
「旦那さまがお帰りになりました」
パトリックが屋敷に帰ってきたのは、翌日の夜遅くになってからのことだった。明日の朝、一番の便でアプリリウスへ戻らなければならなかったアスランは、執事の言葉にほっと息を吐く。
なんとか自分が居るうちにキラと父とを引き合わせることが出来そうだった。
「父上」
本館の二階にある当主の部屋。
分厚い扉をノックするが返事はない。
「…ん?」
もう一度、二度、ノックすると…しばらくして不機嫌そうな声がかえってきた。
「…なんだ?」
その声は、甘いアスランのテノールとは似ても似つかなくて…キラはごくりと唾を飲み込む。
「かあさま?」
さきほどからうとうととしているアレックスは、キラの腕に抱かれている。いくら幼い子供には眠い時間とは言え、こういうのは最初の挨拶が肝心だ。同席させないわけにはいかない、とキラは考えたのだった。
「今から、おじいさまにご挨拶するからね。いい子にしようね?」
「…うん」
目をこすりながらアレックスは頷く。
「失礼します」
扉をがちゃりとあけると…堂々とした体躯の老紳士はナイトガウン姿でパイプをふかしていた。
「…こんな夜更けに何の用だ。アスラン」
「申し訳ありません。今日は…ご挨拶に参りました」
息子の後に続いて入ってきたキラの姿を認めた瞬間、パトリックの眉が釣りあがる。
キラはといえば…まっすぐパトリックの顔を見ることが出来なかった。
「地球から来たナチュラルなんぞに逢う必要はない」
ばっさりとそう切り捨てられ、更に視線が下へと落ちる。
「父上!キラは俺たちと同じコーディネイターです!」
「煩い!華街に棲む下賎なナチュラルどもに育てられたのだろう?ならば変わりないではないか」
父の侮蔑するような言葉に、それまで穏やかだったアスランの声色が変わる。
「止めてください。手紙にも書いたでしょう?キラは…かつてのオーブ国王、ウズミ・ナラ・アスハの子供…。オーブの王族です」
「アスラン!それは…」
はっとしたようにキラは夫を見上げる。確かに、キラはウズミの子供であるがそれはオーブの公式記録には残っていない。だから、どうか内密にしていて欲しいと望んだが、どうやらアスランはそのことをパトリックに包み隠さずに話していたようだった。
「ごめん。キラ。父上にはきちんと話をしておかなければいけないと思って」
約束を破ったことをアスランは真摯に詫びた。
「ウズミ・ナラ・アスハか…。己のプライドのために、国を滅ぼしたおろかな男」
くつりとパトリックは笑う。
その言葉にキラの心がひやりと冷える。
―――そうだ。祖国はザフトに滅ぼされた。この男はアスランの父でもあるが、父の仇でもあるのだ。
俯いたまま、キラはぎゅっと手を握り締めて叫びだしたいのを我慢する。
「華街育ちの亡国の王女がザラ家に嫁いできたというのか?おまえは…内側からプラントを食いつぶすつもりか?魔女め」
「父上!そういう言い方はおやめください!キラは、たったひとりで俺の子供を育ててくれたんですよ?」
「子供…ね」
ちらりと、パトリックは俯いたままぎゅっと我が子を抱きしめるキラを見つめる。いつの間にか、アレックスは眠ってしまっていたようだった。キラの胸に顔を埋めるようにして抱かれているので、パトリックから孫の顔は見えない。しかし、少し癖のある紺色の紙は自分の息子とまったく同じ色合いで…確かな血のつながりを感じさせた。
「やっと家族三人で暮らせるようになったんです!なのにどうしてそんなことをおっしゃるんですか!」
「アスラン。やめて」
僕たちのことで、実のお父さまと喧嘩なんてしないで。キラはそう小さな声で言った。
パトリックは、アスランと先妻ラクスの結婚をお膳立てした人物だ。当然、彼女をこの屋敷から追い出して後釜に納まったキラのことを快くは思っていないだろう。最初からそう想っていたが、パトリックの反応は予想以上で…キラは痛む胸を押える。
「だが、キラ…」
「…おねがい。喧嘩なんてしないで」
「……」
キラの言葉に、押し黙ってしまったアスランを見て、パトリックは哂う。
「…まぁ、よかろう」
ようやく穏やかな声色をうかべた父に、アスランは少しだけ空気を軟化させる。が、次の言葉で再び場の空気が凍りつく。
「その子はザラ家の子供として認めてやろう。だが、この家におまえの入る余地などない。子供を置いて出ていけ」
「…!…」
「…父上!」
キラはぎゅっと幼い子供の躯を抱きしめる。
アスランとパトリックには喧嘩なんてしないで欲しい。けれど…パトリックの提示した条件を呑んで、まだ幼いこの子ひとりを置いて行くことなどできるだろうか。
さすがに顔色を失ったまま、何も告げることの出来ないキラを一瞥すると、パトリックは鼻を鳴らす。
「喋れないのか?」
「…わたしさえ居なくなれば…よいのですか?」
震える声でキラはそう告げた。
「キラっ!それは俺が赦さない!ならば…俺もこの家を出ます。ザラ家の名前に未練はありません」
きっぱりとアスランは言った。その言葉に逆にキラは青ざめる。
「アスラン!そんなこと…駄目!」
ザラ家をいつか自分が継ぐのだと、そして父の後を継いでこのプラントを治めるのだと…そう想ってきた。けれど、自分しか頼る人のいないキラを犠牲にしてまでつかみたい未来ではない。
「いや。いいんだ、キラ」
ふっと微笑んだ
「ほぅ?この家を捨てるとか?ザラの名前も…今の地位もすべて」
「はい。捨ててもかまいません」
「…おまえは本当に…この愚か者!」
つかつかと歩み寄ったパトリックは、アスランの頬を殴った。
「…っ…!」
かろうじてそれを受け止めたアスランだったが、さすがに自分より上背もあり力のある父の渾身の一撃にふらつく。
「アスラン!」
キラがあげた悲鳴と、ふたりの口論する声に気づいたのだろう。主が眠るまでは、と、隣室で待機していた執事があわてて飛び出してくる。
「旦那様!アスラン様!」
「残念だったな。いかに愚か者とはいえ、私の息子はおまえひとり。おまえが私の跡を継がねば…誰が継ぐというのだ」
「俺の知ったことではありません!」
「おまえは逃げるのか?この家名からも。プラントを治める重圧からも」
「何だと…?俺は逃げるつもりなんてない!」
「もうおやめください!ふたりとも!」
アスランとパトリックの間にランバートが飛び込む。
「…フン。しばらく本宅には戻らん。おまえたちと顔をあわせて不快な想いをするのは嫌だからな」
「父上!」
ばさりとナイトガウンを脱ぎ落とすと、パトリックは床に視線を落としたままのキラの隣を通り抜け、部屋を出てゆく。
「父上!まだ話は終っていません!」
「おまえにもう話などない。ランバート」
「はい、旦那様…!」
「ザラ家のシャトルを用意させろ」
「は…今すぐ、でございますか?」
ちらりと時計を見る。もちろん、真夜中だ。シャトルのパイロットも自宅へ帰っていることだろう。しかし、パトリックはことなげに言った。
「もちろんだ」
「どちらにおでましでございますか?」
口を開きかけたパトリックは…ちらりと後ろを振り返る。
そこには、怖い顔をして仁王立ちになっている息子と、その後ろに項垂れるように幼子を抱いたその妻が立っていた。
「…どこでもいいだろう!五分後だ!すぐに準備にとりかかれ!」
「はい。かしこまりました」
そう言って、もう振り返ることなくふたりに背を向けて廊下を行ってしまった。
その後姿が見えなくなってから、アスランはふう、と大きな溜息をひとつ吐く。
「…ごめん、キラ」
自分の後ろでアレックスをぎゅっと抱きしめているキラをアスランは振り返った。
「…ううん。僕こそ…ごめんなさい」
「どうして謝るんだ?キラは何も悪いことなんてしてないだろう?」
そう言って、アレックスごと抱き寄せると…キラの肩は細く震えていた。
「僕…やっぱり、地球で待っていればよかったね」
「…キラ…」
キラは嫌がったが、無理矢理、顔をあげさせると、そのアメジストを透明な涙が飾っていた。はらはらと、声もあげずにただ涙している大切な人をアスランは抱き寄せる。
「…泣かせてすまない。けれど…それじゃ、俺が我慢できない。キラに辛い思いをさせることが分かっていたけど…プラントに一緒に来て欲しかったんだ。今度こそ、家族三人で一緒に過ごしたかった」
「…うん」
涙はまだ止まらない。頬を伝う涙を唇で拭い、アスランはキラを強く抱きしめる。
「父のことは、俺が説得するよ。だから…もう少しだけ我慢してくれるか?」
「…あなたが居てくれれば…僕は大丈夫だから」
そう言って、まだ涙の残る顔でキラは微笑む。
「…愛してるよ。キラだけだ」
そう言って、アスランは再び愛妻に口づける。
「…うーん」
その時、キラの腕に抱かれ、丁度アスランとキラの間に挟まれているアレックスが小さくむずがる。ふたりとも、その声にあわてて視線を落とし…顔を見合わせて微笑む。それまでささくれだっていた心が、幼い子供の顔を見ることでやわらいでいく。
「アレクを寝かしてくるか」
「うん。あとはマリューにお願いするよ」
「そうだな」
明日、アスランはアプリリウスへ戻ってしまう。そうすれば、しばらくはひとりで眠らなければならない。ならば…最後の夜、ぬくもりを分かち合いたい。ふたりともそう思っていた。
** Comment **
蝶々夫人Wパロ『蝶々の夢』続編です。
前回、あまりにアスランさんが不評だったのが忍びなく・・・リベンジをはかるために続編を発行いたしました。
というわけで、今回、憎まれ役になったのがパトリックです。でも・・・基本属性として、孫と嫁に弱いパトリックが好きなあたしが・・・そのまま終わるわけはありません。
最後は今度こそ、本当に本当のHappy Endですv
2008.Aug
綺阿。
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