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  夢中?  ★ 病に病んで
 ★ 事実の奥に仏さまの真実がある   苦をしっかり受け止める
  感謝の達人になれ  ★ 現代は五濁悪世の世の中
  覚悟とは?  ★ すべてに生きる価値と使命がある
 ★ 人生の下り坂 上り坂   年末は一年の総決算
 ★ 離れてならぬ良き縁   すべては仏さまのお計らい
 ★ 汗をかく人を大切にする   名こそ惜しけれ
 ★ 人として理想の生き方   伝統
 ★ 末法の世界を救う行者の自覚   本当に必要なもの
 ★ 言葉は人生の分岐点  ★ 将来を見つめて大きな目標を持つ
 ★ 運命は使命の果たし方で良くなる   平等相と差別相
 ★ 権利と資格   大切な生き方
  与える豊かさ   生死は究極の因果律
  宗教心のある人   触れる縁の大切さ
  人生は毎日が学びの場である   仏祖の大道必ず無上の行持あり
  運命は心の写し鏡   小僧、女中が人生の基礎
  積善の家に余慶あり   幸せを入れる徳の器
  前を向いて   この世は苦の娑婆
  幸せの秘訣  ★ 結婚の資格 親孝行が人生の基本
  運を開く魔法の言葉   苦労を喜べ



夢中?

夢中になるものがないと生きていて頼りない

夢中になるものがないと
もやもやして不安になる

夢中になるものがあれば生き生きする

夢中になれれば無になれる

何に夢中になるか

それによって人生の質が変わってくる



病に病んで

 夢は枯野をかけ巡る(松尾芭蕉)

人は誰しも時間を旅している

人生という終わりのある時間を・・・・その限られた時間の中で

ベストを尽くすしかない

そのたびが

素晴らしいものになるように迷わず、手を抜かず、

精一杯の力を出そう 

悔いの残らぬ人生の為に



事実の奥に仏さまの真実がある

 誰でも、病気や経済苦、子どものことや夫婦関係、会社での人間関係等困ったことの一つや二つぐらいは起こっ

てきます。

 目の前に起こった現象に一喜一憂するのではなく、目の前の事実、現象の奥にある真実、つまり「仏さまのはか

らい」を知ることが大切です。何のための現象なのか、何に気付き、どのように変わればよいのかいう真実が分か

り、正しく実践することが出来れば困った問題は朝露の如く消滅するのです。

 日々の生活の中で、さまざまな現象が起こりますが、偶然の出来事はないのです。すべては私たちの人格向上

のため、仏さまの生き方に少しでも近づかせてもらうための仏さまのはからいなのです。

 現象と言う事実の奥にある真実、仏さまのお慈悲に気付き、ありのままの生活に感謝が出来、なったことを喜び

に受け止められた時、思いもよらぬ「お陰」がいただけるのです。



苦をしっかり受け止める

 苦(人生向上の宿題)をしっかり受け止める

  世の中にはさまざまな苦や困難な出来事が次々と起こってきます。お釈迦さまは、この世は『苦の娑婆』といって、

生きている限り苦の無くなることはないと説かれました。たった一つ「お悔(苦)止み」といって死んだときは苦が無く

なるのです。

しかし、仏さまの教えから言うと「解決しない問題はないのです」。この世で起こった出来事は、この世で解決出来る。

 開祖さまは、自分にやってくる問題は、自分の力より少し上の問題がやってくるのであり、小学生に高校や大学の

宿題は出ませんと教えて下さいました。

 苦から逃げても問題は解決しません。逃げれば逃げるほど勢いを増して迫ってきます。

 
法を伝える功徳は最高

 法華経は自分はとんな境遇にあろうとも「誰か困っている人があれば救ってあげたい」と教えを伝え、法に導く菩薩

行をすることによって、仏さまの計り知れないご守護が戴ける教えなのです。

 
法華経読誦の功徳

  法華経行者は、仏が全力を尽くして護って下さる。その法華経を身に付けるには、一日に一回は法華経のお経を

読誦することです。そして、重大な問題に直面した時は、法華経三部経を真剣に真心込めて読誦することです。きっと

人智を超えた計り知れないご守護が戴けます。

 経典には無量の功徳この経に集まれり、如来の一切の神通力が込められていると書かれています。法華経は非常

時に動揺しない心を養う教えです。非常時になればなるほどファイトが湧き、智慧と力が湧き上がってくるようになるの

です。法華経は自力と他力(仏さまの守護)が一体となった自他力本願の教えです。自らの懺悔、徳積み実践と法華

経読誦の仏力を信じ精進しましょう。読誦修行、法を伝える、お導き、自分のやれる所から実行しましょう。

 『行えば実る』のが法華経の神髄です。



感謝の達人になれ

 どこにでも幸せの神様はいる。

 我が家にも街角にも職場にも

 そして あなたのすぐ傍に、足元に

 感謝の達人は どこにでも

 神様を見つけられる

 仏性礼拝

 拝むあなたも仏さま



現代は五濁悪世の世の中

 諸仏は「五濁悪世」にこの世に出現され、さまざまな方便力を持って、悩み、苦しみ多き人々を安心、安穏な人生に

導いて下さるのです。

 
五濁悪世とは

劫濁こうじょく     時代の濁り。戦争や疫病や飢饉等が多くなる。社会環境や自然環境が悪化する。

見濁けんじょく     思想の乱れ。思想が悪化し、邪な思想がはびこる。

煩悩濁ぼんのうじょく  煩悩、欲望がはびこる。貪り、怒り、愚痴等が燃え盛り、自己中心の身勝手な浅ましい社会と

               なる。犯罪が多くなる。

衆生濁しゅじょうじょく) 人間の質が低下する。人生に夢や希望が無くなり、元気がなくなる。

命濁みょうじょく)    人寿命が次第に短くなる。(若い命が多く失われる)

              命を粗末にし、自殺や残忍非道な殺人事件が増える。

              親孝行が薄れ、年老いた親の世話や面倒見を放棄なる忘恩の生活が増える。

 現在の日本社会や世界の世情はまさに五濁悪世の真っ只中にあります。

 世界情勢を眺めれば、中東諸国の内戦と混乱、無差別攻撃等、日本に目を転ずれば、五濁に通ずる殺人事件や

いじめによる子供達の自殺、介護殺人等の事件が毎日のように報道されています。

 教えは聞いていても、慈悲、至誠、堪忍の三徳の実践をしていなければ、特効薬の効能書きを読んで知っているだ

けと同じです。どんなよく効く薬も飲まなければ病は治りません。教えも同様、実行こそ幸せな人生を実現するのです。

 正しい人生の価値観

 世の中暗い事件ばかりではありません。このたび、二年連続で日本人医学者がノーベル賞を受賞されました。明る

いうれしいニュースです。

 受賞された北里大学の大村特別栄誉教授は、大変苦学勉励の上に医学的貢献をされ、多くの命を救ってこられま

した。「何か役に立つことはないかと絶えず考え、人の役に立つことをやりたいとの一心で歩んできた」と自身の研究

人生を語っておられます。それは祖母から「
とにかく人のためになることを考えなさい」といつも言い聞かされて育てら

れたからだそうです。まさに仏さまの教えそのものです。「三つ子の魂百まで」小さな時から、両親や祖父母から教え

られて育ったかが、子供の人生に決定的な影響を与えるのです。この機会に各家庭の子育てを振り返ってみましょう。

幼児や小学生の頃から莫大な時間をかけ、学習塾、習い事、スポーツ、英語教育等親は大変な苦労をしていますが、

その目的がいい学校に入り、いい大学を出て、一流会社に入り、出世してお金持ちになる。自分だけの幸せを求める

貪欲の人生に偏ってはいないか考えてみましょう。自分さえよければいいという、自己中心の考え方が蔓延した世の

中を「五濁悪世」というのです。
 
 子育ての大切なことは①
人に迷惑をかけない(最低限の生き方)②人のお役に立つ(最高の生き方)、人生をまっす

ぐ歩んで行くための車の両輪です。

 五濁悪世を乗り超える方法

 精神的に歩いていても、止まっていても、座っていても、寝ていても、常に南無妙法蓮華経を唱え、何事も善い方に

考え、無理を言う人は子供と思い、気の毒と思って堪忍するのです。そして、六波羅蜜、布施・自戒・忍辱・精進・禅定・

仏智・の実践により、飢えたる人や災害被害者に食べ物や金銭物質の支援をするのです。

 身に口に意(心)にお題目を唱え続け、善行の功徳を積ませて頂くことによって、過去世や現生に悪の因縁あって大

難に遭うべき場合にも、小難、無難となって護られるのです。勇気を持って一人でも多くの仏縁無き人々に教えを伝え、

五濁悪世を「常寂光土
(じゃつこうじょうど)」の極楽世界に切り替えましょう。

 常に妙法を唱え、「お蔭、ありがとうございます。お蔭様、ありがとうございます」と言い続ければ、目に見えない陰で

支えて下さっている仏さま神さまのご守護力、ご先祖様の想念によって災禍から免れ、災い転じて福となる絶対安心

の人生が渡れるのです。




覚悟とは?

 吾が心に目覚めことる

 心とは命のこと

 誰にでも天命、宿命、そして使命がある

 自分の命の使い方によって運命は変わる

 ありのままの自分の立場を受け入れ、

 正しく生きれば、天地の恵みは無限に集まる



すべてに生きる価値と使命がある

 森の中には大きな樹木、小さな樹木、大きな葉っの草、中くらいの葉っぱの草、小さな葉っぱの草があり、大きさも種

類もさまざまです。それぞれが分に応じて平等に天から恵みの雨を受け、それぞれに生き生きと精一杯成長しようとし

ている姿は平等なのです。人もそれぞれの分に応じて仏さまから平等にご守護を頂いているのです。

 極楽の蓮池には、青色、黄色、赤色、白色とさまざまな色をした車輪ほどの大きな蓮の花があり、それぞれの色に

応じた光を放って輝き見事に咲いているのです。すべての命は等しい輝きを持ち、すべての命が光を浴びて祝福され

ている今日この場所が極楽浄土なのです。

 タンポポはバラになれず、バラもタンポポにはなれない。人はみんな一人一人、違う物を頂いている。タンポポはタン

ポポで バラはバラでいいのです。それぞれが咲いていること「置かれた場所で咲いていること」その事がとても大事

なのです。

 
信仰は何のためにするのか

 無数の生物が存在するこま地球上で、人間として生を受けられるのは、ガンジス川の川原の砂を爪に乗せたほどの

数しか人間には生まれないのです。その人間の中で正しい仏さまの信仰に出会えるには、その砂の一粒にも満たな

いのです。そんな尊い人間に生まれ、得難い信仰に巡り会えた私たちは何のために信仰をするのでしょうか。

 それは「
自分がより良く生き、自他共に幸せになるため」なのです。つまり、自分が自分らしく輝き、すべての人がそ

の人らしく輝いて生き、家庭や学校や職場等、その場その場を仏さまの御心(宇宙の真理)に沿った「助け合い、支え

合う、楽しい社会にする」ことが信仰の目的なのです。

 つまり、格差や差別や偏見の無い世界、一人ひとりがその人の個性や能力に応じてのびのびと活躍することの出来

る自由平等、公平な世界を作ることなのです。

 
「生きがい」と「生まれがい」

 人生には「生きがい」と「生まれがい」という二つの生き方があります。

 「生きがい」とは、夢や目標という「
自分の幸せのため」に働き、お金をため、日々努力することでしょう。

 「生まれがい」とは「
みんなの幸せのため」人から当てにされ、頼りにされる生き方をすることです。人間生活とは「人

の間」に生まれて活かされることです。誰しも一人で生きていくことは出来ません。誰かに支えられたり、寄り添い合っ

ているのが人という字なのです。誰かのお役に立て喜んでもらえた時、何とも言えない充実感と嬉しさが込み上げてき

ます。これが生まれがいです。この二つの生き方は車の両輪です。「生きがい」だけに偏り、信仰心を持たず先祖の供

養をしない人、悪いこともしないが人のために善い事もしないという片輪走行では、人生の目標から逸れてジリ貧の人

生となり、本当の幸せには成れないのです。

 「
生まれがいのある人生」を具体的に言えば、

①神仏に当てにされる人とは、一人でも多くの人に教えを伝え、あの人にもこの人にも幸せになってもらいたいと願い、

信仰にお導きすること。

②ご先祖様の中には、不幸な人生や生前の不徳によって成仏できない霊もありますので、子孫が毎日お経を上げ、追

善の功徳を積ませて戴くことことが、先祖に喜ばれ、ご先祖様から当てにされ護ってもらえるのです。目に見えない(陰)

神仏やご先祖様から護って戴けることを「お陰さま」と言うのです。

 「
家族から当てにされる生き方

①就職して一人前になったら、同居、下宿にかかわらず、給料に応じて家に生活費を入れる。

②日常の家事手伝いをして家族に一員として分に応じた役割を受け持つ。休みの日等は、すべて自分の趣味や楽し

みで、過ごすのではなく、親や家族の求めに応じて家の用を手伝う。

 「
会社や社会から当てにされる生き方

①給料以上の働きをする。与えられた役目以上に気付いたことはさせてもらう。

②遅刻はしない。特に会合や行事の開始時間や出発時間に遅れない。お勤めなら定刻よりニ、三十分早く出勤して掃

除や仕事の前準備をする。

このようにすれば、オーナーや上司、同僚からも喜ばれ当てにされる存在になります。



人生の下り坂 上り坂

 己(我)を忘れて他を利する

 自分のことより相手の利益を優先するのが幸せの秘訣

 俺
、自分自分

 まず自分のことを考えるのが「凡夫」の「我」である

 地位や名誉が欲しくなり頭を上げ、謙虚さを失い胸を反らし始めたら人生の下り坂

 頭が低く相手を優先し、ひた向きな人生は上り坂である



年末は一年の総決算

  十二月のことを「師走」と言います。年末の忙しい中を師のもとに走れと言うことは「今年一年の生活を振り返り、軌

道修正をしなさい」と言うことなのです。社会人になると「師」のない人が大勢います。師のない人生は、首のない人間、

ハンドルのない車、羅針盤のない船と同じでどこに進んで行くか分かりません。正しい世渡りをするには「良き師」を持

つことです。

 師のない人はせめて親に添削を受けましょう。我流の運転ではどこに進むか分かりません。忙しい中にも師のもとに

足を運び添削を受け、この一年を振り返り、足りなかった所、行き過ぎた所を添削してもらい来年に向けて心と行動を

整える月なのです。

 除夜の鐘が鳴るまでは今年中であり、人生は「上り坂、下り坂、魔坂」ですから、気を抜いて油断してはいけません。

 最後の最後まで、明るく前向きに徳を積み続けることが大切です。今年一年あまり良くなかった人も、最後の仕上げ

が感謝と喜びで締めくくれば、来年は上り坂に向かっていくでしょう。反対に良すぎた人は、油断して歩みを止めると坂

道をずるずると下がっていきます。益々徳積みの生活に励みましょう。

 聴いて伝えて行う

 幸せになるためには、まず法話やご指導を数多く聴くことです。そして聴いたことを自分の力に応じて理解できた分だ

けで人に話し伝えることです。次に一歩ずつでいいので、自分の出来ることから実行していくのです。

 「聴く」と言うことは、聞いたご法話やご指導に率直な心で耳を傾けると言うことです。「なるほど、そうか。仏さまの考

え方はそういうものなのか。ああ、ありがたい」と前向きに明るく受け止め、感動して聴くことが大切です。自分が感動し

て教えを聴けば、相手にも感動が伝わります。教えに対する感動こそが相手を導くエネルギーとなるのです。

 教えに対する感動の力は、物やお金の施しの数千倍、数億倍の功徳があると法華経の随喜功徳品に説かれていま

す。そして徳積みの実行をしていけば、幸せの実は必ず稔るのです。

 法華経は、法をお伝えする菩薩を育て菩薩になる教えです。自分の苦の解決だけではなく、人に教えを伝え、導いた

時に計り知れない無量の功徳が現れる教えなのです。

 
心が変われば世界が変わる

 すべての苦悩は自分の誤った考え方、ものの見方から生じているのです。もしお詫びし反省し、心から感謝の思いを

持つのであれば、心を静かに落ち着けて仏さまや親の深い深い大悲大慈に気付きなさい。その時、朝の霜や露が太

陽の光に照らされて瞬く間に消え去るようにすべての罪は消え去るのです。

 人生、悪いことも良いことも最後の最後で何が起こるかわかりません。人生は蓋なしの底なしの桶と同じです。無間

地獄といって落ちるときはどこまでも落ちていきます。また幸せも天井なとにどこまでも上って行けるのです。信仰に卒

業はありません。生涯教えの道を精進して生きましょう。



離れてならぬ良き縁

 つらい時も

 思い通りにならない時も

 良き縁から離れてはならぬ

 人生苦労のあるのが当たり前

 足ふみしても後退してはならぬ

 目も耳も鼻も口も手足も

 みんな前向きについている

 前進するためにすべてがある



すべては仏さまのお計らい

 人の生き死にも、事業の成功不成功も、出来事の幸不幸(病気 貧乏 不和)も人間の個人的価値観で善だ悪

だと受け止め、一喜一憂しているのです。しかし、すべては私達が徳を積み、より良い人間になるため、報恩の人

生を歩み、まず人様という仏さまの生き方に一歩ずつ近づき即身成仏するための仏さまのお計らいなのです。

 少子高齢化が加速し、年老いた親の介護がますます大きな社会問題となっています。「ピンピン、コロン。あっさ

りとあの世に行きたいね。寝たきりになって情けない思いをして自分も苦しみたくないし、痴呆老人や徘徊老人に

なって家族や子供達にも迷惑をかけたくないからね」と巷でよく聞かれる話です。


 親が長患いするのは何故か?

 単刀直入に言えば、生み育ててもらった「
ご恩返しの親孝行が足りない」からです。

ご恩返しの借金返済が沢山残っているから、寝たきり老人になって治ることも死ぬことも出来ないのです。人生は悪

いことをしないから幸せになるのではなく、
良いことをするから幸せになれるのです」。同様に親不孝をしなかったか

ら幸せになるのではなく、
親孝行をするから幸せになれるです。ましてや親に大心配をかけたり、親を苦しめたとい

う大借金のある親不幸者は言うに及びません。もし、ご恩返しの借金が残ったまま親が亡くなったら、利息が付いて

苦労の人生がやって来るのです。だから子供を幸せにするために、親は苦しい病気になって親孝行の機会を与え、

恩返しの徳積みを待っていてくれるのです。尽くしきり、やり切れば、答えは出るのです。治るか、亡くなるか。


 
自分が長患いしない方法

 「線香も焚かず、屁もこかず」という言葉がありますが、
悪いこともしないが良いこともしないという人は、老後にな

るにしたがってジリ貧となり先細りの人生になるのです。つまり「施しの少ない人」は惨めな老後になる人が多いの

です。幸せな人生を送るには施しが第一に大切なのです。お釈迦さまも自分の大切な財産も家族のことも家も捨て

仏と法のために修行され、精神的にも物質的にも出し押しみすることなく、自分自身の知恵も肉体もすべて人のため

に投げ出され、施しの徳を積み続け仏になったと申されています。

 施しには順番があります。第一に仏さまへのお供え、教えの広がることへの徳積み、法を説く人に対する布施をす

ることです。その次に家族や友人(普く衆生)に施していても、肝心な仏仏僧(三宝)に対する布施がしてないと本当

の幸せは得られません。何事にも施し強く、出し惜しみしないことです。施しが少なく必要以上にお金や物が貯まると

罪も貯まって病気、貧乏、不和のもとになります。
 
 また、病気は気から、その人の性格どおり、考え方通りの病気をするのですから、平素から「あっさり、すっきり、さっ

ぱり」して済んでしまったことをいつまでもくよくよしたり、思い通りにならないことを人のせいにして、いつまでも怒った

り悪く見たりしないことが大切です。

 
寝たきり老人で困らないために

 では、予防策はどうしたらよいのでしょうか?

①社会人になったら収入に応じて親に生活費を渡し経済的に恩返しする。

②積極的に家の用事や親の頼みを手伝い、労力で恩返しする。

③親を労わったり優しい言葉をかけて、精神的に恩返しする。

この三つのことがしっかり出来ていれば、年老いた親で困り果てることはありません。

 また、親自身もみじめな情けない老後を迎えないために、子育てに愛情と手間暇をしっかりかけ、親孝行の子に育て

ることです。お金や物を与えるだけの子育てではだめです。世の中には一流大学を出て高学歴でただ頭が良いだけの

世渡りの常識の知らない、人の情けが解らないお恥ずかしい人も沢山います。

 神仏や先祖を敬い、親孝行を実践し、人様の役に立ち、給料以上の働きを喜び、親自らが手本となる躾と教育を怠る

と姥捨て山の如く介護施設に入れられて、ほとんど誰も訪れることなく災いに至るという老後になってしまいます

 
痴呆予防の特効薬は?

 現代は核家族が多く、またグローバル時代となり、大企業になるほど都会勤務や海外勤務も多く、親元や郷里を離

れる人も多い。勢い地方に残された親は、穏やかな生活と言えば聞こえは良いが、何の変化もなく刺激もない何となく

寂しい生活の老夫婦や独居老人の多いのが現実です。

 老人だけでは話題もマンネリ化し、会話も減っていきます。腹を抱えて笑うこともなく、体はもとより頭を使うことも少な

くなれば、痴呆の遠因となるのではないでしょうか。

 ある医療大学チームの調査によると、都会より地方の方が痴呆老人が多いという意味深長なデータが報告されてい

ます。まさに経済も地方、人も痴呆が社会問題です。地方(痴呆)活性化が不可欠な地方再生の時代と言えます。地

方も人が集まり賑やかになれば発展し、痴呆も子や孫に囲まれ家族の会話がはずみ、町日がワイワイがやがやと賑

やかな生活となり、毎日が活気に溢れ、新しい刺激と変化に富んでいれば、痴呆老人も少なくなるのだと思います。

 同居していても、玄関が別、食堂も別、お風呂も別という二世帯住宅が多い。毎日食事が別で会話の少ないすれ違

い家族では、一人住まいと同じです。せめて週に一度ぐらいは、親、子、孫の三代揃って家族一緒に食事の機会を作

りましょう。日当たりの良い四畳半の部屋が、家庭内姥捨て山にならないよう心掛けましょう。

 勤めの都合で親元を離れて遠方住まいの方は、せめて盆正月は郷里に帰り、親、子、孫が触れ合う楽しい時間を作

りましょう。そしてスマホや携帯電話、パソコン等を利用して、月に一度、週に一度は連絡をし、近況を報告してあげる

ことが大切です。『鳥は木に住み、魚は水に住み
、人は情けの中にに住む」のが永遠の真理です。「情け」は心が青々

として、若葉のようにみずみずしい潤いに溢れている姿です。親子の思いやりに溢れる家庭を作りましょう。



汗をかく人を大切にする

 頭の良い人も必要だが頭の良い人だけでは会社も世の中も回らない

 教養や知識があっても考え方が悪ければマイナスにしかならない

 100の教養・知識×マイナスの考え方=マイナスの結果

 大企業も個人商店も基本は誰かのためユーザーのため

 目先の金儲けを優先すれば結果はマイナスとなる




名こそ惜しけれ

 古(いにしえ)から育(はぐく)まれた日本人の心

 日本人の心の奥には恥を忌避する精神が流れている

 自分の名誉や地位、背負っている社会的責任、学歴等に恥じない

 正しい行いをすること

 天知る、地知る、我が身知る至誠、天に通ず

 何事も喜んでさせてもらおう真心、誠心誠意、陰役・・・・



人として理想の生き方

 認知症患者は2025年には700万人を突破し、六十五歳以上の五人に一人は認知症になると予測されています。

明日は我が身、我が家庭の問題です。高齢になれば認知症になるリスクが高くなるのは当然です。社会保障の整備

や地域社会の支え合いも必要ですが、自分が認知症にならないには、どうしたら? 認知症の家族を抱えても困らな

いようにするには、どうしたらよいのか考えなくてはなりません。

 「三学」という人生訓があります。

 
若くして学べば、壮にして為すあり

 
壮にして学べば、老にして衰えず

 
老にして学べば、死して朽ちず

 
大変味わい教訓です。

 何を学べば、壮年になって成功出来るのか。

 何を学べば、老人になってもイキイキ生きられるのか。

 何を学べば、死ぬまで朽ちることなく、死してなお尊敬されるのか。

 学ぶ内容によって大きく人生は変わって行きます。学問、経験、常識、マナー、お金儲けの方法、人情の機微等学ぶ

べきことは無限にあり、これで終わりということはありませんが、最も学ばなければならないことは、永遠の真理である

仏法です。「どうしたら、人のお役に立てるのか、家族や会社、社会に貢献出来るのか」を学ぶことが、人生を豊かにし、

老後になってからも老醜をさらしたり、晩節を汚すことはありません。

 要するに若い時から自分の幸せのためだけではなく、「まず人さま」の精神で「施し強い世渡りをする」方法を学ぶこ

とです。

 施しの強い人は、困ったことにぶつかっても、仏さまと多くの人が守り支えてくれます。施しには財の施し、身の施し、

法の施しがありますが、仏さまの教えを伝え施すことが、もっとも徳が積め、仏が全力で応援して守って下さるのです。

 仏教発祥の地インドには「四住期」という考え方があります。(受胎から十二歳位までは四住期に入りません 一人前

と見なされないです)。

学生期・・・十三歳から二十五歳まで(現代的には社会人になるまで)

        勉強に励み、学問を身に付け、体を鍛え、社会に出るための準備期間です。

家住期・・・二十五歳から五十歳まで(現代的には就職から定年まで)。

        職に就き、よく働き、家庭を築き、子育てをする時期です。尽くし返して生きる期間です。

林住期・・・五十歳から七十五歳まで(現代的には定年後の前期高齢者)

        解脱(世俗の迷いや苦しみから脱すること)に向けた段階で、仕事や実社会からリタイアし、家を離れて

        林に住み、質素で、禁欲的な生活を営む時期。世間やや家族等のしがらみから自由になり、旅や本当に

        したいことをする期間です。

        現代に置き換えれば、定年退職後、物やお金、まず自分という世俗の欲から離れ、趣味や特技や経験を

        生かし、悠遊自適に孫や後進の育成、地域社会への貢献、還元を生き甲斐とする時期です。

遊行期・・・七十五歳~死まで(現代的には後期高齢者)住まいを捨てて遍歴行者となって旅をし、自分を見極めて

        解脱を目指し、最後は死に場所を探してガンジス河へ旅立つ時期。

        言い換えれば、人生の終末、集大成に向かって信心深い生活をし、神仏やご縁ある人々に感謝の生活を

        送り、来世へ転生するため人生の仕上げに向かって徳積みをする期間です。

        「生きがい」「生まれがい」のある一生を送るために「三学や四住期」にてらし合わせて自分の人生を見直

        してみましょう。

 
功徳(うれしい結果現象)の出る信仰とするには

 法華経は成仏を目指し、菩薩行を実践するのが本道ですが、ご利益を否定するものではありません。

 「無功徳」といって何も起こらない、普通の生活が出来ることが功徳という教えもありますが、一生懸命教えの如く菩

薩行に励んでいれば、ご利益が出るのは当然です。
 
 
初心随喜の功徳といって、初めて教えを聞いた人が感動して「なるほど、わかりました」と心の底から喜んで実行した

ら、ご利益を頂いて大きな問題が解決することです。

 しかし、入信当初は「有り難いと思える結果現象があった」けれど「最近は不幸ではないが、小躍りして喜べるような

ご利益は感じられない」と思われる方もあるのではないでしょうか。お釈迦さまのお弟子たちも長年修行をしてきて法

華経の教えを聞くまでは、そういう卑屈な気持ちになっていました。

 教えを学び、理屈も分かり、自分なりに実行もし、徳積みもしているのに何故だろうという方もあるのではないでしょう

か。

 
三法帰依が仏教の基本

 お釈迦さまのーご財世当時、釈迦教団に入門するには「三法の帰依する」ことが条件でした。三法帰依とは「仏帰依、

法帰依、僧帰依」のことです。

「仏帰依」・・・すへてを生かして下さる仏の存在を無条件で信じ感謝すること。

「法帰依」・・・法の真理を心から信じ学ぶこと。

「僧帰依」・・・善き法友が信仰のすべてであり宝です。お互いに行を通じて切磋琢磨すること。

 
仏さま、開祖さまに通じる「大信力」が奇跡を生む

 仏を念ずれば仏力を得られ、師を念ずれば師力を得られます。経典には「信」こそが成仏の原動力であることが示さ

れています。

 仏と師のお徳を心の底から求め、感謝、感動、歓喜の心を持って念じた時、仏力師力の後押しによって結果現象が

出るのです。

 理屈や行も大切ですが、もっとも大切なことは「信の力」なのです。結果現象が出るのは、法の理屈が分かったから

出るのではなく、無条件で「仏さま、開祖さまを信じきる大信力」あってこそ、奇跡の結果現象が現れるのです。

 薄っぺらな信や途中で途切れている信では、仏や師の師の無量のご守護力は現れません。仏さま、開祖さまに通ず

る信仰を実践しましょう。



伝統

 伝統は理屈ではない

 連麺と続いていることに価値がある

 頭で考えただけの世界は滅びる

 我が家が今日あるのは、ご先祖以来、命が途切れることなく受け継がれて来たからである

 ご先祖さまの苦労無くして今日はない

 ゆえに先祖の供養無くして子孫の未来はない。



末法の世界を救う行者の自覚

 世界は今、非常事態になっています。いつ起きるか分からない巨大地震の恐怖、地球温暖化による自然災害。 

次々発生する新種の伝染病等、仏教で言う「闘争堅固、五濁悪世の末法の世」になっています。

 闘争堅固の世界を平和にし、五濁悪世の人間を救うのは、法華経の教え以外にありません。我が家庭や我が子の

人生は大丈夫でしょうか。心底安心できていますか? 漠然とした不安がありながら、その日暮らしに流されて、現実

の不安から目をそらしていませんか?

 平和を目指し、違いを認め合い、真理を実践することはすべて法華経です。その尊い法華経の教えに巡り合えた私

たちが今こそ勇気を持って立ち上がる時です。一人の力は小さな力ですが、一人が始めなければ何も始まりません。

身近な家庭の平和、家族への信仰の継承から初めていきましょう。

 喜びが喜びを生み、不足が大不足を生み出す

 初法華経は人間改造の教えです。

 そして、人を救い、世を立て直す、菩薩を育てる教えです。

 「怒る、うらむ、ねたむ」という悪念からは「病気、貧乏、不和」の悪い結果しか生まれません、「喜ぶ、感謝する、感動

する」という良い思いからは「健康、富裕、円満」の良い結果が必ず訪れます。

 喜びは喜びの連鎖を生み、不足は不足の連鎖を生み大不足につながるのです。つまり仏さまの功徳は何事にも「あぁ、

ありがたい」とありのままを自分自身が心の底から感謝出来たとき、仏さまと同じ心境の大安心を得られるのです。

 情熱は天地人をを動かす

  教えには情熱が必要です。理屈がわかっていても、徳積みも法座もご奉仕もマンネリ化して情熱が冷めていては、

結果現象は出ません。「初心随喜の功徳」といって、初めて法華経の教えを聞き、率直に喜んで実行すると思わぬ嬉し

い結果が出ます。信仰のベテランになっても、常に初心の率直さと情熱を持ち続けましょう。


 率直に従えば結果現象は出る

 い開祖さまのまだお若い頃、初めてのご婦人が教会を尋ねて来られ、「家で飼っているペットの犬が病気なので健康

供養をして頂けますか」「ペットのご供養が出来るあなたはお幸せな方ですね、ご家族はみなさんお元気なんですか?」

「いえ、主人は交通事故で入院中で数日中に頭の手術をします」「奥さんペットのことよりも、ご主人のことの方が大切

でしょう。頭の手術など安易にしてはいけません。頭の手術をしなくてはならない原因を悟り、徳がなかったら、手術は成

功しても後遺症が出たり、元通りになれるかどうかわかりません。すぐにご主人を連れていらっしゃい。」

 このご婦人には率直さと馬力がありました。早速主人を説得して、翌日病院から寝巻きにガウン姿のご主人を教会に

連れて来られました。

 開祖さまはこのご主人に何故事故に遭い、頭に大怪我を負い、手術をしなければならないかの因縁を説かれ、親不幸

の懺悔とこれからの親孝行の仕方を教えられました。

 ご法に率直なこのご夫婦は、家に流れる因縁と自分達の考え間違いに気付かれました。

 「先生、よく解りました。妙法の教えを信じ、先生を信じ、仏さまのご守護を信じて考え方を百八十度切り替えます。この

たびの事故による頭の怪我の原因がよく解りましたので、手術は受けません。即退院して先生の教えを実行します」と大

誓願をもって退院され、手術なしに九死に一生、ついに健康になられたのです。



本当に必要なもの

 本当に必要なものは、学歴ではなく学問である

 学歴は過去の栄光

 学問は生きるための知恵

 仏法は生かすための智慧

 過去は宝、現在は感謝、未来はバラ色

 物を生かし、失敗を活かし、人を生かせば

 自分も生かされる

 仏教の極意である。



言葉は人生の分岐点

 言葉は人生の分岐点です。『愛語』思いやりのある言葉、心からのいたわりのある言葉、相手を認める誉め言葉は、人

の人生の勢いを盛り返す力があり、世の中を変えるほどの力がある。 暴力は時が立てば癒えるが、悪口、差別、罵声等

言葉の暴力は時が経つほど傷口が深くなる。荒い言葉、汚い言葉を吐く人は自分の人生も波風の強い、不信や憎しみ、

恨みの多い荒れた人生になりやすい。言葉が整えば、自ら心も整い人生も整う。偉大なる仏の慈悲と智慧の言葉に接し

た時、その人の人格の奥底に眠っている仏性が輝き始める。人は縁によって栄え、縁によって滅びる。常に良き縁すなわ

ち仏縁に数多く触れ、自らの仏性を輝かせるよう!幸せはわが心の中より芽生える。




将来を見つめ大きな目標を持つ

 古来優秀な船乗りは、遠く宇宙の果てに輝き、いつも真北の方角を示す北極星を見て自分の船の位置を知り、進むべき

方向を見定めて目的の港を目指しました。私たちの人生も同じように、まず理想の将来を心に描き、大きな目標を定めて

みることが大切であります。そうすれば今の自分の位置を知り、これからどの方向を目指して進めばよいか、これから何を

すればよいかがきっと見えてきます。毎日を一生懸命生きることは大切なことですが、目指す目標がないとどこに向かって

進んでいるかわかりません。視野が狭すぎて周りが見えず、目先のこと、自分のことだけが中心の生活をしていると何か

にぶつかるまで障害物に気付きません。

 仏教には「総願と別願」があります。

 総願とはすべての人が共通に目指すべき目的、つまり人生の目的、この世に生まれてきた目的です。別願はとは各自

が目指す個人個人の目標です。

 仏教で言う総願とは何か! 「徳を積んで仏になる」ことです。一人ひとりがその人の立場と能力に応じて「人さまの幸せ

のお役に立つ」ことです。何事も「まず人さま」という生き方が「仏になる」ということなのです。仏さまと同じ境地になれば、

困ることもなくなるのです。



運命は使命の果たし方で良くなる

 人間には「天命、宿命、使命」という命が有り、この三つの命を載せて人生という大海原を運ぶ船を「運命」と言います。

この世に命を生み出す「天命」と生まれる時代や国家や性別も自分の自由にはなりません。生まれながらに決まっている

ことを「宿命」と言います。自分の力だけではどうにもならないことです。

 しかし、人間には年齢や立場、能力に応じて自分の命を活かす[使命」が有ります。使命だけは自分の意思によってど

のようにも出来ます。今日自分に与えられた「使命」を喜んで、正しい方向に向け実行し続ければ、必ず運命は幸せとい

う目的地に到達することが出来るのです。

 正しい使命の果たし方を教えているのが仏法なのです。

 人生は抜苦与楽、よく忍んだ後に本当の楽がやって来るのです 。≪忍の功徳は万善万行に勝れり≫と有ります。

 忍ぶとは我慢することとは違います。我慢は「我が慢心」と書き、自分は正しいが相手が間違っているという慢心の心

です。これはいつか爆発します。忍ぶという本当の意味は意に沿わぬ現実に直面した時、仏さまが私に本当の幸せに

なれる宿題を下さったのだ。よく忍んで合格点を取れば、思いもよらぬ幸せがやってくると信じて精進しましょう。




平等相と差別相

 大きな草木や樹木にも、小さな草木や樹木にも天から降り注ぐ雨は平等に降ってきます(平等相)が、葉っぱの大きさや

木の大きさに応じてその受ける雨の量は違って(差別相)います。しかし、それぞれの草木や樹木が成長するのに必要な

分だけ天の恵みを受けている(平等相)のです。その結果として大きく育つもの、小さく育つものがありますが、大きいから

得だ、小さいから損だということではなく、それぞれの種類や役割に応じて成長しているのです。違いのあるものが互い

に捕捉しあって豊かな自然の森が保たれているのです。

 杉や檜等の一種類だけの人工林は、大雨や災害には弱いのです。人間の社会も同じです。違いがあり、色々あってい

いのです。全員社長であったり、全員営業マンであったり、全員経理担当であったら、会社も成り立ちません。どの役目

もなくてはならないのです。大切なことはそれぞれの役目を喜んで働いているかどうかということです。喜んで働いていれ

ばどんな会社に勤めても、どんな役目をしていても幸せが感じられるのです。
 
 「幸せになる人は、教えの真理に沿って、幸せになれるように正しい方法で一生懸命努力をしています。不幸になる人

も不幸になるように一生懸命間違った方法で努力しているのです」自分の価値観に合わない人や自分に都合が悪い事

を排除したり避けるのではなく、その人その出来事から仏さまの声を聞かせて頂くことが大切なのです。




権利と資格

 お釈迦さまは法華経において「誰でも平等に仏になれる」言い換えれば「誰でも平等に幸せになれる権利がある」と説

かれました。日本国憲法においても「法の下の平等」がうたわれ、日本人として生まれた瞬間に「基本的人権」が保障さ

れ、
権利は与えられるもの」であります。

 しかし、幸せになる権利があっても、幸せになる資格がなくてはなりません。資格は与えられるものではなく、
資格は自

分の努力によって得るもの
なのです。世の中には医師の資格、運転免許証の資格等多くの資格がありますが、欲しいと

思っただけでは与えられません。講習を受け、勉強して試験を受け、登録料を払って取得しなければなりません。

 よく財産相続がありますが、父親が亡くなると妻には財産の半分、子供たち兄弟には均等配分と法律で権利を保障さ

れていますが、神仏やご先祖さまや亡き親から見て遺産を相続するだけの資格があるかどうかです。家や親の為に尽く

し喜んでもらえるような貢献がしてあればもらって大丈夫ですが、権利だけを主張し、家土地、田んぼを分ける時に欲で争

うと「田分け」といって思いもよらぬ馬鹿げた出来事が起こるものです。権利だけで思わぬ財産が手に入ったり、争った財

産であったり、家が途絶える先細りで沈みそうな家運の財産を受け継ぐには余程徳がないと受け継いだ自分の人生が沈

み始めます。子孫が絶えるような家の財産はしっかり先祖供養の徳積みをして先祖の憂い悲しみを祓い、成仏してもらわ

ないとお金や物では解決しない問題で苦労するのが世の常です。

 借家人であっても、借りている家や部屋を大切にきれいにして住み、家主から見られて優等生の借家人は、必ず自分

の家が持てるようになります。かつて古い借家に住んでいた若夫婦が教えを信じ、借家をいつもきれいに清掃し、少々

の補修や手入れは自分たちでやり、常に感謝の心で生活していたら、偶然にもアパートが道路建設で立ち退きになった

ことをきっかけに手持ちのお金はほとんどありませんでしたが、本家や兄弟、勤め先の社長さんたちの応援で二階建て

の新築の家に住めるようになった家族がありました。家主から見て優等生の借家人であり、本家や兄弟にも認められる

生活がしてあったからです。

 誰でも平等に幸せになれる権利がありますが、世のため人のため、親のため家のために善いこと(菩薩行)をすれば、

仏さまの念に護られ幸せになれるです。



大切な生き方

 まず自分という生き方は自分のことを認めて欲しいという思いが強くなり心が打ち向きになり

 人の目と評価が気になり 心に不満と不安が大きくなる

 まず人さまという生き方は人のためにお何かしようと考え心が外向きになり

 自分の心に勇気と喜びが芽生え始める




与える豊かさ

 沢山持っている人が豊かなのではない

 沢山与える人が豊かなのです

 仏道修行の第一は布施である

 財も知恵も体力も技術も

 自分だけの為に使う人は

 心貧しき貧者である

 何もない人でも優しさや思いやりの心は与えられる

 施し心ある人は富者である



生死は究極の因果律

 世の中はすべて因果果報の真理のもとで動いています。どんな修行をした人でも「因果律」を避けて通ることは出来ま

せん。法華経に『煩悩ありといえども煩悩なきが如く、生死に出入すれども怖畏の想いなけん」とあります』

 ≪生死に出入する≫とは文字通りの生き死にのことだけではなく、まさかという病気や事故、自然災害等の想定外の

変化や突然やって来る因縁のことです。≪怖畏の想いなけん≫とは、突然の出来事に動揺し右往左往したり、一喜一

憂して踊らされないということです。

 釈尊は四苦八苦という人間の苦からの解放を求めて修行され、ついに悟りを開かれ「ブッダ(真理に目覚めた人)とな

られたのです。

 四苦とは「生・老・病・死」という生命あるものが必ず通らなければならない肉体的苦しみです。八苦とは肉体的四苦に

精神的な四つの苦を加えたものです。

愛別離苦(愛する人と死別したり生別する苦しみ)

求不得苦(恨み憎しむ人、嫌いな人と会う苦しみ)

怨憎会苦(結婚、子宝、就職、学歴、財産等、求めるものが得られない苦しみ)

五蘊盛苦(食欲、睡眠欲、性欲等本能的欲望や渇愛、愛着等煩悩により次々と湧き出る欲望が大盛で抑えられない

        苦しみ)

この八つを四苦八苦と言います。

苦の中でも人生最大の苦は「死」であります。

「この世に生を受けたものは必ず死ぬのです。そして生きている限り苦は無くならないのです」生と死はセットであり、何

人も免れることは出来ない究極の因果律であります。そんな事は誰でも知っている当たり前の事です。

 しかし、信仰心の浅い人は、若い時や健康な時にはこれを他人事と思い、目先の欲や楽しみ、自分だけは大丈夫とこ

の真理から目を背け、因果を昧
(くら)ましているのです。死を迎える人も,死を見守る人も『生あるものは必ず死ぬという因

縁をよく知って、因縁を乗り超える道に生きよ。因果の中に在って、それに執らわれない動揺しない生き方をせよ』『苦か

ら逃げ出さないでしっかりと受け止め、苦を乗り超える道に生きる』それが「因果をまさない」という事で。

先祖供養の大切さ
 
 私たちが今日当たり前のように生活できているのは、自分の努力だけではありません。両親の思い、祖父母の思い、

ご先祖さまの思いに守られているのだと気付かねばなりません。

 取り立てて悪いことをしていなくても、親や先祖の恩を忘れている『忘恩の人生に本当の幸せが訪れることはありませ

ん」これも因果の法則です。今日当たり前の生活が出来ている幸せに感謝し、これからの幸せと安心を願い、心から亡

き親、先祖のご供養をしましょう。

 世の中のすべての出来事は、偶然ではすべて必然で、必ず意味があるのです。仏さまは私たちが人間らしく正しく成

長し、仏さまの心に近づくために色々な現象を通じて見せて下さるのです。そのお知らせを正しく翻訳し、どのように受

け止め、何を実行したらよいかを読み取る智慧が法華経の教えなのです。



宗教心のある人

 宗教心のある人は自分の考えで生きるのではなく

 教えの考え方を中心に生きる

 損か得かは人間の考え方

 嘘か誠かは仏さまの考え方

 常に生きた師に添削を受け

 仏さまの生き方、教えに沿って生き方が

 出来れば大安心 




触れる縁の大切さ

 水は冷気に触れれば氷となり、常温では水となり、高温になれば蒸気となります。同じ水でも触れる縁によって全く違

う状態になります。

 人も生まれながらにして極悪非道の人はいません。成長する過程でどんな人に出会い、どんな思想に触れ、どんな人

間関係を送ってきたかで生き方が大きく変わるのです。格言の如く「人は縁によって栄え、縁によって滅ぶ」「人もと悪小

なし、よく教うればこれに従う」が真理です。

 大学進学が普通になりつつあるにほんの社会、高学歴であっても心のコントロールが出来ず、過激化したらまさに気

違いに刃物です。形は中身を決定するとも言いますが、最近芸能人や格闘家等の影響でファッションと称してタトゥーを

入れる若者がいますが、何か不気味さを感じます。

 
仏教は平等と調和の教え

 お釈迦さまのご在世当時は、身分差別、男女差別、職業の差別等がありましたが、「人は生まれによって尊く、生まれ

によって卑しいのではない。行為によって尊くなり、また行為によって卑しくなる」とすべての人は平等であり、この世に生

きる人で不必要な存在はいないと平等と調和の世界観を説かれました。現代にも通じる画期的な思想です。

 
世の中は変化発展し続ける

  
十九世紀の産業革命によって機会化が進み、肉体労働から大幅に解放され、電気、石油、鉄鋼の技術革新により、

大量生産・大量輸送・大量消費の時代となり豊かさの大転換が起こりました。そして現在は情報通信のグローバル革命

(いわゆるIT革命)です。パソコン、スマホ、SNSにより誰でも、どこでも、いつでも高速で加工・移動・利用が可能になり、

人口知能によるロボットの飛躍的発展により、知的労働から大幅に解放されています。

 人間の生活をスムーズに、より快適にする科学技術が想像を絶するスピードで進化しています。便利になるほど、その

反動は大きくなっているのが現状です。毎日報道される凶悪で残忍な事件、テロ、悲惨な交通事故・異常気象による自然

災害等、地位や学歴や貧富にかかわらず世の中の動きが何かおかしくなっています。一抹の不安を感じませんか?

 人間の生活がより豊かになり、際限なく便利になればなるほど、それを利用する人間自身の心のコントロールが重要に

なってきます。

心の大革命 執着心からの解放

 「諸苦の諸因、貪欲これ本なり」すべての苦や困ったことは、自分の思い通りにしたいという止まることのない欲望から

起きるのです。欲望は言い換えると夢の実現でもありますから、すべてが悪いわけではありません。夢や欲がなくては、

研究心や努力向上も無くなりますが、執着心がいけないのです。そして、人と人のつながり、人とご先祖様とのつながり、

人と神仏のつながりが希薄になっていることが大きな問題です。人間関係のつながりの切れた変な人が増えています。

・頭がよくても親の恩が分からない人

・お金しあっても自分の贅沢だけで自分勝手な人

・地位や権力があっても自己中心的な人


ご本尊さま、開祖さまでつながれる信仰

 「仏を念じれば仏力を得、師を念じれば師力を得る」常にご本仏さま 開祖さまにつながる信仰をしてこそ、想像を超える

計れ知れない守護力を頂けるのです。いつでも、どこにいても、ご本仏さま 開祖さまに心のパイプをつなげる信仰をしま

しょう。パイプが太くて強いほど大きなご守護のエネルギーが頂けます。そして、どこまでつながっているのかが大切です。

止まった所からのご守護力、エネルギーしか届かないのです。親までなのか、ご先祖までなのか・・・・・・・

 「
生きた師を持つ」これが真生会の信仰であり、開祖さまの信仰観であります。「常に生きた師を持ち、添削を受けること

が大切である」自分先生が最も危険です。「
知ってますわかってますやってます。」は慢心の信仰になっていきます。

直接生きた師の指導添削を受けなくなった時は「我流の信仰」となり、我が流され正しい結果現象が出なくなります。直接

の師を定め師から師へ一直線に途絶えることなくご本仏さま 開祖さまにつながってこそ功徳が頂けるのです。

 世の中は止まることなく変化しています。日に新しく心の変化の指導添削を受け、家族皆さんが今日ある幸せを感謝し、

亡き親からご先祖さま、そして仏さまに心をつなぐことが大切です。



人生は毎日が学びの場である

 誰でも最初は一年生

 小・中・高・大学生も一年生から

 就職すれば社会人一年生

 結婚すれば嫁・婿一年生 夫婦としても一年生

 子供が出来れば親一年生

 嫁を迎えれば姑一年生

 孫が出来れば爺・婆一年生

 老後になれば終活一年生

 人生は毎日が学びの場である

 学び続ければ運は開き

 怠れば幸せはやって来ない




仏祖の大道必ず無上の行持あり

 仏祖の大道 必ず無上の行持あり 道環して断絶せず

 道元禅師の有名な教えです。仏さまや祖師さまの歩まれた道には、必ず無上の行持(修行)があり、それは輪のように

循環して絶えることがありません。私たちが仏道に発心し、仏道を修行し、仏道を悟り、仏道を成就する、これらのことが

少しの間隙もなく修行が持続されるという意味です。

 私たちが本当に幸せになり、何が起きても動揺しない大安心の人生を送るには、心理に沿った善い行い(仏祖の大道)

を休むことなく実行することなのです。

 開祖さまは幸せになるコツ、成功する秘訣を教えて下さいました。難しい教えではありません。「ご利益が出るまで、結

果が出るまで徳を積み続けること。成功するまでやり続ける人が成功者となり、途中で諦めてしまえば失敗者となる」と

言うことです。誰の人生にも前世今世を通じて業とか罪とかいう不徳の穴があるものです。善行を積んで不徳の穴を埋め

なければいつかはその穴に落ちてしまいます。どれほどの穴が開いているかは自分ではわかりませんが、穴が埋まって

しまえば落ちて困ることはないのです。これが真理です。

 自己実現の名のもとに、自分のことしか考えない人が増えています。貧しいときは最初は誰でも、お金が欲しい、学歴

が欲しい、家も建てたい、高級車が欲しい、ブランド品が欲しい、つらい仕事も嫌な役目をそれなりに頑張ります。しかし、

ある程度手に入り、裕福になると、物やお金だけでは満足出来なくなるのです。自分の夢の実現、「自分らしく生きる、自

分のやりたいことをやる」ことを求めるようになるのです。

 果たして本当に自分の夢の実現だけでよいのでしょうか?

 人間は群れを成して生きる生き物です。一人では生きていけません。家族や友人、同僚等人に喜んでもらう、人の役に

立つ、そして人から信頼され頼りにされてこそ本当の生き甲斐、生きている実感が味わえるのです。

 自己実現と同時に相手の幸せや先ず人様という他己実現、家族や社会のために「善いことをやり続ける」これがこの上

なく尊い行の持続なのです。そこに仏祖の大道、すなわち安心立命の人生が送れるのです。

 
歓喜の裏に不断の努力あり

 リオ・オリンピックが心配されたテロや大きなトラブルもなく、感動のうちに無事閉幕しました。日本選手のダルラッシュに

日本中が盛り上がりたくさんの感動をもらいました。

 メダルを取ったどの選手も三歳五歳という幼少の時から、親子二人三脚で一丸となって一年三百六十五日ほとんど休む

ことなく練習に励む生活を何年も続けているのです。オリンヒックに出る選手はみな素質がある人ばかりでしようが、素質だ

けではオリンピック選手にはなることが出来ません。どの選手も良き指導者に巡り合い、良きライバルのいたお蔭であった

と語っています。

 幼少の頃から毎日休むことなく、練習で素質を磨いて磨き続け、成長したら良き指導者に付き、良きライバルを持って競い

合い励ましあったこそ毎日血のにじむような練習が続けられたのです。絶え間のない練習、良き師、良きライバルが揃って

はじめて光輝くメダリストになることが出来たのです。

 信仰も同じです。誰にでも「仏性」という仏さまと同じ素質があり、毎日磨き続けなければ仏性は輝きません。ダイヤモンド

の鉱石と同じです。余分な物を削り落とし永遠の輝きを放つのです。

 では、仏性を輝かせるにはどうすればよいのでしょうか?

 それは毎日お経をあげて「我や欲」を削り落とし、毎日何か一つは世の中のためや人が喜んでくれる善い行いを続けること

によって仏性が磨き出され輝き始めるのです。

 そして一人前になったら
良き師に付き、良き法友を持つことが大切です。

 小さな頃は親と一緒にお墓参りをし、大きくなれば教えの師に学び、良き法友と切磋琢磨して合って精進することです。自分

先生や孤軍奮闘では人生の荒波を乗り越え希望の目的地に到達することは難しいのです。

 お釈迦さまも師を含めて良き法友を持つことが信仰のすべてであるとおっしゃって見えます。

 
諦めない心、折れない心

 誰も一人で生きていくことはできません。そして、誰も一人ではありません。仏さまの大慈悲、ご先祖様、親兄弟という切って

も切れない血の繋がりや、愛情や恩に守られて今日があるのです。お世話になった人、恩のある人に報いたい、喜んでもらい

たいという心があれば、大きな苦難にぶつかっても諦めない心、折れない心が力を与えてくれるのです。



運命は心の写し鏡

 過去を悔いるよりも何か人の役に立つことをしてみよう

 大丈夫、必ず出来る、きっと良くなる、ますます幸せになる

 覚悟と自信があれば何でもできる

 自分の仏性に気付けば 自信が湧き出る

 ダメだと思えば行き詰る できると思えば道は開く

 運命は自分の心の写し鏡です




小僧、女中が人生の基礎

 若いうちに小僧や女中の使い走りをどれだけやってきたか、うまく立ち回って楽をして避けてきた付けは自分が困ることになり

ます。一人前になっても仕事がさせてもらえないと文句を言う人ほど、若いうちに面倒くさいことを上図に避けて通り、楽してきた

ことに気付きましょう。

 独り立ちしたり、責任を任された時、困らずしっかりと出来るように、使命の重さに心が折れないためにも、小僧女中修行を怠

らずやっておきましょう。若いうちにやっておかないと年を取るほど辛くなります。小僧や女中は人生の花です。やり切った実績

で立派な旦那様や奥様になれるのです。

 自分の使命にいつ目覚めるか、喜んでやり切るかどうかで、その後の役割が変わります。また、親や上司も面倒がらずにしっ

かり連れて歩いて、手間暇かけて仕込まなかったら後を任せることは出来ません。

 
覚悟と自信

  若年離婚、幼児虐待、育児放棄、育児ノイローゼの悲惨な事件が日常茶飯事の時代です。すぐに離婚したり、可愛い子をひ

どい目に合わせるのでしょう。一言で言えば、成り行きの出来ちゃった結婚やまだ自分が遊びたくて、家庭を築こう、子供を立派

に育てようという覚悟が出来ていないのです。もしくは覚悟は出来ていても、自信と実力が足りないのです。

 自信と実力は実績から芽生えます。では、実力はどうしたら付くのでしょぅ。お坊ちゃん育ちお嬢さん育ちでは、旦那様や奥様

にはなれません。ゴミ出し、風呂沸かし、掃除、炊事、洗濯、食後の洗いもの、車の洗車等男も女も家の手伝いをすることです。

 働き出したら生活費をちゃんと家に入れる、給料以上の働きをする、集合時間に遅れない等々何でもいいから親や人に喜ん

でもらえること、お役に立てることをやり続けることです。




積善の家に余慶あり

 積善の家に余慶ありの諺は理解出来ても、日常生活において、何が積善になっているのか、積悪になっているのか見境もつか

ず、善い事だと思ってやっても、案外人から批判されたり悪口を言われてがっかりすることがあります。

 俗に「正直者は馬鹿を見る」と言いますが、相手の立場を考えず、自分の理論理屈を通すのは正直者ではありません。己に力

無きと知ったら、如何なる事があろうと忍ぶ人が正直な人であり、常に相手の立場から物事を考え、事を運ぶ人こそ、仏さま即ち

大自然から眺めた正直者であります。

 この世は自分ひとりの力では生きられません。多くの人の恩恵によって、自分が今日生かされている事を忘れてはなりません。

凡夫の私達は自分が正しいと考えて一方通行を主張するが為、自ら人生に行き詰まり、他からも頑固である、わからず屋と嫌わ

れ、最後孤独の淋しさに泣くのです。

 商人ならお客様の立場を考え、勤め人なら上司の意を汲みとり、子供なら親の心を察し、親なら子供の立場を考えて生活をすれ

ば、いかなる世相の中にも平和と希望に満ちた日々が訪れて来るのです。

 末法の世ともなりますと人心が乱れ、地獄の沙汰も金次第と考え、人が泣こうがめこうが金中心で生きる人が増えてきました。

 また、この世の中は学歴であり、権力地位が無ければならぬと遮二無二人を押しのけ、蹴散らして進む人が多いのです。

 このような努力も一時的には栄えますが、人の恨みや憎しみを多く受けている人ほど、金や権力、学問ではどうにもならぬ難問

題を抱え、もだえ苦しみ早晩家運は傾いていくのです。

 昔から「親苦労とて、子楽して、孫の代は乞食かな」と言いますが、余程の徳が積めてない限り、三代目はおろか自分一代で

悲しい老後を迎えてしまいます。貯めたお金や勝ち得た地位権力に無理があり、人に与えた悪念悪業の結果によるものです。

 「人に喜びを与えなさい。徳を積みなさい」そうすれば、いかなる悪業も消え、幸福は求めずともやって来ます。

 死んだ人の魂を亡霊と言い、生きている人の魂を生霊と言います。私達は亡霊と生霊の想いの中に生かされているのです。

個人の生前中に仲良くお付き合いの出来ていた人は、常に亡霊に守られるのは当然であります。

 また生きている人と常に円満な交わりのある人は、いざという非常時にも必ず人の親切に守られるのは当然であります。




幸せを入れる徳の器

 器の大きさに応じて、中に入る量は変わります。大きな器にはたくさん入り、小さな器には少ししか入りません。小学生でもわ

かる当然の真理です。

 世のなかには器の大きい人と器の小さい人がいます。何事にも相手の立場を考え、相手の都合を優先して行動する人を「器の

大きい人」と言います。反対に「器の小さい人」と言われる人は、常に自分の立場や都合、まず自分が得することを第一」に考え

る人のことです。

 しかし、この簡単な心理が分かっていない人が多いのです。「知っていること」と「分かっていること」とは大きく違います。知って

いるだけでは単なる知識です。分かっているということは「理解している納得している。腹に落ちている」ということです。知識から

一歩歩み、理解し、納得し、腹に落ちると実行が出来ます。読んで字の如く行えば実るのです。結果現象が出るのです。

 信仰も同じです。いい話を聞いて知っているだけでは知識です。「なるほどそうか」と感動して聞いたこと 知ったことを実行した

時、結果即ち「ご利益」が現れるのです。

 「徳が本なり、財は末なり」と教えられます。徳の器の大きさに応じて財も幸福も入って来ます。どれだけ働いても徳の器が小さ

ければこぼれ出てしまいます。

 夫婦で一つの器

 結婚すれば夫婦で一つの器です。女性が社会へ出て活躍かることばかりが輝くことではありません。家庭を守る中にも、子育て

をする中にも輝くことは出来ます。いろいろな選択肢があっていいのです。

 要は社会に出ようが、家庭を守ろうが喜んで働くことが大切なのです。「喜んで働くことが輝くこと」なのです。人偏に動くと書いて

「働く」です。傍の人、周囲の人を楽にしてあげる、楽しくしてあげることが「働く本当の意味」です。

 共働きの時代ですが、お金儲けしているだけでは貯まりません。誰かがどこかで徳の器を作り育てなければお金も幸せもこぼれ

出てしまいます。

 
徳の器を大きくする方法

 では徳の器を大きくする方法はどのようにしたらよいのでしょうか?

 簡単です。 誰でもできます。でも続けるには努力が必要です。これを精進と言います。「読経供養と布施と小さな善行」の積み重

ねです。

 お釈迦さまも「
一切のもろもろの捨てがたき財宝 妻子及び国城を捨てて…頭目髄脳悉く人に施せり」 布施の実践を続けられて

成仏 即ちすべてのことに感謝でき何事にも動じない大安心の境地に達せられたのです。

 私たち凡夫も幸せになる第一歩は神仏とご先祖さまへの感謝の読経供養  第二が「施し」です。「まず自分のこと」と思うのが、

普通ですが、勇気をもって「まず人さま」という生き方に切替えるのです。この頃は「自分に褒美」が流行っていますが、施しにも順番

があります。

 徳の器を大きくする秘訣にも順番があります。

①朝晩欠かさず神仏とご先祖に読経供養をする(感謝)-神仏や恩人ご先祖に、毎日感謝の心をお通しすればご守護がかかる

②信仰心のない人に教えを伝える(法施)-聞いた教えを伝える

③仏事のことに徳を積ませて頂く(財施)-真心ののお供え 例月供養

④社会のために徳を積ませて頂く。人に喜んでもらえることをする(身施)=ご奉仕 明るい挨拶 ボランティア等

布施と感謝は老化を防ぐ

 病気の原因の多くは、慢性的な血管の炎症により血管が老化し血液循環が悪くなり、様々な病気を起こすのだそうです。血管が

炎症を起こすのは怒りやストレスです。血管の炎症を防ぐの「満足感」だそうです。但し自分にご褒美の自己満足」では効果がない

そうです。

 「他己満足」他人をを喜ばせてあげ、褒めてもらえた、喜んでもらえたという満足感に脳が反応して、血管の炎症や老化が改善する

のだそうです。自信を持って実行しましょう。。




前を向いて

 いつか来る

 きっとやって来る

 たとえその日は遠くても

 きっといい日がやって来る

 だから・・・・・

 いつもニコニコ

 顔をあげて

 前を向いて歩んでいこう

 夜の後には朝が来る

 誰にでも夜明けはやって来る

 夜明け前が一番寒い



この世は苦の娑婆

 毎日の中で、悩みや心配事、不満や怒れることが心に溜まっていませんか? この世は苦の娑婆です。苦の無くなることはありませ

ん。世の中は諸行無常、善いことも悪いことも永遠には続きません。「生、異、滅」と言って、「何かが生じ、その状態がしばらく続いて、

やがて状況が変わり、消滅していく」ということが真理です。世の中はとどまることなくどんどん変化していきます。思いもよらぬ変化、

想定外のまさかの変化に一喜一憂するのが教えの浅い凡夫の姿です。

 仏さまの眼から見ると変化に良いものも悪いものもありません。大自然、宇宙の新陳代謝、生理現象のようなものです。苦と思える

のは自分の勝手な価値観から見ているからです。

 仏法僧に帰依することが仏教の基本です。簡単に言えば「拝んで、学んで、実行する」ということです。すべての出来事は自分の成

長のための仏さまからの計らいごとと拝んで受け止め、仏さまの智慧である法で理解し、法の如く実行すれば、苦を苦と受け止めなく

なることが法華経の教えなのです。

 釈尊は入滅される時「依法不依人」法に頼って人に頼るななと教えられました。法が尊いのです。法が仏そのものであり、その中に

仏さまがお見えになり、すべての人が法という真理の中で生かされているのです。法が解り、仏さまの智慧で世の中を見れるようにな

れば、苦が苦でなくなり、感謝と希望の毎日となります。



幸せの秘訣

 己(我)を忘れて他を利する

 自分のことより相手の利益を

 優先するのが幸せの秘訣

 俺が俺が、自分が自分かと

 まず自分のことを考えるのが

 凡夫の「我」である

 地位や名声が欲しくなり

 頭を上げ謙虚さを失い

 胸を反らし始めたら人生は下り坂

 頭が低く 相手を優先し直向きな

 人生は上り坂である




結婚の資格 親孝行が人生の基本

 派遣社員、ワーギングプア等、結婚したくても出来ない様々な理由があるでしょう。しかし、社会の問題だけではなく、自分自身の

根本の問題があります。大学進学率が50%を超え、大学進学が当たり前のように思われていますが、子供一人を大学まで卒業さ

せるまでの苦労は大変なものです。塾通いやクラブ活動や習い事等の経済的苦労に限らず、社会人になるまでには沢山の愛情と

手間暇、心配をかけて育ててもらった恩返しのやり残しが沢山あるとなかなか結婚の機が熟さないのです。社会人になったら給料

の多い少ないにかかわらず、力に応じて家に生活費を入れ、家事を手伝い、高校大学まで行かせてもらったご恩返しが出来てこそ、

一人前の社会人です。

 「報恩の人生は栄え、忘恩の人生は滅びる」これが真理です。社会人になっても家に生活費を入れず、給料は自分のことだけに

使い、休みの日は遊びたいだけ遊んで家のことはほとんどしない。ホテルや旅館でもただで寝泊まり飲み食いし出て行けば、無

銭飲食で手錠がかかります。ご恩返しもせずに結婚すれば、経済や育児、家族関係といった生活苦という牢獄につながれ、心身

ともに窮屈な結婚生活をしている夫婦も多くいます。

 では、どうしたら幸せを掴めるのでしょうか。

経済的に恩返しをする

 社会人になったら、同居や下宿にかかわらず、一定の金額は家に入れましょう。結婚してからでは難しくなるので、独身のうちに

 実行すること

労力で恩返しをする

 お客さまおお据え膳にならぬよう平素から出来る身近な家事を手伝う。休みの日には、自分のことや遊びだけではなく、家業や

家事を手伝う。

精神的に恩返しをする、

 
優しい言葉やいたわりの言葉、思いやりのある言葉掛けけをする。時々は会社や仕事の様子を話し安心を与える。

 人は誰しも自己実現(夢や目標の達成を願い、自己承認(認められ、褒められること))の欲求があります。認められ、褒められ、

夢や目標を達成するためには「衆善奉行」徳の積める良い事を粘り強く続けて幸福が一杯受け止められる「徳の器を大きくする」こと

です。



運を開く魔法の言葉

 できる できる できる 

 自分にもきっとできる

 成れる 成れる 成れる

 自分もきっと幸せに成れる

 今に良くなる きっと良くなる

 行き詰った時は 

 自分の心に呼びかけよう

 幸せの扉は自分で開ける



苦労を喜べ

 温室の花は美しく咲くが風雨に弱い

 肥料も水も温度も

 十分与えられている方が

 風に当たっておらぬ故に

 野花より弱い

 人生の苦労を知らぬ人は弱い

 苦労こそ力強い人を作る原動力である






著 田中偉仁  田中庸仁

 

T O P