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 ★ 真の智者は仏教を学ぶ

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求道心こそ出世の糸口

 雑草は常に生える

 夏になると、どこの田畑や庭も雑草がはびこり、刈ると後から生えて始末におえなく、時にはせっかく植えた

草花を打ち負かし枯らしてしまう。

 私達人間の心身も同様で、少し放置しておくとそこに煩悩という雑草が生えて、佛性(佛になる可能性)の

ある心身をむしばむ。だから、絶えず自分で刈り取っていなければならないのである。

 ところが、とかく我々は、一度刈ればあとは生えないものだと勘違いし、福田が自滅する寸前まで気づかず

に放置している。

 これでは体がいくつあっても足りるものではない。

 雑草を生えさせないためには、芽が出たら大きくならないうちに刈り取ってしまわなければならない。

 我々の心身もそのように終止煩悩を刈り取り、自らを美しく浄らかなものにすべきであろう。それには良き師

(人生の先生)の元に、又、佛縁に近づき学ぶ事が幸福への近道である。

 

 油汗を流せ

 冷暖房の生活は楽ではあるが、体力が落ちる。

 「丸いきれいなスイカでさえも、中には苦労の種がある」

 世の中には良いことばかりが転がっているわけでもなく、どんなに人から羨まれ、本人自身が現在恵まれて

いると思っても、いつしかその生活のスキ間から苦労という名の風が吹き込んでくる。

 そのときになって「どうしよう」と慌てふためいても始まらず、むいろ平素から仕事に今日の働きに「油汗を

流す」努力が、上司からも他人からも信用と信頼が得られるのである。

 

 

なせばなる

 今がチャンス! 現在に最善を尽くす

 過ぎ去ったことをいくら悔いてもどうにもならず、また、これから起こりうるであろうことをあれこれ詮索しても

仕方のないことである。

 今やるべきことをやらずに、あれこれ気を使っていては、一つも仕事がはかどらず、神経ばかりすりへって

しまう。

 

 誰かの為に生きる

 電気をスイッチをONに入れるか、OFに入れるかで点滅する。

 幸せの電灯をつけるのは、自分の心のスイッチの入れ方次第である。

 誰かの為にと考えて入れるスイッチは、相手にも感謝され、自分にも喜べる明るい光となるのである。

 さて、私達の入れるスイッチは、誰の為に入れているか、自分の為に入れているか、考えてみましょう。

 凡夫は、自分の為に生きようと努力して、最後に行き詰っている。

 

 サラリーマン

 公利を先にして、私利を後にむせよ

 悠々たる老後の幸せの秘訣はここにある

 

 大丈夫の人生

 若者は、経験者(年輩者)の言に耳を傾け学べ

 年寄(高齢者)は若者に近づき、若者を認める努力をせよ

 さすれば、吾が人生は「大丈夫

 

 

豊楽(法楽)

 信仰が楽しくなったら、救われる

 仕事が楽しくなったら、情熱が湧く

 家庭が楽しくなったら、運命は好転する

 病気が楽しくなったら、全快する

 貧乏も楽しくなったら、長者になる

 この世の出来事すべてが、楽しく受け止め噛みこなせたら、困ることはなく、誰でもバラ色の人生が歩めるの

である。

 さてどうしたら楽しい考えが出来るのか、答えは簡単である。

一 善き縁に近づくこと

二 佛縁に足を運び、佛智を学ぶこと

 昔のことわざに 「朱に交われば赤くなる」これが真理であり、真実である。

 

 信仰とは、「すべてを生かす」哲学なり、破壊を考えるのは邪教なり、物事を建設的に考えるのが真の教え

であり、正しい信仰のあり方である。

 佛法とは、すべてを生かすエネルギーであります。二十失敗したら、四十善い事をすれば運命は好転する。

この指導をするのが布教師であり、佛法流布する菩薩の情熱であります。

 

 

心構え

 バーゲンセールに学ぶ。各テパート、商店街の店頭は30% 50%の値下げ広告で賑わっている。

 30%値下げの商品は、手に取って見るが、なかなか買わない。50%セール(半額)の商品を見て、

やっと買う気を起こすが、それでも100%は買ってくれない。

 思い切って在庫として持ち越すくらいなら現金にしようと、70%値下げセールと打ち出したら相当現金は集

まると思う。

 折角信仰心を起し、幸せを希望するのであれば、思い切って今までの我流(自己流)の考えや、私生活を

70%切り替え、値引き(我を捨てる)をしたらどうでしょう。

 出血はするでしょうが、人様から必ず信頼と尊敬が集まり運命は好転する。

 教えを学び実行するに当たり己は無智であり、至らぬ者であると自覚が出来100%切り替えたら、相

手はびっくりする位自分を信頼し、尊敬の目で見直してくれるでしょう。

 50%の値引き、切り替えでは信用はつきません。せめて70%位の心の切り替えが出来たら、奈落の底

から這い上がれる。

 100%切り替えられたら最高の人生を歩めるでしょう。

 

 

新時代を迎えて

 今や日本も世界も大変化の時代を迎え、旧来の考え方では、時代に取り残されてしまいます。大局に立って

将来に向かい、思い切った発想の転換と勇敢なる行動を起こすのが急務であります。

 真面目だけのスケールの小さい考え方、自己の幸せのみを願う信仰の域を脱しない限り真の安心立命は得ら

れません。

 企業においても、自社の発展だけを中心に利益を追求している会社は、大会社と言えども潰れてしまいます。

 小さな自営業者と言えども、常にお客様の立場になって、喜んでもらえる商品を整え、お客様に尽くし切る店

は、いかなる不況の波にも押し流されず、生き延びられるのであります。

 滅び行く商店街、支離滅裂する家族を見ると、自分勝手なわがままの主張であって、協力的妥協性のない

結果であります。

 今この時、正しい真実の教えを人生の道しるべとして学び行ずれば、いかなる事態が起きようとも動揺なく悠

々として楽しい生活が出来るのであります。

 栄える企業は、右手は自社の繁栄を計ると同時に、左手は社会奉仕の為、人の為に施しをされているのが

偽らざる姿であります。

 金平糖信仰(自分だけ懸命に努力する)から核分裂信仰(自ら努力すると同時に人様にも幸せになる道を

伝える)に脱皮しましょう

 

 

目的と使命の自覚

 21世紀に突入し、巷に世の中が変る発想の転換をせぬ限り、地球は滅びる。日本は沈没すると、警鐘は

乱打されている。

 耳に聞いても、国民は何をどうして良いやら適格なる道しるべが摑めず、不安におののき迷う人、逆に難し

い事を言われても我関知せず、「成るようになるさ」と浅い考えの末、時の濁流に押流されて自滅する人が続

出するこの時代に万古不滅の確固たる信念を持たねば、不安は解消しない。

 確固たる信念は、どうして得られるか、之を知りたいと心ある人は求めている。

 救われる道はある。それは佛さまが説かれた永遠不滅の教え、佛法を学ぶ事である。

 

 人間がこの世に生まれて来た目的(目標)は何か、

 「魂を磨きに来た」のである。

 自ら日々磨こうと努力するか、人から忠告され叱られて磨くかの二通り有る

 次にこの世に生を受けた限り何をやるべきかの大使命に目覚める事である。

 大使命とは「徳を積ませてもらいたい」言い換えれば「人様のお役に立たせてもらいたい

 この解説がしっかり理解、納得が出来たら、信は生まれ実行出来るのである。

 

 修行に泣くか、運命に泣くか

 生まれて来た目的が毎日修行であると自覚出来れば、苦しければ苦しい程、粘りと活力と情熱が湧いて来

る。修行に泣く人は有望なる人格者であり、大人である。

 運命に泣く人は、どこか自分の心の片隅に慢心、高慢な考えが邪魔しているのです。そして、不運に落ち込

んだり、ノイローゼになり、自ら自信と信用をなくしているのである。今こそ国民各自が「目的と使命」を自覚し、

実行すれば何の不安もなく、大海を乗り切れるのであると確信致します。

 

 

歓喜・感動

 教えを伝える者即ち布教者は、先ず感動を持って伝える事が大切である。

 感動には、人を動かす無限の力があります。感動なき布教は、あたかも絵に描いた餅に等しい。

 喜びのない説法では人を救えません。

 今日始めて聞いた人でも、自分が感動して話せば必ず相手に感動を与えます。

 これが「菩薩真生の時代の活動であり、私たち一人ひとりの使命であります。」

 

 

一文不知

 これは法然上人が言われた言葉であって、まことに意義深く私たちが肝に銘記すべき大切な謹言と思います。

 教養があるとかないとかという問題ではなく、自分がこれだけ知っているとか、これだけ体験しているという高

慢な意識がないことだと思います。

 大自然即ち広大深遠なる佛さまの目から眺めれば、凡夫の私達の考えは、人間をしばりつけている絆のよう

なもので馬の尻尾のようであります。

 私は未熟であり学ぶことばかりで、皆様のお智恵をお借りしたい、学ばせて頂きたいという心からの姿勢で事

に当たり、会議を進めたら、争いも対立もなく、すべてがなごやかに進み、各自が納得が出来、円満の内に

「さあやろう。協力しよう」という情熱と迫力がにじみ出ると思います。

 現代人の間違いたる思想の原点は、「一文萬知」自分ほど偉い者はない、自分は何でも知っているという慢

心であり、高慢な心を捨て謙虚な心になったとき、家庭円満、世界平和を掲げる信仰者の真の姿と思います。

 

 

理解

 相手を理解できたら、争いは静まる。

 佛様の教えを正しく理解できたら、この世は嘆くことも悲観する事もなく、すべてバラ色である。

  仏法を学び、よくわかったと理解出来ても、次から次へと悩み事が起きたり、解決の出来ぬ事態が起きるの

は、仏様の教えが真に理解出来ていないからである。

 「仏語むなしからず」と言われますが、経典一字一句をよく理解納得できたら、いかなる環境においても、歓喜

雀躍人働かざるを得ない勇気が湧きでるので有ります。

 仏法を真に理解するには、正しい師について教学を学ぶことが先決であります。

 会長を先頭に各教会長が前向きな姿勢で、今真剣に教学を勉強しています。皆様も一歩踏み出して、教学を

しっかり学び仏法を理解できる絶好のチャンスが来たと考えて下さい。

 「教うるは学ぶ半ばなり」の格言の如く、宣教師も低い心・大きな心で指導させて戴き、皆様のご意見を充分に

受け付ける心構えで居ます。皆様も肩の荷を下ろして、ひざを交えて語り質問をして下さい。

 この動きこそ組織が活躍する原点であります。

 

 

子供の非行は家庭の不和が原因

 どうなっているの日本!

 高校生が相次いで起こす悲惨なる事件。

 新聞沙汰、意外なる事件が日本列島を恐怖に陥入れる。登校拒否、殺害事件、いじめ問題等を知らされる今日この

頃、子を持つ親として、「わが子だけは絶対大丈」と自信の持てる親はあるでしょうか?

 子供の顔色ばかり眺めて「おっかなびっくり」の親はありませんか。

 親の目の届かない処で、青少年はどの様に生活し生きているのでしょう。

 世論では、戦後日本の教育の間違いであり、教育者の質の低下であると指摘されている。

 これも真実の一部であって、完全なる的を得ていないと思う。

 話題を変えると、科学が進みパソコン、インターネットが普及し、携帯電話が小学生、中学生の常備品となった悪影響

が青少年の非行に走る原因と嘆く親や学校の教師もある。

 これも真実の一部であって完全なる的を得ていないと思う。

 では青少年の狂う原因はどこにあるのか。

 仏様の智慧で考えると一目瞭然、家庭の不和、夫婦の喧嘩、親子の争い、嫁と姑のいがみ合い、この不穏なる空気

を吸って育つ子供が、小学生となり中学生と育つ伸び盛りに、子供心にわが家が嫌になり、他にぬくもりを求めるようにな

る。

 形はいろいろ異なるが、非行に走り、登校拒否となり、金銭の恐喝となり、殺人行為エスカレートしたのである。

 社会は家庭の延長である。子は親の道を歩む。今こそ目覚めよ。家庭の円満、夫婦の和なくして青少年の健全なる育

成は出来ないのである。

 病弱な子供、暴力をふるう少年、陰気で何を考えているのか分らぬ青年は、口やかましい母、よく怒る父、不平不満

で今日の生活を喜べない母、無口で何を相談しても受け答えせぬ父、暗くがみがみ怒りちらす家庭で育ち、ある日突然変

身して親の手に負えなくなる。

 親の生きる姿勢を正しく訂正すれば、必ずわが子は軌道に乗る。

 

 

修行

 健康の健は「人を建てる」と書く。自分が下がり、相手を立てる時、人は健康である。

 信仰の修行とはさがることである。

 下がる修行は三割引。

 三歩下がることが出来たら、大成功!

 例えば、デパートやショッピングセンターの三割引セールを宣伝してごらんなさい。

 「これは安い」「これは値打ち」と足を止めて買ってもらえる。

 二割引き、一割引きでは客から見れば、魅力がない。

 

  殻を破れ

 卵でも殻を破れば、白身、黄身が出て栄養を得ることが出来る。

 この真理を日常生活に当てはめて考えると、一目瞭然に理解が出来る。

 企業の行き詰まり、行政の停滞、身近なところでは、わが家庭においても、なぜ幸せがこないのか問題が山積みされて

いるはずです。

 この難問題を解決する秘訣は、今日まで歩いてきた自分を振り返り、訂正する以外にありません。

 何を訂正するべきか。

 今日まで積み重ねてきた人生に間違いないという、殻が破れない我の強さ、強慢な考え方であります。

 それが邪魔して、親子の断絶、人との意見の対立、そして、この日進月歩する社会について行けずに取り残され、淋し

い人生を送っているのです。

 信仰の世界においても、古代から伝わる形式をそのまま守っている人があります。

 それゆえに若者がついてこない・・・。せっすくの尊い教えを守りながら、子や孫に法燈継承が出来ないのであります。

 旧態依然たる殻が破れない頑固な思想が邪魔していることに気が付けば、今からでも新しい近代社会は誕生するでしょ

う。

 「私は間違いない」「私は正しいのである」という殻を破ったらどうでしょう。

 そうすれば、どの年代の人でも仲良く暮らせるはずです。

 古い諺ではあるが、「累卵の危うき」という言葉があります。

 私たちに何を教えているのでしょう。

 卵を積み重ねていく時、一個がつぶれると全部がつぶれて大変なことが起きるという意味です。

 今日、人間生活に当てはめると、金が出来た、地位が出来た、子供が出世したと、表面は卵を積み重ねたようなご家

庭はありませんか。

 ひとたび予期せぬ問題、即ち「まさか」の坂にぶつかれば、元も子もなく崩れ、途方に暮れ、精神的に沈没する事件

は<毎日テレビニュースで報道されております。

 これは皆、浅はかな人間の慢心です。

 「自分は未熟者なり」と謙虚な考えを持って、常に新しく学ぼうという心の率直さと、精神の欠如が、取り返しのつかぬ

人生を自分で作っているのではないでしょうか。

 今こそ、自分の未熟な殻を破って、佛の真理に準じた生活をする重大な時期と考えます。

 

 

平凡な人生を望むのは、無気力の凡夫の考えなり

 仏さまの智慧(考え方)と凡夫の知恵は、月とスッポンくらい違うのであります。

 私達は大自然の中で生活し、生かされているのであります。ですから、智者と言えども大自然の哲理に逆流する生活を

すれば、誰彼の差別なく、不幸に押流されてしまうのは当然であります。

 太陽も地球も一点にとどまることなく、常に前進し続けています。

 身近なところでは、私達の心臓が昼も夜も休みなく動き続けているからこそ、私達は今こうして生きていられるのであります。

 こんな分りきっていることを、うっかり見逃しているのが凡夫て゛はないでしょうか。

 流れぬ水は腐り、使わぬ機械はさびつき、動かぬ体は老化するのは当然であります。

 世の中は、波乱万丈あってこそ人格が出来るのであり、平々凡々の生活をしていて出世した人は、一人もいないのです。

 運命を開拓するには、『引き算』の考え方になってはなりません。

 常に前向き、即ちプラス思考であることでしょう。人様に出来て、自分に出来ないことはないと、何事にも挑戦的な人の生活

は、活気に満ち溢れ、目は常に輝いています。

 予期せぬ事態が起きると「大変だ、大変だ」とあわてふためく人があります。

 『大変』とは、人生が『大いに変る』時ととらえてみてはどうでしょう。

 そうすれば、必ず事態は好転して行きます。

 

 現在の世の中は、『智慧と情報の時代』です。

 人の意見に耳を傾け、正しい智恵を収得するよう努力致しましょう。

 魅力ある処に人が集まり、魅力のある人には人脈が出来るのであります。

 今日の仕事に喜びを持つ人は、笑顔がにじみ、誰から眺められても魅力があります。

 

 

仏教とはわかりやすいもの

 昔、中国に白楽天という詩人であり、政治家であり、各地の地方長官を勤めた人がいた。

 杭州知事の時、秦望山に「道林」という一風変った坊主(鳥巣仙人)がいると聞いて訪ねた。

 仏教とは、何かと訪ねた。

   諸悪莫作衆善奉行

   自浄其意是諸仏教 

   と答えた わかりやすく言うと

   良い事(良い種をまけ)をせよ

   悪い事(悪い種をまくな)をするな

   と答えた。

 白楽天が言った。

 「こんな事、三歳の童子でも知っている」

 仙人が答えた。

 「三歳の子も知っているが、八十の老翁これを行なうことができない」

 この佛教のすばらしさを知って、智者の白楽天がこの仙人を師と尊び学んだと聞く。

 科学万能時代の今日、食わず嫌いで佛教とか信仰に耳を傾けず、我流の知恵がさも正しいと錯覚し、行き詰っているの

が凡夫ではないでしょうか。

 今からでも遅くない。正しい師匠に近づき正しく学ぶことが。人生後楽の近道と思います。

 

 

真の智者は仏教を学ぶ

 笑顔が宝

 ・苦しい時こそ本当の顔

 ・病人に笑顔が出たら、しめたもの

 ・職場で笑顔が出たら、事業はしめたもの

 ・家庭に笑顔が出たら、家は栄える

 さて!どうしたら笑顔になれるか

 ・相手の美点、長所を探し出せ

 ・自分の我を捨てよ

 ・おかげ様の心になれ

 ・心広ければ、笑顔は自然に生まれる

 

 子供教育

 ・折角入学した高校、大学などでも中途退学する

 ・就職しても「もし、嫌だったら、いつでも帰っておいで」

 ・結婚をする時「もし、うまくいかなかったら戻って来ていいよ」

 ・極端な過保護は母親が新婚旅行について行く

  生まれた時から過保護に育て過ぎるから、ひ弱な人間になり、

  ちょっと困難な事に直面すると、簡単にギブ・アップしてしまう

  ある父は

  娘が夫とケンカして実家へ戻って来た「この品物は特別品につき返品、

  お取替えの儀、平にご容赦下さい」

  と言う手紙をつけて夫のもとへ帰した。

 

 幼児教育

 ・子供は撫でて育てる

 ・子守歌は、お経を唱えて育てる

 ・欲しい物を与えるから無子供が育つのではない

 ・親の正しい幼児教育が出来てこそ、たくましい子供が育つのである

 

 子供を見れば親がわかる

 

 親を見れば、ごともがわかる

 

 親は針、子供は糸。針の進む方向に糸は進む

 

 信仰心のある家庭から、優秀な子供は育つのである

 

 

栄光の道は努力にあり

 大道無門こそ佛の道

 お釈迦様は、この世は苦の娑婆であると説かれ、忍ぶところ忍士とも説かれた。

 又反面、この世は安穏にして天人常に充満せり。楽土即ち楽しいところであるとも説かれた。どちらも真実であっ

て間違いではない。即ち佛の智慧は廣大深遠である。

 私達凡夫は、氷山の一角を眺めて、さもこれが正しいと、小さなスケールで物事を計って行き詰まり、矛盾を感じ

失望するのである。

 歴史をひもとけば一目瞭然である。

「ホトトギス鳴かねば殺して見せよう」と織田信長の短気な心意は、英雄であったが目的半ばでこの世を去った。

「ホトトギス鳴かねば鳴かせて見せよう」とこれ又豊臣秀吉の心意は、天下は取ったが、吾が子に安心出来ず、

秀吉一代で豊臣は滅びた。

「ホトトギス鳴かねば鳴くまで待とう」と家康の心意は、たぬき親父と評判があったが、徳川三百年の歴史を作った。

 この三英雄を分析してみると、人道歩むには小さな心では真の幸せはつかめない。

 

 頑張ることは、おもしろい

 今の自分に訪れた運命は、自分への晴れ舞台と考えて精一杯演じ舞うことである。

 栄光の裏には真理に添った涙の努力がある。私達誰でも幸せのメダルは取れる。

 さぁ、勇気を出し躍動して、今与えられた使命に目覚めて前進しましょう。

 

 

年末・年始に当たって

 今年一年を振り返って見る。

・希望に満ち、明るく楽しく歩み続けた年であった、この人は優等生。

・唯、漠然と時の流れに流された年であった人、この人は並の人。

・後退的に考え、希望もなく不平不満で一年を過ごした人。この人は落第生。

 過ぎた過去はどうにもならぬ。しまったと気付いたら、心のギアーの切り替えをして、今から前向きに人生を送ろうと

考える人にこそ、素晴らしい年となる。

 

一瞬を生かせ

  現在の一瞬は、この上ない素晴らしい一瞬である。なぜならば、我々は現在しか生きれないからだ。

 だから決して時間を浪費してはならぬ。一人で住んでいても、「何か人の為に役立とう」と考え実行している人は、心

にいささかの孤独感もなく、目は生き生きと輝いている。

 孤独になりたくなかったら、どんな事でもよい、「人の事、人の為に尽くすことだ」

 

信仰は演出なり

 大目標即ちビジョンを掲げて、毎日を楽しく、明るく歩む時、夢多いバラ色の年を迎えることが出来る。

 

今栄えに栄え大繁盛している某寺の和尚さまの言葉から学ぶ

 「泥棒でも、乞食でも、多くの人が敷居をまたぐお寺にせよ」

 この和尚さんの謹言に心打たれる。

 

人の批判より人から学べ

 真面目に努力している人程、人の批判が多すぎる。ましてや師の批判、上司の批判が多く出るようになったら、危

険信号である。自分の伸びも、企業の成績もストップする。この事に目覚めれば暗雲は晴れて来る。

 

 

ゼロからの出発

 明るく 楽しく ありがたく

 ゼロからの出発には深い意味があります。

 今日まで努力精進してきた土壌を基盤として、未だ開発されていない己の未熟な点をを再認識し、勇敢に発想の

転換をすることであります。

 自動販売機では事業は伸びません。

 自ら動き、相手に感動を与えることであります。

 自分の弱点をよく理解し勇敢に切り替えてください。

 表向きの努力精進は教えを聞いております私たちはよく出来ますが、人に見えないところで人一倍努力する真の

実力者は、自分でも知らぬ間に他から認められる信用と努力が貯えられるのです。

 以前の考えを一変しましょう。きっと未だ味わったことのない幸運が舞い込んで来ます。

 

 

今が大切

 将来を夢見るなら、今を今日一日を大切にする喜びと情熱をもって、事に挑戦すること以外に発展も進歩もあり得

ない。

 「奢れる人も久しからず、只春の夜の夢の如し」経営者の多くは、この平家物語の冒頭の一説にさまざまな思いを

めぐらせているのではないでしょうか。

 かっては栄華極めた日本的経営は、グローバル競争の到来という時代の変化を掴み切れず、音を立てて崩れ去

った。その結果、金融業界、自動車業界は言うに及ばず、あらゆる産業が外資の草刈り場になろうとしている。

 「諸行無常」とは『世の中に不変なものはあり得ず、絶えず変化する』という意味だが、日本的経営の凋落(ちょうらく)

はまさに「春の夜の夢」に沿った経営陣に「祇園精舎の鐘の音」が響かなかった結果と言えるのではないだろうか。

 そこには「日本的経営は不変」と時代の変化を見誤った経営者の「奢りと高ぶり」が原因と指摘されても仕方がな

い側面もある。

 しかしこの見方は企業家ばかりの誤りにあらず、私達国民一人一人がわが家庭わが職場において一大反省する

重大事であると痛感する次第である。

 

 「責任は自分が取る」

 自分の幸せを夢見て人間としての真の生き方を忘れた怠慢が原因であると、いつ気付くかが問題である。

 この解決を人のせいにしている間は、完全なる道は歩めない。

 私は日本人である。私は信仰しているからと自信と自覚を持って生活せぬ限り、わが家庭も我が地域も、我が国

の発展向上も有り得ない。

 世界遺産とした残っているローマの大聖堂並び大建築物を見学して悟れた事は、親が地盤を作り、その上に子供

等が柱を立て、孫等が瓦をふせる。この広大なる思想がヨーロッパ文明であると痛感した。私達の狭い考え方を大

変革し、神仏の如意に従う生活をすべきと皆様にお伝えする次第です。

 

 

私の出番

 低迷し続ける日本経済の不況、荒波に漂う日本丸の前途は、誠に危なく、唯々人任せにして嘆いている時ではな

い。

 他人任せで、自分さえ良ければ良いと言う永年にわたる日本人。「冬眠」からいよいよ目覚めなければならぬ春が

やって来たのである。

 国を挙げて大革命であると叫ばれている。何を変革すべきか、はっきり自覚出来ているひとが何人いるかが問題

である。

 政治家任せ、企業家任せ、教育者任せ、即ち人任せの根性を大革命し、「俺がやらねば誰がやる」今こそ「私の

出番」であると命がけで旧来の甘えた考えを切り替え、「平和の為には冒険もあり」「大革命には非常もある」と覚悟

し、今から今日から国民一人ひとりが目覚め正しい生き方を実行する以外、わが家庭を、わが職場を、わが日本を

救う事は出来ないと思う。

 

 視野を広く、大空高く飛び舞う「鷹」になるか、地を速く走る「駝鳥」になるか。先の先を見通して行動するか、目先

の事で走り廻るかの岐路に立っているのが私達の姿であります。大自然(神仏)は自我の強い人間に一刻も早く目

覚めさせる為に諸問題即ち宿題を与えられている。責任は自分にあると宿題を逃げず、前向きに取り組み努力す

る時、必ず栄光の道が開くと確信するのである。

 

今こそ正しい信仰心が必要である。折角育てた部下が立ち去るのも、又ノイローゼの患者の如く覇気のない社員

になるのも、トップ指導者の「怒りを含めての指導忠告」がマイナスとなる事を自覚出来れば、すべてが明るく楽しく

発展する秘訣であると考える。「怒りの杖を捨て、慢の旗を倒す」のが安泰なる世界を作り出す急所であると考える。 

 

 

思い通りになる世の中

 私たちの人生は頭で考えたり、願った通りになるのではなく、心の奥深いところで思い込み、信じこんだ通りになる

のです。

 どんなに苦しい場面でも「何とかなる。きっと良くなる。」と思うことが運命向上のコツです。自分にとってプラスにな

ること必要なことしか現象には出てきません。

また 私たちの人生は、真面目に働いて悪いことをしない、人様にご迷惑をかけないだけでは真の幸せにはなれな

いのです。良いことをしない限り本当の幸せは得ることは出来ません。

「篤く三宝を敬い、普く衆生に施し」とあるようにお金や物、言葉や実践を持って施しをしていくことが真の幸せに近

づく第一歩です。施しは生命の泉であり、パワーの原動力となるのです。

 

 

変革

 明治維新は旧来の陋習(ろうしゅう)を打ち破り、大改革し世界の文明に同調し日本を変えた。

 時代は目まぐるしく変化し、今まさに日本国の大変改が必要であることを自覚する時。

 他人任せでは駄目! 私たち一人ひとりが平和のためには汗も流し、血も流すことに誇りを持たねばならぬ。

 変革、改革には非常はつきもの

 折角善き案を出される総理の思想に、野党も与党も反対の議員も、国民の我々もまず耳を傾け、相手が何を言わ

んとしているのかをよく聞き、理解せねばならぬ。

 どの仏像(絵像・金仏)を眺めても仏さまの耳は大きい。

 何を意味しているのか? 先ず良い悪いに関わらず、人の言わんとする話はよく聞く為に耳は大きいのである。

 人の意見を良く聞く人は、自然と良き知恵が出てくるのである。

 十分相手の言わんとする事を聞かず、一方的にあれも反対、これも反対する人は利口そうに見えるが、真は孤独

で我が強く人望がないひとが多い。

 

 人に好かれ楽しい人生k渡れるコツは、「口まめ、手まめ、足まめ」どれからでもよい、自分の特徴を生かし、人様

に喜びを与える努力をする時、すばらしい人生が渡れる。

 

 

キャッチボールの出来る人生

 今日本は不況風と変革風が吹き荒れ、日本人の心は暗中模索ギスギスして笑顔も明るさも失い、一触即発の危

険をはらんでいる。

 家庭における親子、夫婦の関係、職場なおいての上司と部下等の関係を見ると心にゆとりもなく、ただ黙って機械

の如く動いているか逆に不平不満の怒りを撒き散らしてかのどちらかと思う。どちらも不幸となる。

 心でキャッチボールの出来る余裕、即ち気安に語り合える心の切りかえこそ、日本を救い己を救う大切な事と思う。

 人間は正しく心を切り替える事により、自分の運命が輝いてくるのです。この世の中は心一つの置きどころ楽も

苦となり、苦も楽となるのであります。、

 

 

良き友(不断の友)を選んで

 良き師を持つと同時に良き友を持つことは人生の宝です。利害相反してもお互い相手のために注意をし、またそ

の注意を率直に聞ける友のことを不断の友と言います。いろろいな事に心が揺れ動く私たちは、心が確立し、信念

が固まるまで仏さまり考え方という型にはめなくてはなりません。凡夫の考えに触れたり、世の中の快楽に触れた

途端に自分を見失ったり、巻き込まれてしまううちは、窮屈でも大丈夫と思って枠をはずさないことです。誰と会って

も、どんな楽しい縁に触れても自分のペース(仏の考え方)に巻き込んでしまえるようになってから触れても遅くない

のです。数多く教会に多くお参りし、仏さまのお顔を拝まして頂くだけで勇気と仏の智慧が湧いてくるのです。信仰

とはそういうものです。教会とはそういうエネルギーの根源となるところなのです。

 

 

心のリハビリを怠らないで

 大病をしたり、大きな手術をした後は、三年間ぐらいは要注意。無事退院して一見健康を回復したように見えても、

月に数回は病院へ行き、主治医に見てもらったり、リハビリをしたり、定期的に検査をしたりします。自宅療養でも、

医者で処方してもらった薬を飲み、生活上の注意を聞き、暴飲暴食に注意したりして生活します。そして三年くらい

してやっと普通の生活をしても安心。再発したり後戻りしなくなるでしょう。

 また、大きな失敗や迷惑をかけた時も同じです。石の上にも三年の辛抱と諺があるように三年間ぐらいは人一倍

真面目に一生懸命やって、やっと信用を得るのです。途中で棒を折って止めてしまえば、いつまてたっても信用は

回復しません。つらくても大変でも続けなくては効果はでません。犯罪を犯して刑務所で更正した人でも三年くらいは

保護観察がつきます。

 リハビリも更正も自分だけではしっかりできないのです。面倒くさいからさぼってしまったり、辛いので止めてしまっ

たりして本の木阿弥になってしまいます。だから窮屈のように思えるかもしれませんが、きちっと見守りながら支えて

くれるコーチか監督すなわち、この世に人生の師、恩師と呼べる人を持つことほど幸せな人生はない。自分なりに

努力する独学も大切だが、良き手本、模範となる人「師匠」に就くことが重要なのです。しかし、立派な師匠に巡り

会っても、弟子の側にすべてを受け継ごうという強烈な気持ちが無くては意味がないのです。都合のいいところだけ

受け入れようというのではいけないのです。

 

 

蒔かぬ種は生えぬ

 素人(凡人)の世渡りは、一苦労して峠を越すと「ホット」して精進を一服するから、すぐに元のサヤに逆戻りしてし

まう。

 世渡りの上手であり、人生のプロは「ホット」一服する事なく、次の道を希望を持って歩もうとする積極的、活動的、

感動的であるからこそ、年齢に関係なく若々しく常に笑顔がにじみ出て、人様に良い感じを与え、知らぬ内に人徳

が積めているのである。

 仏さまの教えを聞きますと、人間である限りいかなる人も「生老病死」を逃れることは出来ません。しかし、この苦

を乗り越える道を知れば、苦が苦でなくなり、楽しくなるのである。

 幸福な人は常に善事の種蒔きを喜び、凡夫は種蒔かずして収穫だけを求めて苦しむのである。

 常に私達は仏さまの教えを実行する事に努力し、永遠不滅の幸せを身につけましょう。

 

 

佛智ですべて解決

 非常時こそ仏智でなければ解決できぬ

「仏智」とは!!

 大自然の哲理であって、永遠に変らぬ真理であります。

 アメリカで起きたテロ事件の大惨事を何と受け止めるべきか1!!

 一般常識即ち凡夫の知恵で解決しようとすれば、被害者の立場であれば非人道的であるこの行動は断じて許せ

ぬ、報復手段として長期化し戦争に持ち込んでも徹底して主犯格の裁判及びテロ集団の壊滅をすると意気込む心

境もなるほどとよくわかる。

 遂にここまで過激になり、狂暴となり凶悪な行動に走るイスラムの心情を知るとき、これも一理あると思う。

 昨日や今日の出来事ではなく、何千年の昔から怨念と憎しみの繰り返しが今なお続いているのであって、この病

原を取り除かない限り、争いは争いをもって鎮まる事はないのである。

 争いの為に危険を犯すのではなく、平和の為に危険を犯す勇気が必要

 宗教者も政治家も学者も企業家も一般国民も地球の将来、民族の未来を考えるなら、今こそ命がけでワシントン

に、イスラムに飛んで話し合いの場を設け、情熱をもって両巨頭に理解を求め、時間をかけ納得して戴けるまで、

粘り強く努力する事が急務と考えます。

 

 

一心合掌

 「一心合掌」人皆仏性有り 拝む心が平和を築く

 長期化する「米国での多発国際テロ事件」は日増しに悪化の一途を走り続けている。

 いかにして狂える事態を平和に導くかは心ある世界の善人は考え思案している。

 化学の力や凡人の知恵では、到底解決は出来ぬ。憎しみは憎しみをもって治まるものでなく、報復手段は勝って

も負けても、恨みは残り円満解決はほど遠い。

 世界平和実現を祈念するのであれば

 「争いのために危険を冒すよりも 平和の為に危険を冒す

 真の勇気が信仰心ある人類に芽生えた時、真の世界平和、人類の共生が出来ると確信します。

 大自然の哲理をふまえた信仰を正しく学び、行ずれば宗教戦争は絶対あり得ない。

 

千里の道も一歩から 幸せは足下の実行

 私達の学ぶ法華経(大乗仏教)は間違いない、素晴らしい教えでありますが、聞いた者が実行せぬが為、家族か

らも周囲からも認められず非難されるのです。

 愚痴をこぼさぬ人は智者であり、善行に勇敢に進まれる人は老若男女を問わず魅力があります。

 

 

敬老の家は栄える

 念ずれば花開く

 何を念ずるのか! ご先祖さまと親なり

 仏さまは何を私達に説き残されたのか

  大自然の哲理(即ち永遠に変らぬ真理)をお教え下さったのである。

 幸せになるコツは、何宗何派に関係なく私達が実行すれば必ず幸福になれる。

 頭でわかっていても率直さがないゆえに実行せず、理屈ばかりならべて行き詰っているのが凡夫である。

 不幸になる人は、不幸になるよう懸命に努力してむいるのである。我流で自分は何でもわかっていると過信した

り、慢心しているから人の意見も、ましてや幸せになるエキスの仏法に耳を傾けようともしないのである。

 自然の樹木を見れば良くわかる

 幹に元気がなく、枝葉が枯れ、花が咲かず実がならないのは何故か

 目にみえない大地に張っている根が、枯れかけているか、肥料が足りないのか何か原因がある。

 人生も斯くの如く、事業がうまく行かないのも、家庭の発展がないのも、子供の不出来も一言で言えば、樹木の

喩えの如く、先祖や親に対する報恩感謝の念が欠けているのが一大欠点と気付いたら人生大発展である。

 過去立派に残った 大企業家も政治家も学者も先祖に対する尊敬の念を深められるが故、大成功されているので

ある。

 口癖のように日本国民がこぼしているのは、不況不況の愚痴ばかり、この責任を国民一人一人がとり、私生活の

考え方を正しくそしゃくせぬ限り、経済不況も立ち直り出来ないと考えます。

 自然の哲理をみても、台風の後は日本晴れ、雨降りの後は晴天であり、世の中の真理は一点に止まらず、常に

流転している事がわかれば何の嘆く事もない。

 今こそ今日を喜び、仕事が好きになる人には不況も不安もないのである。

 今日即ち今足元の生活に全力投球と、真剣に先祖や親を念ずれば、必ず不況も吹き飛び各自個人の発展は間

違いないのです。

 

 

今こそ 知恵を売り出すチャンス!

 地球上大混乱の21世紀において、人間の安心出来る生き方は何か、先ず私達日本人の生き方を探求してみる。

 敗戦後国土は焼け、国民の生活は最低に落ち込んだ。しかし、島国日本人の困苦欠乏に耐え抜き努力した結果

は、世界が驚く経済大国となり、あらゆる産業は大量生産が出来、不自由をしなくとも生活出来る豊かな日本になっ

た今日、物質面では何不自由のない生活は出来ていますが、大切な精神面は地に落ち、日本経済は不況のどん

底、失業者は続出、高齢化社会となって今日本の前途は危ないと政治家も財閥も教育者も叫び続けているが、何

も良い案も出ず、机上の論争に終止している。

 ここで慧智(仏智)をもって日本のあり方を考えると、コストを安く大量生産を考えた企業の時代は過ぎ、これからは

東南アジアの諸国に譲り、日本は新しく何をもって生きていくべきか。

 一言で申しますと、佛の智慧即ち慧智を売り出す時であると思う。慧知には行き詰まりはない。使えば使うほど新

鮮な智慧は出て来る。

 資源の少ない土地、面積の狭い日本から今こそすばらしい真の慧智を世界に披露し売り出す時である。

 佛の慧智とは、

 『慈悲であり、誠であり、堪忍である』

 政治家も企業家も教育者も宗教者も真剣にこの佛の心をよく噛みしめ実行したら、大道を堂々と歩める事、間違い

ありません。

 

 

不自由こそ自由

 「不自由こそ自由」の表題を見て、皆さんは何と考えられますか?

 金がない、知恵がない、家がない、子供がない、不自由を考えておっては、心が行き詰まり希望もなくなってしまう。

 佛さまの智慧で考えますと、不自由であるが為いろいろ知恵をしぼり、良きに考えれば、自由に守られていると喜

びが湧いてくる。

 「仙人では人は救えない 生ぐさ坊主こそ娑婆(凡夫)を救う

 私生活にだらしのない僧侶を俗に「生ぐさ坊主」と言っている。

 私の言う生ぐさ坊主とは、一般社会即ち凡夫の苦しみ・悩みを汲みとり、正しく指導の出来る人、即ち酸いも甘い

も知って凡夫の道しるべになり、相手に生きる活力と希望を与える人こそ、真の指導者であり、菩薩であり布教者で

ある。

 仙人になっては人は救えぬ。大衆の中に溶け込み、相手の目線まで下がって初めて人心救済が出来るのである。

 

 

 幸福な人も、不幸になる人も皆努力している。

 泥棒もサギ師も努力している。しかしこの努力が自分の欲望の為であるが゜故、最後手錠がはまり、自分の一生を

台無しにしてしまう。

 善なる努力とは、親の為、職場の為、社会の為、国の為にと汗を流し血をながす努力であり、不幸になる人は一人

もいない。

 この萬世揺るがぬ真理が理解出来たら老いも若きもじっとしておれない、活力がにじみ出て運命も好転する。

  

 どんなに素晴らしい料亭でも、料理に余りにも時間がかかるようでは一流とは言えぬ。

 一流の人間は行動が速い、おとなしいのとグズとは物が違う。

 特に「良しと決断したら行動が早い、だから嬉しい結果が早く出る」

 佛法を聞いてもすぐに結果が出る人は、信じて実行が早いのである。

 

幸せは足元にあり

 病の原因は「不平、不満、不足」即ち、喜びを失い、怒りっぽくなったら、誰彼の差別なく発病します。

 癒す特効薬は「喜ぶことであり、感謝の生活」をする事であります。

 「幸せは足元にあり」「千里の道も一歩から」

 幸せは遠い彼方にあるのではない。

 今の職場、今の家庭、今の仕事に喜びを見出せたら、すでに幸せの坂を昇り始めているのであります。

 財も智慧も体力も宝の持ち腐れにならぬよう仏法を学んで生かす方法を覚えましょう。

 

 尊い教えを皆様の伝える功徳、また真剣に読経し、仏様はじめご先祖さまに感謝報恩の念をもって実行する時、

医学や科学では解決の出来ぬ事が不思議と解決出来るのが信仰の素晴らしさであります。常に明るく前向きの

努力をして教えから離れず頑張りましょう。

 

 

人生、死ぬまで勉強

 人生は死ぬまで勉強なり

     あきらめたらあかん

 どんな人でも、長所は必ずある、自ら努力して自分で見出せ。

 もし見出す事が出来なかったら、信頼出来る心の師に聞いて見よ。

 不幸になる人は、訪れる事柄を常に暗く考え、卑屈に解釈し墓穴に落ち込み人生にやる気を失うのである。

 雨降りの後は、お天気なり

 冬の次は春が来る

 台風一過、秋晴れが来る

 夜の次は朝が来る

 どん底なら、あとは登るだけ

 考え方、心次第で人生は明るく開けて来るのである。この考え方を教えるのが正しい信仰であり佛教の素晴ら

しさである。

 もし今自分が苦しんでいるのであれば、勇気を出して教えを聞いたらいかが

 

 野球でも一点を守ろうと、守勢に廻ったら迫力が無くなる。二点取られたら四点取り返そうと攻撃に廻れば活力

が出、躍動してくる。

 企業でも守勢に廻れば、伸びが止まる。

 正しい信仰は、訪れる全ての事柄を善意に考え「成った事を喜ぶ」努力し、それがくせに出来たら、しめた

もの。病気も家庭の不和も、貧乏も直ちに好転する。

 

  逆境にこそ、燃える男になれ

 逆境に耐え抜く女になれ

 欲に走れば赤信号なり、仕事でも勉強でも楽しくなれば知恵が出る。

 

 リーダーは道しるべにすぎぬ

 道を知るのは、自分である。自分を尊く人様を尊く考えたら争いもなくなり平和が続く。

 

 

毎日が真剣勝負なり

 正道には、非情がつきもの

 昔から「かわいい子には旅させよ」の格言がある。いつまでも可愛い、可愛いの温室育ちの子供では、世

の為、人の為の活躍する強い子供には絶対育たぬ。

 

 死は怖いものではない。私達は生まれると同時に死に向かって歩み続けているのが偽らぬ真実の道である。

 この不変の哲理が理解し肝にしみ込んで居れば、何が起きようと死は怖くないはずである。

 物質に恵まれ、食に恵まれた生活の出来る日本は高齢者社会となり、高齢者の病人が増え続けている今は、

看護を受ける病人も、看護をする家庭の人も、又身寄りのない一人暮らしの老人も、健康な内から自分の行き先

をはっきり正しく銘記し語り合い、後顧の憂いない生活が出来たら、道は希望と安心に満ち、どれ程人間は楽し

く暮らせる事か、高齢者程言うに言われず不安の日々ではありませんか。

 逆に今の若者には今日が楽しければと目先の欲望のみに走り、気がついた時には取り返しの出来ぬ人生を渡

っているのではないでしょうか。

此れに誰にも訪れる「死」即ち「臨終」を正しく理解すべくと警告を発します。

 

 あるご家庭に起きた真実の悩み、戦争未亡人で頑張って来た母は、五年程前から病院を転々と移り変わり、

家族の手厚き看護も到底治る見込みはありませんが、療養を続けておられる家族に対し、医師は親切に本当の

事を打ち明け「このままの治療ですと一、ニヶ月が峠です。ただし『人工透析』治療を施せば半年ぐらいは延命

出来ますが、これとて保証は出来ませんがどちらかを選んで下さい。」「透析すれば家からの通院となります。」

との話です。車椅子生活は我が家では到底出来ません。さすればどうするか? 世話になった母ではありますが、

このまま、新しい治療を加えず自然に「安楽死」を願うのが何よりの親孝行であり、病人本人も正しいあの世へ

の旅立ちと考え割り切ることです。

 非常時は必ずやってくると知って、常日頃から家族は仲良く話し合いをし、特に老人は看護する人に迷惑のか

からぬように自分の心境をよく語り合い、面童を見る立場の若者は老人が安心をして余生を楽しめるよう話し合い

を常にしておく事が、何よりの宝で有る幸福の道であると思いました。

 常日頃正しい信仰に生き実行しておれば、臨終こそ次の人生の出発であり、悲しむことではなく楽しいことであ

りますとお伝えしました。

 

 

日本を救う

 宗教家こそ、サービス業と自覚せよ。

 木の上の仙人では人を救えない。地上の仙人になってこそ、娑婆の人が救える。

 信仰する人の徳分は、どこで決まるか

 何人の人を今日まで救ったかが問題である。

 どんなに説法が上手であり大衆から拍手喝采されても骨身を削って人が救ってなかったら真の実力者ではない。

 凡夫は悲しい「馬鹿と煙はすぐに上がりたがる」宗教家ばかりでない、金バッチの政治家も博士号のある学者

も、企業家も天狗になり人の意見が聞けなくなったら、もう人生の下り坂にさしかかったと考えて間違いない。

 

 人間と云う動物は、金が出来地位が出来、羽振りが利くようになった時人生危険信号の点滅が始まるのである。

 天狗になった時は危険信号ですら目に入らず暴走するのである。

 今日の日本は経済不況を始め、世界の動きに取り残される危機感がひしひしと迫り、打つ手打つ手が後手に

廻るお先真っ黒の現状である。

 どこが原因か、どこを訂正したら良いのかに国民が目覚めていない。

 高度経済成長からバブル時代にかけて有頂天になり、堪える事を忘れ大自然の法則を無視し、人間としてわが

まま一杯の生活を当然だと考え、暴走車にプレーキをかける事も忘れ走り続けた結果が今日の日本の姿である。

 相手のせいにせず私達一人ひとりの責任であるとしっかり自覚し、大自然の哲理、法則に従って立ち直る以外

安心の出来る道はないと考えます。

 今こそ信仰心の必要性がひしひしと感じられます。相手の目線まで下がってコミュニケーション即ちキャッチボー

ル(話し合い)の出来る家庭を職場を社会を作りましょう。

 

 

さあ、立ち上がる時

 高齢者に告ぐ

 頭が白いからと、それだけで長老とはいえない。

 空老(くうろう)!! いたずらに年齢をとったということは人生に意義がない。

 学老(がくろう)「つまり、学ぶ心を持った老人」こそ年以上に若々しく、目は輝き、誰から見られても魅力があり、人気が

ある。

 

 壮年者に告ぐ

 社会に出て年月が経ち、権力も地位も経済力も出来、さあこれからという時に計算外の事故が起き、希望も野望

もなくなり、何の為に今日まで努力したのかと、お先真っ暗の悲しい人生を渡っている壮年が余りにも多い、

 この悲劇の原因はどこにあるのか。

 実れば稔るほど頭を下げる事を忘れ、驕慢(きょぅまん)高ぶり人生をあなどる高慢な生活から人の意見を率直に聞けな

くなり、身分に応じた施しが出来なくなった時も事業で失敗するか、体を痛め病気になるか、人間関係の不和を含め

途方にくれるのである。

 

 将来ある青年男女に告ぐ

 青年の素晴らしい財産は若さである。

 この若さを「自分のわがままに使う馬鹿者が余りにも多い」少し頭を切り替え、この若さを人の為、社会の為、親の

為に使おうと汗を流してごらん。どんなにすがすがしくなるか、あなたの将来はバラ色に輝き、人からは信用され、

あなたの行動はもとめなくても、司令塔となり人望は集まって来る。

 さあ 立ち上がれ、老いも若きも中年もこの足並みが日本を救い世界に平和をもたらすのである。

 

 

祈りこそ信仰のエキス

 信仰に祈りがなかったら、其の信仰は道徳であり哲学である。

 道徳や哲学には、有り難味やふくもりがない。頭では理解出来ても、理屈で事態を解決しようとするから、最後は

闘争となる。

 信仰心のない人生、又祈りのない世渡りには、一旦非常時が起きると、心の動揺が起き、自分の心が不安定に

なるため、ノイローゼ状態になるか、自殺に追い込まれてしまう。

 過去優秀なる小説家や、前途有望と言われていた企業家や学者の自殺がこれを証明している。

 大乗仏教 即ちお釈迦さまの教えは「人皆佛性有り」と佛性礼拝を教えています・。

 家庭に於いても、職場に老いても、展大すれば社会、国に於いても、又国際間に於いても理屈や理論が優先し、

人間としてのぬくもり、相手の幸せを祈る心が出来なかったら地球は危ない 民族は滅びて行くのである。

 今こそ神仏の教えを信じ行ずる国民の一人ひとりが真剣に自分の幸せだけの祈りから相手の幸せを祈る大道

無門の心に切りかえる時である。

 化学、物質優先の考えには感謝もなければ、報恩の心もなく、唯自己の満足に走り続け孤独の人生を築いてい

ることに目覚め「相手を尊び」「有りのままを喜ぶ」人間を作らぬ限り人類の繁栄はない。

 各方面に於いてもこの世界の難局打破は遅々として進まぬのが現実である。

 何が欠けているのか、何が足らぬのか理論や理屈では平和はやってこない。宗旨宗派に関係なく相手の仏性を

拝む「一心合掌」の祈りが欠けているのである。

 形式だけの祈りではなく、真心込めて真剣に相手の幸せを念じる祈りには力が有り、相手の佛性に光を与える力

がある。

 祈る心に真があれば、大自然の神仏の御加護があり、人間の知恵では考えられぬ素晴らしい結果が与えられる

のである。

 

 

人生命がけ

 仏の人声 人生命がけで事に当たれ

 中途半端のグウタラの人生を渡った人の老後は実にむなしく悔いが残るのである。

 どん底の苦労や体験を積み重ねて命がけで生き抜くには、不思議な巡り合わせがあるものである。

 訪れたチャンスを生かすかどうかは、結局過去訪れた苦難を「命がけ」でどれだけやったかの体験や知識、努力

が今日の姿である。

 

 老人の告ぐ

 たとえ年を取っても、体が弱っても、心は常に「生涯、現役である」と自覚して生きる限り、命がけで若者から見ら

れて魅力ある老人、若者を理解する老人、長老として家長として、なくてはならぬ生きた体験と心の宝庫となって欲

しい。

 

 日本の将来を築く若者に告ぐ

 人生世渡りの個人指導をしっかり受ける若者になれ

 人生世渡りの個人指導をしっかりする指導者、宗教者となれ

 

 どんな優秀なる大学を卒業し学歴があっても、冠婚、葬祭の非常時に挨拶一つ出来ず臨機応変の行動もせず、

青年になり、壮年になっている大人が今の日本に余りにも多すぎる。

 常識ですら出来ぬ烏合の衆では子供の将来は危ない、人間としての正しい道を教えなかった親にも重大な責任

があり、又、「自分は未熟であるから教えて欲しい」と云う向上心のない若者が余りにも多い日本は危ない。

 今こそ「しっかりした正しい信仰心」を学び精進して、家庭を社会を国を、世界救済する時が来ていると目覚め、

自信を持って老いも若きも歩を進める時であると「佛の声」を伝えるのである。

 

 

人生楽しいフルコース

 年末こそ、一年の総決算であります。仮に、苦しい、つまらぬ年末であっても、誰にも文句は言えません。

 なぜか 自分が蒔いた「不徳」(怒り、愚痴、貪り)の種が年末に見事稔ったのであります。何が起きても「人生

フルコース」と襟を正して、年末に訪れた、この苦境をしっかり噛みしめ、自己の責任と悟り乗り越えようと自覚出

来た時、今の苦境から脱皮出来、新しい道が開き始めるのであります。

 一般凡夫の考えでは、「大変」と考えますが、佛智で物事を眺めますと「大いに変る」時と読めば希望が湧いてき

ます。

 平々凡々何言う事もない生活こそ幸せと考えるのは凡夫の知恵であって、佛さまの智慧で物事を眺めますと「波

乱万丈」ある人こそ、何としても乗り越えようとする勇気と情熱が湧き、天地を動かすことが出来ます。

 一番人生で怖いのは「善行もしないが悪い事もしない」ただ自分の幸せの実を考えてこれで良しと決め込んでい

る人であります。これでよろしいと考える人の老後は「じり貧」であります。

 驚くべきは、意外と有識者に多いことであります。

 今世界も日本も狂っております。今こそ国民一人ひとりが目覚め、「正法」を受持し、信仰者として仏さまの如意に

従って修行し、小さな活動ではありますが人様の為、社会の為になっているかを反省すべきが年末のしめくくりと思

います。

 折角信仰しながらよく怒り、済んだ事をごてごて言う愚痴、自分の意のままにしたいと言う貪り、この三毒を慈悲、

誠、堪忍に切り変えてこそ正法受持した真の信仰者であります。

 

 

今将に正法時代なり

 将に「正法流布」の重大なる時代がやって来たことを自覚しましょう。

 佛教臭い言葉に聞こえますが、そんな軽々しい言葉ではありません。

 日本を始め、世界各国の民族が「大自然の哲理(法則)を譲らず、勝手気ままに感情のおもむくまま、目先

の損得計算のみに走り続けた軽率なる結果、そのツケ(精算書)が経済不況を招き、環境破壊となり、国際間

に於ける争い等の問題解決がなかなか進まず、このままでは永遠の平和はやって来ないと断言致します。」

 解決方法は「間違いは間違いとして無条件で詫び、その穴埋めは歯を食いしばってでもと実行することである」

其の誠意を認めたら、「いつまでも昔の事をごてごて言わず、あっさり、すっきり共々に栄える事に協力する事が

大自然の哲理、即ち神佛の御意に沿う最大の近道である。」

 この時人力に勝る神佛の守護が必ずあって世界は平和となり繁栄するのであります。

 この考えは、わが家庭でも、職場でみ、政治の世界でも、教育、宗教の世界でも共通する大切な基本であり

ます。

 

 ある青年が大学を卒業しても自分の希望の職場がなく、現在フリーターであって前途誠に不安定である。どうし

ら仕事が見つかりますとの真剣な人生相談です。

 私は簡単に窮所を指導しました。あなたは悪い人ではないが考えが甘く、大きな間違いをしています。世の中

はあなたの希望する職場は一軒もありません。どんな仕事でも仕事ある事を喜んで、相手(会社)に合わせる

心が出来れば仕事はすぐ見つかります。喜んでやればどんどん智慧が出て、わが職場は最大の楽園となります

と伝えました。

 就職するにも、正法即ち正しい考えを学べば直ちに進む道は出て参ります。

 我流に走らず真実の正法を学び楽しく生活をしましょう。

 

仏智ですべてが解決

 私の人生はこれからだ

 人生、今日が出発点と考えよ。幸せも不幸も、自分の考え次第?

 イソップ物語の「太陽と北風」の物語をご存知でしょうか

 ある日、太陽と北風が自分の力を自慢して一人の旅人のコートを脱がせることを考えた。

 先に北風が自慢の力を出して、旅人目掛けて冷たい風を吹いて吹いて吹きまくった。旅人は余りの寒さにコート

を脱ぐどころか襟を立て必死になって身を守る。

 この姿を見て、太陽が今度は私の番だと言ってじわじわ、にこにこ熱気を旅人に送り与えた。旅人は余りの暑さ

にコートを脱いでしまった。この勝負は太陽の勝ちとなった。この話の中に人間の生きるべき尊いエキスが充満して

いる。

 

 日本を始め各国高位高官の人々が、しのぎを削ってご努力下さっているが、一向に平和はやってこない。

 何故か?

 凡夫の知恵では到底解決出来ません。

 今こそ佛智をもって事にあたり、命がけで答えが出るまで、粘り強く話し合う忍耐なくして、解決出来ません。

 太陽の暖かさ、佛教で云う慈悲の心なくして解決の道はありません。

 

心のオアシス 心のパー

 田中偉仁


 

T O P