*Web連載『流星群』の後日譚です。


プラントへ帰国したアスランの新しい配属先は新造戦艦[ウェヌス]。
かつて乗艦していた[ミネルバ]はローマ神話の戦いの女神の名前を戴いていたが、こちらは美の女神[ウェヌス]の名前を戴いていた。
姉妹船である[ミネルバ]と外装・内装などがほぼ同じ形状であったため、艦内で迷う必要はなかった。
幸いなことに、地球連合軍もすんでのところで思いとどまったらしく、一触即発の危機は何とか回避できた。
しかし、どう転ぶか分からない微妙な状況に変わりはない。
プラント最高評議会議長、ギルバート・デュランダルは、抑止力のため最新の戦艦である[ウェヌス]を前線である月軌道へ向けて送り出した。
その、艦長に抜擢されたのが、かつてのヤキン・ドゥーエ攻防戦の英雄、モビルスーツ[ジャスティス]を駆るアスラン・ザラだった。
「艦長。定時報告の時間ですが・・・モニターに送りましょうか?」
「ああ。頼む」
かつてと同じ紅を纏ったアスランは、ブリッジの中央にある艦長席についていた。
艦のトップであるアスランも若いが、この[ウェヌス]のクルーも、皆、若い。
誰だって、自分より若い上司に命令されるのを由としないだろう。
この船に配属されたクルーたちの平均年齢が低いのは、おそらく、そういったことを考えたギルバート・デュランダルの配慮であろうことをアスランは悟った。
「艦長。シフトではそろそろ休憩の時間ですよ」
「ああ。ありがとう。では、しばらく任せてもいいかな」
「もちろんです。ゆっくりおやすみくださいませ」
紫の軍服を纏う副長のライアンは、ブリッジ最年長者だ。
三十代後半の彼にとって、自分の半分ほどの年齢しかない自分を上司と仰ぐのは、さぞかし不本意だったに違いない。
けれど、彼は初対面の折から、アスランに対してきちんと敬意を払ってくれる。
アカデミー時代からの親友であるイザークとディアッカは[ヴォルテール]という別の戦艦に乗艦している。
彼らのような気を遣う必要のない人間がいない今、この[ウェヌス]においてライアンはアスランにとっては片腕とも言える存在だった。


「艦長!お疲れ様です!」
「ああ。君もお疲れさま」
廊下ですれ違うたびに、クルーたちはアスランに気軽に声をかけていく。
ザフトにおいて、『アスラン・ザラ』と言えば、あのヤキン・ドゥーエ線の英雄だ。
偶像が一人歩きしてしまい、当初、アスランは完全に艦の中でひとり浮いた存在だった。
軍生活が長かったものの、今までは上官の命令に従う立場であったり個人プレーが認められるFAITHだったりして、アスランには『人の上に立った』経験がない。
ほぼ同年代もしくは自分よりも年上のクルーたちに、どう接してよいのか分からず、彼も困惑していたのだが・・・そんなクルーとアスランを結び付けてくれたのが・・・ある人物の存在だった。
「艦長、おはようございます!」
アスランに声をかけてきたのは、ブリッジ勤務のCIC担当の女性だ。
「ああ。マチルダ。今からシフトか?」
「はい。艦長は今から休憩ですか?」
「ああ。丁度、入れ違いだな」
苦笑すると、彼女は、あ、そうだ、と呟きながら持っていた紙袋をアスランにおしつける。
「あ。これ、キラくんに渡してください!」
「・・・キラに?」
「ええ。たまたま、遅い朝ごはんを食べに食堂に行ったら、コックさんとキラくんが何か格闘していて」
「・・・厨房で?」
アスランは眉間に皺を寄せる。
艦長である自分とは違い、キラにははっきりとした仕事がない。
あまり、艦内を歩きまわって、他人の迷惑にならないようにと気をつけていたが、ひとりで居ることにも飽きてしまったらしいキラは、しばしばアスランの留守中に部屋を抜け出していた。
先日は、格納庫で主任整備士のマッド・エイプスと遊んでいたところを見つけ、こっぴどく怒ったところだった。
アスランとしては、もう、絶対にキラをモビルスーツに近寄らせたくなかったのだ。
格納庫への出入りを禁じたら、今度は厨房に遊びに行っていたらしい。
「覗いてみたら、何でも、おやつにマドレーヌを焼こうとしたんだけど、うまくいかなかったんですって」
思い出したのか、くすくすと彼女は笑う。
軍艦であるミネルバのコックはすべて男性。ホテルの厨房とは違い、けっこう屈強な男の集団だ。その中に、華奢なキラが居て、みんなでマドレーヌをつくっている姿はさぞかし滑稽だったことだろう。
「私、お菓子つくるのが趣味で、レシピを教えてあげたら感動されちゃって」
彼、本当に可愛いですね、と彼女は笑った。
渡された紙袋から漂うのは、何やら甘い匂い。みんなで作った手作りのマドレーヌらしい。
「あと少しで焼きあがるって時に、キラくん、何か用事を思い出したのか、先に部屋に帰るって、ばたばたと飛び出しちゃったんです」
「・・・そうか、ありがとう。渡しておくよ」
アスランはにっこりと微笑んだ。


自室の扉が開くと、ベッドの上に転がっていたキラが勢いよく身を起こす。
「アスラン!おかえりなさい!」
つまらなさそうに拗ねていた顔が、ぱあっと笑顔に輝く。
まるで仔犬のように駆け寄ってきたキラは、アスランが軍服を脱ぐ暇も与えずにぎゅっと抱きついた。
「ただいま。こら。上着が皺になるだろう?」
咎めるような言葉だが、口調に怒りの成分は全く含まれていない。
「だって・・・」
くちびるを尖らせてキラはむくれる。
そんな顔すらかわいらしくて、アスランはぷうっと膨らませた頬に軽く口付ける。
「寂しかったのか?しょうがないな」
抱き寄せる手に力を込めると、ますますキラはぎゅっとシャツにしがみついた。


 * * * * * *


アスラン・ザラがザフトへ復帰する条件として、プラント最高評議会議長ギルバート・デュランダルに申し出た唯一の願い。
それは・・・キラ・ヤマトを、アスラン・ザラ直属のFAITHにする、という事だった。
FAITHは本来、議長直属の特殊任務遂行部隊だ。
軍部から切り離されている存在であるため、本部の干渉は受けない。
軍人であれば、戦艦に乗ることも可能だし、ブリッジに出入りすることも可能だ。
ジャスティスを収めている格納庫(キラのお気に入りの遊び場だ)をうろうろしても問題ない。
デュランダルは、キラ・ヤマトがかつてのフリーダムのパイロットであったことを知っている。記憶を失い、かなり知能も後退してしまった今のキラには、モビルスーツの操縦など不可能だったが、そこははったりをかまし、アスランはなんとか無茶な条件をデュランダルにのませ、特例中の特例とも言える破格の待遇をもぎ取った。
自分直属としたのは、デュランダルからキラへの直接的な干渉を避けるためだ。
かくして、キラの[ウェヌス]への乗艦が承認された。


これですべてがうまくいく、と胸をなでおろしたのも束の間。
「・・・やだ」
鳶色の髪をふるりと震わせ、キラは首を横に振る。
「・・・キラ。明日からはニンジンを残しても構わない。寝る前にお菓子を食べても、俺はもう怒らない。でも・・・これだけは、どうしてもダメだ」
「・・・でも、やだ」
頑なに、キラは首を横に振り続ける。
ゴールまであと一歩のところまで来たというのに、ここで蹴躓くとは思わなかった。
アスランはがっくりと肩を落とした。
「・・・アスラン?」
顔を被って深く溜息をつくアスランの顔を、キラは不安気に見つめている。
「キラは・・・俺と離れることになってもいいのか?」
その言葉に、びくりとキラは躯を震わせる。
プラントへ来たキラには、ラクスやディアッカ以外に知り合いは居ない。
家の外にも出たがらないキラに友達などできる筈もなく、この家で、アスランが帰るのをひたすら待つだけの毎日を送っていた。
その上、アスランと離れることになってしまえば・・・キラはひとりぼっちだ。
「・・・・・・」
じわりと大きなアメジストに涙が浮かぶ。
さすがに、それはアスランの胸をちくりと刺したが、アスランだってキラと離れたい訳ではないのだ。
かなりの無理を言って、何とかこれからもキラと一緒に居られるように奔走していたというのに・・・キラはそれを台無しにしようとしているのだ。だから譲る訳にはいかない。
「でも、これは嫌なの!」
キラはわっと泣き出すと、部屋を飛び出して行った。
「・・・はぁ」
アスランは深い溜息をつく。
キラが放り出して行ったものは、紅の軍服。FAITHとなったキラのために作らせたものだが、彼はそれを着ることを頑なに嫌がったのだ。
キラの記憶はまだ戻ってはいない。
つまり、その紅の軍服に対して、先入観はない筈なのだが、おそらく、今までの何かがひっかかっているのだろう。
「・・・どうするかなぁ」
[ウェヌス]の出航まであと三日。キラを説得する時間はなさそうだ。
出航してしまえば、煩い人間は居ない。
とりあえず、進水式の日だけでも無理やり着させるとして、当面はFAITHバッヂだけでもつけさせるしかないか、と保護者は深い溜息をついた。

そんなわけで、[ウェヌス]艦内を、艦長アスラン・ザラにくっついてちょこまか私服で歩く少年の姿は、めっぽうクルーたちの目を引いた。
それが、愛くるしい天使のような少年とあれば、無理もない。
「こんにちは!」
最初こそ、人見知りをしてアスランの後ろに隠れていたキラだったが、少しずつブリッジ・クルーの顔を覚え、うちとけていくと・・・天真爛漫な笑顔を見せるようになった。
多少、子供っぽいところはあるが、とても素直で人を疑うことなど知らない風情のキラは女性陣から絶大な人気を誇った。
中には、アスランにお近づきになるためにキラに近づいた人間も居たようだが、そういう下心のある人物に、キラは絶対になつかなかった。子供は妙なところで鋭いものだ。
アスランよりも、先にクルー全員の名前と顔を覚えたのはキラの方だった。
キラと一緒に居ると、アスラン自身もクルーたちから話しかけられたり、話しかけたりする機会が自然と増え、両者の間の垣根は次第になくなっていった。
自分とクルーの間を取り持ってくれたキラの存在に、アスランは本気で感謝した。


「・・・ところで。キラは厨房で何を作っていたのかな?」
ベッドに座ったアスランは、自分の膝の上にキラを座らせる。
アスランのその言葉に、キラはぎくりと躯を強張らせた。
嘘をつけない腕の中の天使は、ぎこちない笑みを浮かべる。
「あのね・・・えっとね・・・」
一生懸命言葉を捜す姿が愛しい。
さきほど、キラが慌てて部屋へ帰ったと言った理由がアスランには分かっていた。
おそらくキラは自分のシフトが終わり、休憩時間に入ることを思い出したのだろう。
だから、部屋を抜け出したのがバレる前に慌てて部屋へ戻ってきたに違いない。
アスランに嘘をつきたくない。でも、部屋を抜け出したのがバレても困る。
板ばさみになって困っているキラも可愛いが、あまりいじめて泣かれると後が大変なので、アスランは先に正解を告げる。
「これだろう?マチルダから預かってきた」
紙袋を手渡すと、キラの顔がぱあっと明るくなる。
「うん!」
がさがさと紙袋から、キラは焼きあがったばかりのマドレーヌを取り出す。
ふわりとレモンのいい匂いが漂う。
「アスラン、はい!」
出来上がりに満足したのだろう。
ひとつ、ふたつと、入っていたマドレーヌを、ひとつずつ眺めて検品していたキラだったが、嬉しそうに全部をアスランに差し出す。
「いいよ。キラのだろう?」
困ったような顔で、キラはふるふると頭を振る。
「アスランにあげる。・・・ね。見て」
「・・・ん?うん、上手に出来てる」
「違うの」
ふるふると、キラはまた頭を振る。
「何が違うんだ?」
いつだって、キラのことを一番に理解してやりたいと思うのだが、時々、流石にアスランにもキラの言いたいことが伝わらないことがある。
困ったように眉間に皺を寄せるアスランの目の高さにキラはマドレーヌを持ってくる。
「ぴんくじゃないけど・・・貝の形」
どこから型を調達してきたのか、確かにそれはちゃんと貝の形をしていた。
その言葉に、アスランはあの小さな島で過ごした日々を想い出す。
聞こえるのは、寄せては引く波の音だけ。
砂浜に点々と続く足跡も、波が消してくれる。
わざと大きく蛇行したり、ぐるっとまわってみたり、出鱈目に歩いて大きなキャンバスに足跡を残した。
そこでキラが見つけたピンクの貝殻。
それは、小さなガラスの瓶に入れて、デスクの上に置いてある。
おそらく、キラは厨房でこの貝の形をしたマドレーヌの型を見つけたのだろう。
何に使うのかと問われたコックは、おそらくキラがマドレーヌを食べたいものと勘違いしたに違いない。
「・・・キラはあの島に帰りたい?」
アスランは優しく鳶色の髪を梳く。
プラントまでキラを連れてきてしまったのは、いくら彼がアスランと離れたくないと望んだとはいえ、自分の我侭だ。空間が限られたこの狭い艦内で、更に行動範囲を制限されているキラがストレスを感じない訳がない。
そんなことも分かってやれなかったのかと、アスランは自責の念に囚われる。
「・・・ううん。アスランと一緒がいい」
そんな想いが伝わったのだろうか。キラの方からぎゅっと抱きついてくる。
「ああ。ずっと一緒だ」
軽い躯を抱き寄せ、アスランはキラと一緒にベッドに寝転がる。
抱き合って瞳を閉じると、波の音が聞こえてきそうな気がした。


*Comment*

というわけで、『流星群』の後日譚です。
キラの記憶は戻っておりません。まだ、精神的におこちゃまのままです。

もうひとつの書下ろし『Departures』と『回帰線』は、同じ話をキラ視点とアスラン視点で書いたセットになっています。
もうひとつの、戦後・・・。というか、デスティニーへ行くまでの、空白の2年間パラレルとなっています。
どちらもお楽しみいただけると嬉しいです。

2007.Jul

綺阿。


©Kia - Gravity Free - 2007