スノーボーダーの情熱 3

 

出逢いというのは、本当に不思議なものですね。遺伝子で有名な筑波大学教授の村上さんが著書の中で書いていることだけれど、「人や物との出会いに暗号を感じる」とあるけれど、ほんとになぜかそういう気がします。このごろ、あまりにも不思議な出逢いが多くて、なぜか偶然という言葉ではすませられないような気がするんです。僕が出逢ったそのスノーボーダーの方とも、あまりにも偶然にしては必然すぎる面があって、本当に不思議です。はじめは、でかくてイカツイ、ただのスノボ好きの人だと思ったいたのですが、 とんでもなかったんですね。もうスノボのために全知全能を傾けて、またどんな犠牲でも払ってもかまわないと言うくらいなんです。ほんとうに、生活すべてがスノボに直結しているかのような毎日をおくっているようです。


キャンピングカー(?)内にて撮影 井本さん兄(右)弟(左)

 なんてったって、スノボをはじめたのが29歳だという。たった3年で見違えるほど上達したという。よく、スノボは奥が深くないと言われるけれど、実際はそんなことはないでしょう。滑ることができるようになりやすいだけであって、うまく滑れるかどうかは別問題なんでしょうね。そうでなければ、みなオリンピック選手になってしまいます(笑)

 ちなみに、スノボで有名なタレント、長江健次をよくスノボの大会で見かけるそうです。長江健次が、とあるスノボの大会の前走で滑っていた話をしていたので、僕が、長江健次の足前がどれほどすごいのかと聞くと、このスノーボーダーの方いわく、「うまいけど、ぜんぜんだめ」(笑) 僕は、長江健次って昔からスノボをやっているというし、NHKのスノボ番組でも司会をしたりしているのでうまいんだと思っていましたが、この3年しかやっていない井本さんよりもタイムが遅いそうです(笑) おもしろいのは、長江健次が大会の前走で滑っているときに、ギャラリーから「ズラすな〜!」ってヤジが飛んでいたそうです(笑) 注 : 関西人はツッこむ対象を選びませんから(笑)

 でも、この方ののめり込み方は本当にすごい。スノボのために、体を鍛えるだけでなく、理論も勉強し、さらになんとカービングスキーの勉強をしているのである。スノボの体の動きとカービングスキーの体の動きと、非常によく似ているからだという。僕もスキーのビデオを以前見ていたのだけれど、カービングの要素はスノボの動きと大変よく似ていると解説していた。だから逆に、スノボの要素もスキーの動きが大変参考になるという。僕にはまだカービングを知らないので、その方のカービングスキーの話はあまりよくわからなかったけれど(苦笑)、カービングスキーの動きを熱心に僕に説明をし、その人の家から帰るときにその方は、なんと全日本スキー教程の本まで貸してくれたのである(苦笑) なぜスキーヤーの僕が、ボーダーから全日本スキー教程の本を借りているのだろうか、不思議な話である(笑)

 また先に、どんな犠牲も払ってもかまわないというくらいだと書きましたが、もう、ほんとうに言葉通りの生活なんですね。車も部屋も仕事もトレーニングも休日も、毎日の生活はすべてスノボのため!っていうくらいの生活です。スノボのためにスケートといえばスケート。スノボのためにスキーといえばスキー。実際、カービングスキーを履いて、スキープロのレッスンも受けに行ったそうですから、あきれかえるやらおどろくやら(苦笑)そういえば、僕が初めて知り合ったときは、その方はとてもきれいな彼女とスケートに来ていました。でも、スケートで僕と出会って数ヶ月後に、彼女と別れたそうです。原因はそう、スノボだったんです。「私とスノボ、どっちをとるの?」って聞かれて。。。 (+_+)

 僕はたびたび書いているけど、ほとんどスキーでは休憩しません。休憩しないことについて、いろんな人からいろんな事を(休憩も必要、付き合いが悪いなど)言われているけれど、良くも悪くも、これが自分の練習方法なんですね。都合がつけば、ナイターも滑っています。もちろん、滑っているときは休憩はリフトの上だけ。いつからこんな練習方法を採ったのか考えてみると、このスノーボーダーの方に会ってからです。目標に向かって、自分の全精神力を向けるということをしている人に出会ったので、その影響をもろに受けたようです。もともと、僕は人の影響を受けやすい性格なんですね。でもやっぱり、久しぶりにそんなすごい人にあったときに、ちょっとでも何かお互い得るものがあるような人間になっていないと、恥ずかしいような気もするし。。。そう想うと、練習にも力が入ります。(でも中には僕と同じようなひたすら滑るという練習方法を 女性でも する人もいてます。女性なので、正直、ぼくも驚きました。彼女のスキーに対する情熱は、とてもすばらしいんですね。練習熱心だけあって朝から晩まで、暇さえあれば一日中滑っているようです。もう、これぞ情熱っていう感じです。そんな彼女が、生まれて初めて一級受験をしたら、なんと一発で合格したという。それも黒姫で。実際、相当滑っているようで、滑りはクセが無く、見たところとてもきれいだった。彼女も本当にすごい。男として負けてはいられないような気になるけれど、素直に尊敬もできます)

話がそれました。

 

 また、弟さんがいるのですが(自営業で兄弟揃って仕事をしているんだけれど)、冬の間弟さんは、お兄さんのバックアップもあって、ときどきよくスキー場につからせてもらっているそうだ。実にうらやましい! 兄が仕事を仕切っているので、弟さんはよくあのキャンピングカーでスキー場で宿泊しているそうです(笑)10日くらいスキー場の駐車場にいて、あのキャンピングカー(スーパーハウス)で寝泊まりするという。やることが違います(笑)

 やることが違うと書いたけれど、スキー場でスノボを教えてもらっているイントラが、全日本2位や3位のトップレベルのプロのスノーボーダーなのである。一人はなんと、お兄さんの個人的な友人だそうだ。名前はそれぞれ滝口さんと久保さん。二人ともスノボのプロであり、両プロとも、エコーバレースキー場のスノーボードスクールのイントラをしているそうだ('98-'99)

 滝口さんは、今年24歳(1999年)。なんと、3つのプロという肩書きを持つ。
    スノーボードプロ   バスフィッシングプロ   スケートボードプロ。
23歳にして3つのプロの肩書きを持つなんて、ただ者ではありません。
滝口さんいわく
「スノボの大会より、スケボーの大会で優勝した方が賞金がよい」のだそうだ(笑)

 また、久保さんは28歳(1999年)。スノボに対する取り組み方が相当すごいそうだ。夜中の2時3時になってもチューンナップをしたり、スキーに向ける姿勢がそうとうひたむきだという。マテリアルと大切にし、また、練習用のポールも自分で持っていて、コース上に自分でたてたりすると言う。久保さんいわく、「これだったら、いつでも一人で練習できる」まさしくプロ。頭が下がります

 これを聞いて、井本さん(スノーボーダー兄弟)もすぐにポールを買ったという。あいかわらず、行動力はすごいものがあります。でも、井本さんの知り合いの方で、元ヤマハのエンジニアで48歳の佐藤さん(名前だしていいのかな)という方は、スノボにのめり込むあまり、会社を退職。ポールはもちろん、タイムの計測器から掲示板からすべて自前で買ったという。ちなみにタイムの掲示板は100万円するという(笑)ここまで行くとちょっとすごすぎますねー(苦笑)

 余談になりますが、あのスーパーハウスで寝泊まりしている弟さんが、スノボの両プロから、気むずかしく怒りっぽい、スキー場の掃除のオッちゃんの話を聞かされたという。その、気むずかしいオッちゃんが、「おい!あのトラックの上の家に住んでいる奴、どこの奴か知っているか?」と両プロに尋ねたという。その時、両プロは「井本さんの弟だ」というと、きっと弟さんは怒られて、スキー場から追い出されてしまうかもしれないと思い、気を使って二人とも「知らない」と答えたそうだ。そしたら、その気むずかしそうなオッちゃんが、「世の中にはほんと、かしこい奴もいるもんだな」としきりに感心していたという(笑)気むずかしいオッちゃんが感心するなんて、ほんとにすごいことだとその両プロは笑っていたという。

 さらに、ここでも野麦峠の話が出て来るんだけれど、野麦峠には女性のパトロールがいますが、なんとスノーボーダーなんです。その方が、スノボ兄弟さんの共通の友人だそうです。僕も、何度も見たことがあるのですが、滑りは、どこがどううまいのかはわからないのですが、安定感がある滑りで、この女性はほんとうにワンランク上のスノーボーダー、という感じがしていたのです。この方が実は、1999年の2月に行われた、全日本スノーボード選手権・西日本地区大会の東部ジャイアントスラロームで優勝した、女性のスノーボーダーの方なんだそうです。名前書いていいのかな(笑)。手元に資料(雑誌)があるので、写真をはりつけておきましょう。まぁ、偶然とはいえ、野麦に共通の知っている人がいるというのは、本当に不思議なものです。よく僕は野麦峠に一人で行ったときは、最後の最後まで滑っているので、そのパトロールの人の滑るのを何度も見ています。かりかりの斜面でも、でこぼこの斜面でも、どんな斜面でも滑りは安定していて、不安定さはなかったです。たしかにうまかったですね。来シーズンも野麦にいるのかなと、とても気になるところですね(笑)


野麦峠スキー場パトロール、全日本スノーボード選手権・西日本地区大会東部ジャイアントスラローム優勝

 長々とまた書いてしまいましたが、いつかはこういった人たちにもあって、直接お話を聞いてみたいと思っています。次のシーズンはおそらく、ここで紹介しているアマやプロのボーダー達と会う機会もできるでしょう。その時はまたエッセイか何かで紹介してみたいと思っています。

 最後になりましたが、スケートではじめてであったスノーボーダーの方のエピソードを一つ。

 前にちらりと書いたことですが、高校生の時は身長182CM・体重59kgでガリガリだったという。大学に入り、これではいけないと思い一念発起!パワーリフティングをはじめ、1年に7〜8kg体重が増えてゆき、3年で21kg増えたという。なんと59kg→90kg。それも、太るんじゃなく、増えた体重は正真正銘のすべて筋肉だったという!!「体のデカなりかたは異常だった」と弟さんが証言するくらい、肉体のすさまじい変貌だったという。そしてついに、大学時代に、パワーリフティングの大阪大会で3位に入賞したという。それも、大学だけじゃなく、社会人たくさんもいる大会でである!!高校生の時にガリガリだった人間が、どうして大学の数年間で大阪のパワーリフティングの大会で3位に入れるほどの変貌を遂げたのか。何年も頑張っても、ぜんぜんだめな人も多い中、ほんのわずかな短い期間で、長年やってきた人たちを抜き去り、めざましい結果を出す。もう、ここまでくると何も言わなくてもすごさが伝わってきますね。

 

 

 出逢いというものは、ほんとうに不思議ですね。僕がエッセイで紹介している人たちは、個人的に僕個人の好みもあるかもしれませんが、ほんとうに自分の好きなことにのめり込める人たちばかりです。ヤマトショップのおじさんもそうです。原点は、スキーショップを経営してしまうぐらいの、スキー狂だったんですね(笑) 先生と思っている藤井さんもそう、79歳でまだまだバリバリ滑っているのですから。よく考えたら、もう60年以上も滑っているんだから、スゴすぎます!(笑)

でも、92歳になるのに、まだ毎週のように雪や人工芝で滑っている人もいます。なんたって、1999年のはじめに、関西にある函館山スキー場のシーズン券を買って、「元を取ってお釣りがきます」と言うほど滑っているほどですから(笑) それも92歳でですよ! よく思うことですが、なぜこの方に雑誌の編集者は取材に来ないのかと思ったりもします。生涯スキーヤーで通そうとするその姿勢は、本当に僕らが見習いたいくらいのものがあります。今年、その方にどこかの雑誌の取材が来なければ、僕がエッセイ化してもいいかもしれませんね(笑)また書くネタができてしまった(笑)

これをアップしたとたん、ここで紹介しているスノボの井本さんより、偶然連絡がありました。ほんとに偶然だったのです。そして、さらに驚くことを聞かせてもらいました。これはすごいと思うようなことで、ほんとはここで完結する予定だったのですが、どうやらさらに続きができそうな話のようです。近いうちに会って取材(飲み)に行ってきます。でもほんと恐ろしいほどのタイミングでした。。。

1999年6月2日アップ