訪問販売体験記


僕は3年前、一か月半だけ営業(訪問販売)の仕事をしていました。その会社は、ある特殊な金属関係の会社です。僕が入社したその月に15人入社しましたが、1ヶ月半で残ったのは3人だけでした。僕が辞めて半月もしないうちに、残る二人も辞めてしまいました。

営業といっても中途半端な営業ではなく、訪問販売だからかなり根性がいりました。ほとんどの家のおばちゃんやおっちゃんが、何も言わないうちから、すげなく追い返そうとするのです(当たり前ですが)。1日に100件から150件のインターホンを押して、ほとんどケンモホロロに断られ(話を聞いてくれる家なんか、100件に1件くらいあるかないか)、それも夜9時までインターホンを押して歩くのです。ひどいときは夜の11時くらいまでまわってこいといわれることもあります(訪問販売法では、夜8時以降に訪問販売形式の営業はしてはいけないことになっている)。

真っ暗で人通りのない道をとぼとぼ歩いて、明かりのついた家を一件一件しらみつぶしにまわってゆく。あの時の心境は、絶対やったもんしかわからないです。家族の団らんの途中に入って行って、商品を買ってくれと言うんですから露骨に嫌な顔をされたり、追い出されたりすることもしょっちゅうありました。そして、自分の尊厳やプライドなんか微塵もなくなってしまい、ほとんどの奴は気が滅入ってしまったり、ノイローゼみたいになったりして辞めてしまいました。

会社では、毎日毎朝、気合いの入った朝礼で、一日の決意表明は「がんばります」では通用せず、「必ずオーダーあげてみせます」「なにがなんでも絶対やってみせます」と絶叫して決意表明をし、日頃の成績がわるけりゃ、リーダーから、その決意表明をした奴を名指しで「ほんまに売ってくるんかっ!!」「やる気あんねんあったら、今日、絶対結果出してこい!!」と大声で返されたり、「お前いつも嘘ばっかりついてるやんけ!!」「やる気ないねんやったら辞めろ!!」「お前みたいな奴はいらん。いますぐ帰れ!!」と怒鳴ったりする事もしょっちゅうでした。(それで2,3人は即辞めさせられた)朝礼の後、敵前逃亡といって、営業に出たまま二度と会社へは帰ってこない人もいました。

大目にみてもらえるのは、入社して初めの一週間くらいで、それをすぎればもう一人前とみなされ、言われる言葉も違ってきます。毎日、百数十件をまわってもオーダーが3日もとれないと、日を追うごとにチームリーダーからの圧力は強くなり(クソミソに言われる)、会社でも肩身がとても狭くなってしまいます。朝礼の席順は毎日、前から順に売上順に並べかえられ、座る場所によって、ものすごいプレッシャーがかかるのです。中には、朝礼中、ごっつい体をした奴が、まわりから責め立てられて、泣き出したりすることもありました。

僕は、なんとか必死にやって1ヶ月目に新人賞がとれた位(表彰状・楯・賞金をもらった)の成績だったので、名指しで怒鳴られることもなく、新人いじめにあったくらいで、けっこう支店長に寿司をおごってもらえたりして(売ってるから笑顔を見せてくれる)かわいがってもらえたので、肩身の狭いおもいはあまりなかった。

けれど、何がなんでも売ってくればいいということに疑問を感じ、また支店目標達成のために、日曜出勤も強要されるようなのと、目の前で、押し売りのようにセールスをする人もいるのを見たら、売る意欲がどんどんなくなってしまったこともあります。また、出社時間が九時なので七時に起きて、帰ってくるのが早くて夜11時半、遅くて真夜中の1時2時で、会社からタクシー帰りも多くなるため、交通費がかさみ、結局、時給だけで見れば、パチンコ屋で働いているほうが給料がいいことがわかり、辞めることにしました。

けれど、あの経験をすれば人生観は変わります。おぼえておいてください。訪問販売の営業マンは買ってもらう目的でインターホンを押しているのではありません。全知全能を傾けて、買わせるためにインターホンを押しているんです。僕も初めは、インターホンを押すことにさえ恐怖を感じ、白い目でみられるのが嫌で、逃げ出したくて、つらくて、たまらなくて、めげてしまうときはいつも、喫茶店で時間をつぶしていました。けど、なんとか必死に一生懸命しているうちに1か月がたち、気がつけば、スラスラ出てくるセールストークで、あっというまに家に上がり込んでしまい、説明をはじめれば、おばさんの手を誘導するかのごとく、ハンコを押させていたものです。(僕は、営業のために汚い嘘などはつかったことはないことを、念のために書いておきます。また、こういう状況になるまでの確率は1%以下です。毎日150件以上まわってもダメなことも多い。結局、買いたいと思っていた人に当たっただけの話でしょう)

このごろふと、いつもの仕事で身もこころもつかれたとき、思い出す思い出があります。夜、田舎道で急に雨がふりだし、気がつけば土砂降りの雨の中で、雨宿りをする場所がなく、革靴の中がグポグポいいながら、スーツもビチョビチョ。髪は濡れてボサボサ。セールス道具は落ちていたローソン袋を雨で洗って、それにいれて暗い夜道をとぼとぼ歩き、民家のインターホンを押してもすげなく断られ、さまようようにしてえんえんと歩き続け、結局一つも売れずに、夜の9時に集合場所へ戻れば、目一杯リーダーから怒鳴られ、「今から売れるまで帰ってくるなっ!!」と吐き捨てるように言われた時のことを。

いろんな経験を1ヶ月半の間たくさんしましたが、今はほろ苦い思い出で、思い出すとなぜだかわからないけれど、遠い過去を思い出したようにこころが痛むような気がします。この会社での経験は、僕もあまり社会というものに触れる機会がなかったけれど、ようやく世の中というものが見えかけてきたと思える経験でした。そして、生きてゆくうえで自分はどうあるべきなのか、ほんとうに考えさせられた経験でした。

現在でも、この会社は営業をし続けています。だから、会社名や個人名などは一切公表できません。問い合わせなどに対しても、一切コメントできません。よろしくお願いします。