先生 〜出逢い〜

 

暖かい頃、朝早く僕は一人でスキー場へ向かった。スキー場へ着き、リフト代を支払って、ゲレンデにたって準備運動をしていると、初老の方から話しかけられた。その方は背筋をきちんと伸ばしているのが印象的で、とても穏やかで、やさしそうな印象を受けた。
「君は一人でここに来たのかね?」
「はい、一人できました。ここに来るのは初めてなんです。」
「一人で来るなんて関心だねぇ。どこから来たの?」
「大阪です」
「あぁ、僕も大阪だ。まぁ、がんばってください。」
その方とのいちばんはじめの会話は、これだけだった。

久しぶりに板を履く感触にとまどいながら、何本かリフトに乗っては滑っていた。そして、たまたま、準備体操中に話しかけてくれた方と一緒にリフトに乗ることになった。(正確には、その方は、僕がリフト乗り場に来るのを待っておられたというほうが正しいかもしれない)
そして、一緒にリフトに乗ったときに、いきなり叱られた。

「君、ぜんぜん板を踏んでいないじゃないか!!」

いきなりで、正直面食らってしまった。

「君のターンはターンになっていない!あれではだめだ!!何をしているのか君は。・・・(略)・・・」

どうも、僕の滑りをずっと見てておられたようである。そして、リフトに乗って上まで運ばれている間、僕はずっと、朝に出逢ったばかりのその方に怒られていた。見たところ、おそらく70歳前後であろう。スキーをつけて歩くときには、必ず、背筋がしゃきっと伸びているのが、とても印象的だった。知り合ったばかりなのに怒られることに面食らいながらも、僕はずっとその方の言葉の裏にあるものを読み込もうとしていた。何か不思議と、自分の心に引っかかるものがあった。

なぜ僕は知らない人に怒られているんだろう。なぜこの方は怒っているんだろう。普通なら、何を言うんですか!と言い返すのも、その状況では別に間違いではない反応だった。でも、僕は少し違った。何かが違うような気がした。なぜだろう。心の底に、なぜかピンと来るものがあったのである。こういう不思議な感覚というのは、僕はたまーに感じるのである。

その方は、次のリフトに乗るときも僕と一緒だった。ここでも、またさらに僕は怒られたのである。怒られながらも、その方の言葉を見つめ続けていた。言葉の裏側にあるものを探してみようという気になった。そして、ようやく気がついた。この方が怒っているのは、僕じゃなく僕の滑りなんだと。あまりの僕の滑りのひどさに、こらえきれなくなってしまったんだろう(苦笑) そう気がつくと、怒られている言葉が、とても優しい言葉に聞こえてきた。それは愛情のある怒りだった。僕の本当にスキーをうまくなりたいという気持ちを見抜いているからこそ、僕に対して真剣に怒っているのである。そして、そのことがわかると、僕は、とまどっていた態度を変えて、襟を正して真剣に話を聞く姿勢になった。。。

そして、それからその方と10本以上一緒に滑って、滑りをチェックしてもらった。
僕も、ようやく滑り方がわかってきて、正直のその方にお礼を言った。
「ありがとうございます。おかげで滑り方がわかりかけてきました。」
「ようやくまともになってきたねぇ。もう、ひとりで練習しなさい。」
それが、その方との初めての出逢いだった。

出逢いというのは不思議なものである。
スキー旅行用のカバンを、このHPでも紹介している、ヤマトスポーツに買いに行ったときに、この話をしたところ非常に興味を抱いたらしく、しきりと僕に、その方のことを聞いてきた。
そして、同じ大阪に住んでいて、結構家も近いことを言うと、思いがけない言葉が返ってきた。

「その方は全日本学生スキー連盟の元副会長で、藤井さんという方ですよ。今、大阪府スキー連盟の顧問をしておられる方ですよ。あの方は昔はノルディックの選手だった方ですよ!」

 


 

そのスキー場へは、次の週も行った。別に、その方に会いに行った訳じゃなかった。その方に教えられたことの復習をしに行ったのである。でも、その方はその日もゲレンデで滑っていた。

「こんにちは」
「あぁ、君か。君も熱心だねぇ!」
「はい、やっぱり、何とかうまくなりたいんですよ」
「君ぐらい熱心だったら、すぐにうまくなるよ。がんばりなさいね。」
「はい、ありがとうございます」

でも、その日は1週間もたってしまっているので、もうすでに前回のカンを失っていた。そしてまた、その方と一緒になって教えてもらうことになった。

「君のスキーはエッジがたっていない。ズレてばっかりいる!!もう少し、エッジをたてなさい!!」
「はい!」

なんと僕は、大阪府スキー連盟の顧問に教えてもらうことになったのである。その方は別に指導員の資格とかはまったく持っていないのである。小回りなどもする人でもなかった。もともと、ノルディックの選手だったので、アルペン系の滑りはあまり詳しくはないのである。けれども、滑りの本質的な部分で教えることはとてもうまかった。教え方としては、的確に滑りのいちばん悪いポイントをつかんで、そこをなおすという手法だった。一つ良くなれば、ほかの部分まで良くなるというポイントを教えてくれたのである。そのおかげで、気がつけば、また僕はカンが戻り、さらに上達していたのである。

 次第にうち解けてきて、たくさんの話をするようになった。おどろいたことに、年齢は78歳!(1998年時点 誕生日は3月)78歳で、まだまだ現役スキーヤーなのである。それも、大阪から一人でスキー場まで電車でやってこられるのである。もちろん、板や靴は、スキー場に置いてあるのだけれど、それでも、週に1.2回やってきて滑っているというのである。なんたる体力!なんたるスキーへの情熱!!これには驚かずにいれるわけがなかった。78歳というと、大正生まれである。戦争末期のひどい戦況の中を生き抜き、青年時代はノルディックスキー(距離)の選手で過ごし、その後は、自らもノルディックを続けながら選手の育成をしていたという。最近、ドクターストップがかかり、ハードなノルディックのスキーをやめ、比較的適度な運動のアルペンをし始めたという。それでも、ゲレンデではほとんど休息なしで、滑りっぱなし!!そこらにいる人たちより、よっぽど体力がある方だった。「これは、ノルディックをしていたお陰だ」とその方は話しておられたのが、とても心に残った。(軍隊は海軍に所属(中尉)し、敗戦までパイロットとして零戦に乗ったりしていたという。軍隊生活のためか、それで、背筋がしゃきっとしているのだろう。60代後半でも通用するはずだ。)

 


藤井さん 17〜18歳の頃
写真を詳しく知っておられる方なら、この写真撮影の技術の高さにも驚くはずである(撮影・藤井さんの中学時代の友人)

 僕はいつも、ひたむきな人を見るのがとても好きだ。スキー好きのまわりの人やたくさんの知り合った方々、インターネット上で出逢った人は、みな個性的で情熱家だ。でも、藤井さんというお方は、ほんとうに人並みはずれた情熱家だった。78歳にして、スキーが本当に好きで滑っておられるのである。話し込んでゆくうちに、そのひたむきさには、本当に尊敬しはじめてしまった。僕が尊敬するのは、年齢には関係がなく、どのくらい一つのことに情熱的であるかだから。そのスキー場へ3度目に行ったときは、本当にむちゃくちゃ驚いた。なんと、ポールの練習までされていたのである。もう、ひたすら驚くばかりだった。いくらなんでも、78歳の方がポールの練習までしておられるとは、夢にも思わなかった!!年齢的な概念は一度に吹き飛んでしまった。まさに、青天の霹靂!!自分の価値観や考え方を、いっぺんに変えさせられてしまった。


海軍少尉時代 24〜25歳 零戦パイロット時代
零戦や雷電、爆撃機なども操縦したことがあるそうな!

 藤井さんに関するさわりを少し書くと、全日本学生スキー連盟の副会長だったので、長野オリンピックでは、要人席で開会式を見ていたという。要人席というのは、普通では考えられないくらいの超VIP待遇なのである。ドゴール大統領を3回(パリ祭2回、フランスの冬季オリンピックで1回)間近で見たという。ノルディックのオリンピック選手をも育てたという(だからこそ、教え方がうまかったのかもしれない)また、(オリンピック?)組織委員会で長野に行ったとき、北野建設のスキー部の塩島さん(監督?)に招待されて北野建設に行ったら、スキー部全員がやってきて挨拶してくれたという。もちろん、その中に荻原選手もいたという。木村公宣選手と一緒に写っている写真を見せていただいたりもした。また、岸英三さん(知っている人なら知っている、指導員・デモなどの基礎スキー界の総帥)は、藤井さんの海軍時代の戦闘機乗りの同期だったという(最近の写真だけど、表彰式で一緒に写っている写真も見せていただいた)。ほかには、国体複合競技委員長(神鍋国体)もしたし、西日本技術代表・西日本複合委員長などは何度もつとめていたそうだ。もっとあるけど、いいかげんに書き出すとそれこそ本当にきりがないから、これ以上はやめておこう。

 

 左の写真は、長野オリンピック開会式でのショット

 旗を持って歩いているのが、藤井さんの日大時代の後輩で、

 当時、日本オリンピック委員会副委員長で選手団長の八木さん

 

 下の写真は点火台への通路

 

 左の写真は、フライングの金メダルの選手

 だけれど、名前がわからない。

 金メダルが決まったあとのショット

 横は、モーグルのコースだったという。

 誰か知っていたら、くわしく教えてください

 写真から見ると、かなり至近距離ですねー

    写真提供・藤井さん

 

 この藤井さんの取材を、僕は個人的ながらも続けて行こうと思う。そして、機会があればエッセイ化して、僕のHPで公開してゆきたい。けれど、肩書きなどで僕は藤井さんを書きたいとかではなく、藤井さんのスキーと運命と人生との関わりを、見つめていきたい。藤井さんは、今までの華やかな経歴から考えても、ふつうならのぼせ上がってしまって人間的に変わってしまってもおかしくないくらいの過去を持つ人なのに、話をしていても尊大なところがまったく見あたらない。本当にやさしく、誰に対しても紳士的なのである。まわりの環境がどう変わろうとも、自分が自分であり続ける自分の強さ。それを厳然と持ち続けているのである。それだけに、心の広さ、器の大きさ、そして人間的な優しさと強さ、それが話していると自然に伝わってくるのである。

 僕にとっては、たくさんの話を聞くだけでも、これ以上にうれしいことはないのである。知り合ってすぐに、なぜか、僕は藤井さんの事をエッセイ化しようと思っていた。僕が持つスキーへの情熱を、はるかに上回る心のエネルギーを、いまだに持ち続けているのである。30にもならない僕が、勝ち負けではないのだけれど、心のエネルギーはいまだに負けているのである。スキーへの情熱。そこから出てくる、人間の生きるエネルギーというものがどれほどのものなのか。それを藤井さんは自分の生き方で僕に見せてくれているのである。これほどすばらしいことがあるのだろうか。まさしく僕の人生の目標となる先生だ、と勝手に思うようになってしまった。

 スキーを通した生き方や考え方、スキーへの想いを藤井さんから学ぶことは本当にたくさんあると思う。ぜひとも、藤井さんのいいところを吸収してゆき、これからの人生にプラスにしてゆきたい。そして、これほどの話を僕一人が聞いて終わりというのではなくて、ぜひともスキーを本当に愛する人たちにも伝えたくて、エッセイを書いてみました。スキーを通した生き方のすごさすばらしさを、いったい、どれだけ自分が言葉で伝えられるのかわからないけれど、機会があれば、また少しづつでも書いてゆこうとおもう。

 

 

ちなみに、現在もGSの大会に出ておられます^^