ひ か り


 
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  日本の危機・地球の破滅を誰が救うのか   四つの誕生日
  懺悔と善行で運命好転   見直せ! 日本の良いとこ-悪いとこ
  男らしく女らしくあれ   苦労こそ発展のエネルギー
  交通事故   殿様商人では儲け出せぬ
  晩婚あれこれ  ★ 知識があっても知恵がない
  法は伝えるもの   視野を広めよ
  まず足元から   台風は一瞬に通り抜ける 
  こんな考えもある   時代に遅れてならぬ
  発想の転換   佛智に勝る知恵はない
  決死に取り組め   驥尾に付す
  鋭利な刃物を鈍く使うのが人生の達人   夢をもて
  教えによって大病克服   収入に応じた働きは出来ているか
  見事結婚にゴールイン   家庭教育
  正法(宗教心)学ばずして平和は築けぬ   生かしてこそ生かされる
  商人の儲ける秘訣   人生の師匠を持て


  不況なんのその!   幸福は足下にある
  最初の躾が肝心   この道、通るべからず
  福の神と貧乏神は一対なり   棚からボタ餅
  幸せを保つ秘訣はこれだ!   長寿の秘けつ
  朱に交わられば赤くなる   子供の叫び
  不況時こそ、人材育成の時なり   いじめと自殺
  信仰心なくして平和は築けぬ   「がん」は必ず治る
  これでいいの?   賢者と愚者
  大自然には勝てぬ   地震・雷・嫁・姑
  文鎮老人   見直せ
  学歴社会に鉄槌   五十展天随喜の功徳
  自分の徳分の計算法   運命は必ず好転する
  断腸の思い   さわやかなる心
  青年よ、目覚めるチャンスは今   悩める青年の話



日本の危機、地球の破滅を誰が救うのか

 くさった卵で、おいしいオムレツは出来ない。 

 不平不満のガリガリ亡者(くさった心)で、楽しい家庭も人生も築けない。

 豊かな経済力とあり余る物に恵まれた日本人の私達は、幸せのるつぼに、とっぷりつかり身も心もふやけている

のではないでしょうか。

 その結果、迫力も情熱もない、ただわがまま一杯の青少年の誕生となり、日本の将来はおろか、吾が家の先は

どうなるかと、人には言えず苦しんでおられる家庭はありませんか。

 その原因は、いずこから発生したかを追及し悟らぬ限り、解決の道はありません。

 身近なところから探って見ましょう。

 敗戦の惨めさから立ち上がり、短期間に経済大国になった日本は、世界各国の脅威の的です。

しかし反面日本人の心は、敗戦当時生きんが為め、食わんがため、一片のパンを求めつづけ、なりふりかまわず

働き続けた根性が、さも正しいと思い込み、豊かな生活ができるようになった現在なお、心の切りかえ転換が出来

なかったのが大きな原因であります。 

 豊かになり、幸せになったら、貧しき人に、苦しむ国に物を与え、財を与える施し心を起こしてこそ、栄える人、富

ある国の歩む使命なのであります。

 この真理を忘れ、島国根性そのまま、敗戦当時と何等変わらず、商社も財閥も金儲けに全力投球し、国民一人

一人は自己の欲望を満たすためには、ぜいたくの限りを続けて来たこの結果が、世界各国から批判の的と

なり、国内に於いては政治の乱れ、残虐非道なる殺人事件、世をはかなんでの自殺、相次ぐ交通事故の悲劇、青

少年の非行暴力とエスカレートしたのであります。

 アメリカはキリスト教の国である。しかし現在は、あらゆる有識者を初め、各大学の教科として、仏教の偉大さに

感銘し、広大深遠なる仏様の思想、真理を活用しているのであります・

 アメリカ人いわく「日本人は仏教国でありながら、何を学んでいるのか、指導者である僧侶は何を教化しているの

か疑問に思う」と。

 葬式仏教、堂がらんの経営に明け暮れ、法の尊さ、教えの真髄を説き伝える事を忘れた指導者、坊さんの責任

を、するどく批判追求しているのであります。

 砂漠化する東南アジア、飢餓に瀕するアフリカの現状、相次いで日本に漂流する難民問題等、人ごとと考えられ

ない現実が、幸せな日本人の足元に火がついております。

 こんな世界の危機存亡のとき、政権のたらい廻しや、与野党逆転に目を色かえているようでは、到底世界の平

和どころか日本の将来は危ぶまれる。

 仏教(法華経)では「一念三千」と言い、ひとつの想いは三千の世界を作る、釈尊は何千年も前に心の世界、心

使いの尊さを説いておられるのです。

 破滅寸前の地球、砂漠になった国をかつての密林にもどすことは科学の力ではどうにもならぬ。

 たった一つこの解決の出来る方法は、信仰深い宗教者の一人一人が目覚め、紙オムツは使わない。パルプを

原料とする紙一枚も大切に使い節約したら、東南アジアの密林の伐採は防げ、砂漠にならずにすむのである。

 つまようじ一本、割り箸一本大切に使ったら、どれ程自然の資源は生かされる事か。

 渇水の如く使うガソリンも自動車の使用に心したら、どれ程有害なるガスの発生を止め、空気はどれ程清らかに

なる事か。

 仮に一億の日本人の一割即ち一千万人が、自然を生かし、人類を愛する堅い決意と、たゆまぬ努力の実行をし

たら、日本は愚か、世界の危機が救えるのであります。

 今こそ、仏教国であり、信仰ある私達が目覚め、幸せに甘えず、幸せを分け合う活動こそ、天の声、仏の声であ

ります。

 

四つの誕生日

 第一の誕生-この世に生まれた誕生

 第二の誕生独身時代即ち学生時代から社会人となり結婚前後の年代を言います。

  「人間は何の為に生きているのか」「自分は今何の目的をもって生活しているのか」をはっきり自覚する為

  の誕生であります。この自覚なくして平々凡々と生活し、自由放題に暮らす青年が家族を持ち、子供が出来た

  頃、生活苦と希望のない人生に行き詰まり、ノイローゼとなり自殺に走る人が多いのが現実の社会の姿であり

  ます。

 第三の誕生-四十歳から定年退職前後即ち壮年期突入から熟年期であります。

  今日の生活も職場の地位も子供の成長も、すべて周囲の皆様のおかげで今日があると感謝の心を起し、

  今日まで自分が生きてくるには、どれだけ多くの人に有形無形に、ご迷惑をかけて来たかわからぬとの、

  懺悔の心を起こすのが第三の誕生であります。

  この年に達しながら、第三の誕生の自覚のない人を分析しますと、事業半ばにして、或いは停年間近となり、

  経済的にも見通しがつき、家屋は新築し、子供も高校、大学へと進学させ、やれやれこれから余生を楽しく暮

  らそうとする寸前、病気に倒れる人、折角育てたわが子との意見の対立、何の為に働き続けたのかと、愚痴

  がこぼれ始める頃から永年つれ添って来た夫婦の間には、離婚騒ぎとなる人、人生の破滅に幻滅を感じボケ

  る人、死ぬにも死に切れず、業をさらして地獄の生活を続ける人が余りにも多いのが偽らざる現実であります。

  「感謝と懺悔」の心の出来る人が、生き生きと壮年期を迎え、社会へ還元出来る心の余裕が出来、楽しい毎

  日が送れるのであります。 

 第四の誕生- 高齢者となって、自分中心の事ばかり考え、思うようにならぬと死んだ方がましだと愚痴をこぼす

  哀れな老人がありますが、こんな罰当りはありません。許され生かされた寿命のある限り、今日まで生きぬい

  て来た尊い体験と善行の尊さを子孫に残し与える大きな使命を自覚するのが第四の誕生の年代であります。

  今世における、優等生となる努力こそ、未来へもって行ける大きな徳の宝であります。第四の誕生の使命が

  出来た高齢者には常に若々しく魅力があります。

 

 

懺悔と善行で運命好転

 ある法話会場へ、家族中で相談に来られました。

 「先生、腰痛で困っています。私の心の間違いと原因を教えて下さい」とご主人の真剣なる相談であります。

 「腰痛の原因は、大切な恩人を忘れている事ですよ

 よほど胸に答えたか、突然男泣きに泣いて話されました。

 「先生、お恥ずかしい限り、受けた恩を忘れておりました。忘恩の穴埋めに、総本山聖地開発に時間の許す限

り、奉仕をさせて下さい」と自ら進んでの立候補でした。

 幸いこの方は土木工事の現場を担当されている関係上、即聖地の開発に体力をもっての奉仕が始まりました。

 「仏に捧げる功徳は計り知れぬ利益があります。あれほど苦しんでおられた腰痛は短期間で全治しました。

 仏法の偉大さに感動された情熱は家族ぐるみ、法を学び奉仕が続くうちに家庭はすっかり明るくなりました。

 

 

見直せ! 日本の良いとこ-悪いとこ

 敗戦の悲劇から立ち上がった日本は、西洋の文明と自由思想を取り入れ、世界各国が驚く近代国家となり経

済大国に躍進した。 

 ところが西洋文明を取り入れることに忙しく、一にも西洋、二にも西洋と何でも西洋のものでさえあればよいと西

洋かぶれして、日本古来のすばらしい大和魂である根性まで骨抜きになってしまった事が今日の大失敗であり、

悪い面であった。

 世界に誇れる日本の良さ

 先祖を尊び、親に孝養をつくし、夫婦仲むつまじく、兄弟や朋友は信じ合い、勤勉努力し、徳の器を成就し、学を

修め、業を習い、知能を啓発し、一旦緩急あれば国に尽くし、博愛衆に及ぼすをもって教育の根源となすと、明治

天皇が遺された教育勅語こそ、人間として生きる真理であり、世界各国がこの精神で努力したならば、共に栄え

共に発展、世界平和は論じなくとも築けたはずであります。

 このすばらしい思想を骨抜きにしたのは誰か

 誰の責任でもない、私たち日本人自ら折角の心の宝をもちながら、磨く事を忘れ物質文明の華やかさに目がく

らみ、心の修養を怠ったのが原因と、今目覚め自覚せねばならない。

 

 

男らしく女らしくあれ

 「女は女らしくあれ」と言われると、古い男尊女卑の風習と反発する人があるでしょうが、これは女らしさの意味

を大きく取り違えた人の反発であります。

 アメリカの統計によりますと、離婚率の一番高いのは、男らしくない性格の夫に、女らしくない性格の妻との組み

合わせだそうです。

女性は子供を生み育てるようにつくられているかぎり、愛情に富み、優しく繊細な感情を持ち、同情心が豊かで、

貞操観念が強く、料理や裁縫のような仕事が好きで、単調な仕事にも飽きない特質があります。

 そうでなかったら子供を育てるという根気仕事に堪えられないからです。

 よく女性は男性より弱いものだと言われますが、そうではありません。根気強い生活力は女性のほうにあります。

それはやはり子供を生み育てるという役目のため備わったものです。

 不幸にして一家没落に立ち入ったとき、ひどくうちひしがれるのは主人の方で、奥さんは不死身の人間のように、

相変わらずセッセと働いている・・・というのが通り相場です。そこで女らしさとはどんなことか、まとめてみましょう。

 やさしいこと、同情心に富むこと、感情がデリケートであること、単調な仕事にも飽きないこと、根強い生活力を

持っていること等々・・・・・・。

 こうしてみると、女らしさを拒否する理由は少しもないはずです。日本の女性の魅力は世界一だと言われていま

す。何も顔の美しさや、肌のキメの細やかさや、キモノの華麗さなどによるものでなく、一に日本の女性の女らしさ

によるものです。奥さん方、真の女らしさを発揮してはみませんか。

 それでは男らしい男とはどういうことでしょうか。女性に比べて体格が大きく、力が強い、気性が淡白で包容性が

ある、政治力がある、勇敢である、責任感に富む、大きな夢がある等々・・・・こういうところに男らしさというものが

ある。

 こう考えてくると、男は男らしく、女は女らしくあることが、みずからも幸福であり相手も幸福にさせ、いい家庭をつ

くる最大の要訣であります。

 

 

苦労こそ発展のエネルギー

 若い時は自分の事で悩み苦しんだものである。教えを学んで今日この頃の心境は自分の事など考える暇もなく、

日夜悩める人の問題解決とご法流布、しいては宗教人として世界平和の為に微力ながら尽くさせて頂きたいとの

念願で東奔西走し、年をとる事を忘れているのが偽らない私の心境であり近況であります。

 人生には常に苦労(悩み)がお供している。苦労こそ発展へのエネルギーであると私は考えています。

 中天高く飛ぶロケット砲には必ず尻に火がついている。人生も掻くの如く、尻に火のつく問題があればこそ、知

恵もしぼり出し行動力も生まれてくるのであります。

 困った困ったと頭をかかえる人ほど、怠け者であり行動力がない。困る人、悩める人の考えは自分中心であっ

て誠に視野が狭いのであります。

 無茶を言う人、暴力を振るう人皆わが子と思えば、捨てる事も切り離す事もできないでしょう。いい年をして正し

い道がわからぬ人は可哀想な人である。私の誠と慈悲で何とか救ってやりたいと考えたらどうでしょう。万が一、

今救えなかったら、己の力、器の小ささを悟り、一層努力して必ずあなたを救済するから、今しばらく待って下さい

と、自分にむちうつのが正しい人間の生きる道ではありませんか。

 人間は心の広さだ け向上し、進歩発展があるのです

 ある食堂で隣の席の高齢者仲間の物語りを耳にした。

 「いくらこれから生きても十年である。うまい物食べて、行きたい所へ行かねば損である」

 同席の七〇歳前後のお仲間が異口同音あいづちをうってモーニング・サービスの食事をとっておられた。

 人生は損得で生きているのでしょうか。何か私はこの人達が哀れに思えた。

 老人の考えの暗い家は亡び、若者の不平不満の家庭もまた栄えない

 東京でお住まいの未亡人の高齢者の方が死ぬまでに何か一つ世の為に良い事をやっておきたいと、苦労して

蓄積された尊い私財をペルーの経済援助にポンと寄進されました。

 金額の大小をほめるのではなく、この老人の考えに感動を覚えたのであります。前者の老人の考えと後者の老

人の考えは月トスッポンの差があります。

 「財なくとも施し心ある人は富者なり、財ありといえども施し心なき人は貧者なり」と教えられています。

 年金に恵まれた日本の長寿者こそ、長年のご苦労と世渡りの経験者として子孫から尊ばれ、魅力ある善なるを

咲かせて、徳をもってあの世に往生される人こそ、明治、大正、昭和の荒波を乗り越えた立派な老人の英姿であ

ると思います。

    徳を残す老人こそ家の宝なり

 

 

交通事故

 事故を起こさぬ方法

 ・怒って車に乗らぬ事(かっとする心の動き事故のもと)

 ・運転する時、乗せてもらう時、感謝の合掌を忘れぬ事

 ・常に交通安全の祈願の功徳を積んでおく事

 年末年始になれば、心がいらつき、事故を起こし易い。信仰心あるなしにかかわらず、神社仏閣で交通安全の

お守りを受けて車にさざけておりますが、心に怒りをもっての生活、喜び感謝の心を持たねば、動く応接間の如き

デラックスな車も徳を削れば直ちに狂器となってしまいます。

 

 事故を起こした後の正しい処理の方法

 教えによって救われた話

 教えを聞いて居られる家庭に突発事故が起きた、真面目な主人が接触事故を起こしハンドルの切り損ねで信号

待ちしている老婆をひき殺してしまった。顔色蒼白、夫婦で相談に飛び込んでこられた。

 非常事態発生の時こそ人生の岐路である 正しい判断が必要であり、信ずる人から指導を受けよ。

 私はこんな指導をさせてもらった。成った事はどうにもなりません。円満なる解決の方法は、どんな理由があろう

と「相手を悪く見ない事、どんな理屈があっても怒らぬ事」 この処置が立派であれば「雨降って地固まる」の

諺の如く金銭にかかわらず嬉しい結果となります、と冒頭申して次に話を進めました。

 「責任を他に転嫁せず、潔く責任を取りなさい。まず精神誠意亡くなったご家族に対し足を運び、精一杯尽くしな

さい。次になぜこんな大事故が起きたかの原因を知ることです。長年老人ぼけで寝ていた母の一周忌の法要を目

前に控えての事故、ここに今日の事故の原因があります。

 どこの家庭でも親が亡くなって三年の内に、存命中しっかり親に尽くしてあれば嬉しい事が起きてきますが、逆

の不幸が起きるのであれば孝行が出来てなく徳を削った結果である事を知らねばなりません。

 夫婦が頭をさげて涙ぐんで言われた「表面はボケた母に尽くして居りましたが、心では余りにも看護がつらいの

で、どれ程か死んでもらいたいと思いました」

 大恩ある親に対する考え間違いの種まきが、今他人の老婆をひき殺したのですよ、今からでも遅くない、心から

懺悔し罪障消滅の供養をし、亡き親に不幸を詫び、今日から心を入れ変えることを誓って真剣に拝みなさい」と申

しました。

 この非常時に一家こぞって父を救いたいと大団結され、奥さんはどん底の心境から立ち起り、身をもって徳を積

み、はた目から見ても涙ぐましい精進でした。しかし交通事故の裁判は厳しい。法廷弁護曰く「あなたは今日まで

何十年間無事故無違反の誠実さは認める。しかし現代の交通事故の裁判は厳しいから交通刑務所行きを覚悟し

てほしい」と予告された。!!万事休す!!

 裁判の結果は、「情状酌量」一年の禁固刑、三年の執行猶予と言い渡されたのであります。地獄に仏とはこの

ことで、この大難から、教えがあったればこそ、ご家庭は筋金入りの信仰者になられ、子供さん三人がたのもしく

家庭を守り成長される嬉しい結果が出たのであります。 「台風一過秋晴れ来る」

 

 

殿様商法では儲け出せぬ

 売ってやる、買ってやる、配達してやる等の殿様根性で儲け出した商人は一人もいない。

 昔は「士農工商」と言って商人は卑しいものとされ、一番位も下とされていた。しかし一番下であった商人が実は

幕府を動かす財源を握っていた。現在の社会でも同じことで、国の財源は財閥が握っている。

 どこに商人の偉大さがあるのか

 それは商人根性が自然の哲理(真理)に叶っているからだ。儲ける事、金を貯めるのが主眼の商人は最低の人

物であってこれを見習ってはならぬ。

 真の商人は、頭が低い、よく動き働く、五臓六腑を引き裂かれるような不利な商談でも、涙をのんでありがとう

御座いますと低姿勢で受け止め、堪忍強く粘り抜く、この根性、姿勢が金を生み出し、金が集まってくるのである。

政治家も宗教家も教育者も官吏等すべての人が「実れば実るほど頭を下げる稲穂」の如く、心することが大切で

ある。

 

 福の神と貧乏神は兄弟であって、貧乏神を追い出せば、福の神も一緒に出ていってしまいます。貧乏神の客を

追い出すより欲深い自分の貧乏根性を追い出すことです。

 良い種は忘れた頃に実って来るものです。逆に悪い種も同じく生えて来ます。

 新聞折込の宣伝や野立の看板の宣伝より温かい心の情が人の口から口へ伝わる信用は計り知れぬものがあ

ります。良いことはすぐに実行に移しなさい。三年も努力したら必ず大成功します。

 

 

晩婚あれこれ

 四十歳近くになっても結婚がまとまらない息子をもった母の嘆きの相談!!

 「単刀直入お尋ねします。お母さん、あなたの結婚生活は喜べますか。夫婦生活は尊敬と信頼でつながってお

りますか」

 「先生、私は再婚であります。最初の夫は道楽者で箸にも棒にもかからず、引き止める夫を振り切り逃げて帰り

ました。今の夫は真面目一筋ですが迫力もなく頼りになりません。夫婦とは名ばかりで喜ぶことは一つもありませ

ん」

 「奥さん、親の道は子が通ると教えでは言いますが、あなたは結婚なんかするものではないと考えた胎教中出

来たのが今の息子さんではありませんか。親孝行の息子はあなたの胎教中の考えをしっかり守って結婚しようと

も考えず晩婚になったのです。この考えの間違いが今あなたの苦しみになっているのです。一度ならず二度まで

夫を嫌い続けたこの罪と、離婚再婚と渡り続けた娘のあなたの不平不満の姿を見て故人となられた御両親は死

んでも死にきれず嘆かれたでしょう。

 親不幸の穴、夫を嫌い続けた穴をしっかり埋めなければたとえ早く息子が結婚していても親の道を子が通って

再婚となるのです。幸いあなたの息子さんは晩婚でありますが、佛様が結婚する前に早くこの不徳の穴を埋めな

さいとお待ち兼ねですよ」と申しました。

 以後奥さんの猛精進が始まり、山間へき地からでありますがご法を聞き続け、親に対する懺悔と追善の供養を

続け、先夫に対する罪滅しの懺悔、現在の夫への感謝と妻として優しい心掛けは、はた目に見ても涙ぐましい努

力が何年も続いた。あまりにも善行に向かっての変身ぶりに夫も息子もご法を学ぶようになられた。

 精進が実り不思議が起きた。

 過疎地となった田舎には娘さんは一人もいなかった。ある日都会に出ていた村の娘さんがヒョッコリ帰って来て、

とんとん拍子に話が進み、目出度し目出度し結婚が出来、今は三児も授かり平和な生活が続けられ、この老母も

嘆きの問題も解決し、まことに幸せの老後を過ごしておられます。

 

 晩婚の娘さんに朗報

 三十歳近くになったOLにこんな話をした。  

あなたは父親を尊敬できますか - わが家庭を喜べますか - 職場では楽しく働いておりますか - と質問した。

 「先生 - 私は父には尊敬心は持てません。わが家も会社も少しも楽しくありません。だから結婚する気にもな

れません。ましてや兄は結婚するとすぐ別居し兄らしい事は一つもしてくれません。父親の面倒を見ている私はつ

まらない生活です」

 「あなたの考え方は大きな間違いですよ。兄が勝手すも知れないが別居してあなたに親孝行の席を譲ってもらえ

たと喜びなさい。晩婚の娘を持つ親の心を汲んで、優しい言葉から始め財力的にも親に応援する事に命がけで努

力しなさい。あなたに徳がつけば必ず良き夫が授かりますよ」

 

 娘時代苦労したが今は幸せになった方のお話をしましょう。

 両親は身体不自由で収入なく、弟である長男はまだ学生で一家を支えるのはこの娘さんの働く収入だけであっ

た。

 家は貧しくあばら家である。娘さんの願いは、せめて結婚する前に両親に家を建てたいと晴着一枚買わず働き

続け、やっと家を建てる金が出来たのもつかの間、預けてあった親方がこの金を使い込んでしまわれた。

 泣くにも泣けぬこの時、幸せになる娘さんの考えは、すばらしかった。私が身につけた技術は、全部親方のお陰

である。私の金が親方の非常時に使ってもらえばこんな幸せはない、と泣き言一つ言わずせっせと働き続け、一

層両親に尽くし切りました。

 結婚適齢期はどんどん過ぎていった。しかしこの娘さんにはしっかり教えを身につけ、法を信じ先生を信じ、徳を

信じて不動の心で努力し続けられた。

 親孝行に徹して努力する徳は天は見通しで味方した。建築を頼んであった工務店が、有るとき払いで良い、

と家を建ててくれ、願いが叶い新築に両親に住んでもらえた。しばらくたったら、土地付き家持ちの方から縁談が

あり、嫁入道具はすべて友達親戚の情けによって整い立派に結婚が出来、今は幸せ一杯の生活をして居られま

す。何も晩婚だからと心配はない、徳の積める努力を続けて行く事であります。

 

 

 知識があっても知恵がない

 利口そうな顔をした小学一年生の坊やに聞いた。

 「君はどこから来たの」「日本から来た」「毎日何をやっているの」「人間やっている」

 あきれて物が言えぬ。あいた口がふさがらない。こんな子供を育てて、自分の子は利口だと自負する親がある

としたら親の頭がおかしい。これが世にいう教育パパ、教育ママではなかろうか。

 「豊かな日本」の底辺で数多くの人々が、家庭において不安を抱き泣いている問題が山積している。

 年々増加する登校拒否の子供、非行に走る青少年問題、大人の世界に起きる離婚問題と老人をかかえての親

子問題である。

 知識はあっても真の知恵がない結果である

 こんな言葉を言えば親は泣くだろうか、喜ぶだろうか、相手は困るのではなかろうか。こんな行動を起こしたら周

囲どうなるだろうかと「相手を優先する」思いやりの知恵があったら、争いも悲劇も起こらないはずである。

 学歴社会の今日、知識だけが発達し、情けに欠けた人間は、あたかも自動販売機と同じで、便利であっても味

もそっけない。この心に貯まる欲求不満、即ちストレスが、家庭不和を起こし病人を作り、子供の問題を製造して

いるのである。

 鳥は木に住み、魚は水に住み、人は情けの中に住む

 人間としての生活に情けをかけ合う知恵が欠けたら、畜生より愚かな生活に落ちるのである。

 自分中心の知恵は知恵にあらず、欲のかたまりであり、へ理屈であって中味も重味もなく「屁」のようなもので、

害こそあれ益はない。

 真の知恵とは学問にあらず佛知智である。佛智とは思いやりの心であり、相手の立場になって考える佛様の知

恵である。

 佛智を得るには、まず佛縁法縁を深めることである。活字で学んだ佛教では真の深みもなければ人に感動も与

えぬ。

 佛智をもって体験した事は、何者にも通ずる迫力と情熱があり魅力があり人生を改造する底力がある。

 よく怒る人は三歳の童児に等しく、よく愚痴をこぼす人は畜生より愚かであると知って佛道を学ぶことである。

 

 

法は伝えるもの

 総本山におりますと若い商社マンが集金にこられた。あいにく会計係も事務局員も席をはずして私一人である。

 「今会計が出抜けておりますが」と言うと「また来ます」と帰ろうとする。会社名を聞くと市内でも遠くからの集金で

ある。大きな金額であればともかく、聞いてみると五千円足らずの集金である。二度足を運ばせては気の毒と思

い、「私が立替て払いましょう」と言った。

 「すみません」と領収書を出す。五千円札を出すと「お釣りがありません」と言う。止むを得ないので小銭を探して

端数の三円まで払った。

 このまま帰ってもらっては教主会長の使命は果たせぬ。佛様は山川草木にも法を伝えよと申されている。信仰を

する者ましてや先頭に立つ布教師が縁に触れ折に触れ法を伝えぬ様では「坊主の怠慢」である。

 ここで私の説法が始まった。 

 「あなたは会社に勤めて何年かね」「はい、二年ちよっとです」「どんな職業でも無条件で三年は辛抱せねば駄目

ですよ。ところがニ、三年も勤めると会社の内容や人間関係でいやになったり自分の理想と異なる壁にぶつかり、

止めようとする人はこの頃は応々にあります。

 社長やオーナーの立場から見ますと、どんなに役立つ社員でも三年間は会社のプラスになっておりませんよ。

この社員の将来を見込んで損承知で投資をしているのですよ。三年足らずで会社を退職したら会社は大損です。

会社に大損させた者がどこへ転職しても成功する試しはありません。

 君は喜んで働いて居られるでしょうが、若し、ふらふらしているようであったら、しっかり心を決める時ですよ。

会社が気に入らぬと転々と変わる人はわがままであって、ねばりもなければ辛抱する根性もない、丁度豆腐やコ

ンニャクのような腰抜けでありますよ。其の上自分を過信しよく怒る人ですよ。どこかで自分の根性の切り替えを

せぬ限り人生を失敗するものです。

 

 

視野を広めよ

 世界は一つ

 自己中心の考え、即ち目先の欲のみに執われて生活をしていては、このめまぐるしく変わる世界の動きにはつ

いて行けず、取り残されてしまいます。

 非常にはっきりしたのは、全世界の中で民衆の意見を聞かない一方的な権力による政治をやれば、これは長

続きがしない。二番目には民衆の生活を安定させ、豊かな社会を作らなければ、つまり経済がうまくゆかなけれ

ば政治は駄目だ。

 そこで言える事は、民衆の意見を聞いて民衆の意見が繁栄するような政治、そして民衆の生活が安定するよう

な経済の確立を目指さなければ、たとえどの国であれども先行きは暗いのであります。これが現実の世界の動き

であり、真実なのです。

ここにおいて国境を越え、民族差別を超越して世界平和を築くには、政治家も学者も財閥も一般大衆も学問や理

屈理論では解決の糸口は見出せない。国民皆信仰 即ち思いやりの信仰心を起こす以外ありません。

 足元の家庭問題、職場の問題にしても、理屈や理論で解決しようと無理押しの結果、喧嘩となり破壊にと進展

するのである。 ここに信仰的考え「皆さんのおかげで生かされている。何かをもって社会に還元するのが人の道

である」と考えたら、少々部の悪い事でも受けて立つ、平和の為なら耐え忍ぶと言う大きな心、即ち同調する姿勢

がとれるのであります。

 聖徳太子が「教え(信仰心)なき者は禽獣(鳥やけもの)に等しい」と申された。

 まさにその通り。利害相反したら、親子でも殺し合う恐ろしい世相になっている。

 今こそ家庭の隆昌と国の繁栄、延いては世界平和を念じるのが日本人の重大なる役割と自覚したら、宗旨宗

派関係なく協力し同調の歩みを進める時と信じます。

 今燃えずして、いつの日か燃えるのか。ロケットは炭火では飛ばぬ。

 正しい信仰心を養うことこそ急務である。

 

 

まず 足元から

 親ガメがこければ子ガメもこける。

 老人の明るい家庭から頼もしい若者が育つ。

 年寄りはなるべくあっさりとして若い者と一緒に交わり遊んだほうがよい。

 年寄りばかり集まってもロクなことはない。話がどうしてもしめっぽくなる。

 息子は嫁の尻に敷かれている。金がないと嫁にいった娘まで一向寄りつかない。婆さんが寝込んでしまった。

墓を買いにいったら満員で断られた。これでは元気も出ない。

 お迎えは早い遅いはあるにせよ、人間誰にでも必ず来る。こっちが忘れていても、先方は絶対忘れぬ。

 それなら何もこっちから急いで行くことはない。向こうは必ずいつか迎えに来る。

 迎えに来るまでいかにして生きるか。これが問題である。

 ①まず大病をせぬ事 -すべっても転んでも先ず喜ぶこと。病鬼は不平不満の人が大好きだそうだ。

 ②自分の役割に目覚める事

 折角、七十年八十年苦労と戦い抜いた実績し宝を埋もれさせてはもったいない。

 七十歳となると古希の祝いをされ、八十歳ともなると傘寿の祝いとして長寿を祝福される。

 古希とは、子や孫の若者に「こき使ってもらう」年と考えたらどうでしょう。

 長年培ってきた尊い体験、粘り抜いて来た体験を活かして若者達の応援者になるのだと考えるのが七十歳を

迎えた老人の正しい使命である。

 傘寿とは、不平不満の雨にぬれ、生きる希望を失っている若者にしっかりせい、元気を出せと慈悲の傘を与え

るのが傘寿を迎えた長寿者の役目と目覚めたらどうでしょう。

 もらう事ばかり計算する乞食根性を切り替かえ、長寿国日本の老人としての威厳と使命を発揮する事が、

家庭に光を与え将来に向かって走る若者に勇気と活力を植えつける原動力となるのではないだろうか

 過去幾多の苦難にへこたれず今日まで生きながらえて来た日本の長寿者は、そんなに弱い腰抜けではないは

ずである。年と共に自分中心の頑固さを取り除く努力と正しい信仰を身につけるとき、自らも生きる希望が湧き、

若者からも尊敬される人生が送れるのである。

 日本の若者の真底は皆親考行がしたいのである。親孝行のしやすい親になってやるのが親の使命であ

   人生死ぬまで勉強と修行なり

 

 

台風は一瞬に通り抜ける

 若者に告ぐ

 長い人生航路を進むには、台風に一度や二度は遭遇する。例えば親から叱られ、上司からどなられる事がある。

小心者で慢心の者ほど、この時すぐ言い訳をする。すぐ怒り、むくれて返事もしなくなる。これではいくつになって

も人間は出来ぬ。ますます上司から信用を失い重要視されなくなる。

 叱られたとき、どなられた時は無条件で「すみません」「申し訳ありません」と深々と頭をさげる事である。

 どんなに相手が怒っていても、五分か十分しっかり頭を下げていれば台風は頭の上を通り過ぎて行く。

 どうしても話をしたかったら、台風が通り抜け、晴天が来てから、ゆっくり話せば相手に理解してもらえる。

 知恵のない者ほど、いつまでも怒り、人に憎しみをもっている。馬鹿にされたと怒るより、努力して早く立派な人

間になれば誰も馬鹿にしないはず、偉そうな事を言っても、行いが出来ていなければ、ますます人から馬鹿にされ

て当然である。金で困る人ほど身分不相応な生活をし、贅沢な物を身につけ、贅沢な遊びにとび廻っている。

 これにいつ気がつくか。いつ訂正出切るかが問題である。出来の悪い者ほど、自分の欠点を直そうと努力せず、

人ばかりを悪く見ている。この考えがいつまでも通ると思って横着をかまえて独走すれば、いずれ大自然から鉄鎚

が下される。

 これが病気であり、交通事故であり、定職につけぬ答えである。

 誰よりも立派になろうと望むなら、人より百倍の汗を流し努力せよ、必ず人から見上げられる人物に当選する。

 これが佛様の教えである。

 

 

こんな考えもある

 正直者は馬鹿を見る」悪い奴がのさばってこれでよいかと新聞やテレビのニュースから矛盾を感じ怒っている

人が多い。どんな理由にしても怒っては駄目、怒っておれば頭の線は切れますよ、口はもつれ半身不随になりま

すよ。怒って働くなら怒らず寝ていた方が罪を作らずましである。

 では何でもだまって見逃すのかと質問したくなる。いやいやそうではありません。すべて訪れた来た事を「良きに

悟る」訓練(修行)が身についていれば腹の立つ事、怒れることはなく、健康が保て、病人なら全快する事間違い

ありません。

 正直な人でも、視野の狭い人は幸福になれない。

 明るい生活をさせてもらっている私達の裏側には暗黒の生活におびえ苦しんで見える方がある事を知れば、何

をさておいても救済の手を差し出すのが人としての道であり、徳積みのチャンスと考えます。

 視野の広い考えをもって日々起こりくる諸問題に取り組まぬ限り、正直であっても自殺行為に等しい結果を招く

事を知るべきである。

 「如来の知見は、広大深遠である」と佛様は申されております。言い換えますと、「佛様の考えは、広くて大きくて、

深くて遠くを見通す」、即ち目先の事に執われず常に相手の立場になって物事を考え行動することが信仰を持つ

人の生き方であります。

 氷山の一角を見て、人を論じてはなりません。相手が悪く見える時は、己の心にも必ず悪心がくすぶっているは

ずである。煩悩というサングラスを外さぬ限り相手を正しく見る事は出来ない。煩悩を取り除くには、先ず良縁佛

縁に近づくのが道であります。

 

 

時代に遅れてならぬ

 地球は狭くなった。!! 東京の朝のニュースが昼にはニューヨークで報道されている。

 急速なる国内の動きに、私達の心がついて行けなかったならば、時代から取り残されてしまう。

 時代の波に乗って行ける人には、常に希望がみなぎり、迫力がある。

 では、今の老人はどうしたらよいのか?

 妙薬、此処にあり

 人間は老いに勝つことはできない。

 しかし、賢く老いることは出来る。

 △七十歳、八十歳の高齢者になっても、積極的に働くようにすればよい。

 △若い人達と交流を盛んにすることが大切

 手取り早いのは、子や孫と一緒に暮らすこと。若者と交流していると、精神年齢や生理年齢も若く保たれる。

大家族の方が、「思い、思われる」という人間らしい情緒が自然と養われる。

 終戦後の日本は、時代遅れとーであると、いたずらに西洋かぶれをして日本古来のすばらしい家族制度まで

根こそぎ捨て去った。この間違いが、青少年の犯罪と、ぐうたらな若者を育ててしまった。

 悲惨な事件であった、埼玉の若者が相次いで幼児殺害を行なった根源は、核家族の日常生活から個室に閉じ

こもり、ビデオにこりかたまった悲劇ではなかろうか?

 老人は可愛い老人になること。すっきり、あっさり、さっぱり、愚痴のない老人こそ国の宝であり、若者を伸ばす

原動力である。

 

 二十一世紀に向かう若者の姿勢

 今のプロ野球には、感心する選手はあっても、感動する選手がいない。だから人気が落ちた。

 欠点に泣く人間では大成しない。己の長所を充分発揮する活躍こそ大衆は、拍手喝采をする。

 「金がない、地位がない」と嘆く若者には明日の栄光はない。若者に金がないのが当たり前。地位がないのが

当たり前。しかし、若き活力と行動力は抜群にある。この埋もれた宝を掘り出し、磨く努力をする若者こそ、将来

の日本を発展させ、世界に貢献する原動力とな。。

 

 

発想の転換

 連日連夜、報道されるテレビニュース、新聞、週刊雑誌の記事は、親子、兄弟の殺人事件、青少年の非行問題

、麻薬、シンナーの乱用、悲惨なる交通事故、政治家・事業家の金にまつわる悪事の数々、有名女優の離婚問

題等・・・・。日本列島は、悪の巣窟ではないかと錯覚する。まして、日本を訪れる外国人には、経済大国とは、表

面であり、野蛮国の印象を深めるのではなかろうか?

 日本はそんな悪い国ではないはずである。マスコミ陣が面白おかしく、箸の如き事件を棒のように報道する。こ

の問題を訂正しない限り日本の向上はない。

 悲惨な事件等は、三面記事として新聞の片隅に小さく報道し、逆に、世の中にも青少年が汗を流し、泥にまみ

れて活躍するボランティアの奉仕活動、事業家が社会に寄進する、善なるニュース、宗教者の人心救済活動等

々を、毎日大きく報道したならば、どんな悪人の心にも己を見直し、良い事をやってみよう!!と、目覚めると思う。

 「朱に交われば赤くなる」の諺の如く、良縁に近づくよう仕向ける事こそ、近代国家の報道関係者の使命ではな

いか。

 ”交通事故”は、今のお役所の考えでは、イタチゴッコで到底解決しない!!

 次のように思い切った発想の転換が実施できたら、どんなにか楽しいことか・・・・。

 ”二十年間、無事故無違反のドライバーは、外車を無償で差し上げる

 としたら・・・・、金のない若者でも、二十年間無事故無違反を通したなら、外車が自分のものになると考えれば、

必ず、スピード違反も、無理な追越しも行なわなくなるでしょう。

 逆に横着な違反を重ねる者には、「三回以上違反すると、永久免許取消し!!」の罰があってもよいと思う。

 「押しても駄目なら引いてみろ」「意見しても駄目なら、相手の求める物を気持ちよく与えてみる」この考え方が生

きた信仰者の生き方である。

 

 生きた体験談

 先日、信者である父親がこんな話をされた。

 「家の次男が、中学、高校当時、学校も行かずに暴走族のようになり、単車を無免許で乗り回る。学校からは再

々呼び出しが来る。補導される。友だちは、同じような子供ばっかり集まってくる。『自動車を買ってくれ』と言うの

で、中古車を与えた。しかし、、三日坊主で次から次へとぶつけてくる。けれども不思議と不死身で人身事故には

なりません。余りの横着なふる舞いに大声で叱ったが、逆効果で益々悪事はエスカレートするばかりでした。

 平素教えを聞いたいた私は、一大発想の転換をする決心をしました。これまで、『どうせぶつけるから、中古車で

よい』と思っていました。ところが、息子から中古車だから少しも喜ばぬ、喜んで乗らないから次から次へと事故を

起こす。どうせ与えるならと、思い切って、当時一番高かった新車を買ってやりました。

 喜んだ息子は、毎日新車を磨き上げて、ニコニコ顔で乗り、事故は全然なくなりました。しかし、二ヶ月も経ちます

と、息子が突然、『新車を売って単車にする』と、言い出しました。息子が言うには、『僕の友達は悪友ばかりで、毎

日新車を借りに来る。貸すと、泥だらけで戻ってくる上に、ガソリン代は一銭も払ってくれない。これではやってゆけ

ない新車があるばかりに俺は苦しい』と、自ら悟ったのか、自覚したのか、未練もなく手放しました。

 これがきっかけで、次男は真面目になり、平和な生活に落ち着きました。

 どうせ買ってやるならと、気持ちよく与える発想の転換をした事が、こんな嬉しい結果になりました。

 これも、先生から教えられた生きた佛教の真髄であったと、心より喜んで居ます」とのお話でした。

 交通安全は、車の安全ばかりを考えるのは教えが浅いのです。

 『カッとする心の動きが事故の本

 という標語がありますが、日々職場や家庭に於ける人間の交わりに怒りを含めたり、争いを起こすこの行動が

積もり積もって、外へ出た時事故を起こす事を知らねばなりません。

 いかなる神社仏閣の交通安全のお守りや、ステッカーを貼っても、人と人との交わりを上手にしなければ、お守

りとて効果はありません。

 乗車する時、下りる時、両手を合わせて、車に乗れる幸せ、用事を終えて帰れた感謝の合掌する心豊かな人に

、争いも、トラブルも起こりません。信仰は、信じ念じ行動する真剣なる行動に、神仏の守護があるのです。

 

 

佛智に勝る知恵はない

 人生ゼロから出発すれば、恐いものはない。蛇が脱皮して大きくなるように、私欲を捨てれば、煩悩の曇も去り、

身も心もすがすがしく蘇る。

 なまじっか、物が増え、金が出来、新築の家が建ち、ほっとした頃、金では解決出来ぬ問題が起きたり、思わぬ

大病の襲来で生きる希望をなくしている人はありませんか。

 何等の効果もなく、親からもらう財産の分け分を当てにして、兄弟喧嘩したり、裁判で争っている人はありません

か。 もし自力を出さずして、他力のみを求めている人があるとしたら、こんな怠け者はありません。

 怠け者に立候補すれば、早晩幸せから落選するのは、火を見るより明らかである。

 勉強せずして得た学歴は、何の力もありません。大学は出たけれど、会社では認められず、人から馬鹿にされ、

希望もなく、日暮れ腹へりの生活に、悶々とした生活をしている人はあれませんか?

 学歴の旗をふらなければ生きられぬ人間ほど、弱いものはありません。立身出生した時、初めて学歴が光るの

であり、世の中には学歴があるばかりに、恥ずかしい人生を歩み続けている人もあるのです。

 学歴のある人が、案外不幸の道を走り、世を嘆いているのは何故か? 理屈や理論に走る人は、利口そうに見

えても実際肌で感じ体験や、経験がないため、空廻りの人生であるので、魅力もなければ説得力もないのです。

 事ある毎に、自分の今日までの歩みはどうであったかを、正しい教えの鏡に照らして見る必要があります。

 唯、忙しい、忙しいと、駒の舞い倒れになってはならぬ。感謝報恩の心がない限り、人生に進歩はあり得ない。

 徳器を成就すればすべてを受け入れる事が出来ます。常に「ハートクリーニング(心の洗濯)」を怠らぬ事であり

ます。

 どんな真面目な人でも宗教心がなかったら、我流に走り一旦非常時が訪れたら、動揺し、落胆し、人生航路を狂

わせてしまう。その点平素から鍛え修養を重ねている人は、苦難に遭遇すればするほど、沈着冷静、この苦難を

乗り越える発想の転換、徳を以て事を乗り越える知恵が湧く。

 ”徳を積めば物は自由になるものを 徳も積まずに困る世の人” この真理が理解できれば、渡る世間は平穏無

事である。

 

 

決死に取り組め

 借金したら日掛けで返す根性が必要である。たまったらまとめて返す根性では借金など返せるものでない。

 入院したら、すぐ退院する事を考えるのが健康になる秘訣であり、この根性がなくて病気は治らぬ。

 丈夫になる迄病院に居ると考えていたら、知らぬ間に病人臭くなり、歩行まで元気がなくなる。

 病院は治りかけたら、退院して健康人の仲間に飛び込むのが全快の道である。

 物事は必死で取り組んでいる内は正しい答えは出ない。決死の心で取り組めば必ず解決する

 病人を看護する時も、看護人が決死の心で看護すれば、この真心は病人に伝わり、病人は喜びを味わい全快

に向かうものである。

 私達信仰する者が念仏を唱えたり、お題目を唱えていても口先であったり、慣れで唱えている事はありませんか。

 佛作って魂入れずの信仰では、人はついて来ません。

 折角信仰しながら家族の者が見向きもしないで、行動を共にしてくれぬのはなぜか。

 理屈理論を知っても、教えの逆な行をしていては、家族は誰も賛同はしないものである。家族の賛同協力のない

のは己の信仰が我流である事に気づかなくてはならぬ。

 自分の気に入る事は聞き、自分の意に添わぬ事は聞かぬというような勝って気ままな考えは、我がまま信仰で

あって誰も尊敬はしてくれません。信仰には行がつきものであって、行なくば道徳であって神佛の守護はありませ

ん。

 

 

驥尾(きび)に付す

 蝿は数メートルしか飛べないが、千里も走るような名馬の尾(驥尾)につかまれば、一緒になって一日に千里を

走ることが出来る。

 成功者は本人の才能、努力のほかこれをやっている。

 これとは何か。

 良き師(名馬)に付き従うことである。

 ○人生に信ずる師を持て(三十年かかっても良き師を選べ)

 ○弟子となったら、師の言を率直に鵜呑みにせよ。

 ○師の為なら火の中、水の中にも飛び込む心を養え。

 人生を歩むに信ずる師を持てる人は何よりの宝を得たると同じ幸せ者である。

 人生に師を持たぬ人は、あたかもハンドルのない自動車に乗ったようで、どこで衝突するかもわからない。

 一番恐ろしいのは、師を持たず自分先生になった時である。指導も受けず添削もう受けず我流で走り始めたら、

坂道を転がる石のように転落の一途をたどることになる。

 

今日会長として活躍させて戴いている私の実話を申します。

 「私は二十五歳にして人生の行き詰まりを生じた。再起不能とも言われる結核患者となり青年としての体力の自

信をなくした。其の上、家は経済的困窮に陥った。重ねて私には学歴がないという三拍子揃っての最悪条件の持

ち主であった。

 三方塞がりで手も足も出ない。しかし人間には何か一つは取り得があるはず・・・・・

 負けず嫌いの性格の私には「学力」即ち「学びとろう」、人には負けたくない根性だけはあった。

 しかし、いくら根性はあっても世渡りの泳法を知らぬ私はもがけばもがく程、泥沼に落ち込むばかり・・・・・

 ある日、切なる母の勧めで始めて法縁に接し、法華経を説かれる良師にめぐり会うことが出来た。この機縁が

今日の私の育ったチャンスであった。

 先生の言われるには「あなたは、人一倍努力され、仕事もよくやられたが、人一倍よく怒る人ではありませんか。

よく怒る人は脳膜炎以下の知恵ですよ。よく怒る人は病気も治りませんし、経済も楽にもなりませんよ。何をやっ

ても駄目です」

 やさしい説法も私の胸にはずばりと刺さり込み、今日までの私のうぬぼれた心に大鉄槌を下されました。

 人生の師はこの先生であると心に決め、以後二十七年死に物狂いで名馬の尾に付いて来ました。

 第一の師は五十八歳の若さで他界されました。

 次いで尊敬する第ニの師は、幸いにも第一の師の師匠であった関係、孫弟子という格好でストレートに師事し

ました。尊敬する第ニの師の指導で教団を立教し、今日の活躍になりました。

 第ニの師に従う事十五年、第ニの師は八十歳をもって天寿を全うされました。

 次にありがたい事に間髪を入れず第三の師にご縁を頂きました。

 第一の名馬、第ニの名馬、第三の名馬の有徳の駿馬の尾に付いたおかげで千里の道を走り、広く万民救済、

世界平和の旗をかかげ、宗教協力の道に協力し、国外まで平和の舞台を歩ませて頂く果報者となりました。

 

 

鋭利な刃物を鈍く使うのが人生の達人

 佛教は人生の道しるべ

 聡明な相貌の中年婦人の相談!

 「先生、私は結婚間もなく主人の大病で十年余り看病しました。其の間狂暴な主人の振る舞いにふり廻され、

溺れるもの藁をもつかむ気持ちでした。

 人がよいと進めて下さる事は、北は北海道から南は九州の端まで、あらゆる信仰をして参りました。

 どんなに願っても拝んでもご利益がなく、信仰疲れで。ある日ぷっつり信仰の糸は切れてしまいました。

 主人とは離婚し三人の子の母として今日まで頑張って来ました。

 ところが頼りにする長男(高校生)が突然登校拒否を始め、何ともならず第ニの地獄となり、生きる気力もなくなり

私がぶっ倒れてしまいました。

 心配して里の母が駆けつけて来て、金色に輝く素晴らしい観音様が建ったからお参りしようと進めてくれました。

 信仰の糸が切れた私、信仰は二度としまいとち心に決めておりましたが、何か不思議と引き寄せられる魅力が

心に湧き出てやって来ました。どうぞよろしく」との挨拶です。

 単刀直入私はこんな話を始めました。

 「信仰にも色々あります。自分中心の頼み信仰は、幼稚園、小学校の段階であって、やがて願いが叶いませんと

信仰疲れをし、行き詰ってしまいます。

 人生はキャッチボール

 優しさが欲しいなら優しさを投げよう。愛が欲しいなら愛を施そう。強く投げれば強くかえってくる。

 「ありがとう」「すみません」が飛びかうところには争いも憎しみもなく、微笑みが絶えません。

 人の為に誰かの為に汗の流せる信仰こそ、お釈迦様のお望みの妙法の信仰です。

 「折角努力されたあなたの信仰は、小学校の段階で止まっていたのです。一歩前進、脱皮して人の幸せを祈り願

う中学、高校の段階に進まねばなりません。

 いかなる理由があっても、離婚した不幸な主人の幸せを願い祈るのが正しい信仰のあり方であります。

 人の為に尽くし切る信仰には、行き詰まりはありません。

 「鋭利な刃物は、鈍く使うよう、これが人生の達人です。あなたは人一倍仕事も出来、頑張り屋である。目から

鼻にぬける才女と私は思います。」

 よく切れる名刀は、よい鞘におさまっている

 「あなたは、折角のすばらしく切れる名刀で、夫や子供の心を傷つけてこられたのではないでしょうか」

 初めて、正しく生きる人の道がわかったのでしょう。

 「先生、今日までの私の信仰生活は間違っておりました。何か胸のつかえが取れたようです。」

 と来山された時の暗い顔色に明るさが差し込んできて帰っていかれました。

 観音様のご利益

 翌日からこの奥さんの真剣なる観音様への日参が始まりました。

 聞いてみました。

 「奥さん、何を祈願しておられますか。」

 「先生のお話を聞いてから、別れた主人の健康と幸せを、心から観音様に祈願しております。」との返事が返って

きた。

 一週間後、お友達を連れて、私に面接を求められた。

 「先生、すっかり心の曇りがとれ、職場へ行くのも楽しくなりました。」

 「嬉しいことに、あれ程拒否しておりました息子が、自分から進んで、とりあえず二日学校へ行ってくれました。

 その上、子供に対する母の愛情は何か、はっきり自覚出来ました。

 鋭利な刃物で子供を責めていたのです。

 『うるさい、ババア』と口汚くののしっていた中学の娘が『お母さん・・・・・・』とびっくりする言葉使いに変って参りま

した。

 こんな明るい家庭は初めてです。余りにも嬉しかったので早速友達にも話しをして、お連れしました。」

 と初心随喜の功徳をもらわれたのです。

 観音様の御心である”慈悲廣大”の考え、すべての人を救いたいの気持ちを即実行に移されたご婦人には、金

色の輝きが家庭に満ちてきたのです。

 

 

夢をもて

 夢(希望)のない人生は、あたかも墓場に住すると同じで自分も嫌になり、まして周囲に与える暗いイメージは、

バイ菌と同じで蔓延する。

 「無気力、無感動は人間のくずである」 

 「病気や貧乏神は、暗いジメジメした根性の処、不平不満の多い家庭が一番住みよいらしい」

 「病気は気から」と昔から言われますが、「私の病気はもう治らぬ」と決め込んでいる人では、どんなに病院通い

をしても良薬、新薬を飲んでも治らない。

 少々重病であっても「必ず治ってみせる」「死んでなるものか」と希望に燃える気力のある人には病気の方が退

散する。

 もう一つ大きな夢を抱き実行すれば完全に全快出切る。

 「死んだつもりで、世の為人の為に役立とう」と私欲を捨てた考えには、心の明るさが芽生え、医学的に言えば、

喜びの血液が活動を始め、自然に健康になり活力が湧いて来る。

 

 

教えによって大病克服

 突然医者から手術を宣告された中年婦人があった。一瞬は目の前が真っ黒になった。しかしこの婦人には永年

信じ精進されて来た妙法の教えがあり、信ずる教えの師があった。

 悪い処があれば取り除いて、喜んで人の為 法の為に生涯尽くすのだと堅い信念をもって手術された。手術は大

成功、今は手術前より健康となられ、第一線に立って布教活動に日夜奔走され徳を積み続けておられる。徳がすべ

てを優先する事がわかれば、人生は大安心である。

 

 

収入に応じた働きは出来ているか

 金がない、月給が安いと文句を言う前に、今日まで月給に応じた働きが出来ていたか、過去を反省するのが正し

い自己採点である。

 もし年の数より少ない収入であるとしたら、過去の務めは怠けていたか、不平不満の働きであったか、どちらかで

ある。

 逆に年齢以上の月給がもらえる人は、過去の功績のあった人でしょう。

 しかし過去の功績もなく、時の流れ、学歴だけで多額にもらっている人があるとしたらこれは危険!

 余程喜ぶか施しの心がない限り、或日突然何が起きるかわからない。

 今日の仕事を喜ぶ人は、今は金がなくとも健康に恵まれ家庭は円満である。

 施し心ある人は長者であり、施し心のない人は貧者である

 骨身惜しまず働いた金を自分の幸せのみに使うのではなく、少しでも困っている人に恵み、良田を見つけて金の

種を蒔けば、必ず時をへて金の実が稔るのである。これが金を増やす秘訣であり、収入に応じた働きである。

 

 

見事結婚にゴールイン

 大学院を卒業し、経理事務所に務める青年があった。仕事はばりばり出きるが四十歳近くになっても、結婚相手

がないと嘆く彼にこんな話をさせてもらった。

 「あなたは親に食費を出しておりますか」

 「月給が安いので、食費を出すどころか、煙草銭を親からもらっております」と平然と言われるには、呆れかえった。

 「中学生、高校生なら収入はありませんから食費は出せないのは当然です。

 いやしくも社会人となり月給をもらうようになったら、食費位親に出すのは当然ではありませんか。

 無銭飲食しておれば、やがて逮捕ですよ。自分中心の考えでは幼児と同じではありませんか。精神年齢が幼児

並みでは天はあなたに結婚相手を与えませんよ」と申しました。

 びっくりした彼は、初めて自分の愚かさと学歴の上にあぐらをかいていた幼稚さに気がついたのです。

 安月給から、しぼり出して食費を親に出すようになり、人生の道しるべである教えを真剣に学ぶようになり、日常

の私生活が一人前の成人となったのです。

 身に徳がついたのでしょう、一年も経ちますと、降って湧いたような大学出の女性が現れ、とんとん拍子に話が

決まり結婚され、今は幸せな家庭が築かれたのです。

 若き時か、中年か老年でも良い、人間として正しい生き方に目覚めた時、運命が変るのである。

 我流の人生を歩む程、危険な事はない。

 

 

家庭教育      

 子育ては忍辱行(堪忍)

 「人のために生きなければ決して幸福になれない」ことを、しっかりと身につけさせるのが家庭教育の要である。

 これは一度や二度言い聞かせるだけで教えられるものではありません。子供は口で教えようとすることより、親

が毎日言ったりやったりすることを見ていて自分の生き方を選んでいくものです。つまり親の精進なくしては子供

の躾はできないものです。

 昔から”三つ子の魂百まで”とか”鉄は熱いうちに打て”とか言われますが、お互い人間が一人前の立派な人間

として成長していくためには、生まれてから大人になるまでに、人間として大切なことを、しっかり躾けられ教えら

れるということが、どうしても必要です。

 人間としての行き方というものは、誰からも導かれずして自然に養われるというものではありません。

 どのような偉人であろうと、やはり子供のうちに、人間として正しい方向づけがなされる必要があるわけです。

 そうした子供たちに対する方向づけというものは、広くはその時々に生きる大人全体が果たすべき役割であり

責任であると言えましょう。

 特に家庭における親の責任は重大であります。可愛いがため、物を与え学歴確保を望み、有名校に入れ、一流

企業に就職させたのが、子供の幸せを考える親の常識が狂っていることに気がつかねばなりません。

 子供の教育は難しいからと言って、幼稚園や小学校、中学校の先生任せにして、金、金と金ばかりに走ったり、

優雅な生活に憧れ、身分不相応な生活に浮き足立って、子供に何一つ正しい躾も教えていない家庭から、どんな

子供が成長するでしょうか。

 親としての願いは、男子なれば、たくましく頼もしい子供に-女子なれば、優しく率直な子供に育つようにと、雛人

形を飾り、鯉のぼりを立てた希望も空しく、子供が中高生ともなれば、親の願望とは裏腹に言動や行動を見るにつ

け、人には言うに言われず悩み、解決の糸口すら見出せず、苦しんでいる親があるとしたら原因はどこにあるのか。

 子供教育は手抜きをしたつけが今廻って来ているのです。又 逆に親の誇りとし、自慢の子供がある日突然「魔

さか」と言う事故事件に巻き込まれ、親の夢は一瞬にして消え去り生きる薨のように意気消沈している親はありま

せんか。

 どこかが狂っていた。自分の歩んで来た道の狂いを正しく知れば「ああ、なるほど」蒔いた種が今生えたのだ、誰

の責任でもない、親の、自分の、我流の歩みのわだちに落ち込んだのだ。

 「困る者の罪、苦しむ者の業である」と悟れば、不徳の穴は埋めねばならぬと勇気が出るでしょう。

 「製品の悪いのは製造元の責任」この金言の鏡に自分の姿を写して見ましょう。

 ①親孝行は出来ていたか

 親を泣かせ困らせた事はなかったか、親を親とも思わず軽蔑した生活はしていないか。「親の道し子が通る」も

し過去か現在、この様な道が渡ってあるとしたら利息がついて親不幸の子供が成長して当然であります。

②夫婦は円満でしょうか

 夫は妻をいたわり、妻は夫に従う。この親の円満な後姿を見て子供は安心して成長するのです。

 しかしこの逆で、夫婦とは名ばかりで不平不満の家庭であれば、この空気を吸った子供がプロパンガスの爆発

同じで、病気になるか非行少年にでもなって爆発するのみ当然でしょう。

③良田に種を蒔く、施しの徳は積んでありますか

 家を建て、預金をして地位を確保するのに精一杯の生活は外形はよくても、中味の心に感謝報恩のない生活で

は性質の良い子供は成長せず、わがまま一杯で、親の意見にも従わぬ子供となっても誰に文句も言えません。

 もしこの枠に入っていた人は、直ちに軌道修正をし、今までの不徳の穴埋め即ち徳積みに全力投球いる努力を

すれば、必ず子供は立ち直り、大安心の生活が出来るのです。

 

 立派に立ち直り成人となった実例

●父一人娘一人の家庭の淋しさで、ぐれかけた女子中学生があった。両親は離婚と言う夫婦不仲の環境に育った

娘に対しこの父は、我流で走って来た自分の愚かさを教えによって、百八十度切り変え、はた目から見ても涙ぐまし

い精進をされた。今はこの娘さんも社会人となって父と平和な生活をつれている。

●真面目な両親の間に育った一人息子が高校進学直前より家庭内暴力を振い始め、途方に暮れて教えを学ばれ

た。親の自分達の親不孝の結果、吾が子で苦しむ事を悟り、死に物狂いの精進、徳積みの結果、見事大学も卒業

させ、今は立派な社会人となり、この六月めでたく結婚される事になった。

●登校拒否の中学生、シンナー遊びに狂った高校生も見事立ち直りたくましい高校生となり、かたや社会人となっ

た。

親が変れば子供は変る。今からでも遅くない、法を聞いて下さい。見事解決の道をお伝えします。

 

 

正法(宗教心)学ばずして平和は築けぬ

 「火の気のない処から煙は立たぬ」もしも狭い本土に大天災が起きたら、日本列島は分断し、壊滅すると言っても

過言ではない。

 事が起きてから血迷っては遅い。

 かつて昔、日蓮上人が「立正安国論」を説かれた。

 「上乱れれば下乱れる。内憂外患(国家等の内部の憂いが多くなると外患(外敵)が現れるの意)、国に正法(宗

教心)が行なわれなければ三災七難訪れる。」

 まさにこの言葉通り、上、政界、経済界は乱れに乱れ、下、国民は豊かな生活の中に、不平不満、感謝報恩のな

い生活が当たり前となって、徳を削り続けているのが現状でしょう。まさしく因果関係から「三災七難」即ち天災が起

きるのも不思議でない。

 天災は「天(大自然)」からの戒めの鉄槌であると受け止める。

 天災の起きるのは人災(人間の怒り、不満)が原因と正しい悟り自覚したら、今からで遅くはない、責任は我々一

人一人であると心を切り替え、共に生きる心になれる事が、人災を未然に防ぐ最短の道であり急務である。

 世界の平和、国の安泰、国民の幸せを真に願うのであれば、今こそ「国民皆信仰」人間生活の基本に宗教性、信

仰心の必要を声を大にして訴えるのである。

       

 

生かしてこそ生かされる

 あるところに兄弟がおりました。ある時二人で旅をしている途中で、金の延べ板を拾い二人で分け、その後離れ離

れに暮らして三十年後再会します。

 兄は拾った金の延べ板を売って塩を買い、その塩を売った利益で綿を買いました。その綿を売って麻糸を買い、そ

れを売って米、野菜、魚等を買い、かくして各地に大きな店を開き、三百人の使用人を使う大商人となりました。

弟は、人に盗まれることを恐れて、金の延べ板を十重に包んで朝夕肌身離さず持ち歩き、人に知られることを恐れ、

妻も持たず独り身を通して、わざと破れた着物を着て生活していました。

 三十年ぶりに再会して交わす会話・・・・・・

弟「兄さん、拾った金の延べ板は今ありますか・・・・・」

兄「三十年前、お前と別れて間もなく、あの金の延べ板は失くしたよ」

弟「兄さんは金の延べ板を失い、私は金の延べ板を守りました。失った兄さんは偉くなり、守った私は落ちぶれてし

まいました。私が必死で守っているように見えたのは、実は久しく物を捨て、使わずして物を殺していたのです。」

と声をあげて泣いたと言います。

 佛教では「殺生すべからず」と教えていますが、凡夫の考えるような浅い意味ではありません。

 知恵も体も財も、天からの預かりものであって、正しく人の為、世の為に生かして使ってこそ、すべてが成佛すると

教えているのが正法であります。

 応々にして「宝の持ち腐り」になっている事に気付かず、なぜ真面目に働いているのに、自分の運命は良くならな

いと嘆き、悲しんでいる人が多いように身受けます。

 例えば、先祖から譲られた田地、田畑を持ち続けるのが親に対する孝養と考えている人はありませんか。

 私利私欲、貪りに使い果たす事は断じて慎まねばなりませんが、一旦緩急、兄弟身内の非常時に、又村や地域

発展の為、田地、田畑を手離し生かして使う事がなぜ先祖に申し訳ないのでしょうか。

 使う事によって兄弟の和が出来、手離す事によって社会が良くなるのであれば、先祖は拍手喝采どんなにお喜び

になることか。

 知恵ある者が、その得難い知恵を人の為に、会社の為に出し切ったら、どれだけ人を救い会社を隆盛させること

か。

 以外と知恵や学歴のある人は、理屈や理論に走り、徳を積む事を知らぬがため人気も集まらず孤独の生活に陥り、

足元の家族からも嫌われている人が多い。

 体力ある者は、このすばらしい体力を汗を流して使ったら如何でしょう。きっとあなたの働きは信頼の度を深める

事は計り知れません。

 人生とは、人が生きると考える人、或いは人を生かすと考える人、前者をとるか後者をとるかで、月とスッポンほ

ど答えは違ってくる。

 先ず自分が生きるだけに生活するのであれば、畜生と何等変らない。人を生かし、物を生かし、知恵を生かそう

と心掛ける人は常に若々しく活動的であり、迫力がみなぎり、生き生きとした人生が毎日歩めるのであります。

 自分が可愛いと考える利己主義を脱皮するには、正法(正しい宗教心)を学ぶ以外、己の心を訂正、浄化する事

は出来ません。

 

 

商人の儲ける秘訣

 新しい発想でスタートした若きオーナーが、経営不振で頭を悩まし相談に来られた。

 私は単刀直入こんな話を始めた。

 「商人として儲ける事、算盤勘定を優先に考えて成功した人はありません。

人生には人道があり、商人には商道があります。あなたの今日の経営不振の原因は、儲ける事ばかりを先にした

考えの間違いを訂正しない限り、解決策はありません。

 儲け出す秘訣は簡単です。

 ● お客様の身(立場)になって動く事

 ● 薄利多売、利(儲け)を少なくする事

 ● 頭は低く、挨拶は明るくする事

 ● 行動力を持って客に接する事

 お客様の喜びをもって」「わが喜びとする」考えを持続し努力するオーナーであり店の方針であったら、必ず儲

け出せます。

 どんなに発想がよかっても、根本の考え方が間違っていては、泥沼に落ち込むばかりです。

 昔からの格言に「読み、書き、算盤」とあります。

 読むとは・・・・・お客様の立場を読み取る

 書くとは・・・・・・実行すること

 さすれば、そろばん(り)が会いますと教えているのです。

 案外この真理の逆を正しいと錯誤して、突っ走っている人が多いのが現在の経営者であり、若いオーナーの常識

であるようです。

直ちに切り変えなさい。三年間は死に物狂いで頑張りなさい。必ず上昇気流に乗れましょう。

 

    

 不動産屋の社長さんの喜びの声

 「先生、バブル崩壊後、私達の業界も不況風が吹いておりますが、お陰様で私の店は、次から次へと仕事がまと

まり順調であります。

 先生が、お客様の立場になって商売しなさい。徳を積むことを忘れなさるなと、教えられた事を心から守って来まし

た。不思議と事業は伸び喜んでおります。

 学生がアパートを探してよく来店します。私は学生にこんな話をするんです。

 親の仕送りで大学へ来ているんだから、贅沢なアパート住まいをするなよ、少し位辛抱して親の事も考えよと言っ

てやります。

 こんな事が徳を積めるのか、次から次へと入居者の申し込みがあります。

 一般の人で不動産を求める人には、利を少なくして相手の立場になって親切に話を進めておりますと、これまた不

況に関係なく、取引がまとまり喜んでおります。これも先生から教えられた法のお陰です」と大変喜んでの報告です。

 教えは率直に聞かねばならぬ。

 どんなに利口な人も我流の人生の壁にぶつかる時が来る。尊い佛の教えの鏡に自分を写して努力すれば、いか

なる事にぶつかっても動揺のない人生が歩めるのである。

 

 

人生の師匠を持て

 あなた自身の人生の師匠を見つけなければなりません。今のあなたに欠けているのは、人生の師匠です。

 人生の師匠を持たずに未知の人生を歩く。それは未知の山を登るのに必要な地図を持たずに入山するに等しく、

無謀だと誰でも知っています。

 そんなことが分かっているのに、未だに師匠を持たずに生きている人が多い。人生というものを、甘く見ているの

ではありませんか。

 どう生きるか、まず、人生の師匠を持つ。そして、師匠から人生のテーマを与えてもらう - これでいい。

 テーマが与えられたら前向きになります。そうして、師匠に自分自身を整えてもらいつつ生きる。

 そうすれば一生懸命生きられますよ、と説いたのが実は釈迦の佛教なのです。

 師匠を得たら、すべてを打ち明けて裸でぶつかれ。時に応じ添削を率直に受ける姿勢が師に対する礼儀である。

 礼を尽くし、求道心の情熱に燃えてこそ師力を得るのである。社交上の師ではなく、人生の師を選ぶことが大切

である。

 

 

不況なんのその

 日本経済は下り坂、あらゆる企業は赤信号。国民の私生活にも、こがらしが吹きつける日々。

 経営改革とか行政改革とか鳴り物入りで誇大に宣伝して仰々しく行なうことではない。

 地道にコツコツとその当事者が、自分たちの生活が成り立たせてくれている人々のため、誠心誠意で行うべき日

常業務のはずである。

 それぞれの職場において、そこの成員が、討論と合意によって案を生み、より良い方法を、日常業務として実現し

ていくことがも真の経営改革なのだ。行政改革なのだ。

 改革の根本はも優しさといたわり、思いやりが欠けていては、改革も経済の立て直しも出来ぬはず!

 

この不況時に大繁盛の店がある

 六十歳を超えた夫婦で経営されている精肉店の話!

 近所には大きなスーパーが何軒も出来、普通常識で考えれば、この小さな店の客はスーパーへ吸い込まれるは

ずである。

 ところがこのお店は逆に客足が増えて、てんてこ舞いの忙しさ、どこに繁盛の秘訣があるのか。

 この店の奥さんがこんな話をされるのです。

 「先生、近所に何軒も立派なスーパーが出来、普通なれば客はどんどん減り、小さな小売店は成り立たないので

すが、お陰様で私の店は逆に客足が増え、嬉しい悲鳴です。これも信仰させて頂き、佛様のご守護と喜んで居りま

す」

 「それは結構ですね。どんな商売の仕方をしておられますか」

 「はい、私は商売は対面販売が大切と思います」

 「対面販売とは、何のことですか」

 「お客様に一声かける事です。お子様連れの奥様が見えたら、先ずお子様を誉める事です。スーパーでは四百グ

ラムのパック入りの肉で家族が少ないので多すぎると言われるお客様には、気よく何グラムでもご入用の分計りま

すよと、心から声をかけるのです。

 このことがお客様の口から口への口コミで、あそこの肉屋さんし親切よ、便利よと評判がよくなり客が増えておりま

す。自動販売機的の商売のやり方ではお客さんは増えません。一声かける事が対面販売です」

 「なるほど奥さん、すばらしい考えですね」

 「肉の仕入先は、スーパーと同じですが、お客様が皆さんあなたの店の肉はおいしいと誉めて下さるのです。その

秘訣は、お客様の立場、相手様の身になっての実行をしております。

 何とかおいしく食べて頂きたいと常に念じています。お客様のない時間は、お肉をさばきながら、また肉切り包丁を

研ぎながら、どのようにしたらお客様に喜んでもらえるだろうかと、常に努力しているのです」

 「お客様のため、立場を考え、思いやりの心、優しい心には不況も不景気もありません」

 不景気と言って泣くより、自動販売機のような一声かけない商人にならず、便利だからファックスばかりの取引に

ならず、三回に一回位、責任者が顔を出して対面外交をする行動力をしてはみませんか。

 机上でいくら算盤をはじいても、事業の成績は上がらない。汗を流して動く時、不況の風は通り過ぎて行くものである。

 

 

幸福は足下にある

 あなたは、故郷のいいところがいくつ言えますか。

 あなたは、親のいい所がいくつ言えますか。

 あなたは、連れ合いのいい所がいくつ言えますか。

 あなたは、我が子のいい所がいくつ言えますか。

 あなたは、親に感謝状を贈呈しましたか。

 あなたは、お世話になった人に感謝状を贈呈しましたか。

 さて、こんな質問をされて、私達は及第点のとれる回答がいくつ出来るでしょうか。

 若し不幸にして落第点しか取れない自分であるとしたら、緊急に考えの訂正と勇気ある行動を起こさぬ限り、早晩

人生の壁にぶち当たってしまう。

 立派な生涯を有意義ある人生を歩もうと考えるのであれば、足下を固めることである。

 「千里の道も一歩から」の努力とねばりがなくては完全なる平和は築けぬのである。

 この基本点画を忘れ、社会制度が悪い、国の行政が行き届いていないと不平を論ずるのが、さも近代人の如く考

えるのは、自由主義をはき違えた大きな誤りと思う。

 自力を出さずして他力の援助のみを求めるところが自然に逆行した考えである。これではいつまで経っても、真の

平和も、安心立命の出来る生活はやってこない。

 ありがたい事には、日本人の心の奥底には、親を尊び先祖を敬う心は、どこの国の国民より根強くあります。

 この頃の若い者はと、とかく批判される若者にも、親を大切にしたいという佛性が必ずあります。

 ただ埋もれているだけであって、誰かがこの佛性に火をつけるか、自ら目覚めて佛性を呼び起こすかであります。

 その第一歩が親孝行から始まる。

 自分が幸福になろうと思ったら、まず親孝行ができなくちゃならない。

 人間関係の一番の出発点である親への感謝が出来ないと社会のあの人この人との関係、あの国とこの国との関

係も保てない。出発点がぐらついていると関係が拡大していけばいくほど、ずれてしまうわけです。今の社会のさま

ざまな問題の根も、親を通して仏様の命を頂戴できたその恩を忘れている。今こそ大切な人間の基礎である親の足

下を見つめなければならないと思う。

 「おやじ、少し年を取ったなあ。おふくろ、白髪が増えたなあ」と感じただけでは、自動販売機と同じである。

 年を取った、白髪の増えた親の姿を眺める時、今日までのご苦労の心がとこまで汲みとれているか、いないかで

家庭に平和がよみがえり、親子の話し合いも温かく出来始めるのである。

 

親の心子知らず、初めてわかった親の恩

 煙草も吸わない、酒も飲まない真面目一途で働き、停年を迎え、手にした退職金をすっかり道楽者の次男に使わ

れ、その上まだ莫大なる借金が後をた立たず、途方に暮れて相談にこられた夫婦があった。

 「お尋ねします。あなた方は長男でしたか、次男ですか」

 「はい、次男で親から少しばかりの土地と家を建ててもらって今日まで真面目に働き、せめて弟息子には新家を建

ててやるのが唯一の楽しみでしたが、夢は消えてしまいました」

 「わが子可愛さの為、働き続けられ身を護られた結果が悲しい答となったのは、あなたが次男として其の昔、親か

ら頂いた家・土地に対して、少しも感謝の気持ちも持たず、お礼の種蒔きがしてないのが、道楽者の出来た原因で

す。

 箸にも棒にもかからぬ次男のおかげで、初めて佛法に縁を結び、過ぎし親への不幸に今お気づきになった時は、

すばらしい人生改革の時が来たのです。

 今からでも遅くありません。真剣に亡き親に懺悔し、追善の供養をしなさい。親が変れば子は変ります」

 初めて親の心がわかったこの夫婦は涙を流して喜んでお帰りになりました。

 

 

最初の躾が肝心

 目覚めよ、子を持つ親よ!

 近頃、若いお母さん方がパートなどで、家を明けることが多くなり、肝心な子供教育に手抜きがあったり、異常なる

過保護に育て、気づいた頃には可愛い子供の将来を駄目にしてしまっている親が余りにも多い。

 何がわが子を狂わせたかの原因すらつかめず、毎日を不安と恐怖におののいている親様に救われる道をお伝え

します。

 厳父・慈母

 厳父とは頑固でわからず屋の父の事ではない。正しい世渡りの道を正しく教えてくれる父の事である。

 最近の殿方き幻父(まぼろしの父)が多い。唯働き金儲けに懸命であって、大切な事もすべて妻まかせで、子供が

相談しても「お母ちゃんに聞け」と入学の事から就職、結婚に到るまで我関知せずの殿方が多く、こんな幻の父は子

供からも妻からも信頼も尊敬もされず、老後は粗大ゴミ扱いされているような父では、子供は立派に育ちません。

 まかされた妻は慈悲深く優しさがあれば慈母として奥ゆかしい存在でありますが、頼りない夫に満足がいかず、

唯家庭内でやかましい母であったら、子供の成長に赤信号がともって当然と思います。

 昔から地震、雷、火事、親父と言いますが、唯親父は何者よりも怖いものという浅い意味ではありません。

 殿方(父親)の頼もしい姿勢

 ①自信(地震)仕事に生活に自信を持つこと

 ②威厳(雷)神佛に威厳があるように父親らしい威厳を保つ事

 ③家事(火事)一家のすべて大事な事を正しく指導し、目配りする事

 この三つを備える親父は、子供から妻から眺めて、頼もしい魅力であり、尊敬出来る親父である。

 子供の難問題(登校拒否、暴力、家出、不良、病気)すべての原因は親夫婦の考え方、姿勢が原因であります。

 世界が悪い、社会が悪い、会社が悪い。

 社長が悪い、同僚が、部下が悪い。

 家庭が、親が、妻が、子供が悪い。

  じゃあ、自分は悪くないのか

 そう自問してみると、

原因は、常に自分の姿勢にあることがわかる。

自分が変らねば、周囲は変らないのである。

 

 

この道、通るべからず

 大学当時、山岳部員であった中年紳士が山から転げ落ちられた。

 「あなたは、どのような道を通りましたか」と聞いてみた。

 『この道通るべからず』の立札を無視してすべ落ちました」との回答です。

 笑い話のようですが、世の中はこんな生活をして泣いている人が多い。

 運が悪いと言って嘆く人、病気が治らないと苦しむ人、人間関係がうまく行かぬと怒れる人、努力しても不幸から

脱皮の出来ぬ人をよくよく調べますと、

 「人間として通ってならぬ道」を気づかず通っているか、知っていながら、横着で通って幸の山から転落して泣いて

いるのである。

通ってならぬ道三毒

 ①怒りの道 ②愚痴の道 ③貪りの道

 

通らねばならぬ道三徳

 ①慈悲の道 ②誠の道 ③勘忍の道

三毒の道を退け、努力して三徳の道を歩む人には、病気は治ります。貧乏は卒業出来ます。争いは治まり平和が

やって来ます。

 

 

福の神と貧乏神は一対なり

 旅館を経営されている方の話

 「先生、教えはしっかり聞かねばならぬと、今回身にしみた事はありません」

 「何があったんですか」

 「常々身近に先生からご法話を聞かせて頂きながら、うっかりしておりました。

 貧乏神を嫌い追い出せば、福の神が逃げ出しますよと、常日頃教えて戴きながら大失敗しました。

 実は長期逗留の工事人夫のグループがありました。このグループの監督さんが、余りにも無茶と我がままを言わ

れるのです。始めはお客様だからと言われるままに従い辛抱しておりましたが、余りの暴言にこちらがノイローゼに

なってしまいそうになり、このグループの元締めである会社へ電話して、今日限りお世話は出来ませんから引き揚げ

て下さい」と言い切りました。

 親会社もびっくりされ、よくよく注意しますから、今の仕事の片付くまでお世話を願いたいと平身低頭でした。しかし

私の腹の虫が治まりませんので、何と言われても引き揚げて下さいと、今から思えば、私の店には不利となる貧乏

神を追い出してしまいました。貧乏神を追い出し、やれやれと思って二時間後、別口で逗留して頂いている福の神の

様な、私の旅館としては大切なお客様の本社から電話が入りました。

 「突然で申し訳ないが、工事変更となり今の現場作業が中止となり、今日を以て引き揚げさせて頂きたい。又次回

にでも、お世話になりますから、よろしくご諒承下さい」と引き揚げて行かれました。

無理難題をふりかける貧乏神を怒りをふくめて追い出し、ほっとしたら、大切なお客様(福の神)が出て行ってしまわ

れ、旅館の水揚げは、この不況時に両者を合わせてかなりのダウンとなってしまいました。

 怒ることの恐ろしさと、福の神と貧乏神は一対である。佛様の教えと、先生のお言葉には寸分の狂いもない事に

目がさめました」との報告です。

 体験は学問より尊い 体験したら応用せよ

 算数は方程式をいくら知っていても、応用問題が出来ぬようでは、頭がいいとは言えぬ。

 信仰もかくの如く、真理をいくら知っても日々生活に応用出来ぬようでは、幸せもやって来ないし、応用の出来ぬ人

は堅物と見られ、人脈も出来ず孤独である。

 旅館の奥さんも、貧乏神の体験を生かし応用されたら、こんな嬉しい結果が出たと大喜びである。

 問題は何であったか

 永年体の調子が悪く、レントゲンの結果は、腸に小指の頭ほどの腫瘍が出来ている。

 これが原因で最近はお腹が張ったり、傷む日もあり、胃までおかしくなったらしい。

 疲れてもお客様の食事はせねばならず、休むことも出来ず、不安の毎日でした。

 ある日、顔面蒼白、重病人になった顔付で相談に来られた。「先生どうしても体の調子が悪いので、入院して精密

検査をしてもらう事になりました。先生、悪い病気ではないでしょうか」

 との悲壮なる相談でありました。

 私はこんな話をしたのです。

 「奥さん、検査は何も怖くないから心落ちつけて調べてもらいなさい。しかし、腸に腫瘍が出来たのは、偶然でも奇

蹟でもありません。長い間、云うに云われない不足、不平不満の心使いが、血が腐り腫瘍になったのですよ。

 医学は進歩し、薬はどんどん新薬が出来、治療をしてはもらえますが、あなたの心の病を治す努力をしない限り,

一時的には治っても再発しますよ。

 手術しても見違え程健康になった人は、手術と同時に今日までの間違った人生観に手術して発想の転換をした人

が復帰しておられるのです。

 あなたの腸の腫瘍は、永年に亙るご主人のわがまま一杯の私生活が許せず、怒り狂っておられる心使いが病気

の原因です。これを取り除かない限り、いくら薬を飲んでも、仮に手術しても治りません。

 お母さんのお供をしてついて来られた息子さんにも申しました。あなた方は徹底的にお父さんを嫌っておられます

が、若しお父さんが交通事故でも起こして亡くなってごらんなさい。お父さんの存命中しっかり尽くす事もせず、不平

不満の罪を作っておきますと、お父さん亡き後三年も経ちますと没落しますよ。

 世間の姿をよくごらんなさい。このケースにはまらない家庭は一軒もありません。

 あなた方はお父さんの欠点ばかりを苦にして怒ってみえますが、この旅館の莫大な土地は、横着でやんちゃで向

こう見ずのお父さんでなればこそ、人里離れた土地を開拓され今日の財をなしたのではありませんか。

 人間は恩を忘れた人から滅びて行くのです。ここらで考えを改めねば運命は変りません。

 あなたは店の事で、貧乏神と福の神の良い体験をされたではないですか、わが家庭に応用してごらんなさい。

 あなた方にとっては貧乏神的存在のお父さんを放り出してごらんなさい。福の神は出て行ってしまいますよ。その

証拠に奥さん、あなたの健康と云う福の神はあなたから逃げようとしていますよ」とこんこんと話しました。

奇蹟は起きた

 精密検査の結果 レントゲンに写っていた腫瘍はあとかたもなく、医師からも大丈夫と太鼓判を押してもらえた。

 あれ程難しかったお父さんが、奥さんと息子さんの考えが変りましたら、すっかり優しい佛様のように変られ、大喜

びであります。

 

 

棚からボタ餅

 ある日突然、予期せもせぬのに良い事や嬉しい事があると、凡夫の私達は「棚からボタ餅」と喜ぶ。

 又、棚からボタ餅的な幸運を夢見ても思うにまかせぬと、私は不運だと嘆く人がある。

 しかし世の中はそんなに甘いものでない。知ってか知らずか蒔いた種が生えてくるのであって奇跡も偶然もない。

 この因果の二法が真実であり、理解できたら何事が起きようと有頂天になったり、落胆し失望する事はない。

ありのままを喜び、成った事を喜びに変えることができるのである。

 

 

幸せを保つ秘訣はこれだ!

 金があるから、地位が出来たから、これが徳人とは言えません。真のむ徳人とは、人の為世の為に汗を流せる事

を喜び、人の喜びを沢山集めた人を言うのである。

 昔から「満つれば欠くる世の習い」の格言通り、最高の生活、満点の行動が出来るようになったら、あり余る徳がな

い限り一瞬にして平和のバランスが崩れるのです。

 自己中心の人は老いてボロボロとなる。私達は豊かな生活、思い通りの自由な生活が出来ていたら、放電ばかり

しているのです。余程事ある毎に徳の充電をせぬ限り、誰彼の差別なく泣くような悲劇が訪れて来るのです。

 

 

長寿の秘けつ

 「心配しないこと、成り行きに任せること」

 「後は良き因縁を結ばせて下さいと神佛に任せること」

 が大事であり、これが神佛の修行である。

   ○ 信仰に卒業はない

   ○ 人心救済に公休日はない

   ○ 求道心に年齢はない

 皆様のおかげ、親・先祖のおかげ、神佛のおかげで今日の自分が生かされていることを自覚するとき感謝と感動

の日が送れるのである。これが信仰心のある人の心であり宝である。

 共に助け合い、頑張って幸せを握りましょう。

 

 

朱に交われば赤くなる

 ある日、お釈迦さまは数人の弟子を連れて町を歩いておられた。道に一本の縄きれが落ちているのに気づいたお

釈迦さまは、弟子のひとりを振り返り、こう申されました。

 「その縄を拾ってごらん。どんなにおいがするかね。」

 縄を拾ってにおいを嗅いだ弟子は「お釈迦さま、大変いやなにおいがします」とお答えしました。

 またしばらく歩いていると、今度は一枚の紙切れが落ちていました。お釈迦さまは、さっきの弟子を振り返り「その

紙拾ってごらん。どんなにおいがするかね」とおたずねになられた。紙切れを拾ってにおいを嗅いだ弟子は「お釈迦

さま大変よいにおいがします」と申し上げました。

 お釈迦さまはそこで立ち止まり静かにおおせられました。

 「弟子たちよ。縄も初めからいやなにおいがしていたわけではなかろう。いやなにおいのものをしばったため、縄ま

で人に嫌われるようになってしまった。紙切れも、始めはなんのにおいがないものが、よいにおいの香かなにかを包

んだおかげで、みんなに喜ばれる紙になることができた。お前たちも、つとめて良き友を持ち、良き縁を結ばねばな

らぬ」

 私達凡夫は、つとめて良い縁に交わる努力をせねばなりません。人生はふれる縁によって栄え、滅びる事を知る

とき、良縁に近づくには勇気が必要である。

 

 

子供の叫び

 父よ。何か言ってくれよ!

 母よ。何も言わないでくれ!

 世のお父さん、お母さんよ! 

 可愛いわが子の切なる叫び、親への要求の声に耳を傾けてみましょう。

 僕(私)は、好きで登校拒否したり、暴走族になったり、不良学生になったのではない。

 毎日のわが家を見ると、子供としてやり切れない。

 嫌になってしまう。

 お父さん!

 僕(私)の横着したり間違った行動した時、叱ってくれるお父さんが欲しい。

 何も言わず、何も教えてくれないお父さんは僕は大嫌いだ。お父さんの資格はない。

 お母さん!

 僕はどこのお母さんよりも、うちのお母さんは美しく優しい母と信じていた。

 しかしこの頃は、口やかましい、うるさい母と変ってしまった。少し口を慎んだら家の平和が続くと思う。

 もう少し、お父さんを大切に夫婦仲良くなってほしい。

 もう少し、楽しい会話の出来るお父さん お母さんになって欲しい。

 もう少し、爺ちゃん、婆ちゃんを大切にして欲しい。

 これさえ守ってくれたら、僕は直ちに立ち直る。

 こんな叫びが子供の真実の声である!

 親の反省と奮起を期待する。

 

 

不況時こそ、人材育成の時なり

 各業界とも不況風が吹き続け、経営者は深刻な事態を迎え、お先真っ暗と嘆いている。

 何十年も前の話ですが、私が青年の頃、父の家業を手伝っていました。来る日も来る日も商売はうまく行かず、

借金の山は増え続け、途方に暮れて、教えの先生に相談に行った。

 開口一番先生は言われた。

 「怠け者には金は集まりませんよ」

 この簡単な説法に私は腑に落ちなかった。

 「実のところ私は教えを学び始めてから誰よりもよく働いていると心で自負していたから先生の一言が飲み込め

ない」

 一ひざ乗り出して疑問を先生に尋ねた。

 先生曰く

 「あなたは金になる事ならひと一倍働くでしょう。金にならぬ事には手も出さぬ事はありませんか。こんな欲深い

怠け根性を切り変えぬ限り金は集まりせん。金が集まらぬ、手形が落ちぬと、腕組みしている暇があったら、汚

れているお店の天井でも雑巾がけしなさい。之が金儲けの近道ですよ」

 相談にいった金儲けの問題は百八十度違った。しかし、私は先生の説法を鵜呑みにして家に帰って考えた。

今思うと先生の説法を率直に鵜呑みにした事が正しい知恵が自ら湧き出たのである。

 伸び悩む原因は、指導される先生の言葉が率直に受け付けられぬ、我がままの心が難問題を解決しな

いのである。人間は率直さが欠けたら発展は止まる。

それで!

 私は先生の言われる通り店の天井を雑巾がけした。

 ゴーシ梯子にまたがり上を向いて拭きにかかった。ひとます拭くと余りにもほかのますが汚い。次から次へ拭くう

ちに汗はにじみ出る。下を見れば落ちる。

 手形も貧乏も忘れ拭き続けた。

 この時心にひらめいたのは、動く事のすばらしさと勤労の汗の尊さを身に沁みて味わいました。

 繁盛しない店ほど

  店はほこりまるけ

  明るい挨拶はない、返事が暗い

  商品に対する研究心がない

  電話の応対は、つっけんどんで味気がない

  仕事場の後片付け、机の上はやりっぱなし

  オーナーは社員に対して不足まるけ

  社員は、目上に対して不平不満で顔はむくれている。

  こんな心の怠け者の経営者や、従業員がおったら、やがて会社は倒産である。

  

 

いじめと自殺

 中学生のいじめ、自殺、と暗いニュースが日本列島を駆け巡っている。

 連鎖反応で同情自殺、興味半分で自殺ごっこ、いじめごっこ等が中学生の間で蔓延する危険が社会の大問題

となっている。

 うちの子だけは、大丈夫と安心していられる親は何人あるでしょうか。

 家で挨拶も返事もせぬ、何が面白くないのか陰鬱な態度で黙秘権を使う吾が子。

 又は家庭内暴力を行使する。注意も躾も出来ず顔色ばかり眺め、ひそかに悩んでおられるお父さん、お母さん

 心は戦々恐々、何の為に今日まで苦労し、この子にすべてをかけて来たのか希望も野望も崩れ落ち生きた心

地もせず地獄街道を走り続けているご家庭に、親子に、何か歯止めをせねばならぬ。

 学校当局も、父兄もやっきとなって解決に乗り出し出しては居られますが、これが急所であり原因であると断言

出来ているでしょうか。

 すべての世の出来事は「困る者の罪」である。

 責任は自分であると起きた事を謙虚に受け止め、心から反省と懺悔が出来たら、事は治まる。

 「もし、自分が悪いと気付き懺悔するのであれば、心からありのまま(実相)を見、反省し詫びよ。さすれ

ばもろもろの罪は朝の霜の如く露の如く、智慧の太陽が光が射せばたちまちに消え失せてしまうであろう」

と、ありがたいお言葉が私達に頂いております。

 子供の問題は母親の十月十日の懐胎中の心掛け、行動が十年二十年経って利息がついて出ているのが現在

のわが子の姿です。

 例をあげてみましょう。

 懐胎中、夫婦が信仰深く善なる行いを続けた時の子供は成長すれば必ず世の為人の為に尽くす有徳の大人と

なります。逆に懐胎中、明るさもなく自己中心の生活に暮れた親の子は長じても人付き合いも悪く、じめじめ陰気

な人間となるのです。

 金、金と物質や金集めにとぼけた懐胎中の子は、社会人となって人から嫌われるのです。

 懐胎中、よく怒り愚痴不足の多い親から生まれた子供は、社会へ出ても怒りっぽく、粘りもなく自暴自棄に陥る

のです。

 さてこの様に因果の二法に当てはめますと、一目瞭然過去の自分の愚かな心使いが恥ずかしく、心から改め

ようと気付いた時、必ず事態は好転するのです。

 可愛いわが娘や息子が成人し、今に結婚に突入するに先立って胎教の大切さを教え導いてない、自由放題、

わがまま一杯の生活をして子供を産んだら、どんな子が、どんな孫が育つでしょう。

 いじめる子か、いじめられる子か、自殺する子か、自由自在に親が子供の将来を懐胎中に作ってしまうのです。

 胎教の恐ろしさ、又尊さが自覚出来ましたら子供教育は大安心です。済んだことは取り返しがつきませんが、

反省懺悔してこの穴埋めに積善の徳を積む事に命懸けになれば必ず事は好転します。

 又、この自分の目覚めた体験をこれから前途ある青年、淑女に教え導いたら、平和の日本建設にどれだけ奉

仕が出来るかわかりません。

 静かに胸に手を当て、真剣にこの子の懐胎中を振り返ってみて下さい。申し訳なかった数々に涙が流せる親に

なったら子供の事は大丈夫です。

 親の道を子が走り、親の後姿を見て子は育つ真理が理解出来ると思います。

      

 

信仰心なくして平和は築けぬ

 なぜ人間は宗教心を持たねばならぬか。

 動物と人間の差!

 宗教心がなければ、人間なんか犬猫以下の存在。

 猫が台所でサンマ盗んだって、本能に従っただけのことで、悪いことやったなんて思っておらん。

 犬が人を噛みつく場合、たいていは噛みつかれた人間の方が悪い。

 馬なんか立派なものだ。精進物ばかり食べている。

 人間だけが悪いことをやる。飲む、打つ、買う。「悪いと分かっているけど、やめられない」この悪いことをやめる

唯一の手段が、宗教心を持つことである。

 宗教心とは、難しい事考えなくてよろしい。

 こんな事をやっていると子供の為にならぬ。

 こんな事をやっていると女房が泣いているだろう。

 こんな事をやっていると会社の仲間に迷惑をかけると思えばそれでよろしい。

 人間には、すべて佛になる力と性質を持っている。

 佛とは、完成された人間のこと。

 人間は完成された存在に向かって努力するという本来的な性質が備わっていると釈尊は申されています。

 人間の私達は、若い時か、中年か、老年か、一度生まれて来た目的と、今何をすべきかの使命に目覚めねば

ならぬ。

 この使命に目覚めずして今世を去ると知ったら、こんな悲しい事はありません。再び人間界に生まれ変る事は

出来ません。

 

 

「がん」は必ず治る

 (病気を薬で直そうと思うのが間違い)

 「がん」は自分が作ったのだ。

 「がん」はなるべくしてなったのだ。

 これが分かれば、もう「がん」は治ったと同じである。

 医者に「がん」と宣告され大ショックを受ける人、宣告されなくとも自分の病状は「がん」ではないかと読み悟っ

ている人、もう私は駄目と自ら治そうとの気力のなくなった人、自分の今日までの生きざまを反省し改めようとせ

ず、唯、薬だけにたよっている人で全治した人は一人もない。

 病気させて頂いて「ありがとう」、『がん』になって「ありがとう」と、病気に様がつけられるようになったら病気は

必ず治る。

 特に不治の病気と言われる病人及び家族は一刻を争って正しい心のあり方を正しい心の指導者に指導を受

けること。

 人間の体は、ありがたいことに「自然治癒力」があって、治そう治そうとしております。

 これにブレーキをかけているのが、「愚かな自分の心」であると、何時気づくかが問題である。

 病気の治らない人は、心で「もう私の病気は治らない」と決め手いらっしゃる。

 病気の治る人は、心で何としても治るんだと、たくましい気力と活力がある。ここまで来て正しい信仰心のある

人は、最後「徳次第」と悟り、善行を見出して全力投球されるがため、奇跡が生まれ、喜びのエネルギーが爆発

し、大病した事により第ニの人生を堂々と歩んでおられる人が私の周辺にいくらでも居られる。

この尊い命を、いかにして生かすか、いかにして生きるかを正しく学び求道するのが宗教者であり信仰者であり

ます。

 「犬には宗教はない

 「もし人間に宗教心がないとしたら・・・・・」

 私達人間は何の部類に属するでしょうか。ぞっとするではありませんか。だから聖徳太子は、十七条の憲法の

中に「教えなき人は禽獣に等しい」と真実を申されたのです。

 何かの切っ掛けを縁として、信仰の尊さを身につけられる人が一人でも多くなったとき、日本を始め世界の真の

平和が到来するのです。

 

 

これでいいの?

 巷を騒がした問題の一つに住専問題がありました。

 住専各社や母体の銀行等も、誰ひとりとして「自分が悪いのではない。○○が悪いのだ」と罪を認めようとはせ

ず、国民のイライラは募るばかり

 なぜ、この問題が解決しないのか?

 それは「私が悪うございました。責任の一端は私にあります。」と潔く謝罪する者がいないからであります。

 責任は自分にあると感じたら、ただちに今までの非を認めご迷惑をかけた方々にお詫びし、少しずつでも罪の

償いをするのが当然でしょう。

 国家・社会の代表とも言える立場の人達が、挙って、自分は知らないと責任の所在をはっきりさせない限り、どこ

までいっても解決せず、ましてや、そんな大人達の姿を見て育つ青少年の将来が明るいとは、とても言えません。

  

 

賢者と愚者

 賢者(かしこき人)は、つまらぬ話からでも学ぼうとする。

 愚者(おろかな人)は、良い話を聞いても右の耳から左の耳へし抜けてしまう。

 学歴は無くとも悲観することはない。

 学力(学ぼうとする力)ある人は常に若々しく、新しい知恵を生み出している。

 ボーッとしている場合ではない。

 今日見るもの、聞くことから少しでも学ぼうという姿勢であれば、自と知恵が増えれば、怒れることは少なくなり

ますから、毎日の生活が明るくなるでしょう。

 日々の暮らしに佛様の知恵を取り入れ、幸せへの道を一歩ずつでも歩み出して下さい。

 

 

大自然には勝てぬ

 大自然の前には人間の知恵など到底及ばない。

 どれだけ人間の技術が進んでも、ひとたび大自然が動けばひとたまりもありません。

 我々人間は長い間の科学技術の進歩で人間にできないことはない。この世は人間様のものだぐらいに慢心し

すぎてはいなかったでしょうか。

 今一度振静かにり返ってみましょう。

 私達は生きているのではなく、大自然に生かされているのです。

 ”帽子は頭に靴は足に”こんなごく当たり前のことも科学が進み、自然の原理に逆らった行いは、古き帽子を

足に履き、真新しい靴であれば頭にでもかぶってしまうようなもので、どう考えてもおかしいのです。

 私達の日常生活にこのような間違いはありませんか。

 枝葉が繁茂するのも目に見えない根のおかげ、根を切ってしまって花が咲くということがあるのでしょうか。

 企業でも家庭でも大自然に逆らった行いを続けていれば、遅かれ早かれ滅びゆくのは目に見えております。

 

 

地震・雷・嫁・姑

 立派に構えた住宅の駐車場には自家用車が一台ならずも二台三台と並び、休日ともなれば、海へ山へショッ

ピングへとはた目には幸せを絵に書いたようなご家庭があります。

 しかし、一歩足を踏み入れてみればどうでしょう。

 外見と同じように平和で明るい心安らかなご家庭は何軒あるでしょうか。

 嫁と姑が常にぶつかり合い、あるいは口にこそ出さねど、お互いを悪くながめ悶々とした日々を送っているお

家はありませんか。

 人類の歴史は古くから、ロケットで宇宙まで飛んでゆける現代に到っても、相も変らぬ関係を続けているのが

嫁と姑であります。

 いくら文明が発達しましても、こんな身近な問題が解決できなければ、本当に豊かな生活とは言えないのでは

ないでしょうか。

 

地震・雷・嫁・姑

 火事よりも親父よりも、もっと恐ろしいのが嫁姑の争いであります。

 夫(息子)を殺すに刃物はいらぬ。嫁と姑のいがみ合いを提案したいと思います。

 例をあげてみましょう。

 あるところに真面目な働き盛りのご主人がありました。

 今日も職場へと出かけ、上司には無理を言われ、部下は思うように動いてくれず、七人の敵とやらにへとへと

に疲れ、ようやく家路につき、わが家の玄関のドアを開けると、ホッとしたいのに何やらいやーな空気・・・・また妻

と母親が揉めた様子。

 親孝行なこのご主人は、今まで育ててもらい、苦労をかけた母親の言い分を聞いてなぐさめようとするのですが、

妻は妻で「あなたが甘い顔をするからお姑さんがまたつけ上がるのよ」と横やりを入れてくる。

 妻には食事も作ってもらわなければならないし、子供の世話やら頼むことが沢山あるので、きついことも言えな

いし・・・・。

あちらを立てればこちらが立たず、どちらを押さえるわけにもいかず、言えばまたけんかになるし・・・・、こんな頃

からこの方はもやもやと迷い、悩み始めるのです。

 こんな喜べない時に突然頭の線が切れるのです。

 四十代、五十台のまだこれからという方が、さっきまで元気で出かけたと思ったら、出先で倒れたというようなこ

とはいくらでもあるでしょう。

 さもなければ家がおもしろくありませんから、ギャンブルに走るか<酒に入り浸るか、女にうつつをぬかすか、外

でうっぷんを晴らすようになります。

 言いたいことは沢山あるでしょうが、少し控えて相手に合わせれば、そこに喜びが生まれ、喜びの中に不幸は

生まれませんから、このご主人もその穏やかな家庭の空気の中で安心して大活躍されること間違いありません。

 嫁と姑の問題はただ二人の問題だけではなく、ご主人と子供まで家族みんなを巻き込んでの不幸につながる

のです。

 しかし、ひとたび嫁と姑が心を合わせましたら、これに勝る力なし、志半ばにして倒れるご主人、非行少年、い

じめ問題等・・・・・生まれようがありません。

 たとえ直接関係のないような話でも、自分の立場に置き換え、常に佛様の鏡に自分を照らし合わせていく人こ

そ、人生の優等生であり、賢者であります。

 さて、世のお嫁さん、お姑さん、男を生かすも殺すもあなた次第ですよ。

 社会は家庭の延長なり。家庭が穏やかであれば、必ず職場も学校も穏やかです。

 世の中を良くするも悪くするのもまず家庭です。

 

 

文鎮老人

 高齢化社会-何度となく聞く言葉で、日本の人口も若者が少なくなり、高齢者がどんどん増え、2040年頃に

は老人が全体の人口の四人に一人の割合になるのだそうです。

 若者には老後の話など、他人事でピンとこないかもしれませんが、今若い人も二十一世紀には確実に年老い

てゆきます。

 

 そこで、自分の老後について一度考えてみてはいかがですか。

 あなたは、どんな老人になりたいですか?

 今のあなたは、どんな老人ですか?

 ① 私は淋しく孤独の毎日です。

 ② わくわく楽しく年を忘れる毎日です。

 さて、自分は①でしょうか、②でしょうか。

 「文鎮老人?

 文鎮のような老人とはどのような老人でしょうか。

 年を取ると動けないから、働けないから役に立てないわけではありません。

 文鎮はそこにあるだけで、動かなくても役にたっています。

 しゃべれなくても、動けなくても、そこにいるだけで価値のある、存在感のある人間になりましょうということなの

です。

 では、存在感のある老人とはどういう人をいうのでしょう。

 例えば、一軒のお家でも、理屈ではない、とにかくここに座ってもらわなければ食事を始め、すべてのことが始ま

らない。

 逆を言えば、いてもいなくても関係ない・・・・・それではいかにも淋しい生活ではありませんか。

 今は若いから、勢いがあるから強気かもしれません。

 しかし、だんだん思うように体が動かなくなる頃から、誰でもあせりを感ずるはずです。

 ”子供には頼らない、いざとなれば施設に行くさ”と思っていても、年老いてから子供や孫にやさしく接してもらえ

たら、この上ない幸せではありませんか。

 でも文鎮老人になるためには、若いうちからの努力が必要です。

 一朝一夕ではかないません。

 地位や財があるから大丈夫と思っていませんか。

 退職した途端、金が無くなったら最後、誰も相手にはしてくれません。

 それには、いくつであっても今日自分の仕事を喜び、精一杯の努力をし、親や家族や周りの人の気持ちを汲め

る人になることです。

 今もし、もう老人であっても文鎮老人になれていない方、がっかりすることはありませんよ。

 ”しまった”と、もし気付かれたのであれば、それが尊いのであり、気付いた今から幸福のスタートです。

 文鎮老人と自分を比べて、どこが足らなかったか、どこが多すぎたか、よーく考えてみて下さい。

 口数が多すぎた人は口を慎み、施しのない人はせいぜい良いことに金を出し、感謝の足りない人は若い人にね

ぎらいの言葉の一つもかけてみて下さい。

 どっしりと重みのある文鎮に近づくでしょう。

 のんびりしている暇はありません!

 若い人に比べたら、確実に先は長くありません。

 さあ皆さん、未来の、又は明日の文鎮老人目指して、今日あることを感謝して、日々努力いたしましょう。

 

 

見直せ

 ボケてはいませんか 日本文化のすばらしさ わが家庭のよさ

 カトリック教徒であるヨーロッパのエリート達が、日本文化のすばらしさと佛教-特に法華経の広大なる考え方に

感動し、佛教徒に変りつつあると聞く。

 本家本元である日本人の私達が日本文化の良さ、すばらしさを見失って、特に戦後”日本の医学は遅れている、

日本建築は古い、日本人のファッション感覚は鈍い、生活水準は低い”と錯覚し、萬古不滅の日本の家族制度の

美点、日本食の健康に欠くべからざるエキスまで捨てて西洋かぶれしている。

そしてこれが、さも”近代国家なり”ととぼけた感覚で、挨拶一つ出来ぬ青少年を育て、体格だけが肉食のおかげで

 ソーセージ・コロッケのおかげで成長したが、根性のないぐうたらに仕立て上げてしまったのではないでしょうか。

 オリンピックで金・銀・銅のメダルをもらって、表彰台に上がる各国代表選手をたたえ、国旗を掲揚し、国家を奏で

るあの瞬間は誰でも感動を覚えるでしょう。

しかし、平素日の丸の国旗を掲げたり、国家である君が代を歌うことすら忘れてしまって、そんな時だけににわかに、

日の丸だの、君が代では滑稽としか言いようがない。

 皆さん、もっと足元をよくごらんなさい

 やれ海外旅行だ、留学だと言う前に、日本の国のよいところがいくつ言えますか。

 外国の良いところを眺めようとするのであれば、まず日本のよいところをしっかりと踏まえたうえで出かけて行くの

でなければ、中途半端で終わってしまう。

 強いて言えば、”隣の芝生は青い”というが、わが家庭のよさを知ることなしに、ただ他へのあこがれのみで行動

すれば地に足がつかず、フワフワと宙に浮いたようで、実に不安定で危っかしい。

 日本のすばらしさ、わが家庭のよさ、そしてわが親の尊さを確認してこそ、真の日本人の生き甲斐であり、他国か

らも認められ尊敬される姿ではないでしょうか。

 

 

学歴社会に鉄槌

 学閥が問題になっている。

戦前は軍閥が肩をいぶらせて跋扈(ばっこ)したが、平和になった現在は学閥が猛威をふるっている。

 有名大学を出なければよい会社に就職できず、その大学に入るためにはよい高校、さらに下ってよい中学、小学

校と幼気(いたいけ)な子どもの上に、受験地獄が襲いかかる仕組みになっているのが現在の社会通念である。

 果たしてこの思想が正しい生き方でしょうか。

 有名校を卒業し、学歴はないよりはあった方がよいに決まっているが、どんなに”○○大卒”という金看板があって

も、その人の人間性や考え方が未熟であったら、学歴はなくても人間性のよい人、学力(学びとろうとする努力)をも

って努力する人には勝てぬことを肝に銘ずべきである。

 こんなバカな親がある。

 「私の息子や娘はこんなに出来がよいのです。」

 「○○大学を出ております。」

 と鼻高々に大衆の目前で自慢げに言いふらす人があるが、これが正しい世渡りの道でしょうか。

 私が今日までにお会いした何千何万の人の中で、吾が子の出来を誉めちぎる親の子で、結婚してから真に親に安

心を与えられるような子は皆無と言ってよいのです。

 表面は平穏そうに見えても、内面では学歴があるばかりに理屈で攻め合い、妥協性もなく、耐えることも知らず、勝

手気ままの独走を正しいとひとりよがりしている低脳人が案外多いのです。

 お気の毒にハダカの王様””よろしく、人の意見や忠告を率直に聞ける耳をもっていないのです。

 本当に出来のよい人は頭が低いことをしらねばなりません。

 

 

五十展転随喜の功徳

 ある奥さんが親戚の人に勧められ、人生教書を読み始められました。

 この方は特に悩みがあるわけでもなく、もともと神佛に対する信仰心が厚く、裕福なご家庭の奥さんでした。

 最近一歩進んで愛読者の域を脱し、月に一度ずつ法話を聞かれるようになられ、こんな話をされるのです。

 近所に電気工事の仕事を細々としておられるご夫婦があり、長年に渡り親しくしておられましたが、そのご主人が

還暦を目前に倒れられ、回復するのに一年はかかるものと診断されたそうです。

 ところが奇跡的に二ヶ月ほどで退院され、リハピリをしておられる頃に、今までの借家住まいから家を新築される

ことになりました。

 佛縁のある先程の奥さんは、このご主人が長男でなく、新屋(分家)のため家に佛壇のないことをよく知っておられ

、「新築されるのなら是非神棚や佛間を作られるとよいですよ。たとえ今、佛がなくても、ご先祖や親のおかげでここま

で来れたのだし、あなた方が亡くなってからでも息子さん達に手を合わせてもらおうと思ったら、今から自分達がお手

本を見せておかなければ・・・・・是非そうなさいよ。」と熱心に勧められました。

 率直なこのご夫婦は、「その通りだと」と早速三階建てのビルの一階の一番よい場所に佛間を作られることにされた

のです。

 するとそんなことを知ってか知らずか、ひょんなことが起こったのです。

 このご主人のお母さんは後妻に入られ、先妻さんの子どもが二人あり、このご主人はそのお母さんの五人の子のう

ちの二番目として生まれ、七人兄弟の真ん中として育ちました。

 兄弟がそれぞれ独立し、母親が亡くなり、遠くの地で暮らす父親も「死んだら先妻の長男のところで面倒を見てもらい

たい。」と願っておられましたが、いろいろ事情もあったのでしょう、佛様も父母の位牌も一ヶ所に留まることなく、兄弟

の間を順に転々とされたのです。

 そして、次にこのご主人のところへ来られることになりました。

奥さんは今まで新家の嫁としてしか務めたことがないので佛事のことがさっぱりわからなかったそうですが、”こんにふ

うにあちらこちらへ回されたのでは、お父さんもお母さんも可哀想だ”と、ここのお宅でお祀りすることにされたのです。

 お祀りの仕方もわからないということで、先程の奥さんがこと細やかにアドバイスされ、実に見事に、新築されたお宅

の佛間に落ちつかれ、父親の月命日だという毎月二日に、ご供養してもらっておられるとのことです。

 そんな頃にこのご主人の体もすっかり回復され、息子さんと二人でやっていた店も従業員を何人も抱えるようになり

ました。

 仕事の丁寧さ、誠実さ、施主の立場に立った心遣いとで、口から口へと評判になり、世の中が不況でなかなか仕事

のない時に公共の仕事を名指しで次次ともらえるようになりました。

 ビス一本、電線何センチも無駄にせず、いくつ現場を持っても部下に任せきりにせず、一日に一度は顔を出すという

真面目な仕事ぶりに、どのお客様にも大変喜ばれ、ますます信頼を受けておられます。

 やはり、どんな時も報恩の念厚く、ご先祖や親に対する感謝する人は、日頃はとりたてて変りばえせずとも、いざと

いう時に護られ、大活躍できるのです

ましてや、たまたま新築されたお宅へ待ち構えていたかの如くやって来られたご先祖とご両親を、心からご供養され

るこのご夫婦は、そんなつもりはなかったでしょうに、今日これほど喜べることが起きようとは予想もされなかったに違

いありません。

 これが”根のあるものは強い”(根とは親であり先祖である)ということなのです。

 初めて教えを聞いて感動した人が、誰かに熱心に伝えたとします。

 それを聞いて喜んだ人もまた次の人に伝えます。

 さらにその人がまた次の人に・・・・というように、こうして佛の教えが転々と展開して五十回も繰り返されたとしましょ

う。その五十人目に聞いた人がありがたいと感動する功徳すら大きいものがあり、ましても最初に聞いて次の人に伝え

た人の功徳たるや無料最大、何にも比べようもないた    大功徳なのです。

 このことをお釈迦様は五十展転随喜の功徳と説かれました。

 先程の奥さんも長く佛縁にふれておられ、この佛話を知ってか知らずか、相手のお幸せを願い、勇気をもって教えを

伝えられた功徳で、大きなお屋敷に住まれ、ご主人は大企業の重役、信頼するご長男にお孫さも生まれ、幸せの真只

中におられますが、そこで留まることなく、なお一層佛縁に近づき精進されておられます。

 もし何か一つでも”これは”と思われることがありましたら、家族でも、友人でも、同僚でもどなたでもよろしい、小さな

ことでも伝えてあげて下さい

 佛の教えを他の人に伝える時、誰でも自分に功徳が欲しくて伝える人はいません。

 心から感動したことは、つい人に話さずおられなくなるのです。それはあなたの心の中にある佛性(佛様になれる)

が目覚めたからです。

 そうして真心で相手に伝えた時、知らぬうちに功徳がいただけるのです。

 さあ、あなたも勇気を出して一言伝えてみませんか?

 

 

自分の徳分の計算法

 十二年も同じ職場で勤務している青年の相談!

 「先生、職場において上司の無理解と、部下の不平不満に私はサンドイッチになって困っています。毎日が職場は暗

くなり、僕もやる気がなくなってしまいます。上司の考え方を変えてもらう以外ありませんが、私の意見も通らず困って

います。どのように考えたら、良いでしょうか」との相談です。

 

親馬鹿チャンリン、そば屋の風鈴

 傍らに居た母親が、わが子は同じ職場で、長く勤めているから、さも偉いと言わぬばかりに誉めている。

 そこで私は青年に「自分の徳の計算法」を話しました。

 「長い間、同じ職場に勤めたことは認めるが、その間勤め始めた一、二年は率直でハイハイと返事も軽く頑張ったで

しょう。

 三年も経つと職場に慣れ、初心の張り切り方も薄らぎ、不平不満が続き、あるときは、こんな職場はいやになった、

他に転職しようと悶々(もんもん)と腐った月日はありませんでしたか。

 生活の為、月給取り(鳥)となっての勤務は何年ありましたか。

 苦しかろうが、辛かろうが、元気よく明るく辛抱して勤めた年月があなたの積んだ徳と言うものです。

 ただ永年勤めたから、偉いのではない。不平不満の年月を差し引いたのが、あなたの本当の実力であり徳なのです。

 徳の積めてない人の意見は上司に通りませんよ。徳の積めてない自分の説得力は部下に聞いてくれません

 さてあなたは十二年選手ですが、何年喜んで勤務したか、何年不平不満で勤務したか、自分で計算してみなさい。

 下を向いて赤い顔して青年は言った。

 「先生、お恥ずかしい私です。十二年の勤務から不平不満の年月を差し引きますと、僕の本当の力、徳分は何年も

ありません」と心から自分がわかったらしい。

 「自分の実力、徳分がわかれば、今から心を切り換えて前向きに努力してごらん。三年も経てばきっとあなたの生活

に光明が差し込みます」

 青年は率直に自分の実力を自覚しました。

 

 さて 自分の実力(徳)を計算して下さい。

 今日の幸、不幸がと当然と割り切れ勇気が出てきます。

 ① あなたは永年務め停年退職後、平和に楽しい第ニの人生が歩めて居られますか。若し諸々の問題が山積して

   うんざりする事があるとしたら、一考の必要があります。

 ② あなたは今、結婚されて何十年か経って本当にお幸せですか。子育てに精一杯、やれやれ子供も成人したのも

   つかの間、息子や嫁と意見が合わず、がっかりしている事はありませんか。夫婦となって30年、これから楽しい老

   後が夢であったでしょう。

   頼る夫、愛する妻の病気で来る日来る日喜べない看護人の仕事、逆に病人となった苦しみを味わっている人は

   ありませんか。

「徳の計算法」を利用して下さい。一目瞭然、今日の不運は当然と理解出来ます。今日の運命に何等嘆く事も愚痴を

こぼす事もなくなります。

 結婚して一年二年は率直で何でもハイハイと聞き入れていた。三年も経つ頃から、姑との問題、小姑とのいさかい、

夫に対する不平はなかったですか。

 夫である殿方も新婚生活が過ぎた頃から、妻に対する不満、会社での不平はなかったでしょうか。

 諸々を反省し、自分の年齢から喜べなかった歳月を差し引いたら、何が残っているのでしょう。

 今日すべてが喜べる人があるとしたら、過去忍びがたきを忍び、耐え難き徳が残っていたのです。

折角信仰していても自分の運命が好転せぬ人は、過去を見つめ、自分の徳分をしっかり計算して下さい。 

 きっと今の生活に納得が出来、自分は今何をすべきかが自覚出来た時、毎日は極楽となります。

 

 

運命は必ず好転する

 長い間、教えを聞いておられる中年婦人が病気をされ、何年か前に腸の手術をされた。

 その後再び胃の手術をされ、もともとやせ型の奥さんは、もうこれ以上はやせられないほど衰弱がひどかった。素人

目から眺めれば、再起できるかと不安がよぎった。

 しかし、長い間教えを学んでおられたことは無駄ではなかった。

 妙法は人間改造の教えである

 第一回の手術では自分の改造はできず、ただ病弱を嘆くだけであったが、二度目の大手術ですっかり考えを変えら

れた。

 家庭での愚痴が少なくなり、すべてに前向きの行動をとられるようになった。

 もちろん食事は少な目で無理をせず、善行には一歩前進して無理をされるようになられた。

 積極的に教会へ日参され、法話は身を乗り出して聞かれた。良縁に接近されるので、知らぬ間に煩悩は薄らぎ、生

かされている喜びが湧いてこられた。

 ある時は夫婦揃ってご来山され、私の話を聞き終わると、寸暇を惜しんで聖地の草取りに汗を流す奉仕を喜んでさ

れる。闘病には金を使われた、その中をへぎ出して佛事に布施をされる。・・・・・・・

 善行に随分無理されたその結果、身に徳がついたのでしょう。

 医者が「こんなに良くなるとは不思議である」と、びっくりされるほどの好結果となった。

 病人の心の切り替えも立派であったが、その陰では家族一丸となっての前向きの努力が実ったのである。

 奥さんの大手術が終わり、集中治療室に入られた日は、総本山の勤労奉仕の日であった・

 まさかと思うことがあった。

 県外ではあるが、ご主人と娘さん、孫さんまでが揃って、作業服を着て奉仕に来ておられた。

 私はびっくりして尋ねた。

 「奥さんの容態がご心配でしょうに、よく来られましたね。」すると

 「妻は集中治療室で、看護婦さんが付ききりのため、私達家族は廊下でうろうろしているだけです。病人は医者や看

護婦さんにお任せするより手はありません。

 こんな非常時こそ『徳を積まねば・・・・』と考え、喜んで奉仕に参加させていただきました。今日は妻の分まで、汗を流

させていただきます。!」

 私は感動しました。

 感動のあるところに運命は好転する

 こんなことがきっかけとなり、病人はあれよあれよと言う間に全快され、普通の生活が出来るまでに立ち直られた。

 善い事には無理をして、徳を積まれたお手本である。

 

 

断腸の思い (このうえもない悲しい思い)

 私達は、”自分の力を過信していませんか”。”自分の努力だけで一人前になった”錯覚していませんか。

 今、胸に手を当てて静かに振り返ってみれば、何と恩知らずであり、父母の寿命を縮めたことか・・・・・

 そう気付いた時、ただ懺悔の涙を流さずにはいられません。

 若気の至りで、親を泣かせ、反発し続け、勝って気ままに自由を叫び結婚した。

 結婚してからは、自分達夫婦と子供中心の生活から、親の苦労など顧みず、わがまま一杯独走するのが近代人と

考えるのであれば、大間違い!!

 ”親不孝”という自分の蒔いた種が、わが子の不出来という結果で嘆き悲しむのが、世の常です。今からでも遅くない、

 ”断腸の思い”で懺悔すると同時に、この穴埋めに善行の徳を積み続けない限り、学問や金や常識では解決できぬ

事件に巻き込まれるのである。

 心配をかけた親から眺められ、拍手喝采よくぞ立ち直ったと認められる実績を上げてこそ、過去の大穴が埋まるの

である。

 若き事業家の猛反省と懺悔

 「過去親に断腸の思いを与えたことが、ひしひしと身にしみた・・・・」と語られる。

 年若くして独立し精一杯仕事にぶち込み、やれ軌道に乗ったと思ったと思えば、従業員の問題、経済のやりくり、妻

との意見の食い違いに、心身ともに行き詰る。

 「まさか独身時代に蒔いた暴走の種の数々が今、利息がついて出るとは知らなかった・・・・。人生を甘く考えていた」

と身を削る思いで、この精神的苦労を乗り越える努力をされている。

 幸いにも、この青年オーナーには常に教えを聞き指導を受け、前向きに教えの定規に従い、法の鏡に己の姿を写し

精進されているので、”断腸の思い”が真剣に懺悔出来るのでしょう。

 私はこんな話をした。

 事業家として大成功された個人松下幸之助氏の話をした。

 「ある時、某社長にこんな話をされた。私は今、一万人の従業員をかかえて事業を続けている。

 どんなに組織が出来ても、金が出来ても企業はうまく行くものではない。『おかげさま、ありがとう』の祈る心がなくて

は企業は行き詰る」と言われたと聞く。

 何宗何派は関係なく「祈る」心を実行し続けられたからこそ天下の松下になられた生きた信仰心の鏡ですよ。

 信仰的日常があればこそ、難関も突破され、国家有為の人となられているのです。

 あなたも前途有望の事業家になるには、亡き親を拝みなさい。従業員を始め、片腕となって支えてくれる妻を拝みな

さい。お得意先、下請業者を心から毎日拝みなさい。

 「拝む心は佛です」理論理屈抜きで実行しなさい。きっと自然(神仏)と親に護られ難関は突破出来、奇蹟が生まれ、

成功街道を走れます」と確信をもって伝えました。

 

 

さわやかなる心

 以前、会長先生にもらって頂いた犬養木堂先生(昭和の元老、元総理大臣)の掛け軸、家庭の種々な事情があっ

て、お返し願えませんでしょうか。」と、三拝九拝の老婆の姿、心境が手紙ににじみ出ているように感じました。

 私は即座にこんなふうに思いました。

 此の世のものは、命も財産も地位も権力も夫も妻もすべて天からの預かりものである。

 預かっている間は大切に使わせて頂き、返してくれとお呼びがかかれば、預からせて頂いたお礼を申してお返しす

るのが世の中の正しい道理である

 

 幸いにも、古くぼろぼろとなっていた軸でしたが、もらってから表装もし為直して、見違えるほど良くなっていました。

 即日、宅急便でお礼の手紙をつけてお返ししました。

 「長い間、鑑賞させて頂いてありがとうございました。」と心からのお礼の手紙を添えました。

 折り返し、老婆から涙のこぼれるほど喜んで、お礼の手紙が来ました。

 よかった、よかった。

 相手も喜ばれ、私も喜んでお返しができた。

 両者とも喜べることが佛の智慧であり、こんな”さわやかな心”になれた自分が喜べ、これは大自然からもらえたボ

ーナスであった。

 『此の世、極楽』とはこのことである。

 無欲が生ずるエネルギーは、さわやかである。

 

 

青年よ、目覚めるチャンスは今

 わがまま一杯、やりたい放題、贅沢し放題、欲望のおもむくままに生活するのが若者の特権として、自由をはき違え

ている青年男女があまりにも多い。

 そこの君、そしてあなたは大丈夫ですか!

 今の自分の私生活を静かに振り返ってみたことがありますか。

 誰に見られても、どこから眺められても、堂々と胸を張って歩める生活をしておりますか。

 人の目はごまかせても、佛様はお見通しであります。

 もし、自分自身に後ろめたい行動をして、恐る恐る生きているのであれば、一刻も早く軌道修正しよう。

 さもないと、取り返しがつかない。

 

 

悩める青年の話

 ある日、母親と一緒に今風のカッコいい青年が私を訪ねて来られて、悩みを相談された。

 第一の悩み  

好き彼女ができて同棲した。しかし一緒に暮らしてみると、つくづく性格が合わないことが判明。当人同士は話し合って

分かれることに決めた。

 しかし、この事実を知った彼女の父親が烈火の如く怒り、「娘を傷物にした、責任を取れ!」と、ヤクザのように責めま

くり、挙げ句は金の無心に至る。

 第ニの悩み  

 第一の問題の結末もつかぬのに、次の彼女が出来、入籍もしていないのに子どもができた。

 彼女のつわりがひどい。

 第三の問題

 定職がないため、母親が最近始めた炉端焼の店を彼女と二人で手伝っている。

 しかし、新規の店でなじみの客が少なく、経済が大変不安定である。・・・・・・

 楽しいはずの青春も、彼は彼なりの悩みに追いまくられ、どんなに見た目カッコいい顔も、暗雲たれこめては若さもな

くおどおどしている。

 それは、わがまま一杯やりたいことをやった、無軌道の生活が、彼を行き詰らせたのである。

 特別悪い青年ではない。

 しかし、社会人になって職でつまずき、女性関係で大きな過ちを犯したのである。

 若いが為、失敗するのは仕方がない。

 しかし、失敗しても”何とかなるさ”と安易に考える、この人間のずるさが、第ニの失敗、第三の失敗を重ねて、世間か

らは信用をなくし、家庭からも見離され、天涯孤独となるのである。

 私は、今こそこの青年が失敗を生かして、正しい人生航路を進むべき指導をさせてもらったのです。

 「職に困り、金に困るのは、自分の父親を馬鹿扱いしたり、軽蔑してはいませんか。」

 「先生、おっしゃる通りです。父親は病気がちで、どちらかと言えば頼りがないが為、確かにこの子は父親を軽蔑して

います。」

 「どんな馬鹿な父でも、あなたがこの世に生まれて来たのは、この父があったからこそで、この父は大恩人ですよ。

 どんなに努力しても、父に対する考えを変えぬ限り、金と職業に困りますよ。

 姿を見、形を見て、恩人を馬鹿にしたりするのは、忘恩にくれる、即ち、恩を仇で返すヤクザ根性でしょう。

 だから最初の彼女との別れ話に、先方の父親がヤクザのようなことを言ってあなたを責めるのですよ。

 私のヤクザ根性を、彼女の父親がわざわざヤクザ根性になって、私に『早く気づけ!』と反省を促して下さるのだと、

考えてみなさい。」

 自分の至らなさに気づいた青年は歯をくいしばって「先生、僕の過去をさん悔し頑張ります」と力強く誓ってくれました。

 彼の立ち直りを期待し、佛縁を深めることを祈っております。

のオアシス  心のとびら

著 田中偉仁

T O P

 

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