Beautiful World  〜君の居る場所〜


白い翼を失っても、神に次ぐといわれた神力を捨てても、欲しいものがあった。

そう、それは・・・穏やかで平凡な生活と、優しいぬくもり。


「・・・ん・・・」
腕の中で小さくキラが身じろぐ。
僅かな動きにさえ反応したアスランは、回した腕に力を入れる。
その刹那、するりと大切な人に首に腕をからめられたので、腰を強く抱き寄せた。
何も纏っていないふたりの肌が密着する。
昨日の余韻を残したままのそれは、まだ熱を孕んだままだ。
そんなときに鼻先を掠めた彼の甘い香りに、また、煽られる。
細い腰から、背骨がくっきりと浮き出た肉の薄い背中へ。
這わせていた指先が・・・何か不可解なものに触れた。
「・・・?・・・」
二度、三度、そこを撫でると、優しい感触が長い指に触れた。
それはアスランにとっても懐かしいものだったが、人間となってしまった今となってはもう自分たちにはないはずのもので。
どうして、今更その感触をおぼえるのかと、薄く瞳を開くと、眠りから覚めたばかりの頭を捻る。
「・・・んん」
くすぐったい、とキラは躯をよじる。
しかし、その躯を逃がさずに、彼の背中をまさぐる。
「・・・キラ」
「・・・ん?」
ようやく、ふるりと瞼が震え、美しい紫が姿を現す。
キラの寝起きは悪い。焦点のあっていない瞳に苦笑しながら、アスランは乱れた前髪を掻き分けると額にキスを落とす。
「ちょっとあっち向いて」
そう言うが早いが、キラの躯をころん、と向こう側へと転がす。
「・・・なに」
まだ、完全に覚醒していないのだろう。
キラはアスランに背を向けると代わりに枕を抱きしめる。
おそらく、二度寝の体勢だ。
「・・・やっぱり」
さきほどの感触は間違いではなかった。
アスランは、視界に入ったそれにもう一度手を伸ばす。
それは、かつては自分の背中にもあったものだ。

キラの背中には・・・真っ白い翼が生えていた。

「・・・何、これ」
バスルームの鏡に自分の背中を映したキラの顔は困惑に満ちていた。
夢などではない。背中から、白い翼が生えていたのだ。
しかし、それはかつて自分が天使だった頃のものと比較すると、かなりサイズが違う。
両側に広げると、自分の背丈よりも大きかった翼。
しかし、今あるものは、キラの背中の半分にも満たない。
「・・・これじゃ、キューピッド以下だよ」
ふう、とキラは溜息をつく。
天使たちの中でも位の低い、まだ子供の天使、キューピッド。
人間たちの恋の仲立ちをするといわれているそんな悪戯好きな天使たちの翼よりも、今、キラの背にある翼は小さい。
「どうしておまえの背に、また翼が生えてきたのかは分からないが・・・当面は隠しておいた方がいいだろうな」
アスランはちらりと時計を見ると、キラにシャツを渡す。
今日は月曜日。そろそろ学校へ行かないと遅刻する時間だ。
今度こそ、完全に人間となったキラは、天使としての記憶を取り戻す前と同じように、普通の高校生としての生活を送っていた。
以前と変わったことといえば、時々、こうやってアスランのところに泊まるようになったことくらいだ。
いつの間にか、ふたりが昔からの幼馴染であることがキラの両親の記憶には刷り込まれていた。
アスランの両親は長期海外出張中ということになっている。
たまにキラがアスランのマンションへ泊まると言っても、両親が怪しむことはなかった。
「・・・無理だよ」
ぼそりとキラは呟く。
「え?」
振り返って瞳を眇めたアスランに、キラはぶっきらぼうに言った。
「・・・だって、しまえないもの」
「・・・え?」
「翼!・・・しまえないの!」
憮然とした様子でキラは言った。


どうやら、キラの言うところによると、自分の意思で少しは動かせるものの、天使だった頃のように都合の悪い時には人間や悪魔に翼を見られないよう、消しておくことができないらしい。
「こんなサイズじゃ飛ぶことも出来ないし、翼が生えたからって、神力が戻った訳でもない。・・・不便なだけだよ」
むすっとしたままキラは言った。
さすがに、シャツ一枚ではいくら小さく折りたたんでも翼の存在がわかってしまう。
シャツの中にTシャツを着て、さらに上からニットのベストを着たキラは、「暑い」と、不機嫌そうに言った。
中に着たTシャツにおさえつけられた翼。
おかげで羽根が擦れて背中が痛いが我慢するしかない。
「よお、どうしたんだ?キラ。ベストはまだ早いだろう」
夏休みが終わって二学期。まだまだ暑い。
そんな季節とは明らかに不釣合いなキラの姿に、クラスメイトのトールは怪訝そうな顔だ。
「・・・風邪ひいた」
「クーラーの効いた部屋にばかりいるからだよ。どうせ、また、週末ずっとゲームしてたんじゃないの?なぁ、アスラン」
呆れたように彼はそう言って、アスランに同意を求める。
それに対し、寡黙な彼は肩を竦めただけだった。
ふたりが再びこの世界へと戻ってきた時、すべては何事もなかったかのように修復されていた。
魔界でも力の強い貴族悪魔、ベリアルとアスランが一戦を交えて完膚なきまでに壊されていた教室は、壁の傷や机の落書きまで昔と同じだった。
まるで昔からクラスメイトであったかのようにカガリとシンを認識していたはずのトールだが、今、彼らふたりが居ないことに何も疑問を感じていない。
つまり、全てはカガリとシンがこの世界へやってくる前と同じように修復されていた。
否、ひとつだけ修正されていたものがある。
それは、名前だ。
『アレックス』として認識されていた筈の彼の名は、誰の仕業か本来の『アスラン』という名前に置き換わっていた。
キラだけではなく、トールや他のクラスメイト、キラの両親に至るまで彼のことを、まるで昔からそうであったかのように『アスラン』と呼んだ。
「ち・・・違うよ!ゲームなんて、してないよ!もぅ!」
トールの指摘にキラはむくれる。
確かに、ずっとクーラーの効いた部屋に居たことは間違いない。
けれど・・・何をやっていたかと問われると・・・。
ちらりと、キラは傍に居る人を見つめる。
開襟シャツの合わせ目から覗いた綺麗な鎖骨。
次の授業の教科書を出していた彼の長い指が、濃紺の髪をかきあげる。その姿は、少年から青年へと変わろうとしていた。
そう。この週末は、ずっと彼のマンションに居た。
来週からの課題テストに出そうなところを教えてもらった後・・・何をしていたかというと。

『・・・キラ』

不意に、夜、ベッドの中でしか聞くことのない彼の甘くて低い声を想い出し、キラは体を震わせる。
その刹那、一気に顔に熱が集中する。
(・・・ここは学校だってば!僕、何を考えているの!)
わたわたと、キラは慌てる。
「・・・キラ?」
その時、タイミング悪く、その張本人のテノールが耳元で囁かれるからたまったものではない。
「うわぁ!」
がたん、と大きな音をたて、キラは弾かれたように立ち上がる。
「キラ・・・おまえ、本当に大丈夫か?熱でもあるんじゃないのか?」
顔を紅くして、口をぱくぱくさせているキラに、トールは心配そうに言った。
「あ・・・ぅ・・・」
まさか、この週末、ずっと彼とベッドで抱き合っていたことを想い出しました、などと言える訳がない。
その時、すっと自分よりも冷たい手が火照った頬に触れる。
「少し熱があるみたいだな。キラ、辛いようならすぐに言え」
アスランの体温はキラよりも少し低い。
「・・・うん」
冷たい彼の手に何故だか酷く安堵して、キラは瞳を閉じた。



**Comment**

『名もなき花』の書き下ろし『Beautiful World』の冒頭の部分です。

す・・・すみません。今回、アレックスもザラも出ませんでした。
全部100%アスランです。(『異境〜』をお読みでない方にはよくわからん説明でごめんなさい)
ちょっと書き残した部分があるので、後日ペーパーかWebにあげようと思います。


2007.08.29 綺阿


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