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誰にでも幸せになれる五種法師の行

 末法の世(現代)で法華経の功徳を頂き、あらゆる苦を乗り超え、毎日が安心で生き生きとした人生を送るため

には、毎日五種法師の行を繰り返し行じることであると法華経の教えの中で何度も説かれています。

 五種法師の行とは、受持、読、誦、解説、書写のことです。仏さまの教えを信じ(受持)を唱え(読誦)聞いた教え

の一言一句でもよいので家族や人に話し(解説)、聞いた教えを実践する(書写)ことです。

 まず第一に毎日欠かさずお経をあげ、仏さまに守られていることへの感謝と先祖供養の祈りを捧げ、三日坊主

にならないように続けることです。

 メタボを解消し、健康を維持するために毎日スクワットをして体幹を鍛え、サプリメントを飲んで体質改善をするこ

とが大切だと言われます。毎日お経をあげることは心のスクワットであり、信念という体幹が鍛えられます。仏さま

の教えは心のサプリメントであり、考え方という心の体質が改善されます。

 
なぜお経には力があるか

  経典に現された文字の一字一句は仏さまのお姿そのものであり、無量の功徳がこの経の中に集約されていま

す。内容はわからなくても教えが身となり心に浸み込み、知らないうちにご利益が頂けるのです。

 
読経供養、拝む功徳は大きい

 昔、ある赤ちゃんが九百グラムという手のひらに載るほどの超未熟児で生まれました。「二十四時間以内に自力

でお母さんのお乳を吸うことが出来なければ諦めて下さい。見守るしかありません」と医者に告げられました。その

時、赤ちゃんのお爺ちゃんが「仏さま、どうか孫の命を救って下さい」と孫の横で十時間以上の時間をかけて、真剣

に法華経三部経(四二五ページ)を読誦されたのです。すると、その後、不思議にも自力でお乳を吸い始め九死に

一生を得て、無事成人されました。

 また、四十歳過ぎの晩婚のご夫婦に待望の赤ちゃんがうまれましたが、やはり未熟児で成長が危ぶまれ、藁も

すがる思いで相談に来られました。

 「田舎で暮らしている母親を毎日拝みに行きなさい」

 「先生、悪いのは母でなく、生まれたばかりの赤ちゃんです」

 「心配で病院に行っても赤ちゃんを見守るだけでは助かりません。あなた方は、晩婚で親に大変心配をかけてき

た因縁で、親となって子供の成長に大心配しなくてはならないのです。田舎で一人生活している母のもとに三七、

二十一日足を運び、これまで大苦労と大心配を掛けたことを心から懺悔し、一心にお経を唱えて夫婦で親の背中

を拝まさせて頂きなさい。親の恩に心底目覚めた時、仏さまのご守護がかかるでしょう」

 「わかりました。夫婦で毎晩親を拝みに行きます」と誓われました。

 今日の苦の原因が分かったこのご夫婦は、聞いた教えをしっかり実践され、無事窮地を脱し、この赤ちゃんも立

派な娘さんに成長されました。

 このような事実を知る時、科学万能医学万能の現代にも妙法経力は存在すると言えます。ただ口先で読むだけ

ではなく、身に口に心に全身全霊を込めて唱える時、人知を超えるご守護がかかるのです。

 拝んでよくなるのは病気や人間だけではありません。教えの真理は商売にもお勤めにも学業にもすべてのこと

にあてはまります。
 
 子育て中のある若い奥さんからの相談です。

 「主人が独立をして自営業を初めて二年余りです。広告を出し出したり、常連に電話を掛けたり、主人なりに一

生懸命努力をしているのですが、仕事がなかなか軌道に乗らず悩んでいます。私は子育て中で本業のほかにア

ルバイトをしたり、転職も頭をよぎります。どうしたら商売がうまくいくのでしょうか」という切迫したご相談です。

 「手を見て下さい。親指と他の四指のどの指をつないでも丸ができます。丸とは平和であり、お金であり経済のこ

とです。小指のような細くて弱い指でも親指と連絡すれば丸ができます。これが何万年たっても変わらぬ真理です。

 幸いあなたたちご夫婦には、すぐ近くに四人の親が健在で見えます。どちらの親にとっても赤ちゃんは初孫です。

週に何回か孫の顔を見せに行って喜ばせてあげなさい。そして、親を拝ませてもらいなさい。特に経済や商売の因

縁は父親の因縁です。実践すれば必ずご守護がかかり、知らぬうちに順調になると思いますよ」

 「自分の親は何とか出来そうですが、主人の親はちよっと・・・」

 「最初だけです。大きな石を動かす時でも最初にパワーがいるのです。動き出せばそれほどエネルギーはいりま

せん。きっと待ってもらえるようになりますよ。そうなれば商売も軌道に乗り始めます。勇気を持って始めましょう」

 「わかりました。勇気を出して実行します」と決意されました。

 行えば実と書いて実行です。きっとうれしい結果が現れることでしょう。

 
この場が救われの場となる

 日々の生活の中で受持、読、誦、解説、書写の五種法師を行い、教えの通りに実践している場所は、家庭であろ

うと 職場であろうと その場所こそが仏さまの道場であり、悟りを開き、教えを伝える場なのです。そして、毎日が

大安心して楽しい暮らしなの出来る極楽浄土となるのです。

 
お経と祈りで身を守る

 「身放無数光」と言ってお経の上がっている家からも、お経を上げている人の体からも生き生きとした無数の光で

出ているのです。また「舌相至梵天」と言って唱えたお経や願い事は宇宙の果てまで響き渡り、願った通りの現実

に守り包んでもらえるのです。遠く離れている子供や家族の健康や無事を願い読経と共に祈りの言葉を唱えれば、

相手の体に届き、身に浸み込み、仏さまの光に包まれて悪縁や悪人が近づけなくなります。人間は触れる縁によ

って悪人にも善人にもなります。特に子供や青年は純真で率直ですから、どちらにもすぐ染まってしまいます。

 しっかりお経の力と祈りの力で自分自身と家族の健康を守り、良き運命に守られるよう、毎日五種法師の行を続

けましょう。



経験者の意見を聞いて

 子供や部下の成長を確かめずに、大人や親や上司の都合で人工的な手を加え過ぎたり、時期や与えるものを間

違えるとかえって成長を阻害してしまいます。放任主義で何も教えないのもダメですが、その人の能力や特性に合

った育て方が大切です。たとえ兄弟でも十羽ひとからげの大量生産や企画商品ではなく、特別注文のように一人ひ

とりの微妙な違いを見極めて丁寧に育てることが必要です。

 開祖さまはいつも良き師を持ち、常に師の添削を受けながら、努力精進することの大切さを説かれました。そして

「幸せになる人も不幸になる人も一生懸命です。 しかし、不幸になる人は自己流で真理とは違う方向に向かって、

不幸に不幸に頑張っているのです。ご法に照らし合わせて師の添削を受けなければ労多くして功少なしどころか、

災い多しの結果になってしまうのです」と教えられました

 仏さまの声を聴く

  自分の身の回りの現象や出来事のすべては、仏さまの声であり、仏さまのお姿そのものであると言うことです。

そう受け止めればすべてが感謝となります。さて私達は身の周りの出来事を仏さまの声おお姿と受け止められて

いるでしょうか。

 欲や煩悩で曇った凡夫の心では、出来事の本当の意味が分からないのです。私たちの心の奥にある仏さまと同

じ価値のある「仏性」で受け止めた時、本当の意味が理解出来、目の前の苦が苦でなくなるのです。

 欲や煩悩で包まれた仏性を磨き出すには、毎日の読経供養と善根功徳の徳積みが欠かせません。

 すべての出来事に無駄はなく、凡夫では気付かない意味があるのです。気付けば感謝と極楽、気付かねば不

安と地獄なのです。


 今こそ信仰心が必要

  幼い我が子を平気で虐待死させたり、「誰でもよかった。人を殺してみたかった」という異常な無差別殺人事件

が日常茶飯事のように報道されます。このような事件の根本には、日本人の信仰心の欠如があると思います。信

仰とは特定の宗教を信じ、神仏を信じ仰ぐことだけではありません。

「相手を信じ仰ぐ心」が信仰心なのです。神仏を信じ仰ぐことはもちろんのこと、家庭においては親を信じ仰ぎ、我が

子を信じ仰ぎ、学校においては先生を信じ仰ぎ、生徒を信じ仰ぎ、会社においては社長を信じ仰ぎ、社員を信じ仰ぐ

ことが、本当の信仰心であり発展幸福の原点なのです。国会においても、意見や政策の違いはあっても、根本的に

は総理を信じ仰ぎ、議員を信じ仰ぎ、与野党ともどもに相手を信じ仰ぐ姿勢があってこそ、国が栄え国民の安心と幸

福が得られるのです。今日本に欠けていることは、すべての国民が正しい信仰を持ち、神仏を信じ仰ぎ、互いの存

在を尊敬し、違いがあっても信じ仰ぐ信仰心なのです。


 因縁果報、すべては蒔いた種

  一見仲の良いご夫婦の一人娘さんが三十半ばを過ぎ、結婚に縁遠いことが心配なお母さんからの相談」です。

 「世の中は蒔いた種が生えるのです。苦になること、心配なことと同じ種まきがあるのです。娘さんの結婚のこと

が苦になるということは、あなた自身がご主人との結婚が喜べていなかったか。子供の胎教中にこんな結婚はする

んじゃなかったと思う出来事はありませんでしたか?」

 「私は跡取りの嫁としてこの家に嫁いできましたが、ある時主人から、『お前と結婚したのは跡取として子孫を残

すためだ』と言われて、私でなくても誰でもよかったのか、私は子を産むためだけの存在だったのかとカチンと来ま

した。こんな家に嫁に来ない方がよかったと情けなく、腹立たしく思いました。今でもその言葉が忘れなく心の奥底

に残っています。」

 「お母さん、蒔いた種は小さくても実は大きいのです。今日から、この家に嫁いだことが喜べなかったという心の

根抜きをしっかりすれば、きっと娘さんにも良いご縁がやってきます。このご主人の妻でよかった、ここまで一緒に

来させてもらって有りがった幸せだったと切り替えれば、必ず娘さんも幸せな結婚が出きますよ」

 「よくわかりました。今日から主人の良い所を見つけて感謝し、この家に嫁いできたことことを心から喜ぶように

切り替えます」と明るい顔で答えられました。

今日の出来事の本当の意味と解決方法が納得できた時、煩悩ありといえども煩悩なきが如く、希望と勇気が湧い

て自分の心の持ち方で変えることが出来るのです。




オシャレな言葉  感謝の心()

 顔は笑顔、言葉はオシャレしなくては人間的魅力はない

 どんなに美辞麗句ほ並べても、笑顔がなければ人は寄り付かない

 どんなに笑顔を作っても、言葉や挨拶に「感謝の心」がなければ

 人気はあつまらない




霊の力に守られる

 信仰心が薄らいできた昨今ですが、幸い日本人には良き伝統としてお盆のお墓参りがあります。私たちの人生

は、目に見えませんが、大宇宙のご本仏さまはもとより、亡きご先祖さまの思いに守られて子孫がある私たちの

今日生活があるのです。

 亡くなった方のことを霊と言います。

 霊は「零」、つまり「ゼロ」に通じ、特殊な霊感のある方以外には、霊の姿かたちも見えず、声も聞こえません。しか

し、一般の人にはには見えたり聞こえたりしませんが、霊魂は不滅であります。私たちの周りには、すべての人を仏

の境界にまで引き上げたいというご本仏の御心や子孫の幸せを願うご先祖さまの思いで満ち溢れているのです。

 こちらがそれに気付き、心がつながった時、「ああ有り難い、本当に守っていて下さるんだ」と実感できる現象が現

れるのです。

 私たちが思い出したり、念じたりしなければ何の力も現れません。私たちが念じ感謝すれば守って頂けるのです。

 ご守護がかかるかどうかは、私たちの心のアンテナが仏さまやご先祖さまの想念の方に向いているかどうかなの

です。こちらの心にスイッチが入れば、瞬く間に仏さまのご先さまのお姿が飛び込んでくるのです。

 お墓参りでお経を上げましょう

 お墓参りには、是非みんなでお経をあけましょう。

 「亡き親に手向くる徳は、利と敬と行の三つを兼ぬべかりけり」とあります。

 <利供養>  お盆とは「皿を分ける」とあります。自分の食べるものをご先祖さまに分けてお供えするという意味で

          す。 お墓参りに行ったら、個人の好きだった食べ物や季節の食べ物等をお供えします。

 <敬供養> みんなでお墓をきれいに掃除して、お経を唱えて感謝の心をお供えすることです。

 <行供養> 仏さまやご先祖さまが安心し、喜んで下さるような世のため人のためになる行いを実践することです。

         この利供養、敬供養、行供養が揃った時、本当の先祖供養になるのです。

 持戒、続けることの大切さ

 毎日の信仰の基本である朝夕の読経供養を疎かにしないこと

 積んだ徳は非常時に役立つ


 誰しも業や罪の無い人はいません。自分の不徳な因縁の穴をどれだけ埋めるか、また徳の器にどれだけ徳の貯

金が出来ているかで幸不幸の現れ方が違うのです。穴埋めがしっかり出来ていれば、穴にはまったり、躓くことはあ

りせん。

 徳の貯金が充分たまっていれば、ちよっと良いことをしただけで、徳の結果が溢れ出てくるのです。

 開祖さまは、徳積にゴールはない、死ぬまで修行だと教えられました。いつも徳を積み、お経をあげている人は、

ちよっと怠っただけでもお知らせが来るのです。

いつも心の洗濯をしているから、少しの間違いや怠け心というシミがよく目立つのです。

 信仰心のある人とない人の違いは、事が起こった時の反省力と切り替える力、善に対する実行力が違うのです

。しっかりとご先祖さまを念じ、仏さまを信じてご守護の頂ける毎日を過ごしましょう。




報恩と忘恩 ()

 報恩の人生は栄え

 忘恩の人生は滅びる

 永遠不滅の人生の鉄則である

 自分が、自分我、俺が、俺我の

 慢心が芽生えると心が濁りが

 生じ「ほうおん」が「ぼうおん」となる

 偉くなり幸せになっても、お蔭さま、

 感謝の心を失わない




本尊とは本を尊ぶこと ()

 どの宗教にも本尊があります。本尊とは大宇宙とすべての生命の根源である神仏のことであります。そして、誰に

でも自分をこの世に生み出してくれた父、母という人があります。神仏と同時にこの世に私たちを生み出してくれた

本になる親が尊いのです。どんなに本尊である神仏に手を合わせて拝んでも、親の親の恩に感謝し親が拝めなか

ったら、本当の幸せや真の成功は得られないのです。

 ある青年実業家が知人に導かれて久しぶりに法座に来られました。

 「よくお見えになりました。その後会社の資金繰りはうまくいっていますか?」

 「はい、お蔭様で何とか集金の目途は立ちましたが、まだなかなか厳しい状況です。」

 「よく頑張って見えますが、経済や事業は父親との縁が大切です。父親を悪く見て軽蔑したり、心配をかけて親不

幸がしてあると途中は良くても最後は行き詰まりますよ。生きていても亡くなっていても、父に感謝し手を合わせる

ことが出来れば必ず成功します。あなたはどうですか?」

 「先生、無理です。父親を尊敬すること等出来ません。自分が小学四年生の時に母親や子供たちを捨てて出てい

ったは許せません。

私に父と呼べる人間はいません。」と顔色を変えて言い切られました。

 「残念ですね。どんな理由があるにせよ、父親を全否定しているうちは何度やっても失敗しますよ。」納得いかない

という顔でしたが、後日導かれた方から「あの後、彼がまだ尊敬したり手を合わさらないが、悪く見ることはしないと

言っていました」との報告がありました。幸せに向かって一歩前進です。

 
仏種は縁によって起こる

 人それぞれに許せない、怒れる事情はありますが、法華経という良き仏縁を結ぶことによって、奥底にある仏性

「仏さまになれる仏の種」が芽を出し始めるのです。「縁なき衆生は度し難し」仏さまでも縁のない人は救えないと言

われました。私たちは何とかして悩み苦しむ人を救うために勇気を持ってお誘いしましょう。「人を助けて己助かる」

お導きこそが私たち自身に幸福が訪れる最も近道なのです。

 
プラスに考える人が幸せ

 世の中は隠れていて見えなかった様々な現象が起こります。

 組織や団体の旧来の陋習(ろうしゅう)や陰に隠れていた不正や悪行が連日のように報道され次々と暴露され、糾弾さ

れています。慣習化した膿を出し切り、新しく生まれ変わり再生する時が来ているのです。何を残し何を捨てるのか

明確に決めることが大切になります。成長するか、枯死するかまさに分岐点であり、勇気と決断が求められます。

 私たちも愚痴不足、マイナス思考等の悪い心癖や不摂生な生活慣習を思い切ってプラスに切り替えるチャンスです。



人生の師  ()

 あなた自身の人生の師を見つけなければなりません。人生の師匠を持たずに未知の人生を歩く。それは未知の山

を登るのに地図を持たずに入山するのに等しく無謀だと誰でも知っています。そんなことが分かっているのに、いま

だに師匠を持たずに生きている人が多い。

人生というものを甘く見ているのではありませんか。

師匠を得たら、すべてを打ち明けて裸でぶつかれ。時に応じて添削を率直に受ける姿勢が師に対する礼儀である。

礼を尽くし、求道心の情熱に燃えてこそ「師力」を得るのである。社交上の師ではなく、人生の師を選ぶことが大切

である。




厳父と慈母  

 厳父とは頑固でわからず屋の父のことではない。

 正しい世渡りの道を正しく教えてくれる父のことである。金儲けに一生懸命でただ働き、伝書鳩のように給料を運

んで来るだけの月給鳥で、大切な事もすべて妻任せ、子供が相談しても「お母さんに聞け」という幻父(まぼろしの

父)が多い。

 任された妻も慈悲深く優しさがあれば慈母として奥ゆかしい存在でありますが、頼りない夫に満足がいかず、た

だ家庭内でやかましいだけの母であったら、子供に赤信号がともります。

 昔から地震、雷、火事、親父と言いますが、仕事に自信(地震)を持ち、父らしい威厳(雷)を保ち、家事(火事)一

家のことを正しく導き、目配りをする尊敬できる父になろう




天の力は人の力を超えている  

 人間の英知である科学技術は日進月歩の大躍進を続け、宇宙探査機「はやぶさ2号」が宇宙と生命の起源、宇

宙の神秘を解き明かすため小惑星[りゅぅぐう」に到達する時勢にとなりました。

 一方、台風や地震の大災害に直面し、圧倒的な大自然災害の力の前に、自然災害を完全に防ぐことなど出来な

いという防災の限界を目の当たりにし、人間の非力さ無力さにいったい何ができるのかと呆然となります。

 天災とは人間が制御することの出来ない「天」すなわち神仏の領域に属するものであり、「人」の領域を超えてい

るのです。私たち人間は「常に大自然に生かされているのだ」と謙虚で敬虔
(けいけん)でなければならないと思います。

 覚悟を決める

 自分に起こった出来事は、人のせいにせず自分が引き受けていく覚悟が大切です。苦から逃げない。目を背けな

い。腹を決める。覚悟を決めて現実をしっかり見据えることが、迷いや苦から抜け出せる最良の方法なのです。

 「災害という第一矢」を受けても「災難という第二矢」を受けない。天災を人災(人のむせい)にしない。運命を人の

せいにしない。これが仏さまの智慧であり、よみがえる教え妙法なのです。

 現実を認めたくない、自分に都合の悪いことを受け入れたくないという感情から苦が生じてくるのです。


 なったことを善意に受け止める

 親子で旅館を営む方のご相談です。

 「夏休みを利用して学生三十五人が五泊六日の合宿をするので全館貸し切にして欲しいとの予約があり喜んでい

たところ、間近になって突二十四人分をキャンセルし、十一人に変更して欲しいと連絡がありました。その間のお客

様の予約はすべてお断わりしていましたので大損害です。腹に収まりません。キャンセル料はお約束ですから頂き

ますが、それでも大損害です。どう受け止めたらいいのでしょう。」

 「団体の貸し切り宿泊のキャンセル料は、想定外で大変でしょうが、貴方たち親子で対応するにはキャパオーバー

だったのですよ。予定通り受けていたら、利益は上がったかもしれませんが、きっとそのあとダウンしてしまいますよ。

仏さまが、ちょうどいい人数にして下さったと思えば、納得できるでしょう。相手にもきっと止むを得ない事情があった

のでしょうから、気持ちよく受けておけば、きっと仏さまから丁度いいだけのお客さんのお手配がありますよ。」

 「分かりました。確かに団体の長期宿泊は今の自分たちの能力を超えているので、会長先生のご指導のようなし

ます。

 もう一つ、シルバーのお手伝いを何人か頼んでありましたが、自分たちも急に断られて困ったのですから、こちら

の都合で急にキャンセルしたらシルバーさんたちも困るでしょうから、そのままお願いすることにします。」となったこ

とを善意に受け止めて、お客様やシルバーさんたちの立場を汲んで善処されました。

 後日、大変うれしい報告がありました。

 「あれから短期の団体客や小グループのお客さまの予約も入り、結果的には無理せず受け入れが出来、利益も

上がりました。先生のご指導を率直に聞かせて頂いたお陰でした。

 その上、こんなことがありました。先日の台風で国道沿いのうちの大きな看板が倒れ、隣地の方からすぐに撤去し

て欲しいと連絡があり、息子と二人で行きましたが、到底手に負えません。近くのシルバー人派遣事務所がありま

したので、料金はお支払するのでとお願いしますと何人かで、早速に撤去して旅館まで運んでもらえ助かりました。

お支払に対してお尋ねしたところ『料金はいらないよ、サービスしておくよ』と言われました。

 いつも、蒔いた種は生えると教えて頂きますが、お手伝いに頼んだシルパーさんたちに喜んでもらったら、すぐに

芽が出て別のシルバーさんたちの親切に助けられました。」

 
憂きつらき 心にそわぬことを皆 良きに悟りて 喜びを得よ

 良きに悟る智慧が法華経の教えなのです。一回でも多く教えを聞き、物事を常に前向きに考えられる毎日を送りま

しょう。



立場の変化  )

 立場が変われば 見え方も変わる

 自分らしく、飾らない

 真っ直ぐな心でいよう

 足りない所は補い合えばいい

 無駄なことなど何もない

 泣いた分だけ、転んだ分だけ

 傷ついた分だけ

 きっと優しくなれるから




基礎研究の成果

 がんの免疫療法の研究で京都大学特別教授の本庶佑博士がノーベル医学生理学賞を受賞されました。ここ数

年日本人のノーベル賞受賞が続き、日本人として誠に誇らしく嬉しいニュースです。

 教授はインタビューで「最初から応用を考えた基礎研究は大した効果を生み出さない。気の遠くなるような基礎研

究を二十年積み重ねて来た結果、その延長線上で応用としてがん治療の新薬開発の偉業を達成出来たのです。」

と話されました。足元の、目の前の、毎日の不断むの努力が、いかに大切であるかということです。

 私たちの将来の生活にはいろいろな不安や心配はありますが、いま為すべきことは何なのかを考えてみますと、

愚直に目の前の実行を積み重ねることが、将来の実りにつながるのです。

 
基本信行が大切

 科学や医学の裏には、果てしない基礎研究の積み重ねが必要なように信仰も幸せに到達するための基本信行

があります。

①毎日の読経供養      朝晩若しくは一日に一回、仏さまやご先祖さまに感謝の読経供養をすること。

②一心行による仏性礼拝  親や家族の背中に手を当て、お経を唱えて相手の仏性を拝むこと。または、心に相手

                  の幸せを念じて仏性を拝むこと

③布施による徳積み
     自分の地位や財力や力に応じて法施(人に教えを伝え、法に導くこと) 身施(体で奉仕

                  や善行を積むこと、財施(仏事に金品で布施すること) 

 この基本信行をコツコツと続けていく中に、ある日幸せの光明が差し込むのです。

 
徳分と感謝のバランス
 
 大学にスポーツ入学した息子を持つ母親の相談です。

「四年生までの全学年で三百人もいる部活で、一年生ながらAチームに選抜され張り切っていたのですが、間もな

く膝を痛めて試合に出られず練習もできなくなりました。大学病院でCTやMRI等の検査を受けましたが異常は見つ

かりませんでした。その後専門病院での診察の結果、膝の十字靭帯の裏に傷が見つかりましたが、注射を一本打

っただけでそれ以上の治療はありませんでした。今は裏方の道具運びやグランドの整備をしながらリハビリを続け

ていますが、半年たっても治りません。何が原因なのでしょうか。何を懺悔したらよいのでしょうか」

「一言で言って破格の幸せと徳分のバランスが崩れているのですよ。息子さんは高校や地域では素質や才能のあ

る優秀な選手でスポーツ入学でき、いきなりAチームに抜擢されたまでは良かったのですが、元気に活躍できる徳

分と破格の幸せに対する感謝が、本人も応援をする親も追い付いていないのでしょう。

 大学に入ったまでは良かったでしょうが、きっとたくさんのお金がかかり喜べていないのでしょうはないでしょうか」

「お恥ずかしながら、先生のおっしゃる通りです。寮費や学費等は学校の補助がありほとんどかかりませんが、Aチ

ームは遠征試合が多く、交通費は自腹です。この負担が大きく、予想以上の出費がかさみ、喜べていませんでし

た。今は怪我をして試合に出られませんから、荷物と一緒に車に乗せてもらっていきますので交通費はかからない

ので正直助かっています。」

「世の中は困る者の罪です。本人は自分の力に奢らず、経済的に苦労をかけている両親にしっかり感謝すること、

先輩を飛び越えて活躍できる恵まれた立場に心から喜ぶこと、そして謙虚な心を忘れないことです。

 もう一つの原因はお母さんです。世の中は思い通りになるのです。お母さんはAチームはありがたいけれど、遠

征にお金がかかるから大変だ、今月もまたお金がいる、お金さえかからなければ・・・いうあなたの強い思いが医者

では治らないケカになっているのです。

 怪我とは我が怪しいと書きます。自分の喜び、感謝の気持ちが怪しいのです。それさえ分かって切り替えられた

らすぐに治るでしょう。」

 苦は自分の心が作り出しているのだと気付かれ「よく分かりました」と笑顔で帰られました。

 お母さんが教えの添削指導を受けられ、今日の幸せに感謝や喜びの心が薄れ知らず知らずのうちに不足が多く

なっていた考え違いに気付かれ、心を切り替えて家に帰られますと、夕方学校から「今日から練習に参加できるよ

うになりました」という知らせがあり、心が変わればこんなにも急に答えが出るのかと、改めて教えの素晴らしさに

驚きましたという報告がありました。

 「自分が変われば、相手が変わる、現象が変わる」これが真理であり、仏さまの計らないなのです。すべての出

来事は、私たちが「仏になるため、仏さまの境涯に一歩でも近づけるよう」より良く成長するための試験なのです。

 
徳の器を大きくする

 新築の家を建てると家族の誰かが大病をしたり亡くなったり、思いもよらない災難に会うことことを昔から「普請負

け」とか「死に普請」と言います。

 豪邸や新築の家に住むことや豪華な結婚式や高級車に乗ることが悪いことではありません。天からみられて自

分の徳分、徳の器にあった生活であるかどうか、喜びや感謝が伴っているかどうかなのです。

 どんな豪邸に住もうが、盛大な結婚式を挙げようが、高級車に乗ろうが徳負けしないような実績、施しの徳分、徳

の器があれば心配はないのです。

 夢を抱き大リーグにいったプロ野球選手の多くが体を痛め、活躍できなかったり、夢半ばにして日本球界に戻った

選手も多くいます。

 何故でしょうか。

 最近では二刀流の大谷翔平投手、田中将大投手、ダルビッシュ有投手等も肝心の肘を痛めて手術を受けていま

す。

 そして、多くの選手の完全復活はさらに至難の業である現実を見る時、彼らのような超一流選手でも何億何十億

という契約金、年俸、生活環境等、一挙に何倍にも膨れ上がった破格の待遇に徳分が追い付いていないのでしょ

う。

 では、どうしたらよいのむでしょうか。 簡単です。力に応じ、待遇にふさわしい施しの徳を積むことです。船が沈

みかけたら、余分な積み荷を船の外に放り出して船を軽くすれば浮かび上がるのです。

 「長者の万灯、貧者の一灯」という仏説があります。お金持ちや地位のある人はそれにふさわしく万灯を恵まれな

い人の為や世の中の発展のために思い切って布施をすることです。貧者もせめて一灯でも布施をすることが大切

です。

 徳の器さえ大きくなれば、どんなに沢山の幸せでも溢れ出ることはありません。嬉しいに付け、悲しいに付け、徳

の布施を積み続けましょう。「徳が本なり、財は末なり」徳の積み過ぎということはありません。



煩悩即菩提

 
迷いがあるから、賢くなれる

 欠点があるから、強くなれる

 人は苦に直面すると、葛藤し

 苦しみもがく

 そのことが自分の心を鍛え

 人生を高めてくれる

 節のある柱は、まさ目の柱より

 強くて丈夫である



自然法爾 (ありのまま)

 
浄土真宗本願寺を開かれた親鸞上人が最晩年に至られた究極の境地です。

 阿弥陀仏の本願力大自然のはたらき、心理の法則)は、人間の思慮分別や個人のはからいをはるかに超えた

『あるがままの自然のはたらき』ということです。「なったことを喜ぶ」ことが人生を幸福に導く考え方です。

 私たち人間をはじめ、この地球の生きとし生けるもの、宇宙のすべては、大自然宇宙の大いなる力に「生かされ

て今日ある」ということです。

 法華経の経典にも『己が智分にあらず』とあります。人間のちっぽけな知恵ではなく「大いなる自然のはたらき」

のもとに、活かされて生きているのだということです。損だとか得だ、早いとか遅いとか、暑いとか寒いとか、好き

とか嫌いとかいう価値観は、みんな自分を中心として自分の物差しで相手と比べて見るものの見方、分別心(差別

する心)です。仏さまは無分別です。仏さまの眼から見ればすべて平等なのです。自分の立場や損得で物事を見る

のではなく、仏さまの懐に飛び込んで、仏さまのお心、はからいにお任せしてしまうことが自然法爾ということです。

 無為自然

 すべての物事は、諸行無常=生成消滅の変化を繰り返しながら、発展成長を続けているのです。一見残酷に見

える弱肉強食の動物世界も自然界のありのままです。そにに動物たちの作為はありません。空腹が満たされ、命

が保たれれば目の前の獲物がいても襲いません。作為をするのは人間だけです。空腹が満たされ、必要な物が

手に入っても、金儲けや欲のために必要以上の物資や食料を蓄えます。人間の都合による損害の作為が自然

のバランスを崩しいるのではないでしょうか。

 作為とは自分の都合の良いようにしたいという欲の心から起こる行動です。無為自然とは何もしないことでは

ありません。自分の出来る精一杯の努力をして、答えは仏さまにお任せするということです。人事を尽くして天命

に従うという謙虚な姿勢なのです。

 マイナーな出来事ですが、ここ数年岐阜市山林農村地帯では、インシシが異常繁殖し、食べ物を求めて農作物

や山林の被害が拡大し打つ手がない状況でした。そして岐阜市郊外で豚コレラが発生しました。二カ月を過ぎて

も感染拡大を続け、何百頭という養豚が殺処分され、感染死亡した野生のインシシも数多く発見されています。

感染源や感染ルートも未だ解明されず、拡大の一途です。

 これも元ををたどれば、人間の都合の良いように、ズキやヒノキ等の単一人工林を増やし、山に野生動物の食

べ物が極端に減ってしまったり、野生動物の乱獲によって弱肉強食の食物連鎖のバランスが崩れてしまったこ

とが原因の根底にあるのでないでしょうか。すべては人間の都合の良いようにいう作為による結果です。しかし、

余りに増え過ぎ個体数が頂点を超え、環境や他の生物とのバランスが崩れると、適正数まで自然淘汰されバラ

ンスが取れるのだと思います。人智では計り知れない自然の働き、神仏の計らいがあるように思えます。

 地球の歴史を見ても、多くの種が絶滅したり、新たな種が誕生したり、生々流転して進化しています。人間の文

明文化も同様です。メソポタミア文明、エジプト文明、インダス文明、黄河文明の四大文明や、それ以前に存在し

たと言われる超文明の高度な文明がなぜ滅んだのでしょうか。人間の文明も頂点を極め、栄誉栄華の絶頂まで

到達すると山の頂上を下るように消滅してきたのではないでしょうか。

 私たち人類の文明文化が発展し、科学力、技術力がどんなに向上しようが、台風、地震、火山爆発、気候変動

等大自然の破壊力、エネルギー、変化の力の前には歯が立ちません。人間だけや一部の先進国だけに偏った

行き過ぎた豊かさを謳歌する先には、人類と雖も大自然の力に淘汰される時がくるかもしれません。今こそ神仏

のご加護、大自然に謙虚であるべきです。

 先祖供養の大切さ

 調子とは「子を調べる」と書くように、自分の人生が本当に調子が良いかどうかは、豪邸に住み高級車に乗って

も、子供に心配事や困ったことがあったら、本当に調子が良いとは言えません。

 一度自分の家系をしっかり調べてみましょう。親が幹、子や孫が枝であり、地中の眼に見えない根っこがご先祖

様たちです。根っこのどこかが切れていたり、腐っていたら、枝葉が枯れたり、花も咲かず、実もなりません。
 
 もし我が子、我が孫に大きな心配事があったら、不幸な状況で亡くなったご先祖様、若くして亡くなった方、結

婚せずに亡くなった方、行方不明になった兄弟や祖父母等ご先祖さまの無念な思いを浮かび上がらせてあげな

くてはなりません。不幸であったご先祖さまや、大恩ある両親やそ父母の心を汲み、懺悔と今日の生活ができる

感謝のまごころで朝晩の読経供養をすることが幸せな人生を築く根本なのです。




悲観主義者と楽観主義者  )

 凧は逆風によって空高く上がる。

 悲観主義者はあらゆる機会の

 中に問題を見出す。

 楽観主義者はあらゆる問題の

 中に機会を見出す。

 成功者とは、失敗を重ねても、

 やる気を失わないでいられる

 才能の持ち主である。



文鎮老人

 高齢化社会を迎え、あなたはじんな老人になりたいですか? 今のあなたはどんな老人ですか?

①私は寂しく孤独な毎日です。②ワクワク楽しく年を忘れる毎日です。さて自分は①でしょうか、②でしょうか。

『文鎮老人?』文鎮のような老人とはどんな老人でしょう。年を取ると動けないから、働けないんら役に立てないわ

けではありません。文鎮はそこにあるだけで、動かなくても役に立っています。しゃべれなくてもそこにいるだけで

価値のある存在感のある人間になりましょう。しかし、文鎮老人になるためには、若いうちからの努力が必要です。

一朝一夕ではかないません。今日の仕事を喜び、精一杯努力し、親や家族や周りの人の気持ちを汲み、常に施

し多く、人を生かす生活をすることです。遅くはありません。気が付いた今日から幸福のスタートです。



徳分を高める


 どんなにお金があっても、お金では解決しない問題は沢山あります。社会的地位が高くても人に言えない苦しみ

を抱えている人もあります。高学歴でありながら、人生の機微が分からずにに苦労している人もあります。

 財はあっても、地位が高くても、学歴があっても、徳がないくらい悲しい、つまらない、寂しいことはないのです。

人生は何よりも徳が大切であり、徳分を高めれば、徳分に応じた幸せが得られるのです。徳分がなく徳の器が小さ

ければ、折角の幸せも、財も地位も学歴も漏れ出てこぼれてしまいます。有徳の師である先達様は徳の大切さを

教えられています。

「徳が本なり 財は末なり」

「徳は将来を潤す」

「徳積めばものは自由になるものを徳も積まずに困る世の人」

「裸で来て裸で帰る人生だ。徳を積め積め罪を作るな」

 自分の食べるため、生きていくために一生懸命働くだけなら、草場の虫けらや野生の動物と変わりません。自分

以外の世のため人の為に徳を積み、お役に立ってこそ人間としての価値があるのです。

 徳を積む方法の第一は「施し」です。お釈迦さまが何度も生まれ変わられながら、悟りを開かれるまで修行し続け

られたのが六波羅蜜の実践です。六波羅蜜の教えの第一番が「布施(施し)」の実践です。

 
徳分を高める三つの施し
 
 布施には「法施 、身施、財施」の三つがあります。

 一番徳が積めるのは「法施」教えを人に伝え、法縁に人を誘い導くことです。八十年の長い間、金銭物資で衣食

住のすべての生活の面倒を見た功徳の百倍、千倍、百×千×万×億倍の計り知れない徳が積めるのです。
 
 第二は「身施」美の施し、即ち仏さまのことに関するご奉仕です。お寺や教会の掃除、御宝前や法師のお給仕


参拝者のお世話、法座や法要のお手伝いやお役のご奉仕です。

 第三は「財施」お金や物の施しです。教えが広がり、悩み苦しむ人が救われるために大切な財の徳を積ませて

頂くことです。

 「行えば実る」信念をもって徳積みの実行をすれば誰でも、幸せになれるのです。今までの自分を改革し、勇気と

希望をもって精進しましょう。



感動のある所に運命は好転する

 大手術が終わり、集中治療室の奥さんのご家族が、ご主人をはじめ子供や孫さんまで一家総出で、一斉勤労奉

仕に来られました。私はびっくりして「奥さんの容体がご心配でしょうに、よく来られましたね」と声をかけると「妻は

集中治療室で看護婦さんが付き切ののため、私たち家族は廊下でうろうろしているだけです。病人は医者や看護

婦さんにお任せするより手はありません。『こんな非常時こそ徳を積まねば・・・』と考え、今日は家族みんなで喜ん

で奉仕に参加させて頂き、妻の分まで汗を流させて頂きます」との返答でした。私は感動しました。感動のある所

に運命は好転する。こんなことを契機に病人はあれよあれよという間に全快され、医者も驚くほどでした。

 「無理をしないで無理をする」善い事には勇気を出してちょっと無理をして徳を積まれたお手本です。



笑顔

 
この世を面白くさせるのも

 面白いことが無い世にするのも

 自分の心の持ち方次第だ

 自分が笑顔になれば

 周囲も笑顔になるものです



蒔いた種が生える

 法華経の教えが諸経中の王と呼ばれるのは、因縁果報の教えが他の教えよりはるかに優れているからなのです。

 世の中のすべての出来事や現象は諸法実相と言って、すべて自分が蒔いた種であり、自分の心遣いと行動が

種となって芽生え、実となるのです。誰か人のせいではないのです。それが本当に分かれば、苦や悩み事は自分

の手で刈り取ることができ、誰でも幸せになることができます。

 苦を乗り超える覚悟と智慧

「自分の蒔いた種は自分で刈り取る」のが鉄則です。それには自分で刈り取るという「覚悟」と乗り超えるための

「智慧」が必要です。

 それは毎日の読経供養の積み重ねです。法華経には如来の秘密神通の力があるのです。つまり、仏の永遠の

命とすべての人を救うという絶対慈悲の働きが込められており、法華経の経典は仏さまそのものだからなのです。

 では、智慧はどうしたら身に付くのでしょう。

 本当の智慧とは、常識や学問の知恵とは違います。すへてを生かすという仏さまの絶対慈悲の考え方です。一

回でも多く教会にお参りをして、沢山法話を聞くことで仏さまの智慧が増えます。

 自分で乗り超えるという覚悟と、仏さまの智慧という正しい考え方があればどんな苦でも乗り超えることができる

のです。

 覚悟が決まれば道は開く

  地方の法座に七十代の母が四十歳を過ぎた娘の結婚を願い、いつも二人でお参りされる母子がありました。

 ある時、この母が脳卒中で倒れ寝たきりとなり、娘さんが相談に来られました。

 「私は勤めがあるので母に付き切で看病することはできません。私は姉と妹の三人姉妹ですが、二人は結婚

して家庭があるので看病の手伝いができないと言います。どうしたらいいのでしょう」という深刻な相談です。

 「親孝行に勝る徳積みはありません。二人の姉妹は家庭があって頼れませんから、今日まで未婚で心配をか

けて来た母への恩返しと思って自分が面倒を見る覚悟を決めることです。」

 「勤めがあるから、付き切りの看病は無理です。」

 「この際勤めを辞めて母の看病に徹し切りなさい。」

 「勤めを辞めたら経済が続きません。」

 「あなたも二十代の頃から、いつかは結婚したいと貯めた貯金があるでしょう。それを切り崩して生活しなさい。

貯金がゼロになるまで面倒を見切れば、あなたの運命が変わります。きっと結婚もできるでしょう」とご法の因縁

果報を信じて断言しました。

 しかし、先生は無理なことを言われると半ば憤慨して帰られました。翌月の法座に来られ「あの後、先生のご

指導をよく噛み締め、おっしゃる通りだと思い、長年勤めた会社を辞め母の看病に徹することにしました。しかし、

もう一つ納得できないことがあります。半年ほど前に姉が『年老いた母がいては、あなたも結婚できないだろう

から、母をこちらでお世話するために部屋を増築するので母の貯金を全部出してほしい』と言ってきました。そこ

で、母と相談の上三百万円渡し、一室作ってもらいました。約束通り母をそちらで面倒見てもらえないかと頼むと

『健康な母を引き取る約束はしたが、病気の母は引き取れない』と勝手な言い分です。それならば、三百万円返

して欲しいと言いましたが、断られました。それで会社を辞める決心をしましたが、腹が立って仕方がありません。

どう考えたらいいのでしょう。」

 「あなたの気持ちはよくわかりますが、お金は部屋に代わってしまったのですから、戻ってきませんよ。気持ちを

切り替えて、看病に頑張りなさい。きっと仏さまのご守護が頂けますから」とご指導しました。

 その後、少し母の容態は安定しましたが、介護がないと自力での生活はできません。二カ月後、「先生、私は

結婚しないことにしました。なぜなら、病気の母を置いてはいけません。母の恩を思う時、私が一生掛けても母を

守ろうと決心しました」という手紙が届きました。私はいよいよ本物になられたなと喜びました。

 半年ほどたった時、バツイチの方との見合い話が持ち上がり、どのようにしたらよいか相談がありました。

 「本当のことを言いなさい。うちには何の財産もなく家もなく家も借家のアパートで、あるのは病気の母だけです。

母を置いてはいけないので、婿に来てくれるなら考えます。それでも良いといわれるのなら、ご縁ですから話を進

めなさい」と申し上げました。

 すると相手はそれでもいいと了解され、とんとん拍子で話がまとまり、結婚されました。有り難いことに病気の母

のことも協力して面倒を見てもらえました。約一年後、知り合いから新築の家を買わないかという話がありました。

 「母の生きているうちに新築の家に住ませて上げたいと思いますが、徳を削らないでしょうか? 買ってもいいで

しょうか」とのお尋ねでした。

 「親孝行の為なら、目的がいいので買ってもいいです。しかし、貯金を取り崩して治療と生活費に使ってこられま

したが、資金繰りは大丈夫ですか。」

 「はい、私だけの貯金では足りませんが、主人の退職金の前借りりで資金は何とかなります。」

 「それならば、喜んで買いなさい。以前に姉の家の増築資金の問題を許し、家のことで良い種が蒔いてあったか

ら、新築の一軒家という大きな実となって戻ってきたのですよ。」

 自宅療養をされる年老いた母親も、献身的な娘の看病と優しい婿さんの協力に心から喜んでおられました。そ

の上、年を取り病気になった身の上なのに新築の家に住めるという思いもよらぬ幸せに悦びいっぱいの生活を迎

えることが出来たのです。

 この娘さんも、親孝行を最優先にすると覚悟を決め、貯金を取り崩し人に頼らず自力を出し、姉のことを許すとい

う正しい智慧により、苦を乗り超え、結婚や新築の家という思いもよらぬ大きな幸せをつかむことができたのです。

 ご法の真理に間違いはないのです。



人生は苦労すべき

 自分で決めたことは

 何があっても最後までやり遂げる
 
 思うようにいかないのが人生

 人生は苦労すべき

 苦労こそ、成長の種である

 苦労をどう受け止めるか

 諦めなければ、きっとその先に

 光が見える



母親の役割


 子供にとって母親は一番最初に出会った教師である。子供は、生まれた時はどの子も純真である。成長するに

つれて、様々な色に着色されていきます。

 その純白な紙に最も強烈な色付けをするのが母親です。なぜなら、子供は多くの時を母親の許で過ごし、母親の

することや言動を学んで吸収し成長していくからです。

 親は単に子供を喜んで育てるだけでなく、一人の人間を育てる「教師」という役割を担っていることを自覚すること

です。

 子供から眺めて一番魅力のある母は、済んだ事をごてごて言わぬ母、即ち愚痴の無い明るい母を子供は求めあ

こがれている。




お天道様はお見通し

 昔はよく使われた言葉ですが、今は死語になりつつあります。お天道様とは太陽のことであり、太陽のエネルギー

のお蔭で私たち地球のすべての生き物は存在するのです。人類は皆太陽を崇め、畏敬の念を持ち、太陽信仰を基

盤に文明を築き上げたのです。日本の天照大神も太陽の神様です。太古より人類は生かされている命の根源であ

るお天道様つまり神様仏さまは、どんなことでもすべてお見通しなのだから、どんな悪い行いも隠し通すことはできな

いと信じてきましたが、科学技術が進み月にウサギがいないことが分かると、昔話やおとぎ話に託された「心遣いの

大切さ」を迷信と切り捨て「見られていなかったら、見つからなかったら何をしても良い」という風潮が蔓延しつつあり

ます。太平洋戦争に負け、それまでの良き日本文化まですべてを否定した教育の結果、国民の精神から日本人の

美徳が喪失し、信仰心が欠如してしまった結果です。

 麻痺してしまったエリートの精神

 今国会で問題になっている厚生労働省の毎月勤労統計調査の不正問題の答弁を見る時、優秀なエリートの精神

性の麻痺状態に唖然とします。高学歴であることの驕慢と国家と国民生活を預かる公僕としての自覚の欠如としか

言えません。<間違ったことをしたり、人に迷惑を掛けたら、率直に非を認め頭を下げ誤ること、二度と同じ間違いを

繰り返さないこと>のお手本となるべきエリートが言い訳と保身に走る姿に呆れてしまいます。野党議員の質問も首

相や閣僚の非を責めるだけで引きずり下ろすことが目的となり、国民不在の状態です。また、首相や閣僚の木で鼻

をくくったような答弁にも数の力に任せた傲慢さが見え隠れし、人間的レベルの低さはとても子供たちの手本とは成

り得ないのが残念です。

 また、〇〇パレスが法令違反建築で1324棟一万四千人余りの住人に被害を与えた問題で企業倫理の欠がまた

も露呈しました。

 個人においても、アルバイトの従業員が、オーナーや責任者が見ていないからと、常識はずれの動画をSNSに投

稿する悪意の連鎖が続いています、個人の責任だけではなくお店や会社の存続に係る大問題になるという意識が

全くないのです。軽い気持ちや冗談のつもりで投稿する低モラルの幼稚性、軽口や冗談も言っていい事、やってい

い事の判断ができない低レベル人間がなぜ増えているのでしょうか! 誰が育てたのでしょうか。長い歴史に培わ

れた崇高な日本人の精神性は、どこに行ってしまったのでしょうか?

 日本は「恥じの文化」と言われます。昔から立ち振る舞のマナーを大切にし、人に迷惑をかけたり。自分勝手な行

動を「恥」と感じて来ました。そこに日本文化の奥ゆかしさや深みがあるのです。この精神性は聖徳太子が仏教を導

入し、仏経の考え方を政治の根幹に据えたことに由来しているのです。

 認知症防止方

 超高齢化社会となり、認知症患者が急増し、大きな社会問題となっています。先ずは自分が認知症にならない

ことが重要です。結論から申し上げますと「施し強き人はボケない」のであります。

 勤勉実直で真面目な人でも、施しの少ない人はボケやすいのです。給料通りの働きで悪いこともせず良いこと

もしない「毒にも薬にもならない生き方」「自分の生活を守るだけ、ご褒美は自分だけ」という自己中心的な施し

の無い人生が認知症になるのです。人さまのお役に立ち、喜んでもらってこそ「人として生まれた価値がある」の

です。自分の楽しみや生活のためにだけ一生懸命働くのであれば、虫けらや野生の動物とさほど変わりません。

  自分の生活を守るだけの狭い視野で生きてきた結果、人のことが分からなくなり認知症になるのです。

人が幸せになるために仏法を説く法施をしているお坊さんや国のために身を粉にして働き身施をしている政治家

の認知症はあまり聞いたことがありません。お坊さんや政治家もピンからキリまでいますから、例外の人もいる

かもしれませんが、仮にも人の幸せや国のために努力する人はボケにくいのです。

 反面、親や連れ添いの認知症や重度の要介護で困る家族や夫婦にも原因はあります。一人前になってから、

親にお金や労力、優しい言葉や感謝の言葉で育ててもらった恩返しが出来ていないと、その借りを返すまで介

護で困るのです。夫婦も同様でお互いの働きを当たり前に思い、文句や不満こそ言っても感謝や労う言葉が足り

なかった分、情けない惨めな思いで借りが返せるまで不毛な毎日が続くのです。その通りだと気付かれたら、今日

只今から心を切変えて、感謝と労わりの心で看病に徹すれば必ず「鳴呼よかった」という結果現象が現れます。

 なぜ障害児が生まれるのか

 
近年、自閉症、アスペルガー症候群、ダウン症、多動症等の発達障害や知的障害の子供さんが増えています。

どこに原因があるのでしょう。

 仏法から申し上げますと「胎教中の親の考え間違い」が原因です。胎教中の親不幸・夫婦の不仲一致等の種ま

きが、子供の性質、体質、歩む人生に大きな影響を与えます。そして赤ちゃんのおむつ交換や授乳等小さな手間

暇の不足、幼少期の愛情不足等が、就学・就職・結婚等での大心配につながるのです。つまり小さな時にに小手

間を抜くと大きくなってから大手間がかかる結果となるのです。

 例えば、胎教中に親や大切な目上の人に「NO、ノー」と逆らい反発し親をバカ扱いしたり見下げた結果、脳に

障害が生まれるのです。親の意見に聞く耳を持たないと難聴となり、悪い所ばかり見た結果視覚障害となるので

す。自己中心の考えで、親と縁を切り見捨てた時、かわいい我が子が亡くなり自分が見捨てられるという悲劇を

迎えるのです。厳しいようですが、これが因果果報、蒔いた種は自ら刈り取らなければならないという仏さまの真

理です。この真理が理解出来、懺悔と罪障消滅が出来れば「本能ありと雖も煩悩なきが如く、生死に出入すれど

怖畏の想いなけん」の教えの通り、障害のあるままでも困ることなく、動揺の無い生活が出来るのです。

 現在日本の高校進学率は90%を超え、高校生の半数以上が大学に進学する高学歴社会になりましたが、

問的知識
は高くても、親を大切にするという事が分からない程度の低い、智慧の無い若者が増えた結果です。

そして、学歴偏重の育て方をしてきた親と国にも大きな責任があります。このままでは日本し滅んでしまいます。

今からでも遅くありません。永遠の真理である仏法をしっかり学べば、間違いのない安心立命のできる人生が送

れるのです。



すべては自分がもと


 「み仏のありかいづこと尋ね来て、我が身と知るぞ今日の嬉しさ」と教えの歌にあります。

 凡夫り私達は、日々身の周辺に起きるすべての出来事(病気、貧乏、不和)の受け方、考え方が間違っている

がため、嘆き、怒り、挙句の果ては、人が悪く見え初め、自ら掘った墓穴に落ちて苦しむのです。

 「困る事のすべては自分が原因である」と自覚するのが、正しい信仰をする者の心構えであります。自分を直

せば良くなると、まず自信を持つことです。

 山彦と同じで「馬鹿野郎」と叫べば「馬鹿野郎」とこだまして、自分に戻ってくるのが自然の原理であります。




憎悪と偏見の世界を救う

 現実の世界は差別と憎悪の連鎖が止まりません。またしても自分勝手な偏見と憎悪による銃乱射の無差別

テロ事件が、多くの移民を受け入れ、治安も良く、豊かな自然に抱かれたニュージーランドで起こりました。

 お釈迦さまは、「一切の平等と大調和」の世界を説かれましたが、今世界は正反対の「差別と偏見」の異常な

方向に進んでいます。異なった宗教や民族、同性愛者、性同一障害者など性的少数派や身体障碍者や精神

障害という生活弱者に対する過激な思想を持った人たちの暴力が止まりません。

 ニュージーランドのアーダーン首相は、「すさまじいショックと悲しみと怒りを感じる」と述べたうえで、「マイノ

リティー(少数派)に向けられた憎しみと戦うために十分警戒してほしい」。偏見と不寛容な無害な人の命を脅か

している」として、連帯を呼びかけました。

 痛ましい事件を受けて銃規制の強化を求める声が高まり、政府も法改正に向けた手続きを進める中、市民の

間では所有している銃を手放すため自主的に警察署に持ち込む人が増えているそうです。

 住の所持には賛否両論ありますが、自発的に武器を放棄することは良いことと思います。世界の国々が武

器を捨て軍備の縮小に向かって歩み出すことが大切な時代になっています。

 障害者を抹殺せよの衝撃

 日本も例外ではありません。

 「私は障害者470人を抹殺することができる」と某市の生涯施設で入所者19人を殺害して逮捕された容疑

者は、常軌を逸した身勝手な誇大妄想を描き、尊い人命を次々に奪いました。凄惨な事件の背景にあるのは、

障害者に対する偏見と差別です。また、介護老人、認知症患者、身体障害者、知的障害者等に対する歪んだ

考え方を持つ若者による介護老人保健施設での死傷事件が続いています。日本は物の豊かさと教育の高さに

反比例し、心が貧しく未成熟な社会になりつつあります。他人事と静観せず、私たち宗教をする者が、正しい教

えをしっかりお伝えする責任と使命に目覚めて、足元の家庭から法を伝え、教えを継承していきましょう。

 憎しみを捨てる

 法句経に「実にこの世においては、怨みにたいして怨みを返すならば、ついに怨みの鎮まることがない。怨み

を捨ててこそ鎮まる。これは普遍的な真理である」と教えられています。

 恨み憎しみの連鎖を止めるには、こちらが「一方的に恨みを捨てる」以外に完全解決の方法はないのです。

 お釈迦さまは、三度露頭に佇み、王の暴挙を非暴力で止められましたが、釈迦族は大虐殺に遭い滅亡しま

した。しかし、憎しみを果たした王一族も一週間後に大洪水に飲み込まれ滅んだのです。これが史実です。王

の出生の秘密を辱めた釈迦族の報い、理由の如何を問わず、罪もない子供や女性たちを虐殺した王も因果

の報いを逃れることは出来なかったのです。お釈迦さまはこの苦しみ悲しみを乗り超えられ、一方的に恨みや

憎しみを捨てられたのです。このことにより、悲しい不幸の連鎖は消滅したのです。常識や学問、武力やお金

の力では根本的な解決はないのです。仏教精神でなければできません。

 言葉は宝物

「言葉のいらぬ世界が仏の世界、言葉の必要なのが人間界、言葉の通用しないのが地獄
(近代仏教学者 曽我量

深の言葉) 動物にも言葉があると言われていますが、動物の言葉は危険を知らせたりする情報伝達のための言

葉であり、人間のように細かな感情や意思を伝える高度な言葉ではありません。

 宗教や民族の違い、文化や主義の違いを理解せず、「問答無用」の暴力に訴える世界にしてはならないのです。

 人間の言葉は「互いに分かり合えるための言葉、赦し合うための言葉、喜びを分かち合うための言葉」であり、

仏教では「愛語」と言います。道元禅師は「愛語」は愛心より起こり、愛心は慈心を種子とせり。「愛語よく廻天の

力あることを学すべきなり
」と教えています。言葉は人生を大転換させ力があるのです・


 仏の種を育てる


「人もと悪少なし、よく教うればこれに従う」と聖徳太子の憲法十七条にうたわれています。幼少期の時からの

躾や宗教的情操教育が大切なのです。塾や習い事で学歴や技能だけを与えるのではなく、相手を思いやる心、

弱い人に寄り添う心を教え、苦から逃げない、悪いことから目を背けないことを教え、強い心の「人間力」を身に

付けさせることが大切です。

 苦しむ人、悩める人、迷える人に「大丈夫ですよ、きっと幸せになれますよ。一緒に仏さまの教えを学びましょ

うね」と一言掛けることが開祖さまの立教の願いであり、信仰者としての愛語なのです。

 開祖さまの広く温かい願いを深く胸に刻み、ご法を多くの人に伝える「菩薩の道」に邁進しましょう。「ひかり」

の本を頂いたお陰、一言声を掛けて下さったお蔭で教えに出会い今日の幸せがあるという方がお見えになり

ます。「人を助けてこそ自分が助かるのです。特に同じ悩み、同じ苦しみ持つ人を教えの人生(無上道)にお

誘いしましょう。きっと自分のご縁でお救いできる人が現れますから、生涯に三人以上の人に法華経にお導き

できるよう頑張りましょう。



餓鬼


 餓鬼には三種類ある
 
 裸で何も食べるものがない無財餓鬼

 ボロを着て残飯や粗末な物しか食べられない小財餓鬼
 
 大金持ちで丸々太っているのに、もっと欲しいもっと欲しい
 
 と、自分が持っている物で満足出来ない多財餓鬼



信仰心


 信仰心とは数珠を持ち、神社仏閣にお参りすることだと考える人がありますが、これは信仰の一部であって、

真の信仰には正しい法があり、生きた人間関係において、いかにして円満に生活していくかを実行してこそ信仰

した価値があるのです。

 ご縁あって真実に生きるを愛読して下さる皆皆様、先祖以来の宗旨はそのままでもよろしいが、「よく怒る心の宗

旨」「愚痴をこぼす根性の宗旨」「貪りたい欲望の宗旨」に大革命を起こして下さい。

 必ずや新しい希望に満ちた運命が到来して参ります。安心して法を学ぶ教えに近づいて下さい。



ノートルダム大聖堂はなぜ燃えたのか

 
衝撃のニュースが飛び込んできました。ずテレビ画面に映し出されるフランス、パリの世界遺産ノートルダム大聖

堂が炎に包まれ燃え上っている映像に目を疑いました。そして高さ九十メートルの大尖塔が燃え落ちる光景に思

わず驚嘆の叫び声を上げました。ニュースを初めて見た方は、皆同様の驚きであったと思います。

 フランス国民やキリスト教徒の聖地であり、人類の歴史的文化遺産が多く消失したことは非常に残念なことです。

多くの人の創意、善意により一日も早く再建されることを祈るばかりです。

 しかし、何故フランス国民にとって心の支えであり、信仰の柱である大切な大聖堂が火災に遭ったのでしょうか。

仏さまの教えに照らせば、原因の無い結果はありません。この世の中の出来事は因果果報の真理に外れるもの

はありません。

 怒りのぶつかり合いが炎となる

 原因はフランス国民が大もめにもめ、国民と政府の怒りの火のぶつかり合いが大きく炎となって、フランス国民に

とって最も大切な大聖堂が炎上したのです。

 教えの無い人間は、悲しい思いに心の奥底まで包まれて、やっと目が醒め正しいことに気付き悟ることが出来る


のです。自己中心の愚かな人間が神仏の正しい教えに目覚めるには、時として多くの犠牲や代償が伴うのです。

 仏さまは凡夫の私たちが正しい生き方に気付くように、様々な現象を出されその現象は当事者が一番身に染み

る所に苦難という形で現されるのです。

 まさに大聖堂の火事は、フランス国民すべての悲しみ衝撃が走り、政府も国民も一致団結しなければいけない

「神仏のはからい、天の声」と言えます。

 奇しくも、マクロン大統領が「この惨事を皆がまとまる機会に変える」と国民の結束を呼びかけました。そして、フラ

ンス富裕俗の象徴である高級ブランドのルイヴィトンやロレアル化粧品が、それぞれ250億円の寄付を表明し、火

災の二日後にして寄付金は1000億円を超えました。大統領か国民に団結を訴え、富裕俗が自主的

に富を分かち合う素晴らしい現実が現れました。

 大聖堂の火災は、フランスにとってまさに「悲感」の悲しい出来事ですが、それによって政府と国民が気付き、支

え合うことができるチャンスとなれば、これこそ神仏が願われた姿なのではないでしょうか。

 大変な時は大きく変わる時 

 思いもよらない「大変」なことが起こった時は、驚き悲しみ右往左往するだけではなく、これまでの考え方や行動を

大きく変えることが大切なのです。フランスもこれを機に政府も国民も、何かを大きく変えることが重要です。

 「のども元過ぎれば熱さ忘れる」でしばらく経って元の内紛状態に戻ったら、今回の惨事は何の意味も成さなくな

り、また次の大変なことがきっと起こります。それで変わらなかったら、「仏の顔も三度まで」もっと大きな悲劇を迎え

ることになるでしょう。この出来事は、決して他人事ではありません。個人の家にも、会社にも、国同士の国際関係

にも言えることなのです。

 法の実践されている場所は守られる
 
 火事が起きすへてが焼き尽くされてしまうと思える時も、仏さまの教えが実践されている場所は常に平和で安心

で、みんなが楽しく生活できると説いてあります。

 昔このような事実がありました。紡績会社を経営いる某信者宅の火事を見てある火事を見て、あるご信者が教会

に飛び込んで来られました。

 「先生大変です。熱心な〇〇さんの法座宅が火事で燃えています。」

 「あの家は火事で燃えることはありません。」

 「でも先生、私は今実際に火事を見て来たんですよ。」

 「法座を開いているあの家は絶対火事にはなりません。もし燃えているとしたら工場であり、法座を開いている本

宅は決して燃えません。」

 実際に燃えたのは、む労働争議でもめていた会社の工場建物で、教えを人に伝えるために法座会場として本宅

は無事だったのです。

 また、大阪の店舗密集地で法座を開いていたお店の火が出てコの字型にこのお店の両隣と裏の家は燃えました

が、この法座会場は奇跡的に類焼を免れ無傷でした。

 この法華経は「災難を免れる妙法」とも言うのです。自信を持ってお経をあげ、教えを学び、この教えを一人でも多く

の人に伝え、大難が小難、小難が無難となる人生をお伝えしましょう。

 法座が開かれている場所は、諸仏が悟りを開かれた所と同じであり、教えが説かれ、皆が幸せな境地になる仏

さまの道場と同じ価値があるのです。つまり正しい教えの説かれている法座会場は仏の徳によって守られる仏さま

の道場なのです。法を人に伝えている人の体からは無数の光が放たれ、お経が読まれ法が説かれている場所は、

仏さまの徳に守られて光輝いているのです。つまり、明るい活気のある家庭や会社となるのです。これが、妙法広

宣流布の功徳なのです。



末法の時代


 
今は末法の時代と言われます。家庭においては嫁と姑のいがみ合い、夫婦のトラブル、親子の意見の対立等の

小さな争いから始まり、取り返しのかぬ大きな争いへと展開されているのが現代の世相です。国際間に目を転ず

れば、一触即発の危機をはらみ、一つ間違えば地球を破滅するようなことになりかねない世界情勢です。

「争いは恩のみこれを鎮める」と教えられますが、現在の日本人にはこの精神が忘れられている故に、家庭が乱れ、

ひいては社会まで悪化しているのです。ある人がこんな名言を言いました。「人生はゲンコツで渡るか、アメ玉で渡

るかの二通りである」ゲンコツ、即ち相手を叩き、圧迫し、怒り続ける人。アメ玉、即ち相手に温かく情けをかける人

果たして私たちは前者でしょうか、後者でしょうか。




雑用という仕事

 雑用という仕事はない

 与えられた仕事を雑にやればすべて雑用になる

 お茶汲み、トイレ掃除、コピー取り陰役など不足に思い、

 つまらないと思えば、不浄な仕事となる

 喜んで、真心込めて、丁寧に行えば、尊い仕事になる。

 その人は後光に輝いている



法華経の考え方

 ある法華経の大先達が法華経観を一言で言えば無立場」と申されました。大変意味深く味わい深い言葉で感

銘を受けました。凡夫はつい「自分が」の我の心で、「親の立場、子の立場」「上司の立場、部下の立場」「夫の立

場、妻の立場」「姑の立場、嫁の立場」など先ず自分の立場を第一に考えるから、怒れたり、愚痴がこぼれたり不

足に思うたりして相手が悪く見えるのです。信仰心を持たない人や教えの浅い凡夫は、常に物事を自分の立場か

らか考え、自分の物差し(価値観)で計るので、真実(本当の姿)との誤差が生じ苦となるのです。

 では相手の立場に立てばよいのでしょうか?

 それも仏さまの教えとは少し違います。自分とか相手とかという区別があるうちは、無立場とは違います。

 仏さまは「
一切は空である」と説かれました。空とは平等であると意味です。自分の立場とか相手の立場という

分け隔てがなく、自他一体となる絶対的平等が「空」なのです。

 衆生の考え方は顛倒している

 人間の常識と仏さまの常識は、正反対で180度ひっくり返っていることが多いのです。例えば「学者」とは知恵が

あり立派な人で、「無学者」とは学問の無い勉強の人を言いますが、仏教ではもう学ぶ事のの無い智慧のある人を

「無学者」と言い、まだ学びが足りず学ぶ事の多い人を「学者」と言います。

 また
分別とは「物事の道理をわきまえること」でいい意味ですが、仏教では反対です。分別とは頭の良い子と悪

い子、美人と不美人、好きなと嫌いなど相手と自分、AとBを差別するものの見方です。差別して見ない自他一体、

絶体平等の
「無分別」になれと教えているのです。

 真生会の開祖さまも「不自惜身命 命がけにになれば、何とかなる。 きっとよくなる。相手を尊ぶ。人を悪く見な

い。それが法華経の教えです。」と教えられました。

 「不自惜身命」 自分の体も惜しまないということは「自分の小さな立場を捨てる」ということです。
 
 「命がけになる」とは自分の考えを捨て「結果は仏さまにお任せ」つまり仏さまと自分が一体になることです。

 「相手を尊ぶ 人を悪く見ない」と言うことは、相手は自分の鏡だから、相手の同化する。相手と自分の区別がな

く一体となることです。

 布施とは分かち合う心

 
世の中のすべての出来事は因縁果報であり、詰まる所すべては徳次第ということです。その徳分を高めるには、

布施(良いこと)を沢山して徳の器を大きくし、仏さまの器に近づくことです。仏さまの器は善人も悪人も、好きな人

も嫌いな人も、区別なく漏らすことなく、すべてを受け止め救ってくだる限りなく大きな器なのです。

 貧しい人や困っている人が可哀そうだから恵んであげることではありません。施しの功徳がいずれ戻って来るか

らすることでもありません。お互いに分かち合うことが幸せだから、仏さま世界は共生、共生きの世界だからです。

 なぜ布施をするのか、布施の心はどういうことなのか考えてみましょう。

 ある日、兄が小さなケーキを一つ貰ってきました。母に言われて兄弟は一つのケーキを分け合って食べました。

何故分け合って食べた方がいいのか母が尋ねました。

 兄は「弟が可哀そうだから」と言い

 弟は「僕が貰って来た時、お兄ちゃんも半分貰えるから」と言った。

 母は「あのね、一つのケーキを二人で分けて食べたほうがおいしいのよ。お母さんはね、二人で分け合って食べ

たおいしいと思える子供になって欲しいの・・・」賢い母ですね。これが家庭教育ですよね。

 国も人も自分ファーストの世知辛い世の中になってきました。人間って不思議ですね。貧しい時はみんなで分け合

うことが出来ても、ちょっと豊かになると自分を守ろう自分を優先しようという心が芽生えるんですね。

 一つのものをみんなで食べる法がおいしいという価値観の子供を育てることが、財産争いの起こらない幸せな家

庭を作る基本ではないでしょうか。

 財施・・・自分だけ豊かになるより、みんなが豊かになった方が幸せです。

       だから大切なお金をみんなのためにも使う

 身施・・・自分だけ健康であるより、みんなが健康であった方かが安心です。

       だから健康な身体でみんなのために尽くす。

       みんなのために身体を使えば健康になれる。

 法施・・・自分だけが教えを信じるより、みんなが教えを信じた方が平和が保てます。

       だから聞いた教えをすぐみんなに伝える。
      
      みんなが幸せになれる智慧だから、法施が一番尊い。

 お恵みは、受けた方がしてくれた方にお礼を言いますが、布施は、受けてくれた方に布施をした方が「徳を積ませ

てくれてありがとう」とお礼をいうのです。これも一般常識とは正反対ですね。

 逆の発想、同業者を喜ぶ

 美容院を営む六十代のご婦人のご相談です。

「先生、今日まで何十年と美容室をやってきましたが、近所に最近同業者が何軒も出来、客足が減りやる気が出ま

せん。どう考えたらよいでしょぅか。」

 「常識と仏さまの智慧は正反対です。同業者が近くに多くあれば、おこぼれでも貰えると感謝しましょう。その証拠

に大阪の日本橋や東京の秋葉原には軒並み電気店が並んでいます。あそこに行けば、きっと欲しいものは何でも

あるだろうと大勢の客が集まってきます。そして、あなたの仕事に定年退職はありません。元気であれば一生でき

る仕事を得たことを仏さまに感謝し、健康な体に産んで頂けた親と技術を教えて下さった恩人に毎日感謝の手を合

わせ、お題目を唱えましょう。

そして、あなたには教えがあるのだから、お客様を一時間独占して悩みを聞き、法が伝えられる法施の出来る境涯

を心から喜びましょう。きっと自分にあったお客様が来ます。」

 「先生、ありがとうございます。心の曇りが取れました。明日から仕事を続ける勇気が湧いてきました。」

 世の中は、相手を変えることは出来ません。変えられるのは自分の心だけです。受け止め方が変われば、苦も楽

となる。これが法華経の智慧なのです。



孤独の寂しさ  )

 「積善の家に余慶あり」のことわざは理解出来ても、実生活において何が積善になっているのか、積悪になってい

るのか見境もつかず、良いことだと思ってやっても、案外人から批判されたり悪口を言われてがっかりする事があり

ます。

 俗に「正直者が馬鹿を見る」と言いますが、相手の立場も考えず、自分の理論理屈を通すのは正直者ではありま

せん。

 己に力無きと知ったら、いかなる事があろうと忍人が己に正直な人であり、常に相手の立場から物を考え、事を

運ぶ人こそ仏様から眺めた正直者であります。この世の中は自分一人の力では生きられません。多くの人の恩恵

によって、自分が今日生かされていることを忘れてはなりません。自分が正しいと考えて一方通行を主張するが故

に最後孤独の寂しさに泣くのです。




悲しみの連鎖をどう受け止めるか
 )

 高齢運転者による車の暴走死傷事故やひきこもり者による無差別殺傷事件、育児放棄や虐待による乳幼児や

児童の痛ましい死など、毎日のように悲しく凄惨な事件が起こり、空しさとやり場のない憤りに日本全体が打ちのめ

されています。

 何の罪もない幼児が暴走運転の犠牲になったり、優秀な学歴を持つキャリア官僚や恵まれた環境の私立小学校

児童が突然事件に巻き込まれて尊い命ず失われる現実に、誰しもが何故だろうどうしてだろうと思われることでしょ

う。

 お釈迦さまは「すべては縁である」と教えられました。つまり人間が死に至る縁はどこにでもあるのです。地位や

学歴、年齢の長幼に関係なく、病気や事件や事故などに至るご縁は突然に訪れ、想定外の「まさか」が起きた時、

人の力では避けきれません。すべては「運次第」です。運とは単なる偶然ではありません。「自分の力で生きている」

のではなく、「神仏(大自然)に生かされている」という事実に目覚めなくてはなりません。人智人力を超えるいざと

いう時、神仏の目に見えぬご守護が働くかどうかなのです。AI時代の今こそすべての人が正しい信仰を持ち、守ら

れて生きる人生を送る必要があります。

 それには私たち信仰者が、勇気を持っている個人やご家庭に教えを伝え、仏さまのご縁をつながせて頂くことが

急務です。

 根本の無明を正す

 高齢者の免許証返納が叫ばれていますが、「言うは易し、行いは難し」都会暮らしの老人はまだしも、地方の高

齢者は返納後の現実生活を考えると免許の返納をしたくても行動の足が無くなってしまいます。

 引きこもりや精神障害者による事件も様々な対処方法が語られますか、「モグラ叩き」のような個別対応では、も

はや本当の解決や安心にはなりません。このような現実を作り出している根本原因を正さなければならないのです。

 つまり高齢者だけで生活する家庭を作らないこと。家族がひきこもったり、精神障害に陥らない豊かな家庭や社

会を作る根本的対策が必要です。都会の生活に疲れ、孤独から孤立した生活に若者や中高年が心を病み、150

万人を超えるひきこもりが社会問題となっています。

 地産地消を考える

 食物でも地産地消で旬のものを食べるのが一番体に良いと言われています。その地域に生まれ育った所で栄養

が必要な季節に取れる自然の恵みです。

 人も地産地消、生まれた所で育ち死んでいく。そんな生き方も大切なのではないでしょうか。今こそ、各家庭がラ

イフスタイルと幸せの価値観を大きく転換しなくてはなりません。戦後の個人主義、核家族で家よりも個人の重視が

極端に行き過ぎ、若者、中年、老後の各世帯において重篤な社会問題を生み出しています。国の施策だけに任せ

、時代に流されてしまってはいけません。

 特別の目的もないのに高学歴と高収入を求め猫も杓子も東京や大都会に集中し、家の跡を取る子供がいない家

庭が増えています。現代は長男が跡取とは限りませんが、先祖や親のお世話をする子供もいなくなり、地方がどん

どん寂れています。

有名大学に入学し、大企業に就職するまでは親も世間に華が高いでしょうが、気が付くと高齢化した親が取り残さ

れて老人の孤独地獄の様々な問題が起こっています。

 人は群れを作り、仲間と共に生きる社会性のある生き物なのです。子供の独り立ちと孤独は全く違います。親元

を離れ、帰省や連絡も途絶えがちになり、大都会の大衆の中での孤独や孤立で精神を病み、楽をして儲かる話や

快楽的などの縁に巻き込まれ、人生のペースを乱してしまう若者も多くいます。個人も家庭も都会に出る者、地域

に残る者の決断が必要です。企業も地方地方に留まり国も地方を優遇する大英断が必要にです。反面、家父長中

心の家族主義の行き過ぎが全体主義となり戦争につながりました。何事も偏り過ぎがいけないのです。釈尊の説

かれた中道実践こそが正しい生き方なのです。

 三世帯家族を見直す

 人生は支えられた利、支えたりして成り立って行くのです。老人だけでも若者だけでも成り立ちません。親や姑に

気を使わなくもいい気楽な核家族の幸せも束の間、子供が都会の大学に行き、都会に就職し、都会で家庭を持っ

たら、親子二世代の楽しい核家族も夫婦だけになり、年と共に寂しさと不便さ不安が増し、最後は施設に入るか、

老人の孤独死が待っているのが現実です。

 三世帯いるからこそ親と子と孫の多様な人間関係が生まれ、豊かで柔軟性のある人間関係が育まれるのです。

最初は大変でしょうが、若者が地元に残れば産業も育ち、産業が地方にあれば人が留まります。そうすれば日本

中が生活環境も経済も豊かになるのではないでしょうか。猫も杓子も都会に集中する必要はないのです。国も企業

も家庭も個人も、地方や地元に根を下ろす勇気ある決断と行動をしましょう。日々起こる様々な事件や事故は、社

会構造の様々な歪みを直すように天が警鐘を鳴らしているのです。手遅れにならないうちに気付きましょう。

 麻生財務大臣の老後の生活費二千万円発言で「自助と行政の公助」だけでは生活できないと問題になっていま

すが、そこに三世帯家族が同居し互いが金銭的にも支え合い、親が孫の子育てをサポートする「家族の共助」が欠

けています。

 自助と公助と共助の合わせ技で幸せの一本勝ちとなるのではないでしょうか。

 目的を持てば成長する

 「幸せになるんだ」という目的をしっかり持って諦めずに全力を出し切れば、いつの時代でも誰でも幸せになれる

のです。江戸時代、貧乏藩を立て直した米沢藩主の上杉鷹山が「成せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは

人の為さぬなりけり」と行動力の大切さを語っています。私達もしっかりとした人生の目的を持てば必ず行動力が

湧いてくるのです。



孤独地獄  )

 昔は家族が一心同体 みんなで助け合った

 今は家族の一員である前に一人の人間であるという個我が優先される時代

 個我が確立してプライドや自尊心が強すぎると他人を寄せつけず

 自分の方からも他人に近づかなくなる

 孤独地獄が一番つらい



常に学んで )

 ある商店は。父の店を引き継いで家族中懸命に働き、昭和の初めから現在に至るまで、時代の流れに従って多

少扱う商品は変わってきましたが、旧態依然で著しい進歩、発展もありません。このままの姿勢では現在は安泰か

もしれませんが、十年先十五年先を見たら、ただ働き続けるだけで年を年と共にに肉体は老化し、気付いた頃には

池の水と同じで流れることもなく水は腐り、その中に住する子も孫も迫力の無い人間となって、何も悪い事はしてい

なくとも時代の波に押し流される恐れがあります。

 世の中には真面目に暮らしていれば、お天道様は見通しだから、自分の考えは絶対曲げぬという人がいます。

正直真面目は人間としての美点ではありますが、向上心無き人、人の良き事を学び取ろうという考えのない人は、

最後嫌われてしまいます。



対立から変化へ )

 食べ物に賞味期限があるように会社や組織や国際間の仕組みも永遠ではなく、時代に合わせて変化して行かな

くては腐敗してしまいます。長年溜まっていた不具合や不満や不信などが一挙に吹き出し生まれ変わっていきます。

世の中は諸行無常であり、変化は大自然の当たり前の姿です。体も会社も国際社会も新陳代謝を繰り返し、変化

しながら成長していくのが真理です。

 人間の体には60兆個の細胞があり、毎日3000億個の細胞が死に新しく生まれ変わると言われます。見た目に

は変わらないのに約二年半で人間の体はすべて入れ替わり再生されているのです。但し、過度なストレスあると細

胞があると細胞が癌化むさせるとも言われます。つまり変化は当然の成り行きですが、変化に対して怒りや不満を

持たないことが正しく変わっていくコツなのです。

 現象を正しく見る

 人間はとかく相手と自分という対立関係(二法)で物事を見て、ストレス(苦)を生み出しているのです。自分より大

きいとか小さいとか、居るとか居ないとか、速いとか遅いとか、好きか嫌いか、快か不快化という二元論的なとらえ

方をするから、反発や対立による苦が生じるのです。空気がどこを切っても同じように、相手と自分を差別化して見

ないことが「二法あることなしと観察すべし」ということなのです。

 「すべての現象とは一法より生ず。その一法とは即ち無相なり」

 一法とは、一見違って見える様々な現象もすべては平等で差別や区別がなく「一体である」という真理です。自他

一体の関係であれば、生成溌剌イキイキとして苦も悩みも反発も生じないのです。

 
現実の差別相と平等相

 兄の工場で働いている後期高齢者に差し掛かった男性が困ってお尋ねに来られました。

  「長年、家内工業の兄の工場で働いて来ましたが、年を取り体調を維持するために二日に一度、仕事の終わっ

た後に整体に通っています。

 しかし、最近『お宅の会社は仕事が丁寧でしっかりしているから是非頼む』と急ぎの仕事が入り残業をするように

言われましたが。五時の定時に終わって六時までに入らないと七時終了の整体の時間に間に合いません。それで

、一時間早出をして提示に上がろうとしましたら、兄から『仕事が大事か、整体が大事か、嫌なら辞めろ』と叱られま

したが、割り切れません。どうしたらいいのでしょう。」

 「社長と従業員、兄と弟という立場の違い(差別相)から考えるから、どうしても苦が生じるのですよ。辞めればあ

なたも困るし兄の社長も困るのでしょう。どちらにも苦が生じます。会社が急ぎの大事な急ぎの大事な仕事を頼まれ

たということは、立場は違いますが<良い仕事をしよう、お客様に喜んで頂こう>と社長である兄と従業員であるあ

なたが同じ考え方で力を合わせてきたこと(平等相)が信頼となり、急ぐ仕事だからこそあなたの会社に依頼が来た

のでしょう。そこに目を向ければ、苦が苦でなくなります。

 同じ出来事でも差別相で見るか、平等相で見るかで大きく違ってきます。」

 
物事には順序がある

 以心伝心という言葉がありますが、残念ながら人の思いは言葉に出して伝えないと通じないことが多いのです。

 「あなたの気持ちはよくわかりますが、迷惑をかけないように早出をして仕事をこなし、その代わり定時で上がって

整体

に行きたいことを社長である兄に言ってありますか。」

 「いいえ、早出は自分の気持ちでやっており、思いを伝えたり兄の許可ももらっているわけではありません。」

 「悪気はなくても、聞かずに良かれと思ってやった最初のボタンの掛け違いが良い事をしているつもりが、兄にし

てみれば『自分勝手なことをしている』と誤解され、叱られるという結果につながったのだと思いますよ。

 従業員であるあなたの方から、整体に行くために早出をしたいのですが、よろしいでしょうかとお願いして、許可を

もらってやるのが筋ですよ。あなたの誠実な気持ちは尊いのですが、順序が間違っていたのでしょう。

 そして、年を取る今日まで、よく使ってくださったという感謝の心に切り替え、ご無理言いますがという低い姿勢で

お願いすればきっと通じますよ。

 それともう一つ、あなたは整体屋さんから見れば、二日に一日来てくれるお得意様だと思いますから、時間を少し

遅くしてもらえるように頼んでみなさい。社長にしてみれば仕事を優先したいと思うことは当然だ、兄は無理を言うと

いう気持ちを切り替えて頼めば、整体屋さんにもお客であるあなたの無理を聞いてくれるかもしれませんよ。社長に

は低い気持ちでお願いをし、整体屋さんにもお願いするという智慧を使えば、きっと解決の道が開けますよ。木に枠

をはめると困るという字になります。また、心が小丸だから困るのだと教えられます。自分の立場という枠を取り去

り、大きな心になれば、木は大きく育ち困ることは無くなるのです。

 。
 あなたは開祖さまから存命の当時から、教えのご指導に対して率直に実行してこられたから今日があるのです。

幸せになる秘訣は「率直な心」で教えを実行することです。行えば実るのが信仰です。明るく切り替えて実行してみ

て下さい。」

「よくわかりました。率直な気持ちで兄にお願いしてみます」と笑顔でお帰りになりました。

 仏様の教えは、相手を思いやる慈悲と何かと救ってあげたいという智慧の教えです。祈りと実践を続ければ、神

仏のご加護は必ず頂けるのです。



 あなたの過去は未来のあしがせにはならない。

 あなたの未来はいくらでも拓くことができる

 自分の可能性を信じ、素敵な未来を信じ、創造していこう

 開祖さまの「運命をよくする魔法の言葉

 何があっても「大丈夫。きっとよくなる。何とかなる」


人生は徳次第 )

  人生は徳だけが頼りであります。金も地位も権力も、強いて言えば我が子も幸せになる方便であって真実では

 ありません。

 「電柱が高いのも、郵便ポストの赤いのも、みんな私が悪いのよ」と、ここまで自分の不徳に目覚められたら、何ら

怒ることも愚痴をこぼすことも無くなります。不徳の自分に、どのようにしたら徳が積めるかを教えてもらうのが信仰

であり、法であり教えであります。どんな人でも生きている限り、必ず自分の得手があり、特徴があります。金もない、

体も弱い、智慧がないと三拍子そろって悪いという人はありません。悪ければ悪い中に、まだ救われている、護られ

ていると自分の有難さを見出さなければなりません。人様に喜んでもらう努力を命がけで三年も努力すれば解決で

きぬことは絶対ありません。


 あなたの過去は未来のあしがせにはならない。

 あなたの未来はいくらでも拓くことができる

 自分の可能性を信じ、素敵な未来を信じ、創造していこう

 開祖さまの「運命をよくする魔法の言葉

 何があっても「大丈夫。きっとよくなる。何とかなる」




地獄も仏さまの道しるべ )

  「あぁ!と思えば死ぬるべし」という言葉がありますが、定年退職を迎えたり、「死に普請」といって新築等大きな

事業を成し終えてほっとすると、病魔に襲われることはよく聞く話です。しかし不必要に思われるような病気や苦悩

も実は「皆一仏乗のための故なり」仏さまとご縁を結び、「ありのままを正しく見つめ、感謝で受け止める」という仏さ

まの心に近づくための道標なのです。つまり人生は「仏になるための修行の道」なのです。

 今日まであまり信仰が好きでなかった七十才になるご主人が、是非先生にお話が聞きたいとむ奥さんと一緒に

来教されました。

「三十五年間、繁華街で大衆食堂をやって来ましたが、地域の再開発事業により昨年十月に店を閉めました。二年

後に複合ビルのマンションに優先的に戻れると『ほっと』一息ついた束の間、昨年の十二月に肺がんが見つかり、ス

テージⅡと診断されました。心臓病や血栓の関係で手術は出来ず、今年の三月まで抗がん剤治療を続けましたが、

心臓に負担がかかるので一旦治療を中止しておりました。しかし、八月になり検査の結果ステージⅣに悪化してお

り、もう一度だけ新薬の抗がん剤治療をするということになりました。いつまで生きられるかわからないと思って止めて

いた好きなお酒もまた飲み始めましたが、どうなるのか不安で妻が信じている仏さまの教えを聞こうと思い相談に

来ました。」という深刻な悩みです。

 一見不幸なように思えますが、がんの悪化という病魔によって仏縁に自ら近づくことが出来たのです。これこそ仏

さまのお導きであり、仏さまが待って見えたのです。ご縁の徳分がないと仏縁に遭うことは難しいとされています。

 
すべてに感謝の心を持つ

「ご主人、大丈夫ですよ。手術が出来ないということは、手術をしなくても治れる可能性があると考えて下さい。医学

的治療は主治医とよく相談して下さい。治れる可能性を実現するための仏さまの処方箋を出しますので、しっかり

実践して下さい。

 行えば実るのが法華経の教えです。

① きっと健康になれると信じ、抗がん剤の点滴の一滴一滴にありがとうございますと妙法を唱えて感謝すること。

② 何とかよくなって欲しいと支えて下さる主治医や看護士さん、特に身近で今日まで支えてくれた奥さんに、有難

   うと感謝の言葉をかけること。

③ 食堂という商売を通じて長年お客様に美味しい食べ物を提供して来た徳で、病気になっても必ず食に守られま

  すが、患者に合わせてカロリーや栄養を考えて作って下さる病院食や調理師さんに感謝するこし。

④ 毎日再開発の工事現場までリハビリの散歩に行って、「三十五年間商売をさせて頂きありがとうございました。

   二年後に元気で戻ってこれますように」と手を合わせ、ご先祖さまと地の神様にお礼とお願いをすること。

➄ 好きなお酒も飲んでもいいですが、どうせ・・・・とやけ酒ではいけません。やけ酒は酒量が進み毒となります。

  病気になっても好きなお酒が飲める自分は幸せだと感謝して頂ければ、「酒は百薬の長」となります。

⑥ 最後にできる限り教会に足を運んでお参りをして下さい。私が一心行の手当てであなたの体を拝ませて頂きま

  す。

「有難うございます。心が明るくなり楽になりました。」と笑顔で帰られました。法華経は病気直しが目的ではありま

せんが、 「煩悩ありと雖も煩悩なきが如く、生死に出入りすれども怖畏の想いなけん」とあります。悩みがあっても

悩みに振り回されることなく、命に係る出来事にも動揺したり、恐れおののくことはないという功徳があると書かれて

います。

 
物事は生住異滅と変化する

「娘がバツイチの男性と結婚したいと言い相手を連れてきましたが、親としては賛成できないと反対したら、家を出

てしまい帰ってきません。心配でなりません。どうしたらいいのでしょうか」とあるご夫婦の切ない思いの相談です。

「年頃の娘さんを持つ親さんとしては心配のことと思いますが、人の好き嫌い、ましてや恋愛感情は理論理屈では

通じませんから、無理やり説き伏せることはできません。時が解決します。しばらくその状態が続き(住)、燃え盛る

炎がピークに達すると変化(異)し、消滅していきます。これが大自然の真理です。途中で怒りや愚痴、責めの心と

いう炎のもとになる薪をいれなければ必ず火は消えていきます。娘さんではなく自分たちの過去を振り返り、自分た

ちの結婚は祝福され、共に認め合ってきたか?子育てに手抜きはなかったか?二十一日間しっかり懺悔して時を

待つことです。」

 
心の機関銃を捨てる

 二十一日間の懺悔の祈りを実行し、再び相談に来られました。

 「娘は必要なものを取りに一旦帰りましたが、話し合うことも出来ず、心を閉ざしたまま出ていきました。どうしたら

いいでしょう」

 「帰ってきたら一言言いたい心の機関銃を並べてあったら、なかなか帰って来ませんし、帰って来る時はそれ以上

の大砲を持って帰って来ます。」

 「先生、お恥ずかしいですが、心に一杯機関銃を持っていました。思い切って機関銃を捨てます」と誓われました。

 子を思う親の慈悲心です。

 天岩戸を開く方法

 神話で天照大神が乱暴な弟に怒って天岩戸という洞窟に隠れられ、世の中が真っ暗になりました。困った神々は

一案を考じ、岩戸の前で賑やかに宴会を始めました。すると「太陽の神である自分が隠れているから外は真っ暗で

、みんな困って居るはずなのに、外ではみんな楽しそうに騒いでいる。これはどうした事か?」と不思議に思われて

天岩戸の扉を少し開けて外をご覧になられた時に手を取り外に出て頂くことが出来、世の中が再び明るく平和な時

代に戻ったと言われます。

 娘さんの心を開くには、親夫婦がいたわり合い、認め合って明るく過ごすことです。次に、この結婚は幸せになれ

ないから別れてほしいと願うのは親の物差し、一緒になることが幸せというのが娘さんの物差しですから平行線で

す。<どうぞ娘が幸せになれますように>と願うのが仏さまの物差しです。無理難題に対して無条件で降伏すれば、

無条件で幸福がやって来るのです。答えは仏さまにお任せしてプラス発想で前進することをお伝えしました。



出世の秘訣 )

  出世をし、栄える人はどこか違います。大手企業に勤め、年若くして本社次長待遇の職にあり、居並ぶベテラン

課長多数のトップに立って活躍し、人望も厚く出世街道驀進中の方があります。

「あなたの栄進の陰には、何か人と違ったことを実行されているのでしょぅね。」

「先生、私は何一つ秀でた取り得はありませんが、毎日実行していることが一つあります。私は結婚前に父を亡くし、

母と妻と子供の四人暮らしです。どんなに忙しくても毎朝出勤時に仏壇の前で手を合わせお父さん、『今日も元気

で出勤します。ありがとう、どうぞよろしく家を守って下さい』とお参りことを日課としています。それを幼い子供が真

似をして拝みます。その姿を見て年老いた母が喜んでくれます。」と語られました。
出世の秘訣はこんな身近なとこ

ろにある
のです。



教育は人生・国家の宝 )

  目先の生活や豊かさ、自分たちの世代だけの幸せを求めていては将来の安心立命はありません。

 今の痛み、貧しさ、不自由さに耐えて明日を良くしようという精神こそ、物や経済的豊かさの陰で崩壊する家庭や

凶悪事件が多発する現代社会を立て直すのに必要な考え方です。家庭の幸せや国家の繁栄も、とせのような若者

が育つかによって決まります。

親孝行で思いやりがあり、有能で志の高い人間性豊かな若者を育てるには教育こそが大切なのです。

 
バランスの取れた教育

 教育には四つの分野があります。

 ① 学校教育 親への依存から次第に離れ、自立した人間になるための知識を学ぶ。

 ② 社会教育 自立した社会人になるための専門的技能を学び、スキルアップする。

   (学校教育と社会教育によって得られるもの  知識 学歴 技能 プライド)

 ③ 家庭教育 幸せな家庭を築き、良き家庭人となるための考え方と行動を学ぶ。
 
   かじのお手伝い学習により、父としての役割、母としての役割 夫と妻、親と子のあり方を体験的に学び、経

   験としての智慧を身に付ける。

 ④ 宗教教育 神仏に対する畏敬の念、大自然に生かされているという感謝と謙虚さを学ぶ。

   (家庭教育と宗教教育によって得られるもの 智慧 体験 経験 思いやり)

 この四つの教育がバランスよく身に付いてこそ、人間力のある幸せな家庭生活、社会生活が流れるのです。

   しかし、残念ながら現代は学校教育と社会教育に偏り、家庭教育が疎かになり、宗教教育は過去の遺物の

ように忘れられ、「今だけ良ければいい、金だけあればいい、自分だけ良ければいい」という自己中心的な偏った

人間形成がなされているのが現実です。

 
家庭教育、宗教教育は教えざる者の罪

 幕末、明治維新を通じて日本が西洋列強の植民地にならなかったのは、武士の四書五経教育による義務があり、

寺小屋教育により農民に至るまで読み書きが出来た日本人は当時世界でもトップクラスの識字率があり、民度が

高かったからです。そして、家庭教育による長幼の序や行儀作法が日本の家庭と社会の独立を保ち、宗教教育に

よって自然を大切にし、生かされてする感謝の心が育まれて

きたのです。

 今の日本は、家庭教育と宗教教育の軽視による社会と家庭が蝕まれているのです。太平洋戦争後、日本は民主

主義、男女平等、経済大国を旗印に発展してきましたが、学校教育、社会教育に偏り、獅子身中の虫のように日本

国が家庭の内側から、国の内側から音を立てて崩れ初めています。

 今ならまだ間に合います。若者は教育されていないから知らないのです。『知らざる者の罪』以上に、分かってい

る親や大人の手抜き子育て『教えざる者、伝えざる者の罪』なのです。

 ① 親や人に対して挨拶のできる子供に育てましょう。 挨拶がしっかり出来れば、自分の意見もはっきり言える

   ようになります。

 ② 親と一緒に家事手伝いをし、生活力のある子供に育てましょう。男女共に家事手伝いの家庭力が足りないか

   ら、

Ⅰ 料理ノレパートリーが少なく、毎日の食事作りが重荷になる(特に女性)

Ⅱ 調理、掃除、洗濯などいくつかの家事が重なると要領よくこなせない。

Ⅲ 会社の仕事はできるが、家庭と菱立できない

Ⅳ 家具や電化製品、家の簡単な修理ができない。(特に男性)

 すべて親任せで育てられたから、ちょっとしたことでパニックになったりストレスがたまり、離婚したり、育児ノイロー

ゼや育児放棄や幼児虐待をする人が急増しているのです。小さい時から、中学高校大学生時代、結婚までの独身

時代に家事手伝いをしっかりさせることです。「家事手伝いはしなくていいから、勉強しなさい。塾に行きなさい」と

お嬢様お坊ちゃま育ちにすることは大きな間違いです。知識、学歴、技能に偏りプライドだけは高く、心と家庭力の

未熟な片輪走行のような人間に育ち、家庭と社会の両立が出来ないのです。

 統計によると生涯一度も結婚しない?出来ない男性は四人に一人、女性は七人に一人です。理由は様々でしょ

うが、知識や高学歴やプライドが邪魔をして理想が高すぎて、結婚して幸せな家庭を作る実力がない、家庭を持つ

自信がない、社会人と家庭人の両立の出来ない不器用な若者が増えているのです。

 
家族構成の変化

 パパが働き、ママは子育ての専業主婦、子供二人にペット一匹、一戸建てマイホームという理想的核家族の占め

割合は今や全世帯の5%で第九位です。最も多いのは、独居老人の年金生活世帯が17%で第一位、次に働く単

身生活世帯が16%で第二位 、老夫婦二人暮らしの年金生活世帯が14%で第三位です。社会保障や年金問題

がよく報道され、その時は熱病のように心配して大騒ぎしますが、解決しないままに冷めていきます。

 日本は今まさに「非常事態発令中」なのです。

 いきなり熱湯に放り込まれたカエルは驚いて容器から飛び出し助かりますが、ぬるま湯からジワジワと温められ

カエルは変化に鈍感となって「しまった」と気が付いた時には「ゆでガエル」となって一巻のお仕舞いです。

 日本人としての誇りと自信を持ちましょう。親としての威厳を保ちましょう。新しいことを柔軟に取り入れる真摯な

姿勢と古くとも守るべき良き伝統と風習は自信と責任を持って時代を託す子供たちや青少年に伝えましょう。

 きっと日本の将来に光は射します。



幸せに生きる秘訣 )

 年末は一年の総決算の月である。どんな不利なことがあっても怒ってはならぬ。怒る姿は鬼であり、鬼は地獄に

住むのである。この一年を振り返って反省すべきは反省し、新年に備える心構えをしっかり決断することが大切で

あります。自分の力に応じ、収入の何割かはお世話になった親にご恩返しの還元をし、力があれば国家社会の

ために善行の還元、即ち施しをするのが人として幸せに生きる秘訣であります。

 間もなく年末商戦が始まりますが、金集めや儲けんがためが目的であったら大間違いです。一年間儲けさせて

もらったお礼の還元でなければなりません。私たち凡夫も喜びの油を心に注入し、言葉で体力で財で施しの還元

を実行すれば、決算時に徳の黒字となり、やがて迎える新年への盤石の基礎となるのです。




世界は異常事態 天の警鐘か )

 フランス・バリのノートルダム大聖堂の大炎上に続き、沖縄の象徴である世界遺産・首里城炎上は沖縄県民の

心の支えを打ち砕き、日本全体が衝撃を受けました。 続いて やはり世界遺産である岐阜県白川郷で大事には

至らなかったが火災があり、衝撃の連続で心が痛みます。

 自然界に目を転じれば、多くの犠牲者を出した御岳山の噴火、阿蘇山、薩摩硫黄島、口永良部島の噴火と火山

活動が活発になっています。そして 東北地方を中心とした東日本大震災 、熊本地震、近年猛威を振るう巨大台

風と記録的豪雨により計り知れない大災害、私たちはこの惨事や自然現象をどう受け止めるべきなのでしょうか。

 火災の人的原因は「怒りと火と起りの火」のぶつかり合いが「炎」となるのです。フランスも大統領と国民の間で

意見の相違のぶつかり合いがピークに達する時、パリの象徴であるノートルダム大聖堂が炎に包まれました。

沖縄も長年に渡って基地問題で国と沖縄県民がもめ続け、県民同士がぶつかり合い、いよいよ辺野古移転が現

実となり怒りが頂点に達した時、大火災が起きたのではないでしょうか。これは日本国民全体の問題であり、沖縄

だけの問題と他人事にしていてはならないと思います。。

 香港も心配です。EU離脱でもめているイギリスも心配です。イランとサウジアラビアの紛争、IS(イスラム)、クルド

人、政府勢力と反政府勢力、後ろ盾にいるロシアとアメリカの利権が複雑に絡み合うシリアの内戦や中東問題に

世界はもめ続けています。為政者がもめ続け、国と国、国と国民の衝突がピークに達すると人間の力ではどうする

ことも出来ない自然災害や大災害によって天の警鐘が鳴らされるのです。世界規模の異常気象は、その現れでは

ないでしょうか。

 
天災は人災、すべては必然
  
 真生会の開祖さまは「天災は、人間の心使いの問題が引き起こす人災である」と教えて下さいました。

 そして、釈尊はすべての現象は、偶然ではなく必然である。すべての出来事には種まきがあり、芽が出て樹木と

して成長し、やがて実が稔る。結果現象は因縁果報、縁起の法則であると説かれました。しかし私たち凡夫は、

結果である実だけを見て一喜一憂しているのです。

 防災、減災、災害復旧も大切なことですが、必要以上な豊かさを求め続け、豊かさを謳歌してきた人間の貪欲

という悪い種を取り除き、正しい種まきをし、正しい実を収穫できるようにしなければ、自然災害の根本対策には

なりません。

 ノアの箱船は、欲と争いに明け暮れ堕落した人間界を刷新するため、選ばれた者だけが救われたという神話

ですが、仏さまの教えは選民思想や終末思想ではありません。神に選ばれた善良なノアの末裔である今の人類

が大災害に見舞われるのは何故なのでしょうか。天罰ではないのです。人間が自ら作り出した悪い業(カルマ)な

のです。

 
災難を免れる妙法

  仏さまの教えという良き縁に触れ、徳を積んで生きるという生活に目覚めない限り、悪い業は無くなりません。

自分の業に気付き、悪業の根抜きをし、善業の種を蒔くには、仏さまの教えを信じ、人の本当の意義を学び、人

生観と生き方を大転換し、仏さまと同じ道を歩むこと以外にありません。これを法華経では「一仏乗」と言います。

真っ直ぐに仏さまになる道を歩むのです。このことを家族や一人ても多くの人に伝え、世の価値観を転換しない

限り、自然災害を免れる方法はありません。

 悪いことをしないから幸せになるのではありません。善い事をやり続け徳を積み重ねる所に幸せが訪れるの

です。しかし、もう大丈夫と油断して、仏縁から遠ざかり、善い行いという徳積みを怠れば、あっという間に元の

木阿弥になってしまいます。

 真正会では仏さまに守られる自分になるために三つの事を実践します。

① 
一心行で人を拝む・・すべての人に備わっている仏性を拝む。手を当てて拝み、相手の心身を浄める。それ

                によって自分の心身が浄められる。

② 
徳積み・・・・・・・・・・布施行の実践。教えのことにご奉仕する身の施し。教えの弘がるための財の施しをする。

③ 
心の転換・・・・・・・・諸法実相という因果の心理を理解し、悪い種の根抜きをし、善い種まきをする。相手を

               尊ぶ、人を悪く見ない。。

 
自分を捨てるのが仏の道

 離婚調停中のご婦人の相談です。すでに子供を連れて別居し、離婚の決意は出来ているのですが、養育費や

慰謝料等で折り合いません。一日も早く縁を切って前を向いて進みたいのですが、話が進まず宙ぶらりんの状態

が続いて困っているとのことです。

 子供や実家の親のひとを考えれば、離婚は良い事とは言えませんが、不信感や愚痴不足怒りの中で生活し

続けて病気や事故に遭うよりは、別れても恨まず新しい世界に目を向けて喜んで生活することも人生の選択肢

です。

 簡単明瞭に申し上げました。

「裁判や調停で争うことも『悪縁』という縁です。喜べない縁を早く切ろうと思ったら簡単です。自分の意地やプラ

イド、そして欲を捨てて相手の言う通りににすれば一件落着、いっぺんに解決し嫌なご縁は切れます。『ムチャ

とヤンチャには勝てない』のが世の中の道理です。顛倒の衆生と言って、仏さまと凡夫の考え方は正反対、ひっ

くり返っているのです。『欲しい者には与えよ』が仏さまの教えです」。

 びっくりして「先生、相手の言う通りにしたら、養育費が足りず子供をそだてられません!」

「納得して喜んで出してくれる養育費なら貰ってもいいですが、仕方なしに仕様(精)がなく嫌々出したお金で育て

た子は、将来しよのない精が抜けた頼りにならない子供になりますよ。昔から『清貧の中に孝子出ず』と言います。

自分の言い分を捨てて、恨まず怒らず愚痴らず清らかな心で育てれば、きっと親孝行な子に育ちます。恨みや愚痴

不足という濁った貧乏の中からは、親孝行な子は育ちません」と仏さまの受け止め方をお伝えしました。

 目から鱗、仏さまの考え方、真理を聞いたこのご婦人は、苦しい実情の中にも、進むべき正しい道を知り、「先生

に教えを頂いたことを信じて頑張ってみます」と希望の光が見えた明るい顔で帰られました。

 信じる者こそ救われていくのです。
 














                          
田中偉仁  田中庸仁

 

T O P