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 ★ 賞味期限に妙味あり

 ★ 明るい雰囲気を作ろう

 ★ 時代の変化を見極めて

 ★ 「一歩前に出る勇気」が時代を切り開く

 ★ 心の病人になるな

 ★ 退職後はご恩返しの人生

 ★ 和を保つ者は、有力なる智者なり

 ★ これからが自分の人生

 ★ プロになる自覚

 ★ 社長でなく、経営者になれ!

 ★ 感動、笑い、夢が人生を豊かにする

 ★ 蒔かぬ種は生えぬ

 ★ 家庭教育が子供の将来を決める

 ★ 自己責任の自覚を持とう

 ★ ねばり 信念 切り替え

 ★ 文鎮老人は、魅力がある

 ★ 人生に甘えは禁物

 ★ ぬくもりのある家庭によい子が育つ

 ★ 自利利他こそ繁栄の原動力

 ★ 努力なくして夢は叶わぬ

 ★ 無理をしないで無理をして

 ★ 夫婦の信頼と絆こそ 子育てのかなめ!

 ★ 個性とわがまま は違う

 ★ 成功こそ最大の危機と知れ 

 ★ プロの信仰者であれ!

 ★ 会社の社会的使命「人を育てる」

 ★ 生きてるように生きよう!!

 ★ 美しく老いるために

 ★ 答えの出るまで粘りぬけ

 ★ 欲に走れば赤信号

 ★ 大義に生きる

 ★ くよくよするのは知恵の行き詰まり

 ★ 人間の生き方

 ★ お盆を迎えて

 ★ 思いやりの心が人を引きつける

 ★ 生命の尊さ

 ★ 迷悟苦楽の世 の中を因果の理法で説く

 ★ 新しい年

 ★ 福の神は自分なり

 ★ 法眼を学べ

 ★ 我欲を捨てよ

 ★ 笑顔が宝

 ★ 決断と再起

 ★ 大切なお盆

 ★ 人事を尽くして天命を待つ

 ★ 国乱れて忠臣現れる

 ★ ありのままを喜ぶ

 ★ 年末を楽しんで

 ★ 心の切りかえが新年

 ★ 菩薩信仰の時代を迎えて

 ★ 日本はすばらしい国

 ★ 一風起きて晴天となる

 ★ 太陽も地球も丸い

 ★ 

賞味期限に妙味あり

 日本はまさに世界一の長寿国となり、人類の歴史史上どこの国も経験したことのない超高齢者社会となった。

 長寿は五福(健康、長寿、尊敬、円満、富裕)の一つであり、喜ばしいことのはずである。

 しかし、現実には老人医療の行き詰まり、年金の破綻? 老人介護の窮状等暗い話が多すぎる。暗く考えて

明るい未来が訪れることはない。

 どんなところからでも明るく楽しく考え、長所を見出すのが信仰者の智慧であり、幸福になる人の考え方である。

 老人には若さにない年輪の重みがある。若さも国の宝なら、年を経た経験もまた国の宝であるはずだ。

 中国の故事に老人の知恵が国の急場を救った「姥捨て山」の話がある。

 老人の物を生かす知恵、相手を生かす温もりのある言葉は値千金の宝であり、骨董品の輝きがある。

 

 最近、古民家が静かなブームになりつつある。太くてゴツイ大黒柱、大きく曲がった木をうまく利用した梁や棟

木、釘を使わず木の特性を生かして作られた築何十年、何百年という歴史の温もりと物を生かす知恵と工夫が感

じられる家である。

 最新の技術も取り入れながら、今風の間取りにリニューアルされ好評を得ている。

 現代の日本住宅の立て替えサイクルは、築三十年から四十年、世界的に見ても驚くほど短期間での立て替え

だそうだ。

 今、古き良き物が見直されつつあります。

 あなたの賞味期限はいつ?

 物には賞味期限がある。賞味期限が切れたら、捨てられるか、役に立たなくなるのが世の中である。

 人間にも賞味期限がある。現役を退き、年金暮らしになったら期限切れかもしれない。

 しかし、宗教者は賞味期限が切れてからが良いのだ。人生の深みのある本当の味が出てくる。

 若者の長所を誉め、足りない所を教え、最大限に相手を生かす知恵を持ち、その謦咳に接するだけで生きる

勇気の涌く温かみがある。

 本当に質の良いものは、古くなるほど味があり、深みのある輝きを放つのである。

 そう考えれば誰しも現役である。

 

 人生の賞味期限は自分自身が決めるのである。

 

 

明るい雰囲気を作ろう

 人は、気分がよいと最高の能力を発揮する。気分がよいと頭の回転が速くなり、情報の理解が上がり、考え

方も柔軟になり、正しい判断を下すことが出来ると言われています。

 また、明るい雰囲気の中では、人は他人や物事を前向きに見ることが出来るのです。

 

 次の事例があります。

 集中治療室において、看護する人の雰囲気が暗い治療室では、明るい治療室に比べて、患者さんの死亡率

がおよそ四倍になるそうです。

 さらに、明るい雰囲気のもとでは、次の事が解っています。

・目標達成能力について楽観的になる

・創造性 決断力が向上する

・他人や世の中の役に立とうとする意欲が高まる

 

 雰囲気によって、同じ状況を見ても、明るい雰囲気の時は、良い面が見え、良いことを思い出す。逆に悪い

雰囲気の時には、悪い面を思い出します。

 

 怒り、不安、無力感というようなマイナス感情は、混乱を招き、物事に向かう集中力を削いてしまいます。一

方、タイミングの良いジョークやユーモア、陽気な笑いは、創造性を刺激して、一体感や信頼感を深めて、より

明るくします。

 

 家庭や職場、チームにおける笑い声や明るい雰囲気は、感情の波長が一致した時に起こるバロメーターであ

るように、怒りや不安、無感動や不機嫌は、不協和感の証であり、この不協和状態は、意欲やヤル気を無くし、

消耗させ、ストレス・ホルモンは体内を巡り続けるのです。

 

 明るい雰囲気は、陽気な家庭とよい仕事に繋がるのです。

 

 

時代の変化を見極めて

 時代は終った。

 「俺について来い」の時代は済んだ。

 サッカーにたとえれば、司令塔は進む方向を示し、明確な意思表示をしなくてはならないが、後はみんなの個

性を生かし、各々が持てる叡智を発揮させ、一つの力に団結した時にこそ伸びていくのである。自分で考え、自

分の持ち味を生かした行動をとりながら、全体として一つの方向、ゴールに向かっていく時代が来ているのである。

 

 新しい時代が来た。世帯交代である。

 信頼出来るナンバー2を育てよ!

 ワンマン社長にイエスマンの会社は危ない。

 トップも部下も共倒れである。信長、秀吉、家康、の歴史が証明し、是非を物語っている。

 いざ!という時、一命を賭して正しく助言出来るナンバー2が育っているかどうかが社運、国運、家庭運を左

右する。トップにナンバー2を育てる度量があるか、部下にトップと会社のために命を賭ける迫力があるか!

 

 苦労も貧乏も、仏が下さった芸術的姿と喜ぼう。

 如何なる状況にあろうとも、楽してごまかして人の物を奪って儲けた財は、一時期栄えてもいつかは滅ぶ。戦

後日本の闇市ち同じである。

 やっていいことといけないを平素から教え込むことが大切である。規範のない野放埓な自由は自滅の道である。

すべては私たちがより良き人間に成長するための試練と受け止めよう。

 

 

「一歩前に出る勇気」が時代を切り開く

 太陽も月も地球も一点にとどまる事なく、前進し続けている。これが大自然の哲理であって、この法則

に逆らい、不幸を創り出しているのが愚かな人間の姿である。

 人間は常に自分を磨く事を忘れ、怠ると我欲の固まりとなって、人の意見にも耳を傾けず「お山の大将」

となって、淋しい人生に陥るのである。

 平素に余程自分を磨き修行をしていないと、一旦苦しい問題に遭遇すると、逃げ腰になったり後退する

事が、さも正しいと考え墓穴に落ち込み、世の中を呪い、責任を転嫁する弱い人間が増えて来たのが現実

である。

 事の起こりの原因は「自分である」と堂々と胸を張って受け止められるようになったら、世間に怖い者

はなく、渡る世間は良い人ばかりである。渡る世間が鬼ばかりと思う人があったら、この人は人間の出来

ていない自分の根性が鬼であると自覚すべきである。

 

 野球でも守勢に廻ったら、チーム全体がこちこちとなってエラーも続出と負けてしまう。

 二点取られたらも四点取り返すのだと攻撃的に考えたら、各選手もはつらつとして劣勢も挽回出来るの

である。

 企業においてもトップの明るい前向きの考えで、何処を切ってもオーナーの血が部下に流れている会社

は不況の現在でも発展している。

 これは政界でも宗教界でも学問の世界でも通ずる真理である。

 

 

心の病人になるな

 心は主 身は下僕と古いことわざがあります。

 全快しない病人こそ、心が病気になり、病気が心の主になってしまいがちであります。

 この考え方では、いくら高価な薬を飲んでも、効き目が少なく病気は悪化の一途を走るのであります。

 健全な(喜びのある)心は、たとえ病気になってもすぐ全快し、日常の考え方が明るい。

 流れる水は腐らない。人の心も一点にとどまり始めるとわが人生も腐ってしまいます。

 怠け者ほど動かない。儲け出す企業家は、正しい目標に向かって答えの出るまで、粘り抜く努力をされる。

 この大自然の哲理を説かれたのが仏さまであり、理路整然と残された法が佛教であります。

 佛教とか信仰と言いますとこの科学文明時代の現在、時代に取り残された人々の論ずる無用の長物のように

考える無心論者が多いのが現在の社会の情勢であります。

 物事を食わず嫌いで頭から批判することは、大切な宝を放棄する事であり、自分の人生にマイナスを生ずる事

になる。

 人生を歩むなら「良き手本」を選び有徳な師の歩まれた道を真似て歩む事であります。

 

 

退職後はご恩返しの人生

 燃えよシニア、70歳までは現役!

 21世紀は知価社会<長年培った知恵と技術と経験は、国の宝です。

 世の中に活用せずに埋もれていくのは、自分の人生と国家と次の世代に対する多大なる損失です。日本の繁

栄を支えてきたシニアの皆さん本当の出番はこれからです!

 定年退職後が人生の本番の味の出し所です。趣味と孫のお守り、年金と退職金を小出しに食いつなぐ人生は、

活力を失い、可愛い孫の教育によい影響は与えません。

 毎日イキイキと世の中にご恩返しのためにさっそうと出かけていくお爺ちゃん、お婆ちゃんの姿に子や孫は尊敬

と信頼、将来に対する希望を抱くでしょう。

 

 すきま産業で花を咲かせよう!

 お金儲けのため、生活のための仕事からは卒業です。楽しみながら世の中に貢献しましょう! 利潤追求の会

社や企業、家族を支える大黒柱の時では出来ない「すきまの仕事」大衆の「かゆい所に手が届く」便利屋さん

のお仕事は無数にあります。現役時代にはどうしても出来なかったこと、昔からどうしてもやってみたかった仕事を

再発見してみましょう。今日からワクワクした人生が始まります。

 

 

和を保つ者は、有力なる智者なり

 人間関係において「和」を保ち、喜びを知ったら、大成功は間違いなくやってくる。

 医薬で治らない病気も、不況で行き詰まりお手上げの企業も、青少年の不良化も、急増する離婚騒ぎも、原

因を探れば『不平不満』が充満しているのである。

「自分は間違いないが相手が悪い」と言う思いに身も心も置き場がなくなり、忍ぶ事を忘れ、無知な人間の我を

通そうとする頑固な考え方が、家庭の不和、職場の不平不満、国際間の不調和を生み出し、争いと戦争が絶え

ないのである。

 物質に恵まれ、お金にも極端に困らぬ平和な日本人の生活の中に、心は何故不平不満が起こるのでしょう。

 家庭や職場においす表面上は何事もなく、波風の起こらぬよう過ごしておりますが、『今日の幸せ』あるいは

親子関係、夫婦の生活に「おかげさま」「皆さんの理解があればこそ、今日の自分がある」と感謝の心、即ち

心底からの『和』が欠けているのです。

 人間として生かされているこの根本原理に気づかぬ限り『平和』は訪れて来ません。

 

 

これからが自分の人生

 家族のため、会社のために大いに働くことは大変素晴らしい。

 しかし、自分自身のための人生も忘れてはいけません。

 両方あって初めてバランスの取れた人生です。

 人のためだけの人生だと、尽くす対象がなくなると無気力になってしまいます。

 自分のためだけの人生に偏るとわがまま勝手になり、孤立し淋しい人生になってしまいます。

 恩に目覚め、自分中心の考えを脱皮して、親のこと、恩人のことに目を向ければ、真の道は開けてく

るのです。

 特に猛烈サラリーマンで家族と会社の為に頑張ってきたお父さん、趣味や楽しみだけの余生ではなく、

私の人生はこれだ」と言える個性ある足跡を残し、誇りある人生を歩み、毎日を輝かせましょう。

 

 

プロになる自覚

 プロの条件とは?

 仕事をする事によって報酬を得ればプロの自覚が必要

①自分で高い目標を持つ

 プロは自分で高い目標を設定し責任を持って努力する。

 アマは目標を低くし、自分に大きな責任を課さない。

②約束を守る

 出勤時間やお客様との約束時間に遅れない、報酬に相応しい成果を出せること、言い訳をしているうちは

 プロではない。

③常に準備を怠らない

 いつでも最良の状況で仕事に望めるよう心体を整えておく。

 休み明けに欠勤や遅刻をするようではプロとはいえない。

④自分の仕事にどれだけ資本をかけるか

 自分のスキルや能力を高めるために時間とお金を惜しまない。

 自己投資を怠るようではプロにはなり得ない。

 一流のプロの条件!

神仏は不断の努力をする者に必ず良き報いを与えると信じる

 感謝と喜びの心で働けば、その結果は必ず付いて来ると信じ、不平不満の心で動かない。

 

 

社長ではなく、経営者になれ

 社長と経営者はどう違う?

 経営能力がなくてもお金と勢いだけで店を持ち、社長になることは出来る。しかし、ビジョンや経営理念のないト

ップ、社員の意見を聞くのはよいが、自らの責任で最終決断の下せないトップは社長になれても経営者にはなれ

ない。しっかりとした舵のない会社、舵取りが周囲の状況や意見に流されているような会社は早晩行き詰る「どう

せ自分の会社だ、破れかぶれで死、止まん」と潔すぎるのも経営者とは言い難い。

 

 真理に叶った経営理念を持て!

神仏に守られる「高い目標、ビジョンを持て」

 「自他利他」=会社の利益だけではなく、社会に利益を与え、世のため人のために役に立っている会社が生き残

る。

従業員を誇りに思うこと

 従業員を誇りに思う経営者は必ず成功する。社員を信じる大きな器になれば、器にふさわしい成果が生まれる。

従業員に惚れられる経営者になれ、『人材を育てよ』

 育てる手間隙を惜しまず、情熱を持って理解出来るまで社長の信条、ビジョンを伝え続けなければ『人材は育た

ない』

 

 

感動、笑い、夢が人生を豊かにする。

 バカになれば感謝が生まれる

 「自分は課長だ、部長だ。何十年やってきたベテランだ・・・いつまで、何でこんなことまでやらされるんだ」という

「我」を取り除いてみよう。過去を引きずり、自分の実績や教養が邪魔をしている人は、何をやっても感謝が涌いて

こない。バカになりきればマンネリ化した仕事にも感謝が芽生えて来る。

 

 感謝が出来れば感動が生まれる

 何をやっても、何を見ても感謝で受け止めることが出来れば、すべてが新鮮に見えてくるようになり、感動が生ま

れる。感動が生まれれば、つまらないような仕事や些細なことでも楽しくやれるようになり、「笑い」が生まれる。感

動と笑いこそが「心と体の栄養剤」であり、体中の全細胞にあるいい遺伝子のスイッチがONになり、体調も発想も

周囲に起こる現象までがプラス志向に変り、輝き始めます。そうすれば、仕事にも生活にも新たな希望が涌き、「夢」

が生まれます。「夢のある人生」こそ「本当の豊かな人生」と言えます。

 さあ、あなたはどこまでバカになれますか!

 

 

まかぬ種は生えぬ

 暑さ寒さを通り超えて、蒔いた種が実り収穫の季節がやって来ました。

 人生も斯くの如く、問題なく善行の種を蒔いた人は、悠々とあらゆる事を乗り越え、奉然自若の生活が出来る

のであります。

 しかし現実は厳しく、なかなか理想通りには進みません。何故か? 我が身可愛さの欲が邪魔して徳の種を蒔

かず、行く手をふさいでいるのであります。

 目の前の事ばかり考えて近視眼的な着眼が行き詰るのであります。

 「一寸先の闇を照らす光は自分である」と自覚出来たら、毎日は楽しく勇気が出るはずです。

 ▲人の為に流す汗は人間を強くします。

 ▲人の為に流す涙は人間を優しくします。

 

 真の信仰者と凡夫の違い

 経済不況の波が襲来し、各家庭の財布を脅かす今日この頃、凡夫は善行の種蒔きでストップする人があります。

 前途栄える人は、しぼり出しても善行の種蒔きに喜びを知る人てあります。

 この大自然の哲理を佛法は教えているのです。

 

 

家庭教育が子供の将来を決める

 家庭教育の原点に返ろう

 仏教と日本の政治s社会に導入した聖徳太子は、「人もと悪小ない、教うればこれに従う」と教育の大切さを

説かれ、ここに日本の国作りの原点がある。

 しかし、年々凶悪犯罪の少年化、低年齢化が進み、大きな社会問題となっているその背景には、家庭環境の

悪化、家庭教育崩壊があり、子供の人格形成に大きな影響を及ぼしている。

① 物の豊かさに反して愛情の希薄な親子関係

② 過保護、過干渉により自立心が育っていない

③ 放任主義により自己中心で社会性がない

④ 親夫婦の不仲、離婚再婚の繰り返しで親子共に心が荒んでいる

等である。

 学校教育の質の低下、不登教師が増える現在、子供の教育を学校だけに任せて置けません。今こそ家庭での

躾。家庭教育の原点を再認識するときです。

 

幼少時代の躾の三大原則

①朝の挨拶(コミュニケーションの育成)

 明るく元気の良い挨拶。家族はもちろん、隣近所の人にも出合ったら挨拶をする。

②ハイと言う返事(率直さと謙虚さの育成)

 呼ばれたり、何か言われた時には、大きな声ではっきりと「ハイ」と返事をする。

③あと片付け(責任感の育成)

 自分が遊んだおもちゃや使った物は自分で片付ける。

 

福沢諭吉家、子育ての定め

①子供は活発にして身体を丈夫にする。

②悪天候以外、暇のある時は外に出て運動して遊ぶ

③年齢に応じて家事の一部を引き受けて自分の役割を果たす

④健康で元気に遊ぶだけでは十分ではない。朝夕家事の手伝いをし、次第に大事な仕事に慣れさせることが重

 要である。

⑤家事の一部を引き受けさせるのは、自然の順序であり、親の作為ではない

と、幼少から分相応の仕事(靴並べ 、庭掃除、お風呂洗い、皿洗い、戸締り等)をさせ、家族の一員として

の役割や自己責任の大切さを教えている。

 信念のない場当たり的な子育てではなく、正しい信念に基づいた各家庭ごとの特徴ある子育てを心掛けましょう。

 

 

自己責任の自覚を持とう

 時代は今まさに「個性の時代、自己実現の時代」と呼ばれている。「自分の本当にやりたいこと、向いた仕

事をしたい」という聞こえのいい大義名分の下に就職浪人、フリーターの若者が増えている。大学卒の知識や資

格に適合したもっともらしい言い分がまかり通り、その実「気に入らない会社には入りたくない」と言うわがままに

なってはいないだろうか?

 最初から自分の気に入る、思い通りの理想的な会社等皆無に等しい。「郷に入れば郷に従え」先ず自分が会

社や知識があろうとも絵に書いた餅であり、何の足しにもならない。経験や実績という裏づけが出来てこそ資格や

知識が生きてくる。

 なぜ、自分の人生を切り開く粘り強さや、創造工夫、相手に合わせる力が足りないのか?

 その根底には、努力しなくても欲しい物は何不自由なく与えられ、物の豊かさの中で育ち、辛抱する力、工夫

する力が身についておらず、親への甘えや社会や他への依存の構造がある。

 その証拠に就職浪人、フリーターの若者を見ると自分の夢にはほど遠い場当たり的なアルバイトに流されてい

る人が多い。そして生活には困っていない。仕事をしなくても生きていけるのだ。実は就職浪人、フリーターの家

庭や親はしっかりしている。子供が一年や二年働かなくとも困らないだけの経済力を持っている。だから、仕事や

職場の選り好みをし、いい就職が出来ないのは世の中のせい、時代のせい<不景気のせいにしているのではな

いだろうか?

 すべては自分に責任があると自覚出来たら、今何をすべきかが見えてくる。自己責任の自覚が出発点になる。

自己責任① 最初から自分の思い通りの会社等無い

 会社が自分のニーズにどれだけ合うかではなく、自分が会社のニーズにどれだけ応えられるか。

自己責任② 自分が稼ぎ、家の役にたってこそ一人前

 自分で稼ぎ、自分の力で生活すること。その働きが、家や親の足しになってこそ一人前の社会人の仲間入りが

 出来る。

自己責任③ 石の上にも三年の辛抱

 これだと思って就職したら、三年は不平不満を言わず、全力で頑張ろう。それで目が出なかったら、その仕事

 が向かないのだと判断し、転職を考えても良い。一、二年で嫌になり転職を考えるようでは辛抱が足りないし、

 結論が早すぎる。

 

 

ねばり 信念 切り替え!

 どんな会社でも創業当時は勢いと夢があり、目標に向かって右肩上がりの時代があったはずだ。しかし、五年、

十年、二十年と時が過ぎ気がついてみると業績は横ばいか、下降気味という会社はありませんか?

 ピンチはチャンス! その時こそ生まれ変われるチャンスが来ているのです。失敗はいつ確定するのか? それ

は諦めた時に確定するのです。どんな苦しい時でも粘り続けるのです。そして必ず良くなると信念を持って粘るので

す。また低迷しているのはやはり、何か時代に合わなくなっているか、どこか方針が間違っているのですから、思い

切って切り替えるチャンスです。そうすれば必ず、何かをきっかけにパッと開き、道が開け光が見え始めます。谷底

からはどちらを向いても上がり坂ばかりです。後はどちらを向いて、勇気を持って上がり始めるかなのです。

 

 

文鎮老人は、魅力がある

 文鎮とは。書道をするときに紙が動かないよう置く鉄や鋳物、石等で出来た重石のことです。

 では、文鎮老人とは何でしょうか?

 文鎮は何もしゃべりませんが、紙の上でじっとしているだけで役割を果たしており、そこにあるだけで存在感があ

るのです。

 つまり何も余分なことを言わなくとも、子供や孫の話題に十分ついていけなくとも、そばに居てニコニコと聞いてい

るだけで存在感のある老人のことです。

 

若くても年をとっていても、愚痴の無い人は誰からでも好かれます。なぜ子や孫が老人の昔話や苦労話を聞くのを

嫌がるのでしょうか?

 それは昔話や苦労話の中に知らぬうちに、苦労したことの愚痴が入っているからです。どんな苦労話もその時は

苦労したけれど今考えれば楽しい思い出があるように語れば、面白く聞けて魅力ある老人となります。

 健康、信頼、円満、尊敬、安心等人から、無形のご褒美を頂ける老後を迎えましょう!

 

 

人生に甘えは禁物

◎ 教えずして不足言うのは、上司の怠慢

◎ 知った顔して上に逆らうのは、無知の姿

 

 人間の本能は、楽な仕事を求め、楽な道を歩んで失敗するのである。

 尊い吾が人生を歩むのに、下り坂は楽だからと我流に気づかず、人生を錯覚し、泥沼へ落ち込んで泣いてい

る人の多いのが現在の社会状況である。

 苦あれば楽あり。佛語では「抜苦与楽」と教えられておりますが、本当に幸福を求めるのであれば、勇気を出

して苦労に飛び込み、その苦の中で鍛え知恵を磨き、徳を積む努力をする事である。

 徳積めば、物は自由になるものを 徳も積まずに、困る世の人

と教祖のお歌にある如く、人の為、世の為、仏法流布のお手伝いをして徳人になることが、この世極楽の近道で

ある。

 

 高齢者の嘆き!!

 「先生、『老いては子に従え』で、息子や嫁には何も言えず毎日黙っていますが、このままでは家の将来や

若者のこの先が思いやられます。言うと息子が怒りますし、嫁はむくれて物も言いません。困ったものです。

 何の為に今日まで苦労して生きて来たのかと考えると、この世がいやになります」と誠に深刻な訴えです。

 私は申しました。

「お爺さん、今息子や嫁が世の中の事を知らず『毒饅頭を食べようとしているのに、親として取り上げず黙って

見ているのですか』

 こんな薄情な父や母になっては、永く生きた老人の価値も年金を国から貰う資格もありません。間違って歩まん

とする若者に人の道を伝えるのが佛の慈悲であり、観音菩薩の愛の鞭であり、温もりある親の慈しみであります。

もし、反逆するのであれば、愛情をもって手放す事である。

 「可愛い子には旅させよ」の諺の如く親も泣き、子も泣いて正しい道が開けるのです。

 人生に甘えは禁物である。

 

 

ぬくもりある家庭によい子が育つ

★愛情の手抜作業に要注意

 小さな時に小さな手間を省いて育てた子は、十年二十年後に生活態度、進学、就職、結婚という大きな節目

で壁にぶつかり、親が困り、補修工事に大手間がかかるのです。

 不良少年、問題寵児ばかりが親を困らせるのではありません。

 頭の良い子、聞き分けの良い子で「手間をかけなかった子」は、社会人になっても、自分のことだけが中心

で家の足しにならず、親に尽くそうとはしません。世間体には出世をした子に、内心淋しい思いをする親も多いの

です。

 

★なぜ! 切れる子供が増えたのか?

「ただ今、お母さんいる」どこの子供も学校や外から帰った時の第一声です。

 子供が帰った時「お帰りなさいえらかったね!何か食べる?」という母の暖かい言葉と手作りのオヤツが、子

供の心に安心感を与え円満な人格の基礎を作るのです。

 最近「鍵っ子」の事があまり話題になりません。では「鍵っ子」が少なくなったのでしょうか?

 違います。鍵っ子が増えすぎて当たり前になってしまったのではないでしょうか。誰も迎える人のいない、暗く

冷たい家に帰って来る子供の心には何とも言えぬ「淋しさと不安、あせりと苛立ち」が蓄積され、ちよっとしたこ

とですぐカッとなり切れる情緒不安な子になるのです。

 

★お母さんの手作り料理を食べさせよう

 ある統計によるとインスタント物やスナック菓子で育った子供が、「落ち着きがなく切れやすい」といいます。

 薄暗い食卓に用意してあるオヤツは、カサカサ、フワフワのスナック菓子、一瞬は満腹感を感じる炭酸飲料、

量ばかりではお腹はいっこうにふくれない。

 夕飯のおかずに至っては、見た目はスーパータイムサービスで買って来た「出来合いの店屋物」のオンパレ

ード! これでは家庭の味やお袋の味はなく、お母さんの工夫も愛情も伝わりません。

 苦しい時に粘り強さのある人間、いざという時に親の顔が目に浮かび、親の言葉が心に湧き出る人は必ず立ち

直ります。

 それは父母のぬくもりある愛情によってのみ育まれるのです。

 

 

自利利他こそ繁栄の原動力

 戦後奇跡の大発展を果たした日本が、デフレ経済に苦しむのはなぜか? 「エコノミックアニマル」と言われた時

期があった。日本の一人勝ち、企業利益最優先となり、多くの公害問題を引き起こしながら自分達だけの利益と幸

福を追求した結果である。自社も儲かり(自利)、周囲にも利益を還元する施し、社会貢献(利他)を忘れてはいけ

ない。

 大自然の真理に叶った人、会社こそが生かされていくのである。

 「先ず人さまの利益、幸せ」を考えられたら、最高である。

 

 

努力なくして夢は叶わぬ

★幸せのぬるま湯から飛び出そう

 古い諺だが、「鉄は熱いうちに打て」

 高度経済成長の時代が続き、団塊の世代が過ぎつつ現代、情熱溢れる若者が内に秘めた無限の可能性を自

ら磨き出す時代が到来した。

 やる気のない人、工夫する努力のない人は、取り残されてしまう。

 

★ピンチはチャンス!

 ピンチはチャンスである。学歴社会ではなくなって来ている。やる気と創意工夫のある人には誰でもチャンスは

ある。

 国も大企業も中小企業も個人商店も、埋もれた自分の個性と可能性を発掘し磨き上げ、他にはない真似の出

来ない自分らしさを発揮出来るチャンスなのだ。

 ONLY ONE「オンリー・ワン」世界にただ一つ、世界に私一人だけという他の追随を許さない「本当の

自分らしさ」を発揮出来る時代と自覚しよう。そして自らの人生を切り開くのだ。

 

★仏の力は発展志向、宇宙は永遠に広がっていく

 広い宇宙空間には目に見えない宇宙エネルギーガ充満しており、そのエネルギーが互いに連鎖しあって宇宙を

どんどん膨張させていると言われる。

 仏さま(大宇宙の無限の力)はすべてのものを生かそう、発展させよう、生まれ変らせよう、再生させようと

動いている。

 

★今からでも遅くない、三学の精神で鍛えよ

①若く して学べば、壮にして為すあり

②壮にして学べば 老にして衰えず

③老にして学べば、死して朽ちず

いつから自分を磨き始めるかが決め手となる。

 

 

無理をしないで無理をして

 私達凡夫は、わが身可愛さのあまり、無理をしないように、又楽な道を選ぼうとしますが、これが大きな間違

いと気付かねばなりません。

 病人に喩えますとよく分ります。

 一寸重病であると、あわてふためいて、「絶対安静、面会謝絶」と完全防備するのが利口であり、親孝行息

子の打つ手と考えたら、大きな間違いと考えます。

 なぜならば、病人の真の心も察せずに行動すれば、病人も看護人も喜べない結果を生じます。

 病人として言葉も言ってはならぬ、動いてはならぬと、がんじがらめになったら、体力はどんどん衰退し、脳細

胞は死滅し植物人間になってしまいます。

 だから無理をしてはならぬと手言うのは凡夫の知恵であって、佛の智慧から考えますと少し無理をしてでも、良

い事(施し、徳積み)には誰に遠慮もなく、少し背伸びしてでも実行するのが幸せへの近道であります。

 

 佛様の声

●ベテランと考え始めたら人生は下り坂

●いくつになっても、今が働き盛り

と考えたら、希望が涌き毎日は楽しいのであります。

 

 年末が来て、総決算とか大掃除でバタつくのは、平素やっていない怠け根性の請求書と考えるのが正しいの

であります。

 毎日、来る日来る日が総決算と考えるのが正しい歩み方です。

 朝、目を開けたら、今日も一日頑張ります。夜を迎えたら、今日一日「おかげ様」で働けたと喜び、先祖や親、

周囲の人にお礼を申す決算を毎日実行したら、自分の人生は明るい黒字決算の成績は間違いありません。今か

らでも遅くない、頑張りましょう。

 

 

夫婦の信頼と絆こそ 子育てのかなめ!

★夫婦の和合が子育てのかなめ

 子供の成長にとって最高の環境は、夫婦の和合と信頼の中でぬくもりと安心のある家庭で育つことです。

 どれだけ欲しい物を与え、休みの度に遊園地や旅行に行く事よりも、夫婦がお互いの足りないところを補い合

って家庭を作り上げていく姿こそ、最高の心の栄養です。

 最近は男性の活力が失われ、女性の社会進出により生活力が増し、頼りない夫に早々と見切りをつけシング

ルマザーになって子育てをする女性が増えています。

 しかし、子育てはそんなに簡単なねのでしょうか?

 子供には父の血と母の血が流れているのです。互いに理解し支え合うバランスの中でこそ、明るく率直で真っ

直ぐな子が育つのです。

 

★離婚予備軍になっていませんか?

 恋愛結婚が大半の現代、好き同志で一緒になったはずなのに五年と持たないのです。表向きは円満そうなご

家庭も離婚予備軍が沢山あるのです。なぜでしょう?

 

★コマも人生も心棒(辛抱)がシッカリしているとよく回る?

「辛抱する力が足りないのです」

 コマも人生も心棒(辛抱)が曲がっていたり、緩かったらすぐに倒れてしまう。夫は社会的に、妻は家庭的に

苦労することが出来たら、人生はうまく回ります。

 我慢ではありません。我慢とは「我が慢心」と書きます。自分の苦労ばかり言って、相手の苦労を理解してい

ないのです。

 辛抱とは、「辛さを手で包み込む」と書きます。相手の苦労を理解し、労わりの心でそっと包み込んであげる

優しさです。

「捨心=捨てる心」が大切です。自分のやった良いことはあっさり忘れてしまうことです。自分の努力は人が言っ

てくれます。自分で言ったら、価値がありません。 

 妻の出来がいいということは、夫が立派だということであり、夫が立派ということは、奥さんがシッカリしていると

いうことです。互いに相手の努力を認め合う夫婦になったら最高です。

 

 

個性とわがままは違う

★個性のはき違いに注意して!

 地球は温暖化に向かっているが、就職は大氷河期の真っ只中にある。自己実現の時代、個性発揮の時代と言わ

れるが、耳に響きのよい言葉に陶酔して自分自身を見失わないように注意が必要である。

 就職難にも拘わらず、どの会社も「自分の個性に会わない」と敬遠し、折角入った会社も「仕事内容が自分に合わ

ない」等ともっともらしい理屈をつけて直ぐにやめてフリーターの浮き草生活!

 個性という大義名分は建前で、実は努力や辛抱が足らず、自分のわがまま勝手になってはいませんか・

 

★目の前を活かせば将来は活きてくる

 本当にやりたい仕事でも、最初から自分の思い通り、理想通りの仕事はなかなかありません。

 世の中が自分に合わせてくれるものではありません。自分が世の中に会わせていく姿勢が大切です。何の実績も

無い、ただ大学で机上の勉強をして来ただけの人間に会社から会わせてくれません。

 たとえ一時しのぎの腰掛け替わりの仕事でも、縁のあった目の前の仕事に精一杯力を発揮して、会社から「よくや

ってくれる」と合格点が頂けたら卒業でき、理想に向かって一歩一歩近づいていけるのです。

 つまらないから、どうせ腰掛け替わりの仕事だからと、イヤイヤであったり、手を抜いていたら落第生です。落第生

では上級クラスへは行けません。何度会社を替わっても、もう一度低学年からやり直しです。大きな目標の見つから

ない人、目標はあっても手の届かない人は、まず目の前の、今日一日の与えられた仕事に感謝と喜びを持って集中

しましょう。それが理想の道が開けてくるコツです。

 

★二十代 、三十代の死因は、自殺が第一位

 現在日本の死亡原因のトップはガンです。驚くことに二十代三十代の死因の第一位は「自殺」です。物の豊かさの

反面でいかに心を病んでいる人が多いかです。

 自殺した人には厳しいことですが、死ぬほど悩んだのでしょうが、後に残された家族の心境や会社の困惑よりも自

分の苦しみから逃れることだけを考えた結果であり、自殺は「究極のわがまま」です。

 飲み友達、遊び友達、旅行友達、買い物友達は数多くいても、いざと言う時心から相談出来る人がいないというこ

とです。若者よ、今こそ人生の師を持とう、正しい仏様の羅針盤を学ぼう。相談出来る人を持つことは恥ずかしいこ

とではない。勇気ある選択である。自分先生が一番危ない。

 

 

成功こそ 最大の危機と知れ! 執着を離れよ

★慢心は最大の敵

 世の中は「諸行無常」、「奢れるもの久しからず」「十五夜の満月のように」「満れば欠くる世の習い」と言われる通

り「目標を達成した後、成功した後の慢心、おごり、油断、執着こそが最大の敵」である。

 「山中の賊を追うは易く、心中の賊を追うは難し」外から押し寄せる不況の波に立ち向かうより、心の中に芽生え

慢心、油断、怠け心を断ち切ることのほうが難しいのである。

 

★執着を捨てれば前進する

 執着とは失敗したことにとらわれ、いつまでもトラウマとして引きずることだけではない。かつての成功した心地よさ

が忘れられず、夢をもう一度と先へ進むことを怠ることも執着の落とし穴である。

 

★流れる水は腐らない

流れる水は腐らない、しかし、清流も流れが止まれば水はいずれ腐りだす」これが大自然の真理です。

「日に新しく、日に新しく」の精神で前進し続けましょう。

 

 

プロの信仰者であれ!

 人間の心は、コロコロと動き続けるのであって一喜一憂が凡夫の心であります。

 これでは安心出来る日は一日もない。そこで力強い不動の釘を一本打ち込まぬ限り、悲しいかな私達人間は池

に漂う浮き草のように不安な人生を歩まねばなりません。

 心に一本釘を打ち込むと「必」「かならず」即ち必勝とか必死とか力強さが生まれて来ます。今こそ日本人の

私達が心に正しい釘を打ち込む時であります。

 その釘は正しい信仰心の釘でなければなりません。

 日本人は大なり小なり何かの信仰を持っています。中には無神論者も見えますが?

 折角信仰するなら、プロの信仰者になれと私は叫びます。

 信仰のプロと言うと頭を丸め、衣を着たりr.お坊さんを想像したり、礼服や式服を身にまとう宣教師k方々を

プロの信仰者と考えますが、正しいプロと認められる信仰者は、老若男女を問わず役がつこうがつかまいが、誰

から眺められても信仰して見える人は、品格もありどこか違うと人を引きつける魅力のある人が、プロの信仰者と

私は評価します。

 

 ある小中学生の集合で新聞記者がこんな質問をした。

 「あなた達は現在の経済状態を何と考えますか」と尋ねた。すると一人の少女が手を挙げて「私には分りませ

ん。もっと分りやすく話してください」と言った。

 プロの記者は返答に困ったそうだ。

 これではこの新聞記者はプロ失格だそうだ。

 親は子育てのプロである「子供が納得する子育てが出来ぬようでは親は失格」であり、親というプロの不勉強

である。

 子供が聞いても、年寄りが聞いても学者や企業家が聞いても成る程と腑に落ちる話が出来、聞く人に感動を与

える話が出来て、初めてすばらしい信仰者であると認められるのであります。

 年を取っても若くとも、役職があってもなかっても、人の為に尽くす人こそ私はプロの信仰者であると思います。

 

 もう自分一人の幸せを追い求める時代は終った。他の人が幸せでなくて、どうして自分が幸せであり得ようか。

もう自分の国だけの平和を求める時代は終った。他の国が平和でなくて、どうして自分の国が平和でうり得ようか。

 これがプロの信仰者の考えであり、今こそ日本人が世界に向かって広大なる考えと深遠なる行動を実践する時

と思います。

 

 

会社の社会的使命「人を育てる」

★人が育つのが良い会社

「この社長の下で働くことが出来て幸せだ!」という会社はイキイキして活力がある。要は会社は社長の人格で

決まる。厳しさだけではなく、常に部下を信頼し、平等にチャンスを与え、限りない愛情をもって接する。目配り、

気配り、声がけは欠かせない。ボーっとしていては、人は育たない。

 よい会社とは、人が育つ会社です。人が育つとは、よき企業人、よき社会人、よき家庭人となることです。

 そのためには、ひとり一人がよきマナーを身につけて、周囲の人に喜ばれ尊敬される人になることです。マナ

ーは生活の基本、円満な人間関係を築く上で欠かせない礼儀です。

 簡単なことです。『あいさつ、お掃除、靴ならべ』身近なことから、当たり前のことからの実践です。三才の

子供でもできることです。しかし、陰日向なく続け、いつでもどこでも誰に対してでも実践することが信頼を得るの

です。

 

★偉大な人とは方向を示す人

 トップにしかできないことは先を示すことである。

 重箱の隅をつつくような細かさも時として必要だが、そればかりでは不十分である。

 何のために働き、それが世の中のどんな役に立ち、人々の幸せにどう結びつくのを明確に示す。行くべき方向

と理念、社長が目指す夢とロマンを示し、部下に安心と勇気、この会社で働く意義を与えることが第一である。

 

★いくら働いても疲れない会社にしよう

 人は何に命を懸けるのかで人生の値打ちが決まる。自分のしたいことだけ、好きなことだけ、気の向いたこと

だけやっていてはせっかく宇宙から戴いた今世の生命がもったいない。

 釈尊は『すべてのものは移り行く、怠らず努めよ』と言われた。「この社長の下で働きたい」という感動、多

く人の役に立ちこんなに喜ばれているという感激があれば、そして仕事に誇りと意義を感じていれば、幾ら働いて

も、たとえ体はくたびれても、心は疲れない。

 達成感のある、すがずかしい働きは決して疲れない。

 

 

生きてるように生きよう!!

★二度とないかけがえのない人生だから

 仏教は前世と今世、そして未来への輪廻転生、生まれ変りを説いています。しかし、どうせまだ来世があるのだ

から、ちょっとぐらい大丈夫だろうと怠けていたら大変です。

 この世の中のことを仏教では『苦の娑婆』と言います。『苦』によって私たちの魂を磨かせていただく修行、練習の

場なのです。

 悉有仏性(しつゆうぶっしょう)、すべての人の心の奥底には生まれつき仏さまと同等の魂=仏性が備わっています。こ

の世の毎日の生活は、私たちが人格=魂を完成し、眠っている、煩悩に埋まっている仏性を磨き出させて頂くかけ

がえのない道場なのです。

 自分にやって来る苦しい問題から逃げ、面倒くさい仕事を放り投げ、嫌なことを避けてばかりいたら進歩向上は

ありません。

 魂の向上は「あの世」では出来ないのです。肉体という限界、寿命という制限、宿命という荷を背負った「この世

こそ魂を磨き向上させる宇宙の大生命から与えられた絶好のチャンスなのです。今世には今世の、来世には来世

の宿題があるのです。

 今世し仏さまから与えられたと尊いチャンス、《二度とないかけがえの人生だから、大切に生きよう》

 

★生きているように生きるとは?

 今日本は、まるで《眠ったように生きている若者》《死んだように生きている若者》で溢れています。

 建国以来、最大の危機を迎えています。太平洋戦争で敗戦し、焼け野が原になった時、日本人には士気があり、

目に輝きがあった。しかし、戦後五十年で奇跡の復活を果たし、経済戦争の勝ち組になってから日本人の士気は

落ち、目に輝きが失われてしまった。

死んだように生きるとは、

、 『イヤイヤ仕事をする

  牛馬と同じで、人としては死んだも同然

眠ったように生きるとは、

  『言われたことだけをする

  囚人と同じで、能力と可能性が眠っている

生きているように生きるとは、

 『自ら仕事を作り出し、感動と感謝でワクワクしている

 人間らしい人間

 自分だけの小さな満足、小さな幸せから脱皮し、世の中や人のためになることに、その場その場でベストを尽くし

て生きよう。生きている実感を感じながら、かけがえのない若さのエネルギーを完全燃焼させて生きてゆこう!!

 それが人間の中の最高級の人間である。

 

 

美しく老いるために

★預かった生命を役立てて生きる

「もう七十になったから、八十になったから、いつ死んでもいい」という人がいる。それは根本的に間違っていま

す。この体も生命も自分のものだと思っているから、そんな勝手なことが言えるのです。

 私たちの体と生命は、仏さま(宇宙の大生命)からの預かりものなのですから、最後の最後まで大切に使わ

せて戴かなくててはなりません。

 心臓も脳も内蔵の動きも自分の意思で止めることは出来ません。宇宙の意志と一体となって動いているのです。

 宇宙は誕生して百五十億年たった今でも膨張し、前進し続けています。その宇宙の大きな計らいの中で生を受

けているのですから、生きている限り明るく前向きに生き、世の為人の為に尽くして生きることこそが、宇宙の歩

みとマッチして生き甲斐や活力が沸いてくるのです。

 

★完全燃焼すればススは出ない

 何もしないで、百まで生きたって何にもならない。

 定年後、老後の人生が自分の趣味と楽しみのためだけに無理せず細々と日課をこなす、そんな不完全燃焼の

毎日になってはいませんか? 不完全燃焼は愚痴や不足と言うススが心と家の中を暗くします。

 プロ野球のような消化試合のような人生では、魅力がありません。

 毎日を真剣に生きてこそ、自分も人も生かすことが出来、毎日を完全燃焼しているクリーンなお爺ちゃん、お婆

ちゃんに子や孫は尊敬と信頼を持って集まってくるでしょう。

 

★人生死ぬまで現役、人のために働く人は美しい

 世の為人の為に何かをして、百まで生きる。

 それには毎年新しい年を迎えるたびに、新しい目標、心構えが要ります。

 その心構え、目標は、年を重ねて生きて来た人生の年輪に相応しい年相応のものでなくてはなりません。

 

★捨て果てて

「昔はこうだった、誰のおかげで今日があると思っているのか」と言い出したら人生が醜くなる。

 栄光の歴史を晩年で汚してしまう人がいる。それは自分が捨てきれないからです。良い事はやりっ放しでいい。

捨て果てて自分を無にすれば、透き通って輝いてくる。

 

 

答えの出るまで粘りぬけ

ご存知ですか

ハルウララ」高知競馬(高知市)の連敗馬104連敗の(牝 八歳)馬に全国競馬ファンは勿論一般人

にも人気殺到。どこにこの人気の素晴らしさが秘められているのか。

 負けても負けてもへこたれず、愚痴一つこぼさず走り続けるこの粘り強さに遂に人間まで動き出したのである。

 折角信仰する私達に何か真実の心構えを教えられたと感動を覚えます。

 冬眠し続けた樹木も動物も明るい暖かい春を迎え一斉に目を覚ましました。大自然が春を迎えたこのチャンス

に私達人間も大自然に逆らわず、明るく楽しく打たれても蹴られても答えがでる迄頑張りましょう。

 必ず先に光が差し込みます。

 

大黒柱に車を

「大黒柱」という単語を辞書で調べると家の真ん中にあり、家や団体の支えになるものと書いてある。動くこと、

揺らぐごとのないという意味で用いられる。

 徳もあり人望も高い大黒柱であれば、と゜んと構え采配をふって居ればよいが、先ずは大黒柱に車をつけて寸

暇を惜しんで世の為人の為に走り廻る大黒柱でなければ早晩下り坂となる。

 

 

欲に走れば赤信号

 某市の産業廃棄物処理業者が連日全国紙始めテレビ等のマスコミの話題に上がっている。

 保安林を無許可で削り、五十ニ万立方メートルを超える国内最大規模の膨大な産業廃棄物を違法に埋め立てて

いたのである。以前にも不法投棄があり、復旧命令を受けていたが、なおざりにされていた。自分さえ儲かればいい、

楽して儲けようと人を泣かせ、人に迷惑をかけて儲けたお金は早晩駄目になる。人目をごまかし、無茶ややんちゃ

は通せても、欲に走れば人生の赤信号が点灯する

 監督庁である市や県の行政の対応や姿勢も問題視されている。

 面倒なこと、厄介な問題を事なかれ主義で先送りし、楽をして通り抜けようという欲の結果ではないでしょうか? 子

育ても同じことです。子供の成長過程には、面倒なこと厄介なことも沢山あります。それを夫婦がお互いに相手任せで

触れようとせず、お金儲け中心の欲の生活の結果、子供が道を反れてしまうのです。

 

 

大義に生きる

運命は使命の自覚で決まる

 A自動車は、世界第二位の好成績を収め、なお世界のトップを視野に高品質で均一な製品をすべてのユーザー

に提供出来るよう各国の技術責任者を本社に集め、徹底教育する予定だ。

 一方、タイヤ脱落による死亡事故で世間に波紋を呼んでいるB自動車系列の対応は非常に対照的である。

 すべてのユーザーに最高のサービスと安心を提供したいというお客さま本位の会社と、自社の利益と保身第一

主義で企業としての使命と自己責任を忘れてしまった会社の「質と精神の差」が露呈した。

 

大金持ちよりお大侭になれ

 Bかつての財閥である。財閥とは単なる大金持ちではない。お大侭である「大いに人のために尽くす」と書く。

創始者も大いに国のために尽くした結果、巨大の富を得財閥となった。つまり「国のお役に立つ」という大義が繁

栄の根底にある。

 Bは技術や管理の問題ではない。今こそ創始者の精神「人世のため」の精神に目覚めることである。さもないと

財閥=大侭としての賞味期限が終ってしまう。

 個人も同じである。親や家のために役立っていない若者、出世とノルマ達成だけが中心の中年、旅行や趣味三昧

のシルバー世代。個人商店も同様、「まず儲け」の算盤勘定が優先して、お客様へのサービスや地域への貢献のな

い店では栄えない。目先の刹那的幸せのみを追いかけていると本当の生き甲斐と安心の賞味期限が過ぎてしまう。

 

 

くよくよするのは知恵の行き詰まり

何をくよくよしているの?

 人生には割り切れぬ 事が多くて、凡夫の私達は泣いたりわめいたりして、この穴から出る事が出来ず、希望を失

い自暴自棄に陥り、かけ甲斐のないこの素晴らしい今日を、未来を、自分から捨ててしまう人がある。

 これは己の知恵の行き詰まりであり、心に錆がこびり付いているからである。

 例えば、節のある薪が割れぬと、諦めたり見捨ててはなりません。己の斧を磨き、グラインダー切れ味を研ぎ出

す努力をすることが割り切る方法です。

 この己を磨く手段方法を教えて下さったのが佛さまであり佛教であります。

 例えば新幹線で東京へ行こうと計画を立て某プラットホームに足を運びます。

 もし、分らないことがあれば駅長さんか、駅員さんに尋ねることです。

 こんな事は三歳の童子でも知っていると考えますが、案外年を取った大人が何でも知っているというが我流で走り

大失敗をしたり、人生に行き詰ることが多いのです。

 そこで正しい仏法を学びますと「聞・思・修」即ち人様の意見には耳を傾け、そしてこれは正しいかどうかを考え、

成る程と理解できたら実行しなさいと教えられております。

 これが世渡りの秘訣であり、佛法を学ぶ基礎であると教えられます。

 

雨降りには傘をさす

 佛教は誰にでもよくわかり、世渡りの急所を教えているのです。

 こんな分り易い理論を難しく理屈を並べたのが学者であり、哲学者であります。

 世の中には、総理大臣でも出来るくらい、理屈も理論も並べる人が、案外職場で町内で人気がなく、家庭でもうっ

とうしがられる人がありますが何故でしょう。

 一言で申しますと「人徳」がないのです。別の言葉で申しますと言うが如く実行がしていないのです。

 人徳はどうして出来るのか。常日頃の言葉遣いや行動が人の為になっていることです。このような人は、何をやっ

てもうまく行くのです。このような人は「徳人」と申します。

 徳人になるには題名の如く、雨降りには傘をさす事を知っておれば、風も引かぬし、ぬれる事もない、調子の悪い

時ほど小さくなって、晴天になったら家庭では洗濯をし、職場では大活躍する。こんな簡単な人生の方程式を信じ実

行したら、この世はバラ色であり楽しく楽であります。

 

人事を尽くして天命を待つ

 真理には寸分の狂いもありません。某市のA自動車工場が経営不振で閉鎖が発表されました。すると天下のB

自動車から技術者を採用したいとの降って涌いた如き朗報がニュースに出ました。佛法から申しますと「人生平素

にあり」の諺の如く愚痴もこぼさず、こつこつと努力していた人には、たとえ今の会社が潰れても、それ以上の職場

が出て来るこの素晴らしい事実を知る時、私達は毎日精一杯人事を尽くしておれば不況も或いは困る事もないと確信

が持てるのです。

 今日一日一日を喜んで感謝の心で努力する事が佛の道であります。

 

 

人間の生き方 

 私たち人間は、「人の為に生きるか」「自分の為に生きるか」どちらかの道を歩み続けているのです。

 辛い正しい信仰の縁に触れますと、少々損であっても「人様優先」に考えことを運ぶようになり、知らぬうちに相

手様を喜ばせた功徳によって、自分の身近に幸せが集まって来るのです。

 人生は山彦と同じで、「馬鹿野郎」と叫べば、山にこだまして「馬鹿野郎」と戻って来ます。逆におかげさま、

ありがとう」と叫べば、同じように嬉しい言葉が返って来ます。

 この素晴らしい、分りやすい真理が、凡夫の私たちは、なかなか理解できないのはなぜでしょう。

 一言で申しますと、自分が可愛いと思う欲の深い人が、率直になれぬのであります。

 この世の中の苦しみは、「欲」が始まりと佛さまは、申しておられます。

 「小欲知足」即ち、欲を少なくして、足りる事を知れと教えられます。

 一言付け加えますと、「小欲知足」の心になると同時に、一足踏み出して、相手様を生かす善行に精を出す

ことであります。

 文字を分析しますと、人(人偏)の横に「為す」と書きます。この文字は「偽り」(人に対して行なったことが転じて

自分に戻ってきます。人の為にすることに、嘘、偽りがあってはいけないことを教えている)と読みますように、

親の為、社会の為に尽くすことは、自分の元へ戻って喜びとなり、徳となることを理解し、信じて努力する事が、こ

の煩わしい世相に子々孫々が栄えるエキスであり、善道であります。

 

 節のある木は強い

 過去に「急性大動脈解離」という病魔の来襲で、急きょ一ヵ月半入院しました。

  全快してから、主治医から聞きますと、「危機一髪で助かったのですよ」と言われ、先ず神佛をはじめ、ご先祖

の御加護であり、身辺で家族身内の手厚き看護であり、会員信徒皆様からの有りがたき祈りのおかげさまと喜んで

おります。

 そこで、私の今回の入院事件は佛様から、読み悟れとご指示があったと次のように悟りました。

 苦の娑婆と言われるこの世は、病気・経済・不和の苦しみが渦巻いております。

 節のない柾目(まさめ)の通った杉や檜は、見た目は素晴らしく、値段も通るが弱い。逆に節のある木は、見た目も

悪く値段も通らず、廃材にされやすいが、この節を生かして家具を作り、建築材としてし柱に使ったら、値段も安く、

一風面白いではないかと、ある山林地帯の材木屋さんが、行き詰まりか知恵を絞って、節のある木を生かす事に

気づき、この不況時代に意気を吹き返されたと聞く。

 私も高齢者の年代にはなりましたが、今回の大病を生き節と考え、訪れた節目をいかに生かそうかと考える

き、大病により生気がよみがえり、毎日楽しく、明るく布教活動に精を出し、すがすがしく乗り越えております。

 

 

お盆を迎えて

 信仰にも段階がある。信仰は理屈ではない。実行した分だけ身に付き、深い悟りが得られるのである。

 熱心に信仰していると、すべての神さまや佛さまが、ご利益を与えて下さると考えやすいが、これは初歩の信仰

である。

 また、折角信仰をしていても、自分の願いが叶わないと迷いを生じ、自分のわがままを通して、行をすることを

忘れ、愚痴・不足が充満して、手の施しのない状態になり、不幸の坂道を転げ落ちる人もあります。

 自分の人生は、自分が切り開き、幸福は自ら作って行くものです。

 幸福を見出す方法、一隅に光を得る手段・方法を教えているのが、佛法であります

 常に法話に耳を傾け、佛縁を深めて、良き師に近づくことが大切なのです。

 

 身近な体験

 勇気を出して先生にお尋ねして、心願が開きましたと県外のご信者さんから嬉しい便りです。

 その内容は、「先生、私も寄る年波で、身体のあちこち調子が悪く、特に視力が弱くなり、毎日の生活に望み

もなく、精神的に落ち込み、その上、主人の私に対する薄情な行動に腹が立ってなりません。どのように考えたら

よろしいですか」と初老のご婦人からの必死の相談です。

 私は、単刀直入に、「人間の身体も機械と同じように、永年使っていれば、どこか不良箇所も出て、中古車の

ような働きになるのは当然です。年を取れば取る程、我が身に「喜び」の油をさすことを忘れてはなりません

あなたは、折角教えを学びながら、視力の弱くなった目に不足を言って、この年まで見えて使えた事に感謝を忘れ

ていませんか。自分の事ばかり考えるわがままな目の付け所に間違いがあったと気づき、人さまのことや家族の幸

せを願う目の切り替えをされたらどうでしょう」とお伝えしました。

 続けて「先生、実は私は、幼児の頃から角膜縁を患い、元から視力は良くなかったのです。」言われました。

 そこで、私はこの方に「あなたが、子供の頃から目が悪いために、亡きご両親は、あなたの目を我が身に変え

て治してやろうと寝ても起きても思われたことでしょう。あなたは、今年とともに、自分の眼病を嘆くけれども、ご両

親の心労を考えた事がありますか。今からでも遅くありません。ちょうどお盆の時期でもあります。ご先祖さまやご

両親に対する感謝を捧げると良いですよ。心配のかけ通しであった亡きご両親に対して追善の徳を積まれれば、

心願が開いて、楽しい余生が送れます」とお伝えしました。

 折り返し手紙とご供養が届き、「目が覚めました。今日まで、自分の事ばかり考え、他人の幸せや恩人に対す

る感謝を忘れていました。お尋ねしたおかげで、心願が開け、こんな嬉しい事はありません。」とご返事を頂きまし

た。

 

 

思いやりの心が人を引き寄せる

行列の出来る若手医師

 医者も宗教家も教師も、あらゆる仕事はサービス業と心得よう。

相手に喜んでもらい、感動と安心を与えるのが、幸せ名人」である。

 ある総合病院に行列のできる整形外科医がいる。外来患者の診察日、若手医師の前には、カルテが山のように

積まれる。人気があるのです。では、どこに人気の秘密があるのだろうか?

 診たてがいい? 手術の腕前がいい? もちろん、それもあるのでしょう。しかし、秘訣はこんな所にありました。

 

名医とは患者の心が汲める人

 極度の腰痛を起こし、この医師の診察を受けてわかった。

「原因は年齢から来る骨の老化と磨耗により、神経が圧迫されて痛むのですよ。しばらく点滴をして痛みを和らげま

しょう。 毎日点滴に通われるのも大変ですし、手すりなどの設備のない家の中では、立ったり座ったりも大変です

から、数日入院をされては如何ですか? 手術をしても簡単に治りますよ。痛みの和らいだ段階で、手術をすねか

どうか相談しましょう」

 

聖人は口より耳が大きい

 相手の気持ちや意見も充分聞かず、自分の考えが一番と相手に押し付けるのはプロとして未熟である。この医師

は医学のプロとして、最初から決め付けてものを言われないのです。

 誰しも手術と言われれば、いささか不安もよぎる。まず患者(お客様)の意見を良く聞き、安心の出来るように考

えて下さる。その上で、プロとしてより良い方法をアドバイスして下さるのです。

 名医とは《患者の心が汲める思いやり》である。単なる年功や技術の良し悪しではない。

 すべての仕事や商売に通ずる真理である。

 まず相手様

 プロとして、お客様に対するこの低姿勢、謙虚な姿勢が人気を呼ぶのです。お客様の安心出来るよう、希望が涌くよ

うに接する思いやりの心が人を引き付け、行列が出来るのです。

 

 

生命の尊さ

 人間は、生きようとして生きられるものでもない。

 死のうとして死ねるものでもない。

 大自然に護られ、各自大切な使命を果たすべく生かされている事を自覚せねばなりません。

 この心境にいつなれるかは、修行次第と思います。

 

 昔から「天災異変」は天からの忠告であり、戒めであると聞かされています。

 起きた事、成った事をどのように悟り、しっかりと真実をつかみ、明日の人生建設の教訓ととらえた時、勇敢なる立ち

直りであり、力強いエネルギーの原動力となるのであります。

 生命の尊さを知り、平素に人の為に正しい教えに従って努力しておれば、願わずとも奇跡が生まれ、神仏(大自然)

に護られる事間違いありません。

 

 

迷悟苦楽の世の中を因果の理法で説く

 日本国内において、台風あり大水害あり、大地震ありと未曾有の天災に見舞われました。

一方、国外に目を転じましても各国いたる所で天災地変が起き、地球は潰滅状況に近づいていると、学者やマスコミ

は論じ、警告を発しています。

 これも間違いない説ではありますが、不幸の真実はもっと奥の奥、私たちの生活の深いところに原因があるのでは

ないでしょうか。

 ここで、尊いお釈迦さまの説かれた宇宙の真理、佛法の鏡に照らしてみますと一目瞭然、なるほどと割り切れ、

今からでも国民一人ひとりが襟を正して、自らを反省し勇気を持って、今日の苦難に立ち向かったら、明日の平和が

訪れると思います。

 佛法を正しく実践すれば、この因果の理法がわかり、苦が訪れようとも迷うことなく、峠を乗り越えられ、毎日は楽

しくなります。

 世界の平和は、各自我が家の円満なる喜びを自覚し、国際間も国内政治の世界も企業の世界も平和の為には、

相手とよく話し合い納得し、割り切った生活。即ち相手の目線まで、己の主眼を下げて話し合う努力をすることが、

永遠不滅の戦いのない平和郷建設であると思います。

 

 

新しい年

 新年とは、新しい年のことであります。過ぎ去った事をいつまでもぐずぐず引っ張っているようでは、希望あふれる

年にはならない。

 日本国内を始め、世界各地に予想もしない天変地異の大災害が起こり、先々何が起こるか分らないと不安を抱え

ているのが、偽りない真実と思います。

 地球温暖化防止のために、色々な会議をすることも、二酸化炭素の排出量の低減案も必要でしょう。しかし、そん

な生やさしい活動では、地球の危機を救えるでしょうか。

 国民一人ひとりが、身近なことで気づき自覚のない限り、真の平和・世界の安泰は築けないと思います。

  人間一人ひとりの集まりが国となり、世界となり交じり合って、経済も科学も成り立っているのです。一人ひとりが、

私の今日の心は平和であり、感謝の気持ちで生活しているか、振り返ってみるのです。

 過去の歴史を振り返ってみると、大災害があった時は、必ず家庭は乱れ、社会は利己主義がはびこり、企業は共

存共栄どころか、相手の裏をかいても我が社の利益の為に戦い続けている。国際関係も斯くの如く、表面は技術提

携や支援援助の関係を保ちつつ、一つ間違えば、乗っ取り事件のように、金や権力で封じ込める協力であり、平和

的な協力合体ではない。科学万能の時代を迎え、平和を唱えながら、裏側の悲しい事実は、大自然からの警告とな

って、天変地異の大災害となって現われているのです。

 家庭の和合、社会の交流、世界各国の助け合う努力なくして、真の世界平和はやってきません。ましてや、利害損

得を論じて、過去の怨念や憎しみを根に持っているようでは、現在いくら栄えてもいずれは戦争となり、人間の醜い

殺し合いが続き、平和は永遠にやってきません。

 武力や金権力で相手を押さえつけるのでなく、「押してだめなら、引いてみよ、引いて駄目なら、しばらく時を稼いで

みよ。」こんな分りやすい真実が私たち凡夫は、欲のために信じることも出来ず、我流が正しいと走り、大災害を起こ

して、自滅しているのであります。

 現在どんなに栄えている家も、どんなに成績が上がっている企業も、家の中で会社の中で和が欠けて「喧々ごうご

う」と争いが始まりますと、いずれ社業は衰退、家庭では病気が絶えず起きて、家運も社運も傾き始めるのであります。

 国際関係においても、戦いやにらみ合いが続く限りは、両国共に滅亡への道を歩んでいきます。

 佛眼をもって眺める時、「北風では、人は育たない。ぬくもりある太陽の光で人は育ち、生物は成長する。」のが真理

であります。この考え方が、佛さまの慈悲であります。

 なかなか実行は難しいものですが、佛さまの真似をして私たち一人ひとりの考え方ちと実行により、家庭の和、社会

の発展、国の隆昌、世界平和建設の出来ることを確信して、新しい年に致しましょう。

 

 

福の神は自分なり

 「福の神は自分なり」と自覚が出来たら人生は楽しくなる。では福の神とはどんな人か。

 常に明るく、楽しく、にこやかな人が福の神である。よく怒る人、よく愚痴を言う人、日々身の回りに起きる事を

悪く考え、苦虫をかんだような人は貧乏神である。

 貧乏神の周辺には、人は寄ってこない。貧乏神の周辺には常に病気、貧乏、不和が集り、この集りには魅力

がなく、活気がない。そして、商売や企業なら成績は落ち、従業員には日々新しく工夫する活気がなく、やる気の

知恵は出てこない。

 貧乏神の住む家庭は、各自勝手気まま生活で「我は我の道を行く、忍ぶ事も協力する事もせず、笑顔も無けれ

ば明るい会話もない」

 このいやな貧乏神を追い出す方法は、何も難しい事ではない。自分が福の神となって、明るく、楽しく、にこやか

な笑顔の福の神になる事である。自分が福の神となって、悩める人に福を与えるのが自分の使命であると目覚めた

ら、どんなに楽しく、希望が涌いてくる事か。これが正しい信仰であります。

 国民大衆から、若手政治家として嘱望され、将来に期待される人がいる。

 議会において、総理に詰め寄る質問は結構ですが、怒りを含め、総理を見下げる態度は貧乏神の相貌と思う。

 かって某党の二番手、三番手の時の方がふくよかな顔であり、ゆとりある態度は、国民に将来を期待され望まれ

ていた。今の顔つきは、怒りを前面に出されている。その姿勢こそ地獄であり、先が危ぶまれる。怒りは病気、不

幸災難の本と佛教では説いています。いち早くこの事に気づかぬ限り、益々怒りの為に徳を削り、取り返しのつか

ぬ落とし穴に飛び込んでしまいます。前途有望の人なるが為、佛様の声としてご忠告申します。

 

なぜ信仰が必要か。人生は平々凡々であるのが幸せと思いがちですがそうではfありません。人生には、上り坂、

下り坂、まさかの坂があります。時に、まさかの坂がやって来ても平素信仰を養い鍛えてある人は、動揺すること

なく、平然として乗り越えられるのです。人生は平素の努力が非常時に実力となって出るものであります。

 正しく法を学び実行すれば、誰でも福の神になれるのです。

 

 

法眼を学べ

 世の中の出来事、すべてを凡夫の知恵で割り切り解決しようとするから、矛盾を感じ、怒り地獄におちるのであ

ります。

 ここで佛法から学ぶ法眼で、すべてを眺めると、一刀両断成る程と腑に落ち、垂れ込めていた暗雲も晴れ上がり、

生き甲斐のある人生を誰でも歩めるのであります。

 法眼はどうして学べるのか。

お釈迦様の説かれた大自然の哲理、即ち佛法を先ず聞くこと。

 どのくらい聞けば良いのか、先ず自分の年の数だけ無条件で聞くことが大切であります。成る程と納得が出来た

ら、直ちに実行に移す事であります。行なえば実ると字の如く、未だ味わった事のない新しい答えが出るのであり

ます。これが法眼で眺めた正しい人生の歩みであります。

 私の独身時代(二十六才)の話であります。

結核(当時は死病)になり、血を吐き続けた十ヶ月の入院生活に私の青春は、真暗闇で夢も希望も失って居りま

した。

 一人息子の私を救わんが為、父は闘病生活の費用のやりくりに苦しみ、母は命かげで看護してくれました。医

者に見捨てられた私に母は「頼むから良い話をしてくれる信仰の先生に会って話を聞いてくれ」と哀願するのです。

 若き私の知恵は、「信仰で病気が治るなら、医者はいらぬはず」と反発して居りましたが、泣き崩れるように頼

む母の真心に私は負けて信仰の先生にお会いしました。

 先生が一言云われました。

 「あなたは人の三倍も働き努力されましたが、ひとたび自分の思い通りにならぬと人の五倍ぐらい怒りましたね。

怒る事はすべての宝物を亡くし、病気なら不治の病を患うのです。

 よく怒る人は、三歳の童子以下であり、脳膜炎の病人より一厘足らないのですよ。」

 未だ聞いたことのない喩え話、この一言は私の脳裏に一撃を与え、今日までの高上がりの自分の身の置き場の

ないぐらい恥ずかしくなりました。

 先生「怒らなかったら病気は治りますか。」「はい治ります。」「怒らなかったら経済は楽になりますか。」

「はい、楽になります。」「では、先生私には学歴がありませんが。怒らなかったら学歴は出来ますか。」と尋

ねますと、いとも簡単に「怒らなかったら学歴はつく。」と申されました。

 こんな話は今までに聞いたことがない、魚が水を得たるが如く、暗夜に灯を得るが如く、歓喜雀躍し直ちに退院。

毎日毎日を怒らぬ努力をして、楽しく法を聞き続けて今日に立ち至り、九死に一生を得て高齢を向かえた現在もなお

元気で法務に精進し、一宗一派を開教した学歴のない私の周辺には、お弟子さんやご信者さんに優秀なる人材が

育ち、社会に飛躍する方々から先生と言われる私は、正に学歴が出来たと同じであり、法眼の素晴らしさは、理屈

や理論ではありません。

 どなたでも仏縁を結び法眼を活用すれば、即ちこの世は極楽となります。

 悩める人、喜べない人、諸々の苦しみ有る人、必ず明るい人生が歩めます。

 

 

我欲を捨てよ

 人間の苦しみの本は、欲であると教えられています。佛教では「小欲知足」、欲を少なくして足りる事を知ること

が平和を築き、安穏な生活の出来ることと教えられています。

 昔の歌に「人の心と降る雪は、積もるにつけてわが道を忘れる」と詠まれていますが、正にこの通りであります。

 金欲、名誉欲・物欲等で、せっかく築いた宝の山も紙屑同然となり、その上、地位も剥奪され、裸の王様となっ

た大企業家も「我が身可愛いさ、金銭の欲」から没落される姿を見るとき、欲ほど恐ろしく悲しいものはありません。

 国を治める政治家も一期ニ期当選の初歩当時は、頭も低く、地域のため、国のために己を慎み、身を粉にして

努力され、人気も人徳も築かれますが、古参となると、権力の欲がのろしを上げ、相手の意見にも耳を傾けなる。

その頃からどんどん運命は下り坂となるのであります。

 自分は、この仕事に、この地位にベテランとなったと考え始めたら、下り坂と自覚しなければなりません。

 人間は、死ぬまで勉強であり、学ぶ事ばかりと己を低く、相手を建てる人こそ人物であり、常に学ぶ心のある人

は、どことなく光り輝き、また、年老いても生き生きして、大衆から好かれ、人気があるのであります。

 

 この世の中のすべてのことは、大自然即ち佛さまからの預かりものであります。お預かりしている間は、丁寧に

使わせて頂き、いざ返して下さいと要求があれば、喜んで今日まで預かり使わせて頂いたお礼を言ってお返しする

事を知っていれば、喧嘩する事もなく、財産分けで争うこともありません。親の残した財産で裁判までしてよくもめる

ご家庭がありますが、こんな見苦しい、悲しいことはありません。

 遺産相続即ち「田を分ける」と書きますが、子孫にたわけ(馬鹿者のこと)が出来ると教えられます。身体的

に馬鹿な人ができるばかりでなく、精神的につかいものにならない人が子孫にできることを言うのであります。

 欲で争って得た財産は、お金では解決のできない病人とか、思想の狂った人間ができることを知らねばなりませ

ん。悪業でなった病気、業で作った財産は、業の消滅即ち、積善の功徳を積む以外に消滅致しません。

 

 

笑顔が宝

 運命は、毎日の生活に笑顔が出始めたら好転する。

 病人でも、笑顔が出始めたらしめたもの、全快の兆しである。

 企業でも、トップに笑顔があり、社員間に明るく笑いの起きる話題が充満したら、業績は上り、会社は発展する。

 どうしたら笑顔が出るか

  笑顔が出ないのは、私達の身辺に訪れる色々の出来事を「悪く考え、暗く考える」からであり、この見方を切り

変えぬ限り幸福はやってこない、笑顔は生まれない。

 すべて訪れた事は、良きに悟って喜びに変える習慣(くせ)をつければ、誰でも幸福になれる。世の中には大変

な事が起きる事はいくらでもある。その時、私は運が悪い、ついていないと嘆き暗く考える人に幸せは絶対訪れま

せん。

 大変な事が起きたら「運命が大いに変る時が来た」と明るく考え努力すれば、誰彼の差別なく幸せはやって来て、

災い転じて、福来る」の諺通りになる。

 佛様の鏡に照らして見ますと、八正道の教えがあり、その第一に正見(観)とあります。すべての出来事を正しく

見れば、嘆く事も怒る事もないのです。

 しかし私達凡夫は、悲しい事に訪れる数々の出来事を正しく見ず、邪見(よこしま)に見る為、答えは違い大変

な事が起き、取り返しのつかない事が起きるのです。

 今解決の出来ぬ国際間の問題も正しい見方をせず、自国の事ばかりを中心に考え、責め合う対立の姿勢をみ

ると、一つ間違えば大惨事となる戦争がいつ起こるかわからないのが真実である。

 一歩振り返れば、親子の問題、夫婦の生活、可愛い幼児等で、この道を歩んで居れば安心と言い切れるご家庭

は何軒あるでしょうか。

 余程間違いない正しい心の有り方を勉強しない限り、非常時即ち「まさか」の坂が来た時、凡夫は動揺し前途真

暗闇の中に突入してしまいます。

 正しく見る「正見」のすばらしさを実行して見て下さい。

 

 

決断と再起

 人生に無駄なことは何一つない

 成功や失敗の原因は、すべて自分にあると受け止めたら、すぐに決断出来、再起の勇気も生まれ、何一つ怖

い物もなくなり、堂々と自信を持って歩み、毎日は楽しく、人として生まれて来たことを心から感謝できるのです。

 国際問題の争いも家庭のトラブルも人間の常識や知恵では、根本的な解決は出来ない。根本治療をしないと、

病気と同じで再発してね命取りになるのです。

 根本治療とは、心のあり方、即ち考え方を整えることです。常に相手を優先して考え、相手の目線まで自分

を下げて話し合う努力をしたら、必ず誤解は解けて、和やかに和解が出来るはずです。

 人は、理解が出来ても、行動が出来ないことへの疑問と心の醜さに落胆とあせりを生ずるのです。ここに宇宙の

真理を説かれる佛様のお考えを鏡にして、己の心を写してみますと、一目瞭然はっきりとします。「諸々の苦しみ

貪欲之本なり」、自分が可愛いという欲を離れれば、すべて解決するのです。

 

 天下の名大関と讃えられた某親方が、五十五才の若さで亡くなられ、日本全国津々浦々に至るまで、新聞、テレ

ビ等で相撲界における偉大なる功績を讃えた。惜しい人を亡くしたことに、哀悼の意を捧げます。

 しかし、残念なことに、日本の国技である大相撲の世界において、未だかってない兄弟横綱を輩出して、相撲界

界のプリンスとまで言われた兄弟横綱の天上界から地獄界に堕ちた骨肉の争いの現実が、父の葬儀の前後から

報道され、一般国民をはじめ世界の相撲ファンはなんと受け止めたでしょうか。

 私は、相撲界の第一人者であった兄弟横綱も人間として欲に走らず、財におぼれず、人情あふれる道を歩み、親

方の死にさすが兄弟横綱は違っている。技も人間味もあって、真の横綱であると、今こそ日本国技の素晴らしさと

親の心を汲みとる日本人の偉大なる大和魂を見せてほしかった、残念である

 争いは、両者に言い分がある。どんなに理が通っても親から眺めたら、わが子の争いは悲劇である。

 算盤の割り算も頭から割る(親の立場や上司の立場)と正確な答えが出る。自分中心の考えで割ると、答えが出て

も正解ではない。兄弟横綱の争いも親の心を汲みとって、割り出した答えであったら、損はしても天が認めて、大衆は

拍手をもって、この偉業を讃えることと思います。

 今からでも遅くない。兄弟横綱のどちらからでもよい、偉大なる父の心を汲んで、再起して人の道を渡って頂けるこ

とをお伝えします。

 

 

大切なお盆

 佛教徒として、忘れてならぬ大切な行事の一つに、年一度迎えるお盆供養に対する再確認と実践があります。

 三度の食事を忘れても、忘れてならぬ親の恩(世祖さまのお言葉)分っている事ですが、何を差しおいても、亡

き親に対する感謝と報恩の心を起こして、施し徳積みの功徳を積む時であります。

 ある日曜法座に見知らぬ顔の男性が、私の法話を最初は退屈そうに聞いてみえました。しかし途中から、身を

乗り出し、目をさらにして聞いて見えました。法話が終りますと、私の前に進んでこられ、こんな話をされるのです。

「先生の話を聞いているうちに、今日まで割り切れず、自分は運がないとばかり嘆き、半ばヤケクソになっていた

自分の心の間違いと、原因は自分にあったことかはっきり分りました。先生のお話中泣けてなけて、恥ずかしいぐ

らい涙がこぼれました。先生のご法話の喩えに、どんな大きな木でも根が枯れ、水分がなくなり、根に肥料が足ら

なくなったら、幹は枯れ枝葉にせっかく咲きかけた花も枯れ、実は稔ることなく落ちてしまう話で、私は自分の愚かさ

と大切な親を恨み憎しんでいたことを恥じています。私の幼い頃、どんな理由か知りませんが、私と母を捨て去り、

苦労して一人前になった私の前にも現れず、薄情な父はないと今まで恨み続けていました。そして、苦労して事業

を始め<さあこれから軌道に乗り始めると経済的な行き詰まりや従業員の問題で、手も足も出ず倒産寸前ですが、

先生の説法の中で、父親を尊敬できぬ人は、金で困り、母親を尊敬出来ぬ人は、結婚しても家庭の円満が保てず、

不和が絶えません。まさにこの通りと心の底から思え、私の不幸の原因が分りました。」と言われるのです。

 その後、この企業家は、百八十度考え方を改め、ご法を真剣に学び、行方不明の父の功徳を積み続け、今は、

娘さんに養子を迎え、事業の大半は若い人に譲り、老後の幸せな生活を送ってみえます。

 原因を知って、親を尊び、徳積みを続ける功徳は計りしれません。

 

 自動車保険が切れていたので、早速に某保険会社を呼び、多額の保険料を払いました。その時私は、初めて見る

外交員でしたので、「貴方とは初対面ですが、貴方の名刺に○○保険と書いてあるので、信用して保険料を支払う

のです。貴方は△△支店の方ですが、本店にみえる取締役社長のお名前はご存知でしょうね。支店長は大切にして

も、本店の社長の名前も知らないようでは、出世は出来ません。」しお伝えしました。藪から棒のような話で、彼はビ

ックリして、このことを会社の朝礼の時に、お客様からこんな事を示顕されましたと話されました。すると、支店長さん

から褒められ、その後彼は企業の中で常に上を尊び、上司の気持ちを考え、仕事の面では、お客様の目線まで下が

って、保険の外交を続け、今ではたくさんのお客様から好かれ、好成績を上げ、会社になくてはならない存在となって

います。

 彼の素晴らしい事は、何年も前から佛さまへの徳積みと可愛い子供たちへの施しとして、お菓子袋を供養されてい

ます。このご利益は、企業での彼の成績に表れ、家庭においては、奥様の小売りのお菓子屋さんが大繁盛を続けて

います。

 親に対する孝養と佛法に対する供養を続ける時、不思議と守られ、幸運がやってくるのです。

 

 

人事を尽くして天命を待つ

 精一杯、全力投球し愚痴をこぼさず、不足を言わず努力したら、あとは何とかなる「天にまかすれば良い。」

 この心境に徹すれば、何の動揺も不安も無くこの世は極楽である。

 凡夫の私達はなかなかこの境地になれないから、六道(天上、人間、修羅、畜生、餓鬼、地獄)を輪廻するのであ

ると佛教では教えられる。

 誰でもなれます平和な生活。しかし、希望溢れる人生は怠けて者ではなれぬ。努力して常に正しい信仰を身につけ、

人の為に優先する善行に精進すれば、間違いなく安心立命の道は開けて来ます。

 

 世の中は心配した事はない。常に一点に止まるこ事なく移り変るのであります。

 この真理をお釈迦様(佛)は「諸行無常」であると申されたのです。

 凡夫の私達は今日の栄誉栄華の生活がいつまでも続くと考えることが間違いであり、逆に教の苦しみが何時までも

続くと考えるのも間違いである事を気付かねばなりません。

 再度申しますと、常に世の中は一点に止まる事はなく動き続けているから、少々幸せになってもあぐらをかいて怠け

ず、善行に向かって歩まねばなりません。

 逆に今はどん底の生活でも、ひねくれず不足を言わず愚痴らず、前向きに努力しておれば必ず栄光の道は訪れる

と信じ精進する事であります。

 

 

国乱れて忠臣現れる

ゲンコツを握手に変えて

 争いは勝っても負けても、結果は心に傷つき破滅となる。正しい佛教の考え方は、常識論ではなく自然の真理を教

えられています。

 今回の衆議院議員解散選挙は日本列島に大振動を巻き起こし、某政党内には造反組が起き、これを鎮圧すべく落

下傘部隊が舞い降り、刺客が中央から地方に差し廻されるという前代未聞というべき事態が起きて参りました。

 泣く人、有頂天に喜ぶ人の結果がわかります。

 「国乱れて忠臣現れる」の諺の如く、いよいよ本物の政治家が出現する時が近づいたと思う。命がけで政論を戦わ

せ死力を尽くしての各候補者の活動はご苦労様と評価します。しかし論争の末で、個人攻撃や批判の結果が戦い済

んで残り、悔しい遺恨や憎しみとなって緒を引いてはなりません。

 国際間に目を転じますと、北朝鮮問題及び中国問題等も過去、戦争における憎しみ、遺恨が平和を唱えながら芽を

吹き出し、平和を望みながら一触即発の危険が漂っていることを痛感に感ずる時、永く時間をかけ話し合い、佛さま

の考えである慈悲の心で辛抱強く、ゲンコツ(権力や理論で押さえ込む)でなく「相手を尊ぶ温かい握手」以外、国際

問題も政治の世界も、企業の発展も、我が家庭の平和もあり得ないと思います。

 「平和のために危険を冒す」この広大なる精神でない限り平和はやって来ません。

 物に恵まれ、何不自由のない平和にあぐらをかき、自分さえ良ければいい、我が家庭が平和でありさえすれば良い

と、利己主義的な考えが今日本は愚か世界中先進国に蔓延しているのではないでしょうか。

 物質文明に恵まれるのが真の平和ではありません。人様に真の平和を与えるために、今の自分の小さな平和に甘

えず、大発奮して人様のため社会のために我を小さくして、善行実践のために危険を冒す信仰者になる時が来たの

です。

 

 ある真面目な青年が母を通じ、会長先生に聞いて下さいと言って左記の質問がありました。

 「命の尊さを一言で教えて下さい」

 私は即座にお答えしました。

 「相手を生かすこと」であります。

 自分以外の人を生かす努力をしない者が、いくら立派な事を叫び論じても、相手を傷つけてしまう。相手が小躍りす

るような感動を与えない様では、相手を攻めただけ自分も攻められ真の安心は出来ません。

 手ぬるい様でありますが、佛様の広大無辺の考え思想を率直に信じ実行する以外ありません。家庭も会社も救うの

は、自分であると遠大なる考えを身につけ、人生に自信を持って進むのが真の信仰者であります。

 

 

 同じ水でも、毒蛇が飲んだら毒となります。乳牛が飲んだら牛乳になります。

 水に変りはないけれど<個々人間の考え方の違いから、水は毒ともなり薬ともなる事を学びますと、極楽はいづこに

ありかと尋ねれば、吾が歩んで来た道にあると悟れば、己を立て直す以外ありません。

 佛教はすべて生かす事を教えています。魚でも毒のあるフグは最高の珍味です。毒を上手にこなせば極上の料理

となります。

 毒を持つマムシでも百足でも、毒を上手にこなせばマムシ酒となり、百足は怪我を治す良薬となります。

 人間も不幸という毒、不運という毒を、佛教を学び上手にこなせば、最高の良薬となります。人間に又我が身にふり

かかる問題は、すべて私を幸せにして下さる天からのボーナスと考えたら、天上天下自分ほど幸せ者はありません。

 佛教、特に法華経は最大の教えであり諸教中の王と聞かされておりますが、この真理を身近に学び覚えるには、良

き師を選び良き師に追随し、どこを切っても師と同じ地の流れる弟子になる事が幸福をつかむ近道と信じます。

 

 

ありのままを喜ぶ

佛教とはどんな教え、どんな思想?

佛教とは特別の事ではない。日常生活そのものなのです。

生きている生きざまそのものが大切であり修行なのです。

 今日私達の身近に起きる悲しい事、腹の立つ事、又逆に嬉しい事、楽しい事、希望の持てる事、すべての善悪をあ

りのままを喜べる心境になれたら、この世極楽でありバラ色の人生を歩む事が出来ます。

 過去を悔やんでみたところで、過去を変える事は出来ません。ならば過去は捨てましょう。

 未来は、あれやこれやと考えてみても、どうにもなることではありません。所詮はなるようにしかなりません。

 私たちは、今なす事をしっかりやればいい

 悲しいときは、しっかり悲しめばいい。

 苦しいときは、しっかり苦しめばいい。

 嬉しいときは、しっかりよろこべばいい。

それがお釈迦さまの教えであり佛む教なのです。

 先のことより、今が大切なり

 わたしたちは、目前の仕事であっても、それを雑用といって粗末にしたり、誰かにやらせようとします。しかし、その

雑用こそ、今の私のかけがえのない仕事なのです。それを雑用と名づけようと何であろうと、今の仕事であると喜ぶ事

であります。

 

 田畑にどんな良い種を蒔いても、常に耕し手を加えなかったら雑草がどんどん生えて収穫は少なくなってしまいます。

 教えも斯くの如く、教えも一度聞いたからよくわかった、施しとご供養さえしておけばそれで良いとして、尊い佛縁に

近づかず我流に走るようになりますと、一旦非常時がやって来ますと正しい判断も出来ず、前途真っ暗闇となり人生の

壁にぶつかってしまいます。仏の智慧で物事を見れば、闇夜に灯火を得たるが如く、渡りに舟を得たるが如く、洋々

と道が開けて参ります。

 

 

年末を楽しんで

 極めて楽しいと書いて極楽と読みますように、私達の日常生活に起きてくるすべての出来事を最高に喜ぶ事が極楽

を生み出す秘訣です。

 どんなにいい事をしても、ニガ虫噛んだような顔をしていたら人は寄ってこないし、自分も嫌になり福の神は逃げてし

まいます。

 「もういくつ寝るとお正月」と昔の子供はお正月の来るのを指折り数えて楽しんだものです。

 時代が変り人の心が変化した現在では、小躍りをしてお正月を迎える風習がなくなり、楽しく考えるくせもなくなった

現在、活気溢れる喜びも感動も沸かないのであります。

 私達の毎日の生活に、毎日のお勤めに、毎日の仕事を楽しんでやっておりますか。

 楽しく勤め、楽しく働き、楽しく家庭を護り続けたら、爆発的な喜びの華が咲くのであります。

 病気をしても借金があっても事業は倒産寸前であっても、今日生かされている喜びを爆発的に楽しんだら、未だかっ

てない、素晴らしい年末であり、やがて来るお正月も楽しく待ち遠しくなる希望の年末であり、光差し込む新年を迎える

事が出来るのではないでしょうか。

 

 

心の切りかえが新年

 欠点に泣くより、長所を生かす人となれ

 不幸、不運を脱却出来ないのは、欠点ばかりに執われ、喜びが欠けているのであります。

 幸せになるには、人様の長所を見出し、自分の長所に感動する事です。

 動けば風なと起きます。この心掛けが不幸を乗り越え、順風を呼び起こ秘訣であります。

 

 

菩薩真生の時代を迎えて

 今や日本も世界も大変化の時代を迎え、旧来の考えでは時代に取り残されてしまいます。真面目だけのスケールの

小さい考え方、自己の幸のみを願う信仰の意を脱しない限り真の安心立命は得られません。

 自社の発展だけを中心に利益追求をしている会社は大企業と言えども潰れていきます。小さな自営業でもお客様の

立場になって、喜んでもらえる商品を整え、お客様に尽くし切る店は、いかなる不況の波にも押流されるず生き延びら

れます。滅びゆく商店街、崩壊する家庭を見るとお互いが自分勝手なわがままの主張をし、協力的妥協性がない結果

て゜あります。

 栄える企業は自社の繁栄を計ると同時に、社会奉仕のため、人のために施しを努力されているのです。自分だけ懸命

に努力する信仰から、人さまにも幸せになる道を伝える信仰に脱皮しましょう。

 

 

日本はすばらしい国

もったいない おかげさま ありがとう

 こんなすばらしい言葉が日本には残っており、特に「もったいない」という言葉は英語ではない。

 この言葉の如く、感謝の気持ちがあれば日本の将来は大丈夫であります。

 年末から新年にかけて何十年振りの大寒波で日本各地は稀に見る大雪であります。

 古い言い伝えでありますが、大雪の年は豊年であるときかされております。何故か、大雪の寒さで害虫で死んでしま

うから、農作物は豊年であると昔の人が言い伝えきました。

 凡夫の私達は、人の欠点、世の中の不幸、即ち暗い面ばかりを論じ、悲観したり、愚痴不足を言って明るい言葉一

つ使えない愚かな人間が終戦後六十余年たって、その結果が今日の日本の姿であり、将来ある青少年を骨抜きにした

弱々しい姿であります。「心の持ち方、考え方の間違い」に気付き、すべて今日起きて来る即ち「ありのまま」を喜び

感謝する心なくして良き日本、良き世界を築くことは出来ません。

 現在の日本人の勝手気ままな考えを、切り替え実行しない限りどんなに科学が発展してもパソコン・コンピューターが

普及されても真の幸せは握れません。

 時代の先端を走りますパソコン・コンピューターも使い方を間違えますと、自殺する人を作り出し、ボタンの押し間違い

が株価の大暴落となった企業の末路を知る時、正しい考え方で操作しない限り気違いに刃物を持ちせた様で何が起こる

かわかりません。

 化学、文化、医学の先端を走れば走るほど、人間として正しい思想、正しい信仰心のない限り誠に危険であります事

を声にして叫ぶものであります。

 

 或る日駆け込み寺の如く私に面会を求めて来ました。

 悩みはこうでありました。彼は三十幾才となって未だ独身であり、父は六十幾才で病弱であり、彼は長男として家計を

応援する立場ですが之という職も付けず、今はフリーターであってなかなか思う職も見つからず途方に暮れております。

と切々たる訴えです。

 「世の中のすべては縁であって、人生よくなる人は触れる縁が良く、人生を大改革出来るのです。あなたが飛び込んで

お会い出来たことは、これから大きな変化を起こすチャンスです。率直に貴方の苦しみの原因をお伝えします。

 父親を尊敬出来ない人は職に困り、金に困ります。

この真実が納得出来れば今日からでも運命は変ります」と単刀直入申しました。

 彼はびっくり仰天「先生の申される通り私は父が大嫌いで尊敬心など全然ありません。先生、どうして初めて会った私が

見抜けたのですか」

「それは尊い教え、佛教を学んで居りますと仏様の智慧をもって考えますから正しい判断が出来るのですよ」

 びっくりした彼は目からウロコがこぼれた如く感動し

「これから父への思いを切り替えます」

「今日までのあなたの不幸の原因であった事がわかれば今から父を喜ばせなさい。必ず不幸を転じ運命は好転します」

と断言しました。

 彼は小躍りして「暗雲垂れ込めていた自分の目の前は明るくなりました」と希望に満ちた顔となりました。

「一度聞いて感動し目がさめましても人間はすぐ煩悩が起きて来ますから一度でも多く来山して法を学んで下さい」と申し

堅いお誓いをしてもらいました。

 

 

一風起きて晴天となる

 凡夫の私達は、平々凡々で波風が立たないのが平和と考えがちであります。しかし佛さまの考えは違います。変化が

あり、波風ある事が人生に生き甲斐が起き、この苦難を乗り越えようとする気迫と底力が涌き、初めて真の力が湧き出て

くるのが仏智であります。

 非常時に起きた時の考え方が次の運命を変える大きなポイントであります

 歴史に残る企業家、大財閥、政治家、宗教家は、言語に絶する苦難に遭遇しても、弱音を吐かず、前向きに考え、私利

私欲を超越し親の為、人の為、世の為に全力投球した方々が真の栄光を獲得されているのであります。

 私欲の深い人、怠け者には老後悲しい悲しい運命が待っているのが真実であります。

 私達は「磨けば光る仏性」を皆持ち合わせております。この素晴らしい仏性を何時持ち出し磨くのか。そのチャンスは苦

難に遭遇し、伸るか反るか、死ぬか生きるかのどん底に落ち込んだ時こそ再起のチャンスと考えましょう。

 仏さまの智慧で考えますと、ピンチの時の考え行動こそが最大のチャンス到来の時と自覚するのが人間の正しい生き甲

斐であり正道であると考えます。

 戦国時代の武将、山中鹿之助は「願わくば我に七難八苦を与え給え」と天に誓ったと聞いております。

 

 

太陽も地球も丸い

 丸き世をおのが心で角立てて まどかにならで、嘆く世の人

 と、教祖様は私達に教えておられます。

 頭でわかっていたも、実行をしないので、何年信仰していても、良き答えが出ないのであります。

 世の中の悪い出来事をすべて相手のせいにしている限り、解決は出来ず最後争いとなり、憎しみと、恨みが尾を引く

だけであります。原因は相手ではない「困る者の罪」と知って、相手の良い所を見出す努力をすれば、早晩難しい問題

も解決するのが佛の智慧であります。

 何故率直に佛法が実行出来ないのか、それは今日まで勝手気ままに暴走したくせが中々軌道に乗せられず、嘆い

ているのであって哀れな凡夫、私たちの姿であります。

 今遭遇している難問題を解決しようと考えるなら、命がけで今日までの我流の考えを、佛様の鏡に照らし訂正する以

外、安心立命の日はやって来ません。

 だまされたと思って正しい佛道を実行されれば、誰彼の差別なく幸福はやって来ます。

 

 人生は学ぶ事ばかり

 大木でも枯れて行くのは、根に栄養が足らなくなったり根が虫づったり水分がなくなったりするのが枯れる原因と専門

家は言われる。

 人生も斯くの如く、子供や孫に困る事が起きる原因は、大木の根をおろそかにしているのが原因です。根とは親であ

り先祖であります。

 目に見えない親の心、ご先祖様への感謝、報恩の心が足らなかった事に気付き徳積みの実行をしたら必ず子孫の

繁栄は間違いありません。

 

 節有る人生を生かして

 人間一代には、病弱、貧乏、不和(争い)という節を誰でも抱えています。

 この喜べない「節」を正しく生かして乗り越える方法を知ったら、人生にこんな楽しい事はない。

 少し前の話ですが、立派な日本建築の家を建てられた材木店の社長さんが私にこんな話をされたことがあります。

「商売柄私は節の有る材木ばかり選んで新築しました。節を上手に生かして使えば中々面白く、建築費は半分ですみ

ました」と言って新築の各部屋を見せて下さいました。

 節を生かした各部屋は、柾目(まさめ)の通った材料の部屋よりも、素敵であり見る人が見れば、中々凝った材料をお使

いになり、魅力の有る新築の家でした。私はこの社長さんの物の考え方は、ケチではなく節を生かされる素晴らしい知

恵は経済も豊かであります。

 私達も色々の節がが求めなくとも、やって来ます。この人生の節を乗り越え、生かす手段方法を佛法で学び実行すれ

ば素晴らしい人生が渡れる事間違いありません。

 節のない「野菜のネギ」では大木になりません。竹は節から芽を出し伸びて大きくなります。

 人生は平凡では面白くありません。幾重にも節を乗り越え、節を生かす力強い人間になりましょう。

 

 

 

 田中偉仁

T O P

心のオアシス 心のパー