"> 
  執らわれのない心    足踏みしても後退しない 
  大きな夢を持つ    嫌う心が菌の原因
  何事も明るく考えよう    他力に依存しないように
  盤石の基礎作り   現実から真実を悟る 
  病人   我を少なくすれば楽になる 
  苦と向き合って逃げない生き方    気が付かぬ愚痴
   先祖供養の意義  ★  子孫に残す徳の財産
   運のいい人生 悪い人生   三つの坂
   徳の器を作る   人生前向きが必要 
   長寿国日本が抱える闇   責任は他に転嫁せず自分がとる 
   宿業を消し去る方法 ">     お金の活かし方  "> 
   きれいな心は汚れがすぐわかる     三度の岐路
   正しい人生の見方    食べ物の好き嫌い
   和の力がことを成就させる    幸福の基礎
   小さな徳積み 本当の親切    目に見えない信仰の力
   大変とは    薬で治る病気 治らない病気
   施しが幸せへの第一歩    器の中身
   年忌法要は盛衰退の分岐点    聞思修 
   懺悔と徳積み 祈りの力    今日一日の反省をして
   諸行無常 変化に善悪なし    子孫繁栄は家庭教育が本
   相手を喜ばす方法    運命に当たりハズレはあるか
   仏さまの声が聞こえていますか     運命とは
   信仰の視野を広げよう    幸福を呼び込む方法
   大きな信心をしよう    娑婆とは
   正法実践で感染を防ぐ    我流の道 
   天に向かって唾を吐く     発展の心構え 
   救われる教え法華経    先祖供養の功徳


T O P


執らわれのない心 )

 すべての悩み事や苦労は、自分の思う通りにしたいと言う小さな執着心から生じます。

 自分は間違いないという正直真面目だけでは、うっかりすると頑固になってしまいます。正直真面目な上に、

何事にも執らわれない柔軟な心が、幸せを掴むコツなのです。

 真生会の開祖さまは、時に応じ相手の気根(教えを学ぶ心のレベル)に応じて、押したり引いたり、一つのこと

や方法に固執せず、時期を待つことや柔軟に対処することを教えて下さいました。



足踏みしても後退しない

 真生会の開祖さまは、幾多の試練や困難に遭遇されましたが、如何なる難問題が起こっても「足踏みしても

後退しない」の信念でした。

 苦諦、苦をしっかり受け止め、苦の原因を見極めよ。「逃げたら、あかん」よく吠える猛犬でも、逃げたら追いか

けてくる。腹を決めて毅然と見据えれば去っていく。苦も同様である。大きな問題が起これば起こるほど勇気と

智慧が湧くようになる。それが妙法経力であると教えられました。



大きな夢を持つ

 誰にでも夢があります。夢の大きさによって人生のスケールが変わってきます。

 妙法という真理を学び「お陰様、まず人さま」という生き方になれば、自分の心が楽園になります。家庭にも会

社にも妙法(正しい教えはすべて妙法)が伝われば、世界中が楽園になるのです。夢の実現に向かって、身近な

人をから妙法をお伝えしましょう。



嫌う心が菌の原因

 新型コロナウィルスの感染拡大が世界を混乱させています。どう防ぐか、各国政府は懸命の対策を模索してい

ます。予防・隔離・治療だけではなく、何故世界的に広がっているのかという原因を知らなければ根本解決には

なりません。

 科学や医学の知識では物事の表面的ことだけしか分かりません。出来事の根本解決は仏様の教えでなくて

はわかりません。

 開祖さまは、一刀両断簡潔に真理を説かれました。バイ菌や病原菌は誰でも嫌います。つまり「相手を嫌う心

があると菌が繁殖する」のです。人を嫌う縁が、人から嫌われる着んの縁と結びつき感染するのだと教えて下さ

いました。

 世界大戦にはなっていませんが、世界中が他者を憎しみ嫌い合い、自国ファーストによる経済戦争の状態です。

 天は人間が自らの愚かさに気付き、お互いに協力し助け合う平和な世界に向かうように、コロナウィルスの試

練を与えたのたのではないでしょうか。

率直な人が幸せになれる

 そんな馬鹿な、単純で非科学的なことと思われる人もいるかと思いますが、真理は簡単でシンプルなのです。

「はい」と言わないから「肺病」になる。あの人もいかん、この人もいかん!と怒っていると「胃がん」になる。何

事にも堪能(満足)せずに不足ばかり言っていると「胆嚢の病気」になると教えられます。

 語呂合わせのように聞こえますが、言霊といって言葉の音と意味は通じる所があるのです。幸せになる秘訣

は「欲張る、怒る、愚痴をこぼす」の三毒を慎み、「慈悲、誠、堪忍」の三徳を実践すれば、誰でも今日から幸せ

になれるのです。

 法華経に「質直意柔軟」とあります。真面目(質直)だけでは頑固になってしまいます。真面目な上に《心が率

直で柔らかい人》が救われるのです。

 教えを聞いても、そんな馬鹿な、信じられません、わかりません、知りません、出来ませんという「我」の強い

人は信仰をしていてもなかなか良い結果現象が出ず幸せになれません。

 「わかりました。そういうものですか。やってみます」という率直な人が早く救われるのです。最近はみな高学

歴になり、知識や情報が多くなりすぎて、理屈や不平不満や批判が多くなり、率直さが無くなり「小利口な人」が

増えて、率直に「馬鹿になれる人」が少なく、自分で苦労を作り出しているのです。自分はどうか振り返ってみ

ましょう。

 安倍首相が春休みまでの小中高の全面休校、企業のテレワーク(自宅勤務)、イベントや集会の自粛等を要

請しましたが、やり過ぎとの批判ねあれば、遅すぎるという意見もあります。家庭も学校も企業も混乱を極めて

います。

 どんな事にも賛否両論ありますが、批判や文句なら誰でも言えます。非常時に大切なことは、トップの決断

に従って一致団結ワンチームとなって協力し、最善を尽くすことです。栄えない家や発展しない会社や組織は、

トップの決定に逆らい、不平不満を言い、何とか支えようという率直な姿勢がないのです。

なぜ日本は入国拒否されるのか

 WHO(世界保健機構)によって日本も「感染要注意国」のレッテルが張られ、世界の五十各国を超える国々

から入国拒否や渡航制限されています。感染源である中国よりも危険視され、多くの国から嫌われてしまいま

した。

 何故なのでしょうか。ここにも気付かなければならない反省点があります。

 「内憂外患」この非常時に及んでもまだ、政府と野党の大同団結、心からの一致協力がありません。いつま

でも足の引っ張り合いが続いています。つまり、「内憂」すなわち内輪もめしていると「外患」外から災いごとが

やって来るのです。国会の討論を見ていても、与野党ともに政権を守り、政権を奪うことしか眼中になく、本当

に国や国民のことを考えているようには思えません。だから外国から嫌われ拒絶されるような事態に陥ってい

るのです。

 最後に家庭の中や職場の中で人を嫌わない、悪く見ないことが、新型コロナウィルスという菌に感染しない根

本的な予防対策であることを心に銘記しましょう。




何事も明るく考えよう

 気持ちが明るくなれば

 身も心も健康になれる

 清らかな心と温かみのある

 心が人生を豊かにします

 暗く考え卑屈になったら

 身も心も不健康になる




他力に依存しないように

 人間は生きている限り、悩みのない人は一人もありません。精神的に弱い人、苦労を知らぬ人ほど一度難問

にぶつかると、ここから逃げよう、人が何とかしてくれるだろうと他力に依存するこの軟弱な根性を切り替えぬ

限り、いつまで生きても苦しみに追い回され、悩みから脱却することは出来ません。海山の如何なる悩みがあ

ろうとも、これを乗り超える道を覚えたら、ニッコリ笑って受け止め、苦しみに立ち向かう活力が誰にでも出てくる

はずです。

 お釈迦さまは何も難しいことは申されていません。自然の哲理「冬の次は春が来る。苦の後に楽が来る。欲

が苦の本である」とお説きになり、人として歩まねばならぬ当たり前の事を説かれたのです。率直に信じて実

行した人にのみ、信仰の偉大さが分かるのです。



盤石の基礎作り

 お月様も十五夜の満月が過ぎれば、十六夜からは欠けていくのが大自然の姿です。何不自由のない満月の

生活になりかけたら、自ら進んで今日の幸せの一割でも二割でも身を削って、親のために尽くせば、いつまでも

十五夜の幸せを保つことができるのです。

 盤石の基礎作りは徳積み以外ありません。自分の徳の器を知らずして、幸せの先取をした身分不相応の生

活が今日の苦しみの原因となっているのです。今こそ親も子も目覚めなければならない「心の時代」です。

 子供の幸せを願うなら、何をさて置いても徳を積む親にならなければなりません。また過分な生活をさせて

もらえる若者は、常に親のお陰、周囲の人々の応援で今日の自分があると肝に銘じ、喜びを忘れてはなりま

せん。



現実から真実を悟る

 法華経の教えの柱の一つは「一念三千」です。心に描く強い思いが現実を作り出すのです。目の前の現象

は自己責任であり「思い通りの世の中になる」のが仏さまの真理です。

 新型コロナウィルスの感染拡大によって国境を閉鎖し、戒厳令のように国民の外出を制限し、先行きの不

安から物資が買い占められ、生活用品の不足から物資の配給制限までささやかれようになり、各国首脳は

『まさに戦争状態である』と言っています。自国ファーストの行き過ぎ、自分の国だけを守ろう、自分の国さえ

良ければいいという「国の我、国の欲」がぶつかり合う経済戦争が。ウィルスの感染拡大による国境閉鎖とい

う現実を作り出しているのです。

暗い時こそ明るく考える 

 
暗い出来事ばかりだからこそ、明るく考えることが大切です。目に見えない相手ウィルスに打ち勝つには、

医療だけで目に見えない心の働きである宗教、信仰心無くしてありません。今こそ一人ひとりがしっかりと信

仰心を持ち、何事も明るく受け止め、過剰な買い占めや感染者とその家族に対する不当な差別を慎み、お互

いに助け合う「慈悲の心、感謝の心」を実践する時です。「教えなき者は禽獣に等しい」自分の幸せだけを考

えている人の多い世の中では、人間らしい本当の平和と幸せは訪れません。

 世の中には信仰心を持たない人、折角の信仰の縁から遠ざかってしまう人がありますが、いざという時に正

しい信仰心を持っているかいないかが人生の大きな差となって現れます。良き縁、仏縁からは何があっても

「足踏むみしてでも後退してはならない」のです。信仰心を離れても三年や五年までは今までの生活と何ら変

わらないように思えますが、十年二十年の歳月がたつとさの違いがはっきり現れます。気が付いた時には元

の木阿弥、因縁の穴にはまってしまうのです。

 徳のある人は、仏縁すら離れるとすぐに「苦難」というお知らせがあって正しい信仰に目覚めることができます。

徳のない人ほど現象が現れず「蟻地獄のような人生」になってしまうのです。そして、大きな因縁は忘れた頃

にやって来ます。国も個人、学歴がある人もない人も、お金持ちも貧乏人も同じように因縁は巡ってくるのです。

因縁を恐れることはありませんが、軽く見てはいけないのです。「因縁を知るを智者と名付け、因縁を知らざるを

愚者と名付く」と教えられますように自分や家の因縁をよく知って、因縁を乗り超える徳積みの実践を怠ってはな

らないのです。

布施の実践が出発点

 人生最後は徳次第なのです。法華経はすべての人が菩薩になり、仏を目指す教えです。菩薩の修行に「六波

羅蜜の修行」があります。「布施、持戒、忍辱、精進、禅定、仏智」です。

 布施の施しをすると教え(戒)がよくわかるようになります。すると何事も良きに悟り喜びに変える力(忍辱)が

備わります。それをコツコツと続けていく事を精進と言います。いつも喜びと感謝の心でいると不安や焦り、怒り

等の感情がコントロール出来 心が穏やかになります。これが禅定です。心が平安でいると考えることがすべて

仏さまの心と一致してきまか。これを仏智と言います。布施の徳積みは人と比べるものではありません。長者の

万灯、貧者の一灯と言って、自分の自力・体力・知力に応じて真心こめて精一杯させてもらうものですが。布施

の出し惜しみはいけません。

 教えは率直に聞いて、率直に実行した人に功徳か現れるのです。親も子供の真心や善意を親孝行の徳積み

と思って率直に喜んで受け取らせてもらいましょう。もったいなくて使えなかったら、仏様へ感謝の布施としてお

供えもらえば。二重の徳積みになると思います。



 自動車にハンドルがあるように

 人生には師匠をもたねば

 我流に走って危険である

 良き師に巡り合えることは

 人生の宝であり

 親を尊ぶ人は必ず良き師に

 巡り合える。



病人

 病気は医者で治し、薬で治るものだと考えている人が多いが、現実はその逆で、医学が発達し医療技術が向

上すればするほど病人が増え、病気の方が先回りして待っている。「病人」とは身体が病んでいるのではない。

 むしろ心が病んでいる人である。精神的な病も身体的病も、その根本は心にあるのです。大自然の法則を心

の中で犯した人が内科を患い、外部に対して大自然の法則に反する行いをした人が外科を患います。心が前科

者になるから、病院という「寝処牢」に入獄するのです。癌になりやすい人は、内心孤独でこれだけは忘れること

ができない、許せないというスレトスのはけ口がない人に多い。心が明るく、人生が積極的ならば癌細胞は出来

ても消滅するのです。




我を少なくすれば楽になる

 誰でも幸せになりたいと思って毎日努力しているのに、なかなか幸せになれない人は何が足りないのでしょう。

一言で言えば、「我」が強く「率直さ」が足りないのです。自分だけが正しくて、世の中が悪い、会社が悪い、社

長や上司が悪い、親が悪い、相手が悪いと自分の周囲に悪人を沢山持っているひとは、毎日が憂鬱で不安と

不満が一杯で喜べません。こういう人が不幸なのです。反対に善人と思える人が周囲に沢山いる人が幸せな

のです。

 親や目上の人から注意されたり叱られると、遠ざかって近づこうとしないひとがあります。そういう人は自分が

正しい間違っていないという「我」が強いのです。満点の人は誰ねいません。注意をされたり叱られた時は、教

えてもらえたと受け止め、かえって親しく近づく人が成長できるのです。

バカと小利口と大利口

 バカになれる人は、お金がない学歴がない得手がないことを自覚して、人と比べたりせず、意地やプライドを捨

人の言うことに逆らわず「はい、はい」と聞くから案外楽なのです。

 小利口な人は、真面目で目先のことは抜け目なくうまくやってのけ、よく間に合う反面、人に任せることが下手

で苦労が多いのです。大局を見通す下手で、自分中心の小さな世界しか見れないので、人のことや小さな事が

気になって許せない。意地やプライドが邪魔をして、自分で人生を複雑で渡りにくいものにしているのです。

 大利口な人とは、自分の得意不得意がよく分かっていて自分の不得手なことを思い切って得意な人に任せる

ことが出来る人です。大局を見通してお互いに得意な分野で力を充分に発揮して成功するのです。

幸せになる秘訣

 この世の中は「苦の娑婆」と言いますから、誰にでも苦は付きものです。苦は無くなりませんから、その苦をどう

受け止めるかで幸不幸が大きく違ってくるのです。苦労をしても、いつもポジティブな人、つまり前向きで楽天的

な人の方が、早く幸せになれるのです。失敗を恐れたり悔んだりせず、次は何とか「喜んでもらおう」と思えば、

勇気が湧き楽しくなります。

 「きっとよくなる。何とかなる」と明るく考える人には幸せな明日がやってきます。しかし「よし明日こそはいい日

にするぞ」と思い。目が覚めたらもう今日です。つまり、明日は明るい日になると思って、今日一日を前向きに希

望の明日に向かって歩む人は誰でも幸せになれるのです。

明るく考える人は若々しい

 何事も「あっさり、すっきり、さっぱり」することが、人生のコツであると開祖さまは教えて下さいました。済んでし

まったことをいつまでも引きずり、ゴデゴテ考える人は自分で幸せを遠ざけてしまいます。

 病気も不幸もトラブルも起こってしまったことは、仕方がないと諦めることです。人生諦めが肝心です。諦めとは、

失望したりやけくそになって無気力になり、世捨て人になることとは違います。人智や人力ではどうすることもで

きないことは、率直な気持ちで結果は仏さまにお任せし、考え方を切り替え、発想を転換することです。「足踏みし

てでも後退してしいけない」のです。

 生死は定められたご縁です。オギャアと生まれたご縁から、死ぬご縁に至るまで、私たちが自分の為だけでは

なく、世のため人のためにどのように生きたか、前向きであったか、後退的であったか、明るく生きたか、暗く生き

たかで人生の幸不幸が決まるのです。

 すべての現象は、仏になるための修行なのだと知って、明るく生きましょう。楽天的に生きましょう。プラス発想

で生きましょう。性格上出来ない人は、明るい人に近づきましょう。真似をしていれば、知らないうちにできるよう

になります。良き縁こそ人生を豊かにします。

 本当の幸せになるために仏縁という最高のご縁に親しく近づきましょう。



苦と向き合って逃げない生き方

 この世は苦の娑婆であり、生きている限り苦と共存している人生なのです。苦に背を向けて逃げ出そうとすれ

ば、苦に追いかけられ襲い掛かられます。苦から逃げたり、ごまかしたりせず、ちゃんと向き合って「こら、あっち

へ行け」と覚悟を決めれば、苦の方から去っていくのが仏さまの教えなのです。

 世の中は光と陰、幸せと苦は一体であり、裏表なのです。幸せという表の光があれば、必ず苦労という裏の

陰があります。どちらに目を向けて生きるかが幸不幸の分岐点です。

覚悟と自覚で苦を乗り超える

 コロナウィルスの非常事態宣言下において、湘南海岸でサーフィンをする人達、幼い子や孫を連れて、立ち入

り禁止の柵を超えて潮干狩りやバーベキューをする祖父母や親たちがいました。それを見て育った子供たちは

どんな大人になるのでしょう。自分一人ぐらいはという現実逃避の姿勢や自分たちだけは大丈夫というのは本

当の勇気ではありません。横着で無責任な野蛮な勇気「蛮勇」なのです。目の前にある苦から目を背け逃げて

いるだけで、立ち向かって今は辛抱して乗り超えていく覚悟と人間は自分だけでは生きているのではない、支

え合い協力し合うものだという自覚が足りないのです。

誰もが看板を背負っている

 
全ての人が看板を背負って生きているという現実を忘れてはいけません。誰もが先祖、家族、親、子、妻、夫、

そして自分自身という看板を背負っているのです。自分だけの人生ではないのです。「自分」一人ぐらいは」とい



甘い考えで、何か悪いことをしたり徳を削れば皆が傷つき、家族や会社にも迷惑が掛かるのです。反対に自分一

人だけでも善いことをやり続ければ、いつか看板は光輝くのです。窮屈に思えるかもしれませんが、自分の背負っ

ている看板に恥じない生き方こそが、人生を充実させ豊かにするのです。


徳が積めれば道は開く


 コロナウィルス自粛の影響で、大企業も中小企業も、個人商店や勤め人も皆、資金繰りや生活費に大苦労し、

どうやって乗り超えていけばよいのか四苦八苦しているのが現実です。

 どんなご時世であっても、会社や個人も儲けや収入以上にお客様や会社、相手様に喜んでもらえる働きをした

ら、計り知れない功徳が頂けるのです、




 幸せは勝ち取るものではない

 ガムシャラに追いかけるものでもない

 やって来るものをじっと待つものでもない

 ただそこにある幸せに気付くことである




気が付かぬ愚痴

 赤ちゃんはこの世に出生する第一声は「オギャー」と吐く産声から始まる。普通”出入り口”と書くが”入出口”は

書かない。吐いて吸う呼吸があって生かされる。すべて出すのが先です。人生を豊かに暮らすには施しを心掛け

ることが大切です。

 赤ちゃんは、喜びを全身で表現する。この姿が微笑ましい。お腹がすくか、お尻がぬれるか、眠くなれば泣くだ

けで、赤ちゃんが愚痴をこぼしたということは聞いたことがない。この姿こそ日々知恵がつき、かわいがられる秘

訣である。怒ることは良くない。贅沢は慎まねばならぬことは信仰心無き人でも気が付く。わかっているはずで一

番気が付かぬのは、無意識のうちにこぼしている愚痴である。




先祖供養の意義

 先祖供養はおろそかにしてはならない大切な仏事です。

「親の道は子が通る」と言いますが、私たちの人生は亡き親や祖父母、代々のご先祖さまが残して下さった道路

を走っているのです。世のために善行に励み、親孝行の徳を積み、立派な高速道路を残して下さったご先祖さま

もあれば、人並みの努力で県道や国道のような道を残して下さったご先祖さま、うっかり貪ったり怠けたり、徳を

削って舗装のしてない凸凹道を残したご先祖さまもいるでしょう。

凸凹道はもとより、県道や国道、高速道路のような立派な道も定期点検をし、修理舗装をしないといつまでも安心

して走ることはできません。自分自身が不徳や罪を作っていなくても、スピードの出る立派な道路ほど手抜きをして

いると大事故に繋がります、「親の因果が子に報い」という現実も起こりうるのです。

 では、人生街道の補修工事とはどんな事でしょう。

①ご先祖様への毎日の読経供養で感謝や喜びの心を整え、リフレッシュする

②毎月の例月供養や月参りの徳積みで小さなメンテナンスをする、

③お盆やお彼岸等の法要で祖父母や先祖、恩人の皆さまをご供養させて頂くのは、高速道路の集中工事と同じ

です。

④親や先祖の年期法要は何年かに一度の大補修工事です。

 「小手間を抜けば大手間を食う」のが真理です。日々の積み重ねが大切です。困難な凸凹道で苦労している人

も、諦めたり焦ったりせずに一つ一つ穴を埋めていけばきっと安心な幸せ街道になります。高学歴、高収入で出

世街道まっしぐらの人、事業に成功し順風満帆の目覚ましい人生を進んでいる人は、いわば高速道路を百キロ

のスピードで走っているのです。油断は禁物です。

 信仰もせず、徳積もせず生活している人は、いずれ因縁の穴にはまって大苦労するのです。ましてや大切な

親の年忌法要をしない方も時折いますが、大変危険な人生です。三年や五年ぐらいは大丈夫でしょうが、十年

二十年の歳月を経て、自分だけではなく子や孫が大きな因縁の穴にはまり、思わぬ大事故に見舞われて驚き

途方に暮れる人もいます。「子孫に美田を買わず」の諺のように子や孫に与えるのは学歴や財産という高速道

路だけではなく、自分で人生の道を補修し、さらに立派な舗装道路を作り上げることのできる信仰心を受け継が

せることです。悪いことをしないだけでは幸せにには成れませんが、コツコツと善いことをし続け、徳を積み続け

ていけば必ず幸せという山は築けるのです。


心の低温やけど

 熱傷(火傷)には、熱湯や油による高温やけどと、湯たんぽや使い捨てカイロなどの低温やけどがあります。

長時間じわ-っと熱し続けた低温やけどは見た目よりも肌の奥までじっくり破壊され、ひどくなると感染症が起き

たり、壊死して手術が必要になったりします。

 人生苦も同じです。か-っとなったり、喧嘩するのは熱湯の高温やけどと同じです。見た目よりダメージの少な

い事もあります。しかし、あまり表には出さなかったけれど、長い時間心の中でじわ-っと思い続けた不平不満

のマイナス思考、くすぶり続けた怒りや恨み、憎しみは心の低温やけどです。

 離婚まではいかないが、こんな結婚するんじゃなかったと長い間夫婦や嫁姑がいがみあったり、辞めはしな

いが長年嫌々会社勤めをしていた末に、病気になったり起こった問題は、なかなか解決しないのです。

 そして、子供の就職、結婚という大きな問題は胎教中の親の心境、心に強く思ったことが現象として表れてい

ることが多いのです。心の低温やけどです。当時を何度も何度もしっかり振り返り反省とお詫びをし、罪障消滅

の徳積みをして心の奥底まで傷ついた自分の心と相手の心を癒せば誰でも幸せになれます。

自己肯定感

 どんな困難からも立ち上がる人は「私も幸せになれる。やってみよう」という自己肯定感の強い人です。

 新しいことや苦手なことに直面すると「自分には出来ない。無理」という自己否定感の強い人には成功や幸せ

は来ません。「きっとできる。自分にも出来るやってみよう」と思う人には幸せがやってくるのです。慢心もいけま

せんが、自分の力、可能性を信じましょう。



 自分のやるべきことに

 きちんと向き合っていれば

 誰かがちゃんと見ていてくれる

 少なくとも

 仏さまは見ていてくれます
 
 天知る 地知る 我が身知る

 自分自身に恥じない生き方をしよう!



子孫に残す徳の財産

 私も初老の仲間入りをする年齢になり、老人の気持ちは理解出来る。日本の将来はこのままでよいのであろ

うか。「敬老の念厚き家は栄える」これは昔から伝わる金言である。ここで私は一言高齢者の皆様に申し上げた

い事は、若者から敬われる魅力ある老人に脱皮してもらいたいのです。樹木に例えれば老人は大木の根である。

大地にしっかり根を張らねばならない老人が、不平不満で腐り、人間関係の栄誉も吸収せぬようでは、期待をか

ける息子や嫁である幹も太らず、まして目に入れても痛くないほど可愛い孫にあたる枝に花も咲かねば、実も稔

らぬのも当然であります。死ぬまで金儲けの鬼にならず、自分の体力、能力、財力に合わせて家のため、社会

のため、国のために還元するのが老人として「子孫に残す徳の財産」であり、幸せな国に住む老人の生きる指

名である。

 

運のいい人生 悪い人生

 人生最後は”運”と"徳"次第です。一見真面目で努力家に見える人でも、努力がなかなか報われず、苦労が

多く、幸せに恵まれない人がいます。反面、知らず知らずのうちによい縁に恵まれ、幸多き人もいます。世の中

の出来事を見ると、紙一重の差で災難にあったり免れたりするのが現実です。

 ではどうしたら運のいい人生が渡れるのでしょうか?

 運とは「運命」のことです。つまり、命の運び方がいい人が「運がいい」のです。

 命とは「心と体」であり、平素から心の持ち方と体の使い方が、真理(仏さまの教え)に添った正しい使い方が

出来、世のため人のために徳が積めていれば、人間の力と想定を超えた「いざ゛非常時」に仏さまのご守護力

に守られ、運がいい人生となるのです。


  
 小欲大願に生きる

 欲を少なく、願いを大きく

 欲とは個人的な幸せを求める野望や欲望のこと

 願いとは人の幸せや世界の平和を思うこと

 欲望を少なくし、大きな願いを持てば人生が輝いてくる



三つの坂

 人生には三つの坂があります。ある日突然、自分の身辺に襲いかかるのが「まさか」であります。逆にうれし

い「まさか」もあります。

 凡夫は「まさか」に備えお金を貯め、権力の確保に目の色を変え、我が家はこれで良しと考える人がいますが、

予期せぬ「まさか」が起きた時、金や権力でこれを救うことができるでしょうか。

 昔から「積善の家に余慶あり」といいますが、日々親のため、人のため、世のために徳の種を蒔いておけば」

大難が小難、小難が無難となるのです。



徳の器を作る

 いくら儲けても、目には見えませんが、「徳の器」の分しかお金も幸せも入りません。徳の器を大きくすることを

忘れてはならないのです。

 徳の器を大きくする方法には三つあります。

①世のため人のために善いことをする=これは信仰以外でも出来ます。

②先祖供養=悪因縁の穴埋めと自分のルーツに対する報恩供養。

③神仏への布施と教えを伝える菩薩行=生かされている宇宙の大生命への感謝と人と仏縁に導く行い、これが

最高の徳積みです。②と③は信仰でしかできません。正しい信仰をしっかり実践することが大切です。

 塾も習い事もスポーツも、お金で他人に面倒を見てもらっているのですから、それは手間暇や愛情をかけたの

ではなく、お金を掛けただけです。家での親子と触れ合いやお手伝いを通じて、生活力、忍耐力、段取り力を身

付けさせることが大切な親の役目です。職場で長続きせず、育児放棄や育児ノイローゼ 虐待、離婚という家庭

崩壊が急増しているのは、学歴はあっても人間力、生活力のない辛抱が足りない若者が増えているからです。

 徳の器を大きくしておけば、お金物は必要な時に必要な分だけ入ってきます、それは信じて実行した人にし

かわからない、計算では出てこない徳の結果という真実です。一般常識的な努力や労働は、やった分だけの

足し算の労働対価です。徳の答えは掛け算で出ます。最初のうちは損のように見えますが、掛け算になってか

ら答えが大きく違ってきます。


人生で大切なことは成功するより

努力することである。



人生前向きが必要

 熱心な老信者からのお手紙です。「我が家は自分たち老夫婦、息子夫婦、孫4人の大変賑やかな八人の大家

族です。息子夫婦は共働きで、朝早くから夜遅くまで大変苦労しているのが目に見えて気の毒でなりません。そ

して、私たち老夫婦に何かと気を使ってくれています。せめて留守番だけでも役に立てばと思っていましたが、物

忘れも多くなりも私たち『粗大ゴミ』いっそ老人ホームに入った方がいいのかと悩んでいます。」との相談です。早

速ご返事しました。人生は年齢を問わず難問にぶつかった時「
後退的逃避的悲観的」であっては子孫は栄え

ません。まして自分を「粗大ゴミ」と捨てる考えは、愚かな心使いであり愚痴であると気付かねばなりません。

やる気を出せば智慧が出る。よし頑張るんだ』の意気込みが大切である。



長寿国日本が抱える闇

 日本人の平均寿命が年々伸び世界一の長寿国となって久しくなりますが、高齢者の認知症の問題が、年々深

刻化しています。今や当たり前となった核家族ですが、高齢化した親の面倒を誰がどう見るかなど゜家庭崩壊、

兄弟姉妹の分裂、経済崩壊の危機は避けることの出来ない経済大国日本の抱える闇であり社会問題です。

 どの家庭にも忍び寄ってきているこの現実としっかり向き合って解決策を講じなくては、早晩老人家庭も若者の

家庭も崩壊してしまいます。

 誰でもできる認知症防止法

施しの強い人はボケない

 お釈迦様は、大安心の幸せを得る第一の修業は<布施>であると教えられました。[財無くとも施し強気者は、

真の富者なり。財有れども施しなき者は貧者なり」という教えがありますが、施しはお金だけではありません。人

を誉める言葉の施し、場を和ませる笑顔の施し、相手を生かす智慧の施し、労力で応援する体力の施し等財は

無くても施すことたくさんあります。最高の施しは『
法の施し』です。財も知恵も教えも自分のためだけに使ってい

ては、じり貧の寂しい人生になって
しまいます


人様の幸せ、世界の平和を祈る

 多くの人の幸せや国や世界の平和のために尽力している宗教者や政治家は年をとってもボケません。

その証拠に九十歳、百歳にんられる管長、教主、座主、会長と言われる宗教者は、生涯現役で頭脳は明晰な

方が多いのです。

 
人の役に立って生きる

 しかし、中には企業のように利益追求の葬式宗教になり果てた宗教屋や、党利党略、保身に走る政治屋も多

くいることは残念なことであります。

 また一般庶民も同様に今こそ襟を正す時です。将来の子孫のことを深く考えることもなく、日暮れ腹減り、寝て

起きて食べて適当に好きなことをして過ごす人生の消化試合のような毎日が過ぎていくという生活から一刻も早

く抜け出さなかったら、ボケは知らぬ間にあなたの背後に忍び寄ってくるのです。

 悪いこともとしない善いこともしないという人生は注意信号です。人に迷惑を掛けないというのは最低限度の

生き方であり、人に喜んでもらえる良い事をした時にこそ人生の価値があり、徳が積め健康が保たれるのです。

 真面目な人でも、自分だけ、自分の健康と幸せだけを願い、小さな自分だけの世界を考えていると脳の働きが

どんどん狭くなり、萎縮してボケやすくなるのです。ゲートボール、カラオケ、様々な趣味、サプリメントや健康体

操、散歩等もボケ防止の一助ですが、自分だけのことです。自分なりの体力、財力経験の知恵を使って家庭や

地域の役に立つことが最高のボケ防止となります。

感動、感激、笑いのある生活

 毎日、感動と感激、笑いのある生活が頭を活性化させるのです。これは医学でも証明されています。

老夫婦だけの生活は話題も限られ、会話が少なくなり、どうしても感動や感激、笑いの無い生活になります。こ

れこそが認知症の最大の原因であります。

三世帯同居リスクの可否

 
親夫婦も若夫婦もお互いに同居して余分な気を使ったり、遠慮したりする窮屈さのリスクを嫌い、最初から別

居して気楽に生活することを選択する家庭が増えてきましたが、超高齢化社会になり、認知症や要介護の親が

増え、放っておけない時代に突入しました。

 親と同居する以上に気を使わなければならないのが現状ではないでしょうか? 同居して気を遣うリスクと、別

居して心配するリスクとどちらがお互いのためになるかの可否を考える時代になってきたのです。最初から別々

に暮らしていたら、年月が経つほど同居するのはなかなか難しくなります。

 認知症や要介護になってから親の面倒を見ることは至難のことです。老や健老人ホームに入居するにしても、

年金だけでは済みません。お金もかかるし、施設に足を運ばなければなりません。

 そうなってからの経済的負担や精神的負担のリスクを考えるなら、多少の気は使っても同居し、認知症になら

ない笑いと感動のある生活をした方がずっと良いのではないでしょうか。

 働き方改革だけではなく、家庭生活の改革を考える時代になったのです。そして、何よりも親の面倒を見、お

世話が出来るのは最高の徳積みであり、親孝行のチャンスだと知ることです。病院や施設にお金を使っても何

の得にもなりません。心身ともに健康であれば使う必要のない無駄なお金です。



責任は他に転嫁せず自分がとる

 人間も恵まれ過ぎると温室の花同様、見た目は美しくとも弱々しく迫力がない。ましてや根性も出来ていな

いがため、思うようにならない事件が起きると責任を他に転嫁し、自分の立場をよく見せようと言い訳に走る

人が多い。こんな人生を渡るようでは、人からの信用も自力もつかぬ。

 「親苦労して子楽して孫子の末は乞食かな」の諺を他人事のように聞き流してはなりません。

 親が徳を削った人生を渡れば、子供の不出来に泣き、孫の代には元も子もなくなるのです。

 事業で行き詰ったり、サラ金が払えないと平気で自己破産したり、握り分散して夜逃げをする人が増えてい

ます。人の目をごまかして再起しても、子孫の繁栄はありません。「困る者の罪」自らの不徳の種蒔きを懺悔し、

罪の償いに心を切り替えた時、すべてが一見落着するのです。


宿業を消し去る方法

 人間はカルマ(業)を背負っています。業とは行いの結果ということです。業には善行(善い行いの結果)と悪

業(悪い行いの結果)とがあります。そして誰にでも宿業というものがあります。記憶はなくても、前世から持ち

越してきた業と今世長い間、怒り、愚痴・不足・貪欲によって溜まった心の垢です。排水溝にコンクリートのよう

に固くなってこびりついたヘドロのようなものですから簡単には落とせないのです。

 しかし、お釈迦さまは宿業の苦しみをあっという間に消し去る方法を教えて下さったです。

 すべての業や苦は、全部自分中心の価値観や好き嫌いの感情等、勝手な思い込みによる誤解や錯覚から

生じているのです。もし本当に反省して苦を解決したいのなら、心を落ち着け出来事の本当の意味、仏さまの

計らいの真実当たって瞬く間に消え去るように一瞬のうちに消滅するのです。素晴らしい教えです。誰でも、苦

を消し去り幸せになれるのです。

 
命がけのサンゲが宿業を消す
 
 しかし、五年、十年、二十年という長い間、親を悪く思ってきた、相手を恨んだり不足に考えてきた業は、朝起

きて顔を洗ったら、目ヤニが取れたり、顔の汚れが取れるように簡単にはいきません。

 大腸に溜まった宿便や古便と同じですから、何日も下痢が続いたり高熱を出したり、心身ともにへとへととな

った後、宿便が大腸から剥がれ落ち、お腹の中がすっかりきれいになったら健康を取り戻すのと同じです。

 心にべっとりとこびりついて固まった宿業が取れるには、痛みや辛さが伴うのです。身も心もくたくたになり、

自分の理屈や自己流の常識や価値観等の「我」を捨て去って「勝手に思い込んで相手を悪く見てきた自分が

全部間違っていた」と無条件降伏、、全面降伏ができた時、無条件降伏ができた時、無条件で幸福が訪れるの

です。



お金の活かし方

 私達の生活にお金は欠かせませんが、お金には生きたお金と死んだお金があります。生きたお金とは何か、

本当のお金の活かし方は何かを考えてみましょう。

 昔からお金のことを「お足」と言います。お足だから動くことが使命であり、動いた時にこそ力を発揮するので

す。足は動かさなければ運動不足になり、役に立たなくなります。人間でも老化は足から始まると言います。足

が弱ると本体の体も弱り、脳もだんだん働きが鈍ってきて「認知症」になりやすくなります 。

 何百万、何千万という銀行預金も使わずに貯めているだけだと運動不足で力を失い、足が萎えてお金の本当

の力を失ってしまいます。力を失ったお金や財産は死に金となって財産争いの原因になります。

 銀行預金の金利が低いから預けても仕方がないと、タンス預金にしていても同じことです。

 日頃から動かしていないお金は,詐欺によって騙し取られ、やはり死に金になります。馴れない投資や株、ギャ

ンブルで大金を失うのも、やはりお金の運動不足で本当に生きた働きが出来ていないのです。自分の徳の脚力

以上に楽して儲けようという欲の結果です。

 平素から皆の喜ぶことや善行にお金を使うウォーミングアップもしていないのに、自分の脚力を自覚せず、いき

り百メートル走で優勝しようとして転んで怪我をするのと同じです。

 
子を生み出すお金の使い方
 
  お正月に子や孫にお年玉をあげるのは普通ですが、一人前の社会人になって収入を得るようになったら、生

活費を入れたりお世話になった両親や祖父母に。お年玉をあげられる若者になりましょう。親や祖父母はびっく

りして喜ぶでしょう。そしてまた親や、祖父母は子や孫に喜んでお年玉をくれますから、お金が家の中で悦びと

一緒にぐるぐる回って充分運動するのです。決して損はしません。親孝行や家のため、人の喜ぶことに蒔いた

種は、必要な時に何倍もの実となり子となって戻ってきます。また、お年玉やお小遣いにあげるお金は、新札

でのし袋に入れて渡しましょう。

 有りがた味が増して無駄遣いはしません。神仏にお供えしたり供養するお金も、新札でさせて頂きましょう。



きれいな心は汚れがすぐわかる

 世の中は「悪因悪果、善因善果」因果の法則で動いていますが、法華経は悪果も次なる幸せの善因に変え

てしまうから、百パーセント救われる教えなのです。つまり、困った現象の中にも「ありがたい事、良い事」を見

つける、良い所探しが法華経の考え方なのです。

 先日、ある親子からで最近起こった出来事の受け止め方の添削を尋ねられました。クラシック音楽が趣味の

息子さんが学生時代の恩師を誘い、コロナ禍の中、名古屋まで行く、行かないという押し問答があったのです。

 「コロナ感染者が急増し、不要不急の外出を控えるように報道されているのでやめたほうがいい。まして恩師

の先生は高齢者なので危険だから・・・」 「折角チケットが取れたのだし、毎年恒例で先生も楽しみにしておら

れるから、行ってくる」 「もし、先生に移ったらどうするの。あなたが感染して、うちの商売が出来なくなったらど

うするの」 「絶対大丈夫。会場も感染防止対策をしているから大丈夫」 もういい、勝手にしなさい・・・」とのや

り取りがあったのです。

 そうしたら その晩から胃痙攣が始まり、朝になってやっと治まったのですがね寝不足と体調不良のため、母

の言う通りキャンセルすることにし、恩師にも伝えたら「私もその方がいいと思う」と了承してもらえたのです。

「それで良かったのですよ。母の意見をよく消化出来ずに逆らって怒れたから、胃痙攣になったのですよ。

 しかし、怒ったらすぐに現象が出たのは、平素から教えを聞いて心がきれいに洗濯されていたから、不徳の

染みがすぐ出て護られたのですよ。語呂合わせに聞こえるかもしれませんが、これは仏さまからこのコンサート

には『胃痙攣=行けれん』と教えて下さったのでしょう。

 本当の徳人は敢えて危ない橋を渡るような無茶や無謀なことは始めからしません。

 無茶な危険を犯すのは本当の勇気ではなく 匹夫(徳のない人の勇であり蛮勇)なのです。)

今回のコンサートは、あなたの好きなことに対する煩悩であり執着だったのですよむ。だから仏さまが、止めて

下さったのです。あなたには徳があったてのですよ。

「先生、、よくわかりました。良いことに思えても、無理や執着はいけないことがよく理解できました。」

教えは心の取り扱い説明書

 法華経の教えは,誰でも幸せになれる心の取り扱い声明書です。難しい経典を読み、教学を学ばなくても教え

の実行は出来ますが、ちゃんと学べば「一念三千、諸法実相、十如是、因縁果報四諦の法門、八正道、六波羅

蜜、懺悔の法」等々、幸せになるための様々な便利な心の使い方が書いてあるんだ、心にはこんな素晴らしい

働きや装置があるんだということが分かります。

 法華経という心の取扱書を学ばないのは、人生の大きな損失です。急発進防止や自動運転、ライトの自動切り

換え、横滑り防止等、数々の身を守り安全運転するためにフル装備されている高級車をアクセルとブレーキしか

使わないで乗っているのと同じです。走ることは出来ますが、より安全により快適なドライブをすることはできませ

ん。 沢山教えの話を聞きましょう! 法の教学むを学びましょう! 法華経は幸せになるための宝庫です。


  幸せのつかみ方  

  両手にある幸せの片方を手放せば、新しい幸せを掴める

  大人は、両手に 持ったまま次を掴もうとする

  赤ちゃんは、次のおもちゃを得るために勇敢に手放す




三度の岐路

 人生には三度慎重に考えなければならない岐路があります。一度目は職を定める時、二度目は結婚する時

三度め
親の死んだ時です。この時に考えが間違ったら、生涯禍根を残し失敗の道を歩むのです。こんな時は、親

か信ずる徳人に添削を受けるのが賢明の策です。

 恋愛結婚に反対された同じ年の若いカップルが相談に来られた。良さそうな青年と優しく美しい娘さんなのに、

なぜ親が反対するのか。表面上は良さそうでも中身の考え方が一人前に成長していないから無反対されている

のです。経済力はあるのか。職業に不安定はないか、青年として結納金ぐらいはためているのか、料理や家事

はしっかりできるのか。親は勝手かもしれないが、自分の経験から子供には失敗させたくないと、時代遅れのよう

なことを言いますが、これが親心であると率直に耳を傾ける姿勢が大切です。親から見られて合格点が取れれ

ば賛成して協力を惜しまないでしょう。 



正しい人生の見方

  「常説法教化」仏さまは、いつでも、どこでも、だれにも法を説いて正しい人生にに私たち凡夫を教導いておら

れるのです。

 法華経に「末法の衆生は顛倒している」とあります。つまり、現実の姿は仏さまの真理から見るとびっくり返って

おり、現実の反対側に幸せになるための生き方があるのです。世界に目を向けると、トランプ元アメリカ大統領以

来、世界の国々には自国ファーストが広がり、いがみあっています。個人レベルでも自分だけが良ければいいと

いう利己主義が蔓延し格差社会・差別社会が広がっています。

 仏教は平等主義の教えであり、人種、性別、職業、国に区別なくすべての人が幸せになれるという教えです。

しかし、現実は逆行しています。

 コロナ禍では「人と会ってはいけない。交流を避けて人との距離を取ること」「会食を控える。家族や仲間でも黙

食する」「テレワークで職場に行かない」などが叫ばれています。これによって社会生活から隔絶され、<<bs孤独

→孤立→不安→自殺>>に至る人も少なからずいます。大変痛ましく悲しいことです。

 コロナ禍が長引いていることにより「人と会いたい、家族と楽しく暮したい」「職場に行きたい。働きたい」と誰も

が心の底から思うようになりました。これこそが仏さまの説法教化なのです。つまり、人間生活のあるべき姿に気

付きなさいと言うことなのです。

 「諸法無我」人は孤独りでは生きられない、つながり合い助け合って生かされているという、当たり前のことに気

付かせてもらったのです。
 

「名こそ惜しけれ」公(おおやけ)の意義

 日本人の心の奥には「名こそ惜しけれ」という精神が流れています。つまり先祖。親、恩人、家族等今日までお

世話になった多くの人への「恩義や家名、自分の立場に恥じない生き方をする」これこそが世界に誇るべき日本

人の心に根付いた民族性であり 世界に誇るべき精神文化です。日本での災害時や非常時に暴動や略奪はほと

んど起きません。物資の配給も整列し順番守り横入等しません。公の意識「世の中や人さまのため」という精神

が根付いています。

 しかし、現代はこの意識が強くなり、日本人の美徳が失われつつあります。緊急事態宣言化で模範を示すべき

国会議員がクラブを遅くまで飲み歩き、すくーぷされると嘘と言い訳で塗り固め、挙句の果てに辞職した彼らには

「名こそ惜しけれ」の恥の心も公の意識まも欠如していたのでしょう。情けないことです。

 反面、テロの凶弾に倒れるまで、一人の医者でありながら異国のアフガニスタンの貧しい人たちの救済と国土

の復興のために身を捧げた中村哲医師、ミャンマー、カンボジア、ラオス等東南アジアの開発途上国で治療が受

けられず、苦しむ貧しい人々に無料で医療提供をするジャパンハートの吉岡秀人医師の活動は「救えない命もあ

るが、亡くなっても感謝つれる医療がしたい」と患者に寄り添う活動には、高潔な人類愛、公の意識がその根底

にあると思います。日本人の誇りであり、見習うべき生き方です 。

信仰による価値観の転換
  
 信仰の価値観と一般の価値観には180度違います。仏教は現実をありのまま受け入れます。欲の深いには

欲しいものを与えよ。鉄砲玉は鉄板ではなく真綿で受けよ。貧しき者はは幸いである。

 (キリストの教え) 一般的には高学歴、高収入、高い地位があれば幸せと思いますが、現実は学歴が出来、

地位が出来、お金がたまると失いたくないというプライドと不安が大きくなり、反対にもっと欲しいもっと欲しいの

貪欲により争いが起き、奪い合い、略奪し、果ては戦争が起きます。

 豊臣秀吉は天下人に登りつめましたが、貧しく地位の低い時の方が幸せでした。地位と権力、莫大な財力を

もってから疑心暗鬼になり愛する奥弟一族を殺し、裏切りを恐れて大阪城には多くの抜け穴を造り、死に際には

我が子とと豊臣家の行く末を心配し、五大老に頼むと懇願し、それでも安心出来ないままこの世を去りまもなく豊

臣家も滅びました。地位や権力や財力が本当の幸せではないのです。開祖さまは「法華経がわかると困難な問

題が起こるほど、ワクワクして勇気が沸いて来る」と試練をチャンスに受け止められました。これこそ信仰の力

であり、信仰による価値観の転換です。

 
強い人間に宗教はいらない?

 人間は本来、大自然の中では弱い存在なのです。猛獣のように一匹狼では生きられません。仲間と協力して

知恵と道具を使って生き延びて来たのです。

 自分が強いと思っている人は宗教はいらないと思い、祈ることもしないでしょう。宗教を信じる人は自分の弱さ

が解っているからこそ、神仏に便り祈ることが出来るのです。そして、信仰する人は神仏に護られていると実感

し、常住此説法、常在此不滅「仏さまは、いつも隣に居て励まして下さる。いつも隣に寄り添い護って下さる」と

思えるからこそ、どんな状況の中でも<<自分蒔いた種は自分で刈り取る この世で起きた問題はこの世で解決

する>>という困難を乗り越える活力が沸いてくるのです。祈ること、神仏を信じ頼ることは弱さではありません。

 「柳に雪折れなし」弱いからこそ心が柔らかくしなやかになれ、心が折れないのです。

死ぬまで勉強

 教えは知識として知っていても、なるほどそうだ!と腹に落ちた時、霧が晴れるように人生が明るく気なり、希望

が 見えるのです。問題が解なかなか解決しない時も、足踏みしても後退せず、教えを辞めず続けていたからこ

そ、悟れる時が来て毎日が楽しくなります。「年をとっても遅いことはない。学老といって死ぬまで学びです。」


食べ物の好き嫌い

 常食生活が豊かになった今日、食べ物に好き嫌いの激しい子供や大人はいませんか。子供であれば、わが

ままで友達ができない。大人であれば、一つの職場で長続き出来ず、仕事はやり放しの人が多い。人間関係

においても好きな人、嫌いな人の区別が激しく、視野の狭い孤独な道を歩むことになります。子供の求めるま

まに好きなハムやソーセージを与えるのが親の愛情ではありません。親として食事に対する片寄りや手抜きは

ないか。ネギや野菜の嫌いな子供をどのようにして好きにするか。調理方法や味付けなど手間をかけるのが主

婦の務めでであり英知です。栄養が偏れば肉体的体力のないも精神的にも人と同調出来ない自己中心のひ弱

な人間になってしまいます。健康なる体力に健全なる精神が宿り、世のため人のために活躍出来るのです。身

近な食生活改善から、平和を築く貢献が出来るのです。
 



和の力がことを成就させる


 国会は相変わらず、政府は木で鼻わ括ったような答弁や誰が話を聞いてもおかしいでしょうというような答弁

を繰り返し、野党も重箱の隅をつつくような揚げ足取りのような質問ばかり、これでは国難を乗り切ることはでき

ません。

 ①「目的が正しいこと」

 ②「方法が正しいこと」です。

 しかし、皆バラバラで自分中心の都合と面子の張り合いど「船頭多くして船山に登る」状態です。下がるべき

は下がり、認めるべきは認める。協力するべきは協力する和の姿勢がなくては目的達成はできません。

宗教者の役割に目覚めよう

 政治や学問や科学だけでは世の中は良くなりません。かつて私が宗教者の仲間の先生方と二期目の都知

事選を目指す〇〇知事に面談をした時「先生は△△党と手を組むことは反対かもしれませんが、選挙に勝つ

ためには△△党と手を組みます」と明言されました。選挙というもの議員というものはそういうものなんだぁと

思いました。宗教者が政治家や学者に迎合し利用されてはいけません。政治家や学者に正しい心、仏さまの

真理、仏さまの魂を吹き込まなければなりません。それには私たち信仰者もしっかりしなくてはなりません。自

分の悩み事解決や念願成就のためというスケールの小さな信仰レベルに留まっていては世の中は良くならな

いし、教えを残し教えを広く伝えることを託して下さったお釈迦さまに申し訳がたちません。

徳のない財産は怖い  

 財産相続後安心で幸せな人が人生が送れるかどうかは、財産をもらえる法的権利ではなく、天から見られて

 資格があるかどうかなのです。揉めて争って財産を勝ち取っても、お金では解決できない健康の問題か子や

孫と いう子宝で「田分け」すなわちバカげた問題が起きるのです。たとえ争って得た財産でなくても、受け取る

だけの徳 の器(親孝孝行が出来て)がないと運命が沈み始めます。

 もし徳分以上に財を得たと思ったら、思い切って仏の事や先祖供養に徳を積ンで置けば、自分も子孫も安泰

です。開祖さまは「一分の利口に二分のバカ」と教えられました。利口な人は得た財産の一割ぐらいは税金や

善いことに使い徳を積み増すが、いっそバカになってもう一割ぐらい仏事や先祖供養に徳を積んでおけば安心

です。湯呑のお茶でも欲張って満杯に入れたらすぐこぼれます。九分目でもちょつと動けばこぼれます。八分

目なら、少々動いても大丈夫です。

徳と不徳のバランス

 開祖さまご在当時にこんな方がありました。

 孝行を卒業してから定年退職まで四十年勤務し、多額の退職金をもらったご主人が退職した途端に腸閉塞

になり、手術をしましたが術後もお腹が痛み続けていっこうに良くなりません。

 お見舞いに行かれた開祖さまむが「ご主人、多額の退職金を戴いた途端に大病をされ、手術をしても痛みが

止まらないのは、徳切れてせすよ。徳の器以上に退職金をもらったものだから、健康という船が沈み始めたん

ですよ。浮かび上がるには思い切って徳を積んで荷物を放り出さなくてはいけません」

 先生、退職祝いに家族や兄弟を招待してご馳走をしましたが、たりないのでしょうか」

 「あなたは郵便局務めの親方日の丸で、千五百万円もの退職金を戴いた割りには施しが少なったのですよ。

食事だけなら二十万円ぐらいでしょう。それでは少なすぎたのでしょうね。私なら養子先の姑に五十万円、女

房に五十万円、三人の子供たちに十万円、感謝の気持ちで渡します。そして両家の先祖供養をさせてもらい、

退職金の一割か二割ぐらいは施しの徳を積みますよ。」

 「先生、そんなに出さなければ治りませんか!」

 「いいですよ。あなたの自由ですが、徳のない大金を持ったまま,痛い痛いと苦しい思いをするか。教えを信じ

て施しをしてすっりするか。痛さとお金を天秤にかけて、どちらを選ぶかはあなたの自由です」

 開祖さまは正しい道を説かれてお帰りになりました。その時はすぐに「はい」と受け取られなかったご主人も、

よく考えてご指導の通り実践されました。そして、家族や兄弟から「ありがとう、ありがとう」と喜ばれたのです。

生きたお金を使うことによって、自分の体が生かされたのです。教えは率直に実行すれば、必ず答えが出るの

です。

美しくボケる!下の世話にならないために

 コロナ禍の影響で、ステイホームや面会禁止で家族と会えない高齢入院患者の認知症が進んでいることが

問題になっています。できれば認知症にならないことが最最高ですが、誰でも発症するリスクはあります。一番

困るのは大小便の下の問題です。下むのの面倒をかけないように美しくボケるしかありません。

 どうしたら、美しくボケることができるのでしょうか?法華経の因縁果報から言えば簡単です。「本末究意見等、

本と末は等しい」 上の口と下の口は同じです。下のバルブが緩んで垂れ流しに状態になないためには、元気

な頃から上の口で愚痴をタラタラこぼし過ぎない、悪言暴言の言いたい放題を慎み上の口を閉めておくことで

す。今日から心して行えば安心です!

因果は巡る

 元横綱、〇〇と長男□□父子の大バトルが報道されています。家庭内の事情は傍からはよく分からないし、

それぞれいい分があると思いますが、一言でいって、「因果は巡る。親の道は子が通る」ということです。

 ①嫌った親の嫌なが似る□□氏は、父〇〇は頑固おやじで母と離婚したことを攻めていますが、自身はよく

言えばマルチタレントかもしれませんが、父から言えばすべて中途半端であり、「逆も真なり]お互いに両極端で

似ています。自身も一年で半離婚しています。

 ②因縁は代々続く

 先代の大関△△も妻の◇◇さんと離婚、兄の◆◆さんも離婚、親子兄弟三第が離婚しています。「因縁を知

るを智者と名づけ、因縁を知らざるを愚者と名付く」といいますが、名門のご家庭でも因縁の穴にはまってしまっ

たのです。目に見えない因縁の穴を乗り越えるには、正しい仏教の教えを学び、しっかりと先祖供養をし、穴埋

めの徳積みをする以外に道はありません。そして、自分たちが新たな不徳の穴をつくらないように、善行を積み

続けることを怠らないことです。

正しい信仰なくして大安心の人生はありません。


 
転んだら起きる 起きたらすぐ走る

 そうすれば 恥ずかしいことはない

 いつまでも 転んだままで 人の助けを待つような

 意気地なしになってはいけない



幸福の基礎

 人年と共に親の偉大さがわかり、親への尊敬の念が深くなるだけ自分が成長するのである。

親の存在を無視し、親を小さく見下す頃から自分の運命は下り坂となる。先祖を尊び親の心を汲み取ることが

幸せへの道であり、信仰の基礎であり修行の基礎の道である。

 桜の花のような華やかな人生を歩む人もありむ、柿の花のように人の目にとまらなかくも、稔った実の素晴ら

しい人もある。

 花も実もなくても、全山紅葉に同調する樹木のような人もある。

 精一杯の使命に生きる人こそ魅力がある。



小さな徳積み 本当の親切

 人生は「徳が本なり在は末なり」「徳がすべてを決定する」と教えられてます。徳の器が小さいと学歴があって

も地位があっても財があっても、みな溢れ出てしまい本当の幸せは得られません。

 「無財の七施」といって財が無くても,誰でも、いつでも、どこでも徳の積める施しがあります。

①眼施      優しい眼差しで人に接する。

②和顔悦色施 にこやかな笑顔で接する。 

③言辞施    相手を思いやる優しい言葉で接する。

④身施     体で奉仕する。頼まれたことは困っている人のために快く動く。

⑤心施     相手の気持ちを思いやる優しい心遣い。

⑥床坐施    乗り物や会場でお年よりや弱い立場の人に席を譲る。

         (講演会場等で積極的に前列から詰めて座り、後ろから来た人が座りやすくすること)

⑦房舎施   雨の時や猛暑の時に快く軒先を提供する。

         (平素から部屋の整理整頓や掃除を心掛け、来客や家族を迎えること)

         法座を開き、家や部屋を提供することは「法施」の大きな徳積みになります。

身近な徳積み

 何と言っても親孝行です。「考ハ行の本」会社や社会でより良い人間関係を築き、幸せな人生を送るための基

本中の基本です。」

 しかし、教えに縁のない若者や教えの聞き方が浅い若者は、案外親に対して不愛想であったり、小バカにし

たり、不親切な子が多いのです。親から何か頼まれても、面倒くさがったり、嫌そうな返事をして、親に気を使

わせたり、萎縮させたり、遠慮させていることに気付かず、知らず知らずのうちに親不幸の不徳を重ねている

のです。これでは幸せな結婚も理想の就職も叶いません。

蒔いた種は自分で刈り取る

 蒔いたのは子供や嫁や婿だけではありません。「蒔かぬ種は生えない」「自分で蒔いた種は自分で刈り取る

」のが真理ですから、子供に極端に遠慮したり粗末に扱われる親自身も、自分の若い時はどうであったか、襟

を正して反省しなければなりません。子供は親の鏡であり、親の道は子が通る。親のやってきた通りを見せて

いるのだと悟らなければ子供は変わりません。

 反対に、子供の親孝行や人の親切を遠慮し過ぎて受けれない人は、「まず自分」という気持ちが強く人への

施しが少なかったために、子供からの親孝行や人の親切を有難く受け取るだけの徳の器ができていないので

す。

 人生は気付いた時が出発です。その通りだと気付いたら、勇気を持って切り替え、無財の七施・法施・身施・

財施の実践ヲしましょう。

膀胱炎を治す方法

 初老のご婦人が膀胱炎になり、薬を飲んで一か月程たちますか、いっこうに良くならず、辛くて仕方がないと

のご相談です。膀胱は老廃物を溜めて排出する臓器ですから、もともと菌があるのが普通です。

 医学的には、おしっこを我慢し過ぎて繁殖し炎症を起こしているのです。薬事療法と水を沢山飲んで排尿によ

って菌を排出し、膀胱内をきれいにすれば治る病気ですが、一か月以上も治らないないのは、薬だけではなく

「病気は気から」心の間違いを反省しなければなりません。

 ①お金の出ていくこと、何かと入用の多いことに「また出ていく、また要る」といって不足不満の菌が心に溜ま

ていませんか?

 ②子や孫に言いたい不満や愚痴が一杯溜まっていませんか?

 「はい先生、両方ともあります。年度末に固定資産税を払う時期になると『また要ると喜べません」』

 「そこが考え間違いです。固定資産税が高いということは、便利の良い場所に住んでいるということです。

 そして、持ち家があるからですょ。不便な所やアパートに住んでいれば固定資産税は要りません。

 親や先祖のお陰で有難い所に住ませていただいていると感謝することです」

 「そして、子や孫の私生活を見ていると、言いはしませんが『あれではいけない。これでいけないと愚痴不足も

溜まっています。どうしたらいいのでしょうか』

 「不足から大不足が生じます。反対に小さな喜び、小さな良い所の積み重ねが大喜びの生活につながります。

出来ていないことを誉めておだてても効果はありませんが、細やかなことでも良い所を見つけて誉めることを心

掛けることです」

膀口内炎を治す方法

  続けてこんな相談をされました。真面目な息子さんが会社から帰宅後、コロナ予防のため濃い目のイソジン

(うがい薬)で毎日口の中を洗浄していたら、強すぎたのか逆に口の中が荒れてしまい、ものを言うにも、食事を

するにも痛くて困っていますが、これには原因はあるのでしょうか?

 「因果の理法から言うと『種と実、本と末は同じ』ですから、口で罪を作ると口の病気や怪我をします。

 しかし、あなたの息子さんはおとなしい真面目な青年ですから、直接上司に「ため口」を言ったり、同僚に直

接文句を言ったりすることはないでしょうが、自分は清廉実直で間違い少ないから、上司や他の人の不真面

目な所やいい加減なことが許せず、あれが悪い、これが気にいらないと心の中で攻めたり、批判して怒れる

ことが多いのではないですか?

 口の中をバイ菌から護るためのイソジンが濃すぎて、かえって口が荒れてしまったのは、人の間違いやルー

ズさを許さず怒れているからだと思いますよ。

 人のことは苦にせず、「人はそれぞれケ・セラセラ」と人の欠点や非は、目で見ても心でみない、耳で聞いて

心で聞かないというおおらかさを持てば早く治ると思いますよ」

 先生もその通りです。息子はおとなしく真面目でいから、人に直接文句は言いませんが、心にはいっぱいあ

ると思います。そして、一旦言い出すと結構厳しい所があります。教えて頂いた心構えをしっかり息子に伝えま

す。ありがとうございました。」

 世の中の現象は、良いことも悪いことも、すべては自分の種まきであり、因果の理法に照らして悟れば、この

世で起こった問題はこの世で必ず解決するのです。師に付いて、深く教えを学びましょう。


 
大歓喜が幸せを創り出す

 感動が人間を動かし 出逢いが人生を変えてゆく

 仏と出逢い 良き師 良き法友と出逢おう!!

 親子縁が良ければ 良き師と出逢える




目に見えない信仰の力


 仏を信ずれば仏力が得られ、師を信ずれば師力を得ることが出来ます。

 たとえ遠方であっても、電話や手紙等何らかの方法で接近せねばなりません。ましてや近くであれば月に一

度は法坐に出席して直に法話を聞いたり相談するとか、自分の心次第で法に接する道はあります。インスタン

ト信仰では真の道はわかりません。

 霊場巡りのお遍路さんの菅笠に゛「同行二人」と書いてありますのも、「人生の道を行くには仏様と二人づれ」

の精神を忘れぬために教えられているのです。日常生活において、よく怒ったり、愚痴をこぼしたり、貪るとき

は、折角学んだ法も忘れて我流になっているのです。



大変とは

 いま世界はコロナのために「大変な状況」に直面しています。「大変」とは大きく変わる時んのです。

 貧しい時は助け合って人間が豊かになるに付け、自己中心の世の中になり、差別や迫害がはびこり、格差

社会が広がりつつありまする」

 世界の国々も自国ファーストにより対立し、国際関係は一触即発の危険状態です。自然界ににおいては、異

常気象により五十年に一度、百年に一度の豪雨災害や猛暑、豪雪被害が頻繁に起こり、大地震はいつやって

来るか分かりません。人類の限りの無い欲望と競争社会の行き過ぎが、地球の自然を破壊し、人の心をむしば

んでいるのでないでしょうか?

 聖徳太子が「教えなき者は禽獣に等しい」と言われましたように、信仰心の無い人間は,どんなに地位があ

っても、学歴があっても、財があっても、弱肉強食、自己中心の愚かな存在です。我と我、欲と欲がぶつかり合

って「怒りの炎、煩悩ま炎」が燃えているのです。

 今こそ私たちは、人としての正しい生き方、真実の生き方に目覚めなければなりません。「仏の種を育てよう。

 一人が一人仏縁にお誘いしよう」を勇気と使命感を持って実践することです。すべての人の心の奥底には、仏

様の心すなわち仏性が備わっているのですが、それな気付かず、仏性が眠っているのです。仏性は仏様の教

えのご縁に触れる事によってのみ目覚めるのです。わが子や家族に教えを伝えましょう。友達や困っている人を

教えにお誘いしましょう。

そして仏の種を育て明るく楽しい、弱い立場の人に優しい「慈悲の世界」を実現しましょう。



 
今日あるは 親のお陰と感謝して

 親の有難さが分かった時 運命が好転し始める

 親のことが喜べないと 運命は下り坂となる

 世の中には首(親)の無い人は歩いていない。



薬で治る病気 治らない病気

 薬病気には薬で治る病気と薬で治らない病気の二種類があります。二十一歳の看護婦さんから「二,三ヶ月

前かあごの骨が痛み続け、口元まで腫れてしまい、勤め先の病院でも医科歯科大学病院に行っても原因不明

で、薬を飲んでいますが悪くなる一方です」という電話相談です。

 「口の病気は口で罪を作ったのです。口が聞けないほど痛むのは、平素から口で相手の喜ばない言葉を吐い

たり、相手を傷つけたり、怒るような徳の積めない大きな口を開いてきた罪ですよ。そして、激しく痛むのは気性

の激しい人あるです。心当たりが直ちに改め、漢字の良い返事をし、皆さんに喜んで頂きますと誓いなさい。き

っと治りますよ」

 彼女は電話むをしながら親や勤め先の上司に反発して来たことに気付き、涙が流れ続け、電話が切れた途端

に痛みがすっかり取れたのです。



施しが幸せへの第一歩

 法華経は菩薩行の実践により仏になるための教えです。

 菩薩行とは「上求菩提、下化衆生」を言い、簡単に言えば、沢山教えを聞いてこころを磨き、困っている人のた

めに善いことをして喜んでもらう行いです。そのためには足繁く教会にお参りしね月に二度や三度は法話を聞い

て仏縁法縁を深めることです。世の中は日進月歩、日に日に新しく変化しています。常に教えを聞いて心を磨い

ていないと愚痴不足、欲や怒りか多くなり、心はすぐに錆ついてしまいます。

 教えを知らない人はもちろん、折角教えを聞いていた人でも、しばらく教えから遠ざかっていると知らぬ間に考え

方が元の凡夫に戻ってしまい、しまったと気付いた時にはあっと言う間に年を取って「信仰の浦島太郎」になって

しまいます。

 教えは「率直と謙虚さ」がなければ心に浸み込みません。自分が (我)正しい、親が (我)悪い、相手が (我)、

世間が (我)悪いと「我が強い」うちは運命は変わりません。「電信柱の高いのも、郵便ポストが赤いのも、全部自

分が悪いのよ」とちいうくらい 率直で謙虚になれば誰でも幸せになれます。

 菩薩の修行のま六波羅蜜(布施、持戒、忍辱、精進、禅定、仏智)の「布施」によって我が取れるのです。

「施し」の徳を積むから、「持戒」教えを理解し保つことができ、「忍辱」我慢ではなくすべてを感謝に受け止めるこ

とができ、「精進」良きことを続けることによって、「禅定」心に動揺なくいつも穏やかになれ、「仏智」何事も仏さま

の智慧で考えることが出来るようになるのです。これを成仏と言うのです。

 布施には財施、身施、法施があります。財施はもっとも簡単です手っ取り早く我を取るため身近な方法です。

 命の次に大切なお金で徳を積むことで惜しむ心「執着」という我が取れるのです。

 身施は仏事のため、善いことのために労力の徳を積むことです。特に仏事の「奉仕者」をすることによって教え

がより深く身に浸み込むのです。

 最も徳が積めるのは人に教えを伝えたり、教えにお誘いする法施です。法を施すためには、第一にたくさん法

話を聞くことです。一輪車ではすぐ倒れます。二輪車でも不安定です。財施・身施・法施の三輪車ならば人生を安

心して乗りこなせます。

困る自分の罪と悟れば解決

「ながらくお世話になった今の会社を辞めることにしました」と、あるご婦人が報告に来られました。訳を尋ね

ると、数年一生懸命働いて来ましたが、なかなか正社員にしてもらえず、オーナーへの不信感とオーナー夫

人との確執からだということだした。能力もあり真面目な方ではありますが「火の車、作る大工はおらねども、

己が作りて己が乗りゆく」の教歌の通り、自分が正しいという「我」のためにまた一から出直しでご苦労だなぁ

と気の毒に思えました。

 このご婦人は数年前に離婚問題で、友人のご紹介で相談に来られました。

 ある出来事から夫に対する不信感が募り、義母とも徹底して意見が合わず、離婚を決意されましたが、養

育費等の条件で調停が折合わず、なかなか正式離婚ができません。離婚をするにも離婚できるだけの徳が

ないと泥仕合になって成立しないのです。喧嘩両成敗、双方に言い分はふると思いますから、早く解決する

には無条件で相手の言い分を飲めば解決しますよと何度もお話しましたが、「私は悪くない」という我のため

に受け入れられず、長引いているのです。

 「社会は家庭の延長」と言いますが、このご婦人は独身時代から実父に対する反発と不信感が根深くあり、

実母とも意見の衝突が絶えないのです。今は子供を連れて実家にお世話になっているのですが、やはり親に

対して心から下がることが出来ないのです

 離婚の原因である主人に対する不信感と義母との衝突も、退職理由であるオーナーに対する不信感とオー

ナー夫人との衝突の根本原因も実は生まれ育った家庭にあるのです。因縁と影法師は付いて回るといいます

が、この根本の考え方が変わらない限り、行く先で同じ問題にぶつかるのです。

 つまり。親と意見の合わないひと、親をよく見れない人は、どこへ行っても目上や仕事に恵まれないのです。

そして、最後は自分も親として子供と意見が合わなくなって「親に与えた思いを受ける」ことになるのです。教え

の理法から見れば一目瞭然ですが、教えをしっかり学んでいないと我が捨てられず「人の身が悪しく見ゆるは

なかなかに己が心の良からざるなり」と言う真理が分からないのです。

率直に行えば結果は出る

 かって箕〇さんという方が見えました。二十代半ばに肺浸潤になり、医者にも見放され再起不能で藁をも掴

む思いで両親が法坐に連れて来られました。

 先生のご指導は「あなたは体に徳がないのだから体で徳を積みなさい。明日から目が覚めたら『今日は気

分がいいも調子がいい』と言って親を安心させてあげなさい。そして、寝ているだけでは良くなりません。這っ

てでもいいから庭先の草を引き、廊下の雑巾がけをして徳を積めば゛治ります」ということでした。ビ゛っくりし

た親が「医者から病院ではもう治療の方法がないから、自宅で絶対安静にしていなさいと言われているのに、

そんなことをしたら死んでしまいます。無茶です。」

 「そうですか、実行出来なければ医者の言うように治る見込みはありませんよ」と厳しいご指導でした。

「 先生分かりました明日から実行します」と決心されたこの青年は、る見るうちに健康を取り戻し、農協に務

めて最後は理事長を何年も務められ、生涯教えを信じ九十六歳まで生きられました。「はい」と率直にご指導

に従い実践されたことにより七十年の余命を仏様から頂かれのです。

 教えは率直にうけ、実行することにより、大きな功徳を受けることが出来るのです。これが蘇る教え妙法なの

です。


  
心の三本脚

 優しさ、思いやり、そして、ほほ笑み このメッキがはげないように・・・

 優しさ、思いやりは、相手の立場に立って考えることです




器の中身

 金杯には酒が満たされ、やかんにはお茶が入る。バケツには雑巾が入れられるように、器によって入る中身

が異なってくる。

 もし、自分の周囲に訪れる諸々の出来事に喜べない、嫌な問題が累積されるのであれば、これは誰のせい

でもない。今日まで自分が歩んできた道で、いかに徳が積めていなかったか、いかに自分中心の生活であっ

て、有形無形の内にたくさんの人に徳を削っていたかが、今日の喜べない答えと自覚せねばなりません。これ

に気付き反省できれば、嘆くことも腹の立つことも無くなり、心の波も自然と治まってくるものです。徳の積めて

いる人ほど、一旦緩急あれば冷静を保ち、事の善悪を正しく判断し、自らの言動を慎み、相手を常に生かし、

すべてを建設的に考えて事を進められるのです。



年忌法要は盛衰の分岐点

 まもなく新盆、旧盆のお墓参りの時節を迎えます。コロナ禍が続く中であるからこそ、私たちの生命の根源で

あるご先祖さまとパイプを太くして、ご守護を頂くことが大切であります。特に亡き親や祖父母の年忌法事は

、一家の盛衰の分岐点です。会ったことのないご先祖さまも多くいらっしゃいますが、知らないからといって手

も合わせず、供養もしない忘恩の生活に幸せはやって来ません。そして今の幸せも根が切れていては長くは

続きません。

 伝統仏教が何百年も続いているのは、実際に出会った事のないお祖師様である伝教大師、弘法大師、、

法上人、親鸞聖人、日蓮聖人といった開山祖師の遺徳を偲び、何百年たってもご遠忌といって報恩法要を営

み、現在も生きておられるように毎日飯水茶のお給仕をされていますから、大きなお徳とご守護に守られてい

るのです。つまり報恩の家や会社や組織は栄え続けるのです。

年忌法要は一大事業

  みなさん、年忌法要を境に我が家は発展してきているか、運命が尻下がりになっていないか、子や孫とい

う枝葉は憂いなく伸びていますか!今一度、ご自分の家庭の運命を振り返ってみて下さい。年忌法事を大切

に営んでいますか? 因縁の年回りを知って、因縁切り替えの徳を積んでいますか? 

 年忌法事は単なる恒例行事や消化試合とは違います。その後の一家と自分の人生を大きく変える重要な分

岐点であり、法事は心を込めて精一杯の徳積みをさせて頂く大事業です。これは法事を務める本家だけの問

題ではなく、参列する家族や兄弟も同様です形ばかりの布施ではなく「長者の万灯貧者の一灯」各自の力に

応じて最大限のご恩報じの徳積みをさせてもらいましょう。

 最近コロナの関係もあり、近親者だけの家族葬が増え、法事もないがしろになり、故人の尊厳が疎かになっ

てきています。導師のお坊さんもセット価格、格安価格のうたい文句で、まるでバーゲンセールのようにネット

通販を通じて何のつながりもない坊さんを注文する動きがありますが、節操も品位もありません。ご縁の深い

信頼できる高徳の僧侶を迎え、読経とご法話を頂いてこそ、故人を称える意義ある葬儀や法事となるのです。

 
生きた親とも心をつなぐ

 四十代後半のご主人が、再就職の時期と方位を見てもらいと夫婦で相談に来られました。聞けば三度目の

転職で、年齢的にもラストチャンスです。時期と方位だけなら、易者や占い師でも見れますが、大切なのは心

構えです。

 開祖さまの教えに「親指と小指の譬え」があります。人差し指から小指までは子供です。どの指も親指と繋

がった時だけ丸ができます。丸といえばお金であり円満です。これが離れているとお金も円満も漏れ出てし

まいます。特に父親と心がぴゃしりち繋がっていないと仕事や経済に恵まれません。

 転職の理由は、以前の会社は社長が変わって勤めにくくなり、今回は正社員になっても給料が上がらな

いため生活がやっていけないという事情です。

 「実家に行っても母と話をしても、真面目で堅い父親とはあまり話をしないのでないですか。両親を前に話を

していても、父の顔を見ずに話していては繋がったことにはなりませんよ。最近の若者はスマホが手離せませ

んが、」

 実家へ行ってもスマホばかりやっていて親とコミュニケーションを取っていないのではないですか」

「はい、先生その通りです」

 「方位や時期は善くても、親との根本が欠けていましたら、何度転職しても最後は当てが外れてしまいます。

今日から直ちに父親と心と言葉をつなげていけば大丈夫です」

 「先生よく分かりました。夫婦共々両家の親の心を汲むように頑張ります」と笑顔でお帰りになりました。

 亡きご先祖と共に生きた親ともしっかり心をつないだ人生を送りましょう。


 
いつも人に喜んでもらおうと努力していると

 苦労の数だけ 笑顔が増える

 いつも自分の思い通りにしようと行動していると

 苦労の数だけ しわが増え 悩みが増える


聞思修

 分からないことを先生にどんどん質問していく生徒は成績が上がるように、私たちが教えを学ぶにも、先ず話

を聞き、質問をしなければ進歩はありません。「聞思修」聞いて考えて行う、これを繰り返して生活する人に大き

な間違いはありません。私も月1回お師匠様をお迎えし法話を聞き、一ヶ月間の自分の行動の添削を受けてい

ます。悪い点があれば教えて下さい、直ちに訂正します。足りない所があれば補いますという姿勢で聞いており

ます。先生にも喜んで頂け師匠の経験の知恵が頂けますから、安心して進むことができるのです。る道でも一人

で探し迷っているよりも、交番か地元の道に詳しい人に聞けば目的地にいち早く到着することが出来るのです。




懺悔と徳積み 祈りの力

 どんなに科学技術や医学が進んでも、世の中には「まさか」という突然の病気や事故、経済苦、人間関係の不

和等困った問題に直面する時があります。これは徳切れの状態なのです。 

 「徳積めば、、ものは自由になるものを徳も積まずに困る世の人」と教えられますが、地位や権力があっても、

学歴がみあっても、財があっても徳が切れた時はどうにもなりません。

 車に例えれば、どんな高級車でもガソリンタンクに穴が開いて燃料切れとなったら、エンジンが止まってしま

い動きません。先ずは穴を塞いで治さなければなりません。これが反省懺悔です。次にカラになったタンクに

燃料を補給すればエンジンは動き出し、走り始めことができます。これが罪障消滅の徳積みです。

 困った問題にぶつかった時は、先ず仏様の真理から外れた何か心得間違いの穴が開いていないかをしっ

かり反省懺悔し切り替えることです。そして、自分の力と問題の大きさに応じて精一杯の徳を積んで神仏のご

加護を信じて真剣にお祈りすることが大切です。そうすれば、医学や科学、一般常識では手の打ちようのない

状況から奇跡の「まさか」も起こるのです

子宮がんステージ4 奇跡の生還!
 
  「思う一念岩をも通す」の祈願供養の祈りの力と罪障消滅の徳積みの力によって半年足らずで末期がん

から奇跡の生還、職場復帰された事実のお話です。

 2021年1月8日 ある会社の社長さんかすら支店営業に勤める五十三歳の大変間に合うベテラン社員が

子宮がんの診断を受け入院することになりました。何とかご法の力で救って頂きたいと相談の電話が入りま

した。

 「会長先生、私が信頼を置く大事な従業員です。何とかご守護が頂けるように病気平癒の特別祈願をお願

いします。ご供養料は銀行送金致しますから」と真剣なるお電話でした。

 丁度お正月の参拝者に授与する独自のおみくじ「仏様の声」の短冊がありましたので私が代わりに引き、ど

ういう心構えこの難事を乗り越えたらいいのか、仏様の声の解説を致しました。

 一枚目は「話し合いで会社発展」と出ました。子宮は子供を産むために必要な臓器です。そして、夫があって

こそ妊娠出来るのですが、その夫に対して長年の間に言うに言われぬ不平不満が溜まって心が腐ってしまっ

たのが子宮がんの原因です。今日までの不足不満の悪念を水に流し、これからは夫を信頼し、何事も主人と

よく話し合うと心を切り替えることです。

 これを実行したらどうなるか二枚目の短冊を引きましたら、「北風の後に春が来る」でした。がんのレベル4

は北風のような厳しい現実ですが、これを乗り越えて嬉しい春がやって来るという仏さまの声です。

 「今日から早速、毎日祈願供養に入りますから、これをご本人にしっかり伝えて上げて下さい」とお話しました。

 2月1日 自宅安静から入院。食欲はあり元気そヴとの連絡。

 3月12日 営業所より報告。昨日、病院の帰りに娘に付き添われ、営業所に立ち寄り、「がんが十分の一に

なり、退院した」し゜との報告あり。顔色もよく非常に元気であったと所長より報告。

 4月23日 社長が営業所に出向き本人に会うと仕事に復帰しており、涙ながらに飛んできて、奇跡回復の喜

びを離してくれる。

 6月11日 営業所において、びっくりするほど元気で現場で働いていました。本人より、毎日一万二千歩を目

標に歩いているとの報告があり、急激いぎて体が悲鳴を上げるといけないので、ゆっくり大切に生きるよう助言

したと社長より報告がありました。

 人生には「知らず知らずのうちに作った罪科」と言って、自分は正しいと思っていても、仏様の真理から見ると

罪を作っていることが多々あるのです。妙法の教え、因果理法のによって正しい生き方に気付きこころを訂正す

れば、結果現象必ず変わります。しかし、罪の深さは目にはみえませんから、途中で諦めたり、怠けることなく、

答えが出るまで穴埋めの徳積みを続けることが大切です。積んだ徳は無駄にはなりません。そして積んだ徳は

裏切りません。仏様に積んだ徳積みの貯金は自分で下すことは出来ませんが、仏様から見て、その人にとっ

て一番必要な時に必要なだけ与えて下さるのです。

徳積みの功徳で初孫誕生!

 あるお姑さんの陰のの徳積み実践の実話です。

 三十代半ばで結婚した息子夫婦になかなか子供が授からず、三年の月日が経ちました。高齢出産になると

母子とも負担が大きくなりますから、一日も早くと思っていましたが、親の方から治療費の応援かるから不妊治

療をしてみたらとも言い出せず悩んでいました。

 大きな願いを達成したり、難問を乗り越える得るために「年齢供養」といって年の数だけ徳を積むとよいと聞い

ていましたので、息子の年の数だけ供養をしようと仏様にお誓いしましたが、不如意にも手元に大きな金額の

持ち合わせがありませんでした二、三ヶ月後の年明けに満期になる保険がありましたので、満期が来たら徳

積みをさせてもらいますからご祈願をお願いしますと、会長先生にお約束しました。

 そんな親の陰での徳積みを知らない息子が、お正月に「お母さん、おばあちゃんになりたいか?」と突然言い

ましたから「もちろん、孫の顔は見たいよ」と言いますと、「子供が授かったよ」と嬉しい報告です。飛び上がる

ほどの悦びで会長先生に報告すると「功徳が、早かったね」と喜んで頂けました。

 その子がすでに小学校四年生になり、会長先生に会うことやお経をあげることお参りすることが大好きな仏縁

深い子に育ちました。

 親や家族が胎教中から徳を積み、熱心にお参りして赤ちゃんの頃から仏縁に触れて育った子は、人の面倒を

見たり、人の喜ぶことやお手伝いをイキイキとして実行する素晴らしい仏の子として成長して実例です。

 子供の小さい時から、夫婦や家族がそろってお参りをし仏縁の深い子供に育てていきましょう塾に通わせた

り、習い事をさせる以上に人格形成に最良の何よりの子育て方法です。



 
悪い結果も済んでしまったことは いつまでも引きずらない

 前を向いて 明るい未来を想念しよう

 引きずると新しい悪因となってしまう

今日一日の反省をして

 「極楽一念の修行より穢土の修行これに勝れり」と言います。山に閉じこもり、寺や道場に入って座禅をと、

滝に打たれることは、ただ自分を責めるだけで、相手がいませんから極楽の修行なのです。

 一番難しく辛い修行は、生きた人間関係において、特に相本である家庭や職場で「怒らず。愚痴をこぼさ

ず 貪らず」の実行がどんな修行より勝り、上であると教えられるのです。日常のささいな言葉で徳が積めた

り徳を削ったりすることが往々にあります。大きな山に躓く人はありませんが。足下の小さな石につまずいて

怪我をするひとは多いのです。人生もそのように、平素の会話の中に明日を築いているのですから、一度じっ

くり自分の今日一日ょ反省してみるのも大切な修行です。


諸行無常 変化に善悪なし

 世の中はとどまることなく変化しています。これを仏教の世界では諸行無常と言います。

 変化の中でも最も大きな変化は生と死です。一つの命が誕生するということは、人生の中で最も嬉しい変

化でしょう。反面最も悲しい変化は家族や友人との死別という変化でしょう。

 しかし、生まれて来たものは、いつか必ず死を迎えることは必然です。つまり、変化は必然であり変化に善

悪はありませんが、受け止め方で苦も楽となり、楽も苦となり、悪とも善ともなるのです。

 生まれたという「因」があり、死という「果」があり、その人生の間に触れる出来事「縁」によって、喜怒哀楽、

苦楽という「報い」があるのです。

 この世の中(娑婆)の人生は、人格を完成するための修行道場であり、すべての現象は仏になるための昇格

試験なのです。生きている限り自分の仏性を磨いてくれる人が現れたり、試験問題としての現象が現れるの

です。

変化は向上への好機!

 コロナ禍の苦労は、人流を抑える、人との出会いを控える、大勢での飲食や大きな声を出し楽しく交わるこ

とをしない、入院すると家族との面会も出来ない等、今まで当たり前に出来ていたことが出来ない、友人や同

僚は本より家族ともコミュニケーションが取れない不自由さと不安です。そんな中アメリカと中国はコロナウィル

スの責任のなすり付け合いと非難合戦を続け、アフガンやミャンマーでは軍事クーデタが起こり、その背後に

は大国の利害がうごめいています。

 日本も〇〇総理の退陣を受けて、コロナそっちのけで国の将来より、人間的好き嫌いやかっての政治的怨

念の報復合戦の醜さに幻滅します。すべての苦にや民族のなんと愚かな現実でしょう。この苦難の大変化こ

そ、すべての国や民族が主義主張や文化の違いを乗り越えて協力し、本当の世界平和に向かう絶好のチャン

スではないでしょうか。軍事費を少し減らすだけで。多くの人が治療や経済面でく救われ、信の世界平和の一

歩となるはずです。

 しかし、政治や経済、科学や医学だけでは、なかなか難しいようです。人類が深い信仰心によって目覚める

好機を頂いているのです。

パワーアップ陀羅尼経

 法華経にある陀羅尼は。薬王菩薩がお釈迦さまに「法華経を心から信じ、、お経を読み、実践する功徳はど

のくらいありますか?」とお尋ねしました。するとお釈迦様は「八百万憶那由他恒河沙という数えきれないほど

多くの仏に供養した功徳よりも大きい」と答えられました。

 そのお答えに感動した薬王菩薩はじめ勇施菩薩、毘沙門天、鬼子母神なとが六十二億恒河沙というまた数

えきれないほどの諸仏の教えをもって法華経を実践する者を守護しますといって唱えられた呪文が陀羅尼なの

です

 言葉は難しく意味は分からなくても、言葉に力が宿る神秘の呪文であり、全宇宙の諸仏善神の膨大なエネル

ギーによって守護されるという大変パワフルなお経です。陀羅尼は「あらゆる悪をとどめ、あらゆる善なる力を

推し進める力」があり、唱えるだけで仏の世界に入っていけるという呪文です。それは外からやって来る邪気や

悪念から身を守り、善に向かって立ち上がる勇気や活力が無限に沸いてくるのです

 つまり、パワハラ、モラハラなどのハラスメント。事故や自然災害、コロナなどの疫病という外部からの悪鬼

から魔も守られるだけでなく、自分の心の中に湧き起こる怒りや悪念、煩悩や貪欲などの邪念を押さえ、菩薩

行や信仰心など正しいこと善なることに対して突き進む勇気が無限に沸いてくるというお経なのです。

 しかし、膨大なエネルギーには「両刀の刃」のような切れ味と危険性をはらんでいるので、純粋で率直な気持

ちで「ご守護下さい」と唱えることが大切です。少しでも疑う心や欲の心を起こしたり、ちよっと試してみようかと

いう軽い思いで唱えてはいけません。自分自身が押し流されてしまいます。

 世界中が疫病や国内紛争、経済戦争に揺れ動き、IT、AIへの大転換という大きな変化を迎えている今こそ、

純粋な気持ちでお経をあげるという日常が必要な時代と思います。毎日、神仏とご先祖様、家族への感謝の

読経供養を続けましょう。

奇跡の現実 

 七月の半ば、夜の十一時過ぎに緊急メールの連絡がありました。

 ある会社のオーナーが心筋梗塞で心臓停止となり、病院に搬送されました。

「先生、どうかお手助下さい。ご祈願お願いします」と溺れる者藁をも掴む悲痛な内容でした。早速ご宝前に向

かい、真夜中の一時過ぎまで一時間ほど法華経の方便品、寿量品ねそして陀羅尼品を繰り返し繰り返して唱

えて、病人を思い浮かべ一命ご守護、身体回復の祈願供養を一心に続けました。

 翌朝連絡があり、幸い心臓は動き出し、一命は取り留めましたが危険状態に変わりはありません。医師から

は「数分間心臓が停止していたので、脳にダメージがあり、意識が戻ることも命が助かるかどうか難しい。延命

治療をするか、この状態で検査を受けるか、意識が戻ってらか受けるか、このままにしておくか決めて欲しい」

という深刻な状況でした。

 予断を許さない状況で打つ手が無い時こそ一心に拝むことです。もし寄り添えることができるなら、病人の頭

と棟にそっと手を当てて、仏さまと病人の生みの親を念じ、ご守護をお願いしながら妙法を唱えて一回でも多

く、一分でも多く拝んであげて下さいる最後は真心の手当てです。ご回復をお祈りしますと返信しました。しかし、

本人は集中治療室であり、コロナの関係で一日に一回短い時間で限られた人しか面会できません。自宅から

お祈りします。ご祈願量を送金しますので、よろしくお願いしますとのことでした。

 以後毎日陀羅尼経の特別祈願を続けています。その間、総本山や教会に何度も足を運ばれ、途中経過や現

報告をされ、二度三度と精一杯のご供養をされました。

 有難く不思議なことに、当初は絶望視された病人が少しずつ回復され、半月後には意識が戻り、ベッドの背に

もたれて食事もとれるように回復されました。しかし、医者はこれ以上の意識回復は望めないと言われましたが、

一ヶ月後にはリハビリが始まり、病室から自分で携帯電話をかけ、家族や会社のことを心配されるまでに回復さ

れています。人間には必ず生死がありますが、祈りと徳積みのお陰があることも、歴然とした事実であります。

 非常時のみならず、平素から祈りと感謝、先祖に守られる徳積みを続けましょう。



 
絶望は正義の敵である。希望があれば前に進める。

 しかし、理想だけではいけない、

 必要なのは実現するという強い信念である。

 そして、希望をすてないこと
 。


子孫繁栄は家庭教育が本

 子孫が繁栄するには、徳積みと同時に家庭教育が大切です。今や学校教育は学歴偏重、受験のための学

習が中心で人間教育はほとんどないに等しく、ましてや学習塾は受験のための技術しか教えません。だから、

頭は良くても応用力、社会性という人間力が身についてままで社会人となり、人間関係がうまく出来ず、仕事

の辛さに耐え切れず、自分探しという名目のもとに次々と転職を繰り返し、果ては精神を病む若者が増えてい

るのが現実です。

 社会4の風潮が高学歴、一流企業、高収入が人生の幸せと勘違いし、小さな頃から学習塾やスポーツクラ

ブや習い事などに通わせ、それにかかる高額な費用を得るため夫婦共稼ぎの家庭が大半となり、子育ての手

抜きをしてきた結果がニートやノイローゼ、引き込みの子供達が増えているのではないでしょうか。本当に子や

孫がそのこの特性を生かし、繁栄していくためには家庭教育、両親の深い愛情と手間暇こそが根本なのです。

「父母恩重経」の中に、子は親の懐を寝所となし、母の膝を遊び場となし、母の乳を食物となし、母の情けを

生となす。・・・母は児を見て歓び、児は母を見て喜ぶ。両情一致、恩愛の洽(
あまね)きこと、複た此れ過ぐるもの

な.し。飢えたるとき食を求むるに、母に非ざれば食らわず。渇けるとき飲料を求むるに、母に非ざれば飲まず。

 母に非ざれば養われず。母に非ざれば育てられず。

 二歳、乳に非ざれば、火の身を焼く事をしらず。母に非ざれば、刃の指を堕とすす事を知らず。

 三歳、乳を離れて始めて食う。父に非ざれば、毒の命を堕とす事を知らず。母に非ざれば、薬の病を救う事を

知らず・・・

 家庭教育での父母の役目は大きいのです 。

 
後ろ姿と口ぐせ教育で育てる

「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、誉めてやらねば、人は動かじ」という山本五十六大将(旧日本海

軍の司令長官)の名言があります。

 子供は親の言った通りには育ちませんが、やった通りに育つのです信仰心を持たない人が増えていますが、

新家、分家で神棚や仏壇の無い家に育った子は、神仏に手を合わせることを知りません。たちえ本家でも親が

手を合わせることをしていなかったら、子供は手を合わせません。

 真生会では新家分家の方でも仏さまを祀ることが奨励しています。(うちには死んだ人がていないから仏壇

を祀らないという新家分家の人がいますが間違いです。仏さまと亡くなった先祖とは違います。すべての命を

生かして下さる宇宙の大生命であるご本尊を祀るのが仏壇です。)

 後ろ姿の実践だけではなく、次に大切なことが「口ぐせ教育」です。人は知っていること、学んだことしか実行

できません。

「弱い者いじめは絶対してはいけません。困っている人がいたら助けて上げなさい。」

「ウソはついてはいけません。約束はちゃんと守りなさい。」

「集合時間に遅刻はしてはいけません。みんなに迷惑をかけないよう十分前集合です。」

「靴は揃えて上がりなさい。席を立つ時、イスはテーブルの舌に戻しなさい」

「挨拶はしっかりすること。お世話になったらお礼を言うこと。間違ったと気付いたら率直に謝ること。」など、人

としてのマナーや考え方は、繰り返し繰り返し、口ぐせのようにして教え、心に刻むことです。「三つ子の魂百

まで」の諺のように人間形成に大きな影響を与えます。

 
家庭環境の重要性

  いい子が育ち、平和な家庭となり、一家が繁栄するかどうかは、玄関とトイレと台所を見れば大体むわかり

ます 。整理整頓や掃除の行き届いていないゴミ屋敷のような家や部屋で育った子には必ず問題が起こり、い

い子は育ちません。「家の乱れは心の乱れ」小さな子がいる家庭は、毎日のように部屋がおもちゃで散らかり、

戸障子が破れたり、家具が壊れたりすることは仕方がありませんが、散らかし放し、壊れ放しにしておくことが、

良くないのです。散らかっても毎日一緒に片づける、壊れたら応急修理でもいいからすぐ治す。

 玄関は家の顔ですから、靴はちゃんと揃え、必要以外の靴は出来るだけ片づけてこざっぱりしておく。トイレの

便器に染みや汚れが付かないようにこまめに掃除する。台所の壁やレンジ周りが油汚れでギラギラしないように、

炊事が済んだら毎日拭き取ること。特にアパートや借家住まいの人は、大家やオーナーに喜ばれるに、きれい

に大切に使っていると、家に徳が積めて必ず新築の家や一戸建ての家に住むことが出来ます。

 なによりも、家庭が平和で円満になる秘訣です。

 
徳で住む家、お金で住む家

 昔、古屋に住んでいた貧乏なご家庭がありました。主人は収入が少なく、あまりうだつの上がらない人でした

が、法坐を開き大勢の人に法を伝え家に徳を付けられました。そして、奥さんが掃除魔と言われるほど、古い

家でしたが徹底的に磨き上げ、古い板張りのトイレも黒光りするほど磨き上げて見えました。

 しかし、主人に家を建替える力はありませんでした。息子さんも中卒で学歴はありませんでしたが、技術を身

に付け、若くして独立して成功し、瞬く間に立派な新築の家に建替えられました。

 誰でもローンで新築の家に住むことは出来ますが、後々ローン返済に窮々しなければならないのはお金で

住む家です。

 お金は無くても、開祖さまのご指導に従い、大家を喜ばせ、狭い借家をきれいに大切に使っていたあるご夫

婦も、道路拡張による立ち退きを契機に、貯金はほとんどありませんでしたが、兄弟親戚のお祝いや勤め先の

社長の応援で新築一戸建てに住めるようになったご家族もあります。これを徳で゛住む家というのです。行えば

実る、誰でも実行すれば゛実現するのです。

老人として優等生の努力をする
 
 「ご飯ですよ」「ハイ」「お風呂ですよ」ハイ「」と返事しても「ハイ、ありがとう」とはなかなか言っていない。

 「ありがとう。ありがたい」が一日に何十回も言える人は毎日が充実い、楽しい日々である。

 高齢化社会、長寿国となった日本、このままで将来は大丈夫でしょうか。老人が徳一杯の生活をして、徳を

使い果たしてしまったら、子孫はどうなるのでしょうか。

 子孫のために徳を蓄え、残してやる老人にならなければなりません。老人の考え方か明るい家は子孫が栄

えます。愚痴の少ない、施しの強い老人のいる家は平和で円満である。

 
 
失ったものを数えるな

 残されたものを最大限に生かせ

 愚者は無いものを嘆き

 賢者は今あるものに感謝し活かす



相手を喜ばす方法

 「馬鹿と叫べば、馬鹿の戻る」「ありがとうと叫べば、ありがとうと戻る」これは山彦でありますが、私達の人

生活も、自分の心使いは、必ず相手にこだまして自分に戻ってくるのが真実です。

 今日喜べないという人は,誰のせいでもありません。日頃から周囲の人に喜びを与えていないので喜びが

戻ってこないのだ、人を見て馬鹿扱いするから馬鹿な行動や言葉が、わが身に戻ってくるのだと悟り、自らの

行動を改めなければなりません。

 人間関係がなぜうまく行かないのか?

 それは、真実を言いすぎるのが原因である。親しい間柄ほど、方便相手を喜ばす方法()」を上手に使うのが

和合への近道です。




運命に当たりハズレはあるか

宝くじには、当たりハズレがありますが、それとても、くじを引いたのは自分の責任であり、自分の徳分に応じ

た当たりくじです。

 つまり、自分に訪れる運命はすべて大当たりであり、必然なのです。今日の結果は自分が蒔いた種であり、

自分で刈り取るよう他にはないのです。しかし、逆に言えば、自分の力で刈り取り、運命を変えることができる

のですから、嘆いたり絶望することはありません。

 開祖さまは「宝くじの一等を当てる方法」はハズレくじを全部引いてしまえば、最後は必ず当たりが残る。当た

りが出るまで、腐ったり諦めりせずに「喜んで引き続けことである」と教えられました。果たして、人生の中で自

分にとって都合の悪いくじを「いつかきっと良くなる。きっと当たりはある」と信じて引き続けることができるかと

いうことです。途中で止めたらハズレくじの人生のまま終わります。

 運とは「運命」の事であり、その人の命の運び方によって運命は変わるものです。命には「天命、宿命、使命」

の三つの命がうります、天命、宿命は自分の力ではどうにもなりませんが、使命は自分の考え方でどのように

うにもなります。つまり、自分の役割という命の使い方、心の舵取り次第で大海原に出ることも出来れば、岩礁

に乗り上げ人生が座礁する人もあのます。

 仏教、特に法華経の教えは希望の島に到着するための、正確無比の羅針盤なのです。信仰心もなく、まして

や師匠の無い自分先生の信仰や人生は信版を持たず、めくらめっぽうに自分の感や思い付きだけで大海を進

む船と同じで、最後は目的地にも着けず、大波や嵐の中に沈んでしまうのです。

はずれにならない方法

 真実は自分の徳分にふさわしい親のお腹を借りてこの世に誕生するのですから、今世において「慈悲、誠、

堪忍」の三徳を実践して徳を積むことです。つまり、人の喜ぶ善いことをたくさんする。人に情けをかけ、施しの

強い人となる。この徳を積んでおけば、将来は希望の人生となり、来世は生まれながらにして長者の家に生ま

れるのです。

 反対に「貪、瞋、痴」の三毒の生活、つまり欲深施し少なく、不平や愚痴の多い乞食根性で今世を終われば、

来世は乞食のお腹に宿るのです。

 親の心を汲んである人は上司運に恵まれ、面倒な家事手伝いも喜んでしてある人は仕事運に恵まれます。

親を尊敬し親孝行のしてある人は、結婚相手にハズレはありません。

 最近は若者だけではなく、年配者でも信仰心の無いひとが増えていますが、人生の第4コーナーに差し掛か

っている老人ほど、正しい信仰心をしっかり持ち、徳積みの総仕上げを早くからしっかりしておかないと来世の

幸せは得られないのです。

 前途ある若者よ、早く信仰心に目覚めよ。残り時間の少くなった老人よ、徳積みを急ごう、認知症になったり、

養老院に入る前にしっかり徳をつんでおきましょう!。

一流の考え方を真似る 

 真生会の開祖さまは「無理をしないで無理をする」「ゆっくりするのはあの世でいい」「死ぬまで生きる」の名言

の通り、入寂されるその日まで会員の相談を受けられ、生涯現役の人生でした。

 「無理をしないように」にしていれば、無理のきかない体になっていきます。頭も常に人さまの幸せを考え使っ

ていればボケくせんが、自分の事ばかりや余生の安楽のひとにしか頭を使っていませんと働きが弱くなの、認

知症やボケが進むのです。お金も自分の事だけに使っていたり、貯めているだけでは力を失います。

 老人だけではありません。若者とても「若年寄り」のように楽をして儲けることや無理をせず楽をすることをば

かりを考えているようでは、一流には成れません。一流を真似れば一流になり、二流三流を手本にしていては

本当の成功と幸せは得られません。法華経は、誰もが一流の生き方ができる人生の手引書です。一日も早く、

一刻も早く学びましょう!

 

 
世界の平和や人様の幸せを願う視野の広い人

 スケールの大きい人には大きさにふさわしい幸福力が訪れる。

 自分の願い、我が家の幸せだけで満足していては、

 スケールの小さな自己満足信仰となってしまう!



仏さまの声は聞こえていますか

 私達の目には見えませんが、仏さまはいつも私たちが生活しているこの娑婆世界に住んでおられて、すべて

の人が正しい生き方に気付き、目覚めるように説いてお見えになるということです。

 ある時は人を通じて、またある時は出来事を通じて語りかけて見えるのです。しかし、その声は学問や知識の

力だけでは、正しく聞き取ることは出来ません。仏さまの智慧、つまり諸法実相の教えし、すべての人を無常道

(仏の世界)に導いてあげたいという仏さまの慈悲の心に守られているということが分からないと現象の真実が

見えてきません。

すべては自分の心の現れ 自分の蒔いた種

 中年男性のバイクライダーが、若者二人の乗った車を突然あおり運転で行く手を阻み、バイクを下りて来て

車に近づき大喝一声「なめとんのか」と叫びながら窓ガラスをたたき、車のナンバープレートを折り曲げ、警察

が来る前に逃げ去った事件がありました。

 若者二人は、威嚇されたり暴力を振るわれるような運転や悪いことなどしておらず、身に覚えのない出来事

であったようです。いわゆる難くせを付けられ恐ろしい思いをしたのです。

 この若者の車のナンバーは「・・・1」という番号で、偶然ではなく申請をして有料で取得番号なのでしょう。

どんな番号を付けていようと自由であり、誰にも迷惑をかけているわけでもありません。

 確かにこの青年と通りすがりの加害者とは何の関係もなく、常識的には一方的に加害者が悪いのですが、

「困る者の罪」でこれにも原因ががあります。法華経の「諸法実相」の智慧4で見れば一目瞭然です。「魔いた

種と同じ実が稔る」と言うのが真理です。世の中は善いことも悪いことも「人に与えた思いを受ける」のです。

 つまり、この若者が誰かを脅かし恐ろしい思いを与えてあったから、その種まきの結果として恐ろしい目に遭

ったのです。

 若者の車は。スポーツカー系の高級車のようでした。きっと親に応援してもらって買った車なのでしょう。その

時に目上である親に対して手に入れた車なのでしょう。きっと親は我が子の要求に身の縮むような恐ろしい思い

をしたという種まきがあったと思います。れは因果の理法でなくては分かりません。

 聖祖様の説法に4こんな実例があります。

 ある指物師(家具職人)の息子が、繁華街の交差点に差し掛かった時、信号が黄色から赤に変わったので急

ブレーキをかけて停車しました。すると横断歩道を渡ろうとしていたチンピラが、車に触れてもいないのに因縁

をつけてきたのです。「おまえが急ブレーキをかけい停まったから、びっくりして寿命が縮まった。びっくり賃よこ

せ」と難くせを付けられ、いついつまでに俺んち家に持ってこいと脅され、子困り果てて相談に来られたのです。

 聖祖様はこのように説法されました。

 「息子さん、ぶつかってもいないのにびっくり賃をよこせと脅されたのは相手が悪いのではありません。あなた

最近お金の事で誰か目上の人に怒ったり文句を言ったことはあれませんか」

 ちよっと考えて

 「お金の事といえば、私は父親の家業を継いで指物師の修行中ですが、給料が安いので『給料をもっと上げて


れ。上げてくれないのなら、家業は継がない。出ていく』と怒って文句を言いました。これがいけなかったのでしょ

うか」「よく気付かれました。その通りです。賃上げのお願いをすることは特別悪いことではありませんが、大声

で文句を言い、上げてくれなければ家業を継がずに出ていくという捨て台詞は、親に対する脅しでありチンピラ

根性です。きっとお父さんは困り、身の縮む思いをされた事でしょう。そひの罪がたまたま急ブレーキをかけたと

いう縁に触れ、結果となって現れたのです。早速お父さんに懺悔をして心からお詫びをすることです。」

 その語、相手からは何の連絡もなく、事は収まったのです。

 こんな実例もあります。

 太平洋戦争中、職業軍人で憲兵であった男性が、終戦で引き上げてきて芋ようかん製造の仕事を始めたが第

三国人(東南アジア人)に売上を持ち逃げされ、店は倒産してアパート暮らしとなり、こんな馬鹿なことはないと腹

を立てて相談に来られたのです。

 「真面目に」一生懸命働いていたのに、こんなことになる原因が分かりません」と意気消沈のこの男性に聖祖

様はこのように説かれました。

 「あなたは戦争中、外国で憲兵の権力で現地人から、金品財産を不当に取り上げ苦しめた種まきはありません

か」の問いかけに、この男性は顔色を失い「先生、なんでそんなことが分かりますか?お恥ずかしい限りですが、

先生のおっしゃる通り、破竹の勢いでアジアの国々を占領していく日本軍の勢いに乗じて、随分ひどいことをして

きました。その報いなのでしょうか」

 「その通りです。今さら現地の人に返すことも出来ませんから、心らか申し訳ないことをしたと懺悔し、人の嫌が

、人のやりたがらない『便所の汲み取りの仕事』から立ち上がっていくことです。そして,< i日本一の汲み取り>に

なって徳が詰めれば、必ず幸せになります」

 「先生、日本一の汲み取りとはどういうことですか。どうやって徳を積むのですか」

 「古新聞ヲ持って歩き、糞尿の汲み取りの後、汚物で汚れた汲み取り口をきれいに拭いて相手に喜ばれる徳を

積みなさい。きっと幸せな人生がやってきます」

 市の汲み取り職員として働き始め、教えの通りに実践さし続けられた結果、どんどん出世し課長・部長となり、

最後はごみ焼却場の所長にまでなり、晩年は新築の家に住み学生アパートも持ち、悠々安楽な生活をされた

のです。

汚れはきれいにしておく

 今日の出来事、自分にやてくる問題は誰のせいでもありません。仏さまが何かを通じて誰かを通じて、私達に

人として正しい生き方を教えて下さっているのです。誰しも知って作った罪と「知らず知らずのうちに作った罪が」

があります。どちらも自分で蒔いた種は自分で刈り取り、罪の穴埋めさえ出来ればどんな境遇からでも幸せにな

れるのです。作ってしまった心の汚れや罪は、しっかり教えを学び師の添削を受けきれいにして精進しましょう。


  
人間とサルと信仰者

  人間は食べ物を分かち合い、サルは分かち合うことをしない

  物を施し、分かち合いの出来るが、人間とサルの違いである

  法を施し、幸せを分かち合うことが出来るのが信仰者と一般人の違いである




運命とは


 人の一生は大ドラマを各自が演じているのです。貧乏人役、女中役、病人役などの使命を受けるのです。

 たとえつまらぬ貧乏人役でも心から引き受け、賢明にやりきった人は千両役者であり、観客(大自然 仏様)

から拍手喝采の褒美が貰えるのです。せっかく格好のよい殿様役を与えられても喜びを知らず、不平不満の

心で演じた人は、大根役者として大衆から見放される人もあります。

 運命とは自分の心の運び方次第で善にも悪にもなるのであって、他にゆだねるものではありません。

 この世の中は、「心ひとつの置き所、楽も苦となり苦も楽となる」と知れば、今からでも遅くない、尊い仏さま

のご法の鏡に己を映し、教えの物差しに沿って生活すれば誰でも幸福を勝ち取ることができるのです。



信仰の視野を広げよう


 私たち人間は旧態依然たる固定した考え方では今の幸福は長続きしません。自然界で生き延びてきた生

物は、強い者が生き残ったのではなく、自分を環境のく変化に合わせて柔軟に変化させたものだけが生き残

ったのだと言われています。

 宗教の「宗」は物事の大本、根源という意味であり、つまり時代が変わっても変わることのない「永遠不変の

真理」のことです。「教」は真理の実践方法であり、これは時代や状況、自分の成長度合により変化していきます。

 つまり信仰はの視野を広げ、時代や生活環境に即して日に新しく発想を進化発展させることが不可欠です。

 折角の信仰も停滞し時代遅れになってしまっては、若者からの魅力も無くなり、法の後継者も育ちません。

世の中は病んでいる

 悩みや苦しみで行き詰った時に一人で抱え込み、誰にも相談できる人がいなく心が病んでいるの孤独の人が

います。人間は孤独では生きられません。ほとんどが核家族となり身近に相談する親がいない。夫婦共働きで

心身共に疲れ、話し合う余裕がなくなり、癒されないままストレスが溜まっているのです。

信仰の宝は不断の友

 お釈迦さまは善き法の友は信仰のすべてであり、師である自分自身も法の善き友であると言われました。信

仰は、自分のことが決められない弱い者のすることだと錯覚している人がいますが、それは間違いです。信仰

が信じられない人、良き師に巡り合えないひと、師匠取りの悪い人は親不幸者や親子縁の悪い人が多いので

す。相談できる師匠があること、励まし合う法友があることが信仰の宝でありすべてです。

 師匠のない仏教はありません。お釈迦さま以来、師から弟子へ、その弟子が師となり、また次の弟子へと二

五百年間途切れることがなく伝わったからこそ仏教があるのです。最近は師匠のない書物仏教、活字だけで学

ぶ人が増えていますが、独学だけで理屈はわかっても人生を大きく転換させる力はありません。師匠に対面で

直接相談をし、説法を受けてこそシ師力仏力を得ることができるのです。コロナ禍でリモートが便利になりました

が、やはりリアルに勝る力はありません。一回でも多く法を学びましょう。

法の施しで徳の器を大きくする

 人生の幸せは詰まるところ徳の器の大きさで決まります。財も地位も学歴も家も子供も、徳の器が小さかった

ら、みなこぼれ出てしまいます。器の分しか残らないのです。

 では、どうしたら徳の器を大きくできるのか?

 施しの徳を積むことです。「自利利他」といって「自分の幸福のために努力することと、他の人の幸福のために

つくすこと」です。

 ソニーの創始者、井深大氏や盛田昭夫氏は、小さな町工場から操業する時、ただ儲けるむこと、会社が大きく

なることを願ったのではなく、「自分たちの持てる技術を世の中に役立てていきたい。世界の人を幸せにしたい」

と利他の精神があったからこそ世界のソニーとなったのです。

 施しには、財の施しと身の施しがありますが、法華経の随喜功徳品に「法に誘う功徳、法を伝える功徳は、財

や身の施しの千倍、万倍、百千万億倍という計り知れない功徳があるむと説かれています。縁ある人に教えを

伝え徳の器を大きくしましょう。



  
宇宙の約束には無駄がなく必要な物だけを
 
  ちゃんと創っている

  花がそこに咲くことはそれが大切だという証

  私がここに在ることはそれが必要だという証

  自分の命を大切に今を直向きにに生きよう

  名もない花が咲くように



幸福を呼び込む方法


 【無理をしないで無理をして!】病気をした、年を取った、無理をしたらいけないと考えるのは当然の常識

である。 しかし、仏様の考えは、私たち凡夫の考えの逆である。年を取ったからと言って、引っ込み思案で、

明るさが欠け、愚痴が多くなり始めたら、家族からも見放され、人からも嫌われ、心も体も老化して生きがい

を見失ってしまう。

 仮に、病気をしたからと言って、医者と薬ばかりを頼りにして、体を使わず食ってばかりいたら、肉体は保

てても気力は衰え、良き発想も浮かばず「ただ生きている」という人間になってしまう。

 ①良縁(仏縁)には無理をしても近づく ②良いことには無理をしても汗を流す ③良いことには無理をしても

施しの種を蒔く。この三つの無理を続ければ幸福を呼び込むことができる。




大きな信心をしよう

 
仏教は「自利自他」といって、自分の幸せを願うことと、他人の幸せを願うことの両面があります。車の車輪、

鳥の双翼と同じで。片方だけでは前へ進めませんし、飛ぶこともできません。私たちの信心も同様で、片方に

偏った信心では、本当の幸せは得られません。

 最初は誰でも自分の悩み事や解決や念願成就のために「自利の信仰」小さな信心から始まりますが、困って

いる人のために祈り、弱い人に手を差し伸べる。つまり世のため人のためという「自他の信仰」大きな信心が揃

った時、人知を超えた計り知れない功徳が掛け算となって現れるのです。

 ここに菩薩行教える法華経の偉大さ有難さがあるのです。

欲と願い

 欲には小欲と大欲があります。

 小さな欲とは「自分のことを願うこと」つまり、初詣でお賽銭に百円玉を投げて「受験合格、商売繁盛、家内安

全、結婚成就、子宝祈願」を祈るのは私的な「欲望」です。これも信仰の一部てであり、否定するものではありま

せん。

 大きな欲とは「世界が平和になりますように、戦争が起きませんように、すべての人が自然災害から守られま

すように、戦争が起きませんように、コロナが早く終息はて世界の人々が安心して暮せますように」など公共の

幸せを心から念じることを「願い」と言うのです。

 法華経の自我偈に「一心欲見仏、不自惜身命、時我及衆僧、倶出霊鷲山」とあります。一心に仏様のお姿

(救い)を見たいと念じ、人様の幸せ、大きな願いのために命懸になって行えば、仏様とお弟子が現実世界(霊

鷲山)現れて守って下さると言う意味です。

信仰の答えは掛け算で出る

 信仰のない人生の答えは足し算で出る

 1+1=2、 2+2=4、 3+3=6、 4+4=8というように、努力した分だけ重なって結果が現れます。

 信仰のある人生は、世のため人のためという「損から先の生き方」ですが結果は掛け算で現れます。

 1×1=1、2×2=4というように最初の段階は、施しの徳を積む損から先の信仰の無い人の方が得であり、

二倍良いことをしても無信仰の人と答えは同じです。しかし、 3×3=9、 4×4=16というように3段階4

段階になってくると足し算よりはるかに大きな答えが出始めるのです。

 仏様の救いは誰にでも平等に注がれていますが、その人の願いの大きさ、徳の器の大きさに応じて与え

られる幸せの量は自ずと違ってくるのです。

末法の時代、法華経によって救われる

 お釈迦さま滅後二千五百年から万年間を末法といい「闘争堅固」の時代が続くと説かれています。現代は

その末法の真っ只中にあり、世界は自国の利益がぶつかり合い一触即発、戦争の危機に直面しています。

 大自然は、火山爆発、地震、豪雨、豪雪、干ばつなど地球温暖化の異常気象に人間の力は非力で危機に

瀕しています。その上にこの二年間は、コロナ感染症の疫病が世界に蔓延しています。

 この末法の危機を乗り越え地球と人類を救うには、法華経の説く「菩薩行の実践」と人様りの幸せを祈る「大

きな信心をする」以外にありません。

人を救えば自分が救われる

 かつて戦後まもなく岐阜市に〇〇という医者から見捨てられた結核の重症患者がありました。何とか主人を

救いたい一心で教会に相談に来られた奥さんに「家で法坐を開きなさい。さして、知人友人ご近所をお誘いし

て,法華経の教えの広がるお手伝い。人が救われる徳積みをしなさい。そうすれば病気は良くなる」と教えられ、

早速に六畳二間のアパート暮らしの中から法坐を開かれました。奥さんは熱心に法坐に人を誘われ。瞬く間に

お参りの人が増え、部屋に入りきれない人は外から窓越しに立ち見でお参りされるほどになりました。

 最初、寝たきりのご主人は隣の部屋で教えを聞いて心を切り替え、毎月拝んで頂く間に驚くほど元気になった

のです。そして、「自分が拝んでもらうだけでなく、自分も人を拝がませてもらうと法華経の大きな功徳が頂ける

から〇〇さんも誰かを拝ませてもらう徳積みをしなさい」とご指導を受け、ご主人も率直に実践されました。「誰

かご病気の人はいませんか?」と知り合いを訪ね、同じような結核の病人を毎日拝みに行かれたのです。相手

のご病人から「私よりあなたの方が病気が重いのだから、気の毒だから拝みに来てもらわなくてもいい」と言わ

れても「是非おがませて下さい」と通い続けた〇〇さんの方が先に良くなってしまったのです。

 「法華経行者の祈りとして叶わざるはなく、行いとして実らざるはない」という事実が現れたのです。

 病気が治った〇〇さんは、その後も法坐を続けながら和菓子製造の仕事を始められました。毎月法坐を聞き、

法話の後には商売の仕入や心構えなど、遂一報告と相談をされながら努力され、妙法の教えに沿った商売を

続けられた結果、商売はどんどん発展し菓子製造会社を立ち上げられ、〇〇さん亡き後の今日も岐阜の菓子

製造メーカーとして続いています。

 信仰の視野を広げ、大きな信心を目指し、自分だけの信仰から家族に伝え、家庭から社会に教えの和を広

げ、世界中が妙法の教えにより、平和と安心が訪れるように精進しましょう。


   
弱い自分に勝つ

   愚痴、不平不満、怒り、嫉妬、自己嫌悪、

   卑下、慢心、誘惑、怠け心

   他人に勝つことも難しいが

   自分に克つことが一番難しい

   でも一番楽しい



娑婆とは

 
仏教ではこの世の中を娑婆といい、「忍土」とも言います。家が面白くないからと旅に出たり、長男の嫁と暮す

のが辛いからと、次男や娘の所へ逃避行したり、姑と意見が合わぬから里へ帰るとかのトラブルがよくあります。

 楽しい観光旅行でも、海の幸山の幸のお据え膳で何不自由のない日が十日も続くと、お茶漬けが食べたくなっ

たり、我が家が恋しくなるのはなぜでしょうか?人生は忍ぶ所ですからね「忍ぶ事」がなくなれば、表面的には幸

せそうに見えますが、味もそっけなく魅力がなくなって嫌になるのです。万物の霊長たる人間の素晴らしさは、


を知ってこれに報いること
と、忍ぶ力があることです。この長所を失えば勝っても負けても最後は亡びるのが世

の姿です。人里離れての一人暮らしは他を干渉したり干渉されたりしないので罪を作らず良さそうに思えますが、

徳は積めませんし、向上もなく活力も沸いてこないのです。



正法実践で感染を防ぐ

 仏さまの教えに照らしてみると当分コロナ感染症は収まらないと思います。

薬師経の中に、末法の世となり国に正法(仏の正しい教え)が行われなくなり闘争堅固の時代になると、「疫病が

流行り、異常気象や地震、噴火などの転変地異が起こり、侵略戦争や内乱が起きる」と書かれています。身体

で言えば外からの災いは交通事故やいじめ、内乱とは体を蝕むガンや様々な難病です。

 世界情勢においては、自国の利益中心にぶつかり合う自己中心的な我と欲、力と力のぶつかり合いであり、

闘争堅固そのものです。正しい仏法による政治が失われている状態では、疫病であるコロナ感染症は当分収

まらないでしょう

正法実践で感染を防ぐ

 コロナを正しく受け止め、正しく対処することが大切です。大衆心理や二転三転する情報に翻弄され、ただじ

っと、家に閉じこもり、すべての行事を取りやめ、必要以上に恐れるのは「凡夫の千恵」です。さりとて、ワクチン

さえ打てば大丈夫しか根拠のない「自分は大丈夫」と自由奔放に振る舞うのは「匹夫の勇ね野蛮で愚かな暴挙」

です。

 法華経は闇雲に「拝めば治る」という非科学的な迷信的宗教とは違います。手洗い、マスク、うがい、三密は

控える、喚起を頻繁にするなどの科学的合理的な行動を守ったうえで、社会に迎合するのではなく、信仰者とし

て正しい行いと信念を持って行動することが大切です。

 国に正法が行われていないのなら、せめて家庭の中で正法を実践して自らを守らなければなりません。法華

経は「元品(根本の無明(本当のことを知らない無知の暗闇)」を切る大利剣、生死(変化や迷い)の長夜を照らす

大燈明」ですが、毎日しっかりお経を上げ、法話を学び、仏さまの智慧に基づいた実践をしていないと折角の仏

心という名刀も切れ味が鈍り、希望の燈明も光を失い真っ暗闇の生活になってしまいます。

 最近夫婦喧嘩が増えていませんか?親子や兄弟はもめていませんか、自分が病気になったり、もし家族に

病人は出ていませんか?もしそうだとしたら家の中にも「末法の現象」と今年の「腐敗作用」が始まっているの

です。

 ①毎日ちゃんとお経を上げて心を浄めていますか?

 ②教会法坐にお参りして仏法の正しい考え方を学んでいますか?

 ③師の添削を受けて進む方向のズレを修正していますか?

 毎日お経を上げていませんと心はすぐに曇ってきます。三日に上げず法話を聞きませんとすぐに凡夫の考え

方に戻ってしまいます。特に大切なのは「
師の添削を受ける」ことです。妙法は「彼岸(幸福)に至る大船」です。

妙法という立派な船に乗って、祈りという燃料を満タンにしても、進む方向の舵取りが間違っていたら、目的で

ある幸福の岸に着くことことはできません。添削を受けない自分流では、人生といあ大海原で漂流し本当の安

心立命はありません。

コロナに感染しない、コロナから早く治るには!

 最近は、子供や学生が学校でコロナに感染し家庭内で広がる「家庭内感染」が急増しています。どうしたら、

ころなに感染しないか、感染してもどうしはたら早く治ることができるか!答えは簡単明瞭です。

 すべて世の中は「縁」で繋がっていますから、家族や身近な人、大切な人を嫌ったら、大切な人を嫌ったこと

を心から懺悔し、相手の長所を見て感謝に切り替えるとお誓いし実践すれば早く治ることでしょう。

 また、「然りは地獄の業なるべし。病気、貧乏、災難の元」と教えられますから、人はもちろんのこと仕事に対

してもすぐ怒ったり、腹の底から怒りを持つとやはりコロナにかかりやすくなります。何事も感謝の心で受けまし

ょう。

知恵の生活から智慧の生活に切り替える

 知恵は教えの無い凡夫の常識の価値観です。

 物事を損か得かで判断し、自分が徳をするための考え方「自利」であり、自分の思うようにしたいという「貪欲」、

満足することのない欲の考え方です。

 智慧は仏さまの教え真理()に基づいた仏さまの価値観です。

 何事もどうしたら徳が積めるで判断し、相手が喜んでくれるための考え方であり、「利他」の実践です。

 わかりやすく例えれば。貧乏な人がお金持ちになりたいとあくせく考えることが「知恵」です。病人が早く治り

たい。と藁をもつかむ思いで医者や薬だけに頼り、あっちの医者がいい、こっちの薬がいいと右往左往するのが

「凡夫の知恵」です。

 反対に貧乏人が貧乏のまま毎日を楽しく考えること、病気をしながらも家族に対する感謝や喜びを感じること

ができるのが「智慧」なのです。

 つまり、ありのままの現実を喜ぶ、なったことに喜びや感謝を見つけ出せる考え方が「仏さまの智慧」です。

 あなたは自分中心の「凡夫の欲の知恵」で暮していますか!まず人様の「仏さまの感謝の智慧」で生活して

いますか!ちよっとした価値観の違い、受け止め方の違いかもしれませんが、毎日の積み重ねで、時がたつほ

ど結果は天と地ほど大きく変わります。

平和をもたらす仏陀の言葉

 いま世界中で、ロシアに対する避難と平和解決を願う声が上がっています。良いことです。武力を武力で抑え

ても、恨みは残ります。根本解決にはなりません。

 ブッダの真理の言葉があります。

 「実にこの世においては、恨みに報いるに恨みをもってしたならば、ついに恨みの息むことがない。恨みを捨て

こそ息む。これは永遠の真理である」

 恨みに恨みで返すのは、強さではない。裏みをすてられることが、本当の強さだ」

 「耐えることは、弱さではなく強さであり、恨みを捨てることは、消極的な善というよりも、積極的な善いことだ」

 仕返しをするのは、強さではなく、弱さであり、他人を攻撃することは、どんな理由があろうと、新たな悲しみを

生む悪だ」
 
 「恨み、憎しみは、自分の周りの世界を醜くする。周りの悪いところばかりが目につくようになってしまう。人を

信じられなくなる。そうやって、さらに自分を追い込んでしまう。一人一人の忍耐と強さが、平和と安心を生む。そ

う信じて、自分にできることをしよう」

心を落ち着け自分自身の心遣いを振り返りましょう。



我流の道


 空には航空路があり商人には商道があり、書には書道があるように、人には人道があります。勝手気ままな

我流の道を走り続けた結果、病気、貧乏、不和しいうミサイルが飛んで来て、わが身も家族も滅茶苦茶にしてし

まうのです。自分中心に我流で走り続けるほど危険なことはありません。大きな間違いを起こす前に、必ず親と

か、師匠という身近な人からも忠告の曳光弾か軌道修正の警告が発せられているはずです。ところが、我欲旺

の人ほど、自分に不利になることには一歩も譲らず、折角の忠告も率直に受け入れることがないのです。一度

改めて自分の過去現在の心使いを仏の鏡に照らし合わせ、もし起動に外れた人道を走っているとむお気付き

の人は、不幸というミサイルが飛んで来ないうちに修正して下さい。



天に向かって唾を吐く

 理由の如何を問わず、親や恩人、目上の人に反発したり、悪く見ることは、まさに「天に向かって唾を吐く」行

為であり、必ず自分の顔に降りかかってきます。つまり、答えは自分の身に出るか、大切な子供に出るか、経

済や仕事に出るか、その人の一番身に応える弱い所に出てきます。これは誰にでも当てはまる真理です。

 「新品だからと言って靴を頭にかぶり、古いからと言って帽子を足に履く」こんな人が街を歩いていたら、これ

を気狂いといいます。

 しかし、こんな人が世の中には大勢いるのです。大学を出ているから、一流会社に勤めているから自分は立

派である。間違いないと天狗になり、親は古い、頑固だ、わからずやと決め込み、粗末にしたり、無視をしたり、

あまり言葉も交わさないという中年夫婦や若者があなたの周りにいませんか!いや、あなた自身がそうなって

いませんか?「親、親足らずとも、子はこの道を歩め」というのが、幸せになり立派な人生を渡るたるの真理です。

親に与えた思いが子供に出る

 ある子育て中のお母さんが相談されました。「先生、幼稚園のママ友の悩みですが、小学生の女の子が夜尿

症で、幼稚園の男の子が夜驚症で困って見えます。世話が大変で一人ではどうにもならないので、今は家族で

奥さんの実家に移り住んで母親のお世話になって見えるのです。なぜ子供が二人とも病気で困るのでしょうか?」

という質問です。

 「簡単ですよ。夜尿症は、親に薄情にして寂しい思いや冷ややかな思いを与えてあるから体が冷えておねしょ

をするのです。夜驚症も同じです。パニックになった子供に一生懸命呼びかけても届かないということは、平素、

親の気持ちが汲めずに悪く思ったり、強い反発心を持っていることが子供に出るのです。ママ友は長男夫婦です

か? 夫婦のご両親は健在ですか?」

 「はい、ママ友は長男夫婦です。士別と離婚でどちらもお父さんは無く、お母さんだけです。ご主人のお母さん

はちよっと難しい方で、一緒には住んでみえません。たまに行っても『急に来ても、食べるものはないよ』などと

何かと突っ慳貪に言われるので、ほとんど主人の実家には行っていないそうです。たまに行くのはご主人と子供

たちだけでママ友はほとんど行かないそうです。

 そんなわけで、この度もご主人が妻の実家に行って世話になろうと言われたのだそうです。」

 「よくわかりました。そこが原因です。事情はあるでしょうが、親の向こうを張って対抗し、反感をもって疎遠と

なっている事、親の心が汲んでない事が原因です。気の強いお姑さんでも毎晩夜になると寂しい思いをしてお

られるのですよ。それが夜尿症であり、夜驚症の原因です。

 犬でもよく吠えたり、すぐ噛み付く犬は嫌われます。反対に尻尾を振って近づいてくる犬は可愛がられます。

人間と同じです。

 そして、日頃から実家の母に世話になっていることも当たり前で感謝が足りないから、お姑さんから実家に来

ることも食事を及ばれするのも当たり前じゃないんだと強いことを言われるのですよ。」

 このことが理解できて、心から親に懺悔し、これからはどちらの親も大切にさせて頂くと心に誓い実践すれば

夜尿症も夜驚症もすぐに治りますよ、勇気をもって伝えてあげて下さい。」

 「よくわかりました。伝えさせてもらいます。他人事ではなく自分も親の心をしっかり汲ませてもらわなければいけ

ないと気付かせてもらいました」

 
《夜驚症》 夜驚症と夜泣きは大き違います。夜驚症は、脳が深い眠りに入っている時に恐怖やパニックに襲わ

れることで、自分では無意識の状態で泣きじゃくることです。夜泣きの場合は、睡眠の浅い時に起こるので、抱っこ

したり、トントンしたりすれば収まることか多いのですが、夜驚症の場合は、深い眠りに入っているので、どんなに

ママやパパが一生懸命呼びかけても、赤ちゃんには届かないので、なかなか収まりません 。

老後を楽しく暮す方法

 率直にならなければならないのは若者ばかりではありません。「老いては子に従え」「老後の極楽切符は嫁が

持っている」と知らなければなりません。

 連れ添いを亡くした後の老後の人生はニ通りに分かれます。

 ①子供や孫、跡取り嫁に大切にされ。毎日が楽しい老人

 ②家族から疎まれて孤食孤独になり、毎日が寂しい老人

 子供が悪いのではありません。連れ添いがいる間、感謝の言葉もなく、頑固であったり、わがままであったり、

施の少ない人生を歩んできた我身の不徳なのです。不徳が分かって低い心になれば、必ず大切にしてもらえ、連

れ添いはな亡くなっても、楽しく明るい老後が送れるのです。

 ある老婦人が聞かれました。

 「先生、私の実家の九十三になる兄が、長男夫婦と同居しておりますが、昨年の暮れ妻を亡くしてから、食事は

孤食で一人寂しく、三階の部屋に住んでいますので、上がり下りが大変だから二階の部屋に変わりたいと言った

ら、跡取り嫁が子供たちが帰ってきた時に困るからと言って断られたそうです。長男4の商売はコロナで収入が減

り、嫁の収入に頼っている状況で息子も頭が上がりません。兄は情けないと言って嘆いています。どうしたらよい

でしょうか」

 「簡単です。妻の生前中威張ってばかりで、妻の働きを当たり前と思って、感謝やおいたわりの言葉を掛けてな

かったから、嫁からきつい言葉で責められるのです。まずそれをよく懺悔することです。

 そして、世の中は施しの強い人(良い種を蒔いた人)が栄えるのが真理です。親しき中にも礼儀ありと言います

から、毎月の年金の中から五千円でいいので、跡取り嫁に『いつも食事を作ってくれてありがとう。少ないけれど、

感謝の気持ちだから何かの足しにしてくれ』と封筒に現金を入れて渡すことです。感謝の気持ちを目に見える形

で表すことです。

 そして、あなたは心臓病を病んで見えますね。実家は人間の体で言えば心臓のようなものですから、実家の兄

が喜べるように教えを伝えた功徳できっとあなたの心臓は最後まで安心して動いてくれる功徳が頂けますよ。お

嫁さんにも『兄は口下手だけど、陰であなたのことは感謝しているよ』とお嫁さんを誉めて上げて下さい。それは

相手を幸せにする方便ですからとお伝えしました。

 今日の出来事は偶然ではありません。知らず知らずのうちに蒔いた種が、自分ょ幸せに導いて下さる仏さまの

お慈悲と受け止めて良きに悟りましょう。それには、相手の良い所を見つけることの出来る仏さまの「智慧」を学

ぶ以外にないのです。


   
人生に遅い早いはない

   思いついた時 気付いた時が

   常にスタートである

   諦めた時、敗北の人生に終わるのである

   自分の可能性を信じて一歩を踏み出そう




発展の心構え

 正直、真面目な人間として美点ではありますが、向上心無き人、人の良きことは学び取ろうという考えのない

人は、第三者から眺めると一刻親父と最後嫌われてしまいます。親と言えども、子供の優れた考え方や孫の

行動を目にしたら直ちに学び取ろうとする親には魅力があり尊敬されるのです。年を取てカラオケで歌い、ゲ

ートボールで健康保持をし、形の面では結構な世の中ですが、家へ帰れば淋しく孤独感に襲われ、何のため

に長生きをしたのか、何のために子供を育てて来たのか、自分で自分が分からなくなってしまう老人もいるの

でしょう。年は取っても常に時代の動きを知り、若者の意見や良い点を少しでも自分に取り入れようとする心構

えこそ、進歩的な正しい姿勢であり、若者から人気の出る秘訣であり、発展の近道なのです。話の分からぬ一

刻親父になってはならない。



救われる教え法華経

 
妙法には如来の神力がある

 法華経には「妙なる力」と「法の力」があります。法華経は二段構えの教えです。

 妙は「祈りの力」であり人智を超えた不可思議な救いの力です。この法華経には「如来の悟ったすべての真理、

如来の持つ自由自在のすべての神力「救いの力」、如来の心に秘めたすべての重要な教え、如来が身を持って

実践したすべての経験」というスーパーパワーがあると言われています。

 法とは「成仏するための正しい生き方。正しい教えの実践方法、八正道、六波羅蜜」のことです。つまり、法華

経は沢山の教えを聞いて実践した時に現れる功徳と真剣な祈りによって絶大な力で守られる功徳の二本立ての

お経なのです。

人間の生き方の種類

。①報恩の生活  仏の恩 師の恩 先祖の恩に守られて生きる人生。

 ②忘恩ま生活  自力だけで、仏・師・先祖のご守護のない人生。

  人生には上り坂、下り坂、まつかの三つの坂があります。

  上り坂 下り坂は自力と努力の結果であり、成功・不成功の世界です。

  まさかには二通りあります。思いもよらぬご守護がある人生と 思いもよらぬ災難や病気に合う人生です。

  いざという時に神仏のご守護があるか否かです。

 ③目に見えるものだけを信じる人生

  信仰心がなく、先祖供養や徳積みのない生き方。
 
  金、物、学歴だけを頼る視野の狭い、お陰(目に見えない力)が及ばない心貧しい生き方です。

 ④目に見えないものを信じる人生

  信仰心があり、先祖供養や陰徳を積む生き方。

  努力を超えたお陰(仏力、師力、親の力)を頂く心豊かな生き方です。

 
妙なる力の現実

  ある熱心なご信者さんから、法坐の帰宅途中に緊急の電話がありました。

「先生、ガンの末期で自宅療養中の新屋の弟嫁が、様態が悪くて苦しがっています。往診に来てもらった医者

が痛み止めのモルヒネを注射してくれ、少し落ち着いていますが、どんな徳積みをしたらいいか教えて下さい。

と悲痛なお電話でいす。時間は午後二時三十五分でした。秘儀の真理、自然法で見て「お気の毒ですが徳を積

んでもこの方はもう寿命だと思います。長くとも半日(短ければ七、八時間)です。覚悟をしてご家族が早く集まっ

方かずいいですよ」と申し上げました。「先生それでも、何とか楽になるように徳積みさせてもらいますから、お祈

りして下さい」とのお願いでした。

 「解りました。積んだ徳は絶対無駄になりません。教会に帰ったらすぐに御祈祷します」」と電話を切り夕方五

時半頃帰宅し、早速御宝前で法華経の方便品と寿量品、陀羅尼品を「〇〇さんの心身が安らかに穏やかにな

りますように」と願いを込めながら何回も唱えました。

 翌日「先生有難うございました。昨晩十一時頃亡くなりました。でも奇跡が起きました」とのご報告がありました。

 モルヒネで意識で(
もうろう)として眠っていた弟嫁が、夕方五時半ごろ(陀羅尼のお経を上げていた頃です)意識が

戻り、ベッドに何とか起き上がり、集まった家族にお礼を言い、可愛がっていた幼い外孫に言葉をかけ、のどが

乾いたと水を飲んで、その後苦しむことなく穏やかに眠るがごとく息を引き取られ、悲しみの中にも皆が『なぜ急

に意識が戻り、様態も楽になったのだろうと不思議がっていましたと電話がありました。

 法華経の陀羅尼品は仏の神力を頂く呪文です。一般によく唱えられて般若心経も呪文です。真剣に唱えること

によって六十二億恒河沙というはかりしれない諸仏のご守護の力が頂けると経典にあります。

 かって東尋坊で投身自殺した家族の遺体が上がらないので、お祈りの霊府が欲しいと頼まれたことがありまし

た。水死したご遺体は一旦は浮かび上がりますが、その後沈んだら二度と浮かび上がらない(きっと水を吸うた

め)と言われます。しかし、切なる願いでしたので、木のお札に南無妙法蓮華経と書き、ご遺体が早く見つかりま

すように願文を記し、法華経で一心にお経をあげる霊府を海に投げ入れ、お祈りするようにお渡ししました。する


と不思議思にも一週間も経っているのに、波の高い日本海に浮かび上がったのです。

 詳しいお経が分からなくても法華経のすべての秘密神力のエネルキーが凝縮された呪文が「南無妙法蓮華経」

のお題目です。

 世の中は「ご縁の世界」です。いつ何時、どこで災難災害に遭難するかもしれません。災難に合わない方法は、

平素から妙法のお経を唱えて仏力・師力を念じ、ご法を沢山聞いて実践し、先祖供養や生霊供養などの例月供

養の徳積みを欠かさず続けて行くことがまさかの災難に合わない妙法であり、大難が小難、小難が無難に守られ

る、妙法とは「蘇る教え」なのです。



   
失敗に対する姿勢の違いでその後が大きく変わる

   失敗の原因の多くは成功する前に諦めてしまうことだ

   最後の最後まで諦めてはいけない。



先祖供養の功徳

 ある日、娘の離婚問題で親夫婦が相談に来られました。跡取り息子の家に嫁いだ娘が、夫の親と意見が合わ

ず、実家に戻ってきました。娘に戻るように言い聞かせても絶対戻らないと言い張り、先方も戻って来なくていい

と取り付く島もなく、困り果てているということでした。娘で困るのは母親に対する親不孝の罪であることを説きま

した。この父親は真面目なご養子で、最初は義理の母に一生懸命尽くしましたが、どうしても意見が合わず、最

後は家を追い出し、アパート暮らしの中で義母は一人淋しく亡くなったのです。丁度お盆法要の直前でしたので、

親不幸を心から懺悔し、一人淋しく亡くなった義母の供養を精一杯しなさい。あとは仏様にお任せですと説法しま

した。懺悔罪消滅、お盆法要が済んだ直後に婿が頭を下げて迎えに来て、めでたく元のさやに戻ることができた

のです。先祖供養の功徳は偉大なのです。




  
私は得意なことしかない 

  弱いから助けてくれとは言わなかった

  天は自ら助くる者を助く

  自分の長所に気付き 弱音を履く前に

  工夫をすれば道は開く

  



                                            T O P

     田中偉仁  田中庸仁