ダーク・スノウ
一の谷の合戦の戦いに勝利し、京を取り戻した一行は、平家を西国へと追い詰める。
そして、西の果て、壇ノ浦で、安徳天皇と三種の神器を護る大将、平知盛を討つが、既に天皇らは更に西へと落ち延びた後だった。
その時、頼朝の名代として随行してきていた妻の政子が、傍らに居た景時に命じる。
『鎌倉の敵、源九郎義経を討て』と。
平家を討ち果たした頼朝が次に『敵』とみなしたのは、自分よりも強大な力をつけつつある弟の九郎だったのだ。
片腕と信頼していた景時に銃口を突きつけられ、敬愛する兄に『敵』と剣を向けられ、九郎は動揺を隠せない。
そんな時、再び現れた将臣に窮地を助けられ、一行はヒノエの故郷である熊野へと身を寄せる。
京都の南、山々に囲まれた熊野は古来より、天皇家との縁の深い土地。源氏か平家かに二分された時代にあっても、そのどちらにもつかず、中立を護り続けた土地だった。
実は、熊野を束ねる棟梁、熊野別当であったヒノエは、表だって源氏の敵となった九郎に加勢することは出来ないが、逃亡するためのルートをつくることを約束。
弁慶の提案により、九郎がしばらく滞在したことのある奥州平泉に身を寄せることとなった一行は、京都を抜けて北へ向かおうとする。
待ち受ける源氏の検問を抜けたかと思われたが、追っ手はすぐ其処まで迫っていた。
そんな時、一行の前に、平泉からの使者が訪れる。
その姿を見て、望美は、将臣は、弁慶は驚愕する。
やわらかな月光のような銀糸の髪、紫闇の瞳を持つその青年は、もう、この世の何処にも居ない筈の人に生き写しだったのだ・・・。
「あなた・・・」
呆然と、望美は呟いた。
淡い月光を受け、銀色に輝く髪。
闇より濃い紫の瞳。
年の頃は二十代前半だろうか。
異国風の薄水色の衣を纏っている。
長身の青年は、まるで春の宵のようにふわりと微笑むと、望美の前に片膝をつく。
「主の命により、お迎えに参りました。白龍の神子さま」
「・・・!・・・」
望美は息を呑む。
その柔らかな声音は、記憶の中にある、冷たい白刃のような声とは明らかに違っていた。
彼らの窮地を救った青年は『銀(しろがね)』と名乗った。
「私は、奥州平泉から参りました。我が主君、藤原泰衡の命により・・・あなた様をお迎えするために」
彼に先導され、一行は伊勢をまわって奥州へと脚を踏み入れる。
冬の平泉は雪に覆われ、鎌倉生まれの望美が見たこともない銀世界だった。
『じゃあ・・・な』
その言葉を残し、壇ノ浦の鈍色の海へと消えた男。
何度も、敵将として剣を交えた相手。
彼はとても強く・・・本気で立ち向かわなければ、こちらがやられていた。
打ち合わせた剣の感触を、今もまだ覚えている。
そして・・・最後に彼が見せた、皮肉めいた微笑みも。
「・・・知盛」
ぽつりと望美は呟いた。
壇ノ浦で、安徳天皇の乗っていた御座舟を護っていた平家の将。それが、彼、平知盛だった。
その彼は、望美たちとの戦いに負け、鎌倉の虜囚となることをよしとせず、自ら冷たい海へと身を投げたのだ。
彼の纏った緋色の鎧が、海の底深く沈んでいくのを、確かに見たはずだった。
しかし、吉野へ望美を迎えに来た平泉からの使者、『銀』は・・・彼に生き写しだったのだ。
* * *
濡れ縁に立ち、ぼんやりと弁慶は外の雪景色を見つめていた。
いつも、目深に被っている凡字の描かれた黒い外套。
今日は珍しくフードを下ろしていたため、異国の民のような金茶の長い髪が肩にかかっていた。
平泉は、かつて九郎と共に訪れたことがある想い出の土地だ。
しかし、一面、白に覆われた世界は、どことなく落ち着かなかった。
「・・・どうした?」
その時、肩口をふわりと何かが被う。
振り返るよりも先に、それが誰か分かってしまった。
「・・・将臣くん」
弁慶の華奢な躯を背後から抱きしめてきたのは、有川将臣だった。
「何でもありません。ただ・・・雪が・・・」
少し前まで寒さに震えていた躯を包みこむ暖かさと、彼の匂いに安堵する。
弁慶は、後ろから抱きしめる将臣の手にそっと自分の手を重ねる。
「雪が?どうした」
「何となく・・・落ち着かなくて」
苦笑しながらそう言う。
「そうか?おまえみたいで・・・とても綺麗だ」
早朝の濡れ縁を訪れる人は居ない。
おそらく、仲間たちもまだ眠っている時間だろう。
将臣は、弁慶の首筋にそっと唇を寄せる。
「将臣くん!」
慌てて身を捩る弁慶の躯を簡単に抱き寄せると、将臣はもう一度、深く唇を重ねる。
「・・・まさお・・・」
激しい愛撫に、弁慶はそれ以上の言葉を失う。
源氏の軍師である弁慶と、平家の将であった将臣。
互いの身分を偽っていたふたりが曳かれるのは運命だったのだろうか?
同じ八葉として出逢ったものの、最初に抱いた想いは不信だった。
けれど、互いに嘘の裏側に隠された本当の姿を知り、想いのままに求め合い、肌を重ね、気付けば・・・もう、後戻り出来ない処まで来ていた。
平家の残党である将臣と、源氏を裏切った九郎を逃した弁慶。
どちらも源氏の棟梁、源頼朝から追われる身だ。
しかし、もう、敵同士の陣営に分かれて戦うことはない。
たとえ地位も名誉も失ったとしても、ただ、互いの存在があればそれでよかった。
ただ、恋人がこの腕の中に居れば。
何度も口付けを繰り返した後、将臣の腕の中で弁慶は呟いた。
「・・・そろそろ、みんなが起きてきますよ」
その、色気のない言葉に、将臣は溜息をつく。
「・・・やっとふたりきりになれて、これからだってのに・・・どうしておまえはそういうことを言うんだ」
平泉に来る前は、将臣は平家に、弁慶は源氏に居た。
長い間、お預けをくらっていた恋人が、今は手の届く場所に居るのだ。
けれど、其処には弟を含め、常に仲間の姿がある。
この高舘でも、当主の客人という破格の扱いを受けてはいたが、厄介になっている人数が人数だけに、個室という訳にもいかない。
隣に恋人が眠っていても、手を出せないのが現状だった。
「・・・すみません」
苦虫を噛み潰したような顔の恋人に、弁慶はふわりと微笑んだ。
**Comment**
というわけで、はじめての遥時本となるいダークスノウです。
将臣×弁慶というわりに、プレビューは半分知盛×望美なんですが。(笑)
すみません。
雰囲気だけでも楽しんでいただけると嬉しいです!
2006.Dec
綺 阿。
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