などに走り、率直さ、可愛げの無くなった妻に夫は暴力で鬱憤(うっぷん)を晴らす・・・

悪循環の結果、泥仕合のバトルとなり、離婚へと執着するのです。

 お互いの不満と不満のぶつかり合いとなってしまい、幼い子供や多感な思春期の子供たちの気持ちが置き去りに

され、子供たちが犠牲になり心が傷ついているのです。

 お互い我慢(自分が正しいという慢心)しているだけで、正しい辛抱(自分の至らなさを反省し、辛さに耐える)が足

りないのです。「わがままになり、自分の都合が優先し、信頼関係が崩れている」要は辛抱が足りないのです。

そして、 面白いことに失業率と離婚率は連動しており、「愛情より、お金」「貧すれば鈍する」「金の切れ目 が縁の切

れ目」になっているのが現実です。

 美しい国日本は、どこへ行ってしまったのでしょうか?

 

 追い出され女房と飛び出し女房

 離婚には二つの型があります。

①は、追い出され女房です。辛抱し、反省し、精一杯努力したが、認めてもらえず、追い出されるように離婚された妻。

②は、飛び出し女房です。こんな生活は我慢できない。こんな夫にはついていけないと、自分から飛び出し離婚を迫

る妻。

①は、やり直して幸せになる可能性は大きいが、②は、余程自分を反省し、自分自身が変わらなければ次の幸せは

難しい。

 最近は逃げ出し旦那も増えている。自分だけが楽になりたいと、自分から家を逃げ出し、妻も子供も捨てて、家庭

のしがらみから逃避して楽な道を選ぶ夫! 戦争で言うなら敵前逃亡で重罪です。挙句の果ては、養育費も払わな

い親の風土にも置けない父親失格、人間失格の情け無い父親も増えているようです。

 喧嘩両成敗、夫婦は同点であり、反面教師であり、自分の心の鏡と知るべきです。

 相手の出来が自分の実力であり、自分の人間としての成績なのです。それを悟らずして、離婚してやり直そうとし

ても駄目です。

 A小学校で落第生は、B小学校へ変わっても落第生です。学校を変わっても、自分という中味が変わらなければ何

も変わりません。

自らがしっかり反省し、生まれ変わってこそ、離婚と言う大きな代償を払った価値があるのです。

 

 離婚は終わりではない、始まりである

 離婚は終わりではありません。本当に親としての責任を果たす重要な人生の始まりです。

 「あぁ!やれやれ、これで楽になった。清清した」などと、無責任なことをいっている場合ではありません。

 母親が子供を引き取り、シングルマザーとして子育てをし、父親が養育費を送るパターンが多いようです。

小、中学生のクラスの三分の一が母子家庭だとも言われています。

 離婚後の親の姿こそが、子供の将来と人生観を変えてしまうのです。子供が一番の犠牲者です。子供が一番 寂

し い思いをしているのです。そして、父と母のどちらを選ぶことも出来ず、一番苦しい思いをしているのです。

 子供が大きくなった時、離婚はしてしまったが一生懸命働く姿に「お父さんのようになりたい」、苦労をして自分たちを育てて くれ

後姿を見て「お母さんのように生きたい」という姿を見せるのが、離婚をした親の大切な使命ではないで しょうか?

 夫婦としては失敗だったかもしれないが、一人の男性として、一人の女性として子供から尊敬できる生き方を見せ

てあげることがせめてもの親の責任です。

 

 切り口はスッパリきれいに

 離婚は人生の大きな傷です。お互いの非を責め、恨み、罵り合い、挙句の果ては調停や裁判と言うお恥ずかしい

方法で別れていては、その切り口はノコギリで切ったようにゴデゴテで切り口は治りにくく、いつまでも疼(うず)き、そ

こから腐っていくのです。

 仮にも、六千万人の男と六千万人の女の中からご縁を頂き、同じ屋根のの下に住み、同じ釜の飯を食べ、子供ま で

授かった深く尊い縁で結ばれた夫婦なんです。理由はともあれ、せめて別れる時は、刃物で切ったように スッパリ

きれいにしなければなりません。傷口がきれいなら、次の幸せがきれいにくっつきますし、いつまでも傷 口が傷むこと

もありません。

 「たまには子供に会いたい!」と養育費を十分に払わずに、自分の寂しさから子供に会わせることを条件にする父親。

 「子供に会わせない!」とどこまでも意地を張る母親。ここにも子供の心は無視されています。親のエゴや自 満足、 意

地の張り合いで子供の夢を潰しては居ませんか?

 子供が会いたいと言っても「まだこんな状態では、子供にあわせる顔が無い。もっと立派になってから、尊敬で きる

父になってから会いたい。それまで辛抱してくれ」と言えるぐらいの父親になってこそ、本当の愛情ではないでしょう か。

 父親の悪口を言い、意地でも会わせないようにしても、母親の生活姿勢が尊敬できなかったら、子供の心は離れ て

いきます。

 相手ではないのです。親として、自分自身はどうなのか。子供から認められ、尊敬されてこそ離婚後の親の責 任が

果たせるのでは無いでしょうか。

 離婚は決して良い事ではありません。しかし、離婚にもルールがあるのです。

 決して夫婦だけの問題ではありません。子供や親、兄弟、親戚など、あらゆる人に影響し、ご迷惑と心配をお 掛け

するのです。法律のルールではなく、人としてわたるべきべきルールがあるのです。

 正しい離婚の方法をとれば、次の幸せをつかむことができるのです。

 

 

すべてに原因がある

 なぜ大学生に「はしか」が大流行するのか?

 

 すべての現象は因縁果報

 今、東京、埼玉、千葉などの首都圏や大阪、名古屋など都市部の大学生を中心に「麻疹(はしか)」が大流行し、休

校する大学が急増している。

  「抗体検査薬の不足」「予防接種のワクチンの不足」など大混乱の様子が毎日マスコミを通じて報道されている。

 一体なぜ急に首都圏、都市部の大学生を中心に「はしか」が大流行するのか、教えの真理から考えてみましょう。

すべての出来事、現象には必ず原因があります。単なる偶然は無いのです。

 「蒔かぬ種は生えない」と言うのが永遠の真理です。すなわち今日の結果という実りには、すべて本になる種まき

があるのです。

 すべて必然であり、大宇宙の真理(仏さまのお心)からのお知らせであり、お諭(さと)しなのです。

 免疫力の低下であるとか、三種混合などの予防接種をしていない年代であるとか、医学的、科学的にはいろいろ

原因があるでしょう。

 しかし、それは真実の表面的理由であり、真の原因でありません。

 すべては、一人ひとりの心と行動が原因となり、様々な縁に触れて結果が出ているのです。

 仏教では、是を因果果報と言います。

 

 果実を見れば、種がわかる

 真理は明確であり、簡単です。実りと言う果実を見れば本の種は一目瞭然に解ります。 

「茄子の畑に瓜ならず、因縁因果見定めよ」 法華経では「本と末とは等しい」と教えています。ナスの種からは、ナ

スしか実らない。ウリの実はならないのが当然の理です。小学生でもわかります。

 では、今なぜ大学生に「はしか」が大流行するのでしょうか? 大きく理由は二つあります。

 一つは、何か!

 「はしか」は本来、乳幼児のかかる病気です。それが二十才前後のもう半分大人、社会人寸前の大学生に流行し

ているのは、彼らが年齢的、身体的には大人になっているが、中味の精神、心、生活状況が「子供のまま、 幼稚」な

のです。

 中味の種、本の種が幼稚だから、結果の実りとして乳幼児の病気が大流行しているのです。

 

 宗教心、道徳心の欠如は亡国のシナリオ

 もう一つは、日本全体に関わる根本的問題です。

 仏教の教えの中に「国に正しい教えが行なわれなくなると疫病が大流行する」と予言されています。

 いま日本の現状をみると、家庭や学校においては親殺し、子殺し、いじめ、行き過ぎた核家族化、極端な個人主義

や自分勝手な自由主義による家庭と学校の崩壊。

 企業社会を見れば、民間企業の談合はもとより、金と権力にまみれた官製談合などルールなき戦い、商道の仁義

なき戦い、儲けた者勝ちの勝ち組負け組社会になっている。

 国会では責任のなすり合い、足の引っ張り合い、自分の党の主張だけを声高に叫び、他党の意見などハナから聞

こうとしていない。まさに国会議員は声が大きくて耳が遠い人が有利にしか見えない。情けないことである。

 霞ヶ関で行政を司り、教育基本法や宗教法人法、憲法改正など国の将来を左右する法律の青写真を作る各省庁

の二十代、三十代、四十代のエリート官僚、キャリヤの大半は、道徳心や宗教心などは無用の長物であり、 不必要

と思っているのが実態です。食事の時に「いただきます。ごちそうさま」など何のためにやるのか必要ない。

先祖供養や墓参りをして何になるのか、意味が無いと堂々と言ってはばからない。このままでは、まさに国 家存亡の

危機である。

 これは、戦後六十年の家庭教育の責任であり、葬式や年忌法事、伝統儀式の継承のみにあぐらをかいて、 布教教

化を怠ってきた宗教者の大きな責任です。

 このままでは、とても国を愛し、心豊かな美しい国を作ろうとする若者が育たない。まさに末法万年、闘争堅固の時

代となり、正しい教えが失われつつあります。

 

 本の種は何なのか

 では何が子供のままで幼稚なのでしょうか?

 子供や乳幼児は自分のことしか考えていません。親の都合や相手のことよりも、お菓子やおもちゃが「欲しいとい

っ たら、どこまでも欲しいのです」思うようになるまで泣いたり、ヤンチャを言うのが子供です。何かしてもらえるのが

当 たり前なのです。何かしてもらえるのが当たり前なのです。感謝やご恩返しなど考えていません。要は自分中心

なのです。

 大学生を抱えた親、特に首都圏や都市部に下宿させている親は、経済的に大変です。父親は小遣いを節約し、

母親はパートに行き一生懸命働いて仕送りをしているのです。

 中には真面目な大学生もたくさんいるでしょうが、大半は親の苦労など当たり前で、大学の極楽生活を謳歌して

いるのではないでしょうか?

 親の仕送りで生活し、アルバイトで稼いだお金は自分の贅沢や遊興費に使い、寝たい時に寝て起きたい時に起

きて、昨晩遅くまでコンパで飲みすぎたら大学は自主休校?

 アルバイト働くことは大いに結構だが、中には夜の水商売、スナックやクラブで大金を稼ぎ、ブランド商品で身を飾

り、自分にご褒美の海外旅行などなど学生天国花盛りが首都圏、都市部の大学生の実態ではないでしょうか。

 親の恩とかお陰とか、ほとんどどこかに吹っ飛んでいるのです。自分のことしか考えない自分だけが満足している

事が、幼稚であり子供なのです。

 

 デスクトップのアイコンを消すだけではダメ

  大急ぎて゜ワクチンを製造し接種すれば、はしかの流行は収まるでしょう。それでは、根本治療になりません。

果実をもぎ取っただけで肝心の根抜きが出来ていません。

 例えて言えば、パソコンのデスクトップに並んでいるアイコンが不必要になったり、あまり使わないものは、ゴミ箱に

捨てます。すると目の前のスクリーンからは消えますが、本のソフトが削除してなければ、いつでも画面に出すことが

出来ます。本のソフトを削除してしまえば二度とアイコン(目の前の現象)は出てきません。

 すべての人生の出来事はそれと同じことです。

 いま、「はしか」の大流行を通じて、恵まれ過ぎた学生生活に仏さまからの警鐘が鳴らされているのです。

 世の大学生よ! いまこそ目覚める時です。あなたたちには未来があり、大きな期待が掛かっている。そして、 磨

けば光るすばらしい能力と知識があるのです。国を社会を、そして家庭を背負っていく大きな使命に目覚めま しょう!

 

 

地球が危ない

 残された時間は10年?

  モラル崩壊が温暖化を加速する

 

 ポイント・オブ・ノー・リターンは後10年

 過日、WCRP(世界宗教者平和会議)開発・環境委員会が「地球温暖化」をテーマに東京大学の山本良一教授を

迎え環境問題学習会を行なった。

 教授は、世界中の著名な学者が報告している最新のデータを駆使し、地球温暖化による異常気象や環境変化の

大暴走が、もう他人事や遠い未来のことではないと力説された。

 このショキングな報告を多くの皆さんにお伝えし、目前に迫る地球温暖化の警鐘となることを切望します。

共感頂けた方は早速に身近な実践を始め、多くの人にこの事実をお伝え頂きたい。

 温暖化の実態は、マスコミの報道で周知のことであり、誰でも漠然と<このままだと何となく危ないな>と感じなが

らも、遠い先の話であり、国や科学者、技術者が何とかしてくれるだろうと高をくくり、どこか他人事になっています。

 しかし、地球の温暖化現象は、2006年夏以降の半年で世界の環境が一変し、学者の予想をはるかに超え、一挙

に加速し始めました。

 北極の厚い氷原のど真ん中に東京都ほどの巨大な穴が開いているのが発見されたり、南極やグリーンランドの巨

大な棚氷や永久凍土が溶け、陸地があらわになっている。ヒマラヤやアルプスなど世界各地の氷河が恐ろしい勢い

で消滅しつつある・・・・など、数え上げれば切がありません。

 ▼2016年、産業革命(1900年頃)より地球の平均気温がプラス1.5℃を突破! ポイント・オブ・ノーリターン の

序章、種の大量絶滅が始まる。2050年までに人間以外の1000万種の生物が絶滅し生態系が大きく崩れる。

 ▼2050年、プラス2℃を超えたら直接人類に影響が出始める。貧しく抵抗力のない途上国を中心に三人に一人

が温暖化、環境破壊の犠牲になる。

 過日、ドイツで開かれたハイリンゲンダム・サミットで安倍総理が言明した2050年までにCO2排出量の50%カッ

トは、今すぐ日本の全国民が、そして全世界が本気で取り組まないといけない必要最低限の緊急課題なのです。

 私たちの子や孫が直接被害を被るところまで現状は悪化しているのです。ここ10年が異常気象の大暴走に歯止

めをかけるポイント・オブ・ノーリターン、後戻りの出来ないタイムリミットなのです。

 省エネ技術、エコ技術は格段の進歩をしているが、技術革新だけでは温暖化を食い止める段階を超えてしまって

いるのです。もはや省エネではなく消エネ、節約ではなく、使わないことを考えなければ間に合わないのです。

 

 温暖化はモラルの問題

 山本教授は、温暖化は科学や技術の問題ではなく、モラルと倫理の問題であると断言された。すなわち人間の際

限の無い富の追求、形振り構わず金儲け主義の負の産物なのです。

 常軌を逸した事件が次々と明らかにされています。食の安全を脅かす北海道ミート・ホープ社の食肉偽装事件、官

公庁の信頼を失墜させた元公安調査庁長官の朝鮮総連売買詐欺事件、福祉事業の逆手をとったコムスン(Good ・

Will)の助成金搾取の大偽善などは、若くして巨万の富を手に入れ一世風靡し、エリートコースに乗り権力の頂点

 に登りつめた一部の人間の悪行でありますが、富と地位や権力に慢心し、自分さえよければ人はどうでもいいとい

う、モラルや倫理の崩壊、個人主義利己主義の行き着く先が地球温暖化に繋がっているのです。

 しかしモラルや倫理は、人間対人間の物差しであり不十分です。人に見つからなければいい、分からなければい

いとずる賢い人間を生み出します。目に見えない神仏、大自然の力は『お見通し』であるという敬虔(けいけん)な人生

観が今必要なのです。

 お釈迦さまは、「偉い人になるなよ、よい人になれ」と教えられました。「人もと悪少なし、よく教うればこれに従う」

 小さな時からの正しい信仰心があってこそ、モラルや倫理が熟成され、温暖化防止の根本治療となるのです。

 

 目先の欲か、生命の存続か?

 現代の日本は戦後六十年の未曾有の経済発展に信仰心と文化を見失ってしまった。今こそ国民一人一人が正し

い信仰を持ち、優れた日本の文化と伝統の美に立ち返るべきです。そして、『お陰さま』の人生、すなわち目に見え

ない存在に対する畏敬の念を取り戻すことが必要です。

 二十数年前、オランダの首都アムステルダムの市長が、日本傷病軍人会代表団にこう述べた。『日本は戦争に負

けて経済に勝った』が、オランダをはじめヨーロッパ各国は『戦争に勝って経済に敗れた』長年植民地搾取してきた

自業自得である。

 しかし今『日本は経済に勝って、教育と文化で敗れた』『物質で勝って、魂で負けた』と、戦後の日本を言い当てた

名言である。肝に銘じたい。

 信仰や宗教の大切さがわからないのは二流の学者であり政治家であり、三流の教育者と言わざるを得ない。

世界の一流と言われる学者や政治家、教育者や企業者は神仏の存在を自覚している。人力や科学の及ばない大

宇宙の大いなる存在、サムシング・グレイトを信じ理解している。

 

 人間の命は吸う息、吐く息のバランス

 お釈迦さまは『人の寿命は、吸う息、吐く呼吸の間』と教えられた。オギャーと息を吐いて誕生し、息を引き取って

死ぬ。すなわち吸った息を吐く力が無くなったとき人は死ぬのです。

 最近の日本の現状を見ると、吸う息ばかりで息を吐くことを忘れ、窒息状態になっている人が多い。つまり、儲ける

ことや自分の得すること(吸う息)ばかりに必死で、施しや社会還元、世のため人のため家のために尽くすこと(吐く

息)を忘れ、自分だけが満足し、儲かるためには手段を選ばす、なんでもありの無法地帯、ならず者国家になりつつ

ある。

 社会人になっても食費も生活費も家に入れず、給料はすべふ自分の貯金や遊興費、グルメにブランド、海外旅行

には惜しげもなく使い、育ててもらった親への恩返しも出来ない、年齢と体力だけは大人で中味の考え方は子供の

ままという大人子供が急増している。

 まさに吸うばかりの生活だ。その結果、就職しても長く続かず転職を繰り返したり、気ままな恋愛結婚の末にすぐ

離婚など、我がまま放題、吸う息だけで呼吸困難になっている若者も実に多い。息を吐くことを教えてこなかった大

人の責任は重大である。

 

 和の政治が世界と人類を救う

  この本をお読みの頃には、参議院選挙真っ只中か、すでに結果が出ているかもしれません。地球存亡の危機が

迫る中、与党も野党も互いに他党の批判と罵倒のみ、どの政党もどの議員も、選挙に勝つことばかりに懸命になり、

本当に国を良くしたいのか、本気で国民のことを思っているのか疑わしくなる。

 本当に国と国民のことを思うなら、党派を超えて協力できることがもっとあるはずです。他党の政策でもいいものは

認めて『和をもって貫きとなす』のが本当の政治ではないでしょうか!

 社保庁の年金問題にしても、先ずすべての党が協力して『1年でやり遂げる』ことの方が大切です。相手の非を追

及し、上げ足を取り、子供だましの牛歩戦術や強行突破の繰り返しをして時を浪費している場合ではありません。国

民そっちのけでなんでも政局にしていては、本末転倒です。

 教育改革を叫ぶ議員先生が、プロレスまがいの委員会採決やヤクザの喧嘩のような品の無い罵声や野次の応酬

を今すぐ訂正すべきです。こんな醜い姿を毎日テレビで見ていたら、若者たちの純粋な心が濁ります。

 選挙に勝っても負けても、年金がもらえる人も、損をする人も、地球が丸ごと環境破壊されたら、元も子もなくなるの

です。

 かつて世界の各地で繁栄した世界文明の滅亡した原因の多くはモラルの崩壊と環境破壊であったと言われます。

 今や世界は一体であり、かつての文明のように一地域や一文明一民族だけが滅ぶのではなく、地球全体が滅ん

でしまいます。

 主義主張の違いや利権争いや歴史的怨念で戦争をしている時ではないのです。今すぐ戦いをやめて、軍備に使う

莫大なお金と技術と叡智を地球を守るために結集すれば間に合うのです。

 今回の参議院選挙もこれからの選挙においても、地球環境の保全のために本気で働き、利益追求の企業にもはっ

きりと規制と協力を言える人、実行できる政党を選び、自らも少欲知足の生活をする国民になりましょう。

 絶対非戦、戦争放棄を世界に発信できるのは、平和憲法を持つ日本だけなのです。

 人類は、地球上のどの生物よりも繁栄したが、際限の無い富の追求が地球上の生命と人類時代に終止符を打とう

としているのです。

 それも、人類全体ではなく、日本とアメリカとヨーロッパの国々という一部の国と人間の富と豊かさの浪費によって

であることを自覚し、即刻エネルギー削減の生活、CO大幅カットのライフスタイルに切り替えましょう。

 「諸苦の諸因、貪欲これ本なり」すべての苦しみは自分の思う通りにしたいと言う人間の心の奥底に巣食う際限な

き欲望、次々と湧き出て押さえがたい欲望が、環境破壊の元凶なのです。

 目先の豊かさを求める経済発展か、自分を含め将来の子供の存続か、二者択一の瀬戸際に来ているのです。

万物の霊長たる人間の決断

 

 

家庭崩壊が社会を蝕む

  離婚を助長させる甘えの構造!

 

 実家は離婚の温床?思わぬ落とし穴

 結婚間もない若いお母さんの離婚相談が何件かありました。原因や言い分はお互いにいろいろありますが、それ

ぞれの結婚生活の状況を聞いているうちに、あることに気がつきました。

 「あなたたちは、実家に行き過ぎです。ちよっとした意見の食い違いや夫婦喧嘩をしたぐらいですぐに実家に行き、

 挙句は何日も泊まってくる。夫も妻が実家に帰ってしまったら、不自由だからといって、のこのこと自分の実家に世

話 になってくる。どちらも『実家依存型人間』で親離れの自分ができていません。実家も安易に受け入れ、いい大人

になった子供を甘やかし子離れできていないのです。」

 この親子お互いの甘えの構造が、辛抱する力や率直さを失わせ、頼る所があるものだから簡単に離婚をする温

床となっているのではないでしょうか?

 「実家は駆け込み寺ではない」時には心身の癒しの場ではありますが、本当は親に安心を与え、親孝行のお返し

に 帰る場所なのです。楽をしに、愚痴をこぼしに帰る場所ではありません。すぐに親を頼り、楽な方ばかりに逃げて

いるから、いつまで経っても結婚生活が安定しないのです。

 特別な要 もないのに毎日のように朝から夕方まで実家に行ってお据え膳、実家の親も孫が可愛から喜んで迎え

ている。それが幸せと勘違いしているのです。いつでも離婚でき、実家に戻る練習をしているようなものです。

 嫁ぎ先の炊事、掃除、洗濯など、妻の仕事である家事は一体どうなっているのでしょう。夫婦は一対です。これで

は夫も男として一人前になれるはずはありません。

 ここに隠された問題がもう一つあります。

 なぜ毎日のように嫁いだ娘が、実家に入り浸りになれるのでしょうか?

 それは、親が長男夫婦と同居していないからです。嫁に気を使うのは嫌だ、気楽に生活したいと長男夫婦との同

居を拒む母親が増え、反面、気心の知れた娘は頻繁に出入りして半ば同居状態になっているのです。

 お互いのわがままから本来の家族構成が崩れ、家庭崩壊の危機が忍び寄っているのです。最近こんな現実は、

日本全国どこにでも見られるのではないでしょうか

 あなたのご家庭、娘さんは大丈夫ですか?

 

 驚くべき離婚の現実

 家庭崩壊の象徴的現象は、なんといっても離婚でしょう。子供の心の成長にとってこれほどのショックと痛手はあり

ません。

 平成十七年の統計では一年間に約75万組が結婚し、27万組が離婚しています。実に二分に1組、一日に740組

が離婚しているのです。

 十代二十代の若年期の離婚が多く、四十代未満の中学生以下の子供を持つ親たちの離婚率は、なんと全体の

70%、約19万組に及びます。子供たちの受ける心の傷は計り知ることが出来ません。

 十代ニ十代前半の婚姻の特徴は、いわゆる「出来ちゃった結婚」で大人に成り切れていないこと、家庭を作る自覚

(will)と実力(skill)がなく、辛抱と努力が足りないのです。

 三十代四十代の離婚原因は、男性が「性格の不一致、精神的虐待(子供重視で夫に無関心、夫婦生活の拒否等)」

女性が「DV(家庭内暴力)、生活費を十分渡してくれない」が主流です。恋愛結婚が九割の現代、性格の不一致、

価値観の違いなどは、婚前に見抜けなかった自分にもあります。要は男を見る目、女を見る目がなかったのです。

 一般的「夫婦よりも子供を優先している」人は、離婚に関して消極的だそうです。やはり、離婚は自己中心の考え

の結果が多いのです?

 最近急上昇の熟年離婚は、「価値観の多様化」で人生観が合わない?が最も多い。要はお互いに慣れてしまって

感謝がなくなり、わがままの結果と言えます。

 「人間生活」とは<人の間に生まれて生かされる>と読みます。自分一人さえよければいいという姿勢では、正

しい社会生活は成り立ちません。

 親子の絆、夫婦の絆、家族の絆、親戚付き合い、近所付き合いなど、人間生活の基本が崩壊してしまったのです。

 

 社会は家庭は延長 家庭崩壊がすべての元凶

 金儲け主義の勝ち組起業者、官僚や公務員による官製談合、公金流用、果ては着服が組織ぐるみで公然とまか

り通る裏金作り、常識では考えられない不祥事が雨後の竹の子のように、どの省庁からも、どの地方自治体からも

例外なく噴出している「モラルが崩壊している」一般社会ならば、即免職、刑事事件として逮捕されます。

 なぜ、議員や公務員は修正申告やお金さえ返せば無罪放免なのでしょうか?

 こんな現実が連日のように報道されれば、若者たちは悪いことをしても、「表面的に謝りさえすればよい、万引きや

泥棒をしてもバレたら、取った物さえ返せばそれで問題ない」と善悪の判断が麻痺してしまうのではないか!

 立派な起業者も、エリート官僚や公務員も、すべて家庭教育から育ったのです。学校教育や社会環境の前に家庭

教育、家庭環境があるのです。

 心の成長をおろそかにした家庭に原因があることを猛反省しましょう。

 

 信仰の無秩序も家庭崩壊の一因

 家庭教育のもう一つ大切な役割は、先祖供養、つまり自分の存在に関するルーツ、家庭信仰がしっかり確立して

いるかどうかです。

 信仰は持っていても、自分の都合で宗教を転々と渡り歩く宗教ジプシーも意外に多いのです。

 時分の勝手な都合で、反省や訂正もなく、目先の満足だけを求めて離婚再婚を繰り返す若者とさほど変わらない。

 宗教ジプシーに安住の地はないのです。

 どこかでしっかりと根を張って、家族や子孫に「法の継承」をしてこそ、信仰の花が開き実を結ぶのです。自分一代

だけで終わっていく自己満足の信仰だけでは意味がありません。信仰は趣味や娯楽ではないのです。真剣勝負な

のです。それでなければ「宗教はアヘン」であると言われてしまいます。

 正しい教えを正しく貫いて行くという姿勢がなくては子供たちに宗教の大切さは伝わりません。

 親が無神論者であったり、自分の都合でコロコロと宗教を渡り歩いていては、子供たちにわがままの手本を示して

いるようなものです。

 

 すべての基礎は家庭教育です。家庭のモラル、家族の秩序が崩れると、人間関係も社会の適応力も、価値観も人

を思いやる心も正しく育ちません。

 特に女性の考え方、行動が家庭のあり方を大きく左右するのです。

 

 

温暖化 もうーほっとけない

 自分一人ぐらいから 自分一人だけでも・・・・・

 

北極の氷が過去最低に!

 北極の氷の面積が1978年の観測開始以来、過去最小となっていることが発表されました。地球温暖化による海

水温度の上昇などが原因とみられています。

 北極の氷は、毎年春から秋にかけて減少し、秋から冬にかけて増えます。今年(2007年)は、6月までは例年 通

りのスピードで減少していましたが、7月から例年を上回るスピードで減少し、8月15日の面積は、過去最小だ った

2005年を大きく上回ったことがわかりました。

 その面積は、国連の「気象変動に関する政府間パネル」(IPCC)が予測した2040年の面積にあたり、学者の 予

想をはるかにこえるスピードで、計算よりも30年早く今年の夏に氷が解けてしまったのです。

 これから起きる予測不可能なさまざまな影響が心配されます。

 人事ではありません。もう!ほっとけない所まで来ているのです。

 

 まず足元からの実践を!

 自分一人ぐらい頑張っても、あまり効果もないだろうと考えず、自分一人だけでも実践しようという考え方が地球

を 温暖化から守る第一歩なのです。大きなことは出来なくても、身近な足元に実践できることはたくさんあります。

 一人ひとりの決意と一軒一軒の協力が、STOP温暖化の大きな力となります。そして地球の未来と大切な子孫

を守ることになります。

 

 <誰でもすぐに実践できること> 

 ①電力ダイエット TVの電源はコンセントを抜く(余熱にしない) 使わない蛍光灯は小まめに消す。冷蔵庫の開

け閉めを少なくする。冷蔵庫の中を満タンにしない(冷気が通りやすくする)

 ②エアコンの温度調整 夏は28℃、冬は20℃ 暑い時は一枚脱いでクールビズ。 寒い時は一枚羽織って体温

温度を調整する。

 ③洗濯はまとめ洗いをする 水道代や電気代のに節約。一ヶ月で320円のお得。CO2削減年間3.3Kg

 ④シャワーや洗面所の水の節約 必要以上に流したままにしない。CO2削減年間29.7Kg

 ⑤エコパックの使用 買い物袋を持参し、スーパーで余分なビニール袋はもらわない。

 エコ運動を心がける 急発進はしない。余分なアイドリングはしない。

 

 

び寄る教育バブル?

 物・金の投資よりも心の投資を!

 

 経済バブルは目先の欲から始まった

 1986年12月から始まり、1991年2月までの4年3ヶ月で泡沫の如く飛散し、バブル経済は弾け、日本経済は未

曾有の不景気に見舞われました。

 数百兆の公的資金が投入されましたが、銀行も企業も個人も破綻し、その後の苦労は『失われた十年』と言われ

ています。

 バブル経済が崩壊して約十七年、大手銀行や大企業の経済的処理は終わったが、価値観の崩壊による後遺症

は、地方や中小零細企業、個人の生活など末端に行くほど色濃く残っているのではないでしょうか?

 『土地は必ず値上がりする』という土地神話に過剰な投資をし、資産価格が実際の価値をはるかに超え高騰した。

 『右上がりの経済成長』という経済神話がハイリスク、ハイリターンの危険をはらむ毒牙の先の甘い蜜に酔い しれ、

一般庶民の異常な株式投資が進み、一夜の夢のような消費経済を生み出した。

 リゾート開発、ゴルフ場開発、財テクに始まり、大手企業はゴッホ、ルノアールといった絵画を法外な価格で買いあ

さり、まさに狂気の一大消費ブームの付けが津波のように一挙に押し寄せ、日本中を飲み込み、勤勉努力と 言わ

れた日本人が堂々と築き上げて来た生活が音を立てて崩れていった。

 失われた十年のバブル経済は、分別あるはずの一流大学出や大企業のエリートが目先の儲け、金や物といった

物質的豊かさに盲信した結果であり、大きな教訓となったはずである。

 

 急成長には落とし穴の危険がある

 しかし、人間は愚かなもので『ノドもと過ぎれば熱さ忘るる』の諺どおり、現在は若者の企業家が雨後の竹の子の

ように現れ、IT産業花盛りである。若者の台頭、活躍は大いに結構であるが、ライブドアのホリエモンに象徴される

ような過信や慢心の末に、リッチこそ幸せとばかりに、若者を中心としたブランド志向、ベンツ、ベントレーなどの超

高級車やフェラーリ、ポルシェ、ランボルギーなどのレスカーまでも市中を疾走するようになった。

 IT産業急成長の先にある落とし穴に注意が必要です。新たなバブルの波に飲み込まれないようにしなければなり

ません。

 樹木でも、日当たりのよい南斜面に育ち、短期間で大木に成長した木は、一見立派そうに見えますが、年輪が荒

く 材木としては質が悪く、衝撃に弱いのです。反面、日当たりの悪い北の斜面で時間をかけてじっくり育った木は、

年輪が細く質もよく丈夫で衝撃に強いのです。

 

 次は教育バブルがやってくる

 経済バブルの後遺症は、少しずつ解消されてきましたが、次は教育バブルが静かに忍び寄っています。かつての

土地神話、経済神話と同じように「教育投資」さえしておけば、子供は幸福になると信じ込み、幼稚園や小学校のう

ちから、二つも三も塾に通わせ、子供の意思に関係なく習い事やけいこ事をさせる「教育神話」が過熱しています。

 少子化の現代、大学や高校、小中学校までもが統合縮小されているのに、大都会、地方の区別なく、駅前の一等

地には○×予備校、○△学習塾などの進出がめざましく、お母さん方の多くはパートに出かけ、その収入の大半を

子供の教育費にあて多額な教育投資をしています。

  子供たちは母親の愛情、親子の触れ合い、家族の絆が欲しいのです。異常な教育投資のために子供の心が置

き去りになってしまったら本末転倒です。その子に合ったその子にふさわしい人生を歩んでいくための教育こそが本

当に生きた教育なのです。愛情と手間暇をかけ。、子供の創造力や判断力を伸ばすことを忘れ、知識や技術を詰め

込んで子供を膨らませることを「教育」と勘違いしている親が多い。

 野口雨情の『しゃぼん玉』の歌がある。

 しゃぼん玉飛んだ 屋根まで飛んだ

 屋根まで飛んで こわれて消えた

 しゃぼん玉消えた 飛ばずに消えた

 生まれてすぐに こわれて消えた

 風風吹くな しゃぼん玉飛ばそ

 

 生後一週間で夭逝(ようせい)した長女に対する、野口の哀別の情を表した歌だが、現代の子供に当てはめてみる

と、大学という屋根まで飛んで一流企業に就職し新社会人として生まれたが、中味がなく衝撃に弱く、すぐにつぶれ

てしまう現代の若者の姿が、しゃぼん玉にオーバー・ラップされて見えてきます。

 

 本当の教育投資は、心を育てること

 オウム真理教のサリン事件などは、東大生、京大生、一流私立大学生が引き起こした。まさに、教育バブルの典

型です。せっかく大学まで行かせたのに、学歴も知識も水の泡と化しまったのです。

 頭はいいが心の教育が出来ておらず、正しい判断力が育っていなかったのです。

 教育とは『教えること』と『育てること』ですが、『知識を教える』ことばかりに親も学校も重点を置き、『心を育てる』

ことがなおざりにされてきた結果です。

 元気に挨拶することや、お掃除や親の手伝いなど家の役に立ったりすること、人に親切にしたり思いやる心などよ

り 、テストで何点取ったかが親の最大の関心事であり、百点さえ取れば欲しいものは何でも買ってもらえる、身の回

りのことは親が全部してくれる・・・・ような生活では、子供の心は成長しません。

 子供でやれることは子供にさせる、また親といっしょに遊んだり、作業をする。そして頑張ったら誉めてあげる。

 この親子の触れ合いや家族の絆が、創造力と判断力が身についた心豊かな人間として育っていくのです。

 大きく膨らんで、親よりも立派な学歴をつけ、空高く舞い上がったが、社会の波風に当たってすぐに壊れてしまうバ

ブル人間にしてはいけません。

 世のため人のためになるという人生観、目に見えないもののお陰さまを感じられる。正しい信仰心や価値観を植え

付けてあげることが、親としての本当の応援であり、将来必ず役に立つ生きた教育投資なのです。

 知識や学問とバランスの取れた心を育てるために躾、愛情、家族の触れ合いという手間暇をしっかりかけましょう。

 

 

いま、子供に何が必要なのか?

  お金で買えないものが欲しい!

 

 ゆとり教育  →  焦り教育への転換?

  三十年前に「詰め込み教育」はいけないと「ゆとり教育」に転換し、授業時間を大幅に短縮し、やがて週休二日

制を取り入れた。結果、日本の子供たちの国際的な学習到達度調査でここ数年学力順位を下げている。

 あわてた文部科学省や中央教育審議会が「ゆとり教育」から大転換し、中学では理科や英語の時間が大幅に増

やされるようだ。国際競争力をあげるためらしい。英語にいたっては国語の時間を上回っている。自国の歴史や文

化、国語力をしっかり身につけない薄っぺらな日本人で本当に国際競争力が身につくのだろうか?

 成績第一主義で親や先生の引いてくれた線路の上を有名校、大企業に向かって突き進む金太郎飴のように画一

的な教育からそろそろ脱皮しないといけない。

 

 森を見て木を見ず

 国際的学力順位(森)にショックを受け、泡を食ったように授業時間を増やすのではなく、個性を生かす時代になっ

ているのだから、一人一人の子供(木)の成長を見守ることが大切だ。

 子供の特徴や性格、興味や良い所を見つけ、こういう方向へ進んだらどうか、こういう生き方もあるとアドバイスし

て、いっしょに考えてあげることが今必要なのではないでしょうか?

 猫も杓子も大学!大学!と、一流企業に入ることがさもや幸せの成功街道のように、画一家した進路指導ではも

ういけない。すべてがサラリーマンになってしまったら、農業、漁業、林業という第一次産業が疲弊し国は滅んでしま

います。

 大学に入ることが目的になってしまい、とにかく大学に行くことがいい事?という間違った価値観を変えなければい

けません。それには親も子も勇気がいります。

 そして、子供の成長を注意深く見ていないと正しい助言や判断はできません。

 働くお母さんが増え、母子家庭、父子家庭が増え、小学校では「学童保育」の名のもと、かぎっ子の子供たちが、

指導員に夕方まで面倒を見てもらっている。反面、母親が職を持たず、専業主婦でいる家庭の子供は放課後の「学

童保育」に入れてもらえない。

 ある日小学一年生の子供が、不満げに母親に言ったそうだ。

 「お母さん働きに行ってよ!」

 「なぜ?」

 「だってお母さんが家にいるから、放課後に学童に入れてもらえないから、友達と遊べないよ、つまんない!」

 まさに教育の本末転倒である。

 

 本当の豊かさとは何か

 家庭が空洞化している。

 お父さんもお母さんも昼間は家に居ない、子供も学校に行っている。核家族で家にはお年寄りも居ない。コンビニ

で買ったスナック菓子やテレビゲームは揃っているが人気のない家に帰ってくる子供の心の中に「寂しさという空洞」

が開いてしまって、様々な事件や問題が起こっているのです。

 親の大半は高校や大学までのスタンスで幸せを考えているのではないでしょうか?

 子供がいい成績をとり、一流校、一流企業に就職するまでは、親も鼻高々でこの世の春でしょうが、都会の企業に

勤め都会で知り合った彼女と結婚したら、おそらく一生親元には戻ってこれないでしょう。そして老後になってこんな

はずじゃなかったと嘆いている親が増えているのが実情です。

 

 諸苦の諸因貪欲これ本なり

 「食」は今の下に貝と書く。今日の前の欲望、目の前の物事を「自分の思いどおりにしたい」という思いがすべての

悩みや苦の原因となっているのです。つまり自分の思うとおりにならないことが苦であり悩みなのです。

 ありのままを受け入れ、目の前の現象を受け入れていく器の大きさが幸不幸を決めるのです。

 

 笑いが病気を防ぎ健康を作り出す

 今日本の死亡原因の第一位はガンです。このガンは、感謝や笑いが大の苦手だそうです。反対に「自分の思うと

おりにならないと気がすまない」というストレスやイライラが大好物でそれを栄養として増殖するのだそうです。

 また人間の体は約60兆個の細胞で出来ており、その一つ一つに自分の壊れた細胞を修復するプログラムが組み

込まれているそうです。そのプログラムにスイッチが入るのが笑いであり、喜びなのだそうです。

 若者を中心に「お笑いブーム」が続いてことも、人間が本能的に病気を防ぎ、健康を維持するために笑いを求め、

細胞の自己再生プログラムにスイッチを入れようとしているのではないでしょうか。つまり、よく笑う人は病気になり

にくく、あまり笑わない人、よく怒る人は病気になりやすいのです。

 

 良いところ見つけが感謝の達人

 ひざ関節病の持病があると足の痛いことばかりに思いが集中してしまい、他の調子よく動いているところは当たり

前になっています。

 たとえば、体には100%程度のパーツがあるとしましょう。今悪い所はせいぜい2,3個です。後の97箇所は順調

に働いているのです。

 不都合な所ではなく、調子よく普通に動いている目や口や鼻や胃や腸などに「今日も調子よく動いてくれてありが

とう」と感謝のことばを言い続けていればきっと治ります。

 成績の悪い子供、親に反抗する子供、横着な子供、勉強しない子供にも良い所はきっとあります。

 まず健康である。元気である、挨拶がいい、人の面倒見がいい、とりあえず生きていてくれる・・・・など良い所を探

していればきっと安心できるいい子供になってくれます。

 即実行し、感謝の祈りを続けましょう。

 そして、感謝にもレベルがあります。

 ①願いや望みが叶った時に感謝する人(初級者

 ②当たり前の事に感謝できる人(中級者

 ③辛いことや病気、事故や災難にあった時、自分が成長できた、気付かせてもらえたと神仏に感謝できる人(感謝

の達人

 

 子供はお金で買えないものを求めている

 家庭内暴力のエスカレートする少年に、ある日父親がたまりかねて言った。

 「これまでお前には、欲しい物は何でも買ってやった。塾にもたくさん行かせてやった。遊園地や旅行にも何度も連

れて行った。一体これ以上何が足りないのだ。何が不満だ!}

 少年は声を荒げて叫んだ。

 「家には何でもあるが、宗教がない」

 唖然とした両親は、掛かり付けのカウンセラーに相談した。

 「先生どこかにいい宗教はありませんか?」

 笑い話のような話だが実話である。この親は何でもお金で買えると思っていたのだ、宗教さえも!

 子供の叫びは「家には何でもあるが、心がない」 お金で買えない真心や触れ合い、やさしさや思いやり、本気で

心配し、本気で注意してくれる親子のつながり、ぬくもりが欲しいと言いたかったのだろう。

 

 「衣食足りて礼節を知る」をいわれるが、今の日本は「衣食余りて礼節を忘れる」となっている。

 今こそ心と心の触れ合いが求められているのです。お金や物のために安易にお母さんが働きに出ていては、大き

な落とし穴が待っています。

 「今は買ってあげられないけれど、誕生日まで待ってね、お正月まで待ってちょうだい。あなたもお手伝いをしてお

小遣いためて協力してね」と説得するより、親が働きに行って何でも買ってあげた方が、精神的エネルギーが少なく

て済むのです。

 何でも買ってあげるエネルギーよりも、親子が向き合って我慢させる、待たせるエネルギーの方が大変なのです。

しかしそこには、子供の待つ楽しみ、やっと買ってもらえた時の嬉しさ感動は大きな心の絆となるのです。

 簡単に買ってもらえるからすぐに飽きてしまい、大切に使わなくなります。つまり、何でもすぐに買ってあげる親は、

お金や物では味わえない大切なことの手抜きをして育てているのです。

 物やお金に恵まれ過ぎた現代、子供に本当に大切なものは何かよく考えて見ましょう。

 

 

苦こそ人生目覚めのチャンス

 胎教中が人生の基礎となる!

 

 苦を解決する四諦の法門

 この世は苦の娑婆である。だから苦があって当然なのです。苦は人間を生きる使命に目覚めさせ、より良い人間

に成長させるために仏さま(大自然の真理)からのメッセージなのです。

 そして釈尊は「四諦の法門」という、すべての苦を解決する四つの方法を明らかに示して下さいました。

 ①苦から逃げたり、ごまかしたりせずにしっかりと向き合う。漠然と困った困ったとジタバタせず、何が本当に苦な

のかを明らかに見極めること(苦諦

 ②何が苦なのか分かったら、その原因が明らかになる。(集諦

 ③苦の原因が明らかになれば、消滅させる方法がはっきりする。(滅諦

 ④解決方法が分かれば、実行すれば苦は必ず消滅する。(道諦

 これを四諦の法門といい、ほとんどの悩み苦しみはこの教えで解決できるのです。

 

 さて、某女優の次男、Aがまた覚せい剤使用で逮捕された。三度目である。ピンチはチャンス、神仏がくれた本当

に更正するための正念場と受け止めることができるかどうか。

 過去二度の逮捕では、息子を更正させることを堅く誓い「人生をかけて原因を究明する」と約束した。それから

七年、A容疑者は三たび、覚せい剤に手を染めた。

 原因追求ができなかったのだろうか? 四諦の法門の第一、第二段階である苦と向き合い見極めることができて

いなかったのでしょう。

 自立させようと、親元から旧知の俳優仲間の元へ送り出したが、結果は変わらなかった。苦の実態と、原因がしっ

かりつかめないまま、人に預けるという方法をとっても根本解決にならなかったのです。ではいったい何が原因

なのでしょうか?

 会見で某女優は「精いっぱいやった結果がこうだった。母親としても力足らずだった」と。

 しかし、父親はどうなっているのでしょう? こんな大切な時に夫婦がそろって出てこない所にも何か大きな問題が

あるのではないでしょうか! 子供はひとりでは授かりません。夫婦あっての子供です。非常時こそ夫婦の協力 、家

族の団結が必要であり、その姿勢に子供が目覚めていくのです。

 

 胎教中の種まきは一生に影響する

 マスコミも自身も成人してからのことや、事件が起こってからのこと、育て方のことばかりに目が向いているが、気

付いていない大きな落とし穴があるのです。

 大女優としての道をあゆみ続けた某女優は次男裕也の妊娠中、女優として大事な舞台と重なり、お腹の子を堕そ

うか、生もうか非常に悩んだ末、出産と舞台の両方をこなしたそうである。

 理由はともあれ、堕そうと思った子、いらないと思った子は、大人になりこれからというときに、いらないことを引き

起こすのです。ここに大きな原因、種まきがあるのです。

 

 胎児はすへてを知っている

 信じる親から堕されるかも知れないという胎児の恐怖は計り知れない。そして自分は必要とされていないという寂

しさや自信のなさが、心の奥底にあるのです。だから何をやっても自信がなく長続きしないのでしょう。

 五体不満足で知られている乙武匡さんは、生まれながらに両手両足がなかったそうです。医者や家族は、母親が

ショックを受けるといけないから、数週間たってから恐る恐る母と子の対面をさせたのだそうです。その時の母 親の

第一声が「まぁ!可愛い子」だったそうです。この一言で乙武君のその後の人生が決まったのです。幼心に「自分は

 愛されている。必要とされている。喜ばれている。」と刻み込まれたのです。この自信があらゆる困難に立

ち向かい健常者以上に大活躍する人生の原動力になっているのです。

 三田佳子の女優業復帰について意見百出だが、やめようが続けようが親の愛情が伝わるか、必要とされていると

子供自身が感じられるかどうかが重大だと思います。人事ではありません。物やお金をどれだけ与えても、親の愛

情や信頼が伝わっていない子供は安心して成長することはできません。どこかで曲がっていくか、しおれてしまうの

です。

 

 

COP13

 国連地球温暖化防止会議に参加

    地球に植林 人に植倫

    地球に緑を! 人の心に潤いを!

 

 2007年十二月三日から十四日までインドネシア、バリ島で国連気候変動枠組み条約第13回締結国会議(CO

P 13)が開催され、2013年以降の温暖化対策の枠組み交渉の進め方をまとめた工程表「バリ・ロードマップ」に

各国が合意した。

 私はWCRP(世界宗教者平和会議)日本委員会、開発環境委員会委員として委員のメンバーと共に参加した。

 「ポスト京都議定書」の新たな枠組みづくりの交渉が始まる大切な第一歩となる会議であり、各国代表はじめ世界

中から集まったNGOの活動家たちの熱気に包まれていた。

 

 メイン会場では、毎日各国の温暖化対策の実践報告や提案、要望などの発表が続いた。

 会場内外や別会場では、様々なNGOや科学者がブースや小会場で、活動のPRや報告を熱心に行なっていた。

 

 まず犠牲になるのは弱小国、その次は

 会議 も中盤に差し掛かり、各国の利害関係が交差し、「ポスト京都議定書」を巡る利害対立で会議が難航するな

か 、温暖化による海面上昇で水没の危機にある南太平洋の小さな国ツバルの政府代表が独自の案を提案し

「即時の行動」を訴えた。

「大きな国が排出した温室効果ガスの影響で、我々小さな島に住む人が被害に遭う。こうしている間に私たちの国

は沈んでゆくのです」というメッセージは、鬼気迫るものであり痛切な叫びであった。

 

 一本の大木が枯れるときは、いきなり幹が腐って倒れることはありません。目に見えない所で根が弱り、幹から遠

い細い枝葉の先から枯れ始め、最後に枝が枯れて倒れるのです。

 北極や南極に住む動物たち、アフリカやアジアの貧しい途上国、太平洋に浮かぶ平和な小さな島国、経済大国か

ら遠く離れた枝葉の先が悲鳴を上げているのです。人事ではありません。

 このままのスピードで温暖化が進むと2050年には東京の三分の一は水没するというデータも発表されています。

 

 環境問題は心の問題

 人間も肺が機能しなくなったら死んでしまいます。今地球は目先の儲けと便利さのため、地球の肺である南米ア

マゾンとボルネオを中心としたアジアの大森林地帯が恐ろしい勢いで伐採され続けています。 環境問題は、省エ

ネ技術だけでは解決しません。荒れ果てる大地に「植林」をし、自然の循環を守らなければなりません。

 そして、目先の利益だけに走る大企業とその恩恵を受けている多くの民族の心にモラルや倫理といった「植倫 」を

することが急務と考えます。真生会とWCRP開発環境委員会は、「緑の宗教協力」(Green ・Rink)の輪を広げ、緑豊

かな地球と潤いのある豊かな心の人づくりに頑張っていきます。読者皆様のご理解とご協力を頂き、安全安 心な世

界をつくり大切に後世に引き継いでいきましょう!

 

 

マニュアルを超えよ

自動販売機では感動は起こらない

 現代はマニュアル時代です。今日の目的やシステム、接客やクレーム対応など様々な社員研修、社員教育が行

なわれています。

 しかし、本当はマニュアルを超えた所に感動が生まれるのです。言われたことだけを忠実に実行する自動販売機

では感動は沸き起こりません。

 過日、知人から感動的な話を聞きましたので、読者皆さんにお分けしお伝え致します。もし感動されましたら、家族

や知人友人にお伝え頂き、血の通った温もりある家庭、社会作りの一助にして下さい。

 

 ある日、ディズニーランドのレストランに入った夫婦がお子様ランチを注文しました。接客をしたアルバイトの店員

は戸惑いました。

 夫婦は子供を連れていません。メニューには「九歳以下のお子様のみ」と明記してあります。マニュアル通りなら、

お断りしなくてはなりません。

 しかし、このアルバイトの店員は、マニュアルから一歩踏み出して尋ねました。

 「お子様ランチはどなたが召し上がりますか?」と

 奥さんが答えて言いました。「死んだ子供の思い出に食べたくて・・・・」

 「亡くなったお子さんの?・・・・」店員は絶句しました。

 「私たち夫婦は、子供になかなか恵まれませんでした。求めて求めて求め続けて、やっと大望の娘が産まれました。

でも生まれつき身体が弱く、一才の誕生日を待たずに亡くなってしまいました。でもいつまでも泣いて暮らして してい

てはいけないと話しあって、娘と一緒に来たかったディズニーランドに来たのです。今日が一周忌です。

ゲートを入っ た所で渡されたマップを見ると、ここにお子様ランチがあると書いてあったので、娘との思い出にお子

様ランチを食べようと思いました」そう言って夫婦は目を伏せました。

 アルバイトの店員は「お子様ランチ、確かに承りました。では、どうぞ召し上がって下さい」と自己責任で即座に答

えました。

 そして、「ご家族の皆さま、どうぞこちらの方に」と二人席のテーブルから四人席のテーブルに夫婦を案内し、それ

から、「お子様はこちらに」と大人の椅子を一つ外し、子供用の椅子を用意しました。

 しばらくして運ばれてきたのは、三人分のお子様ランチでした。そしてこの店員は「ご家族で、ごゆっくりお楽しみ下

さい」と笑顔で立ち去りました。

 

 これは完全なマニュアル破りであり、規則違反です。しかし、このアルバイトの店員を責めるスタッフはいません。

むしろ賞賛されるのです。

 ディズニーランドではマニュアルはあくまでも指針であり、すべてはお客様のハッピーが優先されるのです。

 この出来事に感動した夫婦は、帰宅後に手紙を書きました。「私たちはお子様ランチを食べながら、涙が止まりま

せんでした。まるで娘が生きているように、家族団らんを味わいました。また娘を連れてディズニーランドに必ず行

きます。」

 

 

 東京ディズニーランドが成功してのは「ハピネスを提供する企業」だからだそうです。

 数多くあるテーマパークや遊園地の中でディズニーランドはリピーターが最も多いと言われます。この話に象徴さ

れるようなマニュアルを超えた所の感動が、リピーターを呼ぶのでしょう。アトラクションやハードウェアーの箱物の

施設はお金さえかければどこでも真似できるでしょう。

 しかし、思いやりや温もりという人間が作り出すソフトウェアは真似できません。

 ディズニーランドの従業員は単なる裏方ではなく「キャスト(出演者)」と呼ばれ、いつもゲストの喜びを捜し求めて

いるのだそうです。

 それがディズニーランドのビジネスの原点だそうです。給料通りの仕事をし、言われた事、教えられた事をそのま

ま忠実に実行しているだけでは自動販売機と同じです。そこには感動も温もりもありません。

 このような他人の幸せを求める態度は、マニュアルで教えられるのでしょうか?

 答えはノーです。

  一人ひとりの従業員、キャストに会社のポリシー、オーナーの願いや考え方がしっかりと浸透していなければ、ア

ルバイトの即断でこのような行動はできません。

 私たち真生会の会長先生は、いつも「どこを切っても、真生会の血、お釈迦さまの教えの血が流れ出てこそ本当の

信仰者です。」と教えて下さいます。

 切れば血の出るような温かさ、同じ思いが体中にしみこんでいてこそ、大きな成果と感動を生むのです。

 家庭にも社会にも、地域にも規則基準があり。ルールがありますが、それはあくまでも基準でありみんなが幸せに

なるための目安なのです。

 マニュアルを守るがために相手に不快な感じを与えたり、怒らせてしまっては本末顛倒です。

 人生はドラマであり、宗教は演出です。

 自分で考え行動する知恵を磨き、その場その場で最高の役を演じ、周囲の人に希望や喜び、感動が与えられれ

ば最高の人生が送れるのです。

 

著 田中庸仁

 

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