俺はアスラン・ザラ。
宇宙産業から商社、金融機関、果てはテレビ局や広告代理店と言ったマスコミ関係まで、さまざまな企業を傘下におさめるザラ・コンツェルンの総帥であるパトリック・ザラを父に持ち、弟、シンと共に暮らすごく平凡な大学三回生だ。
生憎、母は幼い頃に亡くなってしまったが、父ひとり、子ふたり、それなりに幸せな生活を送っている。


「…シン!メシの時くらいテレビは消せといっているだろう?」
ザラ家の晩御飯は当番制だ。
月・水・金の三日は長男のアスランの担当。火・木の二日は次男のシンの担当だ。土曜日と日曜日の二日間は互いに外食をすることも多く、都合のいい方が担当することにしている。
食事当番だけではなく、掃除、洗濯、ゴミ出しなど、この家においては家事のすべてが分業制だ。
何故なら・・・この家には、そういったことをこなしてくれる母親が不在だったからだ。
アスランとシンの母、レノアはふたりがまだ幼い頃に他界した。
幼い子供ふたりを抱え、妻に先立たれて途方に暮れたパトリックは、仕方なく子供達の世話と家事を住み込みの家政婦に頼むことにした。
自分の祖母ほどの年であるその女性は、時に優しく、時に厳しく、長い間、母親の代わりにふたりを育て上げた。しかし、寄る年波には勝てなかったのか、アスランが高校生の頃ついに引退を申し出た。
その後、何人かの女性が家に出入りしたが、残念ながらそのすべてがアスランによってダメ出しされた。
変に世間に名前が売れている家だけに、誰でもいいという訳にもいかない。派遣会社を通じてお願いしたものの、やってきた女たちは父や自分たちに取り入ろうとする下心のある者が多かったのだ。
思春期になって他人(しかも、異性)が家の中をうろうろするのを嫌ったアスランは、シンの教育上もよくない!と、まるで小姑のように片っ端から難癖をつけて、彼女らを一ヶ月にも満たないうちに叩きだしたのだ。
『ならば、私たちの食事は一体誰が作ってくれるのだね?』
困り顔で問うた父に、アスランは断言した。
『あんな女たちに作らせるくらいなら、俺が作ります!』
…というわけで、現在、ザラ家の主夫は長男のアスランが務めているのだった。


「えー。ちょっと待ってよ。今日のHEY!HEY!HEY!、ミーア・キャンベルが出てるんだよ」
アスランの指摘に反して、シンはテレビをオフにしようとしない。
画面の中では、ノリノリなテンポのよいリズムにあわせ、ピンク色の長い髪をした少女が歌って踊っている。
躯の線をことさら強調するような、ぴったりとしたラインの衣装。
おへそをチラ見せし、彼女のチャームポイントである見事な脚線美を惜しげもなく曝した深いスリット入りのロングスカートは見事な作戦だ。さぞかし、CDやポスターの売り上げに貢献していることだろう。
「…全く。今時のアイドルは…」
モニターの中で愛想を振りまき、派手にウインクをするミーア・キャンベルから視線を外し、カウンターキッチンの向こう側に居るアスランは、黄瀬戸の鉢に出来たての肉じゃがをよそう。
「…シン。テレビばっか見てないで、運べよ」
キッチンから少し離れたリビングのソファに座りこみ、クッションを抱いてテレビに釘づけの弟にアスランは言った。
「…うん」
しかしながら、もちろんシンは生返事だ。
彼の瞳と耳はミーア・キャンベルだけに向けられているらしい。
「…シン!」
苛立ちを隠しもせずに、少しきつめに名前を読んでやると、シンはようやくアスランを振り返る。
「はいはい。分かりましたよ。お兄様!」
漆黒の髪に紅の瞳。パーカーとジーンズにあわせたシンは、おっくうそうに立ち上がると、裸足にスリッパをつっかけてキッチンにやってくる。
「へぇ、うまそう」
カウンターに顔を出したシンは、ひょい、と盛られたばかりのじゃがいもを口に頬張る。
「コラ!」
「相変わらず、兄貴は料理うまいよねー。いいお嫁さんになれるよー」
そう言って、シンはカウンターにならべられた料理をテーブルへと運ぶ。しかし、その合間にもまだテレビをチラ見していた。
「…おまえ、ああいうのが好みなのか?」
呆れたようにアスランは言った。
正直、ああいった、頭が軽そうであけすけなタイプはアスランの好みではないのだった。
「え?ミーア・キャベンベル、かわいいじゃん。ナイスバディだし。クラスでも人気あるよ?」
しかし、弟の好みは違ったらしい。あっさりとシンはそう言って、ぱくりと今度は皿に盛られたレンコンのはさみ揚げをつまむ。
歌が終ったのか、番組司会者の芸人と彼女のトークにカメラが切り替わる。早速、司会者はグラマラスな肢体を強調するような白と紫の衣装に触れた。どうやら、発売前からその衣装はファンの間でかなりセンセーショナルだったらしい。
「…確かに顔は可愛いが…」
売れ先を狙っているのがあからさますぎてアスランは彼女のことがあまり好きにはなれないのだった。
苦い顔でモニターを見るアスランを見てくすりとシンは笑う。
「兄貴の好みはラクス・クラインだもんなー。顔はそっくりだけど、ミーアとは全然タイプの違う清純派」
今、画面に映っているミーア・キャンベルの従姉妹、ラクス・クライン。同じ長い桜色の髪に空色の瞳を持つ彼女は、しっとりとしたスローテンポのバラードばかりを好んで歌う、昔ながらの清純派アイドルだ。
従姉妹同士なだけあって、ミーアとラクスは顔がそっくりだが、そのイメージは太陽と月のように異なる。ミーアのことには一向に興味を示さない兄は、どうやら現代的な女性よりもラクスのような大人しくて、男の後ろを三歩下がってついていくような古風な女性が好みらしい。
「・・・今時、ああいうタイプって珍しいけどな」
ぼそりとシンは呟く。
「うるさいな。…俺の好みはどうでもいいだろう。これを運んだら、ごはん入れろよ!」
ことり、という音と共に食卓に出来立ての味噌汁の入った木の御碗がおかれる。
「はいはーい」
触らぬ兄に祟りなし。シンはカウンターに置かれたふたつの御碗を食卓へと運ぶ。
幼い頃から優等生で、面倒見がよくて、優しい兄はシンの自慢だ。
昔っから、何をやっても敵わないことが分かっていたので兄弟喧嘩というものはほとんどしたことがない。
滅多に怒らない兄だが、一度ヘソを曲げると大変だ。
執念深いというか、しつこいというか。なかなかご機嫌を直してくれないのだ。
だから、そういうときには(よほどのことでない限り)シンは自分が折れることにしているのだった。
今日の夕食は和食。鰆の西京焼きにほうれん草の白和え、肉じゃがに、れんこんのはさみ揚げ、小松菜のお味噌汁。
何時の間にか、アスランの料理の腕はめきめき上達し、並の『おふくろの味』以上になっていた。
食卓に並んだ料理の数々をチェックし、アスランは密かに満足する。もちろん栄養バランスもばっちりだ。
既に二十歳を超えた自分はともかく、シンはまだ育ち盛りなのだ。
食べ物には気をつけていた。
「いただきまーす」
手をあわせ、シンは箸を取ると(握ると、と言った方が近いかもしれない)ぶすりと鰆に箸を突き立てる。
「こら!シン!何だ!その箸使いは!」
対面に座っていたアスランの視界に、それはばっちり入っていたらしい。きりりとした眉が吊りあがる。
「いーじゃん。食べられれば」
しかし、シンの耳にはその言葉は全く届いていないようだった。平然と、彼はその箸使いのまま、今度はほうれん草をすくっている。
「煩い!おまえの箸使いのヘタさときたら・・・ずっと言い続けているのにぜんっぜん直らないな!いいか、何度も言ってるが、箸の持ち方はこうだ!親指と中指で挟むんだ!」
そう言っては、毎度毎度、美しい箸の持ち方を披露してくれる兄にシンは内心拍手を送る。
「…はいはい」
「返事は一回!」
ほとんど、母親と子供の会話である。

―――ピンポーン。

と、その時、インターフォンが派手な音を響かせる。
「誰だ?こんな時間に」
アスランは眉をひそめる。
時計は午後八時半。父がこんな早い時間に帰ってくる筈がないし、そもそも彼は合鍵を持っているのだからわざわざインターフォンを鳴らす筈がない。少し遅いが、宅配便の業者だろうか。
「…はい」
ボタンを押して玄関に設置されたモニターに応答を返すと、遠慮がちな声が響いた。
「あの…すみません。ザラさんのお宅はこちらですか?」
こちらですか?も何も。彼が立っている門の表札に「ザラ」と書いてあるではないか。
「そうですが?」
つっけんどんにアスランは言った。
彼が向き合っているモニターには、玄関に設置されたカメラが撮影した映像が映し出されていた。
小さな液晶画面に映っているのは茶髪の人物。着ている服はツナギの制服ではない。どうやら、宅配便業者ではないようだった。
「宅急便ではなさそうだな。新聞なら間に合ってる。宗教の勧誘もお断りだ」
「あ…ち…違います!」
慌てたようにその人は言う。耳に馴染むのは柔らかなアルトだ。
アスランは改めてその人物を見つめる。
カメラの存在に気づいたのか、その人はふっと顔をあげた。
短い鳶色の髪に印象的なすみれ色の瞳。なかなかに顔の造作は整っている。年齢は…シンと同じくらいだろうか。
しかし、どこかでこの顔を見たことがあるような気がする。
ひょっとすると、シンのアルバムか何かで見たのだろうか。
「シンの友人か?」
そう告げると、モニターに写っている人物はひどく困ったような顔をした。
「…いいえ」
その時、アスランの脳裏にひとつの疑念が浮かぶ。

(―――ひょっとすると、シンの彼女だろうか。)

そういえば、高校に上がってからというもの、部活と称して帰るのが遅い日が多い。実は彼女とデートしていたのかもしれない。
目の前の人物を少年だと思ったが、よくよく見てみれば、少女に見えなくもない。
しかし、いきなり『彼女ですか?』と問うのも不躾だろう。
「じゃあ・・・部活の後輩か・・・それとも、クラスメイトか?」
あえて遠まわしに問うてみたが、その人はやはり困った顔を浮べるたけだった。
「それも違います。えと…パ……パトリックさんから、何も聞いていらっしゃいませんか?」
「…は?」
今、一瞬、目の前の見知らぬ人物の口から自分の父の名前が出たような気がするが、気のせいだろうか。アスランは眉を顰める。
「親父が、新しい家政婦でも雇ったのか?」
「ち…違うよ!」
慌ててその人は叫んだ。すっかり、敬語が抜け落ちていることにも気づいていないらしい。
「兄貴、どうしたの?」
なかなか席に戻ってこないアスランに焦れたシンが、ひょい、とモニターを後ろから覗き込む。
どうやらその声が、向こうにも届いたらしい。
「あ。ひょっとして、君、シンくん?」
その人はぱっと顔を輝かせる。
「うん。そーだけど」
なんだ、やっぱりシンの知り合いじゃないか。それならそうと、最初からそう言え、と思ったアスランの耳元でシンが叫ぶ。
「あ…あんた…!」
モニターの向こうでにっこりと微笑む彼の顔を見て、シンは口をぱくぱくさせている。
「どうした?シン」
「どうしたもこうしたも・・・!兄貴、こいつ、誰だかマジでわかんねぇの!?」
慌てふためく弟に、兄は眉を寄せる。
「おまえの知り合いじゃないのか?顔に見覚えがある」
「あ・・・当たり前だろ!なかったら日本人じゃねぇよ!」
「…日本人じゃない…?」
一体、どういう意味だ?それって、非国民ということか?と眉を寄せるアスランに、モニターの向こうから天使が微笑みかける。
「ご挨拶が遅れました。今日からこの家でお世話になる、キラ・ヒビキです」
そう言って、彼は子供みたいにぺこりと礼をした。さらりと鳶色の髪が揺れる。
「…キラ・ヒビキ?」
確かに、その名前にも聞き覚えがあった。
「兄貴―?まさか、あの国民的アイドルを知らないとは言わないよな?キラ・ヒビキといえば、ザラ・コンツェルン芸能プロダクションイチオシの超売れっ子アイドルじゃねぇか!」
その時、つけっぱなしになっていたテレビからひときわ大きなBGMが流れ、司会者の声が響く。
『今日の二組目のゲストは、先週、ニューシングルを発売されたばかりのキラ・ヒビキさんです〜!』
聞こえる音声は、偶然にもインターフォンの向こうに居る人物と同じ名前を告げた。
『こんばんは、キラ・ヒビキです。よろしくお願いいたします』
おそるおそる、振り返ったシンとアスランの視線の先では、小さなインターフォンのモニターに映っているのと寸分たがわぬ人物が、大きなテレビモニターの中、微笑んでいた。
顔を見合わせる長男アスランと次男シンだったが、その時、アスランの携帯が鳴り響く。
ディスプレイに視線を走らせると、滅多に電話などよこしてこない父、パトリックだった。
「…もしもし?今、ちょっと取り込み中なんだけど」
「そうなのか?そんな時に悪いが、もうすぐそちらに客人が行くと思うから、よろしく頼んだ」
「…客…?」
アスランはその言葉に、ちらりと視線を走らせる。
目と目が合った瞬間、少年はにっこりと微笑む。(もちろん、カメラ越しなのでキラはアスランが自分を見ていることには気づいていないが)
「…ひょっとして、その客というのは鳶色の髪に紫の瞳のキラ・ヒビキとかいう人物か?」
仕掛け人はおまえか、とばかりに低い声でアスランは言う。
「おお!もうそちらに着いたのか。予定より早かったな」
「…どういうことだよ」
苛々と問うアスランに、パトリックは嬉しそうに言った。
「ああ、連絡するのが遅くなってすまなかったな。今日から、キラくんは我が家の住人だ。よろしく頼む」
「よろしく…って」
どういう意味だ、と眉間に皺を寄せるアスランに、パトリックは爆弾発言を投下する。
「再婚することにした」
「…はぃ?」
幼い頃から『神童』と呼ばれ、有名進学校から現役で国立東都大学に首席入学したアスランである。しかし、そんな彼にも理解できない単語があった。
父が口にした言葉の意味がうまく理解できず、アスランは鸚鵡のように繰り返す。
「さい…こ…ん?」

(―――『サイコン』ってどういう意味だ?)

その単語をうまく漢字に変換することも出来ない。まるで馬鹿の一つ覚えのようにその単語を繰り返した。
「…兄貴、サイコンって何?」
携帯電話を耳にしたまま唖然とした様子の兄。シンは二人の会話を漏れ聞こうと反対側から耳を寄せる。
そんなところにパトリックは、更なる爆弾を投下した。
「だから、再婚することにしたんだ。彼は新しい家族になる。新婚旅行に二週間ばかり休暇をとろうと思ってな。しばらく仕事をつめるので家には帰らん。キラくんを頼んだぞ」
「………は?」
「………へ?」

『サイコン。シンコンリョコウ』

漸く、アスランとシンはこれまで全く意図してこなかったことが、突然現実となったことに気づく。
「どうかしたのか?アスラン」
「…いえ…何も」
「では、キラくんを頼んだぞ!いいな」
相変わらずワンマン全開な父は、言いたいことだけ言って電話を切ってしまった。
無情にも、ツー、ツーと鳴り響く電話を持ったまま、アスランはしばし動けなかった。
アスランとシンの母、レノアはふたりがまだ幼い頃に他界した。
大企業の社長ともなれば妻を伴った方がいい席に出る機会も多い。それ故、幼い息子ふたりを抱えたパトリックに、周囲は再婚を勧めた。しかし、社内でも有名な愛妻家である彼は、亡き妻だけを愛している、と降って沸いてくる縁談を断り続けたのだ。

(その堅物で有名な父が…再婚。)

がんがんと痛む頭を押えたアスランは、もう一度ちらりとモニターを見つめる。そこには、所在なげに佇んでいる少年の姿があった。
少し長めのさらさらの鳶色の髪。宝石みたいな紫の瞳。
確かに、女の子みたいに可愛い造作をしている。さっき、シンの彼女かと一瞬疑ったくらいだ。
しかし・・・いくら可愛くても、コレは男だ。

(あの父が。自分の息子と同じくらいの年齢の…しかも男と再婚。)

頭の中で『ミトメタクナイ!、ミトメタクナーイ!』と何かが囁く。がんがんと痛むこめかみを押さえ、アスランはひとつため息をついた。
「あのぉ…」
心底、困りきった顔のキラが口を開きかけた瞬間、派手なメロディが響き始める。それは先週発売になったばかりのキラの新曲だ。
慌ててポケットから携帯を取り出した彼は、ボタンを押すとそれを耳に当てる。
「もしもし?」
相手の声を聞いた瞬間、彼の表情がぱっと明るくなる。
「…パティ!」
親戚一堂でさえ滅多に口にすることのない父の愛称をさらりと言ったキラに、アスランとシンは顔を見合わせる。
「うんうん、ちゃんとおうちに着きました。大丈夫!心配しないで。今、アスランくんとシンくんとお話してたところだよ」
モニターの向こうで、ふたりが自分の一挙一動を見ていることはすっかり忘れているのだろう。キラは嬉しそうに会話している。
「…多分、電話の相手って…親父なんだよな」
呆然と、隣でシンが告げる。
「あぁ…信じたくはないが、どうやらそのようだな」
しばらくして電話を切ったキラは、着信履歴を呼び出してモニターに向ける。
「パトリックさんの電話番号。…信じてくれた?」
アスランは、慌てて自分の携帯にメモリされている父の携帯電話番号を呼び出す。(もちろんだが、暗記などしてはいない)
液晶画面に表示された番号は、確かに父の電話番号…しかも、仕事用ではなく、プライベート用の携帯電話のナンバーだった。




*** Comment ***

スパコミから帰ってきてから、獣のような勢いで書きました・・・。
お話の冒頭部分です。
キラ=アイドル、アスラン=ザラ家主夫&大学生という、現代パラレルです。
『恋をしようよ!!』や『長男の嫁』に近いですかね・・・。
ずっとシリアスばかり書いていたので、こういうかる〜いノリのお話が新鮮でした。(笑)
兄アスラン、弟シンの組み合わせはだいすきです。

2008.05.08 綺阿。


©Kia - Gravity Free - 2008