動かないパパの右手 by かおりさん
小さい頃は、お父さんっ子だった。いつも側にくっついていた。一杯可愛がってくれたし、大好きだった。いつの頃からか、友人達とすごす時間の方が大切に感じ、中学生くらいからお父さんとはなんかギクシャク。高校生の頃、男の子からの電話を目の前で切られた時は、大っ嫌い!て思った。
いつも一番に家族のことを思い、いつでも無条件で一生懸命家族を守ってくれるお父さん。いつでも強い、正義の味方!!と思っていたのに、私が14歳の頃、大きな病気をした。大きな手術をした。お父さんが急に小さく見えて、壊れちゃうんじゃないかと恐くなった。
でも、その後もお父さんは強かった。私の前では絶対に弱いところを見せなかった。
でも私は、お父さんも弱いところがあるんだと知ってしまいました。
それからかな、両親に対して優しい気持ちになれたのは。2人の愛情が重くて、言葉や態度で傷つけてきたこと、たくさんあったけど、強くて、頑張りやさんのお父さんと、表からも裏からも支えてきたお母さんを大切にしたい。最近になって、やっと素直になれた。
『ありがとう』と『ごめんなさい』を素直に言えるようになった。
学生の頃、初めてお父さんの元を離れてから、優しい気持ちを持てるようになった。
両親にだけでなく、周りの人にも。
お父さんが2月に腕のシコリをとる手術をした。全身麻酔後、たくさんのチューブを体に入れてベッドに寝ているお父さんをみて、ポロポロ泣いちゃった。複雑だった。すぐに退院できるくらいの簡単な手術だとわかっていても、あの時は辛かった。もうあんな姿、見たくないなぁ。
退院してから、右指を動かす神経が切れていることが分かり、お父さんの右手、不自由になった。
一杯苦労して、自分の腕一つでここまで頑張ってきて、趣味もたくさんできるようにまでなったのに。
父の日にあげたポロシャツを着てゴルフコンペに優勝した時、みんなの前で『娘のシャツのお陰です』って嬉しそうだったと聞いた時、胸が一杯になった。
写真が好きで、体が不自由な女の子から『おじさまの写真を見て、元気になりました』という手紙をもらい、嬉しそうに見せてくれた時、まるで子供のようだった。
たくさんのお友達が遊びに来ると、自慢の手打ちそばでおもてなしをしては、満足そうにしてた。
小さくて、丸っこくて、短い指の手だけど、とっても器用だったお父さんの右手。
もう動かないんだって。
どうしてかな。なんでお父さんはこんなに正直で一生懸命なのに、こんなことってないよね。
『左は動くんだ。車も運転できるんだよ』明るく言ってた。
だから、私も『リハビリ、怠けちゃダメだよ』って明るく励まして、部屋で一人で泣いちゃった。
『かおりが男だったらな』 自分に似てるんだと言ってくれた。何よりも嬉しかった。
私、女だけど、お父さんみたいに頑張るよ。もっともっと、たくさん色んなこと見て、経験して、頑張るからね。
だから、見ててね!!
かおりさんより、やさしさのあふれるエッセイをいただきました。
やさしいかおりさんがいてくれること、そしてそのお父さんを気遣う気持ちが、お父さんにとっては何よりも今一番必要で、今一番大切なこころのささえではないかと思います。
身体が怪我や病気で傷ついてしまうと、人はそれ以上に心にまで、癒すことの難しい大きな傷を負ってしまいます。そして、これからの未知の生活への不安で、激しく動揺をしてしまうだろうと思います。
それを癒すことが出来るのは、こころです。かおりさんのそのやさしさが、どれほどお父さんのこころの支えになっているか。言葉にはしなくても、仕草や気配りから、お父さんに充分伝わるこころがあると思います。そしてきっとそのかおりさんの気持ちは、これからのおとうさんの生きてゆくエネルギーに必ずなると思います。お父さんも、かおりさんというよい娘さんを持ったことに幸せを感じる瞬間を、間違いなく気づいているはずです。
どうか、これからもお父さんのことを大切にしてあげてください。がんばって!
やさしさのあふれてくるエッセイを送ってくださって、ほんとうにありがとうございました
Snowman-Yukio
かおりさんのHPはこちらです 「My Sweet Home」
2000年4月29日アップ