冷蔵庫


 

 我が家には大きな冷蔵庫がある。高さは175cm、横幅は100cm程度。もう買って20年以上になる。昔は、家族が多くて、7人家族で暮らしていたので、いつでも冷蔵庫にはたくさんのものが詰まっていた。450Lの冷蔵庫にもう何も入らないくらいものが、いつも詰まっていた。

 月日は流れ、何年もの年が過ぎ、きょうだいが結婚し、家族も減り、3人家族になった今、この冷蔵庫にはほとんどモノが詰まることはなくなった。けれど、僕には想い出がたくさん詰まっている冷蔵庫である。

 




 昔、母が病のために手術をして、退院できないといわれながらも奇跡的に快方に向かい、ようやく退院をしてきたときのこと。

 母が長い間使っていた冷蔵庫が壊れてしまった。冷えないし、コンプレッサーモーターの動く音がしないのである。冬場なので、すぐにものが腐るという状態ではなかったけれど、そのころの母は、ものが壊れたりすることに対して、非常に敏感に心を痛めていた。

 仕方なく電気屋に問い合わせ、修理に来てもらったらしいが、「もう10年以上たっているので、買い換えた方がいいです。修理費用のほうが高くなると思います」といって帰っていったという。大きな冷蔵庫なので買い換えるのにも高い買い物だし、今まで母が長い間使っていた愛着のある冷蔵庫。母は、この一件ですごく落ち込んでしまっていた。

 

 

 僕が仕事から帰宅し、母が落ち込んでいる姿を見て、事情を聞き、すぐに巨大な冷蔵庫を引っ張り出して、ドライバーを一本持って、冷蔵庫の中をあけてみた。なかはすさまじいホコリで、10年以上の歴史のかけらが、そこには降り積もっていた。掃除機をかけ、つもりにつもったホコリを吸い取り、よくわからない冷蔵庫の作りを考えながら、あちこちと原因を探していた。その間も母は暗い顔で、ずっと心を落ち込ませていた。

 そして冷蔵庫と格闘すること約1時間。

 直った。

 冷蔵庫が動いたその瞬間、母はものすごく明るい顔になって、「あぁよかった。よかったよかった」とほんとうにうれしそうにしていた。原因は、リレースイッチの接触不良で、ゴミを吸い出して、すこしいじったことでリレーが正常に戻り、直ったのである。僕は母のうれしそうな顔を見て、冷蔵庫が直ったことより、母が喜んでいることがなによりもこころからうれしかった。

 

 

 母が人生を卒業してからもその冷蔵庫は動き続けていた。けれども、買って20年近くになった去年、また冷蔵庫が冷えなくなり、ついに動かなくなって故障した。また電気屋を呼ぼうとしたけれど、買って20年近い冷蔵庫なので、電気屋も買い換えをすすめてくるのは間違いないことだった。で、また僕が修理することになった。

 僕が一人冷蔵庫を引っ張り出して冷蔵庫の裏で潜っていると、父親がやってきた。母が人生を卒業してからすっかり丸くなった父だ。父は、僕が冷蔵庫の裏で悪戦苦闘をしている姿を見て、「かわってやる」といって冷蔵庫の裏に潜り込んだ。

 原因はなんとなく前回とおなじような気がしたので、父に「あーじゃないか、こーじゃないか」と言っていたら、父が格闘すること30分、また冷蔵庫が直ったのである。父は、冷蔵庫がまた動き始めたその瞬間、とてもうれしそうな顔をしていた。僕はそのうれしそうな顔を見た時、前回母がいた頃のことを思い出して、過ぎゆく時を感じ、感傷的な気持ちになっていた。

 

 

 その母がいなくなって、もうじき4年。1998年の想い出に書いたけれど、このHPは母に捧げるHPとして、母のやさしさに感謝の気持ちをこめて、作ってきた。時間に追われながら、HPを続けてゆく限界を何度も感じたこともあったけれども、これからもかわらず、できるかぎりこのHPをやっていこうと思う。

 

 

2002/6/24アップ