一人旅

 

昔よく一人で出かけたものです。もちろん、一人旅です。
一人の旅行はいいですよー。みんな、よく僕に
「一人で寂しくないのか」と聞いたりしてくることもありますが、さみしさと楽しさと好奇心を心につめて出かける旅だから、寂しくないと言えば嘘になるけど、さみしさにつぶれてしまうようなことは全くありません。
大阪に住んでいる僕ですが、
九州や四国、中国、中部、北陸、上越、東北は行ったことがあります。まぁ、別に観光に行っているわけじゃないので、気の向くまま足の向くままの一人旅がメインです。関西近郊は、昔はよく友人とも行きましたが。

一人旅に関して書き始めると、本を一冊余裕で書き上げることができます。エッセイどころじゃありません。そのくらい行きましたし、たくさんの経験もしました。でも、一人旅のよさって、以外とみな知らないようです。自己中心的な発想ですが、なぜ行かないのだろうか、ほんとに不思議です。なにがおもしろいのかわからないんだけど、一人旅ほど、ぜいたくな時間の使い方はないだろうし、一人旅ほど、すばらしいものはありません。

一人旅をするようになって、男に生まれてきてホントによかったと思います。女性はつらいとおもいます。やっぱり、身の危険を感じることもあるだろうし。でも、性別に関係なく、一人旅で危険な目に遭うこともあります。一人旅に出かけるときは、もっぱら車なので、事故寸前のこともたっくさんあって、時々危険な目に遭います。一人だから、交代してくれる人もいない。急に眠くなっても、高速じゃ、パーキングエリアまで眠気と戦いながら、必死に走り続けなきゃいけないし。

また、人里離れた山道で道に迷って、とんでもなく細い道に迷い込んでしまって、行き止まりになったりすることもあります。もちろん、Uターンする場所はほとんどないのです。もともと僕の車は、小回りのきかない車だし。ガードレールのない、横は崖みたいなあぜ道を、バックで戻るなんて経験もよくあります。時には、深夜に30分以上もバックしながら、来た道を戻ることもあります。ホントに怖くて怖くて仕方がないものです。おばけも怖いし、脱輪も怖い。道がほとんど見えないから、脱輪したら、ガケから落っこちて、命にかかわるかもしれないのも怖い。車で運転して知らないところを走ると、そんなことはほんとによくあることです。

でも、やっぱり、危険な目に遭うというか、はっとするハプニングはやっぱし車にまつわる話が多いですね。スキーに行ったときも、車の水温計がおもっきり下がり始めたときは、ちょうど山奥で救援を求めるすべがなくて、恐怖におびえてしまいました。山奥で、人がほとんどいないところで、ラジエターの故障は一歩間違えると、遭難の危険があります。パンクや、チェーンが切れたりするのはまだましです。車が全く動かなくなるような、電気系のトラブルや、冷却系のトラブルは、心底、あせります。誰かもう一人いれば、何か対処のできるときでも、一人ではできないことの方が多いのです。もちろん、車のちょっとしたトラブルは、対処できるように、いつも工具箱や、電気関連の道具は持っていきます。知識もきちんと持っているつもりです。このときの、水温計の急激な低下は原因が分かったので、大丈夫でした。(下り坂ばかりで、エンジンの回転がほとんど落ちてしまって、熱の発生がなくなって、外気の超低温にエンジンが急激に冷えたものでした。これも経験すると、なんともない話ですが、わからないと大騒ぎになるでしょう)

でも、一人旅のすばらしさって、たくさんあります。ふとしたまちはずれの温泉がとてもすばらしかったとか、言葉がでてこないくらい感動させてくれる景色に出会ったり、もう、うなるだけしかできないっていうことも、たっくさんあります。いくらうまく写した写真やビデオでも、まったくその景色は表現できないんですね。青森県から南下するときに、日本海側の国道を走りましたが、夕陽が海に沈んでゆくのを見ながら、ひたすら走り続けるなんて、ものすっごく感動です。どれだけあの景色が美しかったか、どれだけあの感動を、家族や友人に分け与えてあげたかったか、どんな言葉でも表現のできない景色がそこにはありました。あの時、今ここにいる瞬間を永遠にしたいと思って、どれだけもどかしい気持ちになってしまったか、今でもあの時の気持ちは心の中にあります。

青森県で思い出したけれども、恐山は怖かった。一人で行くもんじゃないと思いました。恐山への道に向かって走っていると、はじめは天気が良く、前後に車がたくさんいてて、ちっともこわくなんかないのです。雰囲気も、田舎という感じだけでしょうか。けれど、ふと気がつけば、前後に車は一台もないのです。道も、陰気くさい道になってきています。空も、本当に妖しげな雰囲気になってきました。なんか、怖いと感じはじめてきて、それに道はカーブばかりで、カーブごとに地蔵がおいてある。それも、何体も。たとえようのない恐怖におそわれたのは、カーブを曲がっていくときにふと目にとまった、首のない地蔵を見たとき。このときの恐怖は、わかっていただけるでしょうか。もう、あえて書くまでもないでしょう。ほんとに、こわかったです。有名らしいですが、知っていたら心の準備はできていたはずです。今思い出すだけでも、ぞっとします。

んで、恐山への道の終わりは、バス停がありました。もちろん、時刻表やイスがあるふつうの(?)バス停です。でも、誰一人として待っている人はいませんでした。人っ子一人としていませんでした。ただ、そこにいたのは僕一人でした。車を止めて、降りてあたりを探索し始めました。横には湖でしょうか。きれいな澄んだ湖だったと思います。でも、流れている水を見ると、どうやら温泉のようでした。硫黄のにおいがあたりに立ちこめていました。あいかわらす空は鉛色で、重苦しくどんよりしていましたが、その場の静寂さに、何か神聖なものを感じました。心に恐怖は残っていましたが、だいぶ落ち着いていました。そこで、その場を去って、ちょっと足を別の方向へのばしてみようと思いました。そして、車に乗って、違う道を走り始めました。

それは川沿いの道でした。とてもきれいな、そして細い川だけど、なにかとても心が感じるところのある川でした。(旅行会社の友人によると、ここが賽の河原で、三途の川だったそうです。)やっぱり、ここでも車を止めて、しばらくの間、眺めていました。そこは、あのバス停から数百メートルも走っていないのに、なぜか太陽がさしていて、とてもきれいな景色だったんです。何とも不思議な感覚でした。

けど、もっと記憶に残っていることがあります。ちょうど恐山の裏側にある温泉なんですが、名前は思い出せないのですが、ものすごく記憶に残っている温泉があります。今まで、あちこちの温泉に入ってきた僕ですが、これほどすばらしい温泉はないと思う温泉に出会いました。おそらく、今思うと、僕個人的な趣味だと思いますが、(こった温泉はあまり好きではない。自然な温泉が好き)、ほんとにすばらしい温泉でした。20畳くらいの檜(ひのき)風呂の温泉に、お昼だったので、お客は僕一人。なみなみと温泉の湯がたたえられ、温泉が湯船から惜しげもなくずっと流れ出していました。窓からは、木洩れ日が差し込み、とっても気持ちがよかったのです。陽を浴びながらの温泉もいいものです。僕が入ったのは、ただ、ふつうの檜風呂の温泉でした。でも、すばらしく気持ちがよかったのです。なぜ、恐山のようなおそろしい山の裏側に、こんな温泉があるのだろうか、不思議なものです。はっきりいって、大型旅館などのような、こった温泉や、岩風呂などは全くなかった。でも、20畳くらいの湯船に、たった一人で浸かっている気分は、想像できるでしょうか。たとえるなら、映画タイタニックのワンシーンで、ディカプリオが船の先で叫んだ「I'm king of the world!(世界は俺のものだ!)」と同じ気分でしょうか。ちょっと、表現がハズれていますが、でも、あの開放感は忘れられないものです。

温泉で思い出したけれども、スキーと温泉は、切っても切れない関係にあります。このスキーと温泉に関しては、いずれ、また別に機会にエッセイに書こうと思っています。もう、ものすごく幸せな気分になることばっかりですから。いっぱいそんな経験があります。ちょっと話がそれました。

けれど、一人旅って、けっこう孤独の陰がつきまといます。学生なら怪しまれないのですが、社会人になると怪しまれます。昔は、旅行中に、有名な宗教団体のための検問によく引っかかりました。車のキャンプ道具の中も調べられたりもしました。そりゃ、大阪ナンバーの車が地方をふらふらしていたら、怪しまれるのも仕方ないでしょう。二人で旅行なら、別にどうってことはない場合でも、一人だと警戒されたりもします。こっちも、慣れたもので相手の気持ちを察した、さわやかな行動を心がけます。でも、そこまでするのはやっぱり寂しいことです。

でも、一人旅は、将来自分を振り返るときに、とってもいい経験になります。
はじめに断っておきますが、
自分を変えるために一人旅にでるっていうのは、あんまり意味がないと思います。
そんな下心というか、一人旅に逃げるっていう感覚では、あまりいい一人旅にはなりません。
でも、
あるがままの心で、自分と長い間見つめ合いながら一人でいるっていう時間は、とても大切です。
旅行で変わるにせよ、変わらないにせよ、自分を磨くための時間としては、とてもいい時間だと思います。
別に、車じゃなくても、電車でも自転車でもいいんです。二泊以上じゃないとだめだとか、そんなこともありません。
何にもとらわれる必要はないんです。一人旅は。
街に一人でぶらぶらする感覚と、あまり関係ないというのは極論かもしれませんが、僕はよく似ているような気がします。
やっぱり、一人でいる時間っていうのは、本当に大切なんだと思います。
一人でゲームセンターにいるのとは違いますよ。
自分と向き合う時間、自分と語り合う時間、その時間を持てるか持てないかとでは、自分の精神的な面で、全く違ってきます。
この精神面っていうのは、目に見えないもので、資格や肩書きと違って、無意味なように思えますが、人間に生まれてきて、人間として行動するために、これ以上に大切なものはありません。
この部分さえきちんとしていれば、
人は自分を頼って生きてゆけるようにもなれるのでしょう。
結局は、
人生そのものが一人旅なんですね
できれば、時間のとれない社会人の人ほど、一人旅は必要なんじゃないかと思います

一人旅に関する出来事は、もう、数え切れないほどありすぎて、一度には書ききることができません。大学時代には、ほんとにたくさんの想い出を作りました。たくさんの友人たちと、そして、ひとりぼっちの旅行で。
心の奥底を探せば、たくさんの想いでのシーンが、ワンカットずつでてくるようで、とても懐かしく思えてきます。旅行っていうのは、ほんとにいいものですよね。僕が初めて車を買うときは、やっぱり旅行に行くことを考えて、ワゴンにしました。寝泊まりができるのが最大の魅力です。(いつでも寝れる。宿泊無料!)もう、最大限に重宝しています。3年で6万キロ走りました。でも、このごろは、スキーのために長距離を走るくらいで、あまり遠出をする機会が少なくなりました。けど、まだまだ旅にあこがれる気持ちは人一倍です。読んでくださったみなさんも、ぜひ、旅をしましょう!できれば、一人旅ですね。

 

 

旅行、いいですね。これを書きあげたあと、僕も、また行きたくなってきました。
昔は、家族全員で、よく旅行には出かけました。
僕が旅行好きなのは、両親、特に母親の影響を強く受けていたのかもしれません。
僕が小さかった頃、母はよく遊びにつれていってくれました。
あちこちと、記憶にあふれてくるほど、遊びにつれていってくれました。
僕が社会にでてからは、時々、僕の車で母たちとあちこち行きました。
母がいなくなった今、もう、その恩返しの旅行に行けなくなったのは残念です。
この世に産んでくれた感謝の気持ちと、万感の思いを込めて、母にこのエッセイを捧げたいです