昔、昔・・・。
宝石の名前を戴く『オーブ』という名の王国がありました。
国を統治するのは、賢帝の誉れ高いウズミ王。民に厚く、徳の高い王を、国民は皆、誇りに思っていました。
海に囲まれた島国であるオーブは、海運の中継地点として古来から栄えた国でした。
首都『カグヤ』は貿易都市として名高く、世界のあちこちから運ばれた美しい織物や豪華な宝飾品、珍しい食材など色々なものでうめつくされていました。


平和で豊かな国。
そして隣には美しく聡明な王妃。
しかし、幸せな王には、ただひとつだけ悩みがありました。


それは・・・この国の次代を担う王子と王女のことでした。


ふたりは、同じ日にこの世に生を受けた、とても仲のよい双子でした。
双子は凶兆のしるしという口さがない者も居たため、ふたりのことは成年になるまで非公式にされていました。
しかし、時折、オーブを預かる将軍、レドニル・キサカの両脇にぶら下がるようにして、城下をものめずらしそうに訪れる面差しのよく似たふたりの子供を目にした国民たちは、あれこそオーブの獅子、ウズミ・ナラ・アスハ王の双子だと影で囁いていたといいます。

光の神に愛された、黄金色の髪と琥珀に輝く瞳を持つ兄王子。
父王に似て、幼い頃から剣豪として知られる彼は、騎士団の団員すら打ち負かすほど武芸に秀でていました。
そして・・・大地と豊穣の女神に愛された、亜麻色の髪とすみれ色の瞳を持つ妹姫。
母王妃に似て、心優しい姫は城内の者からも愛されていました。
せっかちな兄王子と、おっとりした妹姫。
性格も、好きなこともまるで似ていないふたりでしたが、兄妹の仲はとてもよく、時にはお目付け役のキサカを巻いて、とんでもないことをしでかすことがあるほどでした。
そのうち、兄王子は、父王を超える名君に。
妹姫は、近隣の国の王子たちを騒がせる美姫になるであろうと。
そんな風に、民たちは噂していました。


「・・・ねぇ、カガリ。いいかげんにして」
王宮の一室。堅牢な石づくりの部屋には、上質な敷物がしかれている。
そこに腕組みをして仁王立ちになった美少女が、手にした剣をふりまわす少年をにらみつけていた。
「僕ら、もう十六歳になるんだよ?いいかげん、誤魔化すのも限界だと思うんだけど・・・」
キラはため息をつく。
しかし、そんな様子はまったく目に入っていないらしいカガリはあっさりと言った。
「キラはそんじょそこらの貴族の姫君よりもかわいいから大丈夫だ!私が保証する!」
「いや・・・そんなこと言われても全然嬉しくないから」
再び、小さくキラは嘆息すると・・・壁にかけられている大きな鏡をちらりと見つめる。
そこには、淡いグリーンのドレスに身を包んだ美少女が仏頂面で立っていた。
透かし模様を織り込んだ異国の織物で仕立てられたドレスは、体の細いキラにとてもよく似合っている。
満足そうにカガリはそれを見つめる。
「・・・『とりかえばや』もいいかげんにして」
「今回だけだって!な!頼むよ!フラガ将軍が手合わせをしてくれる機会なんて、滅多にないんだ!」
カガリが口にした相手は、ムウ・ラ・フラガ。このオーブの騎士団を預かる将軍のひとりだ。
その剣の腕前は、筆頭将軍であるキサカをも凌ぐといわれているが、彼が人前で手合わせする機会はほとんどない。
今日、騎士団の練習場で行われる公開試合。
カガリはそれにもぐりこみ、フラガと手合わせしたい!と、鼻息も荒く宣言した。
しかし、生憎その時間、カガリには別の予定が入っている。
その代理をキラにお願いしたい、と泣きついてきたのだ。
本来、カガリのために用意されたドレスを纏うハメになり、キラは小さく溜息をつく。
「・・・これだから、みんな、僕が姫でカガリが王子だって、まちがえちゃうんだよ!」
かんしゃく玉を破裂させ、キラは叫んだ。


―――そう。
賢王、ウズミ・ナラ・アスハの唯一にして最大の悩み。
それは・・・王子と王女が、まるで性別を間違えてきたかのように生まれてきてしまったからなのだ。


姉姫カガリは、お人形遊びよりも剣術が大好き。
弟王子キラは、遠乗りよりも城内で歌を詠んだり音楽を奏でるのが好きだ。
もともと、二卵性の双子でどっちがどっちだが分かりにくかったせいもあるし、ふたりが成人するまでの間は性別を公にしないようにとの王家の掟が定められていたせいもある。
そのせいで・・・いつの間にか、国民たちはカガリを兄王子、キラを妹姫だと勘違いしてしまったのだ。


「まぁ、そう怒るなよー」
ぽんぽん、とカガリはキラの肩を叩く。
「お詫びに、いいこと教えてやるから」
「・・・何?」
むっとしたままの弟王子の耳に、姉姫はくちびるを寄せる。
「今日、アーガイル家の商船が出航するんだ。それにのっけてもらうよう、サイに頼んでる」
キラはすみれ色の瞳を大きく見開く。
海に囲まれた島国オーブ。
国を取り巻く海は、キラにとってもカガリにとっても、毎日見ている風景の中に当たり前にあるものだ。
しかし、彼らは王宮から出ることを禁じられているため、この歳になるまで船というものに乗ったことがない。
何度か父王にせがんだのだが、ダメだとの一点張りだったのだ。
そのため姉弟は、内緒で貿易船に潜り込む計画をたてていた。
王家に縁のある貿易商、アーガイル家。
カガリやキラよりもひとつ年上のサイは、アーガイル家の跡取り息子だ。
幼い頃から、父と共に貿易船に乗り、何度も異国へ旅をしているサイの話を聞くことは、王宮から出ることの出来ないカガリとキラの楽しみでもあった。
そのサイを拝み倒し、カガリは船に乗せてもらう約束を取り付けたのだという。
「今日、キラが言うことをきいてくれたら・・・キラも一緒に連れていってやるぞ!」
「・・・本当?」
キラの瞳が輝く。
大きな砂丘を旅する駱駝のキャラバンや、どこまでも平らな風景の続く平原。
話の中でしか聞いたことのない、まだ見ぬ景色にキラの胸は躍る。
「ああ。本当だ。だから・・・内緒で旅の準備をしていてくれないか?」
「もう!カガリはいつも面倒なことを僕におしつけるんだから!」
さきほどまでの笑顔を一転。キラは頬をふくらませる。
「私が用意しても、結局、後で荷物を全部放り出してもう一度、いちから詰め直すのはキラだろう?」
「だって・・・カガリがつめると、要らないものばかり入ってるんだもん!」
何時だったか、キサカの目を盗んで城の外へ抜け出した時も・・・カガリが鞄につめていたのは、およそ役に立ちそうもないがらくたばかりだった。
「そういうわけで、準備を頼むな!」
姉姫は旅の準備を弟におしつけると、さっさと練習場へ行ってしまった。
「カガリ!・・・もう!」
キラは腕組みをするが、仕方がない。
「・・・異国か・・・。どこに向かう船なんだろう?」
キラは机の上に地図を広げる。
今まで名前を辿ることしかできなかった国々を自分の目で見ることが出来るのだ。
「・・・お父様、怒るかなぁ」
自分たち双子が国の外へ出ることを禁じてきた父、ウズミ。
父の心配も分からない訳ではないが、過保護だとキラは思う。
「でも・・・僕だってもう十六歳なんだから。ひとりでも大丈夫だよ!」
それに、カガリも居る。
ふたりで居れば、きっと大丈夫。
これまでにも、お目付け役のキサカを巻いて、散々、王宮の外で遊んでいたふたりだ。
異国への憧れや、好奇心の方が勝っていた。
「この国のためにも、いろんな世界を知らなくちゃ」
自分とカガリは、いつか父に代わり、この国を治めることになるだろう。
そのためには、自国のことだけではなく、他国のことも知らなければならない。
王子としての責任感がキラの中に確かに芽生えていた。


いつも使っている秘密の抜け道から王宮を抜け出した姉弟は、待ち合わせをしていた港へと向う。
大きな港には、いくつもの帆船が真っ白な帆をはためかせている。
これに風を受けて大海原を走ることは、どれだけ気持ちがいいだろう。
キラは瞳を輝かせる。
「カガリ、キラ」
「サイ!」
幼馴染の姿を認め、ふたりの声は弾む。
しーっと、唇に手を当てたサイは、あわててふたりを手招きする。
「こら。目立つだろう?船が出るまでは、ちゃんとフードをかぶって!」
「えー。だって、暑いんだもん」
「少しくらい我慢しろ!」
ふたりが纏っているのは、街の子供たちが着ているような簡素なコートだ。背中に落ちているフードを、サイはふたりに被せる。
「キサカ将軍に見つかったら、すぐに連れ戻されるぞ!」
褐色の肌の屈強な男は、生まれおちてからずっと双子を見守ってきたお目付け役だ。
おそらく、見つかったら大目玉ではすまない。
ふたりは顔を見合わせると、フードを目深に被りなおした。


船が港を出たのは夕刻だった。
オレンジ色に海を染めながら、ゆっくりと沈んでいく夕陽。
白亜の王宮や、城下の街がだんだん小さくなってゆく。
ふたりはそんな景色を、舟べりに並んでじっと見つめていた。
考えてみると、二人とも国から出るのは初めての経験だ。
多少センチメンタルな感傷を覚えても無理はなかった。
「・・・ねえ、カガリ」
キラは隣に居る姉に身を寄せる。
「何だ?」
「海って・・・本当に大きくて、僕らはちっぽけだね」
「そうだな」
「広い王宮も・・・此処から見るとあんなに小さく見えるんだね」
「・・・そうだな」
今まで、自分が信じてきた常識が覆される。
それはふたりにとって、本当に大きな変革だった。


船が沖へ出ると、当然、波は高くなる。
カガリは軽い船酔いにあってしまったらしい。
ぐったりとして元気のないカガリにキラは付き添っていた。
サイが準備してくれた船室には寝台がひとつしかない。
ひさしぶりに、双子はひとつの寝台に横になった。
「なんだか、小さい頃みたいだね」
くすりとキラは笑う。
「そうだな。キサカもマーナも煩いからなぁ」
『キラ様は男の子でカガリ様は女の子なんですから、同じ部屋で眠るのはダメです!』
十歳の誕生日を迎えた日、乳母のマーナはそう言ってキラとカガリの部屋を別々にしてしまった。
それまで、ほぼ一日を一緒に過ごしてきたふたりは、この時、はじめて自分たちの性別が違うということに思いあたったのだった。
「・・・わ!」
急に、大きな振動で船が揺れたかと思うと、不意に大きな声が聞こえる。
「・・・何だ?」
まだ、あまり具合がよくないのだろう。
普段だったら飛び起きているカガリは、上体を起こしただけだ。
代わりに起き上がって、丸い窓から外を見たキラは・・・瞳を大きく見開く。
そこには・・・黒い髑髏を染め抜いた旗を翻えらせた黒い船が見えていたのだ。
「・・・海賊船?」
いつの間にか、キラの隣に来ていたカガリも顔色を失っている。
近頃、オーブの近海に商船を襲う海賊船が出没しているという噂は王宮にも届いていた。
しかし、まさか自分たちが乗る船が襲われるとは・・・カガリもキラも露ほども疑っていなかったのだ。
「キラ!カガリ!」
キャビンに駆け込んできたのはサイだ。
「大変なんだ!海賊船に襲われてる。クルーたちは応戦してるけど・・・どれだけ持ちこたえられるかは解からない。君たちだけでも逃がせと、父上が!」
「・・・サイ」
事の重大性はふたりにもよく理解できた。
今ほど、いつもうるさいくらいに自分たちの周りをつきまとうお目付け役のキサカが居ないことを悔やんだことはない。
オーブ騎士団筆頭将軍である彼ならば、海賊相手にも大立ち回りを演じることが出来ただろう。
しかし、今、彼は此処には居ない。自分たちだけで、何とかこの窮地を切り抜けなければならなかった。
こくりと頷いたふたりを連れ、サイは船尾へと向う。
そこには、小さな救命ボートがあるはずだった。
小さな小船でこの大海原へ出るのは心もとないが、此処にとどまるよりはマシだろう。
「どうやら、王族が乗ってるらしいぞ!」
海賊たちの下卑びた声が聞こえたのは、暗がりで彼らをやり過ごそうと隠れている時だった。
「王子と王女だそうだ。捕まえた奴には褒美を出すと、お頭が!」
ひゅう、と口笛が聞こえる。
海賊たちの言葉に、カガリとキラは言葉を失う。
「・・・ち。マズいな」
隣のサイの顔色も冴えない。
まさか、王族が乗っていることを知っていて、この船を襲った訳ではなかろうが、自分たちのせいで迷惑がかかっているのは確実だった。
「カガリはこっちに着替えて!」
「・・・キラ?」
自分の上着を脱ぐと、キラはカガリに渡す。
さきほどまで気分が悪いと横になっていた彼女は、夜着の上にガウンを羽織っただけだ。一目で女の子だとわかってしまう。
怪訝そうな顔でそれを見つめる姉姫にキラは言った。
「・・・女の子が海賊に捕まったりなんてしたら・・・どうなるか・・・分かるでしょ?」
相手は海賊。食料や宝石を奪い、略奪した金品を転売し、金を儲ける輩なのだ。
彼らにとって、年頃の美人な娘はまたとない商品だ。
いや、売られるだけならまだいい。
最悪・・・犯される場合だってある。
自分の大事な姉をそんな目に合わせる訳にはいかなかった。
「・・・サイ。カガリをお願い」
キラは部屋にあった衣装箱から適当なドレスをみつくろうと、それを手に取った。
「キラ?おまえ・・・どうする・・・」
「僕がカガリの代わりになって時間を稼ぐよ。だから・・・サイとカガリはその間に逃げて」
「キラ!バカなことはよせ!そんなことをしたら、おまえの身が危ない!」
怒り出したのはカガリだけではない。
幼馴染のサイも、キラの身を案じた。
「じゃあ・・・他に何かいい方法ある?」
しかし、ばっさりとキラが切り捨てると、ふたりに他の妙案を思いつける訳もなかった。
「・・・僕、行くね」
淡い桜色のドレスを纏い、同じ色のヴェールを被ったキラは、笑みを浮かべる。
「キラ・・・どうか・・・気をつけてくれ」
「うん。カガリも気をつけて」
姉姫の手をぎゅっと握り締めると、カガリもそれを握り返す。
しばらく見詰め合っていると、カガリが不意に手を離して自分の首から提げている首飾りをキラの首にかける。
「ハウメアのお守り石だ。どうか・・・キラを護ってくれますように」
「・・・ありがとう」
キラは姉の好意を受取った。


部屋を出たキラは、暗がりを選んで廊下を船首の方へと進む。
それは、船尾へ向うサイとカガリの進路からは逆の方向だった。
「誰か居るぞ!女!若い女だ!」
「ひょっとして・・・オーブの姫か?捕まえろ!」
幼い頃から、活発なカガリと遊んでいたおかげで、かくれんぼや鬼ごっこは得意だ。
持ち前のすばしっこさも手伝って、キラはしばらくの間、海賊たちを翻弄し続けた。
「・・・こいつ・・・!大人しくしろ!」
「・・・待てといわれて待つバカは居ないでしょ」
そう呟きながら、キラは逃げる。
しかし・・・船の中では、移動できる範囲が限られる。
甲板に出たキラは、船の舳先へと追い詰められた。
背中のむこうは、夜の海だ。
もう逃げ場はない。
「姫君。落ちたくなければ、こちらに来るんだな」
伸ばしてきた男の手を振り払うと、キラは懐に忍ばせていた小刀を男に向けた。
刃が月光を受け、白く輝く。
「近寄らないで!」
「姫様、危ないものはこっちに渡してください」
へへ、と笑うと、海賊はじりじりとキラに近寄ってくる。
キラは男を睨みつけたまま、自分の白い喉元へ小刀を突きつけた。
「近寄れば・・・死にます!」
その脅しは、男たちには効果的だったらしい。
じり、と、男たちは後ずさった。

―――この調子で、時間を稼げば・・・逃げられるかもしれない。

一瞬、気を抜いた刹那、キラは手首に痛みを感じる。
「・・・ッ!」
「こんなもの、姫君の手には似合いませんよ」
不意に、背後に感じる人の気配。
はっと我に返り、振り返ったキラは、躯を拘束されていた。
「・・・!・・・」
瞳に飛び込んできたのは、鮮烈な翠。
美しい一対のエメラルドがキラを覗き込んでいた。
呆然としたままのキラの足元に膝を折った青年は、にっこりと微笑んで、まるでダンスの申し込みをするかのように優雅に自分の手を取って口付けた。
濃密な夜のような漆黒の髪。
彩度の高い、エメラルドの瞳。
その青年に・・・キラは瞳を奪われた。
「・・・お頭!」
海賊たちは青年のことをそう呼んだ。
そこに居たのは、片手を失って義手をつけた醜い老人でも、頭の悪そうな図体のデカい大男でもなかった。
「・・・オーブの姫君。ブラック・パール号へようこそ」
街で噂になっていた海賊船の船長。
それは・・・貴族の師弟と称しても遜色ないほどの・・・キラと同じくらいの歳の好青年だった。



*Comment*

アスラン海賊vs王子キラ(話中では女装しているので姫かも・・・・)の『南洋の真珠』冒頭部分です。
なんだか、本当に設定萌ですみません・・・・。
表紙を描いてくださったあじさんに『綺阿さんの王子キラはいつも女装だね』といわれました。

が・・・がーん。
あたっているので何も言えない・・・。

お楽しみいただけると嬉しいです。

2007.Aug

綺阿。


©Kia - Gravity Free - 2007