
ザフトのナスカ級戦艦[ヴェサリウス]。
その船内にあるパイロット待機室で、ひとりの少年がモニターをじっと見つめていた。
彼が纏っているのは紅の軍服。
それは、ザフトの中でもエースクラスにしか与えられない誇り高い色だった。
彼はちらりと壁にかけられている時計を見る。
帰投予定時間はとっくの昔に過ぎているというのに、モビルスーツ・ハンガーは一箇所がぽっかりと空いたままだった。
戻ってこない同僚のことを想い、彼はもう何度目かになる溜息をついているのだった。
その時、不意にアラート音が鳴り響く。
『イージス、帰投します。ベイ解放、作業員は退避してください。繰り返します…』
切り替わったモニターに、紅のモビルスーツが映し出される。
その姿を認め、若草色の巻き毛の少年はぱっと身を翻す。床を蹴ると、低重力に保たれた戦艦の中では躯がふわりと宙に浮き上がる。彼は、まるで水の中を泳ぐかのように格納庫へと向かって行った。
「アスラン!」
格納庫の定位置に収まったイージスのハッチが開く。
そこから姿を現したパイロット・スーツ姿の同僚にニコルは抱きついた。
「おかえりなさい!」
フルフェイスのヘルメットが外されると、そこからは端正な顔が現れる。
まるで宇宙の色のような宵闇色の髪。少し癖のあるそれは、汗に湿っていた。すうっと通った鼻梁に、切れ長の翡翠の瞳。廊下を歩けばすれ違う女性という女性が全員振り返るような美貌の持ち主だ。
しかも、彼の優れた点は外見だけではない。入学以来、常に全教科トップを走り続けたニコルの代のアカデミー総代でもあるのだ。
プラント国防委員長、パトリック・ザラを父に持った眉目秀麗、文武両道のサラブレッド。それが、アスラン・ザラだった。
「随分遅いから心配しましたよ!連絡くらい入れてください」
「ああ…すまなかった」
硬い表情のまま愛機のコックピットから抜け出すと、彼は整備士に何か言伝を頼んでいた。
愛機と言っても、このイージスが彼の機体となってまだ一日しか経っていない。調整期間と呼んでも差し支えのない状態だった。
そんな状態なのに、彼は与えられた時間の倍以上の時間、ザフトが戦争を行なっている地球連合軍の戦艦やモビルスーツと遭遇しかねない危険なこの宙域を飛び回っていたのだ。
「…手がかり、掴めましたか?」
「…いや」
そう返事をするアスランはパイロット・スーツのシーリングを胸まで下ろし、格納庫の床を蹴ってパイロット待機室へと向かう。
アスランのヘルメットを抱いたニコルが後に続く。
「そうですか。…僕の方も全然…。ラスティたちも、ダメだったみたいです」
ニコルは表情を曇らせた。
「…そうか」
アスランとニコルがパイロット待機室に姿を見せると、既にヴェサリウスに帰還していた同僚、ラスティ・マッケンジー、ディアッカ・エルスマン、イザーク・ジュールが出迎えた。
「遅かったな、アスラン」
「おまえのこと心配したニコルがうろうろしていて、可哀想だったぜ」
同じ、エリートの証である紅の軍服を纏った三人は、ソファから立ち上がる。
「アスラン!貴様、今、何時だか分かっているのか!」
その中で唯一、アスランに噛み付いてきたのが、銀色のまっすぐな髪を肩のところで切りそろえたイザークだった。彼の気性は、その髪と同じで非常に裏表がなくまっすぐだ。
「うっかり時計を見るのを忘れていた」
しれっとそう言うと、アスランは掴みかかってきたイザークの手をやんわりと振り払う。
「貴様…!」
明らかに相手にされていないのが分かったのだろう。かっとなったイザークにアスランは小声で言った。
「…手がかりになりそうなものは何ひとつ見つからなかった。…すまない」
そう言うと、イザークの手から力が抜けるのが分かる。ちらりと視線を走らせると、彼は唇を引き結び、何かに耐えているかのようだった。
彼、イザーク・ジュールは失踪したキラ・ジュールの兄だ。
彼が、ひとつ年下の弟を溺愛していることは、アスランのみならず、他の面々も知るところだ。なかなか母艦に帰投しないアスランが何かキラの手がかりにつながるものを見つけたと思っていたのだろう。それが、期待外れに終ったことをアスランは詫びたのだった。
『…アスラン・ザラ』
その時、パイロット控え室に低い男の声が響く。
アスランだけでなく、その場に居たすべての人がその声にぴしりと背筋を正す。
その声の主は、ラウ・ル・クルーゼ。この戦艦[ヴェサリウス]を預かるクルーゼ隊隊長、その人だった。どうやら、アスランの帰還を知って、艦橋から待機室に通信を繋いできたようだ。
「…はい」
アスランは手近にあったモニターのコンソールを弄り、通信をブリッジへと繋ぐ。
そこには白い仮面で素顔を隠し、同じ色の軍服を纏ったプラチナ・ブロンドの男が映し出されていた。
『時間オーバーだ。此処は安全な宙域とは言えない。軽率な行動は慎みたまえ』
「…申し訳ありませんでした」
上官の言葉にアスランは黙って頭を下げる。確かに、命令違反と受け取られても仕方がなかった。
「クルーゼ隊長…!アスランは、キラ・ジュール隊長のことを…!」
同僚を庇うように、ニコルは助け舟を出す。
「…ニコル」
しかし、その言葉はアスラン自身に遮られる。
『…確かに、ヘリオポリス崩壊に巻き込まれ消息を絶ったキラ・ジュール隊長のことは私も残念に思う。しかし、彼自身があの計画の立案者だ。
任務の危険性は十分承知していた筈だし、モルゲンレーテの内部構造に一番詳しかったのも彼だ。おそらく…作戦の成功のために自分の身を犠牲にしたのだろう』
クルーゼは仮面の下に隠された瞳でモニター越しに映る部下の姿を見つめていた。
次代のザフトを…プラントを担う存在と言われている二世代目コーディネイターのエリート、アスラン・ザラ。彼の端正な顔には、何の表情も映されてはいなかった。
『ヘリオポリスの住民のほとんどはシェルターで脱出したという。その名簿の中に彼の名前はなかった。
この宙域を丸一日かけて捜索したにもかかわらず、遺体はもちろん、遺留品のひとつも見つからない』
「……」
隣に居るアスランが、血がにじみそうなくらいに強く掌を握り締めているのがニコルには分かった。
『…本国から帰還命令が出た。[ヴェサリウス]は今すぐプラントへ帰還する』
その言葉に、はっとアスランは顔を上げる。
「隊長…ちょっとお待ちください…!」
その時、アスランの背後に居たイザークが彼を押しのけるようにして、モニターの前に進み出る。
「まだ、キラの消息は全くつかめておりません!どうか、あと少しだけ…!」
『…イザーク。ジュール隊長の兄である君の気持ちは分かるが…これは、ザフト本営の決定だ。個人的な感情での反論は許されない』
クルーゼの言葉は、その願いを一刀両断するものだった。
『それに…本営には、君の母…エザリア・ジュール氏も居る。この決定は、彼女も了解済みのことだ』
「…母上が…!?まさか…」
イザークは愕然とした面持ちでクルーゼを見つめる。
彼の母でもあり、キラの母でもあるエザリアは、長年、政治家としてプラントの施政に尽くしてきた人だ。
公人としての彼女は常に冷静沈着で国の発展を第一に考える人だったが、私人としての彼女は家族を何よりも大切にし、ふたりの息子に対しても時おり親馬鹿な一面を見せるような人物だった。
溺愛のあまり、キラが十六になるまで自宅から一歩も出さなかったくらいだ。
その弟が行方不明になっているというのに、母が平然とヴェサリウスの撤退命令に頷くとは、イザークにはどうしても考えられなかった。
しかし、上官の言葉に疑念を抱く訳にはいかない。イザークは黙って俯くしかなかった。
「…お言葉ですが、ジュール隊長はザフトの次世代モビルスーツのOS開発を手がけた方です。私たちがヘリオポリスから強奪してきた五機のモビルスーツも、ジュール隊長がコーディネイターの反応速度に対応するような補正プログラムを組んでくれていたからこそ、即座に対応することが出来ました。彼の能力の損失は、今後のザフトに多大なる影響を与えるかと思われますが」
そう告げたアスランを、クルーゼは唇の端を上げて見つめる。
『ほぅ?ヘリオポリス潜入捜査を始めたばかりの頃は反目してばかりだと思っていたが…随分と、ジュール隊長と仲良くなったようだね』
「……」
その言葉に、アスランは上司を睨みつけた。
キラをリーダーとして、アスラン、ラスティの三人は、三ヶ月ほど前からヘリオポリスへの潜入捜査を行なっていた。当初、自分と同じ年齢でありながら白服を纏う上官であったキラに反目してばかりだったアスランは、ある日、彼からある契約をもちかけられる。
彼にプラントのホストへ侵入するためのパスワードを与える対価として、アスランはキラの躯を求めた。
最初は心の伴わない躯だけの関係だった。それが…変わってきたのは何時からだろう。
自慢ではないが、ひとりで夜の街に立っていれば、すぐに女の方から声をかけてくるアスランだ。それなりに場数は踏んでいる。しかし、今まで抱いてきたどんな女よりも、キラの躯はしっくりと馴染んだ。
自分の腕の中でだけ、日頃は怜悧な表情しか見せない彼が艶やかな嬌声を上げる。宝石のように美しいアメジストが、闇の中、鮮やかな色香を纏う。
…気づけば、本気になっていた。
地球連合軍が極秘開発を行なっているモビルスーツの情報を得るため、キラが大西洋連邦の高官を父に持つ少女、フレイ・アルスターの隣に立った時、アスランの心を占めたのは醜い嫉妬だった。その時…彼は、自分の本心にやっと気付いたのだ。
この任務が終わってしまえば、単独行動を主とするFAITHであるキラと同じ仕事をすることは二度とないだろう。これまで、彼が一度もマティウス・ワンから一歩も出たことがなかったことを思えば、もう二度と逢えなくなるのかもしれない。
そんなことは嫌だ。だから、あの存在をこの腕の中に閉じ込めてもう二度と離さないと…そう告げるつもりだった。
『…アスランは先に行って!』
あの日、硝煙のたなびくモルゲンレーテのハンガーで、彼はアスランにそう言った。
時折、どこかで何かが爆発する音が響き、銃を撃ち合う音が絶え間なく響く。
自軍と敵軍。その両方の兵士たちが銃声に倒れ、断末魔の悲鳴を上げながら生命を落としてゆく。
そんな戦場で、アスランの首に腕を回したキラは自分からそっとくちびるを重ねる。
瞳を見開いたままのアスランの視界。長い睫と薄く開かれた瞼の下に隠されていた深い紫苑が映る。
『ヴェサリウスで待っていて!すぐに戻る!』
そう言って、彼は背中を向けた。
けれど…彼は戻らなかった。
『我々は丸一日、彼のために時間を費やしたのだ。もうこれ以上は待てない』
G強奪作戦のため、ザフトが派遣した戦艦は二隻。この[ヴェサリウス]と僚艦の[ガモフ]だ。
帰還を待って欲しいと訴えたアスランとイザークの願いを聞き入れ、クルーゼはガモフだけを先に本国へ向かわせた。ヴェサリウスは高速船だ。後から追いかけても、途中で追いつける算段があったからだ。
しかし、これ以上遅れるとガモフの方が先に本国へ着いてしまうだろう。
彼らの任務は、『地球連合軍が密かに開発していた新型機動兵器をザフトへ持ち帰ること』だ。
ストライク、デュエル、バスター、ブリッツ、イージス。その五機すべては、このヴェサリウスの格納庫にある。これらのすべてを本国へ届けなくては、任務は完了したことにはならないのだ。
『プラントへ帰還する。いいな』
そう言って、モニターはぷつりと切れた。
「……」
「……」
片や、無表情のまま立ち尽くし、片や、俯いて悔しそうに唇を噛む。
「…アスラン…イザーク…」
押し黙ってしまったふたりに、ニコルはおろおろすることしか出来なかった。
そこに、助け舟を出したのはラスティだった。
「アスラン、とりあえず、シャワーでも浴びてきたら?」
「ラスティの言う通りだ。どうせ、隊長の命令には逆らえない。少し頭冷やして、次の行動考えようぜ」
「…ああ、そうだな」
まだパイロット・スーツのままだったアスランにふたりがそう薦めると、彼は静かに同意した。
「イザ。おまえもだ。まあ、座れよ」
「…ふん」
幼馴染の言葉に鼻を鳴らし、イザークはむっつりとしたままソファに腰を落ち着けた。
それを視界の端に認めながら、アスランは着替えを取るためにロッカーに向かった。一見、冷静なように見えた彼だが、ロッカーの扉が、ばん、と大きな音を立て閉められる。
彼がこんな風に物に当たることは珍しい。芳しくない結果に苛立っていることをニコルは悟った。
* * * 中 略 * * *
キラが幽閉されているこの施設は想像より大きなものだった。毎日毎日、違う部屋に連れて行かれては躯のあちこちを検査されていたため医療施設だと思い込んでいたが、どうやら違ったようだ。
オーブ連合首長国の国営企業[モルゲンレーテ]。
かつて、キラが潜入捜査を行なっていた資源衛星ヘリオポリスにも工廠を持っていた大企業だ。此処は、その首脳部とも言える研究所のようだった。
モルゲンレーテ社が製造しているのは航空機やエレカだけではない。表立って知られてはいないが、この企業のメイン部門は軍需産業だった。地球連合軍が新型モビルスーツの開発をモルゲンレーテへへ依頼したのもその技術力の高さ故だろう。
「ということは、此処はオノゴロ…?」
オーブ連合首長国は南太平洋に浮かぶ群島国家だ。本島・ヤラファス島の他、オノゴロ島、アカツキ島、カグヤ島など大小様々な島々から成っている。
首都[オロファト]のあるヤラファス島にはオーブ行政府がおかれ、政治の中心となっている。一方、このオノゴロ島には国防本部やモルゲンレーテの本社と主な工廠がおかれ、軍事の中心地となっている。そのため、常時警戒態勢が敷かれ、セキュリティ・レベルも高い。
「…逃げ出すのも容易じゃない、ってことか」
漸く脱出口を見つけたと思ったが、どうやら簡単に突破させてくれそうにはなかった。
オーブは島国。四方を海に囲まれた天然の要塞だ。人間には鳥のような翼も、魚のような鰭もない。そのため、この島から脱出するとなると、船か航空機を利用するしかない。
しかし、IDも財布もないキラが空港や港までたどり着いたところでどうすることも出来ない。いや、この恐ろしいまでの警備網が張り巡らされたこの研究所から正攻法で抜け出すことは不可能だ。
「…ってことは、強行突破しかないね」
必要な情報はすべて頭に入れた。キラは周到にネットワークに侵入した痕跡を消し、端末をログアウトさせる。
「とりあえず…此処さえ抜け出せれば…カーペンタリアも近い。何とかなる…かな」
ザフトの地上最大拠点はオーストラリア大陸ヨーク岬半島とアーネムランド半島に跨るカーペンタリア湾にある。ヘリオポリス潜入捜査中に隠し持っていたザフトのIDは取り上げられてしまったが、いざとなれば母の名前を出せば何とかなるだろう。
部屋の外を伺うが、人の気配はない。
さきほど、しっかりと頭に叩き込んだ工廠への地図を辿りながら、キラは拳銃を片手に走った。
「…なに…?これは…」
自分の目が信じられず、キラは何度も瞬きを繰り返す。
研究セクションから工廠セクションへと無事侵入を果たしたキラが辿り付いたのは、格納庫だった。
小型ヘリかセスナでもないかと思ったのだが、ずらりと規則正しくならべられたそれは、キラが想像していたものとは全く違っていた。
「…どういうこと?だって…オーブは中立…」
おぼつかない足元。よろめいたキラは、目の前にあった手摺にしがみ付く。
キャットウォークに立つキラの目の前には、[G]にどこか似たモビルスーツがずらりと並んでいたのだ。
「オーブは中立だよ。『他国を侵略せず、他国の侵略を許さず、他国の争いに介入しない』。しかし、それと自国を護るための武力を持たないということは別物だろう?」
不意に響いた男の声に、キラははっと振り返り、銃口を向ける。
通路の先、まるでマントを羽織ったように長く尾を引くデザインの赤紫色のロング・ジャケットを纏った長い黒髪の青年が佇んでいた。襟元には、紫色のアスコット・タイ。
まるで、睥睨するようにキラを見つめるタイガー・アイは、彼が生まれながらに支配者階級に居ることを容易に想像させた。
「…動かないで」
「その服で私に銃を向けるのか?」
銃口に怯えることなく、口元を微かに上げて青年は言った。まだ、二十代後半であろうに、その言葉は威厳に満ち、年齢以上の風格を彼に与えていた。
「変装は失敗だったな。その服を纏うのであれば、私が誰かを調べてからにするんだったな。オーブの正規兵ではないと、自分から告げているようなものだ」
青年は躊躇することなく、一歩前へと踏み出す。
「ち…近寄らないで!」
キラはトリガーを弾く。威嚇射撃が男の三歩ばかり前の床に着弾する。
「……」
キラは、まるで値踏みするように自分をじっと見つめる青年を睨みつける。
まるで蛇のような何の感情も映してはいない瞳。それは、まるでヒトのものとは思えなくて…見ていられなかった。
「今の銃声は…!」
「…!…」
その時、青年の背後からふたりの男が姿を現す。キラと同じ、サルビア・ブルーの軍服を纏ったオーブの正規兵だ。おそらく、自分を探しているのだろう。
「こ…これは…!……様!」
「貴様!何を!」
「…ちっ」
青年に向けた銃口を下ろしてホルスターに収めると、キラはキャットウォークの手摺を掴んで数メートル下の階下へと飛び降りる。
「おい!おまえ…!」
その姿を見たふたりの兵士は慌てて同僚が飛び降りた場所へと駆け寄る。
しかし、その頃にはキラは既にモビルスーツの間を走り抜け、その姿を消していた。
「ロンド・ギナ様!大丈夫でございましたか!」
駈け寄った兵士が、キャットウォークから階下を見つめていた青年へと声をかける。
「…ああ。大丈夫だ」
さらりと黒髪を揺らし、青年は振り返る。彼の前にふたりの兵士は膝を折った。
「さきほどの兵士ですが…」
「ああ。分かっている。アレだろう?ラボから逃げ出したカナリアは」
まるで挑むように自分を睨みつけてきた苛烈なアメジストの瞳。少年にしては少し長めの鳶色の髪。
大人サイズの軍服がだぶだぶだった。おそらく、同じ年頃の少年よりも華奢なのだろう。
「…気に入った」
「…は?何かおっしゃいましたか?」
「いや。何でもない」
滅多にクールな表情を崩さない主の珍しく嬉しそうな表情に、兵士たちは顔を見合わせる。
「申し訳ありません。私どもはさきほどの者を追いますので、失礼いたします!」
「…いや。追わずともよい」
走り出そうとする男たちを、青年――ロンド・ギナ・サハクは呼び止める。
「…ロンド・ギナ様?」
「既に追っ手は差し向けてある。…さぁ、君がどう出るか…見せてもらおうか。――キラ・ヤマト・アスハ」
そう言って、青年は暗い格納庫を見て微かに哂った。
「くそっ!起動できない!ロックがかかってるのか!」
キラはコンソールを力任せに殴りつける。まだ、整備中だったのかハッチの開いている一機のモビルスーツのコックピットに滑り込んだが、その機体はどうしても起動しなかった。
「…此処まで辿り付いたのに…!どこかからシステムに侵入できれば…」
たとえ、未完成のモビルスーツだろうと、とりあえずOSさえ動いてくれていれば、オーブを脱出するくらいならもたせる自信はあった。
「…くそっ!」
ガン、ともう一度、コンソールを殴りつける。
と…モニターに一行の文字列が浮かび上がった。
『―――Who(おまえ) are(は) you(だれだ?)?』
その質問は、ひどくキラの神経を逆なでした。
『おまえは誰だ』
それは、ずっとキラが自分自身に問い続けてきた答えだった。
キラ・ジュールとして育てられてきた。
しかし、何時からだろう。自分はこの家の子供ではないと気付いてしまったのは。
優しい両親と兄。しかし…キラは知っていた。自分を呼ぶ、別の声があることに。
『…キラ』
甘くて、優しい女の声。それは母、エザリアの声とは微妙に違う。
何度も夢で出逢った。自分と同じ鳶色の長い髪にアメジストの瞳を持つ女性。
遺伝子を弄って生まれてきたコーディネイターなのだから、親と外見的な特徴が似ていなくてもおかしくはない。そう言ってしまえばよかったのかもしれない。
しかし、キラは識っていた。
夢の世界でしか逢うことの出来ないこの女性が、自分の母親であることを…。
「…『おまえは誰だ?』だって?」
自嘲するようにキラは呟く。
「僕は…僕でしかない!」
そう叫んだ刹那、まるでその言葉が聞こえていたかのように、コンソールのランプが端から端まで一気に灯りを点す。
『WELCOME!!』
正面モニターに起動メッセージが浮かび上がり、黄金の翼と球体を象ったオーブ連合首長国のエンブレムが浮かび上がった。
「…動いた…?」
何故かは分からない。しかし、このチャンスをみすみす棒に振る気はなかった。
「…A・S・T・R・A・Y…ASTRAY(はぐれ者)?」
まるで自嘲するかのようにキラの唇がゆがめられる。
「このモビルスーツの名前なのかな。ふふ。僕にぴったりだね」
そう言ったキラはキーボードを手繰り寄せると、恐ろしい速さでOSをカスタマイズしていった。
とにかく、時間がない。追手に見つかるのも時間の問題だろう。モードを戦闘モードに切り替え、OSをナチュラル用設定からコーディネイター用の反応速度に書き換える。
「…いいね。行こう」
ゆっくりと、シフトレバーを押すと、白とオレンジに染められたの巨人はキラの指示に従ってハンガーの中をゆっくりと歩き始めた。
手にしていたガン・ランチャーで外へと続く扉を吹っ飛ばす。その瞬間、ハンガー内にけたたましいアラートが鳴り響いたが、そんなことにはかまっていられなかった。
オーブが島国だったのが幸いした。モビルスーツの背には、標準装備で飛行用ユニットが取り付けられていたのだ。
「なんとか、カーペンタリアまで…」
此処を凌ぐことが出来れば、オーストラリアまでは近い。
しかし、逃避行はそこまでだった。
モルゲンレーテのハンガーを飛び立ったキラの目の前に、見たことのないモビルスーツが立ちはだかっていたのだ。
純白のその機体は、よく見るとかつてヘリオポリスで目にした地球連合軍の新型機動兵器に少しだけ似ているような気がした。ボディはプラチナ・ホワイト、胸部ユニットが淡いブルー。背中に背負っているバックパックは黒と赤のツートン・カラーだ。
「…ガン…ダ…ム…?」
―――それは、ヘリオポリスで目にした連合の新型機動兵器にとてもよく似ていた。
**Comment**
大変お待たせいたしまして、申し訳ありません。
『LOVELESS』シリーズ第二段、『Love Phantom』です。
最初のところが冒頭なのですが、キラがまったくカスリもしていなかったので途中をちょこっとだけ入れました・・・。
見てのとおり、本当に超シリアスです。無駄に説明が多くてすみません・・・。
無印パラレルのわりに、16歳とは思えんアスキラ・・・。(それは言うな)
ひさしぶりに、ずっと『キラキラ』言ってるアスラン書いたような気がするよ・・・!
2008.Aprir 綺 阿
©Kia - Gravity Free - 2008