*くろいうさぎ*


幼い子供の泣き声がザラ家の屋敷に響き渡ったのは、もう夜も更けた頃だった。
シャワーを浴びていたザラ家当主、アスラン・ザラは、何事かと、濡れた躯にバスローブ一枚はおったままの姿で部屋を飛び出す。
声の主の部屋は、隣だった。
「どうした?」
マッハで駆けつけた当主の姿に、メイドは驚いた表情を隠せなかった。
アスランが、まだ幼い末の息子を、目に入れても痛くないほどに可愛がっていたことは、屋敷の人間誰もが知っていることだった。
が、シャワーもそこそこに飛び出してくるとは思わなかったのだ。
「いえ・・・す・・・すみません」
「あすらぁん!」
父の姿を認め、一度は泣き止みかけていたキラの瞳から、また大粒の涙が溢れる。
天蓋のついた広い寝台の上、レースで飾られた優しいガーゼの寝巻きを着たキラは、さながら天使のようだ。
その天使様はベッドサイドに腰掛けたアスランの胸に抱きつく。
「どうした?キラ」
「きらのうささんが・・・うささんが・・・」
泣きながら訴えるたどたどしい言葉に、アスランはことの顛末を悟った。


黒いうさぎのぬいぐるみは、キラの一番の親友だ。
プラント最高評議会議長であるアスランには、多大な公務がある。
なるべく、自宅でキラと一緒に過ごせるように仕事を調整していたが、それでも外せない長期の公務で屋敷をあけることもある。
そんな時、自分が居なくても寂しくないように、と、いろいろなおもちゃやぬいぐるみをキラの傍においていたが、キラが一番気に入っているのは何故かこの黒いうさぎだった。
アスランに言えないことも、黒うさぎにはお話しているらしい。
幼い時からずっと毎日一緒に居るため、くたくたになっているが、そんなことは意に介さないキラに毎日連れ回されていた。
そのうさぎは、幼いキラには少し大きすぎる代物だった。
持ち歩く、というよりは、抱きかかえて歩くと言った方が近い。
キラがそのうさぎを抱きしめていると、前がよく見えないらしく、ふらふら、よたよたと廊下を歩く様子を、家族も使用人たちも、ほほえましく見守っていた。
「・・・ちょっとキラには大きくないか?こっちのくまさんはどうだ?」
その姿を可愛いと思いつつ、何度も壁にぶつかるキラを見て、アスランは少し小さめのテディベアを買ってきた。
キラの髪色とおそろいの茶色いくまだ。
しかし、キラはいやいやと頭を振る。
「いやなの!うささんがいいの!」
『うさぎさん』と言えないキラは、その黒いうさぎを『うささん』と呼んでいた。
「こっちもかわいいと思うよ?」
「いや!うささんがいいの!」
アスランに取られると思ったのか、ぎゅうっと、黒いうさぎを抱きしめる。
そんなに強く抱きしめると、またうさぎがくたくたになる、とアスランは思ったが口にはしない。
結局、テディベアはキラのお気に召さなかったらしく、相変わらずキラは大きすぎるうさぎを抱いては、屋敷をふらふらと歩きまわっていた。


毎日、キラはアスランと同じベッドで一緒に寝ていたが、その時もアスランの反対側にはいつも黒いうさぎの姿があった。
つまり、アスランとキラとうさぎが『川の字』で寝ているのだ。
その、いつもキラと一緒に居る筈のうさぎの姿が見えない。
今日は一日、オフのアスランと一緒に過ごしていたが、寝る前になっていつも一緒の黒いうさぎのぬいぐるみが居ないことに気付いたようだった。
「・・・うささん、どうしたの?」
優しくそう問ったつもりだったが、その言葉を聞いた瞬間、キラのアメジストからまた涙がぽろりと零れる。
「うささん、いないの」
「・・・どういうことだ?」
キラを胸に抱きしめたまま、アスランはメイドに問う。
「申し訳ありません。実は・・・」
頭を下げ、彼女は詫びた。
小さいキラが片時も手放さないため、その黒いうさぎはかなり汚れていた。
それを見たメイドのひとりが、気をきかせて洗濯したところ、黒いうさぎは、さらにへたってくたくたになってしまったというのだ。
しかも、中綿までぐっしょりと濡れてしまい、まだ乾燥室に吊られているという。
「・・・ランバートに頼んで、明日、同じうさぎのぬいぐるみを買ってくるよう言ってくれ」
メイドにアスランは小声で頼む。
ザラ家をきりもりしてきた敏腕執事、ランバートならば何とかしてくれるだろう。そう思って。
「分かりました、旦那様」
「それから・・・今日はもう下がっていい。キラは俺が寝かせるから」
泣き疲れたのか、キラはアスランの腕の中でうとうととしかかっている。
天使のように愛らしいその寝顔に、メイドは瞳を細めると部屋を後にした。


―――翌日。
朝からディセンベル中のおもちゃ屋を走り回ったランバートが、以前のものと同じメーカーの黒いうさぎのぬいぐるみをキラの元に届けたのは日が中天を過ぎた頃だった。
「ちがうの!」
日ごろ、聞き分けのよいキラなのに、どうしてもうんと言わない。
ランバートが苦労して見つけてきたうさぎのぬいぐるみを目の前にしても、いやいや、と首を横に振る。
「・・・どこが違うんだ?」
アスランは首を傾げる。
真新しいうさぎは、確かにキラが毎日ひきずりまわったうさぎのぬいぐるみと同じメーカーの品だ。
今日届いたばかりの新品なので、耳がぴん、と立っているところや、手足が硬いところをのぞけば全く同じだ。それも、前のと同じようにキラがひきずりまわせば、そのうち同じになる。
そうおもったが、キラはどうしてもうんとは言わなかった。


...To be continued...



というわけで。
ちびキラちゃんとアスランパパの話です。
オムニバス形式で話が語られる間に、ちびはちょっとずつ大きくなっていっています。
しゃべり方がじょじょに大人になっていってますので、そのあたりも見ていていただければ。
かなりのおバカですが、ゆるしてやってください。
表紙はAzure**さまがトリカゴの感想と一緒にお送りくださったものをあつかましくも表紙に使わせていただきました。
このうさぎが、くろうさです。

2006.Apr 綺阿。


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