月光桜花
『―――本当に戦争になるなんてことはないよ。
キラもすぐプラントへ来るんだろう?』
はらり、はらりと。
君の肩に、髪に降り注ぐ薄紅。
容赦なく降り注ぐそれが、君の姿を霞ませる。
『・・・やだ』
伸ばす指先は届かない。
遠くなってゆく笑顔が僕の名を呼ぶ。
『・・・キラ』
『いやだ!アスラン!』
必死で叫ぶけれど、淡く微笑むだけで君は僕へ手を伸ばしてくれない。
その後姿に向って、必死に叫んだ。
『行かないで!アスラン!!』
『・・・キラ』
名前を呼ばれたような気がして、ふと覚醒する。
どうやらソファで転寝をしていたらしい。
薄く瞳を開けると、窓から吹き込んだのか、部屋にはたくさんの薄紅。
桜の花びらが、風に乗って運ばれてきたらしい。
髪をかきあげると、くっついていたのか、ひとひら、はらりと舞い散る。
窓の向こうはまるで夢の続きのような淡い桜色。
四月に入って、アプリリウスでも、ちらほらと桜の蕾がほころびはじめた。
どうしてこの部屋を選んだのかをアスランに問った時、彼が見せた珍しくうろたえた顔をきっと忘れないと思う。
『・・・春が来ればわかるよ』
素っ気無く彼はそう言った。
当時は分からなかったその理由に思い当たったのはつい先日のことだ。
僕らの住んでいるマンションの敷地に一本だけある大きな桜の木。
それが南向きのリビングから一番綺麗に見える部屋がここだったらしい。
「・・・素直に言えばいいのに」
くすりとキラは笑う。
自分にとって、『桜』が大切な想い出であるように・・・アスランにとってもそうらしい。
その小さな拘りが、どうしようもなく愛しかった。
そう、アスランに告げると、彼は珍しく照れくさそうに頬を染めて笑った。
幼い頃から変わらない、キラの大好きな優しい笑顔で。
「あ・・・そろそろ、買い物に行かなくちゃ」
時計を見ると、夕方が近い。
今日は、大学院の授業のない僕が食事当番だ。
冷蔵庫は空に近い状態なので、買出しに行かなければいけなかった。
Tシャツの上にパーカーを羽織り、スニーカーをつっかけ、財布とケータイををジーンズの後ろポケットに突っ込んでマンションを出る。
生体認証なので、鑰を持つ必要はない。
見上げる空は、春独特の、明るいペール・ブルー。
すっと、絵の具を掃いたような雲が薄くたなびく。
春を呼ぶ花はたくさんある。
菜の花、タンポポ、レンギョウ。
圧倒的に黄色い花が多いのはどうしてだろう?
でも、僕とアスランにとって春を思い起こさせる花はひとつしかない。
―――桜だ。
けれど・・・僕にとってこの花は、優しい記憶だけをもたらしてくれるものではない。
まだ、互いに幼かった日。
アスランと別れることになったあの日も、ふたりの間に降り注いでいたのはこの薄紅の花びらだった。
きっと、あの日のことを、僕は一生忘れることがないだろう。
ずっと一緒に過ごして行くのだと信じていた君が、自分の傍から離れてしまったあの日。
それがどうしても赦せなくて、やるせなくて、彼を『特別』だとはじめて意識したあの日。
桜の記憶は、アスランとの別れの記憶ときれいにリンクしている。
近くの公園も、今は春めいたピンクに染まっているが・・・その色は、今でもやっぱり、少しだけ切ない。
「・・・あ。そういえば」
ふと、脚を止める。
あと五分もしないうちに、お店につくというのに、今日のメニューをまだ考えていない。
「夕食、何にしよう。昨日は洋食だったから、今日は和食がいいかな」
財閥の御曹司のくせに、アスランは何故か凝った洋食より、素朴な和食が好きだ。
それは、幼い時にキラの母、カリダのつくる『おふくろの味』に慣らされていたからかもしれないのだが。
「菜の花の辛子あえに、お豆腐とさやいんげんのおぼろ煮、メインはお魚かな・・・って、僕」
不意にキラの頬が熱くなる。
これでは、まるで、まだ帰らない夫を想いながら夕食の支度をする主婦のようではないか。
「・・・恥ずかし」
誰も見ていないのに、小さく手でぱたぱたと熱くなってしまった顔を扇いだ。
**Comment**
再録集書下ろし『月光桜花』より。冒頭の部分です。
こちらは、[SEVENTH HEAVEN]の後日談となっております。
ほとんど新婚さんなふたりのお話です。(笑)
テーマが『桜』とあって、少しだけ幼年ひきずってます。
・・・・なんですが、今、とんでもない誤植を発見して青ざめております。
ど・・・どうしようかな・・・これ・・・。(涙)
2007.03.1 綺阿
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