解説

「人は生まれてきたときは自由である。それなのに、あらゆるところで鎖につながれている。自分こそが主人だと思っている人も実は奴隷であることに変わりはない」


18世紀フランス最大の啓蒙思想家ジャン・ジャック・ルソー
が「社会契約論」で 多くの人は「奴隷」である。と・・・具体的には「お金の奴隷」という事を指しています。

人は、生まれてきた時、お金の事を考える必要がありません。
しかしたいていの場合は、成長するにしたがってお金というものの価値を知り、お金によって行動範囲や時間を制限され縛られながら、生活していくようになります。例えば、何時に会社へ・・・残業が・・・つきあいが・・・デートが・・・給料日までまだ何日もある・・・出世のために・・・生活のために・・・教育のために・・・海外勤務に・・・etc。「ものを買う」などのようにお金を直接意識できるものから、「人づきあいや愛情、夢」など、お金をあまり意識しない行動まで、どのような形であるにしろ私達は社会の中で、好む好まざるに関わらず根本的なところでは絶対に「お金」というものと関わって生きていくことになります。

「あらゆる鎖に繋がれている」とは、一般的な人たちにはみんな当てはまると思いますが、「行動と時間」を、「お金という鎖」に繋がれ制限されて生活しているといえます。ルソーは、この状態に満足している人のことを、
「自分こそが主人だと思っている人も、実は奴隷であることに変わりはない。」のだと表現しています。

そして、お金のための「行動と時間」に追われていくうちに、それが当然のことのように思うようになります。そのことが習慣づき毎日を過ごしていると、そのこと自体に疑うこともなくなり、ごく普通のことになってしまいます。その状態が、「彼らの鎖から逃れたいという欲求までも失ってしまう」という事を意味します。

具体的には、フリーターなど、行動するための「時間の自由」があっても、「金銭的な自由」がなければ、金銭的なことで行動範囲も制限されるはずなので、本当の自由とはいえません。逆に、商店主や自営業者など、金銭的には比較的自由だけれども、「時間の自由」がないとすれば、これも本当の自由を手にしているとはいえないのだと思います。時間かお金のどちらかの自由があれば、一見、自由を手にしているように錯覚してしまいがちですが、「実は奴隷である事に変わりはない」のだとルソーは断言しています。自覚、無自覚にかかわらず、これが真実であり、まやかしのない現実なのだと言えるでしょう。すなわち、「お金と時間」の両方の自由が「本当の自由」を手にしているのだといえます。

ただ、お金と時間が有れば、自由か・・・?
幸せか・・・と、言われる方も居るでしょう。

私も、これが絶対的価値観だと言うつもりは毛頭ございません。
お金と時間が有っても、その使い道や仲間が居なければただの自己満足ですし、
幸せ・・・と言う事を考えれば、他に必要な条件も出てくるでしょう。

ただ、現代社会においては、お金は切っても切れないものと言う事も否定しがたい事実なのです。

「自由とは好き勝手ではなく、自分で決めて行動できる」


と、言う事です。


「本当の自由=お金と時間の自由」


現実に「お金と時間の自由」を手にしているのは、会社のオーナーやビルのオーナー、投資家など、
知的労働による不労所得を得ている人達が、当てはまるといえます。

すなわち、
「お金と時間   「知的労働による   
    の自由」=    不労所得」=「本当の自由」

ということがいえます。


        
「本当の自由」への道
現状に満足