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足ることを知るのが豊かな心

 分かち合いの世の中を目指して

 

 お釈迦様は『三法印』と言う仏教の根本原理を説かれました。

 三法印とは

諸行無常

 この世の中のすべての現象は常に変化し、移り変わっていく。同じ状態であり続けるものは存在しない。だから目

の前の小さな現象の変化に動揺しない。

諸法無我

 この世の中のすべてのものごとは、必ず他のものとつながっていて単独で孤立しているものはない。互いに支え

ら れ影響しあって存在しているのだから、お陰さまの心を忘れない。

涅槃寂静

 現象やものごとにとらわれることなく、迷いや心配、悩みと言う人生が無くなり、心が平穏で安定すること。どんな

ことでも感謝で受け止める心になれば苦は無くなるものです。

 

 この真理が理解できないと目の前の現象に振り回され一喜一憂し、すべての事が苦の種になる『一切皆苦』と言

うのです。これを加えて「四法印」と言います。

 政権が交代し、連立政権が動き始めました。諸行無常、善いことも悪いことも同じことは長く続かない。政権も同

じです。世の中が大きくなって時節を迎えたのですから、私たち一人ひとりよりも良き方向に切り替わっていかなけ

れば時代の流れに取り残されてしまいます

 「コンクリートから人への投資」と政策の中心が大きく切り替わろうとしています。社会福祉に多くのエネルギーと

予算が注入され、福祉が目白押しです。

 しかし皮肉なもので、福祉が整うほど、感謝よりは当たり前になって人々の不満、不公平感が高まって来てはい

ないでしょうか。福祉や弱者救済は善いことですが、当たり前になったり、豊かな人が助けてやるんだと言う上から

目線、 驕慢になることが、世の中を世知辛い、心貧しいギスギスした社会にしてしまうのです

 今こそお互いがつながりあい、未来と現在がつながりあい、老いと若きがつながりあい、共生共存のお陰さまの人

生である事が自覚できれば『涅槃寂静』の安心と安全、やすらぎの社会が出来るのではないでしょうか。

 

 昔から『ただほど怖いものは無い』と言います。何でも無料化、何でも無償化、何でも補助金とあぐらをかいてしま

っら、どこかでしわ寄せの付けが回ってきます。

 仏教は第一に『布施の心』を教えています。智慧ある人は智慧を、財のある人は財を、健康な人は体力を、優しい

心 、思いやりの言葉、ぬくもりのある笑顔など、どんな人でも何かを施すことが出来るはずです。欲しい欲しいの乞

食根性から、自分の出来ることで施しをすることが大切なのです。

 開祖さまは、お金が無くても大いに人様に尽くす心を持った人が「お大尽」であり、真の徳人だと教えられました。

 開祖さまの師匠である栗山聖祖様は、幼い時ケガをされて一生足が不自由でしたが、一切の補助金や障害者

の優遇は辞退され、逆にご法を通じて仏様のことに功徳を積み、人様に施し、多くの健常者の方々を物心両面で

支援されました。体は不自由でありましたが、多くの方々からの信頼と尊敬は絶大なるものでした。

 苦しい時、困った時は補助や支援をもらってもいいのですが、それが当たり前にならずに、きっと何時かは自分も

人様を応援してあげられる人間になろうと言う志が大切なのです。

 勝組も負け組みありません。皆が助け合い、有る物を分かち合える世の中こそが仏さまが説かれた「寂光浄土」

真の平和社会なのです。

 「教え無き者は禽獣に等しい」自分の事しか考えない人には、真の安心立命の人生は訪れません。

 しかし、現代社会で生活を営む限り、誰しも損得中心、ギブ&テイクの欲得生活からは離れることはできません。

物や財の有る無しにかかわらず、分かち合いの心が起き、豊かな心の人生が送れるには、毎日仏様、ご先祖様

に手を合わせ感謝のお経を上げ、月に一度はお参りし法話を学ぶこと以外にありません。

 

 

今ここが輝く仏さまの世界

   成長と気付きの人生!

 

 十二月八日は『成道会』といってお釈迦さまが悟りを開かれた大切な日です。

 魔王(心の迷い)を退治したお釈迦さまは、本格的な瞑想に入り、明けの明星の輝きとともに、ついにお悟りを開

かれ『仏陀(目覚めた人)』となられたのです。

 悟りとは、深い禅定に入ると全く澄み切った無我の境地になり、すると真理がなんの妨げもなく心に流れ込んで、

真理そのものと合致してしまう状態です。

 すると、万物の姿の実相がありありと見えてくるのです。

 そしてその時、仏陀は、次のように仰せられました。

 奇なるかな。奇なるかな。一切衆生ことごとく皆如来の智慧と徳相を具有す。ただ妄想・執着あるを以ってのゆえ

に証得せず

 意訳すると、

 「不思議だ。不思議だ!すべての人には如来と同じ智慧と徳相が備わっている。

 しかし、仮の現れである自分のからだが、自分自身であるという妄想を持っていて、そして目の前の現象に執着

しているために、自分自身が『永遠の生命』であることを悟ることが出来ないのです。」

 お釈迦さまは一番最初にお悟りになられた『永遠の生命』をすべての衆生に悟らしめるために、相手に応じて手

を変え品を変え八万四千もの教えを説かれたのです。

 そして、一番最後の亡くなる直前に説かれた法華経も『永遠の生命』がテーマでした。

 仏さまは『永遠の生命』を悟られたので、迷いの無い安楽の境地に到達されましたが、私たち凡夫は、目の前の

現象に執われ、心が定まっていないのでも一喜一憂し、六道地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人間界、天上界

を輪廻(ぐるぐる回っている)しているのです。

 『永遠の生命』に直結するには、腹をすえて苦から逃げず、ありのままを受け入れ、なった事を喜ぶ、すべては自

分の成長と真理の気付きのために必要なことが与えられているのだと腹をくくることなのです。すると真実の姿が

見えてきて、目の前の現実がストーンと腹に落ちるのです。

 煩悩ありといえども、煩悩なきが如く、生死に出入すれども怖畏の想なけん

 意訳すると、

 「心の底に煩悩が残っていても、全く煩悩が無いのと同じ状態に達し、人生の途上においてどんな重大な変化に

あおうとも、恐れたりびくびくすることがない」煩悩や苦しみから解き放たれて、自由自在な境遇になれるのです。

 どんな出来事も、どんな人間関係も、「不思議だ、不思議だ。すべてが仏さまのお慈悲に満ち溢れている・・」と気

付けた時、今のありのままの極楽世界になるんるのです。

 

 

自分自身を輝かす

 人は私に出会って仏になる

 

 不況、失業、就職難、政治不安に凶悪事件など、世の中は暗い話題ばかりですが、「新年、明けましておめでと

うございます」の本当の意味は、《新年にあたり明るい方を向いて新しい芽を出したく思います》というプラス思考の

お誓いなのです。

 法華経は陽気の教えです。何事も明るく考え、前向きに考えるのが妙法です。だからご本尊様を祀るときは太陽

の昇る東向きか太陽の動いている南向きに祀ります。何があっても常に明るい方を向いておられるのが仏さまの

姿であり、信仰者の取るべき姿なのです。

 明日と言う字は「明るい日」と書きます。だから、きっと明日は明るい日と決まっています。でも本当は、明日は永

遠にやってきません。目が覚めた途端に今日なのです。

 だから、今日一日を楽しく考えることが幸せへの道です。いくら明日が明るくても、今日一日を不足不満に思って

暗く考えたら、幸せではありません

 「上見れば欲しい欲しい星まるけ、下見て暮らせ、星の気(欲しいの気)もなし」といいます。過ぎた過去はどんな

に悔いても戻りません。まだやって来ない未来を案じてみてもどうしようもありません。

 

自分自身を輝かす、人は私に出会って仏になる

 私たちはすべて仏の子であり、仏さまと同じ魂を持っているのです。その宝の珠である仏性に気付き、輝き出し

た時にこそ、人生は生きがいのあるものとなります。

 仏さまは「我常に力して法を説く。我常に楽って法を説く」と言われました。常にとは「いつでも、どこでも、だれ

にでも」力して楽って法を説くとは「力いっぱい、楽しんで実践をする」ということです。

 どんなことも楽しんで、力に応じて精一杯実行すれば、必ず自分自身が輝いてきます。周囲の人たちは、生き生

きとし喜びと生きがいに輝いている私を見た時、魅力を感じ、「私もあの人のようになりたい」と思うはずです。

 人間はもともと悪い人はいません。縁に触れて良くも悪くもなるのです。よき縁に触れさせすれば、仏性の輝き出

した私に出会いさえすれば、すべての人の仏性も輝きだすのです。

 「そんな素敵な私になりましょう」と言うことが、「人は私に出会って仏になる」と言うことなのです。

  病気でも、障害があっても、貧乏でも、学歴がなくても、失敗しても、自分をつまらない人間、役に立たない人間で

あると思ってはいけません。仏さまはこの世の中に不必要なものを生み出させることは決してありません。

 無理して自分を磨かなくてもいいのです。気付けがいいんです。私にも人にも仏性があると言うことに・・・。

 自分自身を輝かすということは、自分につながるすべてのご先祖様の魂が輝くのです。そしてすべてのご先祖様

が喜んで応援してくれるのです。

 反対に自分を否定すると言うことは、今日自分を生み出してくれたご先祖様のご苦労やDNAをすべて否定するこ

とになります。そこにはご先祖様のご守護はかかりません。

 「天は自ら助くる者を助く」天は、他人に頼らずに自力で努力し、道を切り開こうとする者を助けてくれるという言葉

がありますが、自分の存在を肯定し、仏さまから頂いた尊い生命と身体に感謝し、ありのままの自分を受け入れ、

かけがえのない自分自身の存在に誇りと自身を持てた時、宇宙は大きな力で護り応援してくれるのです

 

 自分を改革した人に天は味方します。妙法の教えは人間改造の教えです。一回でも多くの法縁に足を運び、引

っ込み思案の私、マイナス思考の私、自信のない私、なげやりな私を思い切って改造しましょう。きっと見違えるよう

な、すばらしい人生が訪れ始めます。

 

 喜べば、喜び友が喜んで喜び運んで喜びに来る

 

 

ありがとうにありがとう

 限りない感謝の輪が広がる

 

 勉強している最中に誉められると、脳の中でドーパミンと言う化学物質が放出され、もっと頑張ろうというやる気

が起こってくるそうです。

 「勉強が好きで好きでしょうがない子供などいない。試験や宿題のある学校へ行きたいわけではない。『今日も

親の顔を立てて学校へ通ってくれてありがとう』と玄関の外まで出て、後姿を感謝し拝んで送り出さなければいけま

せん親が拝んで送り出す子は、優等生(誰にでも優しく平等に生きる人)になります」と開祖様に教えて戴きました。

 夫が勤めに出かける時も同じことです。妻が表まで出て合掌して送り出す主人は、会社でも尊敬される存在にな

るのです。

 

 「有り難う」の連鎖は「有り難いこと」「有り得ることが難しい、有り得ないような奇跡のようなこと」が起こってきます。

 どんな小さな、些細なことにも心から「ありがとう」と言いましょう。「ありがとうと言ってくれたことにありがとう」とい

いましょう。それが奇跡を起こす、小さな、しかも確実な種まきです。蒔いた種は、必ず時期(仏さまが見られてあな

たにとって一番必要な時)が来ると芽が出ます

 仕事でも、お手伝いでも、お役目でも、ご奉仕でもやって頂いたことが当たり前になってはいけません。感謝の心

で「ありがとう」と言いましょう

 反対にしてあげた方も、私を信頼して「させてくれて、ありがとう」と言いましょう

 もし、心の底から言えなくても、言葉に出してありがとうを演じましょう。一生懸命演じれば感動を与えます。

 どんなことにも、誰にも「ありがとう」と言葉に出してありがとうを演じていると、本当に有り難く思えるようになり、

有り得ないような奇跡が起こります。

 障害のある子供さんを持つ親さんが葛藤の末「私の子供として生まれて来てくれてありがとう」と心底から言えた

時、また障害を持って生まれてきた子供さんが「私をあなたの子供として生んでくれてありがとう」と心から思えた

時、運命が180度変ったという現実も数多くあります。

 人を愛し、自分を愛し、自分の運命を愛する人は、必ず幸せになります

 当たり前に思っている今ある幸せに気付きましょう。そうすれば「自分はもう救われているんだ!すでに幸せを頂

いているんだ」と感動と喜びで一杯になります。

 毎日声に出して言いましょう!

① 今日も新しい命をありがとう

② 今日も健康ありがとう

③ 今日もすばらしい出会いをありがとう

④ 今日も楽しい仕事をありがとう

⑤ きょうもあなたにありがとう

⑥ 今日もすばらしい家族をありがとう

⑦ 今日も自分にありがとう

⑧ 今日も一日ありがとう

⑨ 今日もすべてをありがとう・・・・・

 常不軽菩薩は「ありがとう菩薩」です。

 

 縁ある人はみな仏さまがお遣わしになった人。だから「すべての人にありがとう」

 すべての人は、仏さま(宇宙)の一部であり、目であり、鼻であり、手であり、足であり、胴体であり、小指であり、

爪なのです。一つとして不要なものはありません。役目が働きが違うだけです。

 苦を与える人、イヤなことを言う人は私に忍の心、許す心を学ばせてくれる仏さまのお遣いの人です親切にし

てくれる人、優しくしてくれる人は私に感謝と喜びの心を芽生えさせてくれるお遣い人です。どちらも同じ仏さまの

お遣い人です。

 だから、すべての人にありがとう!

 ありがとうにありがとう!

 笑顔で明るく、ありがとうございます!

 沢山のありがとうが・・・・・

 沢山の思いやりに変ります。

 沢山の優しさに変ります。

 沢山の感謝に変ります。

 ありがとうの魔法の言葉は、自分に魔法がかかります。

 どうぞ・・・どうぞ・・・沢山のありがとうを伝えましょう。思いがけないありがたいことが起こり始めます。

 「ありがとうの限りない感謝の輪が広がる」そんな家庭、そんな毎日に平和と幸福が訪れます。

 

 

本当の幸せ

 みんな違っていい、みんないい

 みんな必要な人ばかり、全部必要なことばかり

 仏さまから頂いた個性を輝かせば、みんないい

 今現在が救われている、今この時が幸せ

 今が喜べばそれでいい

 過ぎた過去は戻らない、まだ来ない未来はわからない、明日の自分はわからない・・・

 だから願わない・・・ 求めない・・・

 すべては仏さまのお計らい、仏になるためのお計らい、自分の中の仏に気付くためのお計らい

 過ぎた過去は投げ捨てよう! まだ来ない未来を心配することをやめましょう!

 今が幸せ、今が奇跡の連続

 今が喜べば、明日は喜びになります

 今の喜びの積み重ねが未来の幸せになります

 出会いは宝、仏さまからの贈り物

 すべての出会いを「出愛」にしよう

 求める愛は苦しい

 与える愛、尽くす愛が本当の愛

 願うから・・・求めるから・・・ 悩み苦しむ

 だから願わない・・・求めない

 すべての出会いと出来事は仏さまのお計らい

 自分の力でやっていると思うけど、全部仏さまの計らいでやらせてもらっているのです

 努力は大切、でも人間の力は小さな力

 願っても求めても

 どうにもならないことは放り投げよう

 自分がいいと思うことが実現するのではありません

 仏さまが必要と思われることが実現するのです

 今日を喜び、今を感謝し、やるべきことをやっていれば願いや夢は実現します

 願っても求めても、どうにもならない時は 何もしない、あわてない!

 一日グタグタ、ボッーとすればいい

 そのうちにきっとスイッチが入ります

 すべてが吹っ切れて、すべてを明るく美しく考える仏さまのスイッチが入ります

 いつでも、どこでも、誰にでも 笑顔でいられるスイッチが入ります

 あせらず、あわてず、その時を待ちましょう

 大丈夫! 誰にでも仏さまが付いてみえます

 みんなが仏さまの子なのだから!

 自分のことを願うのをやめましょう

 自分のために求めることをやめましょう

 そうすればきっと楽になります

 自分のしてあげられることは何でしょう

 相手の幸せのために自分が何かをしてあげたい そう思えばすべてが楽しくなる

 相手が応えてくれるかどうかわからない

 相手は変えられない、変えられるのは自分だけ

 尽くしてあげたい、幸せにしてあげたい

 そう思えばすべてが楽しく毎日がワクワクする

 してもらえることは楽だけど してあげることは楽しい

 願うこと、求めることはやめましょう!

 してあげたい、させてもらいたい

 そんな人生は最高です

 マラソンでゴールする寸前は一番苦しいもの

 山登りでも頂上に近づくほど一番苦しい

 だから、ゴールした、登り終えた瞬間が、ものすごい喜びに変ります

 苦しみが幸せに変ります

 必ず・・・必ず・・・大丈夫・・・仏さまが付いてみえます

 無理せず! あせらず! 悲しまず!

 気付きましょう! 自分のすばらしい可能性!

 守られている毎日、今この時に

 すべての出会いに感謝しましょう!

 幸せの道は感謝しかありません!

 

 

いつでも今日が出発点

 毎日が生まれ変りの人生

 毎日が生まれ変わりの人生です。だからいつでも今日が出発点です。

 朝の目覚めは生まれる時、夜寝る時は死ぬ時、毎日が新しい誕生と死の繰り返しです。毎日が生まれ変わって

います。毎日が死ぬための練習です。

 死に顔にはその人の一生が現れます。寝顔には今日一日の心境が現れます。そっと相手の寝顔を見てみましょ

う。

 苦しそうな顔、嬉しそうな顔?悲しそうな顔、穏やかな顔? 幸せそうなら「ありがとう、良かったね」苦しそうなら

「よく頑張ってくれてありがとう。心配しなくていいよ」と優しく声をかけてあげましょう!

 今日の終わりが、明日の出発点です。どんなに辛くても「ありがとう」で終れば、明日は「ありがとう」から始まりま

す。

 過ぎた過去は変えられない。しかし、まだ来ない未来は変えられる。今日一日、いま目の前の一瞬を大切に感

謝で受けましょう。未来は今日作られるのです。今日を喜べば明日も喜べる。

 毎日やり直しが出来るんです! 自分が実験してみましょう。

 喜べばどうなるか! いい事をすればどうなるか! 実感できたなら、なるほどと納得出来たら、人に話しましょう。

毎日が未知の世界、どうせなら楽しく過ごしましょう。

 愚痴や不足、批判や心配等ネガティブな思いでいると、幸運の女神も人も離れて行きます

 あなたはついていますか? ラッキーですか? あなたの周りに人は集まってきますか? 自分はついてない、

大切な人が離れて行くとしたら、知らず知らずのうちに愚痴が多いのです。意識して「ありがとう」と感謝の言葉を

言いましょう。きっと、運と人が集まって来ます。

 本物の幸せとは何でしょう?

・四合わせ・・・手を合わせ、言葉を合わせ、力を合わせ、心を合わせる。

・仕合わせ・・・仕えて、合わせる。如何に人様に仏様に合わせる事が出来るか、はい!と受け入れる事が出来る

か、笑顔で・・・

 苦難は幸福の門! 鬼の面を冠った幸運の女神もいます。色々な出逢いがありますが、人生はめぐり合わせで、

どのようにも変化します。だから、どんな出逢いがあっても大丈夫! ダイジョウブ! 大丈夫です!

 すべては仏さまのお計らいです。ありがとう! と受け止めれば、すべてが自分の味方です。

 人間は都合の悪い時、行き詰った時に、どういう行動を取るかで人間的価値とその後の運命が変わります。

 教えの無い人々は、仏さまの幸せになる真理と反対のことをやって苦しんでいるのです。

 人と過去は変えられない・・・

 自分と未来は変えられる・・・

 自分次第で・・・

 感謝すること、喜ぶこと・・・

 いつも笑顔を絶やさないこと・・・

 そうです!

 人生は『いつでも今日が出発点』 なのです。

 

 

心・・・コロコロ

 心コロコロ転がって

 心コロコロ変ります

 心コロコロぶつかって

 いろんな人とぶつかって・・・

 ぶつかるたびに丸くなる

 宇宙の仲で転がって・・・

 仲間の中で磨かれて

 丸い・・・円い・・・まるい心

 色んなご縁(円、演、遠、援・・・)を頂いて・・・

 今の私がここにいます 

 今のあなたがここにいます

 ありがとうございます

 その感謝の言葉で

 丸い・・・円い・・・まるい心の私になります

 宇宙の仲で転がって・・・

 太陽のように・・・

 月のように・・・

 地球のように・・・丸い・・・円い・・・まるい・・・

 そんな私の心であります様に・・・

 ありがとうございますの言葉は・・・

 優しい奇跡の言葉です

 ありがとうで 沢山の奇跡を呼んで下さい・・・

 きっと・・・必ず・・・やって来ます

 すべての出会いにありがとう・・・

 色んな事がありますが・・・

 笑顔を忘れずに・・・ですよ・・・

 

 

良い家庭が国を豊かにする

 まもなく国政選挙が始まります。雨後の筍の如く新党が乱立し、我田引水の他党批判ばかりが、日夜伝えられて

います。日本の将来のために議論をし、改めるべきは改め、協力するは協力するという挙国一致の姿が見えてき

ません。

 日本の国を良くする事よりも政権奪取が目的となり、党利党略のためにお互いが重箱の隅を突っつく、足の引っ

張り合いになっているの現実ではないでしょうか?

 国と家を書いて国家です。国家も大切ですが、国を下支えするのが家です。「社会は家庭の延長なり」トップの国

が乱れ迷走している今こそ、国家の基本である家庭を整えることが急務です。国の頭を考えることよりも、支える土

台である家庭の強化こそ「国家百年の計」であります。

 

Ⅰ 家庭を支えるには

家族皆信仰 国民皆信仰、家族みんなが正しい信仰心を持ち、「先祖供養」をしっかりすることが第一です。

どんな家庭にもご先祖様があり、そのDNA(遺伝子)と因縁、ご先祖様のご苦労と不断の努力の営みがあってこそ

今の家庭があるのです。

 「報恩の家は栄え、忘恩の家は滅びる」と言います。神仏やご先祖様に喜んで頂くためには「三つのご供養」が欠

かせません。

 亡き親に 手向くる徳は、利と敬と行の三つを欠ぬべかりけり

 利供養とは

①毎日、飯・水・茶をお供えする

②季節の果物、故人の好きたった食べ物等をお供えする

 習慣儀礼になって、無理をして仕方なしにするのではなく、出来る範囲でいいので、神仏や恩人、亡き親が今ここ

におわす(お見えになる)がごとく真心のこもったお給仕をすることです。

 

 敬供養とは、

① 朝晩感謝の読経供養

② 例月供養(毎月の感謝の浄財供養)

 夫方と妻方それぞれの「○○家先祖の霊」、両親の追善供養(親が健在ならば生霊供養) そして家族の健康や

生霊供養を浄財として毎月お供えすることです。

 祈願と供養は違います。特に先祖や故人に対する感謝のご供養は絶対に欠かせません。

祈願とは お願い事に対する徳積みです。病気平癒、健康回復等 特定の目的達成を願い、ご守護頂けるよう一

定期間集中的にする徳積みです。

供養とは 今日守られていること、今日当たり前の幸せに対する感謝の徳積みで、漢方薬かサプリメントのようなも

のです。

 

すべての生き物の中で恩を知り、恩を返すことが出来るのは人間だけです。神仏から与えられた特権であり、万物

の霊長と言われる所以です。「恩知らずは乞食の相」と言って、どんなに努力をしても本当の幸せはつかめません。

 人の間と書いて人間です。自分ひとりの努力や頑張りには限界があります。父という人 母という人の間に生ま

れ、多くの人の間で活かされているのが《人間生活》です。大事業を成し得た人は、必ず自力を超えた神仏のご守

護と多くの人に対する感謝の心を忘れていません。人は恩を知り、恩に報いるになった時初めて生物「ヒト」から

「人間」になるのです。

 独身者でも、社会に出て働き出したら、自分の収入の中から力に応じて「先祖供養と親元に生活費」を出せてこそ

天から一人前と認めてもらえ、ただ食うため自分が生きることのためだけに働くなら、動物や虫けらと変りません。

動物や虫並みの幸せしか得られません。

 

行供養とは

①人のために役立ち、人に喜んでもらうこと

②自分自身が喜んで生活すること

 

 仏教で言う善行とは人を教えに導き、自らも教えを実践すること以外にありません。それ以外は、単に良い行い

なのです。

 人の手助けをしたり、金銭物質で応援することには限界があります。

「人に役立ち、喜んでもらうこと」とは、永遠の真理であるご法をお伝えし、教えにお導きし、一生困らない仏さまの

智慧、普遍の真理をつかんでもらうことです。

 また「自分自身が喜んで生活すること」とは、仕事を喜び、スポーツや趣味、旅行を楽しむことではありません。

それは自分の快楽に過ぎません。感謝の心で妙法の教えを実践し、人様にご法をお伝え出来ることを喜ぶ「法悦」

の悦びをいうのです。

 

 次に家庭を整えるために大切な言葉

Ⅱ 家庭は人格向上と子孫繁栄の道場

 親子夫婦、二世帯 三世帯が共同生活をするなかで、認めあったり、許しあったり、協力したり、辛抱したり・・・家

庭はお互いを磨きあう人格向上の道場なのです。生物的な種の保存、粗製乱造ではなく、信頼と尊敬の温かい絆

の中で「良い子を生み育てる」ことによって、家庭も安泰となり、子孫が繁栄し国力が増すのです。

 

Ⅲ 夫婦仲良くが子育て家庭円満の基

「夫婦仲よく」が子育てのすべてです。大金持ちになり、豪邸に住み、高級車に乗り、地位や名誉が出来ても、子育

てに失敗したら地獄です。

① 夫婦が一日一回以上、お互いに「ありがとう」と感謝の言葉をかけ合うこと。

② 夫が出勤する時、玄関の外まで出て後姿を拝んで送り出す。

③ 子供が登校、出勤する時も、玄関の外まで出て後姿を拝んで送り出す。

 

 子供は両親がお互いに認め合い、いたわり合い、感謝の言葉をかけ合う姿に温かい絆と安心を感じ、尊敬心を

持ちます。家庭が安らぎの場、癒しの場と感じる子供は非行に走ったり、行き詰ったりしません。子供から尊敬され

る親になってこそ、親に喜んでもらおうという良い子が育つのです。

 子は「親の後姿を見て育ち」、親は「子供の後姿を拝んで育てる」ことが基本です。

 親に拝まれて育った子どもは、どこに行っても人から拝まれるように大切にしてもらえ、妻から拝まれて出勤する

夫は必ず、出世して行きます。

 親の思い通りに育てようと思うと、苦が生まれ悩みが生じます。その子の特性を見抜き、活かし、伸び伸びと能

力を発揮させてあげることが本当の子育てです。胎内教育と幼少期の家庭教育が子供の性格と一生を決定付け、

国の将来を決定するのです。

 

 

ほんとうの愛

 愛には色々な形があります。

 親子の愛。

 仕事への愛。

 友達への愛。

 家族への愛。

 夫婦への愛・・・

 愛するとは・・・?

 愛には、

 慈愛と渇愛があります。

 あなたは

 どちらの愛ですか?

 愛する方法も色々あります。

 求める愛は・・・苦しい

 尽くす愛は・・・うれしい

 見守る愛は・・・優しい

 突き放す愛は・・・あたたかい

 信じる愛は・・・力強い

 ゆるす愛は・・・安心感がある

 

 相手ををそっち包み、

 相手のことを想い

 自然にさりげなく尽くす愛は楽しい

 自分のことだけを思い

 求め続ける愛、見返りを求める愛は

 とても苦しくなります。

 あなたの愛はどの愛ですか?

 

 

豊かな家庭と豊かな老後を迎えるには

 

楽しい家庭を作るには

 夫婦仲良くと良い子供を育てることが第一です。良い子供を育てるには、お母さんのお腹にいる時からの胎内教

育「胎教」がとても必要です。十月十日の妊娠中と「三つ子の魂百まで」生後三歳までの家庭環境と育て方で「一生

の青写真が出来てしまうのです。

 胎教中は、夫婦で拝み合い、妊娠五ヶ月を過ぎて「腹帯をする時期」が来たら、夫が毎日、毎日奥さんのお腹に

「さらしの腹帯」を真心込めて巻いてあげることです。

 夫婦の思いやり、夫婦愛が赤ちゃんに伝わり、安心して成長し、心優しい、思いやりのある子供に育ちます。夫

の愛情に包まれた奥さんの精神的安定や体調安定のためにとても大切です。

 そして、お母さんが毎日何回も妙法を唱えながらお腹をさすり、赤ちゃんに語り掛けることです。

①この子が率直できれいな心を持つ人間になりますように。

②この子が道理に従う人間になりますように。

③この子がすべての人と仲良く出来る人間になりますように。

 生まれてからは、手間隙と愛情を充分かけ、後ろ姿を拝んで育てることです。

 0歳児から保育園に子供を預け、母親が働き出る家庭が多くなりました。子育てや教育費には莫大なお金がか

かります。

 しかし、子供はお金や物で育つものではありません。母親の温かい愛情と手間隙をかけてこそ心豊かな良い子

が育つのです。幼い時に小手間を抜いて育てると大きくなってから、非行、不登校、うつ病等の病気、職に恵まれ

ない、結婚に縁遠い、離婚等・・・大手間が掛かるようになります。

 真生会の開祖さまは、「人生は演出であり、オシャレでなくてはいけない」と教えて下さいました。それは自分が着

飾りたいからではなく、家族や出会う人みんなに明るさや希望を与えるためでした。そして本当のオシャレは、

①愚痴をこぼさないこと

②何があっても明るく前向きなこと

③誰にでも笑顔で接すること

 

豊かな老後を迎えるには

  世界でも類を見ない「超高齢化社会」の日本で、豊かな老後を迎えるにはどうしたらよいのでしょうか?

 それには、施しの強い人になることです。

 「施し強き人は人気があり、人から慕われます」そして施しにも順番があります。

 経典に「篤く三宝を敬い、あまねく衆生に施し」とあります。先ずは仏さまへの感謝の布施、先祖供養をし、次に

家族や友人に施す、それから自分自身です。

 仏さまや先祖への徳積みをしないで、自分の着る物やオシャレ、クルメや旅行にお金を使っている人生は、老後

孤独で寂しくなります。その上、何を買っても次から次へと物が欲しくなり、気持ちが貧乏な人生になります。自分の

身を少々削ってても施す。自己犠牲の精神が無くては本当の豊かさはやって来ません。自分だけが楽しみ、喜んで

いるだけでは「むさぼり」です。オシャレと浪費は違います。昔から「安物買いの銭失い」と言います。

老後はもちろんのこと、若いうちから、言葉もお金も労力も世のため人の喜んで下さるために「施し強い人」が精神

的に豊かな人生を送ることが出来るのです

 自分を振り返り、寂しくジリ貧な人生と気付かれたら、今日から「貧者の一灯」でよいので仏さまとご先祖に徳を積

み、人に施す生活に切替えましょう。

 今からでも遅くありません。気付いたその時が「好日」です。死んだ時の葬式代「死に金」を残すより、生きた人を

喜ばす「生きたお金を使う」ことです。

 正しい子育てをし、楽しい家庭を作り、希望と安らぎ、ぬくもりのある老後を迎えには、教えを信じ、お参りをして教

えの縁に触れ、良き法友と共に教えを聞き、徳積みの実践する以外にありません。

 経典に「罪の衆生は、悪業の因縁をもって、阿僧祇劫(果てし無く長い時間)を過ぐれども、三宝の名を聞かず」と

あります。

 「罪の衆生」とは社会的に悪いことをした人を言うのではありません。自分の仏性を現すことが出来ず、迷いによ

って仏性を覆い隠している状態を「罪」と言うのです。

 自分が心の目を閉じて仏を見ず、自分の耳をふさいで法を聞こうとしない人を言うのです、いわゆる無心論者や

自分は何でも分っているいるし、人に迷惑をかけていないので信仰などする必要が無いと思っている人です。

 仏を敬い、人を愛し、教えを学び、施し強き人は、必ず「楽しい家庭と豊かな老後」を迎えることが出来るのです。

 

 

磨かれる魂

 人間はそれぞれ魂の磨き方

 磨かれ方が違います

 魂を輝かせるための人生!

 だから、沢山の出会いに遭遇して

 いろいろ経験を積んで

 こころの宝珠が輝き始めるんです

 

 沢山の奇跡

 沢山の幸せに感謝です

 今この時を大切に・・・過ごしましょう!

 めぐり合う人はみんな必要な人

 そう信じて楽しく明るく 

 いつか本当に自分のことを

 必要としてくれる人

 きっと、そういう人に巡り合える!

 

 どんな人生になって行くのか

 どんなドラマが

 繰り広げられて行くのか・・・

 どんな幸せが待っているのか・・・

 楽しみに・・・笑顔で生きて行こう

 

 笑顔の数だけ、答えが見つかる

 笑顔の数だけ、幸せが見つかる

 

 

言葉の力

 ひと言が人を生かす

 ひと言が人生を変える

 あのひと言で勇気が出た

 あのひと言で救われた

 あのひと言で目が覚めた

 あのひと言で生まれ変われた

 

 ひと言が相手を殺す

 あのひと言で希望が消えた

 あのひと言で落ち込んだ

 あのひと言で・・・・

 あなたのひと言はどのひと言?

 言葉は両刀の刃

 知らず知らずのひと言が相手を傷つけ

 何気ないひと言が仲間を失い孤独になる

 

 一声を人を生かす一肥(こやし)にしよう

 注意してくれるのも

 叱ってくれるのも、愛情の現われ

 でも、本当に相手のことを思っての注意でないと相手に通じない

 怒りや感情、気に入らないから・・・・

 怒って注意しても通じない!

 注意するときは

 「一生懸命やってくれてありがとう! でも、ちょっといいかなあ・・・・」

 労をねぎらい感謝してから言おう

 最後にひと言「期待してるよ!」

 言い切らない

 知らない、聞いてない、関係ない

 「こうしたらいいと思うけど、どうだろう・・」

 問いかけるように話そう

 相手が気づくように話そう

 相手が楽に受け入れられるように話そう

 

 言葉が変われば人生が変わる

 調御丈夫、如来の十号(徳分)

 自分の感情、心、言動が

 コントロールできる人が本当の大人

 

 

どうなる日本? 消えた家族の絆を取り戻そう!

 

 日本人の心の歯車が狂い始めている

 「今の若い者は・・」いつの時代にも言われ続けてきた決まり文句です。しかし、今は「老いも若きも中年も今の日

本人・・・」と嘆きの声が聞こえてきます。

 毎日のように報じられる、わが子の虐待、育児放棄、そして悲惨な死、若い母親父親たちの身勝手さ無責任さに

は、目を覆い耳を疑うばかりです。まさに動物以下の所行です。その上に次々と明らかになる百才以上の所在不

明高齢者。九十才、八十才まで調べたら、大変な人数になるのではないでしょうか?  お役所仕事の怠慢とだけ

は言っておられません。家庭の関係、つながりはどうなっているのでしょうか。

 

 現代の地獄は「孤独地獄」

 数ある地獄の中でもっとも辛い地獄は「孤独地獄」ではないでしょうか? 

 私たちは毎日「人間生活」を営んでいます。父という人 母という人生まれ多くの人活かされて

るのです。

 ホームレス、いじめ、孤食、孤立、引きこもり、離婚、孤独死、・・・人間は群れをなして家族や友達と共に生きるも

のであり、たった独りでは生きられないのです。

 多くのつながりの中で生かされている「世の中は独りじゃないんだ」ということです。これを仏教では「諸法無我」と

言います。「活かされて生きている」と言う人生の基本、真理が分からなくなっています。

 

 過ぎたるは及ばざるが如し

 物、金、生活が豊かになり過ぎ、すべてが自由になり過ぎた日本、何か大事なものをどこかに置き忘れ、何を置

き忘れたのかも分らなくなってしまった日本・・・・ 

 勝ち組と称される一握りの若手企業家の豪勢な生活、若いスポーツ選手や音楽家などの活躍に我もわが子もと

夢見、有名人や金持ちにしてやることが子供の幸せと錯覚し、幼児や小中学校のうちから、異常なまでに学習塾、

スポーツクラブ、習い事に力を入れる親たち、大会で勝つことだけが目的となり、毎週日曜日はプロ並に厳しい練

習や遠征試合、ちよっとやり過ぎです。子供らしくのんびり楽しく過ごす時間もありません。お母さんたちも送り迎え

やお世話当番、応援等に翻弄され、その費用に悲鳴をあげているのではないですか?

 そのために母親が働きに出る寂しい家庭の子供は「学童保育」で夕方まで学校で過ごし、専業主婦で母親が家

にいる子供は、学童保育に入れてもらえず、寂しい思いをする。挙げ句は「お母さん働きに行ってよ」と子供が頼む、

本末転倒の行政です。親の愛情不足の付けが、若者たちの乱れた生活、無気力な人生になっています。一見幸

せそうな家庭や夫婦が崩壊の危機に瀕しているのが実態ではないでしょうか。

 反面、学歴も地位もありながら親の年金を取り上げ、老親は養護老人ホーム任せ、病気の親は病院任せで家族

はほとんど顔を出さない、まさに現代の姥捨て山です。こんな似非親孝行、親不幸者の家庭生活の中で子供はま

ともな社会人には育ちません。「親は家族が面倒を見る」これが基本です。

 

 脱お嬢様育ち お坊ちゃん育ち

 育児放棄ではなく、育児能力が無いのです。学生時代や結婚までに家事手伝いが出来ていない、させられてい

ないからです。勉強やお金儲けは出来ても、家に帰ったら『上げ膳、据え膳」のお嬢様育ち、お坊ちゃん育ちが増

え、自分でやっていく能力や粘り強さが身に付いていないので、毎日の当然のことが面倒になったり、どうしていい

かわからなくなって、育児放棄するのです。

 要は「人間力、生活力不足、生活の知恵が無い」結果です。高校生ぐらいからバイトで稼ぎ、自己コントロール

の効かない未熟なうちに力以上のお金を握り、就職してからの給料も、全部自分の使いたい放題で節約や辛抱す

る力が付いていない。だから結婚しても長続きしないのです。特に出来ちゃった結婚は家庭を作り、子供を育てる

覚悟が出来ていないから、「まだ遊びたい、あれもこれも欲しい。自由にしたい」と広がった贅沢の川幅を狭くするこ

とが出来ないのです。我がままを黙認し、しつけと手間隙をおろそかに育ててきた親の責任です。共稼ぎでお金と

物だけを与え、ほったらかしの子育ての結果、精神的成熟のない半分子供のまま大人になってしまう若者が増え

ているのです。

 

 今こそ家族信仰の生活を

 日本社会    の乱れの根底に信仰心の欠如があります。幼い頃から仏壇も神棚もなく、朝夕のお参りもしない。

感謝の手を合わせることのない家庭に本当の良い子など育つことはありません。初詣や七五三も詣は年中行事

の慣習となり、本当の信仰からは程遠い。お盆のお墓参りは海外旅行かレジャーに行く日となってしまった。核家

族、孤食孤立家族になってしまったライフスタイルをすぐに変えることは難しい。この末法悪世を乗り越えるには

「法華経の実践」しかないと釈尊は妙法の教えを残されました。

 正しい信仰を持ち、お寺や教会に週に一度か月に一度は家族でお参りし、お経を目で、耳で聞き正定聚(正

しい信仰を持った温かい人間関係)にれ、法話を通じて世の中の仕組み大自然の真理をれば、必ずすばらし

い人間として育ち、幸せな家庭が築けるのです。

 今こそ信仰を通じ家族の絆、思いやりの社会を取り戻す時です。

 

 

あたりまえ

 こんな素晴らしいことを

 みんなはなぜ喜ばないのでしょう

 当たり前であることを

 

 お父さんがいる。お母さんがいる。

 手が二本あって、足が二本ある。

 行きたいところへ自分で歩いて行ける。

 手を伸ばせば何でも取れる。

 音が聞こえて声が出る。

 こんな幸せはあるでしょうか。

 

 しかし、誰もそれを喜ばない。

 当たり前だ、と笑って済ます。

 食事が食べられる。

 夜になるとちゃんと眠れ、

 そして、また、朝がくる。

 空気を胸一杯に吸える。

 笑える、泣ける、叫ぶことも出来る。

 

 走り回れる。

 みんな当たり前のこと。

 こんな素晴らしいことを、

 みんなは決して喜ばない。

 そのありがたさを知っているのは、

 それを無くした人たちだけ。

 

 なぜでしょう。

 当たり前。

 

 

人間力を磨け! 布施の実行が幸福の底力

 一年に二十五万組、二分に一組、何の数字か分りますか? 昨年一年間の日本人の離婚件数です。驚くべき数

字です。三十五%は結婚五年未満の若い夫婦です。特に「出来たっちゃ結婚」の離婚率は高いのです。結婚十年

未満となると六八%になります。二十年以上の熟年夫婦の離婚も十五%を占めます。

 また高校や大学は出たけれど、学歴という金看板も虚しく、就職先が見つからず前途に光の見えない若者たち、

日本の家庭と社会は崩壊の危機に瀕しています。一体原因はどこにあるのでしょう?

 

 布施が幸福な人生の一丁目一番地

 熟年離婚、そして孤独な老後、姥捨て山のように介護放棄されるご老人も急増しているのが現実です。

 人様や社会の為に良い事もしないが、迷惑をかけるような悪いこともしない。いかにも常識人のように見えます

が、<施しが少なく、自分さえよければ他人は関係ない>という自己中心主義な生き方が老後になるにしたがっ

て 物心 ともに「ジリ貧」となり、寂しく不安な人生になるのです。わが開祖様は「死ぬまで生きる」と申されました。

それ は、お金で役立ち、知恵で役立ち・・・最後の最後まで何かで人様の役に立って生きるということです。

 施すお金がなかったら、今日まで生きてきた知恵を施す。知恵が出なかったら、笑顔を持って「えらかったねぇ!

ご苦労様」と温かい言葉を施す。

 施し強き人は、子からも孫からも人気があり、明るく希望ある老後が送れるのです。

 若者に何が足りないのか

 何不自由のない学生時代を過ごした多くの若者が、若年離婚に悩み、結婚難に行き詰まり、就職難に困ってい

ます。彼らに一体何が足りないのでしょうか? 

 t簡単です。育ててもらった親や家にご恩返しが出来ておらず、幸福な人生を切り開く実力「人間力」が備わってい

ないのです。

 食べさせてもらい、住まさせてもらい、学校に通わさせてもらい・・・・(もらいっぱなし)では一人前にはなれません。

 育ててもらったお返しを何もしなかったら、食い逃げ、泊まり賃の踏み倒しと同じです。無銭飲食すれば手錠がか

か るのは当然です。仕事や結婚生活で思うようにならないという手錠がかかるのです。

 幸せになるには幸せにたるための道があるのです。するべきことをしてこそ、人生が充実するのです。楽して自

由 気ままな生活をしていては決して幸せはやってきません。「耐える力、継続する力、尽くす力、役立つ力、思いや

る力、恩に報いる力」など一人前の大人として必要な力が身についていないからです。

 では、どうしたら人間力が身に付くのでしょうか?

 女中は女の中心、小僧は男の花道

 女中や小僧というと時代遅れのしきたりと思われるかもしれませんが、人は若いうちか、中年か、老後か、どこ

かで 女中仕事、小僧仕事をやり切らねばなりません。そうすれば『人間力』が身に付き、本当の「奥様、檀那様」に

なれるのです。

 老いも若きも「自分のことだけ(自利)で親のためや人のために喜んでもらえること(l利他)をしていない人は先細

りの人生になるのです。」

 出来るだけ若いうちに女中の仕事(r炊事、掃除、洗濯等の家事手伝い)、小僧の仕事(力仕事や使い走り等の

手伝い)をやり切り(役立つ人間になる)ことです。

 ①労力で役立つ(家の手伝い)

 ②財力で役立つ(生活費の応援)

 ③心使いで役立つ(優しい言葉と思いやり)

 良き師、良きお手本を持って

 そして大切なことは、良き師をついて、良きお手本を学んで正しく努力することです。お手本のない我流の努力

は、 自動車の無免許運転と同じです。若者だけではありません。老いも若きも一生勉強です。

 残念なことに現在の学校では、大半の先生は良きお手本になり得ません。知識は教えても知恵は教えてくれま

せ ん。家庭においても、核家族や共働きでお手本となるお年寄りが親が身近にいないのが現実です。何宗でも結

構で す。自分が信じられる正しい信仰を持って、週に一度が月に一度は、家族揃ってお参りすることです。神社仏

閣や教会には人を善導する大きなパワー、徳があるのです。

 「良き縁に触れれば、善き人間になる」これが宇宙の真理です。家族みんなで信仰し、家庭を整えれば幸せは自

ずと現れてくるのです。

 

 

すべての現象は仏さまの救いのお慈悲

 私たち人間はもとより、すべての生き物や物質、地球や宇宙のすべての存在がいつも仏さま(宇宙の真理)に守

られ導師に守られているのです。その真実に気付き、仏さまと自分の差を取り、一体感を持つことが《悟り》なので

す。

 宇宙の永遠の仏さまは、病気、貧乏、不和という辛く苦しい現象や反対に結婚や出産、合格という嬉しい現象等、

さまざまな現象を出して私たちに何かと仏の教え(宇宙の真理)に気付かせ、目覚めさせ、理解させ、実践させ(開

示悟人)、仏の境地にまで引き上げようとしていて下さるのです。すべての出来事や現象も、ご本仏さまの厳しくも

深い深いお慈悲なのだと気付いた時、何事も乗り越えて行こうという勇気と希望が湧いてくるのです。

 何の悩みもなく、順風満帆なことが仏のご利益なのではありません。どんな悩みがあっても、如何なる変化があっ

ても動揺しなくなることが本当のご利益なのです。

 『病んでいることが楽しいのである、年を取ったことが楽しいのであるも今日目が覚めたことが楽しいのである。

すべてを楽しく考えるのが法華経なのです』と開祖さまは晩年こう教えて下さいました。

 病んでいる時も貧しい時も苦しい時も悩み苦しみを背負いながらも、その身そのままの生活の中から「人のこと

を思いやり、小さな事柄にも感謝を見つけ合掌すること」が仏さまの行いであり、『即身成仏』なのです。

 罪だ業だと反省するだけではいけないのです。反省するだけなら猿でもするのです。

 自分のこと自分の幸せのためだけに頑張る人生から、今世自分に頂いたお役(運命)を通じ、常に前向きに考

え、発展的に行動し、『先ず人様の幸せ』という生き方をすることを修行というのです。

 法華経に《狂子良医のたとえ》の教えがあります。

 名医である父が急用で留守のうちに、子供たちは気が緩み、好き放題に遊びまわり、しまいには「絶対口にして

はならない」という毒薬(欲望、怒り、愚痴不足の三毒)を食べてしまい、もがき苦しんでいたのです。そこへ帰宅し

た父は、子供たちを助けようと色も香りも味もいい良薬を調合し与えました。毒があまりまわっていない子供はすぐ

さま薬を手に取って飲み、毒が癒されましたが、毒が体中にまわっている子供たちは「お父さん、助けて下さい。!」

と言いながらも、薬を疑い、理屈を言い、嫌がって飲みません。

 父を頼りながらも薬(正しい教え)を信じようとしない子供たちを何とか目覚めさせようと考えました。「私は年を取

り、この先もう長くない。ここに薬を置いておくから、もし私が帰れなくても、必ず治ると思って、この薬を飲むのだよ」

と言って遠い国に出かけました。

 数日後、旅先から使いが来て「お父さんが亡くなりました」と衝撃的な事実が伝えられました。子供たちは嘆き悲

しみ、ハッと父の言葉を思い出し、父の作ってくれた薬を飲み、本心を取り戻し元気になったのです。

 私たちは本当に悲しいことに心が打ち咲かれて始めて目が覚め気付くのです。父の死という悲しみに直面し、や

っと本当の父の心に気付くことが出来たということなのです。

 親は本来、子供に対して慈悲のかたまりなのです。いつも子供の幸せを願い続け、子供の幸せのためには、自

分の身を犠牲にして育ててくれるのです。そして、親の子供に対する最後で最大の慈悲は、「子供が真に自立し一

人前となり、立派な人間になって欲しいと切願して自ららの死をもって教えて下さる」ことなのです。

 もし親を亡くしても、本当の親の気持ち、願いに気付くことなく、自分中心の身勝手な人生を送っているとしたら、

これほどの親不孝はなく、申し訳のない人生であります。

 永遠の真理である仏さまは、この良医の如く「慈父の愛」をもって私たち凡夫を導いて下さるのです。法華経を信

仰する私たちは、仏さまの『慈父の愛』に目覚め、慈母の愛をもって、教えの縁に触れることなく、一喜一憂、六道

(地獄。餓鬼、畜生、修羅、人間、天上)輪廻している家族や友人知人を仏の教えに導き入れてあげることが真の

菩薩行であり、仏さまのご恩に報いる人生安心への近道なのです。

 

 

人生の目的 願生!お役に立って生きる(別願と本願)

 私たちは偶然にこの世に生を受け、妙法の教えにめぐりあったのではありません。、

 前世のその前世から、数え切れないくらい多くの仏様に仕えて徳を積み続け、個人的には仏の境地に達して何

不自由のない幸せ中いるのだけれど゛「多くの人々に仏様の真理=妙法をお伝えしたい、仏様と同じ真理の道を

歩んでもらいたい」と願って、自ら志願して五濁悪世のこの世に生まれてきたのです。これを「願生」と言います。

 人生の多くの難事は、単なる罪や業ではなく、「願生」によってこの世に生まれてきた使命に目覚めて欲しいとい

う、仏様の大慈悲心の現われなのです。

 さまざまな苦難をきっかけとして、すべての人を救いたい、無上道(仏の最高の悟り=法華経)を世の人々に

伝えて生きることが、すべての人間の「本願」なのです

 人生の目的は「すべての人に備わっている仏性を磨き出すため、徳を積むために生まれてきたのです」のです。

 良い会社に勤めたい、幸せな結婚がしたい、高級車に乗りたい、新築の家に住みたい、出世がしたい、お金持ち

になりたい、有名選手になりたい・・・という個人的な目標や夢は言わば「別願」です。

 現代の世は、個人の幸せや夢を追い求める「別願」だけに偏ってしまい、世のため人のためという「本願」を忘れ

てしまっているのです。だから、仏様から「早く気づけ、早く目覚めよ」と苦難の現象が大慈悲の働きとして次々と与

えられるのです。

 

国に正しい法(法華経)が行なわなければ三災七難が起こる(立正安国論)

 鎌倉時代に日蓮が予言した通り、現代も日本人の信仰心は薄れ、自己中心の世の中になってしましいました。

 

他国侵逼 (たこくしんぴつ)  (外国から攻められる)

自界叛逆 (じかいほんぎゃく) (内乱によって自滅する)

人衆疾疫 (にんしゅしつやく)  (伝染病の蔓延)

異常気象 (多発するゲリラ豪雨 猛暑と水不足による農作物の不作 熱中症による死者の増大・・・等)

 まさに末法万年(仏滅後2500年) 闘争堅固の様相を呈してきました。

 

 今こそ、本願の使命に目覚め、ご法に導くという真の救いと真の平和世界 寂光浄土実現のために種人となって、

先ず家庭での実践に励み、家族皆信仰を実現しましょう。

 仏さまの教えにお導きすることが本当の慈悲なのです。

 

 

教えの後継者を育てよう!! 明るく、楽しく、細やかに

 混迷する政治、経済、崩壊しつつある家庭の絆を打開するには、優秀な人材を育て、有徳の人物を生み出す以

外にありません。

 部品のように取り替えの効く「人材」ではなく、一人一人の個性や長所を生かし、すべての人は仏様がこの世に

遣わして下さった大切な「人材」として育て、世のため人のためになる「人物」になることが大切です。

 単なる地位や役目の継承や後継者ではなく、しっかりと信仰を身に付けた《教えの後継者》を育てなくてはなりま

せん。

 それには、やはり家庭に信仰があり、家庭を整えることが第一です。小さな頃から日常的に信仰に触れ、心に信

仰心が植えつけられ、年とともに信仰心が深まってこそ、世のため人のために役立つ、立派な人材、人物になりえ

るのです。

 人材育成は、マニュアル通りの自動販売機のようには行きません。若者や後継者に譲って「ああ!やれやれ、こ

れでお役御免」という無責任な放任主義であったり、アレやれコレやれと、しっかり教えもせずに仕事を丸投げし、

怒ったり、小言を言うだけでは育つどころか潰れてしまいます。

 「やって見せ、言って聞かせて、させてみて、褒めてやらねば人は動かじ」です。

 明るく、楽しく育てるのは本より、先ず「手本を見せて、よく教えて、信じて任せて経験させて、認めてあげる」手

取り足取り、細やか(濃やか)な気遣いをして育てていくことです。

 

良き後継者になるには、師匠が必要

 人徳ある師匠に付いて、常に添削を受けながら自分を磨いていくことを忘れてはいけません。開祖さまは「人生、

死ぬまで勉強である」「師のない人生は、首のない人間と同じであり、ハンドルの無い自動車、舵のない船と同じ

でどこへ向かって進んでいくのか、どこに到着するのかほからない」と教えて下さいました。

 皆さんには、ちゃんと自分を添削してもらう生きた師、開祖さま仏様につながる師がありますか?  自分先生

であったり、途中で途切れてしまっていては大変です。

 そして、親子縁の良くない人は、なかなか良き師に付くことができません。

 せっかく師についても、尊敬出来なかったり、いろいろな事情ですぐに縁が切れてしまうのです。親と早く死別し

た、親と意見が合わなかった、尊敬出来なかった、心配かけた・・・という人は、総じて師匠取りが悪い人が多いの

です。もし、親御さんが生きて見えたら、今からでも親の良い所を見て尊敬し、親を喜ばせ、安心させ、親孝行する

ことです。

もし、亡くなってしまっていたら、毎月お詫びの先祖供養を続けて親子縁を強くすることです。

 昨今、師匠のない人がいっぱいです。政治家も教育者も企業経営者も、一家を引っ張っていく親も、舵の無い舟

で蛇行運転し、国家の危機、企業の低迷、家庭崩壊を招いています。

 「三歩下がって師の影踏まず」せっかく師に付いたら、三歩下がる尊敬心は大切ですが、三歩以上下がってはい

けません。

 法座に来て先生の法話を聞くだけでは善良な職業に過ぎません。添削を受けてこそ師弟です。「師匠の知恵は

弟子次第」相談し質問するからこそ師の知恵が湧き出るように頂けるのです。師匠を持った人生を渡りましょう。

 

 

無限の力、女子力を磨け!

 女は賢し、母は強し

 今から二千五百年前、お釈迦様は男女の差別やカースト制度という厳しい身分制度のあるインドにおいて価値

観の一大転換(空=平等)を宣言されました。

 人は生まれ(身分)や仕事によって貴賎は決まらない。人はその行いによって貴賎が決まるものであると教えら

れました。

 そして、「山川草木、悉有仏性」といって人間はもちろん大自然の草や木、山や川すべてのものに仏性があり、仏

と同じであり、そのままの姿の中に仏の計らいとはたらきがあると教えられました。

 つまり、お釈迦様の説かれた「平等」とは、誰でも仏性を備えており、平等に仏になれるという「本質の平等」なの

です。

 男女の差、貧富の差、仕事の違い等「現象としての差別」を無くすことはできないのです。現象の違いにとらわれ

ず、お互いの違いを認めつつ、自分に備わった力を精一杯発揮して世の中と人様のお役に立てれば良いのです。

男性には男性の女性には女性のはたらきと価値があるのです。

 しかし、時代は男女平等、共同参画の流れになっています。女性がキャリア・ウーマンとなり、男性と同じように

努力し仕事で活躍することが、平等社会と錯覚しているのではないでしょうか。女性の社会進出が進み、家庭が

おろそかになり、物質的に豊かな生活を求めるあまり、目の前の利、お金儲けに走る「利口な女性」は増えました

が、温かい家庭を築き、夫が安心して働き、世のため人のためになるより良い子供を生み育てる家庭環境を整え

る「賢い女性」が少なくなってしまったのです。家庭を守ることがさも男女不平等であり、価値の低い仕事のように考

え、基礎となる大切な家庭作りがおろそかになってしまっています。ここに今の日本の衰退と家庭崩壊の大きな原

因があります。女性の努力の仕方を見直さなければ日本の将来はありません

 努力の努の字は「女の又の力」と書きます。つまり子供を生み出す力です。女性と男性の決定的な違いは、子供

を生み育てる力があることです。家庭の将来も国の将来も子供たちにかかっています。しかし、日本はどんどん少

子化となり、子供を生み育てる力が低下しています。

 昔から「女は弱し、されど母は強し」と言いますが、最近の日本は「女は強し、されど母は弱し」に変ってしまいま

した。

 今こそ「女は賢し、母は強し」の大転換が必要です。

 平塚らいちょう(明治・大正・昭和にかけて活躍した女性解放運動家)は、

 「女性よ、潜める天才性にめざめよ。元始、女性は実に太陽であった。今、女性は月である。他に依って生き、

他の光によって輝く、病人のような青白い顔の月である。・・・・私どもは隠されてしまった我が太陽を今や取り戻さ

ねばならぬ」と女性の社会的地位の向上と活躍を高らかに唱えたが、現実社会を見ると日本は豊かな生活を求め、

女性の社会的地位を求めるあまり、どこかに大切なものを置き忘れてきたのではないでしょうか。

 太陽は自分自身が輝くとともに、万物に明るさと温かさを与えて育てます。つまり自分が活躍すること以上に、家

庭を明るく、温かく守ることも太陽の重要な働きです。

 また月の存在があればこそ、地球は美しい営みを作り出しているのです。月明かりが、闇夜を照らし出してくれ

るように、希望を無くし、心が暗くなった時、そっと優しく包んでくれる月のような存在も女性のはたらきです。女性

は家庭と社会を支える大地であり原動力です。信仰を通じ、今こそ女子力を磨き、安心と安らぎのある家庭と社会

を築いていきましょう。

 

 

すべては徳次第!

 徳をもって後継者育成を

 

現在の日本の世相を眺める時、安全、安心、安泰が脅かされています。食の安全、主権や領土、国家の安全、無

差別殺人、通り魔殺人、親殺し子殺し等生活の安全も脅かされ、心からの安心が出来ません。また、親子の断絶、

少子高齢化、無縁社会等、前途に暗雲が垂れ込め希望の光が見えず、将来の安泰が脅かされています。

 人の幸福は、まず一家の後継者の立派な成長を見ることです。それは我が子の成長に限らず、会社や組織の

後継者、次代を担う若者の成長こそが不可欠です。

 より良い後継者が育つには、何はなくても徳がなくては育ちません。本人に徳が無くてはならないのは本より、

先祖に徳がなければ繁栄しません。

 樹木にたとえるなら、根はご先祖様、幹は親、後継者は枝葉であり華果であります。

 だから後継者が育つには根に肥料を欠かせません。つまり先祖供養の徳を積み、毎日感謝の読経供養が大切

なのです。

 そして、枝葉自体が風雨に折れないような強さ、しなやかさを持つために次の三つのことが大切です。

 ①子供自体に徳を積む「生霊供養」 

  神仏に守られ、粘り強い、運のよい人になります。

 ②子供を拝んで育てる

  親に拝まれて育った子供は、みんなから尊敬され、大切にされる人になります。

 ③子供を褒めて育てる

  自信と勇気と誇りを持ち、はつらつとした、陽気、元気の出る人になります。

 

 二千五百年前、お釈迦様は私たちが菩薩となり、人格を完成し、成仏し、幸せな家庭、より良い社会を実現する

ための実践方法を教えて下さいました。

 それは『六波羅蜜の教え、つまり 布施持戒忍辱精進禅定、仏智』の行法です。

 まず、第一に布施行をお説きになられたのは、施しこそ幸せの最も重要なことだからです。

 布施には、法施、身施、財施があります。真心込めて、仏法の広がるため、人様の幸せのために布施させて戴

きましょう。

 ただ一生懸命働いて、お金を貯めるだけでは幸せにはなれません。

 お金は山ほど貯まっても、子宝に恵まれない人、道楽な子供に虚しく使われてしまう人等、お金ではどうしようも

ない問題や病気に苦しむ人もいます。お金があるばかりに兄弟親戚の醜い相続争いが起きる家もあります。不足

で働いて貯めたお金、自分のためだけに貯めたお金、欲でもらったお金は徳の無いお金です。だから貯まれば貯

まるほどお金を出すのが惜しくなり、貧乏人根性となり、心が狭くなり、人に嫌われ、ジリ貧の孤独な人生になって

いくのです。池の水といっしょで、貯めるだけでは腐ってボウフラが湧くのが関の山です。

 お金はただ貯めるだけではなく、善いことに使ってこそ次の生きたお金が集まってくるのです。善いことにお金を

生かして使いましょう。

 

 

チャンスと考えて

 夜明け前が一番寒くて暗い

 春の前が一番寒いが

 春は必ずやって来る

 だから心配しない

 都合の悪い方に転がったとき

 嘆くかチャンスと考えるか

 心の舵をどちらに切るかで

 将来が決まる

 過去の事、成った事を嘆くより

 今出来ること身近なことを

 やってみよう! 今日から・・・

 

 

一致団結!国民総懺悔

 大自然に謙虚になろう

 今回の東北地方太平洋沖地震は、人知の想定をはるかに超えた未曾有の大災害を目の当りにし、改めて大自

然の猛威、エネルギーに驚くと共に私たち人間は大自然や神仏に対し、もっともっと謙虚であり、畏敬の念を持た

なければなりません。どんなに科学技術が発展しても大自然の力には及ばない「常に守られ生かされている」と

いう真実を忘れた結果であると痛感しています。

 

 戦後日本の総懺悔

 被災地だけの問題ではありません。

 自然災害の教訓は、個人の不徳や因縁を超えた日本人全体の問題であり、世界人類全体の問題であると受け

止めなくてはなりません。

 太平洋戦争後、奇跡の復興を果たし、世界有数の経済大国にまでなった日本は、「感謝、人情、家族の絆、地

域の助け合い、おかげさま、もったいない」など、長い歴史の中で日本人が培ってきた素晴らしい国民性や美徳

等、大切なものを栄誉栄華の生活の中でどこかに置き忘れ、「金、物、地位、学歴」の目先の欲と刹那の幸せに道

を大きく誤って来たのです。

 津波と火災により壊滅的に破壊された被災地の惨状と原子力発電所の爆発、放射能被害の現実は、「歴史は

繰り返す」まさに太平洋戦争で日本の主要都市が空爆により焦土化し、最後原爆投下によって終戦となった過去

の日本の姿と同じです。今こそ戦後の総決算であり、日本国民の総懺悔が必要です。

 懺悔とは

① 自分が悪かったと一歩下がり反省する

② 二度と同じ失敗を繰り返さないこと

③ 善い事をすると誓うこと、 です。

 今日までの行き過ぎた幸せを反省し、多くの尊い命と財産の犠牲をしっかり肝に銘じ、世界の見本となるような

日本を再建することが、本当の懺悔です。

 「国に正しい教えが行なわれなければ、三災七難の国難が起こる」と日蓮上人が予言したとおり、「上乱れれば、

下乱れる」政権交代後の国会は乱れ、国民不在で国家の体を成していなかった結果です。

 しかし、国会議員だけの責任ではなく、国会議員を選んだのは我々国民であり、日本全体が目覚めなければな

りません。

 

 今こそ日本は一つになるとき

 地震発生当初、管総理大臣が野党党首に「与野党一致で国難を乗り越えたい。協力しい欲しい」と頭を下げ、

野党も「協力します」と約束した。国民に対しては「お互い助け合いの精神を発揮して・・・・家族、友人、地域の絆

を深めながら、この危機を乗り越え、そしてよりよい日本を改めてつくり上げようではありませんか」とメッセージ

を発した。

 そして世界中から救援の申し出が来ました。この精神と行動こそが神仏の願いであり、大自然の真理に沿った

生き方なのです。震災後の対応、被災者みなさんの冷静で秩序ある行動、助け合いの姿は、世界中から高い国

民性に驚異と称賛を受けています。この姿こそ、東洋の小国といえども「東方の一小国あり、大乗相応の国なり」

とお釈迦様が明言された日本の真価であります。

 大和の国、日本が世界の手本と成るべく大自然が与えた大試練なのだと思います。

 今こそ、日本人は一致協力一つになり、戦後の奇跡の復興を再現しましょう。

 

 国民皆信仰で立ち上がれ日本!

 私たち日本人は、戦後の奇跡の経済復興の中で、信仰心、家族の絆、地域や人との絆を置き忘れてきました。

人間の幸せは「絆」にあるのです。

 幕末から明治初期に日本を訪れた西欧人は「日本人は貧しい。しかし、みな幸福そうだ」と評しました。しかし、

GNP(国民総生産)が世界第三位の現在は「日本人は金持ちだ。しかし、みな幸せそうに見えない」のではない

でしょうか?

 この度の大震災の復興は、経済復興と共に心の復興がもっとも大切です。

 GNPではなく、GNN(国民幸福量)世界一を目指し、小欲知足の生活に満足し、国民すべてが何らかの正しい

信仰を持ち、生かされている喜びをもって神仏や先祖を尊び、家族や地域の絆を大切にし、思いやりのある日本

社会の再生に立ち上がりましょう。

 

,

ありのままに

 悪因悪果、善因善果・・・・それは人間の価値館

 「諸因佛果」すべての現象は仏さまが下さった慈悲の結果です。

 原因イロイロ、結果もイロイロ

 悟れば極楽、迷えば地獄、ありのままを喜び、成った事を喜ぶ

 自分を磨き、気付き、より良い人間に成長する為のお慈悲です。

 「先ず人様、世のため人のため」

 これが成仏への生き方です。

 

 

美人

 親切な人は美しい!

 「先ず人さま、お先にどうぞ」 の心のゆとりが笑顔を作る。

 あなたは心の美人? 顔の美人?

 まわり道も楽しい人生

 イロイロな体験をして・・・・・

 いろろいな人と出遭って・・・・

 一直線に進もうとするからぶつかるのです。

 目的に向かって曲がりながら真っ直ぐに進もう。

 

 

100%幸せになれる道

 誰でも苦悩から開放される方法

 

 今こそ大きく変る時

 大地震と大津波は私たちに何を教えているのでしょうか?

 科学技術の力や物の豊かさ(家、土地、お金・・・)など人間の営みは、大自然の前では無力であり、一瞬にして

消滅してしまうという事実です。「大変」なことが起こった時は、「大きく変る時」なのです。

 今こそ物質至上主義、科学技術至上主義からの大転換をする千載一遇のチャンスです。物の豊かさと便利さを

追求する生活から、心の豊かさと人とのつながり、自然の恵みを大切にする生活に切り替わらなければなりませ

ん。それこそが信仰生活の真髄です。

 

 100%幸せになれる道

 誰でも幸せになりたいと願い、一生懸命頑張っています。しかし、「あぁ、今日も幸せだった。ありがたかった。」と

充実し、本当に安心な日々が送れている人が何人いるでしょうか!

 自分の人生に行き詰まりを感じ、限界を感じている人がいたらそれは錯覚です。

 すべての人には「仏性」という仏様と同じ力、大自然の無限の可能性とエネルギーが備わっているのですから、

行き詰まりや限界はありません。反面、人間の想像をはるかに上回る量り知れない力を持つ大自然(神仏のはか

らい)に挑戦し、立ち向かって勝てるはずがありません。だから、否、大自然に守られて生きる生活に大転換する

のです。

 仏教は悟りの教えです。正しく悟った時に、病人は病人のまま、貧乏な人は貧乏なまま、ありのまま、そのままで

幸せになれるのです。現象に惑わされない根本的救い、それを即身成仏というのです。仏教こそが100%幸せに

なれる道であり、誰でも苦悩から開放を説いているのが法華経です。

 

 不可能を可能にする無限のエネルギー、祈り

 人間関係がすべての幸、不幸の原点です。

 相手が良くさえ見えれば、怒ったり、恨んだり、憎んだり罪を作ることはありません。倫理や道徳は実行しなけれ

ば結果は出ません。しかし、仏教の教えは実行が出来なくても、仏さまと同じ願いを持とうと同じ方向を見さえすれ

ば、無限の力で後押しして下さるのです。

 仏様と同じ道、同じ願いとは「先ず人ま、相手の幸せを願う」ということです。

 仏さまの歩まれた幸せになる八つの正しい道が八正道です。その最初の三つ<正見、正思、正語>相手を正し

く見、相手も正しく評価し(思う)、相手を喜ばす正しい言葉をかけることが出来れば、自ら幸せになれるのです。

 でも、わかっていても出来ない、努力しても出来ない!と諦めてはいけません。出来ないことを出来るようにして

くれるのが祈りの力です。

 「仏様、どうぞ相手の良い所が見え、良いふう思うことができる智恵と力をお与え下さい。どうぞ誰にでも優しく慈

悲に溢れた言葉をかけられる私にして下さい。」と真剣に毎日祈り続けるのです。

 そう!祈れば良いのです。そうすれば後は仏さまが後押しして下さるのです。祈るのは自力、叶えて下さるのは

他力です。

 率直な心で真剣に祈り、仏様に守られる人生を歩みましょう。

 

 

抜苦の信仰から与楽の信仰へ

 経済苦・病苦・人間関係の三大苦が抜けて、自分が楽しい生活になることが信仰の本当の御利益ではありません。

 自分の苦が抜けたら、今度は人に生きる楽しさ・感動を与えてあげる与楽の信仰》こそ法華経の真髄です。

 人を活かし自分を活かす為に生きる感動の人生こそ《生き甲斐》であり、本当の仏さまのご利益です。

 

 生き甲斐(感動)こそ、真の幸福 21世紀の信仰は生き甲斐づくりの時代

 ・働く目的を見失ったフリーター

 ・目まぐるしく移り変るファッションを追いかけて、その場限りの一瞬の満足に飽き足らず、流行に振り回され続け

  るヤングギャル

  ・充実感に欠け、何となく過ぎ去っていく毎日に刺激を求めて海外旅行を繰り返す若者たち

 ・いつしか理想も夢も消え去り、直向きに働き続けながらもリストラに怯える中年男性

 ・増え続ける高齢者離婚、生き甲斐捜しに目覚め暴走する女房達、呆然自失の夫達

 ・自分の価値を見出せず、矛盾を感じ、過ぎ去った人生を嘆きながら死を迎える老人達

 

 あなたはこんな空しい感動の無い毎日を過ごしていませんか? こんなに恵まれた時代に生きながら何故(生き

る感動)が湧き出てこないのでしょうか。

 それは自分だけの幸せを求め続けたまま、利己的・自己中心的な幸せに溺れ、人間本来の使命を忘れたまさに

末法万年の姿なのです。

 

 今こそ目覚めよう!生き甲斐ある人生の歩みに

 抜苦の信仰(肉体苦・物質苦からの開放)

 生きるために生きる時代

 物と物質の貧困時代

 生活苦(絶対的貧困)

      貧・病・争からの脱出

 人らしく生きるための最低限の生活の基礎作り

 ②生きるために活かす時代

。 発展途上、高度経済成長時代

  物質的豊かさを求める時代

 

 ◎より豊かになるために・・

 与楽の信仰(精神苦からの開放)

 活かすために生きる時代

 何でも手に入る飽食、物質の氾濫

 生活の安定期 ⇒ 生き甲斐の喪失 ⇒ 心の貧困・虚無感(相対的貧困)

 

 心の豊かさ・生き甲斐の発見

 

 ◎人を活かし、自分の個性を活かすために生きる感動の人生

 

 

不妄語改

 うそをついてはいけない

 でも、本当のことでも相手を傷をつけたら

 何にもならない。

 他人を傷つけない言葉で語ろう

 あんなことは言わない方が良かった・・・・

 自分を苦しめ自分が傷つく言葉

 悪念悪悪他を傷つけず、ただ己のみ傷つく

 事実を語るのではなく、真実(相手を生かす言葉)

 を語ろう

 

 

人生幸福の基礎作り!

 正しい信仰と先祖供養が家族の幸せを支える

 

 仏教の基本に「諸法無我」という教えがあります。すべては関係性の中に存在し、孤立して存在するものは

ないということです。

 私達が何気なく過ごしている日常生活は有形無形のうたに多くの人のお世話になっています。誰一人として自

分の力だけでは生きていけません。とりわけ、地球誕生の歴史と環境は、宇宙のなかでも奇跡の連続であり、

絶妙のバランスの中で生物が誕生し、生かされているのです。神仏のご加護以外の何ものでもありません。そ

して、ご先祖なくして今日の生活も人生もないのです。

 しかし、拝金主義、学歴教、物質教の亡者となり、神仏に感謝すると言う正しい信仰を持たず、ご先祖さま

との繋がりがなおざりになっている家庭が多くあります。川に喩えるなら、ご先祖様は川上であり、川上からきれ

いな水が豊富に流れてくるから川下の子孫が潤うのです。私は運が悪い、不幸だと言う人の多くは、正しい信

仰を持たず、先祖供養を怠り川の水が干上がっている状態なのです。また、家族を一軒の家に喩えるなら、大

地自然が神様仏様、土台がご先祖様、柱が自分であり家族であります。病苦苦、経済苦、人間関係など、ど

うしようもなく困った問題は、家が傾いているのと同じであります。

 家が傾く原因はいろいろですが、大きく言って三つに分かれます。

① 柱(自分と家族)が腐って傾いている。

② 基礎である土台(先祖供養)がどこか崩れている。

③ 地盤である土地(神仏への感謝、信仰心)が軟弱である。

 贅沢三昧、自己中心、怒りや愚痴など自分や家族という柱が腐っていれば、それぞれが仏の真理に叶った

考え方で生活姿勢を正しく直せば良いのです。自分たちは何も悪いこともせずも、人に迷惑もかけていないのに、

なぜか運が悪いと言う人は、土台と地盤に問題があるのです。

 物の豊かさだけが幸せの基準になり、信仰心の無い人は軟弱な土地に住んでいるのと同じで、ひとたび一家

を揺るがす大問題に出会うと土地の液状化現象が起こり、家全体が傾き崩壊するのであります。何宗でも結構で

す。自分が信じられる正しい信仰を持ち、天地自然に対する畏敬の念と生かされている感謝の心をしっかり持つ

ことです。

 次に大切なことは先祖供養をすることです。読経供養と追善の徳積みを欠かさないことです。先祖供養は本家

や跡取り、長男だけの役目ではありません。新家も分家もみな同じです。

 過日、会員信者のお宅でこんな重大事が起こりました。元気に老後を楽しく暮らしておられた八十歳になるご

主人が突然心筋梗塞で倒れられました。緊急手術で一命は取りとめましたが、次々と他の病気を併発し再手術、

意識不明の危険状態が一ヵ月半続きました。お見舞いに病院へ伺い、集中治療室でご病人を一心行でお祈りし、

『どうぞ、仏さまのお心のままにご加護頂けます様に。もう一度元気になれますように』とご自宅で先祖供養を

し、年齢供養の徳積みをお伝えしました。その後、奇跡的に意識が戻り、今では車椅子でリハビリに励んでおり

ますと嬉しいお便りが届きました。正しい信仰と先祖供養が家族の幸せを支えてくれるのです。

 

 

莫妄想(まくもうそう)

 考えても

 どうしようもないことを

 クダクダと考えるから苦しい

 それは欲があるからだ

 余計な心配はしない

 心配をしないには

 自分の小さな我を捨てればいい

 現実の苦から逃げ出さず

 じっくり見すえて

 あるがままをしっかり生きる

 それが大安心の生き方

 

 

今日から幸せになれる!

 自分色に輝く、青色青光 黄色黄光

 

 十人十色と言いますように、すべての人は自分の色を持っています。同じ色は一つもありません。新緑の山の

緑 も、一枚一枚の葉っぱが色も形も微妙に違い、同じ葉っぱでも裏と表は色が違います。違いがあるからこそお

互い が引き立てあって素晴らしい調和の美しさがあるのです。一色だけならきっと味気のない、べったりとした緑

となり、魅力も感動もありません。

 仏説阿弥陀経に仏さまの世界(極楽浄土)の様子が描かれています。

 極楽浄土の池の中には大きな車輪ほどもある蓮の華が咲いており、青い花は青く光り、黄色い花は黄に光り、

赤 い花は赤に光り、白い花は白に光っていずれも美しく、その香りは心も言葉も及ばぬほど、浄らかで気品があり

ます。

仏さまの世界では、それぞれの花がそれぞれの色のままに光っているのです。当たり前のことです。仏教は当た

り 前のことを当たり前に実行すれば、誰でも今日から幸せになれるという教えなのです。

 しかし、私達凡夫は自分の色に納得せず、他の人の色の方がいいと錯覚し、青色の人が黄色に光ろう、赤色の

人が白色に光ろう、別の色に光ろうとして、思うように光れないと悩み苦しんでいるのです。

 また、相手を自分と同じ色に光らせようとして、思うようにならず、怒り、愚痴をこぼしているのです。青色は青色、

赤色は赤色のままでいいじゃないですか。大切なのは、その色に『光っているかどうか』なのです。

 近年若者の『自分探し』と言う言葉が流行っていますが、《探す》のではなく、生まれながらに備わっている《自分

の色に気付き》それを丸ごと認め、自分が受け入れ、納得すれば光り始めるのです。

 盲目の天才ピアニストもいます。両手を失いながらも口で筆を加えてすばらしい文字を書く書道家もいます。貧乏

な 生活でも、家族愛に溢れた一家もあります。学歴はなくても自分の仕事を天職と思い、イキイキと励みも喜んで

頑張っ ている人もあります。この人たちは、自分の色に輝き光っているのです。

 情熱が赤色とするならば、どんなに仕事が間に合って情熱を持って頑張っていても「どいつもこいつも、間に合わ

ぬ」 と不平と怒りでくすぶっていては、折角の情熱の赤も赤色に輝いてはいないのです。

 反対に先日こんな方がありました。

 病気で入院された初老のご婦人が「病気さま様で大変嬉しく楽しい入院生活です。入院したお陰で、いろろいな

人が お見舞いに来てくれて、懐かしい友人や久しく会っていなかった親戚の方などに大勢会うことが出来て、病気

はしたけ れども入院生活に感謝しています」とのことでした。病人を色白の白色にたとえるなら、まさにこの方は白

色白光,病 人は病人として輝いているのです。こういう方は入院をしても早く退院できるのです。

 人間は、どんな人でも年とともに老化するのです。老化すれば病気になるのが普通です。闘病生活といって「闘

いは どちらかが負け、どちらかが勝利するのです」

 なぜ? どうして! と自分を責めたり、嘆いたりせず、病気と共に歩み、病気と和解出来れば、明るく進む道が

見えてくるのです。

 過ぎた過去は変えることは出来ません。まだ来ない未来に不安や焦りを持っても仕方がありません。人と比べず、

今 現在を率直に受け入れ、楽しく考えることが、仏さまの生き方なのです。

 

 

慈悲喜捨(量り知れない利他の心)

 慈悲量心・・・毎日楽しくあって欲しい。

 悲無量心・・・何とか苦を取ってあげたい。

 喜無量心・・・相手の幸せを共に喜びたい。

 捨無量心・・・誰にでも平等公平でありたい。

 自分の持てる力を発揮して

 人さまのお役に立つことこそが

 本当の幸せ、生きている実感

 

 

本当の幸せとは?

 妄己利他、お役に立って生きる!

 私たち人間の本当の幸せとは一体何でしょう? 物、金、生活環境にも恵まれた日本社会において、毎年三万人

以上の方が自ら命を絶っていかれるのはなぜでしょうか? 家族や友人、通りすがりの人に対する短絡的、非人道

的殺人事件はなぜ起こるのでしょうか?

 天台宗の宗祖である伝教大師の残された『山家学生式』という教えがあります。

 

 国の宝とは何を言うのでしょうか

 宝とは佛の道を修めようとする心である

 宗教心ある人を国の宝と言うのです

 昔の賢人は言いました

 沢山の金銀財宝が世の中の宝ではない

 今いる場所で自分が輝いて生き、自分の周りを明るくする

 その人こそがなくてはならない国の宝なのです

 

 世の中のお役に立って生きようとする人は佛の子であり

 そういう人をはるかインドでは菩薩といい

 インドより東に位置する中国では君子と言います

 都合の悪いことや大変なことは自分が引き受け

 良いことや嬉しいことは、人に分かち与える

 自分のことは後にして、人様のために働くこと

 これこそ本当の慈悲であり、仏様の心そのものなのです

 

 仏教に四無量心(慈・悲・喜・捨)という教えがあります。人様の幸せを思いやる量り知れない《ぬくもりの心、思い

やりの心》です。

 誰しも幸せになりたいと思って生きています。

 その究極の幸せとは、

① 人に愛されること

② 人に誉められること

③ 人のお役に立つこと

④ 人から必要とされること

によって得られるのです。自分の存在感こそ生きる幸せなのです。そのためには、人のために働く「働く」ことが尊

いのです。人のために動けば必要とされ、お役に立てば誉めてもらえ、大切な人として愛されるのです。

 福・禄・寿を三徳と言います。

 福とは「円満、尊敬、信頼」という人間関係の精神的幸せです。

 禄とは「お金、物」という物質的幸せです。

 寿とは「健康、長寿」といった肉体的幸せです。

 世界有数の経済大国であり、世界一の長寿国となった日本は「禄と寿」には恵まれていますが、人としてもっとも

大切な、本来の意味の「福」に恵まれていません。

 「自分の生き甲斐や楽しみ」を求め過ぎるが故に、人様のお役に立って生きるという「生まれてきた甲斐=お役に

立って生きる」ことの価値が低いものとして見過ごされているのです。洗面器の水は向こうへ押し出せば、手元に

倍になってなって戻ってきます。出せば入るのが世の中の真理です。「まずは人さま、世の中のため」と先に出さな

ければ入ってきません。

 「人や社会に役立って生きる」「まず人さま」「相手を生かす、生かせば活かされる」これが釈尊が教えて下さった

究極の幸せになる秘訣であり、幸せになる近道なのです。

 

著 田中偉仁  田中庸仁

心のオアシス 心のとびら

T O P

 

 

ウンド・ロッヂ伊吹(音楽合宿 ゼミ合宿歓迎)

サウンド・ロッヂ伊吹

 

心のオアシス 心のとびら 心のひかり