悪い経験=良い経験?

 

僕は今までバイクで3回こけている
そのうち最近の2回は、なんと、非常に交通量の多いところで、それもまったく同じ場所で転倒している

 

2回とも同じ場所といっても、時間差は10年
転倒した場所は、自宅から数キロ離れた交通量の多い国道で、時々しかバイクで走らないところ

2回目、同じ場所で転倒したとき、正直言ってこわかった
なぜ同じ場所で、二回ともバイクで転倒するのか、偶然にしてはあまりにもおかしい・・・
そう考えると、非常に気味が悪かった

また、10年前とおなじような精神状態というか、ムキになって走っていた時で、
そして10年前と同じ足を強打するもので、初回は入院一週間程度、二回目は一週間程度痛みが引かなかった
同じ場所で、同じところを強打した
ほんと偶然にしてはあまりにも不思議で気味が悪かった

その後、おなじ現場を走ったときに気がついたけれど、なんと、事故った現場は病院の前だった・・・・・・

 

その後、僕はその現場を恐れて、バイクでも車でも、なるだけ通らないようにしていた
自分にとってはいわくつきの場所なので、一人で通る時は、いつもまわり道をしたりしていた
今度はどんな事故で、どんな大きな事故につながるか・・・、そう考えただけでも、とても怖かった
だから、出来る限り、事情が許す限り、その場所を通らずに、他の道を使ったりしていた



でも、数年後のとある日、うっかり回り道をするのを忘れて同じ現場を通りかかったとき、ふと何気なく頭の中でひらめくものがあった
なぜ急にひらめいたのかはわからないけれど、ふと、こころに入ってきたものがあった

それは、僕の事故は、たぶん、なんらかの力がはたらいていたこと (怪しげな話ですいませんm(_ _)m)

そしてその力はたぶん、僕を危険に陥れるためではなく、危険な運転をしてはいけないということを教えるためのものであったこと

 

正直、その頃の僕のバイクの運転はめちゃめちゃだった

はたからみたら命がけの運転、自分の心ではイケイケ精神で運転し、ゲンチャリながらもどんなバイクにも抜かれるのがイヤで、車の渋滞の中、すり抜けるのに全速で走ったりすることもあった
そして、相手が原付であれ、自動二輪であれ、ほとんど抜かれても抜き返したものである
ほんと、メチャメチャな運転をしていた

おそらく、なんらかの力というものは、そんな僕のメチャメチャな運転を戒めるために、
僕は全く同じ現場で、同じようにバイクから投げ出され、同じように足を打ちつけ、地面に転がされたのだろう
そこは国道で、いつもかなりの交通量があるにもかかわらず、僕は2回とも命のにかかわるような怪我ではなく、
一週間の打撲の痛みだけで終わっている

僕は、なんらかの力がはたらいていたことを頭の中で理解したとき、はじめてバイクの運転を安全にしなければならないことを悟った
なんらかの力は、わざわざ僕にバイク運転の危なさを教えるために、2回とも同じ場所で、同じ地面に身を投げ出させ、僕を痛い目にあわせたのだろう

そのなんらかの力というのは、なんの力かは僕にはわからない
ひょっとしたら転倒した場所の横にある病院が関係するのかもしれないし、関係しないのかも知れない

けれど、今でもその現場を通るたび、気持ちを引き締めている
無謀な運転をせずにいようと

 

ちなみに場所は、大阪市内の内環状線・国道308号のとある場所です

 

 

きっと、こういう経験は誰にでも気がつかないけれどあるんじゃないかと思う

気がつかず、わからないままになってしまうことが多いかもしれない

また、不気味で気味が悪い経験として記憶に残ることもあるかもしれない

けれど、きっと悪いと思える経験は、裏を返せば、生きるために必要となる良い経験なのかもしれない

僕は2回バイクで同じ場所で転倒してかなり痛い思いをしたけれど、その経験はとても良い経験になったと思ってます

痛い目に遭わなければ、きっと無茶苦茶なバイクの運転で命を落としていたかもしれないし・・・

そう考えると、生きていくことのすべての出来事は、自分のためになる出来事になるかもしれないって思うのです

 

 

2006/9/15アップ