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  前向きの姿勢  ★ 法を伝える功徳が最高
  縁を大切にする   奇跡が奇跡(幸せ)を招く
  三徳の生活   絆には傷が含まれている
  自らを磨く   人生は受け入れていくもの
  常に法を伝えて   自殺防止の特効薬
  読経供養   「ハイ」がすべて
  幸せの秘訣! 奉仕と感謝の心   雑用と御用
  心の鏡を磨く!    時がすべてを決定する
  進化するものが栄える   理解は語り合いから始まる
  誰でも幸せになれる教え   幸運を招く言葉
  法華経は陽気な教え   苦は幸せの狭き門
  明るく楽しく、人の為   功徳の出方
  青年の輝きと行動力   魅力ある短所
  誰でも幸せになれる   自分の存在価値
  すべては自分が責任者   役目を果たす
  オシャレ上手   明るく楽しく
  成功の秘訣   忍の功徳
  心と生活の手入れを怠らない   初心の力
  報恩の心をつなぐ  




前向きの姿勢

口も耳も鼻も、みんな前向きについている

何事も前向きに見つめ、前向きな話をし、前向きに

受け止める手も足も、前に進みやすく出来ている

消極的や引っ込み思案は、おとなしいのではない

『我が強いと知るべきである』

我の強いうちは幸せは遠い


法を伝える功徳が最高

 お釈迦様は、一大事の因縁をもってこの世に出現されたと申されています。一大事の因縁とは「仏知見の開

示悟入
」です。すべての人が「仏知見」を身に付けて、仏さまと同じ境涯になって人生を歩んでもらいたい。そし

て、諸行無常を悟り、川の流れの如く移り変わるお金や物、地位や権力や学歴という仮の幸せに一喜一憂す

る人生から、何事にも動じない本当の幸せを掴んで欲しいということなのです。仏知見を身に付ければ、苦は

苦でなくなり、大安心の『涅槃寂静の人生」となるのです。

 
仏知見とは何か? 仏さまの「智慧」と「ものの見方」のことです。

損つまり、仏さまの智慧で「なったことを正しく受け止め」、仏さまのものの見方で「ありのままを喜ぶこと」が出

来れば誰でも幸せになれます。この世の中は「苦の娑婆」です。苦があるのが当たり前なのです。苦は私たち

の機根心の(レベル)を高め、仏となるための試験なのです。すべての現象を仏さまの智慧とものの見方で正

しく受け止めれば、たちどころに苦が苦でなくなるのです。苦が苦でなくなった状態を「涅槃寂静」と言います。

すなわち、「動揺なく、安心と調和の人生」となるのです。凡夫の限られた狭い常識と凡夫の浅い知恵で世の

中を見れば「一切皆苦」となるのです。

 では、どうすれば仏知見(仏さまの智慧とものの見方)が得られるのか? 次の二つの事が大切です。

毎日お経をあげること(心が柔軟になり、教えが浸み込みやすくなる)

 お経はお釈迦さまのお説法そのものであり、お経の中には幸せになるための仏さまの智慧が一杯詰まって

いるのです。

毎日声を出して朗々とお経をあげることによって、まず呼吸が整い健康になります。そしてお経の意味が心に

浸み込んで心が清まり、気が付けばあまり怒らなくなり、愚痴をこぼしたり貪らなくなるのです。

徳積みの実践(布施によって徳の器を大きくする)

 世の中にはどんなに地位や学歴があっても、苦労か絶えず、毎日が喜べない不幸な人が大勢います。それ

はなぜか?一言で言うと「徳がない」のです。徳がないとせっかくのお金も地位や学歴も役に立たないのです。

 皆さんそれぞれの力と願いに応じて精一杯の徳積み(人のお役に立ち、喜んでもらえることをする)をして下

さい。徳も積まずに運命が開けたり、法か深くはなりません。幸せの器を大きくするためには布施の徳積みが

欠かせません。

 その徳積みには大きく三つあります。

 ・
財施・・・徳積みの最も身近で、最も出来にくいのが財施ですが、執着を離れ「我を取る修行」が財施です。

       大きな財施の徳積みをさせて頂くと徳の器が大きくなり「法」がよくわかるようになります。

 ・
身施・・・身をもって教えの広がることの為、人様の喜んでもらえることのために労力を施すことです。

 ・
法施・・・法華経を人に伝えた時、最大の功徳が現れるのです。子孫に有限の財産を残すよりも、「いつまで

       も、どんな時にでも」運命を切り開く智慧とエネルギーに満ち溢れた仏さまの教えという永遠不滅の

       財産を残してあげましょう

「財施、身施、法施」の中で最も徳が積め、計り知れない功徳が頂けるのが、人様に法(教え)を伝え、仏縁に

お誘い「法の布施」です。

 どんな素晴らしい教えを聞いているだけでは本当の幸せには成れません。法華経は『下種の大法」と言って

人さまの心に教えの種を蒔く教えです。蒔かぬ種は生えないのが真理です。法の種を下した時最大の功徳が

現れます。

 八十年間、多くの人に金銀財宝、大きな家屋敷、あらゆる食べ物を施し続けた財施の功徳も計り知れません

が、法華経の教えの布施をした功徳は、何十倍何千倍、何万倍、何億倍もの計り知れない功徳が頂けると経

典にあります。


 自分は話下手で引っ込み思案で・・・という人も心配無用です。「この人にもどうか幸せになってもらいたい」と

いう慈悲真心さえあれば、仏さまが応援してた後押しして下さる、お誘いする上手な言葉、いい知恵を与えて

下さると保証して下さっています。

何よりも自分の悩み苦しみの解決の一番近道は同じ悩み苦しみを持つ方に仏縁を結んであげることなのです。

 そして自分と同じような苦しみを持った人が、因縁で必ず身近にいます。同病同苦ですから相手の気持ちも

よく分かってあげられます。「分かるわ! 辛かったですね。一緒に頑張りましょう。

 きっと良くなりますよ」と心掛けをするのです。たった一言の声掛けが、たった一冊の「ひかり」(教え)の手渡し

が一人の人間の人生、一軒の家庭の運命を変えてしまうのです。その功徳は計り知れません。

 勇気を持って教えを人に伝えましょう。自分が教えに救われたように、困っている人 悩んでいる人に一声か

けてあげましょう。それこそが仏さまへの最大の恩返しです。

 

縁を大切にする

 人は孤独では生きられない

 日本は第二次世界大戦後、敗戦国でありながら、世界に類を見ない奇跡の復興と経済成長を成し遂げ、先

進国の中でもトップクラスの国になり久しく時が立ちました。

 発展途上国は申すまでもなく、西欧諸国に比べても、自動車、食糧事情、教育、医療、IT、ファッション、治安

等世界の中でも最高レベルの豊かな生活をしています。傍目には何一つ不自由のない幸せな国となりました。


 
★心病む日本、繰り返される無差別殺人

 しかし、物質文明を謳歌する幸せな生活の中に、近年『無差別殺人、通り魔殺人」の傷ましい事件が繰り返し

起きています。何も悪い事をしていなくても、何の関係が無くても、偶然そこにいた、そこを通りかかったという

不運な「縁」によって、取り返しのつかない被害を受けてしまうのです。

 どんな理由にせよ殺人事件は許されませんが、昔の殺人事件は、特定の相手に対する憎しみや恨みでした

が、『誰でもよかった」というのが無差別事件の恐ろしいところです。


 ★限りなく透明な人間、孤独地獄

 犯人に共通しているのは無職で一人暮らしであったり、家族や友人との人間関係が希薄で「絆」を失った寂し

い「孤独」な日常であり、生きている実感が感じられず限りなく透明な存在であるということです。人間にとって

最大の地獄は「孤独地獄」と。言われます。

 「自分の存在感」が感じられず、事件を起こすことによって自分の存在を示そう、自分に目を向けてもらおう

としたのです。


 ★諸法無我、人間は関係性の中で生きている

 人間はただ一人ぽつんと孤立無援では存在出来ません。自然も社会も会社も家族も一つの大きな網であり、

すべては繋がっています。そして、一つの網の目の形状が少し変化すると、すべての網の目に影響を与えます。

 家族や友人、同僚との絆も切れているが、それにも増して
仏さまやご先祖さまという目に見えぬ大きな存

在に対するご縁
が切れてしまっている『浮き草人生」の若者が増大しています。そういう人は、地位や学歴や

お金が有っても時代の流れや周囲の状況に翻弄され、あっちへフラフラ、こっちへフラフラと不安で定まらない

人生を歩んでいるひとが多いのです。

 他人事ではありません。

 子供は大丈夫ですか? 

 社会人になったわが子は大丈夫ですか? 

 ちゃんと向き合って顔を見て 声掛けが出来ていますか? 

 通り一遍の事務的、自動販売機的な会話で済ませていませんか? 

 家族が何処でどんな仕事をしているのか? 

 子供が学校でどう過ごしているのか? 

 どこで誰と遊んでいるのか? 

 家族がお互いに監視するのではなく、関心(愛情)を持って見ていますか 


 愛情の反対は「無関心」です。言い換えれば「孤独」です。


★罪の衆生は三宝(仏法僧)の名を聞かず

 罪の衆生とは、どういう人か? 

善に対して消極的で向上心の少ない人

何事にも批判的で愚痴多き生活を積み重ねている人

③「
知ってます。わかっています。 やってます」という増上慢の人のことです。

 こういう人は、仏の有難さを信じ、教えを信じ、師を信じる事が出来ないのです。つまり、師の教えを率直に聞

けなくなったり、師を持たず訪ねず、自分流で分かったと思っている人は、本当の教えが解らないのです。

 別の言い方をすれば向上心を失い徳が切れると段々仏縁法縁が遠ざかり、安心立命の幸せからどんどん遠

ざかってしまうのです。

 皆さん自分の信仰姿勢を振り返ってみましょう。

・どのくらい教会に足を運んでいますか?

・ 師に添削をしてもらっていますか?

・ 自己採点の自分先生になっていませんか?

 お釈迦様の時代でもいよいよ真実を説かれようとすると「自分はもう分かっている。もう学ぶことはない」という

増上慢の弟子が五千人座を立ったと言われます。私たちは謙虚に法を学ぶ姿勢を保ち続けましょう。


 ★存在感のある人間になるには!

 乱暴な運転も、不摂生な生活も、無茶な冒険も結果自分一人の責任では済みません。自分勝手な自己中心

的な行動が信頼を失い、自分を孤立させるのです。

 自己責任とは、親や家族や相手に安心してもらえる行動が出来てこそ本当の自己責任です。例えば、若者

は親に対し行先や帰宅の時間を聞かれると「子ども扱いするな」とうっとうしく思いますが、大切な存在であれ

ばあるほど行先や帰宅時間をしっかり告げておかなければ、家族に余分な心配をかけていまいます。会社の

社長が行先も告げずに何時間も行先が分かりませんでしたら大変です。

 偉い人ほど要件や予定時間をはっきり告げていきます。「ちょっと」としいう行先はないのです。心配してくれ

る人がいることが「絆」であり、幸せなのです。

 人は生まれによって貴賤はありません。みな平等です。しかし、その行いによって貴賤が生じるのです。与

えられた役目やご縁あった仕事を喜んでやる。誰かに喜んでもらえる。人様の幸せに貢献している。つまり

役立つ人間になる。当てにされる人間になる」ことが存在感を生み出すのです。

一人でもご縁ある人に仏さまの教えの考え方をお伝えしましょう。



奇跡が奇跡(幸せ)を招く

出来ていますか 当たり前のこと?

朝起きたら、自分から家族に明るい挨拶。

ハイ! という良い返事。

「行ってきます!」

「行ってらっしゃい!」と玄関まで送り出す。

「只今!」ちゃんと顔を見て「お帰りなさい」

分かっていても出来ていないことが出来たら、

それは奇跡です。



三徳の生活

 怒るな、愚痴るな、貪るなの三毒を除き、慈悲、誠、堪忍の三徳の生活をすれば、誰でも幸福になれると

説かれたのが仏の教えであります。こんな優しい事なら誰でもやれると飛び込んでみますと怒らぬ実行、愚

痴をこぼさぬ行いほど難しいものはありません。野球にしても書道にしても、基本を忠実に繰り返して初め

てファインプレーの妙技が生まれ、見事な大作が完成されますように、仏教の奥義を窮めるには、基本点

画である三徳の実行をするか否かにかかっているのです。

 難しい理屈や理論を並べると、さも悧巧そうに見えたり仏教が詳しいように思いますが、実はこれは凡夫の

知恵の錯覚であり真の仏教が理解出来たら菩薩の行い(人を救う働き)が積極的に出来、またせざるを得な

い衝動に駆られて来るのであります。難しい話をする人ほど頭の悪い証拠です。

 私の法を広める信念は、難しい理論や理屈はお偉い学者にお任せし、如何にわかり易くお伝えするかが使

命と考えています。

 富士山につまづいて転んだ人はありませんが、小石につまづいて足を折る人は何人もあるのです。

 人には向上心も研究心もなければなりませんが、ただ頭で考えているだけではことは進みません。論は実

行を遅らせます。おしゃべりは良い仕事が出来ません。

 この人生教書を縁ある人に配布され、仏さまの手足となって広宣流布して下さい。やった分だけ自分の徳と

なって報われることを信じて実践して下さい。



絆には傷が含まれている

人と人が出会えば、楽しい事ばかりではない。辛い事もある

意見が違ったり、辛抱したり、遠慮をしたり・・・互いに傷つくことが有るのが当たり前である

時には傷つくことも承知してこそ絆が結べる

自分が傷つくことを避けていては孤独になってしまう

傷つきながら進むタフさが必要



自らを磨く

常に自ら磨き続ける

 私たちの人生は、いつも謙虚に自らを見つめ磨き続けることが大切です。誰でも今日まで体験してきたことが

かろうじて分かるだけであり、知らないことの方が多いのが真実です。

「知ってます。やってます。分かってます。自分は間違いない」という心は増上慢であり、自分先生の「我流」は

いずれ自分が流されてしまうのです。


「報・連・相」より「相・連・報」

 企業や世間では、トップや親に対して「報告、連絡、相談」を欠かさぬことが大切であるとよく言われますが、

本当は順序が反対で「相談、連絡、報告」が正しい順序だと思います。仏教では『聞・思・修』と言って「よく聞

いて考えて、実行する」このことを繰り返し行うことが、向上への道と教えています。

 開祖さまは「何事も自動販売機のようではいけない」と教えて下さいました。つまり、自動販売機は、お金を入

れる入口と商品が出てくる出口だけで「途中経過が解りません」一見便利そうに見えますが、そこには血が通

い、心が通じ合う情がありません。

 「仕事を任された」ということは、自動販売機でいえば入口です。大切なのは途中経過の連絡とこれで間違い

ないか、方向性がズレてはいないか軌道修正する謙虚な姿勢が大切です。「これで本当に良いか」の確認無し

に自分だけの判断だけで勝手にことを進めて、「結果報告」さえすればよいというものではありません。


★常に師・長の添削を受ける

 
トップや師の添削を受けてこそ間違いのない良い仕事が出来るのです。

 教会で毎日あるお宅の新築土地供養のご祈願をさせてもらっています。現在住んでいる家土地を売り払って

新しい家土地を求めたいという奥さんのご祈願であります。

「良い所は見つかりましたか?」とお尋ねしますと

「はい、先生。不動産屋や知り合いに声をかけてあるのですがなかなか見つかりません」とのことです。

「目的が正しくて家族の意見が一致していれば、案外スムーズに事は運ぶものですが、年老いた親さんやご主

人も新築移転の件は賛成されていますか?」

「はい、最初に私の願いと計画を家族に話しましたら、おばあちゃんも賛成してくれましたし、主人もお前に任せ

ると言ってくれました。」

「最初に同意を頂いたことは結構ですが、人間の心は時間と共に変化します。特にお年寄りは、家や土地には

深い思い入れと新しい生活に対する不安があるものです。ご主人にも途中経過を報告し、ご意見を聞くことが大

切ですよ。出来ていますか?」

「そういえば、資金繰りも主人から任されているのて何とかやり繰りをして、きっとみんながいい物件だと言ってく

れるところを見つけてみせると意気込んでいますが、その後の相談はあまりしていません。」

「そうですか。あなたの家の功労者はおばあちゃんであり、一家の中心はご主人です。任された自分の立場から

だけの意気込みではなく、時々思いの確認をした方が良いですよ」と申し上げ

「その後、母や主人にあまり聞かず添削を受けていませんでした。知らず知らずのうちに自分はよくやっていると

慢心になり、自分ペースの自分流、自分だけの判断で動いていました。自分の間違いと足りない点に気付きまし

た。心を切り替えて頑張ります。」と明るく帰って行かれました。日常茶飯事、ついうっかり誰にでも有りがちな話

です。


常法華経信仰者は仏さまから任されている

 法華経を信じる私たちは末法の世に「人救いと世の立て直しを頼むぞ。妙法広宣流布を頼むぞ」と任されている

と経典にあります。

 そして、菩薩行をする人は、仏さまが全力で守るぞと保証していて下さいます。大変有り難い事です。

 私たちは常に師に添削してもらい、日々の生活や努力精進していることを振り返り、時には軌道修正をし、時に

は自信を持って前進することが大切です。

 開祖さまは「常に生きた師を持たなければいけない」といつも教えられたのです。知らない事や、自信がない事

はもちろんのこと、任された責任として仏さまに直接お聞きできませんから、生きて目の前におられる、直接お尋

ねすることの出来る「師」を持ち添削を受けましょう。

 常に自分の心と生活の有りようを磨き続け、迷いを断ち切る心の切れ味、真実を見きわめる仏さまの智慧の切

れ味を磨き続け、いつでも困った人のお役に立てるように仏性を磨きあげ、世の中を良くする菩薩行の出来るよ

うに自覚と使命感をもって精進致しましょう。



人生は受け入れていくもの

安心」とは、ありのままを受け入れる覚悟を決めること

その覚悟が決まれば、安心が生まれる

立命」とは、与えられた運命をそのまま受け入れること

そこに生き甲斐と生きる意味が見い出せる

自分にとって誰が必要かではなく、自分が誰にとって必要な人になれるかどうかである




常に法を伝えて

 無量の功徳この経に集まれり

 仏さまの本当の願いは、すべての人に「
仏さまの智慧」と「ものの見方」を見に付け「世のため人のため、まず人

さま
」の人生を歩んでもらいたいという大誓願であります。

 法華経は人をお導きする菩薩行をした時に最大のご守護、ご利益が頂けるのです。

 いつでも、どこでも、だれにでも、手紙を書いたり、言葉をかけたり、足を運んでお誘いしたり、みなさんの出来る

方法でこの尊い妙法の教えを一人でも多くの人にお伝えし、仏さまから計り知れないご利益を頂いて下さい。

 先日、某夫人から相談のお手紙が届きました。六年前にご主人がどこかで一冊の「ひかり」を手渡してもらった

そうです。どなたかが蒔いて下さった教えの種が、六年たって芽を出したのです。ご主人が病に倒れ、老々介護

の生活となり家庭でもご近所でも孤立し孤独なのです。人間は孤独では生きられません。「孤独地獄」は最も辛い

地獄です。家という建物はあっても、絆が切れている「家庭内ホームレス」の人が増えています。その孤独孤立に

耐え切れず、誰かに自分の存在を知ってもらいたく、犯罪や無差別殺人事件を起こすのです。「ハウスレス」の人

は、住む家、住む部屋が出来れば幸せですが、「ホームレス」の人は建物がないのです。絆という中身の問題なの

です。しかし、「きずな」には「傷」が含まれています。人と人が出会えば互いに辛抱したり、遠慮したり、気を遣った

りして傷つくことがあって普通です。傷付ながらも良きに考えて進んでいくしか本当の幸せは来ないのです。すべて

を良きに悟るには、宗教しかないのです。特に仏さまの本当のお心が教えられている「法華経しかないのです」法

華経はどなたでも「100%救われる教えです」今日から私たちの信仰目標である「常に法を伝える」の実践に励み

ましょう。




自殺防止の特効薬

 青少年の自殺が後を絶たない。

物に恵まれ、優雅な生活の中に育てられた吾が子が、親に一言の悩みを打ち明けず、寂しく去って逝くのはなぜ

だろうか。

 かって太平洋戦争の折、戦場で傷つき倒れた兵隊さんは、必ず「お母さん」と叫んで死んで逝かれた。どうして今

の子供が自殺する時、お父さんお母さんと叫べないのか、なぜ両親の顔が浮かばないのか。ここに大きな問題があ

り、解決せねばならぬ宿題がある。

 子供の教育は妻一人の責任ではない。夫にも大きな責任がある。家庭において耐え忍ぶ優しくも勇気ある母、今

日の仕事に精一杯汗を流し努力する父の姿こそ、死を急ぐ吾が子に対する協力なブレーキである。

 ニュースの報道は他人事ではない。夫婦の不満、親に対する不平不満が充満したとき、どこの家庭にもこの悲劇

が起きてくるのである。子供の問題で困っておられる親は直ちに一大反省と正しい心の在り方を求め学ばねばな

らぬ。

 家庭が円満になれば、将来を担う青少年が立派に育成される。欲に走って老人を見捨てぬよう、欲に走って恩人

に対する感謝を忘れぬよう、常に積善の施しを忘れぬよう、命懸けで今日一日を前進しようとする親あって初めて

青少年がのびのびと育ちゆくのである。



読経供養

 毎日の読経供養は心のウォーミングアップ

 平素から「我」をほぐしておかないと「まさか」という時、心は柔軟に動かず役に立たない

 人生も信仰も真剣勝負、趣味や道楽の延長戦では幸せはつかめない

 菩薩になるのだという使命感を持って苦難に立ち向かおう

 足踏みしても後退するな

 今、将来のために何を為すべきか油断大敵であ。



「ハイ」がすべて

 仏さまの修行は「ハイ」がすべて

 ハイの実践、出来ていますか?

 ハイは「拝」相手を尊び拝む心

 ハイは下がる修行

 「我」が取れればハイと下がれる

 あなたは師の言葉、親の意見に

 「はいっ」と言えていますか?

 そして・・・仏さまが与えて下さった

 現実を「はいっ」と率直に受けて

 いますか

 「はいっ」の返事は信仰の一丁目

 一番地、避けては次に行けない



幸せの秘訣! 奉仕と感謝

 良き師について聞思修

 物壮年期を迎えた社長さんが総本山を参拝され、「開祖さまから会社が発展するにも《徳積みと感謝》が大切で

す。と教えて頂きました。何となくイメージとしては分かるのですが、具体的にはどういうことなんでしょうか。教え

て下さい。」とのご質問でした。

 法華経は《人格完成、即ち仏になる教え》です。開祖さまはも人間は死ぬまで勉強、学ぶ姿勢が無くなった成長

しません。知らないこと、分からない事ばかりの人生です。だからこそ、良き師について聞思修、「聞いて、よく考

えて、実行す
る」ことの大切さを自ら実践され、手本を示して下さいました。常識や自分先生の浅い知恵では、根

本からの解決、本当の安心は得られません。また教えの流れが途中で途切れないいつも「開祖さま、み仏さまに

つながる信仰
」をしてこそ、計り知れない無量の智慧と功徳が頂け、自信と安心と喜びに満ちた人生が過ごせる

のです。

 聞信仰の基本は奉仕と感謝の心

 徳積みとは、奉仕をすることです。

 何事につけても「人の役に立つこと、人に喜んでもらう働きをする」ことです。言い換えれば「布施の実践」です。

布施には「身の施し、財の施し、法の施し」があります。特に教えを伝える「法の施し」が最高の徳積みになります。

 また「無財の七施」といって「優しい眼差し 明るい笑顔 優しい言葉 親切な行動 気配り 席を譲る おもてな

しの心」の実践はお金がなくても誰でも人のお役に立てる施しです。

 感謝の心とは、お蔭さまの心、有り難いと思う心です。

 陰とは「何かに隠れて目に見えない所」のことです。つまり今日の前にいない人(故人を含めて)に支えられて今

日一日も、有り得ることが難しい、有りえないような幸せを頂いていると合掌することです。

 つまり「報恩の生活をする」ということです。

 伝統文化の底力、感謝の心を続ける

 祇園の舞妓や芸妓は毎月一日に欠かさず行う「
お朔日のご挨拶」という伝統、風習があるそうです。それは屋形、

お茶屋など、かって自分が一人前になるためお世話になった所へ必ず「おめでとうさん、今月も相変わりませず、お

たのもうします」と挨拶に回ることなのです。この道に入った時の「初心忘るべからず」の意味なのです。そして、お

世話になった方に近況報告をし、アドバイスを受ける、つまり添削を受けるのです。

 祇園の舞妓や芸妓のみならず歌舞伎や茶道、落語のように何百年も続いている伝統文化の裏には、親しき仲に

も礼儀あり、「報恩の家は栄える」の心理通り、お世話になった方や伝統を守り続けてきた大先輩に対する「師長恭

敬」「報恩感謝」の実践があるのです。何百年も続くこの習慣が祇園の伝統であり、底力であると言えます。継続は

力であり、子孫繁栄の基礎なのです。

 朔日参りを欠かさぬよう

 信仰においても、毎月一日に総本山や教会のご法座にお参りし、お経をあげ、法話を聞くという実践は子孫が繁

栄し、家運が発展するとても大切なことです。一か月が仏さまやご先祖の想念に護られて安心安全に過ごせます。

必ず一日法座にはお参りしましょう。お勤めや都合で法座にお参り出来なかった人も会社の帰りには、総本山や教

会に足を運び、仏様に手を合わせましょう。

 遠方の方やどうしても都合のつかなかった人は、家の仏壇を通じて必ず仏様やご先祖様にお参りをしましょう。分

家や新築の方、または単身で一人住まいの方も是非「ご本尊さま」をお祀りしましょう。そして一日に一度は必ず、

手を合わせお経を上げ、「今日も一日お蔭さま」と感謝の毎日を送りましょう。

 「一年の計は元旦にあり。一月の計は一日にあり」です。



雑用と御用

 世の中に「雑用」という用はない

 すべては尊い「御用」である

 用を雑にするから雑用となる

 どんなお役目も仏さまからの御用

 と喜んでやれば尊い仕事である

 お茶くみ役も、お掃除役も、受付

 役み、社長役も・・・・

 誰かが「御用」をしなければ世の

 中は回って行かない

 日本一のお茶くみ、日本一の掃除

 人、日本一の受付係、日本一の社

 長をめざそう



心の鏡を磨く

 妙法は家庭が楽しく子供が良くなる教え

 
仏種は仏縁によってのみ芽を出す

 め某県の女子学生による同級生殺害切断の猟奇事件は驚愕でした。毎日のように殺人事件が報道され、その

動機や若年齢化に耳を疑い、心が痛みます。物、金が豊かになり、学問教育が行き届いているはずの日本は何

処で狂ってしまったのでしょうか? 学校教育も家庭教育も半ば崩壊しているのが現状です。

 釈尊は、すべての人に等しく「仏性、仏さまと同じ尊い心」が備わっていると教えられましたが、「仏性の種」は

仏縁に触れなければ芽が出てこないのです。「教え無き者は禽獣に等しい」と言って毎日感謝の読経供養をし、

少なくとも週に一度か、月に二回や三回ぐらいは宗教に足を運ぶ法縁に触れ、師から法を学び「添削・指導」を頂

けなければ、「凡夫の常識」すなわち「我流」の生活に流されてしまいます。

 しかし、多くの宗教は「葬式宗教」と揶揄され、真理の法を説かず、説いても形式的で時代遅れの昔話では、若

者から見向きもされません。

 磨き続けなければ、心の鏡はすぐ曇る

 教育の「教」は孝行を文に書くという字です。つまり、まず親孝行の実践を教えるのが教育の基本ですが、肝心

の親が愚痴や不足や怒りが多く、趣味や道楽、目先の欲に心が曇っていてはどんなに偉そうなことを言っても、

子供から尊敬されず「馬の耳に念仏、糠に釘」では子供に通じません。

 信仰に卒業はありません。親自身がしっかり信仰をして自らの心を磨き続けなくては楽しい家庭、よい子供は

育ちません。「やっています。知っています。わかってます」の慢心になり、常に師の指導添削を受けなかったら

自分先生となり心の鏡はすぐ曇り、物事が正しく見えなくなってしまいます。

 子供の教育は愛情と手間ひま

 報道される某県の事件を知る限り、父親は学歴も社会的地位もあり、豪華な家に住み、ピアノ専用の部屋もあ

り・・・、いわゆる上流家庭の豊かな生活です。しかし、両親の無償の愛情子供の求める手間ひまが欠け、親が

満足する押し付けの愛情、手間ひまだったのでしょう。

 「金、物、地位、学歴」だけでは本当の幸せは得られないという実例です。今やほとんどの主婦は仕事を持ち、

男女平等、ジェンダーフリーが常識の社会になりつつありますが、子供の通い、スポーツや習い事の費用のため

に家を留守にして働き続け、疲れ果て夫や子供に十分な愛情や手間ひまが欠け、自分自身が喜べなくなっている

のでは本末転倒です。ペットとは同じお墓に入りたいが、死んでからまで夫と同じ墓に入りたくないという女性が増

えているとの統計がありました。異常なことであり、主婦が疲れ果て夫婦の信頼関係が崩れている証拠です。良い

子が育つはずはありません。あれもこれも欲しいと際限のない欲望を「貪欲
」(どんよく)と言います。小欲知足「欲しい

を貪り求める生活から、本当に必要な物に留める生活」に大きく舵を取り直す時です。

 老人介護の心掛け

 一方で認知症、徘徊老人など老人介護が大きな社会問題になっています。痴呆、徘徊の老人介護で何が大変な

のか?一つは費用の問題です。もう一つは精神的体力的負担です。単刀直入「蒔かぬ種は生えない」社会人になっ

てから《家に十分な飯代(生活費を入れていない、家の手伝いが十分していない)》つまり、育ててもらったご恩返しが

十分できていない人が親の介護に苦労するのです。出し足りない、尽くし足りない分、利息がついてお返ししなけれ

ならないのです。物質的に豊かになり個人主義に偏った生活の副作用と言えます。介護をする家族はそこをよく反省

懺悔しながら努力をすればきっと道は開けます。

 説かざる者の罪

 懺一人前の大人としてのマナーやルール、考え方を知らず、社会や家庭に迷惑をかける若者が増えています。これ

は正しい事を教えてこなかった親の「説かざる罪」です。嫁には言いにくいという姑が増えています。それならば、せめ

て嫁を迎える息子、嫁に出す娘にしっかり人の道を説き聞かせるのが親の責任です。その手抜きの付けが回って来て

いるのです。今からでも遅くない・・・・。




時がすべてを解決する

 悪い時が過ぎれば、良い時は必ず来る。

 良い時が過ぎれば、悪い時がやって来る。

 大きな事を為す人は、必ず時の来るのを待つ。

 焦らず慌てず、されど怠らず。

 事を計るは人にあり、事を為すは天にあり、

 時は金なり、時を大切にすれば、(天)が味方してくれる。

 遅刻をしない、早起きをする、無駄なおしゃべりを慎む・・・・



進化するものが栄える

 自らを柔軟に変化させる

 「諸行無常、諸法無我、涅槃寂静」は三法印と言って釈尊の悟られた仏教の根本原理であり宇宙三大真理です。

 その第一にあるのが「諸行無常」すべては一点に止まらず変化し続けるという教えなのです。

 地球誕生以来、四十六億年の歳月も変化の連続です。温暖肥沃な時期があり、大きな環境変化が何度もあったこ

とが解明されています。地球全体が凍ってしまう全球凍結という大氷河期や火山の大爆発、大陸の移動衝突、小惑

星の衝突など過酷な環境変化の連続です。しかし、過酷な環境変化の後、新しい生命が誕生し繁栄してきたのです。

反面、環境の変化に柔軟に適応出来なかった生物は絶滅しました。つまり、地球生命の歴史は自らを改良し進化し

たものが生き延び繁栄する歴史の繰り返しと言えます。

 法華経は相手を変える教えではありません。自分が変わる教えです。自分がより良く変わることによって、相手も自

分を取り巻く状況や環境も、より良く変わるという教えなのです。

 経典に「質直意柔軟」とありますように、心が率直で尚且つ柔らかい人が幸せになれるのです。「俺が俺が」「我の

強い人」や「自分は間違っていない」と謙虚さが欠けはじめ、慢心になると大きな失敗をしたり、幸せが遠ざかり始め

るのです。

世の中は「苦が有るのが当たり前」「間違いのあるのが人間」なのです。だからこそ、開祖さまは「生きた師を持ち、

常に添削を受け、自らを訂正し軌道修正しなければならない」と教えられたのです。


 この世は「苦の娑婆」であり苦は無くならないのです。どうして苦は無くならないのでしょうか? 

それは苦難こそが人間を磨き、間違いに気付かせ、より良く成長させるための不可欠の原動力だからなのです。

 しかし、苦を苦と受け止め、苦を恨みに思い、不足に思っているうちは幸せになれないのです。

 
苦労は人生の宝であり、苦労に「有難う」とお礼が申せた時、運命が大きく変化し、喜びと感謝の新しい人生が目

の前に現れるのです。苦労に磨かれてこそ『我』という心の垢が取れ成長できるのです。

 「親が悪い。子供が言う事を聞かぬ。主人が難しい。会社が悪い。上司が悪い。世の中が悪い。」と苦労や難儀に

不足を思い、自分を変えようとしないうちは運命が開けてきません。「苦難、困難、災難」人生には様々な難がありま

す。このような難がない事を「無難」と言いますが、「大難は小難、小難は無難」と言って一足飛びに無難にはなりま

せん。

 苦難や困難は、概ね人間対人間の関係です。災難は人間対自然の関係です。災難を通じて人間社会の間違いを

大宇宙が教えてくれていると考えましょう。間違いのない人間はありません。満点の人間もいないのです。神仏は人

間が謙虚になり、正しい生き方に目覚めるように地震や台風、豪雨や土砂災害、大干ばつ等の天変地異の現象を通

じて人類全体に気付きを促しているのです。

 国家社会も同じです。米ソの冷戦終結以後、世界平和が訪れるどころか、世界各地でテロや民族対立、紛争が多

発しています。それに呼応するように近年の地球温暖化による異常気象が世界各地で起こっています。日本も全国

各地で未曾有の豪雨土砂災害が発生し、救援のために自衛隊が派遣されています。「集団的自衛権」により海外派

兵等している時ではないという神仏からのお知らせではないでしょうか。皆さんも一度よく考えてみましょう。

 一軒の家も同様です。家庭の中で愚痴や不足、些細なことで言い争うことが増えていませんか。ましてや仏縁法縁

から遠ざかり、今日の幸せに胡坐をかいてむ、目先の楽しみに貪りの生活になっていたら要注意です。常に怠らず徳

を積み自分を磨き続け、昨日よりは今日、今日よりは明日と自分を進化させてこそ幸せは続くのです。人生は「上り

坂、下り坂、まさか」です。「良いまさか」も「悪いまさか」もある日突然やって来るのです。毎日喜びを持って励みましょ

う。




理解は語り合いから始まる

 出会いと語り合いから理解が生まれる

 理解から信頼が生まれる

 そして協力が生まれる

 「解」は牛の角を刀で切ると書く

 角とは、相手を攻める心

 角とは、自分の小さな主義主張にこだわる頑なな姿勢

 思い切って自分の角を切れば

 お互いに理解が出来る




誰でも幸せになれる教え

 諦めないで祈る 届くまで祈る

法華経は誰でも100%幸せになれる教えなのです。「正しい目標」を持って《自分必ず幸せになれる》とぶれることの

ない「強い信念」を持ち、
結果が出るまで諦めないで祈り続けることです。

 開さまは「善いことはご利益が出るまで続けなさい」と教えられました。

 創業四十年の間に1000店舗に及ぶレストランを経営する某外食産業の社長さんの創業の逸話があります。

 彼は商売を始めるに当たり「安くて美味しいものを一人でも大勢の人に食べてもらいたい」という強い願いから1000

店舗を作ろうという大きな目標を掲げたのです。

 すると母が「まだこれから始めるにのどうやって1000店舗も作るんだい」と尋ねると「わからない。でも1000店舗ぐ

らい作らなかったら、日本中の人に安くて美味しいものを食べてもらうことが出来ない」という固い決意は揺らぎません

した。強い信念があれば、方法や結果は後から付いてくる。

 そして「仕事は何のためにするのか。人の役に立つため、社会貢献です。これは小さい頃からお袋に叩き込まれま

した。何かを決断する時には、まず従業員、次にお客さん、そして社会の役にたつかどうかを考えて決めます。」

 彼が社会貢献を志すのは、母の教えによるところが大きい。母は法華経の信仰心が篤く、人様に奉仕することを何

よりの喜びとした人物であり、母親の『人のため、社会のため』という生き方が自然に染み付いたのです。

 法華経精神を根本に「自利利他」を座右のむ銘として、世界の人に安くて美味しい食事を提供したいと今日も願い

続けているのです。

 現代は末法の世です。いつどこで何が起きるかわかりません。わが子にお金や財産や地位学歴を与える以上にこ

の尊い法華経という宝、百千萬劫にも遭い難い永遠の真理をか「我が子に我が家族に、そしてご縁ある人々に何と

しても伝えたい」という強い信念を持ちましょう。
願いが叶うまで、諦めないで祈り貫くのです! 

 最後はx仏さまが教え導いて下さいます。車にたとえれば自分がエンジン(自力)、仏さま 開祖さまがガソリン(他

力)です。心がいつでも仏さま 開祖さまというガソリンタンクに直結していることが大切です。その上で「よし、やるぞ

とエンジンをかけるのは自分、動かしてくださるのは仏さま 開祖さまのお慈悲です。いつでも後押しをして頂いてい

ると感謝と大安心を以て前進しましょう。




幸運を招く言葉

 汚い言葉、激しい言葉、責める言葉、恩義せがましい言葉は不運を招く

 散らかった部屋は心を乱す

 だらしない格好は活力を失う

 美しい言葉、温もりある言葉、褒める言葉、感謝の言葉を使い

 部屋をきれいにし、身なりを整えれば、心が整い幸せを招く

 「お願いします。ありがとう」

 優しく、温もりのある言葉が行き交えば家庭が整い円満となる



法華経は陽気な教え

 明るい考えに明るい人生が訪れる

 法華経は何事も明るく前向きに受け止める陽気の教えです。明るい考えにこそ希望の明日が訪れるのです。日に

新しく生まれ変わっていくのが人生です。これを「諸行無常」と言います。そして語り合いのある家庭生活が大切です。

これを「諸法無我」と言います。お互いに忙しすぎて、顔を見合わせ、朝夕の挨拶を交わすだけでほとんど会話がない

すれ違いの生活をしていませんか? たった一人で食事をしていませんか? 家族はいるけれど《個(孤)食になって

いる家庭》が多いと聞きます。

 人間は群れを成して生きる動物です。一人では生きていけません。語り合いの中に安心と信頼が生まれるのです。

これを「涅槃寂静」と言います。


 先日、ノーベル物理学賞を受賞された名古屋大学の天野浩教授は、青色発光ダイオードを成功させるまでには何

千回も失敗の連続であったが、「決して辛いとは思わなかった。いつかきっと成功すると信じていたから」徹底した前

向き思考(陽気)です。

 そして「高校で初めて勉強が好きになり、勉強は人の役に立てることがわかったと」答えておられました。まさに法華

経精神がノーベル賞に到達したと言えます。自分の幸せのため、自分の出世のため、お金儲けのためではなく、世の

中の良くなるため、人の幸せのためにがんばり続けた時、人知と人力を超えた大きな力に後押しされ、予想外の成功

と幸せがやって来るのです。わが子に伝える最高の家庭教育は「世のため 人のためになる人間となれ、何事も明る

く前向きに考え希望を失わないこと」という教えです。

 そうした徹底した陽気な考えになれるのは、仏さまの教え、法華経を学ぶことであると自信をもって伝えましょう。



苦は幸せの狭き門

 苦は幸せの狭き門

 低くて小さな窮屈な門なのです

 頭を低く下げて余分なものを脱ぎ捨てないと

 通り抜けられません

 謙虚になって 我や執着や欲を捨てれば

 すんなりと通り抜けられる

 身軽になれば 苦は抜けられる

 案外簡単に・・・



明るく楽しく、人の為

 法華経は『自覚経』と言われます。何を自覚するのか。

 一つは『
明るく楽しく』です。

 法の如く、教えのままに実践することによって「煩悩ありといえども煩悩なきが如く生活が出来るようになります。苦

があっても明るく楽しく輝いている自分になれるのです。あの人のようになりたいという魅力があってこそ人を導ける

のです。どうすればそうなれるのか? それは毎日お経を上げて、仏さま 開祖様 ご先祖に心から感謝すること、

自分のことや自分の立場など後回しにして「まず人さま」の実践を心掛けることです。

 もう一つは「
人の為」です。私たちは法華経にご縁のない人々に教えをお伝えするという誓い(願い)を持って生まれ

て来たのです。自分が仏法により救われた喜びを人様に伝え、安心立命の本当の幸せになって頂くためにお導きす

るという一大使命があるのです。良いことも悪いこともすべての現象は仏さまの「すべての人を成仏させてあげたい」

という願いから出ている「はからい」なのです。たとえ一つでも、小さなことでも「人様のお役に立つ行動」をした時は

「知らず知らずのうちに仏さまに近づいているのですよ」と励まして下さっているのです。

 勇気と情熱を持って身近な人、縁ある人に法華経の教えを伝え、仏さまから計り知れない無量の功徳を頂きましょう。




功徳の出方

 ①して「やった」

 ②して「あげた」

 ③させて「もらった」

 恩は着るものであり着せるものではない

 善行も心の持ち方次第で功徳の出方は変わる

 功徳がもらえるのは③だけ

 ①②は功徳が逃げて行く



青年の輝きと行動力

 家庭に於いては青年期の子供たち、会社や組織に於いては若手社員の意見や発想に耳を傾け、思い切った行動を

認めてあげれば、若者は大いに奮起し成長し家も会社も発展します。歴史や伝統は尊いものですが、古い発想や伝

統に固執して若者の意見を抑える家庭や会社に発展は望めません。

 しかし、決して若者だけの年ではありません。壮年や婦人、ベテランの方でも「常に青年思想を持ち、物事を前向き

で明るく考え、青年の活動を認め、新しいことに協力的な人」は、天の後押しを受けて活躍し大きく発展出来ます。

 反対に若者であっても『消極的、後退的』に考え、行動力に欠ける人の運気は下がります。

 また心の中で願ったり、祈ったりするだけでなく、はっきり声に出して自分の考えを述べることが大切です。元気で

明るい声と発想を天は応援してくれます。家族にも友人にも縁ある人にも教えを伝え、振るえるような感動をもって

教えを伝えるとき、人も物もお金も仏さまが手配して集めて下さいます。小さな声での挨拶や気のない返事、元気の

ない発想はご法度です。心して明るく大きな声を発するよう心掛けましょう。運が上がってきます。

 まず自分が明るく楽しく振舞えれば、家庭も会社も明るく楽しくなります。そして、相手が明るくなれるように、楽しく

なれるように「自分の立場や自分のことは後回し」にして『まず人さま』の心で人の為に尽くさせてもらうことです。

そういう人を『菩薩、法師』と言います。法師は『仏さまが全力で守ってくださり、仏さまと同じように尊敬され、仏さま

と同様の最高供養が頂ける」とお釈迦さまが保障していて下さるのです。




魅力ある短所

 短所があるから謙虚になれる

 短所があるから努力が出来る

 短所があるから磨かれる

 短所は可能性を秘めた魅力

 短所は仏さまから与えられた個性の一つ

 卑屈にならず あるがままに輝ければいい



誰でも幸せになれる

  日本人は今、物が豊かになり、インターネットやスマホ等便利このうえない生活になったにもかかわらず、言葉に言い

現しようの無い不安や不満、孤独感に苛まれているのではないでしょうか。お金や物、地位や学歴だけでは本当の安心と

心豊かな幸せはつかめないことを漠然と感じながらも、良い方法が見つからず、日々の忙しさに流されている人が多いの

ではないでしょうか。

 本当の幸せは、互いに思いやり、お互いを気遣い、喜怒哀楽の中に家族や友人のぬくもりを感じられる人間関係ではな

いでしょうか。朝夕の挨拶だけの親子夫婦、食事が済んだらさっさと自分の部屋に閉じこもり会話のない家族、果ては家

族揃って食事をすることもままならい孤食、孤立の日常生活の方が増えています。同じ家にいながら、メールやラインで連

絡を取り合い、直接顔を合わせ声をかけることの無い生活、行き過ぎた便利な生活のエアーポケット、落とし穴に気付いて

いますか! あなたの家庭は大丈夫ですか?

 「人恋しくて寂しがり屋なのに、人間嫌いでわがままな人」が増えています。相手の悪い所(短所)ばかりが見えて、良い

所(長所)が見えていないからでです。好き嫌いや長所や短所も自分の個人的価値観(凡夫の物差し)であり、短所のあり

のままをまるごと受け止めていくのが仏知見(仏さまの智慧とものの見方)なのです。

 仏知見が身につけば誰でも幸せになれるのです。

 経典に「
目を閉ずれば即ち見、目を開けば即ち失う」とあります。普通とは反対です。目を開けば見えて、目を閉じれば見

えなくなるのが普通です。

 これはどういう事かと言えば、嫌いな人が目の前に居なければ、許せたり、寛大に考えることができても、嫌いな人が目

の前にいるとどうしても許せなかったり怒れたりする。また嫌なことが目の前にあると執われてしまい、不安や心配、不満

で心がいっぱいになってしまうという凡夫のものの見方です。

 仏教の教えとは何かを簡潔に言い表した教えがあります。

 ①諸悪莫作(いろいろな悪いことをしない) ②衆善奉行(たくさんの良いことをする) ③自浄其意(自分の心を浄らかに

する) ④是諸仏教(これが諸仏の教えです)

 誰でも知っている当たり前のことですが、実行は大変難しいことです。悪いことと分かっていても欲望や誘惑に負けてし

まうことは誰でもあります。老人に席を譲ったり、落ちているゴミを拾ったり、良いことなのに恥ずかしかったり、人目が気

になりできないこともあります。それは何故かというと、みんな自分が正しい、自分が可愛い、自分が良ければいいとい

う「我」で心が曇っているから、相手の良い所が見えない、良いことをする勇気が出ないのです。

 つまり「心が清らかにさえなれば」良いことも率直にできるようになり、悪いことは出来なくなります。ではどうしたら、「心

が清らかになるか?」簡単です。

 毎朝毎晩、仏さまに手を合わせ「
お経を唱える」ことを続けるのです。経典の一文字一文字は仏さまそのものであり、

計り知れない功徳がお経の中に集約されているのです。毎日欠かさずお経を唱えていると知らずのうちにお経の功徳で

心が柔らかくなり、煩悩の曇りが取れて今まで曇って見えていた嫌な人や嫌いなことが、きれいに見えてくるのです。誰

でも勤めや学校や家事に忙しい毎日ではありますが、たとえ一日一回でもいいのでお経を読む時間を作り出しましょう。

 もう一つは、自分の力に応じて「教えを伝える」ことです。教えを伝える解説の実践には計り知れない功徳があると経

典には教えられています。やりにくいことを頑張り、続けることが修行です。必ず目の前のすべての人と出来事が輝いて

見えるようになります。それが成仏ということです。



自分の存在価値

 自分の存在価値は人が決める

 人に喜ばれる行いをする

 人に役立つ行いをする

 傍の人を楽にする行いを「働く」という

 人のために働けば自然と楽しくなる

 人から必要とされ感謝されれば、生きている実感が感じられ

 生き甲斐という幸福感が湧いてくる




すべては自分が責任者

 必ず幸せになると覚悟を決める

 《自灯明 法灯明

 自灯明とは「すべての出来事は自分が責任者、自分のことは自分が解決する」ということです。存どんなことも人のせ

い、親のせいにしているうちは、運命に泣き問題解決はしないのです。病気も貧乏も人間関係の不和もすべては「自分

が責任者であると覚悟をし腹を決める」ことが肝心なのです。法灯明とは「教訓」のことです。

 自己責任とは自分の考えで勝手にやることではなく、真理という「法」つまり「仏さまの智慧とものの見方」を基準に自

分が行動するのです。どんな苦難にぶつかっても、あきらめず「必ず解決できるむ、幸せになってみせると覚悟を決める

こと」が運命好転の秘訣です。「転んだらすく起きる。起きたらすぐ走る」「死ぬまで生きる」が開祖さまの教訓であり、教

えです。如何なる難問題や失敗に遭遇しても自分で起き上がり、最後まで全力を出し切る。この世で起こった問題はこ

の世で答えが出ます。自分の力で解決できない問題はやってこないのです。

 子や孫に我が家の因縁、過去の教訓をしっかり伝え、「まさかの出来事」に備え、因縁を乗り超える為の「法と徳積み」

の大切さを伝え、親がいなくなっても幸せを築いて行けるよう法灯継承して行きましょう。

 《常住此不滅、《常住此説法

 しかし、私たちは孤独な一人ぼっちではありませか。お釈迦さまは「いつでもあなたの傍にいて守っているのですよ。い

つでもあなたの傍にいて幸せになれるよう教え導いているのですよ」とおっしゃって見えます。

困った時 苦しい時は、辛抱せず仏さまを心から念じ、信じる師や生み育てて下さった親の懐に飛び込んで、辛い心のう

ちを全部さらけ出して聞いてもらいましょう。心の奥底に溜まっている不安、不信、悲しみ、苦しみ、憎しみという泥水を全

部出し切れば、「感謝、感動、感激、生きている喜び」というきれいな水で心が満たされるようになります。そしてこころを楽

にしましょう。きっと幸せになれます。



役目を果たす

 誰にでもいくつかの役目があります。家庭や会社、社会において十役ぐらいこなせるようになると「重役(尊敬される人)」

になれるのです。あなたはいくつぐらいの役目や用事を与えられたらイライラしますか? 怒れてきますか? いっぱいいっ

ぱいになってダウンしますか?

 いくつかの役目が喜んで楽しんでこなせるかが、自分の実力です。会社や親や人のせいではありません。自分の人生は

自分が責任者です。もし二つや三つの役目で体力や心がパンクするようなら、まだ実力が足りない、今日までの人生の鍛え

方が足りなかったと自覚できれば勇気が湧いてきます。

 鉄は熱いうちに打て、独身時代にどれだけ親や家族の役に立ってきたかを振り返りましょう。学生時代、家のお手伝いはど

れくらいしてきましたか? 社会人になって家にお金は入れてきましたか? 炊事や洗濯、トイレ掃除、車洗いや買い物の荷

物運び。お風呂掃除やお湯張り、自分の部屋は当然のことを玄関や居間の掃除、灯油入れ、等家族として果たす役割は沢

山あります。

 朝夕の挨拶はしていましたか? 行先や帰宅時間の予定を告げていましたか? 人として大人としてのマナーも大切です。

立派な人や地位のある人ほど行先や予定を明確にして出かけます。会社の社長が何時間も行先が分からないこと等無いで

しょう。総理大臣の行動は毎日の新聞に発表されます。「子供扱いするな」と若者は言うでしょうが、家族や人に心配を与え

ないことが一人前の大人としての最低限のマナーです。

 そして人からあてにされるようになってこそ一人前の大人なのです。五十才、六十才の大人子供もいます。十九才、二十才

でも立派な大人もいるでしょう。

 休日には寝たいだけ寝て、遊びたいだけ遊び、バイト代や給料は自分のことだけに使い放題、優雅に暮らすお坊ちゃん、

お嬢ちゃん生活はして来なかったか! もし何もやっていなかったら、今からでも目覚めることです。気が付いた時が出発点

です。人生いつ目覚めるか。若い頃か、中年か老後か、早く目覚めれば早く幸せがやって来ます。遅くなるほど辛くなります。

妻(夫)、嫁(婿)、母(父)、主婦(主人)、女性(男性)・・・の役目が果たせる実力がなかったら幸せな家庭は築けません。

 早晩離婚かDV、育児放棄か幼児虐待に陥ってしまいます。子育ての要点は、少しでも世の中のお役に立てる人に育てる

ことです。子供のうちから、年令や能力に応じて役目を与え、年相応の役目が果たせるように工夫する力、粘り強さ等、人間

力と徳分を身に付けさせ、自立した人生を送れるようにすること。



オシャレ上手

 
オシャレ上手は生き上手

 お洒落とはお金を掛けて着飾ることではない

 手を掛け 心を掛けて物を大切に扱い、

 行動や言葉で好感を与えるのが本当のお洒落

 靴一つを脱ぐ

 その脱ぎ方にお洒落がある

 お洒落とは、正しい心で正しい行動をし 正しい言葉を使い
 
 正しい生活をすることです




明るく楽しく

法華経は菩薩となり 仏となる教えです。そして、家庭や社会を極楽、楽園にする教えです。そのためには何時も笑顔で自ら

が「明るく楽しく」なければ人は導けません。

 しかし開祖さま(真生会)の人を和ませ、人を引き付ける笑顔は、ただニコニコしておられるという表面的なものではありませ

ん。あの笑顔の裏には想像を絶する大苦労を常に前向きに受け止められ、「足踏みしても後退しない」という不屈の精神、途

絶えることのない不断の実践があるのです。教母さまが入寂されました時も「転んだらすく起きる。起きたらすぐ走る」と悲し

みにくれる私たち信徒を引っ張ってくださいました。晩年、病を得られた時も「死ぬまで生きる」と最後の日までご信者さんに

会い続けられ、ご法に対する求道と情熱の一生でした。そして、厳しい修行の中にも「失敗は仕方がないが同じ失敗は二度

と繰り返さない。済んだことをいつまでもくよくよしない。あっさり すっきり さっぱり 」が開祖さまの生き方です。そして「次は

必ず喜んでもらおう」という絶対肯定の生き方でした。私たちも開祖さまの弟子として、気磯さまの歩まれたご法実践の真似

をすればいいのです。真似とは真に似ると書きます。続けていれば必ず本物に近づきます。

 皆さん苦労が大きければ大きいほどやってくる幸せは大きいのです。谷が深ければ深いほど山は高いのです。「バネはよ

く縮んだ後によく伸びる。人生もよく忍んだ後に大発展する」と教えて戴きました。

 開祖さまの信仰姿勢は「質直柔軟、一心欲見仏」ご法に対する情熱と率直さ、仏さまの心理をどこまでも学ばさせて頂こう

という「求道」と師に対する徹底した「師長恭敬」であります。そして、ご法流布には手まめ 足まめ 口まめでした。

 私たちも得意な方法で教えを伝えさせてもらいましょう。それが、み仏さま 開祖さまへの最大のご恩返しです。



成功の秘訣

 成功の秘訣は自分の好きなことをする

 好きなことの一番難しいことにチャレンジする

 好きなことなら辛抱できる

 苦労した分だけ人間力が強くなる

 気遣いは人のためにならず

 相手に華を持たせる

 「ありがとう」の五文字に幸せ無限大



忍の功徳

 忍の功徳は万膳万行に勝る

 我慢ではなく辛抱が大切

 我慢は「我が慢心」

 自分が正しいという驕りと

 相手に対する怒りがある

 辛抱は「辛いことを抱く」

 ありのままを受け入れ

 相手を許し優しく包み込む

 辛抱すれば心棒が強くなる

 何事にもぶれない

 コマも人生も心棒(辛抱)が

 しっかりすればよく回る



心と生活の手入れを怠らない

 お諸経中の王と呼ばれ、無名の闇を切る大利剣と言われる最高に尊い法華経の教えも、二年も三年も法縁を遠ざかり、

教えを聞いて心を磨き日々の生活を整え、教えに叶った行動をしていないと考え方や価値観が、愚痴、不足、怒り、貪りの

凡夫の心に劣化してしまうのです。

 人生は「諸行無常」です。時代も世の中もどんどん変化して止まることはありません。十年前は熱心にお参りした、去年ま

では毎週のようにお参りしていても、一年も遠ざかっていたら、信仰浦島太郎です。常に尊敬する先生や師に添削を受けな

がら心を磨き、行動の軌道修正を怠らないようにすることが大切です。あなたは最近師に近づき「聞・思・修」をしっかりやっ

ていますか。自己採点の信仰は要注意です。

 「すべては我が師」とは耳ざわりのよい究極の生き方ですが、よほどの徳人、人生の達人でない限り、生きた師を持たず

に自分を磨くことはなかなか難しいことです。人間は地位が出来たり調子がよいとすぐ有頂天の慢心になり、反面ちょっと

思うようにならないと落ち込んで卑屈になってしまいます。師に添削を受けるということは「はい」と率直に下がれる人、謙

虚になれる人を持つということなのです。常に学ぶ姿勢があってこそ人生は向上するのです。

 法華経は優等生、一流の人間になる教えであります。優等生や一流の人は失敗や思うようにならないことを「人のせい」

にしません。世界の一流スポーツ選手は負けたり失敗してもコーチや自分以外の人のせいにしません。「もっと練習をして、

自分を磨いて修正して次の試合に臨みます」と悔しさやふがいない思いは自分に向けられるのです。若くても世界の一流

選手と言われる所以です。

 釈尊は「生死事大なり、無上迅速なり、心を緩くすることなかれ」人生はあっという間に過ぎ去っていくと、油断や怠慢を

戒めています。贅沢で怠慢な生活になると煩悩が起きる。反対に質素、早起き、勤勉努力が煩悩の起きない生活につな

がると教えています。俗にいう「早起きは三文の徳」「朝飯前の働き」が大切なのです。まずは、生活リズムを整え、怠慢

、怠惰のマンネリ化した生活から抜け出し、自分の心を磨き上げメリハリのあるライフスタイルで明るく躍動感あふれる生

活を心掛けましょう。



初心の力

一生懸命やってけど

目的が分からなくなった時 慢心になって

有頂天から谷底に落ちたとき

頑張ってもがんばっても

成果が上がらないとき

初心を思い出してみよう

何のためにこの仕事を始めたのか

きっとエネルギーが湧き出る



報恩の心をつなぐ

 
仏さまご先祖様と命をつなぐ

 生新盆、旧盆の季節がやって来ました。八月の旧盆には、海に山に海外に日本人の民族大移動が始まります。

 世界屈指の幸せな国、日本。でもちよっと待って下さい。大切な事を忘れてはいけません。お盆のお墓参りは、私たち

とご先祖様の「心をつなぎ、命をつなぐ」大切な仏行です。必ずお墓参りを済ましてから出かけるよう、今から家族で相談

しましょう。「報恩の家は栄え、防恩の家は滅ぶ」のが永遠の真理であり、世鉄則です。

 特に今年は、太平洋戦争終戦七十年の大きな節目の年です。今日の日本の繁栄も各家庭の幸せも、お国や家族の

為に亡くなった多くの方々の尊い命の犠牲の上に成り立っていることを忘れてはなりません。

 どの指も親指と繋がれば、輪(丸)が出来ます。輪とは平和であり、お金のことです。つまり、心が通い合えば家庭が
 
平和になり、経済には困らないのです。信仰においては会長先生、開祖様 教母さま、仏さまへとつながってこそ師力、

仏力が戴け、家庭においては親、ご先祖様につながってこそ親の力が戴け、会社においては社長や創業者の心につな

かってこそ、社内の和が保たれ 業績が伸びお金にも恵まれるのです。

 もし、家庭の円満や職場の和が欠け、経済や経営が苦しいのであれば、どこかで親や社長と心のつながりが細くなって

いるか、途中で切れているのです。ちゃんと仏さまでつながる信仰に目覚めれば、必ずご守護がかかります。輪(和)が欠

ければどれだけ一生懸命働いても、努力しても平和とお金は抜けていきます。


 亡き親と心をつないだ大きな功徳の実話があります。

 かって真生会の柴垣聖祖様の実弟が鼻の癌に侵され、鼻がつまり呼吸も苦しく日毎に病状が悪化しつつありました。

病院を見舞われた先生は弟さんに「私たちが小学校の頃、父親が自殺し、兄弟別々に親戚に預けられ、辛くひもじい生活

を強いられて来たが、私は法華経の教えに出会って親の恩に目覚めることができ、今の幸せを迎えることができた。お前

も亡き父のことを思い出して感謝の心を起こせば必ず父の想念が守ってくれる。これから私が妙法で拝むから、心の中で

亡き父親の姿を思い浮かべ、親父さん親父さんと父を呼び続けなさい」と説法され、清水で絞ったタオルで額から鼻にか

け、妙法を唱えて患部を何度も拝まれました。(水は汚れを清める浄行菩薩の働きがあります)

 翌日、弟嫁から電話があり、「お兄さん昨日はありがとうございました。主人は兄さんが帰られた後、『俺は父親に捨てら

れたとずっと恨んでいたが、本当にすまんことであった』と懺悔の涙を流しておりました。すると突然鼻から恐ろしいほど大

量の膿血が流れ出ました。そうしたら、不思議なことにつまっていた鼻が通り、嘘のように息が楽になりました。主治医も不

思議がって驚いていましたが、この分ならもう大丈夫でしょう。二、三日で退院出来ます」と感謝の報告がありました。

 ここに医学を超越した報恩の力、妙法経力の不可思議、親への感謝の想念という計り知れない偉大なるご守護の事実

が存在するのです。お盆の時節ほ迎え、今こそ一人ひとりが『今日あるは親のお陰と感謝して』の真理に目覚めた報恩の

生活に徹しましょう。奇跡は必ず起きます。





著 田中偉仁  田中庸仁

 

T O P