宇宙服に夢を託した人 

宇宙服を売っていた人の話です (長編・フルバージョン)

こちらは長編・フルバージョンです 短編はこちら

 

 
まず、はじめに宇宙服にまつわる、ちょこっとしたクイズです。

昔、日本政府は、宇宙服を着て行う組み立て実験のため、米国から一週間宇宙服をレンタルをしました。

さて、ここで問題です
宇宙服レンタル、一週間の値段はいくらでしょうか?

答えは以下の中から、一つ選んでください。 ボタンを押すと答が出てきます。

50億  10億  1億  5000万  1000万  500万  100万  50円


 

 

 僕の友人の一人に、宇宙服を売っていた人がいます。    

その友人の名前は、河西さん(名前を繰り返すと、変に売名になってしまうかもしれないので、以下Kさんと略)といいます。

東京出身で、簡単な経歴は、東京大学宇宙工学を専攻し、住友商事に入社。基本的には営業部門にずっといたそうです。

宇宙服を売っていたといっても、はじめはレンタルで、後で少し触れますが、また宇宙服だけを扱っていたわけではないそうです。

 

Kさんは、僕の友人といってももう50をすぎている方で、生き方、考え方、行動などをみて、僕が尊敬する人のうちの一人です。今回はそのKさんについて書いています。

かなり文章が長くなってしまいましたが、まずはじめに、絶対ほかでは聞くことのできない、Kさんが宇宙服を売っていた頃の話を書いてゆきたいと思っています。

 宇宙服セールスマン編 

 
Kさんが、住友商事で宇宙服を扱っていたといっても、もう10年以上前の話になります。

その頃、日本では、国際宇宙ステーション計画 という、米国が中心となってすすめていた、宇宙に巨大有人施設を建設する、国際プロジェクトへの参加が決定していました。

また、毛利さんたちが近い将来にスペースシャトルで宇宙へ旅立つことが決まり、米国で訓練を受けていた頃でした。

 

国際宇宙ステーションは、地上から約400km上空に建設される巨大な有人施設。国境を越え、アメリカ、日本、カナダ、ヨーロッパ各国、ロシアが協力して計画を進めています。日本は有人実験施設「きぼう」を製作しています。

 

日本では、その頃、日本が担当する宇宙ステーション日本実験棟「きぼう」の設計検証作業を、日本国内で行えるようにするため、どうしても日本国内において、疑似無重力下で、実際に宇宙服を着た宇宙飛行士による組み立て実験を行いたいと考えていました。

なぜなら宇宙ステーションは、宇宙空間で宇宙飛行士が組み立てるため、宇宙空間を想定した水中で、実際に宇宙服を着て「組み立て実験」を行い、不都合のある部分の設計変更をする必要があったそうです。

が、米国では、メインのパーツは日本はアメリカの製品を買えばよいという意見が強くあり、また、この頃のアメリカ政府は、日本への科学技術の移転に関して、非常に神経質になっていた時代だったそうです。

写真 : Kさん提供

宇宙服も、基本的にはハイテクの最先端技術を駆使して製造されているため、日本が宇宙服を購入するどころか、レンタルすることさえもできなかったそうです。

そんな中、国際宇宙ステーション計画に進展があり、1992年、ニューヨーク駐在中で、その計画に携わっていたKさんは、アメリカ政府の内部で、宇宙服を日本に貸し出しした方がアメリカのためになるのではと論議されているという情報をゲット!    

そこでKさんは、NASDA 宇宙開発事業団(現・JAXA 宇宙航空研究開発機構) と、ワシントンの NASA 本社とねばり強く交渉し、アメリカの宇宙服を作っているメーカーの人にも、商務省 ・ 国務省 の説得に力を貸してもらって、その結果、日本への宇宙服のレンタルができるようになったそうです。

そして、そのレンタルの費用が、一週間で5000万円! 個人でのレンタルはまず無理ですね

  
ちなみに、一週間で5000万円は高いと思うのは普通だと思いますが、Kさんの話によると「それほど高くはない」そうです。宇宙服を一週間レンタルするほか、技術指導等のため、アメリカから技術者やダイバー(水中での実験があるため)や元宇宙飛行士などのスタッフを一週間日本に呼んできてはじめて実験ができ、また宇宙服には巨額の開発費用がかかっており、そういったすべての費用を含めていることを考えると、それほど高くはないそうです。そういわれてみれば、そんな気もしますね。でも高い^^;

ところで、宇宙服一着の重さって、いくらくらいあると思いますか?

 

この宇宙服を日本に持ってきて、筑波にある無重力環境試験設備(WETS)で実験が行われたのが、1994年8月。その後、毛利さんやほかの日本人宇宙飛行士がその実験に参加したそうです。 参考リンク


この宇宙服を着て行われる実験は、主に水中で行われる実験だそうですが、上記のクイズの答のように宇宙服は100kgもあり
かなり重いため、宇宙服を着た人は水中を自力で移動することができず、また、宇宙服に接続されている環境制御装置(気密性の高い宇宙服には、空気が循環するだけでなく、冷却水も循環していて、暑さで生命が危険にさらされないような装置がついている)だけが頼りで、そのため水中での実験は、人命にかかわる危険が伴い、安全性の確保が大変だったそうです。

 


 関係ないですが、宇宙服って、腹出てますね(笑)

         

無重力環境試験設備(WETS)での写真
写真 : Kさん提供

左 スコット宇宙飛行士(?)

中央 宇宙服を試着しているNASDA職員

右 日本人宇宙飛行士 若田光一さん

 

 

そして、その後、アメリカ政府の規制緩和がすすみ、宇宙服を日本政府が購入することが可能になったそうです。そして、その橋渡しをKさんたちが中心となって行い、宇宙服2着(一着は予備)を日本政府が購入したのです。

それで、その後は日本でじっくりと宇宙ステーション日本実験棟「きぼう」の組み立て実験をすることができたそうです。          

 

このへんの経緯を、Kさんのメールを引用するかたちで紹介します。

毛利さんたちが宇宙飛行士に選ばれたのが1985年、宇宙服のリースが実現する10年近く前です。

理由は、アメリカが、スペースシャトルを作ったので多くの宇宙飛行士が搭乗できるようになったので、外国の宇宙飛行士を乗せれば、各国の理解・協力が得られると考えたためでした。

宇宙ステーションを国際共同開発で作ることが決まった後も、心臓部分の部品は日本はアメリカの製品を買えばよいという意見が強かったものです。

日本の宇宙開発関係者が、一歩ずつアメリカ関係者の説得を積み重ねていって、日本で本当の意味での宇宙ステーション開発を実現していきました。そんな中、私も宇宙服のリース、そして輸入を実現していったものです。

  
宇宙服のリースや購入を行った理由ですが、宇宙ステーションの設計を日本で行えるようにするためでした。

宇宙服のリースを受けた目的(アメリカを説得した理由)は、宇宙ステーション日本実験棟「きぼう」の組み立て実験を行い、設計検証作業を日本で行えるようにすることでした。

(NASADAとしては、当然毛利さんたちの訓練もできるようにしたいとの希望はありましたが。ただそれをNASAに言っても、宇宙飛行士の訓練はアメリカでやれば問題ないと、相手にしてくれていませんでした。)

ですから、リースできることになったので、筑波に無重力環境実験設備(WETS)を建設することを決定しましたし、WETSの設計・建設では、如何に実験しやすいプールにするか、ハミルトン(注)&住商(住友商事)がコンサルタントを務めました。

(注) ハミルトンスタンダード社は、宇宙服の製造販売していた会社  ユナイテッドテクノロジー社の子会社

 

ちなみに、宇宙服は、赤外線、紫外線、X線や宇宙線を遮断するだけでなく、温度湿度等の空調機能を備えているため、宇宙服の中身はコンピューターだらけだそうです。

実は、Kさんは、宇宙服を試着させてもらったことがあるそうです。また、そのときの写真が、(財)宇宙環境利用推進センター(JSUP)が発行した、JSUPニュースの表紙を飾ったこともあるそうです。
参考程度に、Kさんが実際に宇宙服を試着した時の感想を書いておきます。

 


けっこうガニマタですね(笑)

宇宙服を着た時の印象ですが、ユナイテッドテクノロジーで、試しに宇宙服を完璧に着せてもらったことがあります。

完全に着用すると、地上であっても、周囲の音、声は一切聞こえなくなります。周囲が暑かろうが寒かろうが、宇宙服の中は完璧なエアコン状態ですから、快適な状態にあります。

大げさに言えば、外界と完全に遮断された状態になります。

その時、友人の宇宙服の技術者が、酸素送風のスイッチを切ろうか、とジョークを言いました。冗談と判っていましたが、もしスイッチを切られたら、自分で宇宙服を脱げない私は、1-2分で死ぬことを知っていただけに、恐怖を覚えると同時に、1cm弱の厚さの宇宙服の外側の世界が非常に遠い存在に感じました。

ほんの少しだけですが、宇宙飛行士の疑似体験???をしたのかな?なーんて思ったりしました。

  
宇宙飛行士になろうとしたら、閉所恐怖症の人は絶対ダメですね。。。(;^_^A

ちなみに、Kさんは民間人ではおそらく唯一、宇宙服を試着したことがある人かもしれないですね。

 

 Kさんとの出会いのきっかけ 

 


僕が、Kさんと知り合った4年くらい前です。なにか余暇を利用して自分が役立つことがあればと思って、大阪のボランティア協会で活動をはじめたことがきっかけとなって、知り合うことになりました。

もちろん、その頃は宇宙服を売ったということも知らなくて、そういったことを知るのは数年後になります

実は、そのころのKさんは住友商事からの出向で、なんと、40代で旧財閥系企業の大阪支店長をしていました。あえて会社名はここでは書きませんが、その会社のHP(←こちらをクリック) を見てみるとわかると思うのですが、「航空宇宙・防衛分野の専門商社」とあります。なんだかすごく特殊な仕事をしていたようです。

また普通、まず40代で旧財閥系の大阪支店長というのは、かなり難しいと思います。年功序列親会社からの天下りとかなにやらで、支店長級は、せいぜい50代にならないとなれないはずです。でも40代でなってしまっていた。なんだか、ただ者じゃないって感じですね。
  

また、僕が知り合った頃は、東京から単身赴任で社宅に一人住んでいたそうですが、その社宅はとても広く、そして豪華な社宅だったそうです。僕は行ったことないけれど、行った人みんな、その社宅の豪華さに驚いたといいます。

僕も一度呼ばれたことがあるのですが、その時ちょうど39℃の熱が出ていた時で、一人で車に乗ってスキーのレースに行く途中で、携帯に電話がかかってきて「おいで」と誘われたのですが、スキーを優先し断ってしまったのです。(いろんな意味であほですね)

  

ガンダムではありません(笑)
  

そしてそのころのKさんの仕事内容は、新型旅客機の国際共同開発とか、ODA(Official Development Assistance−政府開発援助)関連の仕事や、宇宙開発関連の仕事を手がけていたそうです。

また、宇宙服のところにも書いていましたが、昔はニューヨークで7年間生活していたそうです。 NASA や、宇宙服を作った会社のユナイテッド・テクノロジー(UT)社等とも、毎週のように折衝を繰り返していたくらいだから、英語もかなりできるそうです。

 

ユナイテッド・テクノロジー(UT)社は、子会社をあわせると、30万人くらい社員のいる会社。
独禁法によってUT社より分社した、ハミルトンスタンダード社(注)が宇宙服を製造し、販売していたそうです。
  
    
(注) ハミルトンスタンダード → 現在 Hamilton Sundstrand (ハミルトンサンドストランド)

             

 

 太っ腹Kさん 

 

宇宙開発分野で仕事をし、アメリカ政府との交渉などもあり、ヨーロッパ諸国とも新型旅客機の開発なども手がけ、国家プロジェクトにも参加していて、なかなかきらびやかな世界で、大企業の看板を背負って仕事をしていた超エリートという感じですけれど、それが会ってみるとあまりそんな感じがしないのです。

年下の僕が言うのも変ですが、謙虚で、偉ぶることなく、年齢差があっても同等に扱ってくれ、常に自然体で、肩書きとか会社の看板を背負っているという感じは全くないのです。すこし気になるとすれば、かなりおなかが出っ張っていることくらいでしょうか(笑)

そうそう、Kさんは、僕らのような自分より年下の人たちや若い人たちに対しては、いつでも笑って相手してくれます。少々バカなことや、外れたことをしても、いつもあたたかい目で見て(見守って)いるといった、そんな感じがするのです。

だから、ネタで僕が「えらいおなかが出っ張っているなぁ」「妊娠12ヶ月」といっても、笑って許してくれます(笑) だから僕は人間的に好きなのでしょう。

けれど、ほんとうに怒ると、やっぱりこわそうです。Kさんは、中学校で東京都柔道チャンピオンになったくらいなので、かなり迫力ありそうな感じです^^;

 

 

 

 超ウルトラスーパー達筆Kさん 

 

また、Kさんについて、ぜひとも紹介しておきたいのは、失礼ながら、ものすごく字がきたないこと!
字がきたないのなんの!(^^; これは、ご本人さんにアップ前にきちんと文章を確認してもらい、許可を得てアップしている(削除しなくてもよいとの了承も得ています)ので遠慮なく書かせていただきますが、ほんとうにほんとうに字がきたない!
まず第一に、考え(類推し)ないと、ほとんど読めない!!(笑)

                                                 
以前、年賀状を出そうと思って住所を書いてもらったのですが、その書いてもらった住所の文字がほとんど読めなかった!(解読もできなかった!!)

「う〜ん、Kさん、走り書きで、ほとんどの字が全然読めないんですけど」 と僕が困って言うと、

「ごめんね。これでも精いっぱいきれいに書いたつもりなんだけど・・・」 との言葉が返ってきました。

僕はその時、生まれてはじめて、読めないくらいの字のきたない人に出会ったのでした!!

僕は、すべての文字の解説を聞いて、やっと理解したくらいです。 ほんと、世間は広い! 
また、漢字だけじゃなく、数字まできたない!!(笑) マジで一度みんなに見てもらいたいくらいです。

  

そういえば、以前読んだ司馬遼太郎の小説では、「坂本竜馬が悪筆だ」と書いてあったけれど、司馬遼太郎が字がきれいから坂本竜馬の字が悪筆だと書いていたんでしょう。

実際、僕はどんなに竜馬の字がきたないのかということを調べるために、寺田屋に行って、竜馬の書いた掛け軸とか手紙とかを見たのですが、文字の並びがあまり良くないくらいで、読めるには読める文字だったです。


だけど、Kさんの文字は読めなかった! 僕ははじめて読めない字を書く人に出会って、妙な感動をしてしまったものです。

以前習っていた書道の先生が「中には本当に読めない字を書く人もいるのよ」と言っていたのを聞いて「まさか」と思っていたのですが、現実にいたのです。一歩間違えたら、象形文字です。いや、象形文字の方がよっぽど文字らしい形をしています。あれはほとんど暗号に近いんじゃないかと思います。またたぶん、名前の漢字の上にふりがなをふっていたとしても、そのふりがなも読めないと思います。

でも不思議ですねー。なぜ読めない字を書くのに、どうして受験で東大に受かったんだろうかって。マークシートの時代でもなかったし。。。たぶん、採点する教授たちも、読めない答案にかなり困惑しただろうと思います。

でも、解読できたのは、さすが東大の教授ですね。あの怪奇な文字を見てもわかるというのは、想像力がたくましいのか、推理力がたくましいのか、それとも東大生はみな字がきたないのだろうか(^^;

                 

 

 Kさんの退職 

実は、Kさんは、僕と知り合って1年後くらいに会社を辞めてしまったのです。僕は辞める前から「辞めるんだ」って聞いていたんですけど、ほんとうに辞めたのを聞いたときは、「やっぱり、ただ者じゃない」って感じたものです。


はじめにも書きましたが、普通、40代で旧財閥系の大阪支店長というのは、かなり難しいものです。しがらみや年功序列とか今では少なくなったとはいえ、大企業には、まだまだそういったものが根強く残っています。また、出世を目指した海千山千の猛者がゴロゴロいる大商社で、そんな簡単には支店長クラスになることは、かなり難しいものです。

けれど、Kさんは、そういったことを飛び越えて、40代で支店長にまでなっていた。それはおそらく、Kさんが真剣に仕事に打ち込んで結果を出してきたからだと思います。そうでなければそう簡単に社内でも評価されないはずだから。(東大出身者がゴロゴロしている会社だそうですし)

 

仕事というものは、そして社会というものは、ある意味、戦場だと思います。

狭い社会の中で、職場での競争だけでなく、他社との激しく熾烈な競争もありその中で結果を出すためには、平凡な努力や多少の努力ではダメで、言葉通り、ほんとうに必死になって、自分の命を削ってでも努力しなければ、よい結果というものは生まれてこないと思います。

そんな中で、Kさんはほんとうに自分を削って仕事にかけてきて、真剣に努力をし、頑張ったからこそ、結果として、40代で大阪支店長になれたのでしょう。
  


 

けれど、そうまでしてきた仕事をやめるというのは、よっぽどの理由があるから辞めたんじゃないかと思います。

その辺の経緯は知らないのですが、大学を卒業してから自分の半生をかけてやってきた仕事を辞めるまでに至ったのは、「自分の生活をかけてまで、何かの意思表示する必要があった」からだろうと、僕は推察しています。

 

人って、行動がその人の個性を明確に表すものです。せっかちな人は、いつもせかせか歩くとか、人に迷惑をかけても気にしない人は、そこらじゅうにタバコを捨てたりする。

けれど、行動一つですべてを判断するのは無理ですが、その人の行動を見れば、およそ、その人の人格がにじみ出てくるものです。

Kさんの場合、40代で大阪支店長であるならば、まだまだ将来的な飛躍は望めるポジションにあった。 だから、会社に残りさえすれば、まだまだ出世も望めたはずです。

また、大企業系の大阪支店長といえば、下世話な話だけれど、収入もそれなりにあったはずです。

さらに、社会に出てからずっと頑張ってきた仕事で、それまで自分の培ってきた仕事上のノウハウや、自分の歴史や財産にもあたる有形・無形の財産は非常に大きいものだったと思います。

そういったものを捨てるというのは、普通、まずかんたんにはできないものだと思います。

だから人は普通、いつしか社会にのまれ、会社組織に翻弄され、妥協し、これが大人の生き方だと信じ、自分にいいわけをして、少しずつ自分をスポイルしながら(本来の自分を失いながら)生きてゆくことになります。(そういう僕もそうかもしれません。。。)
  


  
  

けれどKさんは、そういったものを捨ててしまった。

それはおそらくKさんにとって、肩書きや地位や収入とか、犠牲にしたものは大きかったかもしれないけれど、自分のポリシーを守るために、そういったものを捨てることにしたんだろう、と思うのです。

なによりも「大切な自分」というものを持っているから、「自分についているものを捨てられた」のではないかと思うのです。そして、「本来のあるべき姿の自分を大切にしたのだと思います。    

そして残ったのは、自分一人だけ。。。

 

  

  

僕は尾崎が好きで、今でも尾崎ファンだけれど、僕は尾崎の歌を通して、人のこころのエネルギーのすごさを学んだと思う。そのおかげか、スキーをしていても、いろんな人たちの情熱やこころのエネルギーを感じるとき、おなじように、こころから感動を覚えることがあります。

また、仕事をしていても、社会には、ほんとうにポリシーを持って情熱的に仕事をしている人が、たくさんいます。そして、そういう人たちの熱意に触れるとき、やっぱり同じように感動をすることもあります。

スキーや仕事に限らず、もちろん年齢や性別に関係なく、かたちや状況が違っても、人のこころのエネルギーのすごさを感じることがあります。                                        

Kさんにも、そういったエネルギーを感じます。出っ張ったおなかをしているという外見や、信じられないくらいのきたない字からはわからないけれど(笑)、さりげなく出てくる言葉や行動を見ていると感じてしまいます。

会社や立場にしがみつきぶら下がってるだけで、その人生は平々凡々と無難に過ごせるけれど、それを捨てたのは、こころからわき上がってくるエネルギーがなければできないと思います。そして、真剣に生きることへの意欲があるからではないか、と思うのです。。。


 

 

 Kさんの素顔 

 

ちょっと語ってしまったけれど、下の写真は、(財)宇宙環境利用推進センター(JSUP)が発行した、「JSUPニュース」(1997年3月発行No.53)です。

そこに、住友商事に在籍し、航空宇宙第1部の部長代理をしていたころのKさんのエッセイが掲載されています。その一部をここで抜粋します。

「JSUPニュース」 Kさんの書いたエッセイ 「ずいそう 宇宙服に託す夢」 
(1997年3月発行No.53) P.5より抜粋 

訓練用宇宙服をリースではなく、日本が購入することについても、その後米国政府の規制緩和が進み可能となり、近く実現の運びになってきている。

今、私は、宇宙服の日本での購入・常時使用が可能となった後は、ぜひ日本で宇宙服関連の技術を蓄積していっていただきたいと願っている。

そして、いつの日か日本人の手で作った宇宙服を、日本人宇宙飛行士が着て飛ぶ日が来ることを願っている。

さらには、21世紀の若者達の世代では、日米の国境を越え、世界を一つにして世界中の優れた若者達の中から数多くの宇宙飛行士が生まれ、手を携えて宇宙を飛翔する姿を夢見る今日この頃である。

 

僕は、はじめてこの文章を読んだとき、Kさんらしいなと思ったものです。自分よりも年下の人たちを温かな目で見るというのが、Kさんのらしいところです。

 

左 :  (財)宇宙環境利用推進センター「JSUPニュースNo.53」
右 : Kさんの書いた「宇宙服に託す夢」 
真ん中下に、宇宙服のイラストがあります

       

Kさんは、会社を辞めたあと、紆余曲折があったものの、いっさい昔の仕事の「コネを使わず」再就職をし、これを書いている今は、とあるベンチャー企業につとめています。(コネを使わないところがいいですね)

ベンチャーといっても、実は最先端の分野の開発ベンチャー企業で、それも超最先端バイオメディカルの開発をしているところです。また、産官学プロジェクトのベンチャー企業でもあり、こちらもまた世界を相手にする仕事をしているそうです。

また、Kさんは入社してすぐに部下を持つ立場となり、2004年7月の終わり頃、三ヶ月の試用期間を終え、いきなりもう取締役になっています。


いろいろと書いてきたけれど、Kさんは、僕ら年下と話をするときは、ものすごくフランクに話をするし、ここで書いているように、僕が河西さんのおなかをネタにしても、笑って許してくれます。 

いつもおなかが出ているので、いつもKさんのおなかを「今日もよく出てますねー」っていいながら突然さすったりして、まわりにいるみんなを笑わせていますが、それでもKさんが笑っているのは、ほんとうに文字通り、太っ腹だからだろうと思っています(笑)     

 
左がKさんです 宇宙服を着ているように見えますが、宇宙服ではありません(笑)

 

最後の余談ですが、Kさんが7年間のニューヨークの駐在から日本に戻る時当時、従業員1万人のHamilton Standard社の社長がホテルのパーテイー会場を借りて、100人近くの社員が集まって、わざわざKさんのために送別会をやってくれたそうです。

Kさんたった一人のために、わざわざ得意先の社長がホテルのパーティ会場を借りて100人も人が集まっただなんて、なんだかすごいですね〜 きっと得意先に深い信頼を得ていたんでしょうね〜。

商売でも何でもそうだとは思いますが、生きていく上で、ほんと信頼は大切ですね。信頼って言葉はとても地味ですが、時には、お金で買えないくらいの価値を与えてくれることがあるのかもしれないですね。

 

他にもいろんな興味深い話を聞いたけれど、とても長くなってしまったので、Kさんの話は、今回はこれで終わっておこうと思います。機会があれば、ぜひまた書いてみたいと思っています。

 


その人の夢の数だけ、夜空に星が見えるのかも・・・

 

 

最後にまたちょこっとクイズです。

宇宙服一週間レンタルは5000万円でしたが、さて「宇宙服の値段」は一着いくらでしょうか?

答えは以下の中から、一つ選んでください。 

          

ちなみに、宇宙服は MADE IN USA だそうですが、けっこう、縫製は荒いそうです

 

2004/9/6up