心 の 羅 針 盤


 

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  平和への躍動   明るい心で乗り切ろう
  今まさに法華経実践のとき   じっとしておれない菩薩行
 ★ 自分の力を知れ  ★ 人生は徳次第
 ★ 如来の知見は広大深遠である  ★ 心を楽しく 笑顔を忘れず
 ★ 初心を忘れず 行動せよ  ★ 道楽信仰では救われない
 ★ 無欲に勝る武器はない  ★ これさえ直せばあなたは出世する
 ★ 心のひかり  ★ 信徒の信念
 ★ 人生は心が中心  ★ 先祖(親)なくして 自分はない
 ★ 自業自得  ★ 精進のあり方
 ★ 彼岸法要の重大さ  ★ 篤く三宝を敬う心
 ★ 挨拶こそがお経なり  ★ 妙法こそわが宝
 ★ 流れる水は腐らない  ★ 深い信仰心を持て
 ★ 法華経は陽気な教え  ★ 菩薩行の手引き
 ★ お盆先祖供養  ★ お金は尊いもの
 ★ 修行に卒業はない  ★ 人生毎日が稔りの秋


 ★ 年末年始の心構え  ★ 新しい芽を出せ
 ★ オシャレな言葉  ★ 笑えば天国
 ★ おへそに学ぶ  ★ 若さには問題はつきもの
 ★ 子育ては最高の仕事  ★ 徳は将来をうるおす
 ★ 天災は人災から起きる  ★ 稔りの秋
 ★ 歴史は何かを教えている  ★ 自信を持ち、しかも謙虚に
 ★ 年末こそ軌道修正の時  ★ 求道心
 ★ 一日千里を走る  ★ これでいいのか
 ★ 信用は徳なり  ★ 自琢
 ★ 信仰心こそ人生の光  ★ お盆
 ★ ルールを守れ  ★ ピンチこそチャンスを生み出す
 ★ 一番になれ  ★ 一年を振り返って
 ★ 何を学び、何を反省すべきか  ★ 泥棒は金を奪い 病気は心を奪う
 ★ 自分は果たして 善人か 悪人か  ★ 行雲流水
 ★ 正しい目的と正しい手段を見極めて  ★ 栄える人


 ★ 徳人になるには

 ★ 悟れば極楽 迷えば地獄

 ★ 今日が出発点なり

 ★ 大道無門

 ★ 一笑一少、一怒一老

 ★ 人生を楽しく歩め

 ★ 人生の師を持て

 ★ 女性の使命は重大

 ★ 青少年育成の骨

 ★ お陰さまの精神で

 ★ ぬくもり  ★ 素敵な一言

 ★ 温故知新

 ★ 笑顔

 ★ 恥をかくか、辞典を引くか

 ★ 断腸の思い

 ★ 徳積みは低姿勢で

 ★ この世は楽土なり

 ★ 人を育てる骨

 ★ 一服するのは、あの世でよい

 ★ 無理をしないで、無理をして

 ★ 考え方

 ★ 自由の一人歩きは赤信号

 ★ 怒ったら地獄へ急降下

 ★ 夢 念ずれば希いは叶う

 ★ トップの決断

 ★ 人生は演出なり

 ★ 信仰のプロになれ

 ★ さわやかなる心

 ★ 感動


 ★ 自ら研究する(自琢)

 ★ 原点に戻れ

 ★ 今、将に起き上がる時なり

 ★ 責任は自分がとる

 ★ 反省とひらめきの年末

 ★ 聞く耳を持て

 ★ 自由とわがままは月とスッポンほど違う

 ★ 佛さまの智慧と凡夫の知恵

 ★ 心のせまきが犯人なり

 ★ 凡夫の常識と信仰の非常識

 ★ 下がる修行

 ★ 良きに悟る(発想の転換)

 ★ ウエルカム・トラブル

 ★ 勝怠勝欲


平和への躍動
 

 折も折り、経済大国となり、日本の一挙手、一投足は世界中の注目の的になっている今日、政治家も財界人も

宗教家も、一般国民も正しく大道を歩み、一歩足りとも過ちを犯してならぬ非常時であり重大期であります。

 今こそ「国民皆信仰」 正しい信仰心を養い 「人の幸せ」「人を愛する」豊かな心をもって、恵まれない国の人々

に救済の手をさしのべる時であり、又日本人の特徴である「勤勉努力」の範を身をもって示し指導する重大な任務

が日本人の使命と考えます。

 暖かい団結と人様を抱擁する大きな心をもって現在の幸せに甘えず、躍動して御法を伝え広める事を念願する

次第であります。

 

 

明るい心で乗り切ろう

 世界は大きく変動しつつあります。

 自己中心のせまい心では、時代の波から取り残されてしまいます。

 今日生かされている喜びを自覚するとき、相手の心も理解が出来、足並み揃えて協力も出来、真の信仰者として

の誇りと魅力ある行動がにじみ出るのである。

 自分の力に見切りをつける弱い人になってはならぬ。

 

 

今まさに法華経実践のとき

 目まぐるしく流動する世界状勢も人間の知恵ではどうする事も出来ません。

 そして、大自然の哲理である佛の知恵、即ち正しい信仰心なくして世界の平和も家庭の繁栄も保つ事は出来ま

せん。

 法華経は、常に時代の潮流に即して、新しい息吹を吹き込み、即実生活に通用する教えであります。

教えを学び行ずる私達の私生活は、常に周囲から眺められています。

 善行には、積極的、行動的、活動的であってこそ、教えの真髄を深め、他の範たるを示さなければなりません。

 現在の幸せの殻を脱皮し、人心救済の菩薩行に一層の活躍をしましょう。

 

 

じっとしておれない菩薩行

 諸教中の王であり、最大一の教えである法華経に縁を結び、精進出きる皆様は、この世において最高の幸せ者

であることを先ず喜んで下さい。

 成仏(煩悩を取り除き、すべてを善きに悟り寛容なる人間となる事)出きるのは法華経以外ないとお釈迦様が言明

しておられます。

 このすばらしい教えにとっぷりつかり、これで私は最高の幸せと考えるのは、まことに教えが浅いのであります。

 教えが聞けた喜び、教えによって救われた感激を教えなく迷い悩める大衆に、人間として生きる道を導いてこそ、

佛恩に対する最大の恩返しであります。

 法華経流布の勇気、情熱はどうしたら湧くのか?

 それは、平素の私生活が教えに叶った喜びと感謝、言い換えれば、「怒らない、愚痴をこぼさない、貪らない」三徳

を積み重ねる努力以外ありません。実行が出来れば人から眺められても魅力があり、善行に対する積極的な情熱

と迫力がにじみ出てくるのであります。

 今一層教えをしっかり学び、自信を持って人心救済に立ち上がりましょう。

 

 

 自分の力を知れ

 世の中で、一番怖いのは、自分の力を知らぬ事である。

 若者が暴走運転をして、尊い命を亡くすのも、政治家や事業家が失敗して没落するのも、すべて己の力を知らず

行動した結果が取り返しのつかぬ事となっている。

 自己の持てる徳分を知り、徳切れの怖さを自覚し、常に徳を積む事に心がける事が安心の出切る生活の維持方

法である。

人より優れた特徴があれば、どんどん事ある毎に発揮し、逆に人より劣っている欠点があると知ったら、この欠点を

訂正し向上させようとする努力を続けなければならぬ。

 増上慢にならず、劣等感に泣かず、今日一日を生き生きと歩む人こそ法華経を行ずる私達の心意気である。

 

 

 人生は徳次第

 地球環境の変化が、日本の気候にまで大異変をもたらしています。

 恵まれた科学万能の生活に-暑さをしのぐため、家庭も職場もスーパーも、クーラーを取り付け、汗を流す事もな

く生活出切ることは、幸せの絶頂でありますが、自然に逆らう人工的優雅な生活の裏面には、恐るべき日本人の体

力衰退が気付かぬ内に押し寄せて来ています。

 このままの生活を続けておれば、一端緩急時には、体力的粘りもなく、精神的な豊かさもなく、時の潮流に流され

行き着く先は、民族の崩壊であり、私生活の自滅であります。

 この行きづまりを何をもって補うべきか?

 今こそ「命の尊さに目覚め、すべてに感謝の心」を老いも若きも持つ以外ありません。

 生かされている感謝の心が旺盛になれば、今日の幸せの生活から脱皮し、社会浄化のため、人汗流そうという迫

力と情熱が、湧き出る活動となり、身に徳がつくのであります。

 徳さえあれば、いかなる事態が起きようとも、動揺なく乗り切ることが出来るのであります。

 猛暑に耐えるには、信仰心を深め、徳の積める活動をするのが最善の道であります。

 

 

如来の知見は広大深遠である

 私達法華経を学ぶ者は、目先の事に捕らわれていては、真の信仰者ではない。

 自己中心の狭い視野の考えでは行き詰る。

 常に相手の立場になって行動することである。

 いかなる難問題でも、慈悲と誠の心があれば万事解決する。言い換えれば、「相手を悪く見ない」

 暖かい心で抱擁して相手を育てようとする大きな器を作ることである。

 

 

心を楽しく 笑顔を忘れず

 心の狭い人ほどいらいらして事故を起し病気に成りやすい。

 ご先祖様に護られ周囲の皆さんのおかげで無事に暮らせると心から感謝する時、笑顔がにじみ出る。

 一声かけよう喜びの言葉を

 よくやってくれた、ありがとう

 がんばったね、ありがとう

 これからも頼むよ!!

 期待しているよ!!

 笑顔の家庭に福の神が到来する

 

 

初心を忘れず 行動せよ

 昔のことわざに、初心忘れるべからずの謹言がありますが、まさにその通り、初志をしっかり振り返り、新たなる

未来に向かって力強い歩みをしましょう。

 私達一人ひとりの歩みは、法に縁を結び、法華経を学び得た感激、あるいは就職・結婚・新築・出産・入学と過去

を振り返えれば喜びと希望の感激に感動し、胸膨らましたのであります。しかし 人間は、慣れると言うことは感動が

薄らぎ、あるいは感激も薄らぎ、今日の幸せにも甘んずる生活に入ります。

 その頃から自分の運命は間違って来るのです。

 だから初心に戻って過去がどうであったかを調べ、どんな気持ちで一日を暮らしたのであろうかと、今年こそ初心に

戻り、あの感動、あの感激、あの感謝に心の底から目覚めまして、堂々と渡って行きましょう。  

 

 

道楽信仰では救われない

 ★正しい信仰には必ず行がある

 一心行(人様を拝む行)、奉仕行、布施行、菩薩行、が有り、自らを厳しく修行し、人様に尽くす精進を重ね実行す

るので運命が好転し、身に徳がつき人様から信用と尊敬を得られるのであります。

 

 ★道楽信仰とは何か

 どこてもよい、何でもよい、神社、佛閣へお詣りさえしておれば信仰者であると考えている愚かな人が多い。

 神佛の教えを実行せず、気まま、我がままな信仰をする人の家庭は子供も孫も同調せず、嫌われ軽蔑されてしま

うのである。

 しっかり行を積んで『さすが違う』と評価される信仰者となり子孫にこの良き教えを伝授しましょう。

 

 

無欲の勝る武器はない

 「損して得とれ」の格言の如く、人生は馬鹿なくじをどれ丈け引けるかが真の平和を保つ真髄であり、真理である。

 日本は戦争に敗れ無条件降伏をした。

 当時は泣くに泣けぬ悲劇であった。しかし下向きに努力し耐え忍んだ現在は経済大国となり、近代国家に立ち直り

世界の指導的立場になった。其の上軍隊を放棄した。

 この現実を見るとき、国際問題も個人、家庭の諸問題も無条件でありのままに従うぐらいすばらしい事はない。

 難しい問題ほど欲を捨て無条件で従う事である。

 無欲に勝るものは何もない。

 

 

これさえ直せばあなたは出世する

 親や上司に反発し、挨拶も明るく出来ぬ自分を恥じよ。

 今の根性を修行によって切り替えなさい。

 直ちにあなたの運命は向上する。

 この考えの切替こそ法華経行者の大切な歩みである。

 実行が難しいのでない。

 やる気を出せば誰でも出来る。

 

 

心のひかり

 思い出の積み重ねが親子の仲、同行二人が師弟の仲、この心のきずなが尊い。

 信仰とは、行いの仲にある。行いが正しくなければ信仰にならず、理屈に走る人ほど中味が軽く、説得力がなく、

人は遠ざかる。

いかなる強い決意も時間とともに弱まるものである。良き法縁から遠ざかれば考えは凡夫になり下がり、喜べなく

なる。

 顔は心の看板である。年齢に合う責任の取れる顔になって始めて人望が集まるのである。

 不平不満の考えと怒り続ける心が充満すれば自分の顔は「鬼畜」に似てくる。

 日に一度は、しっかり鏡に自分の顔を写し眺める必要がある。

 

 

信徒の信念

 信仰には、率直さとねばり強さがなくては続かない。

 若者の生活には、ねばりが欠けている。年輩者には訪れた運命に率直さが欠けている。

 老若男女とも、この欠点を改めるべく教えを学びすれば、必ず運命は好転する。

 平和を願うのは、萬人の求める願望であります。この願望の達成は各自が相手の人格を認め合う事です。

人誰しも自分を認めてもらえれば其の喜びでやる気とパワーがにじみ出るのであります。

 いかなる難問題も、佛眼を以て眺め、慈悲と誠の心で対処すれば解決は必ずする。

 智者学者といえども、教え無い人は、凡夫であり悩みは果てしなく続いているはずである。

 悩める人の救済は広宣流布の働き以外ありません。

 

 

人生は心が中心

 心が濁れば行いが乱れ、行いが乱れると、苦しみを避けることができない。

 人は環境がすべて心にかなうと、親切で謙遜で、静かであることができる。しかし、環境が心に逆らってきても、

なお、そのようにしていられるかどうかが問題である。

 自分にとって面白くないことが耳に入ってくる時、相手が自分に敵意を見せて迫って来る時、衣食住が容易に得ら

れない時、このような時にも、なお静かな心と善い行いとを持ち続けることができるか。

 環境がすべて心にかなう時だけ、静かな心を持ち良い行いをしても、良い人とは言えない。佛さまの教えを喜び、

教えによって身も心も練り上げた人こそ良い人と言える。

 

 

先祖(親)なくして 自分はない

 今日の自分はどうして成り立っているのか。

 大自然を眺めれば一目瞭然わかるはず。

 目に見えない土の中に、しっかり根が張っているからこそ、枝葉が繁茂し、花が咲き、実が稔るのである。

 人生も斯くの如く、先祖や親は自分を支えてくれる尊い根である。どんな親でも親は親である。先祖という根、親

と言う根に絶えず水を与え、肥料を施してこそ、自分と言う幹が太り、子孫である枝葉で喜びを味わうのである。

この真理に狂う事は絶対ない。

 信仰心が深くなればなる程、故人となられた親や先祖には喜んで報恩の心で追善供養をし、幸いにも親が生存

であれば、あらゆる角度から孝養に心掛ける努力してこそ、安泰なる生活が出来るのである。

 人生は貸しか借りの二道である。親に尽くし切った貸しの多い人が何をやっても順調に事が運べるのである。

喜んで先祖供養をし、親に孝養を致しましょう。

 

 

自業自得

 人は内心の平和を願いながら、その苦しさの根にくわを入れようとしません。

 心の安らかさが得られないのは、欲望に駆り立てられているからだと知っても、改めようとしない。それが人間の

常である。

 現在とは、過去の自分の行為と経験の結果であり、現在もまた未来への新しい原因を造りつつ生きているのです

から、身口意に良い行為を積めば、良い結果を得ることは当然の成り行きなのです。

 善因善果 悪因悪果

 これが業の根本原理です。

 思想を 種まきゃ   行為が 実る

 行為を 種まきゃ   習慣が 実る

 習慣を 種まきゃ   性格が 実る

 性格を 種まきゃ   運命が 実る

 

 

精進のあり方

 お釈迦様の教え(法華経)は、完全無欠であります。しかし、この教えを聞いて受け取る人にも違いがあります。

 教えを説く人、伝える人の心は、常に慈悲と誠の心であってこそ相手に感動を与え、正しく教えが伝わっていくの

であります。感情と愚痴を交えた説法は、教え浅き人を迷わせ、大きな罪を犯すことになりますから、正しく伝えな

ければなりません。

 教えを受ける立場の人は「率直」な心がなくては、何年教えを受けても悟りは開けず、運命の向上もなく、他から

は、信用されず、孤独の生活に落ち入るのであります。

 教えには卒業はありません。死ぬまで修行であり、精進であります。

 常に謙虚な心と善行に向かっての燃える情熱こそ、誇りであります。

 

 

彼岸法要の重大さ

 毎年厳修します春、秋の彼岸先祖法要は、いかなる意義があるか。又、私達信徒の大切なる佛事であるかをご

説明します。

 大自然の実相に当てはめますともよく解ります。濁流渦巻く川の流れが私達の日々の生活であります。こちらの

岸に住み、生活しているのが凡夫の私達であります。

 幸福を求め、子孫の繁栄を願い続ける希望が彼の岸(暑さ寒ささも彼岸までの諺の如き平和な花園の事)であり

ます。

 ところが彼の岸にたどり着くには濁流渦まく川(煩悩)を泳ぎ切らねばなりません。

 泳ぎ切る泳法が佛法であります。しっかり法を学び、佛の守護と故人になられた先祖に追善の徳を積む事によっ

て、有形無形の御加護により、人生の花園(健康・平和・経済)の目的に到達出きる唯一の道が、彼岸法要であり

ます。

 今一度しっかり理解して、意義深い彼岸法要と致しましょう。

 

 

篤く三宝を敬う心

 三宝とは、佛・法・僧の事なり。

 諸経中最大一の法華経を聞き、物の見方、心使いの大切さを知り、自分の人生観に大改造が出きるのです。

 法を学び、各自が目覚めた努力によって、不動の信念を養い、あらゆる苦難にも耐え得る生活が出きるようにな

り、前途に光明が差し込んでくる事は、法華経を学ぶ信徒として誠に嬉しい限りであります。

 しかしここで、根本精神である「篤く三宝を敬う」心を見失ってはなりません。今日自分があるのは、佛様があり、

法を学んだおかげであり、佛の偉大さ、法の尊さを導いてもらえた開祖先生のお手配があってこそ、と事毎に感謝

と報恩の心が身に口に言えてこそ正しい信者の有り方であります。

 この根本がゆらぐ時、我流の信仰となり、己の慢心が墓穴を掘る結果を招くのであります。

 

 

挨拶こそがお経なり

 「南無阿弥陀仏」や「南無妙法蓮華経」だけがお念佛やお題目ではありません。

 人の暗い心を明るくし、人間性を目覚ましめる明るい挨拶言葉が、生きた佛教であり、信仰心を他に起さしめる

秘訣であります。

 もしあなたのまわりに『おはよう』の挨拶もしない『ありがとう』も『すみません』も言わない。あるいは『はい』の返事

もしない人がいるとします。あたかも自動販売機のようなその人に、優しい言葉で真心を込めて、静かにその時々

の挨拶言葉を振舞ってごらんなさい。

 必ずその人の心は和み『ありがとう』『すみません』『はい』を始め、必要な挨拶言葉が返って来て、その人の顔も

柔らかにほぐれるものです。

 打てば響くのが人生である。相手にやらせるのではなく、自分が粘り強く実践するのが真の妙法行者の精進であ

る。

 

妙法こそわが宝

 妙法こそわが宝」であります。

 宝の持ち腐れに終らず、一人の人にもご法をお伝えして、人心救済の菩薩行にレベルアップしましょう。

 教えを聞いて「一隅を照す光」を得る。この感動は、必ず相手に感動を与え、お導きの原動力となります。

 必死ではてぬるい決死の心で取り組めば、すべてが好転する。

 

 人間裸で生れ裸で死んで行くのが真理であって、徳だけは無量に積んでおくべきであります。

 徳のない人生の悲しさがよく理解出来ましたら、善行にはおのずと足が運べるものです。

 信仰者に明るい挨拶がなかったら、人はついて来ません。足元にいくらでも 徳積みの場はあります。

 私以外は皆善人ばかり

 周囲の人を味方にするには、先ず、相手の話をよく聞かせて頂く、其の時すでに、皆味方となるのであります。

 教えを優先するか私欲を優先するかで人生は大きく左右する。

 佛様のご守護・教えのおかげによって、今日の自分がある事に気づけば、一歩も二歩も前進出きるはずです。

 計算に走れば善行は鈍る。裸になれば自力が湧くのが人生である。いまだ味わった事のない最良の毎日に飛躍

しましょう。

 

 

流れる水は腐らない

 地球も太陽も動き続けている。まして私達の心臓は昼夜の休みなく活動している。

 大自然すべてが明日へ向かって躍動し続けている真実を知るとき、凡夫の私達日常を振り返ってみましょう。

 金に余裕が出来た、新築の家屋も完成した。子供も一人前になった。地位も出来た。

 ここでちょいと一休みにうさぎになり易いのが愚かな人間の姿である。

 日に新しく、日に新しく。人の為、世の為に動く働く事に喜びを得るとき、人間として生まれて来た甲斐がある。

 時間に追われ、仕事に追われているのは二流品であって、時間を生かし、仕事を作り出す人間こそ一流人物であ

り魅力がある。

 人間は年ではない。気力であり、心である。

 明日に向かって動き出しましょう。流れる水はくさらないように!

 

 

深い信仰心を持て

 深く掘れば掘る程、井戸水の味は違う。

 信仰も斯くの如く、深く掘り下げて学べば大安心の道が得られる。

 教えを学ぶ姿勢

 釈尊は十大弟子に説かれた

 教えと言うものは、請うものであって 待っているものでない。

 教えを請う時は、まず自我を捨て、姿(心)から正すべきである。

「滝の水が上から落ちる落差(師と弟子の尊敬の間)が大きければ大きいほど、勢いが強いように、教えを請う時は、

辞を低くしないと教えを頂いても自分にしみこまないものである」

 逆に教えを伝える者は

 七面相を以て、あの手この手、この顔この言葉を持って

 慈悲あふれる心で 精一杯説くべきである。

 この時「異体同心」佛心が相手の心を起こさせ成仏(安心立命)の道を歩む事が出来るのである。

 

 

法華経は陽気な教え

 法華経は陽気(明るい)な教えである。

 折角信仰しながら、暗くじめじめ悲観的に物事を考えるのであれば、自分の信仰は浅いと目覚めねばならぬ。

 寒い冬に耐えた草花ですら、春ともなれば光り差し込む方へ向かって精一杯花を咲かせる。

 あの可弱いツバメですら、暖かいところへ海を渡ってやって来る。

 万物の霊長たる人間が明るい心を発揮出来ないのはなぜか。

 自分中心の心の狭さが原因である。視野を広めて見れば、今日一日は生かされている。尊さがしっかり分かれ

ば人様を生かそう。と発想の転換が出来、毎日は楽しく生き甲斐があり明るく生活が出来るはずである。

 

 

菩薩行の手引き

 人間、何が一番嫌かと言うと、対人関係で身内にいる人、友達とか両親、兄弟、同じ家、同じ職場で暮らしてい

る者・・・・・・・・

 一番身近にいる人と、仲の悪いのが一番不幸なことである。

 孔子は葉公に政治の要諦を尋ねられて「近者説、遠者来」と答えた。

 近くの人を喜ばせ、その評判を聞き伝えて遠方の人達が慕って来るようにせよ、と言う教示は中枢を射ているの

である。

 商売繁盛の秘訣も、結婚成就の達成も、期待の持てる子供の養育も真理は一つ、身近にいる者が努力して、仲

良く明るい言葉をかけ合い、笑顔をもって接しておれば、自然と評判は良くなり、店は繁盛し、結婚話はまとまり、

子供の出来は良くなる。

 信徒皆様の努力される菩薩行も、信者同志の明るい対話と笑顔の行動に同志が集まる秘訣である。「和顔愛語」

こそ自らも救われ、人を救うコツである。

 

 

お盆先祖供養

 忘れていませんか?

 今日自分が生きていられるのは、自分の努力と考え、平然と生活している人があるとしたら、この人は誠に三歳

の幼児にも劣る愚かな人である。

 父母を亡くしてこの世に生まれて来た人は、三千世界に一人もないはず。

 樹木に例えれば、大地に埋もれた根(親・先祖)の力で幹(自分)が太り、枝葉(子供・子孫)が繁茂し花が咲き、実

が稔るのが自然の原理である。

 根が枯れ、虫づけば、早晩幹は枯れ、枝葉には花も咲かず実もならないでしょう。

 だから親の供養、先祖供養は、何をさしおいてもせねばならぬ大切な佛事の一大行事とされているのです。

 喜んで捧げましょう。お盆先祖供養、親の恩、先祖への感謝の真心が今の幸せが続く原動力であり、不運を好転

させるエネルギーとなるのである。

 

 

お金は尊いもの

  お金は尊いもので、私達の欲望のほとんどを満たしてくれる魅力のあるものです。しかし、お金の魅力の質を知ら

ないと、お金があるばかりに、親子、夫婦、兄弟等、人間関係で苦しむ問題が起きます。

 お金は働くことによって得られます。この働きに不足、不満があれば、お金が溜まれば溜まるほど、病気、子供の

不出来、人間関係等、お金では解決出来ない問題で苦しむのです。生かされている喜びと感謝のもと、喜んで働き、

喜んで頂いたお金を有効に、一部を佛事に喜んで供養すれば、いかなる悪因縁があろうとも、喜びにあふれた日々

を送ることが出来ます。喜んで働きましょう。

 

 

修行に卒業はない

 人生に行き詰まりはない。行き詰るのは心である。心は常にコロコロと動くものである。欲望の為すまま、煩悩の

趣くままに心を放置したら、大変な結果となる。

 心の文字に一本釘を打ち込めば『必ず』と読むように、心に動揺はなくなる。

 心の釘とは正しい信仰心である。

 釈尊の教えに幸せになる方法として『四諦の法門』が説かれている。

 苦諦 世の中(人生)は苦である                 (真実)

 集諦 苦の原因は煩悩(欲)である                (真実)

 滅諦 煩悩は必ず滅することが出来る             (真実)

  道諦     煩悩を滅するには正しい道を修行することである (真実)

ここに於いてなぜ私達は生活に信仰心を持ち、修行せねばならぬかがはっきりするのである。

 何気なく吐く言葉の中に「私も年だから」と言う人がある。人生にこんな悲しい暗い言葉はない。冗談でも「年だか

ら」とこぼれ始めたら、人生の峠は下り坂となっている。

 

 

人生毎日が稔りの秋

 私達の生活は、過去、現在に知って蒔いたか、知らずにこぼした善悪の心の種蒔き行動が、今日訪れた自分へ

の稔りの秋と考えたら、誰にも文句のつけようもなく、自ら蒔いた種は、自ら刈り取ってこそ楽しい人生ではなかろ

うか。

 もし苦しい雑草が生えたら、「みんな私が悪いのよ」「電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも、みんな私が悪い

のよ」と猛反省し、雑草を抜き取る努力をしたらどんなに楽しい事ではないでしょうか。

 もし嬉しい花が咲き、実が稔ったら「皆さんのお陰様」と、稔れば稔るほど頭を下げる稲穂の姿勢に徹すれば、人

生毎日が稔りの秋であります。

 

 

年末年始の心構え

 謙虚な反省と、盛壮なる行動力を発揮するのが、年末年始の大切な心構えであります。

 幸いに、諸経中の王と言われる法華経を学ぶ私達は、妙法行者としての確固たる信念と実行が、果たして身に

心にどれだけしみこみ、実行出来ていたかを謙虚に反省してみましょう。

 信徒として『正しい目的』『正しい方法』の自覚がなかったら、いつまでたっても自己の幸せを願う小乗的信仰、即

ち小学校程度の信仰であり、目先の安心は叶っても、永遠の安心立命の境地にはなれません。

 過去如何なる罪業深き者でも『即身成仏』佛になれると厳銘されたお釈迦様、即ち佛の言葉を信じ、私も佛にな

れるのだと歓喜雀躍してこそ、不動の目的であります。

 正しい方法 ― 『人皆仏性あり』

 あの人もこの人も佛になってもらうべく自分が精進努力して導くのが正しい方法であります。この事が解れば、人

間最高の生き甲斐であります。

 

 

新しい芽を出せ

 よく泣き、よく吠える犬は弱い。人生も格の如く、病気で泣き、貧乏で泣き、人との不和で泣き続けている人があ

る。泣いて人生は良くなるものでない。

 生活に明るさがあってこそ、希望が湧き、勇気が出て来る。

 真の楽しみは、苦の山をいくつ乗り越えたかが楽をうる原動力である。

 この真実が理解出来たら、苦のある毎日は楽しいはずである。

 人間は死ぬまで勉強である。世渡りの勉強の足らぬ人か、泣いて暗い人生を歩んでいるのである。

 不勉強の怠け根性の自分にプレッシャーをかけることである。

 自分でプレッシャーをかけねば、上司か親か人がかける。

 このプレッシャーが辛いとか、腹が立つと怒れる人は、根性の腐った怠け者の親分である。

 こんな人には、誰も寄りつかなくなり、自ら淋しい人生に立候補している姿である。

 若い時か中年か老年か、人間は一刻も早く正しく目覚めねばならぬ。目覚めた時から先は揚々と必ず開くので

ある。

 チャンスは毎日ある。チャンスを握る方法は、

 『今日与えられた生活に精一杯汗を流すことである。』

今日の仕事を明日に延ばすな。

 この勢いこそチャンスを呼び込むのである。

 「神仏道を説いても拝んでも、わが行にせずは甲斐なし」

と教祖は残された。

 時代は目まぐるしく流動し続けている。この波に溺れる人、この波に乗れる人のニ通りに別れる。

 自分は前者か後者か、自分が一番良く知っているはず。

 分からぬ人ほど、自分が可愛いと言う欲がじゃまして墓穴に落ちいるのである。

 

 

オシャレな言葉

 顔は笑顔、言葉はオシャレでなくては、人間としての魅力はない。

 どんなに美辞麗句を並べても、笑顔がなかったら嫌われる。

 どんなに笑顔を作っても、言葉や笑顔に「感謝の心」がこもっていなければ人は付いてこない。

 顔と言葉が人間を作り出している。

 先日、県外布教に出掛け、あるビジネスホテルに一夜の宿をとった。帰る折、受付に立った経営者のおかみさん

の言葉はオシャレであった。

 「よくお越し下さいました。行き届きませんでしたが、またのお越しをお待ちしております。お気をつけてお出掛け

下さいませ」と心から「感謝」の心をこめて送り出してくれた。

 おかみさんのオシャレの言葉に魅力があり引きつけられた。世渡りもこんなところに徳が積め、人気が上昇するの

ではなかろうか。

 

 

笑えば天国

 家庭に笑いがなかったら、トンネルを走ると同じで陰鬱となる。

 長いトンネルでもオレンジランプが着けられれば、娑婆を走るより一風変って、トンネルも又楽しく走行できる。

 統計上「長生き出来る職業は落語家」と聞く。人を笑わせ、自分も笑うからである。

 「不治の病とまで言われた恐ろしい癌も、心から笑う生活が出来たら全治する。」と某医が発表している。

 感動ある人には、笑いと笑顔がにじみ出る。

 忠告と雑音

 人の意見は、率直に取り入れねばならぬ。

 ただし、忠告と雑音の区別を間違えたら、とんでもないことになる、

 忠告は率直に受け入れ、雑音(不平不満)は聞き流せ。

 雑音はバイキンの如く蔓延し、人生観を狂わせてしまう。

 

 

おへそに学ぶ

 老若男女を問わず、私達にはおへそがある。その臍(へそ)は体のどまん中に悠然とあぐらをかいていられるのは

なぜか。

 今世私達が産声をあげて生まれてこれたのは、母の胎内にいる間、母体と新生児(私)のために、栄養補給の

重大なパイプ役即ち臍の緒として一つの生命を生かす為、表面には見えない処で積善の働きをした功徳が現在

体の表面通りに君臨しているのである。

 これがおへそから学ぶ人生訓である。

 

人生も斯くの如く「積善の家に余慶あり」常に善なる種を蒔き続けるのが安心立命の生活に続く秘訣である。たと

え政界のドンであろうとも、徳が積めていなければ、大自然の鉄槌を受けなければならない。

 このせち辛い世の中に人を優先し、世の為、人の為に尽くす生活は出来ないと一笑する人があるとしたら、この

人こそ無智な臍曲がりの人である。

 

 

若さには問題はつきもの

 若いころには、ニキビや吹出物がよく出来る。そして悩むものである。

 若い企業もそれと同じで、小さな問題がよく出てきて頭を悩ます。

 しかしそれを抑えようとしてルールだらけにすると、企業の発展が鈍くなってくる。

 若い者のやんちゃも、伸びる要素の一つである。企業も若さのため問題発生を恐れてはならない。

 若い指導者も、いたずらに老成ぶらないほうが発展する。

 若さを生かし、正しい人生行路を作る危険を恐れず、勇敢に立ち向かうべきである。

 

 考えているだけではどんなに素晴らしいアイデアを持っていても行動に移さねば実力は分らぬ。

 失敗を恐れてはならぬ。失敗をしたら、それをエネルギーとして、次に挑戦する根性を養う。これが正しい信仰心

であり、発展につながる原動力である。

 

 

子育ては最高の仕事

 子供が生まれて来る時は 、何をすべきで何をすべきでないか全く知らない状態で生まれてきます。これを教えし

つけるのは親の仕事です。

 子供は親の後ろを見て育つ

 子供をしつけていく時に最も重要な役割を果たすのは、親の言葉よりも、親の毎日の姿勢や行動であり、大きな

影響を受けて育ちます。親が目覚めないと、取り返しのつかないことになってしまいます。

 子供をどう育てるかは、親がどう生きるかによって決まります。

 子育てより大事な仕事がありますか?

 決して片手間にやって出来るものではありませんし、又そうなってはいけません。子育ては常に真剣勝負である

ことを忘れてはなりません。

 子育ては、心を育てること

 言葉で育てると同時に、親が自らの行動を持って、それを身に着けさせなけれなりません。口で言って躾が出来

るならこんなラクなことはありません。子供を育てると言うことは大変なことですが、正しく行なった分だけ素晴らしい

結果が待っています。

 子育ては単に大きくすることではなく、心を作り上げていく仕事であります。

 親の仕事は素晴らしいもので、特に母親と言う仕事は、この世に存在するあらゆる仕事のうちで最高のものです。

人間としてこれほどの喜びを得られる仕事は他にはありません。

 この大切な仕事を負わせてもらったことに、母親はもっと誇りを持ち、そして使命感と責任を持つべきです。この気

持ちを持たずして、良い子が育ちません。

 わが子の教育に母親の絶大な忍耐力が必要です。それなしでは本当の教育は出来ません。忍耐強い繰り返しに

よって正しい子供が育ちます。

 

 

徳は将来をうるおす

 落選した候補者の誰もが使う言葉に「不徳の致すところ」とか「身の不徳でありました」と分っているような言葉を

よく聞く。

 人生に不徳が分れば、恐ろしいものは何一つない。なぜか不徳の穴を埋める努力をするからである。

 教祖のお歌に「徳積めば物は自由になるものを徳も積まずに困る世の人」とあります。

 人生に徳の積み過ぎはない。死ぬまで徳積みの競争である。

 不治の病も災難も、すべて困る事が生じて来るのは、身の不徳から生じてくるのである。

 不徳な人ほどよく怒り、我が強く、施し心が少ないのである。

 この己の欠点を勇敢に切替えの出来る人にこそ栄光の道が開くのである。

 佛は慈悲と誠の結晶である。佛の真似をすれば佛になれる。「朱に交われば赤くなる」謹言の如く、良き信仰、

良き縁に離れず努力する事が幸せの最短距離を走るランナーなり。

 

 

天災は人災から起きる

 各地で起きる大地震、津波、猛火等、この悲惨なる天災を私達信仰者は正しく受け取らねばならぬ。

 次に起こるべき大災害は、日本本土に近づきつつあると予知しても不思議ではありません。

 事の重大、かつ、緊急性を訴える時、国民一人一人の正しい考え方、特に宗教者の使命の重大性を痛感するの

であります。

 明日は我身を説き、日蓮上人の『立正安国論』に説かれる「上乱れれば下乱れる。国に正法(宗教心)が行なわ

なければ『三災七難』が訪れる・・・・・」と深い理解を促し、今こそ政治、経済、教育、会社、家庭生活等、すべての

人間生活の基本に宗教性、信仰心の必要性を訴えるのであります。

 政界は乱れ、国民は豊かな生活に感謝を忘れているため、天の鉄槌が下るのであります。私達は日常範を示し、

佛道精進を致しましょう。

 

 

稔りの秋

 人生毎日が稔りの秋である。

 今日まで歩んで来た自分の善悪(種蒔き)の結果が今日の自分の姿であり、稔りの今日である。

 この真実が理解し悟れれば、悲しいからと言って泣くこともなく、嬉しいからと言って有頂天になる事もない。

 訪れた運命を右にも左にも傾かず中道を堂々と歩めるはずである。

 未来即ちこれから先を案ずるならば、今日の自分の行い及び心使いが、将来の稔りとなるのである。

 佛語に曰く「過去を知らんと欲せば現在を見よ。未来を知らんと浴せば現在の行を知れ」とある。まさに真理であ

り、謹言である。

 今日一日を大切に生かすよう

 どうせ生きるなら、人様の為に生きようと努力精進する人こそ佛の子であり、佛様から評価をされる優等生であ

る。

優等生には常にテストがあり、宿題があることを知って挑戦する心構えが必要である。

 

 

歴史は何かを教えている

 笑いのない家庭は、明るさのない職場は、発展、進歩がない。明るさ、笑顔は努力から生まれて来る。

 いやな人、嫌いな人が好きになるのが宗教であり。修行て゜ある。

 修行は毎日であり、死ぬまで続けることである。修行には卒業はない。自分から卒業証書を書いてはならぬ。常

に前進、常に精進あるのみ。

 『人生は重き荷を背負って坂道を行くが如し』と徳川家康は言った。

 まさにその通り、ちょっと油断すれば、坂道を転がり落ちて行くのが凡夫の人生である。

 戦国街道の先頭を走っていた甲州の武田信玄は過労で倒れ(五十三歳)、せっかちな天才信長はオーバーヒート

して事故死(四十九歳)、太閤秀吉は晩年の荒淫で腎虚して枯れ朽ち(六十三歳)

 生涯、粗衣粗食を貫き、質素倹約を常とした家康は、徳川三百年の基礎を作った。

 美食を避け、暴飲暴食を慎み、常に徳積みを心掛けてこそ永遠の幸福に恵まれるのである。

 

 

自信を持ち、しかも謙虚に

 野球のピッチャーがマウンドに立ったら、「自分は世界一のピッチャーだ。俺の珠が打てるものか。打てるものなら

打ってみろ。」という意気込みで投げた球は、真ん中に入っても打たれない。

 ところが、ヒンチになって打席に強打者を迎えると「用心しないと危ないぞ。」と不安がよぎる。するとコーナーをつ

いたようで、珠にもう一つ勢いがなくて、ポカリとやられる。

 ピッチャーは絶対の自信を持って投げなくてはならない

 しかし、ひとたびマウンドを降りたら、今度は、「自分は一番へたなピッチャーだ」ど思って練習に励まなくてはなら

ない。

 これが大投手の鉄則だそうだ。

 人生も斯くの如く、0×10=0 0×100=0

 今日の仕事、職場あるいは自分の学ぶ信仰に自信を持たずしての努力にはご利益は実らない。

 又反面、「馬鹿と煙はすぐに登りたがる。」ように有頂天になる慢心は墓穴を掘る落とし穴だ。

 

 

年末こそ軌道修正の時

 年末こそ一年間の総決算の月である。

 物質的・経済的の総決算は、誰でも考えるのが凡夫であって、日頃信仰に励む私達は襟を正して心の総決算をし

てこそ、さわやかな希望に満ちた新年が迎えられるのであります。

 さて、この一年間は怒ったり、不平不満はなかったか。あるいは自分の幸せのみに信仰を続けていたのではなか

ったか。

 あるいは一歩前進し、レベルアップして、人の為、教えの為に汗を流し、努力したかを振り返る時、果たして自分

は前者であったか、後者であったか。

 自己確立のための苦労は、徳にはなっておりませんので、魔坂の坂で挫折する事が多いのです。

「徳は将来を潤す」聖祖様の謹言の如く、人の喜びを以て吾が喜びとする。佛様の寛大なる慈悲心をしっかり身に

しみこませて、わが人生に軌道修正することが、年末の精神的大仕事であります。

 

 

求道心

 新年を迎えて、求道の心を深めて修行に精進することを誓います。

 神さま、佛さまから、今年も誰彼の差別なく、一つ年を頂けたことは、何よりのプレゼントと喜ばなければなりま

せん。

 生かされているおかげであって、自分だけの力ではありません。この尊さが自覚出来たらじっとしてはおれま

せん。

 今年こそ旧年の考えを抜け出し、飛躍して何か人の為、社会の為にお役に立つ働きをしようと希望と勇気が湧い

てくるのです。

 この明るい心が新年を迎えた価値があるのです。

 人生に停年はありません。信仰には卒業がないはずです。常に自分は未熟であると謙虚な姿勢こそ萬人から好

かれる根元であります。

 求道心を持って今年は一歩前進しましょう。

 

 

一日千里を走る

 法華経は燃えるが如き情熱無くして理解できるものではない。この情熱はどこから湧きでるのか。乗るか反るか

の問題の山をいくつも乗り越えた苦労人にこそ情熱がにじみ出るのであり、その底力は量り知れぬ魅力であります。

 中途半端の人間では真の喜び、幸福を味わうことは出来ません。

 皆さん喜んで下さい。徹底した苦しみ、迷いが有る人はいよいよ幸福が近付いたのです。

 現在の日本は「不況、不況」と口癖に国民は暗い事ばかりを話題にして明るさがない。こんな根性でどれだけ行

政が良い計画を立案しても「馬の耳に念仏」で効果は上がらない。

 不況と言えども、国民の私生活は何も変らず、ひしひしと迫る悲壮感はない。

 一日千里を走る力は、今日一日を丁寧に生きる事である。丁寧とは感謝と感動と情熱である。この信念を以て実

行すれば、栄光ある道は誰にでも訪れてくる。頑張りましょう。

 

 

これでいいのか

 人間の生活は大自然と調和して、初めて平和が保てるのである。日本経済の非常時の今、何とかなるさ、そのう

ちにと!!

 こんな怠け心では、日本の将来は危ない。

 心に五寸釘を打ち込んで、必ずと読むように必死になり、不動の信念を以て各自与えられた任務に励み、徳を以

て事を進める時である。

 孔子の弟子、荀子の言葉に、「着眼大局、着手小局」

 眼のつけどころは大きく洞察し、実践は小さなことの積み重ねという教えである。

 大きな洞察の出来ないのは、小利にとらわれるからである。足元の実践がおろそかになるのは、背伸びするから

である。徳人はみな背を低くしている。

 

 

信用は徳なり

 ただの仕事が出来ないようでは信用は生まれない。

 金ぐりが大変だと嘆く人は、お金に頼り過ぎてはいないか。

  挨拶に、お金はいりません。

  笑顔に、お金はいりません。

  親切に、お金はいりません。

運のついてこないのは、お金のかからない心の仕事をおろそかにしているからだ。

 今、挨拶が出来ていますか。

 今、笑顔が出来ていますか。

 今、親切が出来ていますか。

人生、力の入れどころに、真心を尽くしたいものだ。

 繁盛せぬ店ほど、社員が暗い。

 繁盛せぬ店ほど、休みが多い。

 繁盛せぬ店ほど、笑顔がない。

 心の革命を起こせば運は開く。

 革命とは、徳積である。

 

 

自琢

 辛いことが多いのは、おかげさまの心がないからだ。

 苦しいことが多いのは、自分に甘えがあるからだ。

 悲しいことが多いのは、自分のことしか考えないからだ。

 心配することが多いのは、今を懸命に生きていないからだ。

 行き詰まりが多いのは、自分が裸になれぬからだ。

 

怠けたり、贅沢して幸せなんか絶対に来ない。もしやって来るとしたら、偽せの幸せであり、メッキの幸せで、長続

きはしない。

今日与えられた使命に喜んで汗を流す人にこそ、栄光の道が開けて来る。

 

 

信仰心こそ人生の光

 私共が佛様と同じ様な考えに、自分の考えを切り替えられたら、理想は現実となる。

 化学万能時代と言え、機械は故障を起こす。新薬は開発されても病人は増える一方、人間は利口になったが、争

いは絶えない。

 どこが狂っているのか。人間生活の中に正しい信仰心がないからである。

 完全無欠の思想は佛教であり、特に諸経中の王と言われる法華経が理解出来、実践出来たら鬼に金棒、どんな

願いも叶うのである。

 怒らない橋、愚痴らぬ橋、貪らない橋を努力し、喜んで渡る人には、病気は必ず治ります。経済は楽になります。

お家は円満となり、明るい光は誰彼の差別なく差し込んで来ます。

  

 

おぼん

 お盆の連休は、海外旅行に行ったり、海水浴や家族が揃ってご馳走を食べ遊ぶのが盆休みと錯覚している人が

多い。

 人生を樹木に喩えて考えると良くわかる。

 先祖(親)は根であり、自分たち子孫はその樹木の枝葉である。先祖の根によって存在している我々がその根に

感謝するのは当然であります。

 たくさんの先祖のなかには、心ならずも煩悩に振り回され、不幸の念をもって生涯を閉じられた方もおられるはず

です。

 慙愧の思いにかられている故人は死んでから自分で功徳を積む事は出来ません。

 その亡き先祖の慙愧の思いを私たちが代わって世の為 人の為に功徳を積んで回向させてもらうのです。この追

善の行をした時「自分が積めなかった功徳をよくぞ子孫が積んでくれる。有り難いことだ。」とご先祖が喜ばれるの

です。この喜びが私たちのところに回向されるのです。

 特にお盆供養は尊い布施行であります。

 

 

ルールを守れ

 酷暑、猛暑の夏も過ぎ、朝晩は早くも秋の訪れを感ずる季節となった。

 稀なる雨不足は、各地に断水節水が断行され、農作物には大きな被害が出、一部企業にも深刻なる状態が出

ている。

 日本国民の年中行事の盆の先祖供養 墓参りと、故郷 ふるさと帰りと、民族大移動が今年もあった。

 折角のお盆の里帰りに、全国で三百何人の交通事故死があったと新聞は報じている。

 特に若者が多い。将来を背負い、未来に夢を持つ若き力を一瞬にして亡くす身内の悲しみは言うに及ばず、大き

くは国家の大きな損害である。

 この現実をどうして防げるか、どうすれば良いかを考えねればならない。

 交通事故ばかりではなく、すべての苦しみの原因は、人間として歩まねばならなぬ道と人間として歩んではならぬ

道のルールを間違えた結果がすべてである事を自覚すべきである。

 

 

ピンチこそチャンスを生み出す

 平凡なる人生には進歩も発展もない。

 大自然は一点に止まる事なく、常に変化し、動き続けている。この移り変る自然に遅れず、ついて行く気力と努力

する人にのみ、発展と生き甲斐が生まれて来るのである。

 人間の住む地球を佛教では、”苦の娑婆”と教えられている。

 どのような苦があると言えば、生老病死の憂患はつきものである。

 老いる苦しみ、病む苦しみ、死ぬ苦しみを逃れようとするから迷いが生じ、心が行き詰まり、滅入ってしまうので

ある。

 この苦を逃げるのではなく、乗り越える道に生き、努力しようとする考えを起こさない限り安心立命はない。

 実行しましょう 道は必ず開く。

 

 

一番になれ

 この度王貞治氏(世界のホームラン王)の講演を聞いた。

 日本で一番高い山は何山ですか?

 ハイ富士山です。

 では二番目に高い山は何山ですか?

 ほとんどの人は、二番は知らなかった。

 王貞治氏曰く、

 ”一番は覚えられても 二番は忘れられる

 常に一番を目指して努力することである。私も常に一番を目指してバットを振った”と結ばれた。

 素晴らしい感動的な言葉であった。

 ご縁あって私達の学ぶ法華経は、諸経の王であり八万四千通りの教えの中一番の教えである。

 一番の教えを学ぶ私達は、常に一番の実践をしてこそ法華経行者たる資格が出来る。

 一番は何も難しいことではない。足元にいくらでも転がっている。

 感じの良い挨拶は、一番である。朝起きは一番である。お参りは誰にも負けぬ一番である。一番を探し、目覚め

る事が、尊い行動であり、教えをマスターする秘訣である。

 

 

一年を振り返って

 毎年の事ながら、慌しい年末を迎えて、唯ばたばた動くのではなく、心は冷静にゆとりをもって事に当たるべきで

ある。

 正しい反省は、飛躍への原動力である

 今年一年はどうであったか千差万別・・・

 喜び多い一年であった人。

 悲しい問題で泣いた人。

 何の変化もなく漠然と一年を過ごした人

色々の人生を私達は精一杯歩んで来たはずである。しかし答えは皆違っている。

 どこがちがったのか! どこが狂っているのか!

 すなわち心のあり方、考え方に喜びのある人と不平不満の充満せる人の違いである。

 苦を逃げよう。苦の原因を他のせいにする考え方が当然とするのが凡夫である。

 正しい信仰心ある人は、苦を乗り越えよう。 苦こそ幸福をつかむチャンスなりと考え実践する人こそ成功街道を

ばく進出来るのである。

 幸福は喜んで行動する人に舞い込み、施し厚き人に金銭は集まるのである

 

 

何を学び、何を反省すべきか

 大災害は、いつどこで起きるか人間の知恵では予想もつかない。

 だからと言って、この先を案じて、おどおど不安の日を送るのであれば、こんな惨めな生活はない。

 阪神大震災未曾有の大被害を受けて私達は何を学び、何を反省し、この非常時にどう動き、活動すべきかをしっ

かりわきまえてこそ、神戸は超近代国際都市として再建出来ると思う。

 先ず反省

 「日本の高速道路も超高層ビルも安全神話は崩れた。」科学の力も人間の叡智も大自然の猛威の前にはひとた

まりもない。

 過信した日本人の高上がりに大自然の鉄槌が下ったと思う。

 転んだらすく゛起きよ! 悲しみもこの辛さも乗り越えて、今こそ再建に命懸けで日本人一人残らず立ち上がる時

が来たのだ。

 雨降って地固まるの如く、日本の建て直しである。

 

 

泥棒は金を奪い 病気は心を奪う

 薬はどんな薬でも毒である。

 病気を薬で治そうと思うのは間違いである。

 治らないから薬を強める。薬を乱用すれば寿命は延びても植物人間となってしまう。

 薬はあくまでも病気を直す補助役であって本命は自分である。

 千人ひとりの病気と言って不治の病と嘆く人もある。

 佛眼をもって病気を診断すると、この人は千人ひとりのような心で大自然に逆らって生活をしているのである。

 このことに気づき一八〇度の心の切り換えをすれば奇跡が起きて不治の病も治る。

 法華経は切れば血の出る教え

 即ち実行すれば、必ず願いの叶う教えである。

 病気した事により、災難に遭遇した事により考え方を正しく立て直した人には運命は好転している。常に佛縁を

深め、正しい師匠に従い、率直にありのままを喜び徳器を成就する事である。

 

 

自分は果たして 善人か悪人か

 佛教では現在の世を「末法」と言う。

 末法の世の人びとのために説かれた教典が法華経であります。

 末法の時代は、人びとが自分の利益、自分の仲間や自分の国の利益にあくまでも固執し、その利害の衝突でい

がみ合い、ついには多くの血を流すようなことが起きる時代です。

 また、自分の欲望の満足させることしか考えず、地球を汚染しつくし、破壊しかねないような時代、それが末法の

時代であり、世紀末の醜い人間の姿である。

 今こそ人間が真の人間の生き方に目覚めなければならない時代なのです。それでなければ、この世界を救うこと

は出来ません。

 大災害の救援隊としてのボランティア活動、義援金の応援、命懸けの災害復興にかけた国民こそ善人の行動で

あり、無差別殺人事件は、将に悪人の鬼畜の行動である。

 今こそ堂々と善人の道を歩む時である。

 

 

行雲流水

 私達人間は、五欲煩悩の固まりで、死ぬことを嫌がって生きることに執着し、金銭、権勢や名誉にもまた執着する

余り、これらに縛られて身動き出来ず、迷いに迷いを重ねているので悲しい現実て゜あります。

 この迷いの根源は、執着にあり、迷いから逃げ出そう、解放されようと思うのが人間誰もが求めるものなのです。

 この事を佛教では、執着からの解脱といい、これを得ることにより、安心を得ることが出来るのです。ではどうした

ら執着から解脱をすることが出来るのでしょう。

 表題の如く行雲流水のように一処に定住すること無く、色々な所で修行に励むようにという意味と無執着でありな

さいという期待を込めてこのように呼びます。

 朱に染まれば赤くなるの諺のように、先ず佛縁を深め、佛の真似をする努力に努める事である。良き手本に従っ

て真似ていれば、自然と本物になる。

期待を込めてこのように

 

 

正しい目的と正しい手段を見極めて

 正しい目的を立て、正しい手段(方法)をもって精進すれば、誰でも幸福になれます。

 佛(釈尊)がこの世に出現せられたのは一大事の因縁をもって、衆生に佛智見を開き佛智見を示し佛智見を

悟り佛智見の道に入らしめんが為であります。

 私達佛教徒は、 尊い佛のお心を深く噛みしめ、さて私達萬物の霊長たる人間は、どの様な使命目的をもってこ

の世に生まれて来たのでしょうか。

 「魂を磨きに生まれて来たのです。」

 だから自ら進んで己を磨く修養をせねばなりません。

 次にこれから先、生き抜く手段方法は、

 「常に徳を積む」事に努力することであります。

 この正しい生き方に自信をもって、いかがわしい信仰に惑わず精進すべきことであります。 

 

 

栄える人

 人の間に生まれて活かされると書いて人間生活と読む。

 私たちは父と母の間に生まれて活かされ今日がある。

 いかなる親であっても、この親の恩に報いる人こそ、永遠に栄える。

 栄える人は、良き縁に近付 き良き縁から離れぬ努力をする人である。

 資本をかけてでも、良き縁は切ってはならない。

 

 

徳人になるには

 求めて生きる人生には苦しみがつきまとう。

 自分の持てる力をフルに生かして、人に喜びを与える人こそ徳人の資格を得て喜び多い人生になる

 鰹節でも丸のままではダシが出にくい。

 徳積みも又然り、を削るか、を削るか、知恵を削ってこそ、始めて徳が積めるのである。

 

 

悟れば極楽 迷えば地獄

 地球も太陽も、一点に止まる事なく常に前向きに回転し続けている。

 この大自然の哲理をしっかり把握できれば、去るも良し、刳るも良し、死すも良し、生まれるも良し、すべて明るく

楽しく暮らせるのであります。

 凡夫が迷うが故に、六道を輪廻すると釈尊は申しておられる。

 何が私達を苦しめるのか。

 それは凡夫の欲であり、執着であります。

 台風一過さわやかな秋晴れが来るが如く、冬の次は希望の春が訪れるのが平等に与えられる大自然の恵みで

あります。

 平素から信仰ある者は、しっかり此の理を咀嚼(かみしめ)し、実行しておれば、いかなる事態に遭遇しようと動

揺なく人生に希望ある歩みが出来るはずです。

 「転んだら、すぐ起きよ」 すべての出来事は天の采配と喜んで受けた時、人には無限の勇気トエネルギーが湧

き、大発展につながるのである。

 

 

今日が出発点なり

 吾が人生を振り返って見ますと、嬉しいこと楽しかった事、逆にびっくりしたこと、悲しかったこと悲喜こもごものド

ラマが私達にあったと思います。

 悲しいからと言っていつまでも尾を引いている人はありませんか。

 調子がよかったからと言って、有頂天になっている人はありませんか。

 大自然は一点に止まる事なく刻一刻と前進し流転し続けている。この自然の哲理に逆らい乗り遅れる人が、希

望を失い明るさがなくなり自ら墓穴に陥るのである。

 『今日が吾が人生の出発点』と考えたら、悲しみも吹っ飛び、真の勇気が湧き動きに活力がにじみ出るはず。

 調子の良い人も、いつまでも続かぬとしったら、今日を出発点として自覚し、次の幸福をつかむ為、善行に汗が

流せるはず!

 人生に何が恐ろしいかと言えば、我欲に走った末路の徳切れである。

 

 

大道無門

 逆境で悲観せず、順調で楽観せず

 私たち凡夫の考えや知恵は平素しっかりしているようでも、一旦緩急(非常時)あるとき右往左往して自分の進

むべき道すら、見失って迷い続ける人が多い。

 これでは折角の人生が浮き草のようで、感動もなければ、活力も沸き出てこない。

 特にエリートと自負する人ほど踏ん張りも効かず、粘りもなく頭でわかっても行動が伴わず、世間の笑い者となる

人が多い。

 人間は生まれた限り必ず死が来る。就職したら必ず定年が来る。死に近づいてから動揺したり定年間近に

なって不安を感ずるようでは手遅れである。平素からしっかりと真実を知り己を鍛えておけぎ何事が起きようと嘆く

ことはないはず!!

 今日と言う一日を一生懸命喜んで生きていくことが大切であり、今日と言う日は二度と訪れぬ幸福へのチャンス

と考えて精進すべきが信仰者の姿勢である。

 

 

一笑一少、一怒一老

 一度笑えば一つ若くなる

 一度怒れば一つ歳をとる

 和顔愛語、やさしい言葉に笑顔で感謝があふれば平和が続き発展は間違いない。

 沈まない船はない。潰れない企業はない、すべて人間関係である。

 倒産する会社は、伸び悩みの企業は、人間の和が欠けて、てんでばらばらの意志で不平不満のるつぼである。

 栄えぬ家庭、不幸続きの家庭は親子夫婦、嫁姑の意志は食い違い、争いが縫え間がない。

 波乱万丈の生涯を送り、逆境に耐えてこそ信仰の基礎が確立する。

 音質育ちでは佛法はわからぬ。なまけ者、欲深き人には佛の叡智はさずからない。

 有り難いことに私達には真実の教えに縁があり、学ぼうとすればどこまでも深く佛法を知ることが出来ます。

 一歩前進して佛縁を深め、真の幸福をつかみましょう。

 

 

人生を楽しく歩め

 転んで道あり

    起きて道あり

 転んだらすく起きよ

    起きたらすぐ動け

 人生坂があるから面白い

    雨が降って天気となる

 ヤンチャな子供に

    嘆くなかれ

 成長したと考えれば

    また楽しい

 楽しく明るく仲良く

  これが信仰の道なり

 

 

人生の師を持て

 混迷する日本を誰が救うか

 暗中模索唯情報i振り回されて、他人の悪をさばく事ばかりに集中しているのが現実の日本人の姿ではないでし

ょうか?

 誰かがやってくれるだろうと「人の褌で相撲をとろう」と言う安易な根性ではいつまでたっても日本は軌道に乗れな

い。

 「俺がやらねば誰がやる」と本来の日本民族の根性を、今こそ各自が目覚め努力すべき非常時である。

 それには心の依りどころとすべき『人生の師』を持つことであり、これほど確かな安全な生き方はない。

 人生の師とは「襟」を正してくれる人、即ち「徳人」の事で有る。

 人生の師を得たら、尊敬と恋慕の心を持って追随し、どこを切っても師と同じ血が流れておらねばならぬ。自分の

都合の良い事だけで相談し求めるのであれば、師でもなく人生の道案内にすぎない。

 

 

女性の使命は重大

 不幸話は毒であり

 失敗話は花である

 不幸話をすることは自分の弱さを暴露する事であり、聞いている人にも暗いイメージを与えるだけで、毒となって

自分を滅ぼすのである。これを愚痴と言う。

 失敗しても、この失敗から心の立て直しをした話は、聞いている人にも楽しく明るさを与え花となる。

 この考えこそ佛様の教えであり、人生を生かす近代佛教の新鮮なるエキスである。

 「地震、雷、火事、親父」は戦前の日本の家訓であり、家庭がまとまっていた。

 世が移り変り日本人の考えも骨抜きとなった。

 「地震、雷、、嫁姑」となってしまった。

 殿方の出来も不出来も、家庭を護る嫁姑の『和を保ち仲の良いか、不仲かが』一大原因であると知るとき女性の

使命は重大である。

 

 

青少年育成の骨

 青少年を伸ばすには・・・・

 小さなことでもよい。善いことをしたら、大衆の前で誉めよ。

 叱るとき、注意するときは、そっと陰でせよ。

 どんな横着坊主でも、大衆の前で誉められれば必ずやる気を出して発奮する。

 この逆は萎縮するか落ち込んでしまう。

 

 

お陰さまの精神で

 お陰さまと喜び、感謝の念を持つ人に不幸はない。

 おれがの強い人ほどよく怒り、自らの不幸を招くのである。

 心の運びによって自分の運命は決定する。

 栄える人は、常に人の為に心を使って喜んで事に当たっている。

 

 

ぬくもり

 人体からぬくもりがなくなれば死体となる。

 親子、夫婦、家族にぬくもりがなくなれば破滅である。職場に社会に国際関係にぬくもりが消えれば闘争となり、

戦争勃発である、

 どんなに時代が変化し科学文明が訪れようとも自動販売機(言葉も発せず、挨拶もしない)の生活からは、ぬく

もりは生まれてこない。

 病気になっても、年をとっても心にゆとりを持ち、ぬくもりをもって人に接する人は人生の達人である。

 

 

素敵な一言

 相手に「素敵な一言」を与えられる人は、真の信仰者である。

 なにげなく発する一言が相手を傷つけたり、相手を勇気づけるのである。

 困っている時、人から人声かけられる「ぬくもり」のある一言、一声がどんなに嬉しいか、又どんなに勇気づけら

れることか。

 困っている人に力強くかけた一言は、自分がどんな時に喜べるか。

 皆さん、今からでも遅くない 素敵な一言を周囲の人にプレゼントしましょう。

 

 

温故知新

 乱世の日本を眺めると高齢者の年寄りを粗末にして粗大ゴミ扱いしていませんか。

 逆に若者の行動は、目先の自由に執らわれ暴走し続けていませんか。

 古い昔の事ばかり主張する老人があるとしたら之は頑固であって煮ても焼いても鼻持ちなりません。

 自由が若者の特権とばかり、親の意見も、古き人のの言にも耳もかさず、暴走すれば取り返しのつかぬ結果を

招くのは火を見るのが如しです。世の中は新旧取り入れてこそ、平和が保って発展するのです。

 

 

笑顔

 指導者に笑顔がなかったら人は近寄らない。

 どうしたら自然に笑顔が出来るのか、

 無欲旦々、すべて皆様のおかげ様と喜べる時、微笑みがにじみ出るものである。

 仲々むづかしい・・・むづかしいと言って努力となかったら、いつまでたってもにが虫を噛んだ顔は直らない。

 こんな人がある。

 「何と言われても、私は持って生まれた性格は直らない」とさもこれが当然の如く言い張る人がある。

 この人は年と共に一刻者になり、周囲から嫌われ孤独の人生を歩まねばならぬ。

 妙法の教えは人間改造の教えである。常に善い事には積極的な率直さが自分を改造出来るのである。

 地位が出来、財が出来ると知らぬうちに慢心の角が出始める事を自覚する人こそ徳人である。まず日に三度

は鏡を見て努力せよ。三年も経てば、誰でも笑顔がにじみ出る。

 

 

恥をかくか、辞典を引くか

 金がなくて恥をかくか

 学問が無くて恥をかくか

 酒を飲みすぎて恥をかくか

 結婚問題で恥をかくか

 子供のことで恥をかくか・・・

 長い人生航路を進むには、一度や二度大恥をかくか、大恥をかかされた事がある。

 「恥をかいたはずかしさ、大恥をかかされた悔しさ」を人生のバネとして奮起する人こそ根性が出来、青年で

あれば、頼もしさがにじみ出る。壮年であれば信用と人望が集まる。老年なれば、あっさり、すっきり、さっぱりと

無欲淡々往生が出来る。

 さもなくば、辞典を引くか

 人生の辞典とは、有徳の師匠のことである

 有徳の師匠につけば、千里の先まで教えてもらえる。尊敬と信頼の念が深ければ、いつまでも離れることなく、

ついて走れる。二十一世紀は、はっきりする時・・・恥をかいて学ぶか、人生の師匠(辞典)につくか。

 

 

断腸の思い

 親の腸は、ずたずたに切れてはいませんか

 昔、中国で子猿が捕まって、舟に乗せられて川下にどんどん流されて行く。

 母猿が岸づたいに悲しげに鳴き叫びながら後を追って来る。百里あまり行っても、立ち去ろうとしない。そしてと

うとう舟の中に飛び込んで来て、そのまま息絶えた。

 腹を裂いて調べて見ると、「腸がずたずたにちぎれていた」と・・・・

 この事実から「断腸」の言葉が生まれた。

 さて私達は、自分の力で一人前になったと錯覚してはいませんか。

 今日まで父や母に何回となく断腸の思いを与えたことはありませんか。

 今、胸に手を当てて静かに振り返ってみる時、何と恩知らずであり、父母の寿命を縮めた事と気付いた時、涙せ

ずにいられません。

 流す涙が尊ければ、我が子の問題はすっきり割り切れ、諸問題は見事解決する。

 

 

徳積みは低姿勢で

 わかっているが、わからない

 信仰が深くなると、誰もが徳積みに目覚めて努力する。これは素晴らしいことでる。

 しかし、教えの聞き始めのような、感動も薄らぎ、ご利益も目に見えず、何となく徳積みから心が遠ざかる。

 さりとて教えを離れる事も出来ず悶々ととて信仰を続けている人はいませんか。

 こんな暗い心境では、誰一人も導くことは出来ません。

 善行を続けながら、心に張りがなくなり、落ち込むのはどこに原因があるのか。

 平家物語にある如く「驕れる(おごれる)者久しからず」「高きものは落ちる」の真理の如く、折角の徳積みも、心の高

ぶり、謙虚さがなくなった結果、花も咲かず、実も稔らず落胆するのである。これがわかれば「徳積みこそ低姿勢

の心」が必要とうなづける。

 低ければ、水なりと溜まるのが真実である。

 

 

この世は楽土なり

 寒い冬を通り越せば、春がやって来る。

 嵐の後は日本晴れである。

 これが何百年昔から現代まで偽らざる自然の哲理であり、真理である。

 この大自然の流れを、しっかり自覚出来た時、この世は楽土と喜べるはず・・・・・・

 佛語には「抜苦与楽」と教えられている。

 訪れた苦労を逃げず、しっかりと受け止めた時、静かに喜びが忍び寄って来る。

 苦を逃げる姿勢は、負け犬である。矢でも鉄砲でもとんで来い。命を張って挑戦して見せる根性が出来たら、す

べての苦が人生に光を差し込むのである。

 戦後、はき違えた「自由主義」のつけが、今、弱体した日本の姿となったのである。

 自由とは、人を自由にする事が真の自由主義である。

 大乗佛教のすばらしさ、佛様の思想の偉大さはここに有るのだ。忍土を脱皮して楽土にするのは、私立ち各自

の考え方にある。

 

 

人を育てる骨

 人を育てる位、難しい事はない。

 逆に急所を知れば、人を育てる位、楽しい事はない。

 人と言う字を分析してみましょう。

 上に立つ者(指導者)は、下の支えがあって今の自分があると考えたらどうでしょう。

 下の者は、未熟な自分が上の引き立てが有って今日保たれていると考えたら、落ち込むこともなくも精一杯の自

力とエネルギーが湧き出てくるはず!

 人生は支えられたり、支えたりで生かされているのである。

 とにかく相手の未熟さ、欠点に執らわれたら、イライラが始まり、忠告指導する心に怒りが充満するものである。

すでにこの時、上司と言えども勝負は負けである。

 欠点多き者こそ、逆に優れた長所がある。

 相手の長所美点を引き伸ばす人こそ、大器の持ち主として人は信じて追随するものである。

 徳器を成就すれば萬事うまく進むものである。

 

 

一服するのは、あの世でよい

 人間として生まれて来た使命(目標)をはっきり自覚せぬ限り、不安は募るばかりであります。

 身近に起こる最近の世相には、目を背けることばかり。青少年の残虐非道なる殺人事件、日本を代表する金融

界の大スキャダル事件等々を考えると、子供を頼ることも、金を頼ることも地位権力を頼って生きる事完全なる平

和の道とは言えません。

 人間として生を受けた使命は、「魂を磨く為にこの世に出た」のである。

 常にもろもろの出来事も前向きになって自分を磨く為であると挑戦する時、偉大なるエネルギーが出て、生き生

きとした活動が出来るのであります。

 さて、生きていく使命は、死ぬまで徳(人の為、世の為に尽くすこと)を積み続ける事によって安心立命の生活が

出来るのであります。

 私生活が整い始めると凡夫は善行を一服したくなる「心のスキ」が危険であります。

 

 

無理をしないで、無理をして

 クイズのような表題で、何が何やらわからない。

 よく噛みしめると、味のある真理である。

 病気をした<年を取った、無理をしたらいけないと考えるのは、当然の常識である。

 しかし、佛さまの考えたは、私達凡夫の考えの逆である。

 年を取ったからと言って、引っ込み思案の考えで部屋に閉じこもったら、心も体も老化して時代から取り残されて

しまう。

 病気をしたからといって体を使わず、食ってばかりいたら、気力も良き発想も浮かばず、自滅の道を走るばかりで

ある。

 そこでどのような環境にあっても、善行には、無理をして善なる種をまかぬ限り、運命の好転も実りのある人生も

やってこない。

 良き縁には無理をしても近づけ!

 良い事には体を使って汗をかけ!

 良田には貧者の一灯でもよい、施しの布施をせよ! 

 この考えこそ、人生のエネルギーである。

 

 

考え方

 山より大きな猪は出ない。

 海より大きな鯨はいない。

 凡夫の知恵は誠に小さい。

 一寸したつまづき、一寸した失敗、一寸した苦労にぶち当たると、箸を棒のように考えて、自分は日本一の不幸

者と考え込む人がある。

 借金が山程あっても、命まではとられぬ。借りたら、日掛けで返す努力をすれば必ず信用がつく。

 馬鹿にされて怒るより、馬鹿にされぬ努力をせよ。

 学歴がないと泣くより、学力を身につけよ。

 一度失敗したら、二度と失敗せぬ根性から人は大成する。

 健康を保つには、美食に走らず腹八分目の生活をせよ。身分不相応の生活に徹すれば、経済は楽である。押し

て駄目なら、引く手を覚えよ。満月になったら、三日月になることを知れ。

 良薬は口に苦い。教えは窮屈ではない。

 人生のエキスであり糧秣である。

 

 

自由の独り歩きは赤信号

 どうなっているの今の日本

 治安維持の出来ていた日本

 勤勉努力家であった日本人

 家族制度のすばらしかった日本国

 戦争を捨て、世界平和を叫ぶ反面、こんなすばらしい根性を持ちながら、戦後70年余りの間に自由のはき違い

が、今日の日本の哀れな姿ではないでしょうか。

 

 自由には必ず責任があるはず

 最近は、いろいろな立場の(偉い人)が記者会見の場で「申し訳ありませんでした」と頭を下げ、国民にわびる場

面をテレビや新聞でよく見受ける。

 頭を下げ、辞職すれば責任を取ったと考える甘さが問題である。

 誰がこんな腰抜けの日本にしたのか。

 私達国民の一人一人の責任である事を自覚せぬ限り真の平和は訪れてこない。

 責任ある自由、自由の一人歩きを禁ずる非常事態である事に目覚めましょう。

 

 

 

怒ったら地獄へ急降下

 怒っちゃ駄目、怒れば地獄

 年末が近づいた。

 気候は寒くなる。幼児はぐずぐずよく泣く。仕事は仲々片付かぬ。金の入用が重んで来る。

 いらいらする。むしゃくしゃする。どこを向いても怒りたくなる。

 明るい挨拶も、返事もするのがいや。こんな時はわが人生の赤信号。

 どんなに素晴らしい美人も怒った顔は般若(鬼)の顔となり、人から嫌わ怖れられる。折角今年一年頑張って来

たのに!

 怒れる時、鏡に自分の顔を写してみるがよい。自分ながらいやになる。

 馬鹿にされても、意見が通らなくとも、怒らぬ人は有力なる大人である。

 よく怒る人は病気勝ち、よく怒る人は貧乏神が寄ってくる。

 さあ怒りを鎮めて年末を明るく乗り切りましょう。

 

 

夢 念ずれば希いは叶う

 人生に夢がなかったら、発展も進歩もない。

 老若男女を問わず、夢があるからこそ、迫力も出て、楽しく生きられるのである。

 その夢が自己中心であれば、夢も幻となって消えてしまう。

 世の為、人の為を念ずる夢であれば、佛さまのご守護があり、希い(希望)は必ず叶えられ嬉しい結果が生まれ

るのである。

 しかし、現実は厳しい。

 毎日報道される新聞テレビのニュースし暗い事件ばかり。日本列島の前途は真暗闇!

 人の心は滅入るばかり。

 何をたよりに生き抜くべきかと迷い、右往左往しているのが偽らざる日本人の姿ではないでしょうか。

 一難去ってまた一難、心の安まる時もなく、遂に押し寄せて来た日本経済の大ピンチの今日この頃!

 誰が日本を救うのか

 他人まかせでは、どうにもならぬ。

 大自然の哲理(大乗仏教)に基づいて、非常時日本に立ち向かう以外道はないと断言します。

 ありがたい事に、大聖釈尊の説かれた「法華経」が、燦然と前途に光をさしのべられているのです。

 渡りに舟を得たる教え

 闇夜に光を得たる教え が法華経であります。

 宗旨宗派に関係なく、正しい人生の生き方を今こそ学び、目先の改革でなく、根本である心の立て直しをせねば

ならぬ時!

 さあ、明るく楽しく頑張りましょう。

 

 

トップの決断

 国政は勿論、国民の生活も、ひしひしと迫る不安に右往左往し、これを守れば先は大安心とわが人生に確固た

る自信のある生活の出来ている人が何人あるでしょうか。

 現実は厳しく、各分野のトップは、寝る暇もなく 頭の痛む毎日であり、表面は穏やかそうでも、心は地獄ではない

でしょうか。

 学のある人、偉い人は、自分の意見が正しい。わが党が国を救うたのだと論は正しくとも、国民が安心して随行

する兆しが見えない。

 非常時に何を頼りに、誰を信じて進めば良いのか国民は迷い続け、日々感動の生活き遠のき、目先の幸せ、目

先の安楽のみに日暮れ腹減りの自己主義の人が増え、家庭のまとまりはなくなり、楽しかるべき家庭は、自動販

売機の様に便利であっても、ぬくもりも助け合いもなく味気ない。

 この苦境を脱出するにはどうしたら良いのか。

 

 今こそ、トップが姿勢を正す時である

 自行化多-自らが行なってこそ、他が変る

 学ぼう!先人の智慧と努力を

 総理も、社長も、一家の主人も、自らの生活を正して、大方針を示せば、トップのにじみ出る情熱と信念に、国民

も、社員も、家族も一致団結して、危急存亡の苦境を乗り越えることができるのです。

 一人のちからでは何も出来ない。しかし、一人が始めなければ、何も始まらない。

 

 

人生は演出

 幸せ街道ほばん進し持続するには、今自分に縁のある嬉しい事、悲しい事のすべてに精一杯力を出し切る「

」のすばらしさに大衆は拍手を送るのであり、自らにも自信を持てるのである。

 長くて短い人生には、殿様役、お局役、誉められ役、叱られ役と種々雑多の役割が廻ってくる。

 この時、腐って落伍するか、歯を食いしばって、この壁を乗り越えるかが、人の一生を左右する岐路である。

 凡夫の知恵では行き詰る。佛さまの考えを生活に取り入れれば、煩悩は消え去り、苦楽の演出は、人に感動を

与え、自らも生き甲斐のある生活が送れるの゛ある。

 人材は、いくらでも出てくる。しかし人物になる人は稀である

 自動車に喩えて考えれば良くわかる。優秀なる部品は<次から次へ作り出され、車に故障が起きれば取替えが

きく。

 人生も斯くの如く、優秀なる人材は育成で来ても、人物になる人は少なし!

 信仰心を起こす人は、多くあれども、真の人物「人の為に生きる」になる人は少なし!

 宗教は人物を作る教えであるから、難しくもあり、又、やりがいのある教えである。

 混沌たる世相の今日、政界にも経済界にも国を治め、経済界を立て直す人物が出ない限り、平和はやってこない。

 昔の諺に「国乱れて忠臣現れ、家貧しくして孝子出ず」とある。

 今将に国を救う人物が出る時であり、家を建て直す孝行息子の出る時である。

 人に頼っている時ではない。今こそ俺が国を立て直す人物であり、家の平和を保つ孝子は自分であると大きな希

望を抱き、煩悩に負けぬ自分を鍛え作る時勢と自覚するのが正しい今日の演出であると考える。

 演出のチャンスは、毎日足元にある。

 

 

信仰のプロになって

 今将に世相は混沌として乱れ、「上、正しからざれば、下これにならう」のことわざ通り何を頼りに生きるべきかと、

国民は目標を失い、大海に漂う小舟の如く、揺れに揺れ、迷いに迷い続けているのが偽らざる姿ではないでしょう

か。

 プロとは自信を持つ事である。

 今日まで修得したわが信仰に自信のある人は必ず人を導き、善導の友が作れるのであります。

 相次ぐ不祥事で官僚は「萎縮」して明るさがないと効聞く。

 叱られて、忠告されて「萎縮」し落ち込むのは「反省」がないからである。

 人生に反省のない人には宗教はわからぬ。

 天下の名刀抜かぬが名刀

 金があれば使いたくなる、ナイフを持てば切りたくなる、これを防ぐには、刃にはさやをかぶせる事を青少年に

教える親になり、指導者になるのが大人の責任である。

 正しい教えを学んだ喜びに自信を持ち、世の中を浄化していく使命に立ち上がりましょう。

 

 

さわやかなる心

 県外のご信者から手紙が届いた。

 手紙の内容はこうであった。

 「誠に申しにくい事ですが、十何前に会長先生にもらって頂いた犬養木堂先生(昭和の元老 総理大臣)の掛軸、

家庭の種々な事情あってお返し願えませんでしょうか」と、三拝九拝の姿、心意が手紙ににじみ出ているように感じ

ました。

 私は即座にこんなふうに思いました。

 『此の世のものは、命も財産も地位も権力も夫も妻もすべて天からの預かりものである。預かっている間は大切

に使わせて頂き、お返ししてくれとお呼びがかかれば、預からせて頂いたお礼を申してお返しするのが世の正しい

道理であり、堂々ご法を聞かせて頂いて信仰の道』と考えました。

 幸いにも古く、ぼろぼろとなっていた軸でしたが、もらってから表装も仕直して見違える程良くなっていた。

 即日宅急便でお礼の手紙をつけてお返ししました。「永い間鑑賞させて頂いて有難う御座いました」と心からお礼

申しました。

 折り返し老婆から涙のこぼれる程喜んでお礼の手紙が来ました。

 よかったよかった相手も喜ばれ、私も喜んでお返しが出来た。

 両者喜べる事が佛の智慧であり、「さわやかな心」になれた自分を誉め、大自然から貰えたボーナスであった、此

の世極楽とはこの事であると教えのある幸せを心から喜びました。

 さわやかなる心とは、無欲から生ずるエネルギーである

 

 

感動

 感動は、天地人を動かす。

 感動なき人生は、墓場に住するが如し。

 朝起きた!

 目が見える、耳が聞こえる、手が動く、仕事がある。勤めがある、

 なんと素晴らしい一日のスタートなのか、瞬間の喜びをつなぎ合せれば大きな感動となる。

 感動は、自らに情熱がみなぎり、人に伝わり、大きなうねりとなって社会にこだまする。

 正しい信仰には、常に感動があり、病人なら健康となり、仕事に感動があれば不況風は吹っ飛ぶ、

 これが真実であり、佛さまの教えである。

 正しい目的に向かって自ら感動する行為は、将に天地人を動かすものであります。

 皆様、心配無用、感動をもって事に当たりましょう、不思議なる喜びが湧いてきます。暑さ寒さに負けず、さわや

かな心で事に当たりましょう。

 

 

自ら研究する(自啄)

 大自然は、止まることなく動き続け、変化し続けている。

 人生も斯くの如く一点に留まる事なく、常に前向きに流転し続けている。

 この波に乗るか、乗れぬかで人の運命は決定するのである。

 凡夫の悲しさで、今日の栄光を永遠に持ち続けようとする執着が「凶」と出れば悲観したり、落ち込み、「吉」と出

れば「有頂天」になる。

 ある国政選挙の結果、与党の惨敗は総理を辞任まで追い込んだ。

 これ将に時代のうねりであり、天が与えた大変化であり、日本の将来へ向かっての大前進であると受け止めるべ

きである。

 総理になりたい人材はあるが、国を治める人物がないから駄目と、そっぽを向く無責任な国民になってはいけない。

 この非常時に当たり、国民一人一人が努力して国を治める人物になるのだ。

 それには今日自分に与えられた使命に目覚め、全身全霊を以て事にぶつかる以外にない。

 人任せで何が出来るのか、自分が動き努力する以外にないと目覚め実践すれば、家庭は良くなり、社会は発展

する。

 難しい事はゆっくり時間をかけ

 優しい事はていねいに

 

 子供の伸ばす方法は、

 素質を誉めるより、努力した事を誉めるよう。これが青少年育成の秘訣である。

 

 年寄りは孫に昔話をして!

 今の子供は国の歴史も、わが家の歴史も知らぬ。

 先人のご苦労を知らぬため、自分一人で大きくなったと考えている。だから感謝もなければ、情熱も湧いてこない。

 先祖、親の苦労の歴史がわかれば、家を再建し、日本国を救おうとする底力が湧いてくる。

 

 

原点に戻れ

 佛さまの教えでは「抜苦与楽」即ち苦労を乗り越えれば、楽が与えられると教えられている。

 俗な言葉で言うと、「先憂後楽」憂い事を先にやっておけば、後から楽しみがやって来ると言いますが、之は真

実です。

 現在我々日本人の生活は、戦時中は勿論戦後何年かは塗炭のの苦しみの中、歯を喰いしばり命がけで苦し

みに耐え乗り越えた結果、物に恵まれ、経済は豊かになり、公共施設は良くなり、家庭生活は極楽のようになり

ました。

 この恵まれた生活が、いつまでも続くと考え、身分不相応な贅沢三昧の生活の裏返しが現在の不況となり、全

ての面に苦労が押し寄せて来たのが偽らざる日本の現状であります。

 「不自由を常と思えば怒る事も不平不満もなく」毎日は喜べ活気が満ち溢れるはずであります。

 一旦身についた、贅沢、楽を覚えたこの生活を切り変える事は容易でない。しかしこのまま放っておいたら日本

の将来は危ない。まして私達の生活は底を尽いて、青少年の将来は危ない。

 苦しくとも、歯を喰いしばって、子供の躾から、私達親の怠け根性を立て直さねば本当の安心立命の生活はや

って来ません。

 理屈理論でわかっていても実生活は中々改造出来ません。今こそ正しい宗教を学び、正しい信仰心を養って真

理に叶った生活をする以外ありません。

 

 和歌山、新潟で起きた毒物混入事件を何と考えますか?

 他山の出来事と考えてなりません。この事件は我が家の事と考えねばなりません。毎日炊事をされるお母さん

方が不平不満、怒りをもって料理を作っておられるとしたら、これは怖しい怒りの毒物混入と同じです。食事を戴く

殿方子供達もお母さんの労に感謝をしない限り之もまた自ら怒りの毒物、不平のヒ素を混入したと同じ事になり

ます。

 今こそ喜び感謝の心を発揮すれば、危険は起こりません。これが佛さまの考え方です。

 

 

今、将に起き上がる時なり

 混沌たる世相の今、どちらを見ても真っ暗闇、あなた任せで何が出来るのか!

 国民、一人ひとりが、今の自分に与えられた使命に辛くとも、苦しくとも、勇気と誇りをもって起き上がる絶好の

時である。

 

 ピンチの後にチャンス有り、平々凡々の生活には、起き上がるチャンスは来ない。

 西洋かぶれをし、自由のはき違いをして来た日本人 即ち吾吾国民!

 腐っても鯛! 連綿と流れる日本古来の大和魂!

 ねばり強く、辛抱強く、勤勉努力する日本人の良き長所を自覚し、動き出す将に眠れる虎が千里の道を走る絶

好の時代と考えては、どうでしょう。

 どん底まで落ちれば、後は上がるだけ、地獄こそ極楽への近道である。

 

 生かされている喜び、生きるすばらしさを知るとき、こんな楽しい人生はない。

 一丸となって事に当たれば、道は開き、光は差し込むはず!

 妙法は人間改造の教えであり、よみがえる教えである。

 欠点に泣くのは止めよう、己の長所、人の長所を認め合い、団結こそ日本を救う特効薬なり。

 手を合わせ、相手に合わせる合掌の姿こそわが家庭を救い、日本を救う近道であり、吾が身を救う特効薬と思う。

 後始末より先始末

 

 

責任は自分がとる

 難しいことを、優しく

 優しいことを、おもく

 おもいことを、おもしろく

 凡夫の知恵では、行き詰まる

  今こそ、佛の智慧が必要な時

 

 責任は自分がとる

 事業の行き詰まり、赤字経済等々が身近に迫ると、責任を他に転化しようと考える腰抜けの根性では、益々

信用がなくなり、智恵は行き詰まり迫力も行動力も低下する。

 責任は自分がとると腹が座れば、生きた知恵はいくらでも出てくるものである。

 非常時に動揺なく行動の出来るのは、平素からの信仰心であり、法を深く学んであれば、誰彼なく光は差し込ん

で来る。

 

 

反省とひらめきの年末

 静かに一年を振り返る時、「他人に甘えて」自分中心に動き、わがままを通して来た年ではなかったか。

 その結果は、むなしく孤独感に襲われている事を反省出来る人は、この年末に勇気ある心のひらめきが生まれ

てくるのである。

 

 ままならぬ世と、あきらめ自力を出す事を怠け、自暴自棄になったり、落ち込んでいる人は、今年一年自分が驕

慢(おごりたかぶる)であった事を自覚すれば「やる気」が出て、わが運命は好転するのである。

 

 人が悪い、世の中が悪いと責任を他に転化する己の身勝手な心がある限り、どんなに考えても、あがいても、わ

が人生に光は差し込まぬ。

  

 感動は天地を動かす。

 人生は演出なり、千両役者になるか田舎役者になるかは、各自の努力と精進なり。

 

 貧乏人は貧乏人らしい演出を!

 若者は若者らしい演出を!

 老人は老人らしい演出を!

 富者は富者らしい演出を!

 

 精一杯楽しくやりこなした人のみ、わが人生に悔いは残らず心は日本晴、行動は軽やかに動け、身に徳がつく

のである。

 

 犬も歩けば棒にあたる。流れぬ水は腐る。動けば風なと起きる。これが真理である。

 

 さあがんばろう。最後の追い込みの年末を生かされて来た今日の自分に喜び、神佛にご先祖様に感謝のお礼

を捧げましょう。

 

 

聞く耳を持て

 昔から福耳といい、大きな耳の持ち主は、金運もよく成功すると聞く。

 そう言えば、インドからわが国に伝わる仏像の耳はみな大きい。お釈迦さまは人一倍人の意見に耳を澄まし、世

間の道理をよく感知する度量があったから、自然とその耳が大きかったと思う。

 それに反して私たちは、自分の耳に心地よいものだけを聞き、耳の痛い話を遠ざけてしまう。これでは現代人の

耳が小さくなるのも当然だ。 

 常に自分の考えが正しいと思い込んでいる者は、決して人の意見に耳を貸そうとせず、自己主張にばかりうつつ

を抜かす。こういう人に限り、自分の主張が通らぬと落ち込みがひどく、その精神は枯渇し、進歩も発展もない。

 

 

自由とわがままは月とスッポンほど違う

 何でも自分の思い通りに突っ走るのはわがままであって、本当の自由は「不自由を常と考え、相手を立てること」、

そうすれば、相手から喜びが戻り、自分が喜べる。

 これが本当の自由である。

 自分だけが喜べばいいのではなく、人も共に喜べる、その共生の精神こそ、真の自由が得られるのである。

 何事にも前向きに考え、前進的に行動することである。

 良いことには脱兎のごとく進み、またこれは駄目だと知ったら脱兎のごとく引き下がることである。

 

 

佛さまの智慧と凡夫の知恵

 事を計るは人にあり、事を成すは天にありとの諺の如く、目的が達成出来るのは大自然(神佛)の真理にマッチ

せねばなりません。

 昔から議員になると先祖伝来の倉の一つや二つ食いつぶす覚悟をせねばなりません。金バッチが胸に光ると、

財が増えたり、倉が建つ議員になりますと世間から信用はなくなり、子孫は没落します。

 夫が議員ともなりますと、家事一切はしてもらえず、今までと違って会議、出張と暇ざいが多くなります。

 この損なくじを、愚痴こぼさず送り出す奥様の内助の功があったら、夫は檜舞台で男を売る事が出来るのです。

 議員になって全知能振り絞って社会の為、体力、智力、財力の施しをされる、即ち「目をあく」精進される功徳に

よって心眼が開けるのです。

 

 

心のせまきが犯人なり

 人生には幾たびも壁にぶつかり、途方に暮れる時がある。 

 その時こそ自分の視野の狭さに目覚め、仏さまの智慧を学べば、すべてのその壁は破れるのである。

 

 たゆまぬ自力の積み重ねこそ、他力の応援が戴けます。

 信仰は先ず家庭から、この基礎なくして社会の浄化、国家の発展はありません。

 幸福は足元に有り。極楽はわが家庭からの明るい楽しい、にこやかな笑顔が人間最高のエネルギーであり、発

展の泉であります。

 

 慈悲や情けに欠け、人の修めるべき道に外れたものは仏道にも幸せにも遠い

 仏様の智恵を持って生きるものは、富久しく栄えていく。

 

 

凡夫の常識・信仰の非常識

 吾が人生を、今一歩前進して真の幸せをつかみ、堂々と自信をもって歩みましょう。

 情熱に燃え、感動に身ぶるいをし、にじみ出る活力があってこそ、奇跡が生まれ、運命が好転するのです。

 折角、教えに縁を結びながら、かっての情熱・感動・迫力が、鈍り始めていませんか。

 何が原因でしょうか。何が邪魔しているかお気付きになっていますか。

 一言で申しますと、凡夫の常識が優先し始めると、信仰心が鈍り、奇跡もご利益も遠のき、運命も後退し始めま

す。

 凡夫の常識で考えますと、正しい信仰、仏様の考えは非常識と思えます。この非常識の行動こそ永遠の幸福を

握る真理であります。

 例をあげれば良くわかる。

 体が弱い人ほどよく働き、勤労の汗を流せ

 金がなかったら、しぼり出して善事に金をまけ(金を施せば金の実がなる)

 就職するなら、月給が安く、仕事が厳しく、休暇の少ない会社を選べ

 結婚するなら、楽な家庭より苦労の多い家庭を選べ

 古今東西、出生した人、歴史に残る人は、この非常識のハードルを勇敢に乗り越えた人ばかりである。

 

 

下がる修行

 佛さまは「人間佛性あり」と申された。

佛性がありながら、なぜ凡夫の境界が脱却出来ぬか。

 法華経を学べば、情熱と迫力が無ければ、物事は成就せぬと教えられる、これも真理である。

 しかし、反面ここぞと言う究極に至って円満に成就するには、「下がる」心が必要である。即ち忍ぶ心を鍛えと教え

られる。

 押して駄目なら引いてみる

 世間には案外、頭の良い人、理屈の言える人、迫力ある情熱家が志ならず不運な人生を歩んでおられる。

 己の意見が正しくも通らない時がある。

 この時、あくまで意地を通そうとして突っ張る為、うるさい人物であり、危険人物であると上司から見離され、周囲

の人から人気がなくなる。なぜか?

 下がる事、引く事ができない一方通行の己の心の狭さが災いするのである。

 下がる事は何もみじめでない。ここ一番下がれない人程、修行未熟であって半人前と目覚めなければならぬ。

 成人とは、情熱と行動力、そして下がる心即ち忍ぶ心があってこそ、一人前と人に認められ、人格が向上するの

である。

 この修行こそ、菩薩行に励む人の心構えである。情熱も迫力もない。逆に突っ走るだけで下がる事の出来ぬ人

こそ、ぐうたらであり、我を通す暴走族であって、世間からも周囲からも身離され、孤独の人となるのである。

 

 

良きに悟る(発想の転換)

 おたふく こけても鼻うたぬ

 私達が世渡りをするに、天狗(高慢)になって鼻高々としている人が、事につまづいた場合に思わぬ痛手を受け

ることがある。

 

 人に会うに労を惜しむな

 中国の故事に「哺の教え」があります。

 「私たちは、会いに来る人々に対して、礼を失しないよう心掛けねばならない」

 例えば<入浴中に来客あれば、何度であろうとも、その都度中止して髪をしばり、食事中に来客あれば、何度

であろうとも、その都度中止して口中のものを吐き出して、礼を尽くして対面せねばならぬ>.

 君主だからといって、驕慢な態度をとるようなことなく、謙虚な態度で人に接し、優秀な人材を逸しないようにし

なければならない。

 補佐官や参謀の場合、ともすると「虎の皮を借る狐」と思われがちである。進んで、しかも謙虚に人に合わせ

なければならない。

 

 迷ったら源点に戻れ

 人生には迷ったり、行き詰ったり、途方に暮れる時が幾度もあります。

 其の時正しい進路を見出す方法をお知らせしましょう。

 道に迷ったら、出発点即ち初心に戻って考えるのがよろしい。

 例えば職について、しばらく経つと人間関係や仕事の事で職場が嫌になったり、放棄したくなり、希望がなくな

る時がある。其の時こそ、新入社出来た時の感激や喜びを思い出してごらん、きっと正しい視野が開けてくるは

ず・・・・・

 楽しかるべき結婚生活も、何年か経つと人生に悲観して、別れ話になりやすい。

 其の時こそ祝福されてスタートを切った源点に戻って見ると。己のわがままの欠点に、又。喜びの欠けた自分

の不出来に気づけるはず・・・・

 

 

ウエルカム・トラブル

 私生活に活を入れて

 苦難を前向きに受け止め、悲しみを乗り越え、人生を積極的に歩む人にこそ、幸福の門は開けるのである。

 プロ野球でも一点を守ろう、とられてはならない、と守りに入ったら、行動は萎縮して負けてしまう。三点取ら

れたら、四点取り返そうとする攻撃精神。即ち前向きの気迫こそ劣勢を挽回するのである。

 企業も斯の如く

先代の残した財産を減らしてならぬと守勢に廻る二代目、三代目の考え方は、早晩じり貧となり、事業は衰退

する。ゼロから出発すれば昇るだけ、中途半端の考え方では、何をやっても成功しない。

 

 めざめよ、人間のすばらしさ

 人間ぐらいすばらしいものはない。驚異的に発達する科学の進歩の元は人間が作ったもの。私達は、人と

して生まれて来た。使命の尊さを自覚し、各人それぞれ持って生まれた特技特徴を生かし、人間として差のあ

る事を認め合って協力し合ったら、これほど素晴らしいものはないのです。

 

 

勝怠勝欲

 怠に勝ち、欲に勝つ 

  なまけては、何事も成就せぬの意

 

 学ぶ者に老いなし

 世の中には年をとっても「まだまだ若い」と元気に活躍している人もいれば、「もう年だ」と意気消沈して余

生を無為に送っている人もいる。

 この「まだ」と「もう」の間には、年老いてからの人生に天と地ほどの開きができてこよう。

 これからでも遅くないと人生の勉強に精を出し、心身ともに若返って元気はつらつとしている人、一方では、こ

れ以上進歩の望みはないと過去に生きるだけの人生を迷う敗北者となってしまう人もいる。

 

 功なり名をとげて八十五歳を過ぎてから松下政経塾を開いた松下幸之助氏は、

 青春とは、心の若さである。

 信念と希望にあふれ、勇気に満ちて

 日々に新たな活動を続ける限り

 青春は永遠にその人そのものである。

 を座右の銘とされていたそうであるが、永遠の青春の言にふさわしい言葉と言えよう。

 

 青年よ! 若年寄りになるな!

 自分中心の事ばかり考える青年には、迫力も気力もなく、老人と同じである。

 親の事、兄弟の事、社会の事、国の将来を考えて行動することこそ、若者の使命であり、魅力のある青年

と言えよう。

 

 老人に告ぐ

 済んだ事をごてごて愚痴る老人になるな。

 若者の長所美点を見出し、若者を育成する老人こそ、家の宝であり、国の宝である。

 

 老人の暗い家庭からは、たくましい子供は育たない。

 若者であって、親や老人を小馬鹿に扱う家の栄えたためしはない。

 凡夫の知恵では行き詰まる。佛の智慧を学べば、万事大安なり。

 

 田中偉仁

T O P

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