ホットラインは、オーブ連合首長国代表首長、カガリ・ユラ・アスハからのものだった。
「・・・忙しいところ、すまなかったな。アスラン」
ヴィジフォンのモニターに映っているカガリの顔色は冴えない。何か、よくない知らせであることはすぐに分かった。
「何があった?」
「・・・・・・」
自分から通信をかけてきたというのに、カガリは苦い顔で黙ったままだった。
おそらく、会議から抜け出してきたのだろう。いつものように、赤紫色のオーブ高官の纏う揃いの式服を纏っている。
落ち着きなく細い指先が机を叩いている。
「・・・カガリ」
少し語調を強めて言うと、カガリはびくりと躯を震わせ、顔をあげる。
いつもは強い意志の力を秘めた琥珀色の瞳が、一瞬、切なげに細められ、伏せられる。
「・・・キラが居なくなった」
机の上に置いた両手を組み、彼女は短く言った。
「・・・え?」
「キラが居なくなったんだ。部屋は綺麗に片付けられていて、『ごめんね』の一言の置き手紙だ。これが、平静でいられると思うか?」
彼女は組んだ両手に額をつける。
力を入れすぎ、爪の先が白くなっている。
「・・・キラ・・・が?」
その言葉は、酷く現実感を欠いていた。
「昨日はいつもどおり、軍に来ていたそうだ。午後十時過ぎに本営を出て、自宅へ戻り・・・そこからの行方が分からない」
「・・・キラ・・・」
「おそらく、誘拐なんかじゃないだろう。この置き手紙を見る限り・・・覚悟の上の失踪としか思えない」
カガリは手にした手紙に視線を落とす。
白いレターに散らされた字は確かにキラのものだった。
「・・・すぐに・・・オーブへ戻る」
低い声でそう言ったアスランに、カガリは琥珀を瞬かせる。
「おまえ・・・いいのか?」
現在のアスランは、ディセンベル市選出の評議員だ。
かつてのような自由の赦される身分ではない。
選挙によって、国民から選ばれた為政者のひとりなのだから。
しかし・・・彼にとってプラントの平和よりも大切なものがあった。
それが今、失われようとしているのに、此処にとどまっている訳にはいかなかった。


**中略**

甘ったるい匂いが鼻腔を掠める。
「・・・何だ?この匂い」
足音を忍ばせて踏み入ったリビングに人影はない。
ただ、花の香りにも似た甘い香りが漂うだけだった。
香水はあまり好きではない。
軽く顔を顰め、アスランは奥の部屋へと向う。
キッチンにも人の気配はない。
緩い螺旋を描いた階段を上がり、二階へと。
ベッドルームの扉をひとつひとつ開けてゆく。
いくつ目かの扉を開くと・・・くすくすという笑い声が耳を掠める。
「・・・やっぱり、来ちゃったんだ」
白いバスローブ姿でベッドに横たわったキラは、扉から姿を現したアスランの姿を認めると、くすりと笑った。
「・・・キラ」
無事な姿を見つけて安堵したと共に、周囲にあれだけの心配をかけながらも平然としているキラに腹がたった。
「おまえ・・・自分が何をしたか分かってるのか!」
思わず声を荒げたが、当のキラは表情を崩さない。
艶然とした笑みを浮かべながら、あっさりと言った。
「うん。分かっててやったんだけど」
「キラ!」
今度こそ、完全に怒りが爆発した。
胸倉を掴み上げたが、それでもキラは表情を変えなかった。
それどころか・・・
「ねぇ、僕のこと、まだ好き?」
キラはそう言って、猫のようにするりと細い腕をアスランの首にまわす。
「・・・キラ?」
その時、アスランは漸くキラの様子が普通ではないことに気づいた。

―――甘い匂い。麻薬か?

思わずそんなことを考える。
目の前の自分にアスランの意識が集中していないことを悟ったのだろう。
キラはアスランの両頬を包みこむように手を添えると、じっとその瞳を見つめて問う。
「ねぇ、昔、僕のこと好きだって言ってくれたよね。嘘でもいいよ。愛してる、って言って」
まるで、魔性の紫に心の深淵を覗き込まれているようだった。
しばらくの間、アスランが何も告げずにいると、キラはあっさりと興味をなくしたかのように彼に背を背ける。
「そっか。もう、僕のことなんて、どうでもいいんだ」
白いバスローブに覆われた背中。
一体、いつの間にこんなに細くなってしまったのだろう。
戦争中から、キラが躯と心の限界まで自分を追い詰めても戦い続けたことは知っていた。
けれど・・・実姉と共に故郷に居て、ここまで彼が壊れてしまうとは思っていなかった。
「・・・愛してる」
乾いた唇を舐め、そう言うと・・・彼は唇の端を上げる。
「ふふ。相変わらず優しいね。ありがとう」
再び、キラはしなやかな獣のように前かがみになってシーツの上に膝をつくと、アスランの首に手を回す。
「愛してるなら・・・僕のために死ねる?」
「・・・キラ?」
「質問に答えて。僕のために・・・死んでくれる?」
じっと、キラはアスランの翡翠を見詰める。
「・・・おまえがそう望むなら」
ややあって、アスランが口にした回答に満足そうにキラは微笑むと、ベッドサイドに置いたワイングラスを手に取った。
そこには、まるで血のように紅いワインが満たされていた。
「僕のこと、愛してるなら飲んで」
ちらりとサイドテーブルに視線を送ったアスランは・・・ロマネ・コンティのすぐ傍に、白い粉が載った硫酸紙があることに気づいた。
このワインには、何らかの薬が入れられている。
おそらく・・・毒だろう。
「・・・キラ・・・」
痛ましい瞳でキラを見詰める。
一体、何が彼を此処まで追い詰めてしまったのかは分からない。
「・・・キラ。愛してる」
最後に自分の瞳に映るのが、キラのアメジストならばそれでいい。
こんな状態の彼をひとりで置いていくのは可哀想だが・・・それがキラの選んだ未来なのだろう。
アスランはベッドサイドにひとつだけ置かれたバカラを手にすると、それを唇につけ、煽るために傾けた。



** Comment**

・・・すみません。見てのとおり、かーなーりダークなお話です。
明るくてHappyなアスキラをご期待される方はご遠慮くださいませ・・・・。
一応、(ネタバレになりますが)ラストは心中とか、そういうネタではありませんのでご心配なく。
エロ度・・・も高いかもしれない。(笑)


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