部活のないキラの放課後は、近頃ではシンとカガリにつれまわされる日々と化していた。
「・・・で、今日は?帰りに何処に寄るの?ケータイでも見に行く?」
居候生活も三日を過ぎると、ふたりはすっかりこちらでの生活に慣れていた。
友達同士、ケータイで電話をしたりメールしたりすることを知ったふたりは、自分も欲しい!と言い出したのだ。
そういえば、連絡取れないのも不便ねぇ、とカリダはあっさりとそれを承諾してくれた。
「え?マジ?」
「私はドコモがいい!」
「オレはAUだな」
「・・・家族割とかあるからさ。せめて僕らと同じケータイ会社にしてよね・・・」
駅前のショップに寄ってみるか、とキラは喜ぶ二人見ながら片付けをはじめる。
部活や用事のある生徒はもう帰り始めている。
アスランは弓道部の練習場へと向かい、彼女のミリアリアとデートのトールも、いそいそと教室を出ていった。
クラスに人は疎らだった。
「・・・っ」
その時、鈍く痛んだ頭にキラは顔を顰める。
「何・・・今の・・・」
それは、ただの頭痛などではなかった。
まるで、ナイフで切りつけられたような鋭い痛みだ。
「・・・キラ。じっとしてろ」
「カガリ?」
ふと、顔を上げると、険しい顔をしたカガリが目に入る。
いつもおおらかで、笑ってばかりいる彼女のこんな表情を見たのは初めてのような気がした。
ふと、顔を上げ、キラは驚く。
窓ガラスの向こう、さきほどまで、晴れていた筈の空が漆黒に染まっている。
空気はじっとりと重く、さきほどから感じている嫌な空気が拭えない。
「なに?・・・これ」
気がつけば、教室から人影はほとんど消えていた。
ひとり、ふたり、残っていた生徒たちが、まるで亡霊のようにキラへと向ってくる。
「・・・来たな。カガリ!」
「ああ!キラは下がってろ!」
いきなり襲い掛かってきたクラスメイトに、キラは瞳を見開く。
「やだ!」
頭を抱えてその場に蹲ると、キラとその人影との間に割って入ったシンが、クラスメイトを取り押さえる。
「な・・・何なの・・・」
自分が見ている現実が信じられなくて・・・キラは思わず叫ぶ。
「捕まったら喰われちまうぞ。キラ、じっとしてろ!」
がたがたと震えるキラをシンは叱咤する。
一体、どこに隠し持っていたのか、その手には焔のように燃え盛る剣が握られていた。
カガリの手にも、細身の金色に輝く剣が握られている。
「ちょっと・・・やめてよ!そんなもの、危ないよ!」
「何、暢気なこと言ってるんだよ!おまえの目はフシアナか!?こいつが誰だか分かるか?」
シンが剣を向ける相手の顔をキラはじっと見つめる。
クラスメイトの顔だが、名前がどうしても思い浮かばない。


『もうちょっと、『見よう』としてみろよ。別の景色が見えてくるかもしれないぜ?』


初めて出会った日、キラに言われた言葉を想い出す。
もっとよく『見よう』と、意識を集中させる。
と、不意に見えてきたその姿にキラはぎょっとした。
見慣れた制服を纏ったその人の顔は・・・生者のそれではなかった。
よく見ると、カガリが相手にしているのも、もはや人とは呼べない代物だった。
『・・・天使ノ匂イガスル』
『殺シテシマエ!喰エバ、ソノ神力ヲ得ルコトガデキル』
彼らから発せられる、剥き出しの悪意がキラを刺す。
「な・・・何・・・」
「こいつらは下級の使い魔だ。心配すんな!オレたちの敵じゃない」
そう言うシンの剣が、一匹の悪魔を切り裂く。
『・・・グギャッ!』
短い悲鳴を上げると、その躯は一瞬で塵になる。
ほどなく、もう一匹をカガリが仕留める。
「・・・こいつら、キラの『力』に引かれてきたのかな」
「そうだろうな。同じ天使のオレたちが気付くくらいだ。天使を喰って生きてる悪魔に、キラはまたとない豪華なご馳走に見えるだろうさ」
ぶっそうな言葉をシンはさらりと吐く。
それを耳にして、キラは初めて彼らが自分の傍から離れなかった理由を理解した。
「悪魔は天使を食べるの?」
「頭からがぶり、って訳じゃないぞ」
わざと、大したことなどない、とでも言うようにカガリは笑う。
「おまえたちも知ってるだろうけど・・・天使と悪魔は相反する存在なんだ。当然だけど、それぞれが持つ力も、反対だ。つまり、より強い光を得れば闇は色濃くなるし、そのまた逆も然りだ。低俗な悪魔が位の高い天使の神力を奪えば、その魔力を増すことができる」
カガリの説明を聞いていて、キラはふとあることに気付いた。
「・・・ひょっとして・・・君たちが僕の傍にいてくれるのは・・・僕を護るため・・・?」
彼らの話では、どうやら記憶を失う前までのキラは、かなり高位の天使だったらしい。
しかし、今のキラには、その力が内側に封じ込められているという。持てる神力は大きいが、この状態で悪魔に襲われたらひとたまりもないだろう。
おそらく、シンとカガリはそれを危惧したのだ。
「当たり前だ。最初にそう言っただろう?」
カガリは笑うと、キラに抱きつく。
「キラは私の弟なんだからな!」
「・・・そっか。ありがとう」
おそらく、最初からこの説明をすればキラは大人しく二人に従っただろう。
しかし、ふたりはそれをしなかった。
それはおそらく彼らなりの誠意だろう。
不器用なふたりの天使を、キラは好ましく思った。
「・・・痛っ!」
その時、さきほどとは比にならぬ痛みを覚え、キラはカガリの腕へと倒れこむ。
「どうした?キラ?」
「頭が・・・痛い・・・」
「カガリ!何かが来るぞ!」
シンがそう叫ぶと同時に、キィンという硬質な音がして、教室の中に異形の存在が出現した。
獣体に羊のような角を持ったそれは、金色の瞳で三人を見つめる。
『光に誘われて来てみれば、中級三隊の天使が二匹か』
「・・・くっ。こいつは・・・上級悪魔だな」
シンの声にも余裕がない。
目の前の悪魔が、おそらくさきほどよりも上位の存在であることは、全く力のないキラにもうかがえた。
彼の躯を包む黒い瘴気が、それを物語っていた。
『私の位が分かるか?それはそれは。おまえもただの天使ではないということだな』
獣の瞳がゆらりと三日月のように細められる。
『・・・ほぅ?』
ふと、その声が、何か面白いものでも見つけたかのように嬉しそうな響きになる。
『これはこれは・・・うまく隠したつもりだろうが・・・お見通しだよ。君らふたりが護っているのは誰だね?』
「おまえが知る必要はない」
そう言うが早いが、シンは手に持ったオレンジの焔を纏う剣を悪魔へとつきつける。
『ふふ。では、相手を願おうか』
次々と、シンが繰り出す剣を、それは楽しそうにゆらり、ゆらりとかわしていく。
さすがに、敏捷なシンも、対峙する時間が長くなればなるほど、疲労を隠しきれなくなる。
『もう終わりかな?』
おそらく、それを待っていたのだろう。
一瞬の隙をつき、化け物の腕がまるで鞭のように伸び、ぎり、とシンを締め上げる。
「うわっ!」
「シンっ!」
「おまえ・・・よくも・・・!」
苦痛に歪むシンの顔を見て、逆上したカガリが悪魔に向ってゆく。
「カガリっ!ダメだ!」
キラにも分かっていた。
シンでさえ敵わなかった相手だ。カガリに倒せる訳がない。
しかし、制止の声は間に合わなかった。
「わーっ!」
反対側から伸びた触手が、カガリの躯を弾き飛ばす。
少女の躯は床に叩きつけられ、動かなくなった。
「カガリっ!」
慌てて駆け寄ろうとしたキラの前に、悪魔が立ちはだかる。
するりと伸びた鞭のような触手が、ぐるぐるとキラの躯に巻きつき、動きを封じ込めてしまう。
『君は・・・何者だ?その内側に隠された光・・・ただの人間じゃあるまい』
「・・・・・・」
指の一本さえも動かせないキラは、ただ相手を睨みつけることしか出来ない。
しかし、羊のような獣の顔に表情はなく・・・その瞳も、何の感情も映しはしない。
『まぁいい。話はゆっくり後で聞こうか。・・・私の館で』
「嫌だ!離せっ!」
身を捩るが、躯に絡みついた触手はまるで茨のようにキラの肌に刺を刺す。
暴れれば暴れるほど、白い肌を傷つけていく。
その時・・・ゆらりと動く存在がキラの視界に入る。
「・・・誰?」
制服の白いシャツ。
肩を飾る宵闇色の髪。
その背中は酷く懐かしい、キラのよく知る存在だった。
「アレ・・・ク・・・?」
どうして、彼がこんな処に居るのか。
混乱しきったキラの頭では分からなかった。
けれど、あんな化け物を前にした彼がどれほど危険な状態におかれているかは瞬時に理解した。
「危ないッ!逃げて、アレックス!」
しかし、キラの必死の声も届いていないのか、彼はそこに佇むだけだった。
『何だ?おまえは』
突然、現れた第三者に悪魔も気付いたようだった。
じろりとアレックスを睨む。
「アレックス!」
早く気付いて、とキラは必死に呼ぶが、アレックスはキラと悪魔の間に立ったままだ。
「・・・アレックス?」
その時、キラはちらりと見えた彼の横顔に浮かんだ、酷く残忍な微笑みに気付く。
それは、刹那、背筋が冷たくなるような笑みだった。
「・・・主の顔も忘れてしまうとは、見上げた忠誠心だな。ベリアル」
『何だと?おまえ・・・』
すっと上げられたアレックスの右手。
そこには、シンが持っていたものよりも長い剣が握られていた。
それは獰猛なまでに燃え盛った、業火の焔のような紅だった。
「俺の名前を忘れたか?ならば・・・地獄で想い出すがいい」
『あなたは・・・サタン!』
大きな破裂音が耳を襲う。
獣の声は、断末魔の叫びへと変わった。
あまりの声に、キラは固く閉じる。
どれくらいの間、そうしていたのかはわからない。ふと、気付くと、何時の間にか躯の自由を奪っていた戒めが解かれていた。
「大丈夫か?」
耳に馴染むテノール。
けれど、それはキラの知るアレックスの甘い声ではない。
まるで夜空に凍える冬の星のように冷たい硬質な声。
おそるおそる瞳を開けると、そこにはいつもの理知的なアレックスの顔があった。
キラキラと、宙を漂うのは、割れた窓ガラスの破片だろう。
教室の窓ガラスは、まるで何か大きな力が働いたかのように、一枚残らず粉々に割れていた。
しかし、いつも柔らかな笑みを浮かべていたその顔には、一切の表情がない。
穏やかな森のような翡翠の瞳も、孤高の宝石のようにしか見えなかった。
目の前の彼は、キラの知らない男のように思えた。
「・・・君は・・・誰?」
震える声でキラは問う。
その言葉に、彼は表情を変える。
しかし・・・それは、キラのよく知る優しい笑みではなく、唇の端だけを上げた嘲るような冷酷な笑みだった。
「おや。わたしのことを忘れてしまったのかな?我が妻は」
その冷たい微笑みにキラの背筋が凍る。
「つ・・・妻!?誰が?誰の!」
逃げることを忘れてしまったキラの躯をアレックスはその腕に閉じ込める。
くい、と顎を上げると、濃厚な口付けを落す。
嫌だと、顔を背けようとするが、許されない。
侵入してきた舌に、口内を蹂躙される。
「・・・!・・・」
「おまえが、俺の、だよ」
長くて深い口付けの後、唇を離した彼はキラの耳元で囁いた。
その魅惑的なテノールは、確かに彼のものだった。


『本当の名前は、絶対、他人に教えちゃいけないの。
名を知ることは、本質を理解すること。
・・・・もし、悪魔に知られたら・・・囚われてしまうわ』


少女の声が、脳裏に響く。
本能的な恐怖が、キラの躯を支配する。
「冷たいな。・・・『ミカエル』」
その言葉を聞いた瞬間、まるで体全体が心臓になってしまったかのように、鼓動が大きく響く。
「・・・どうして・・・僕の本当の名前・・・」
キラには分かってしまった。


―――『ミカエル』
それが、本当の自分の名前だと。


キラの細い腕を取ると、彼は薄く滲んだ血を見つめる。
「ああ。こんなに傷をつけて」
そう言って、彼は傷口に舌を這わせる。
「どうして・・・僕の名前・・・」
呆然と呟くキラからは、もはや抵抗するだけの力は失われてしまっていた。
まるで、甘い蜜でも啜るようにキラの血を舐めているアレックスの翡翠と不意に視線が合う。
その瞳には、まるで本能のままに獲物を狩る獣のような獰猛な光が宿っていた。
「どうして、って・・・おまえが教えてくれたんだろう」
くすり、とアレックスは微笑む。
それは、ぞっとするほど艶のある笑みだった。
「・・・ベッドの中で」
その言葉に、キラの頬が朱に染まる。
「それって・・・どういう・・・」
「まだ想い出さないなら・・・躯に教えてやろうか?」
その彼の言葉を耳にした刹那、急速に意識が深淵へと沈んでゆく。
「・・・シン・・・カガリ・・・」
まだ床に倒れたままのふたりに、キラは必死で手を伸ばす。
しかし、その手は届くことなく、華奢な躯は糸の切れた人形のように崩れ落ちる。
「・・・キラ」
漸く腕に抱いた愛しい存在の名を、アレックスは呟く。
さらりと風にゆれる鳶色のまっすぐな髪。
閉ざされた瞼を飾る長い睫。
まるで少女のように細い躯。
そして・・・甘やかな声。
それらは全て、あの日と変わるところがない。
キラの全てが愛しかった。



**Comment**

キラレボ新刊、[異境に咲く花]のプレビューです。
非常に言い訳じみてあれなんですが、こう時間のなさをてきめん反映した結果、序盤と終盤がけっこうかるいノリのライトなお話、中盤がドーンとシリアスな妙な展開の話になってしまいました・・・。(何故?)
いや、多分、アスキラではない某キャラのせいだと思うんですが・・・・。
あの方にお話をもってかれてしまった・・・・。2007年は彼の年になりそうだ・・・。(マイブームらしい)

あの、ちょっと大きな声では言えませんが、いつものあたしの話に比べると、ちょっとエロ度が高めになってます。
やっぱり・・・アスランじゃなくてザラだから?
しかも、○姦なので苦手な方はご遠慮ください。

プレビューでは、アスランではなくアレックスがでばっていますが誤植ではありません。
最後までお読みいただければ謎が解けるハズ・・・。
こういうページ数の読みきりは珍しいですね。
いつも、長すぎるんだね。90ページとか、100ページとか。
今後は、このくらいの長さの話をもっと書いてみようと思います。はぃ。

2007.May. 綺阿


©Kia - Gravity Free - 2006