ジュニアスイマーの指導者の皆さんへ・・・

 人に何かを教える、ということ

 人に何かを教えるということ、これはとても難しいことだと思います。実際に自分が、たとえば学校の勉強とか泳ぐことだとか、そのほか何でもよいのですが、教わってきて、また人が誰に教わっているところやその話を聞いてしばしばそう思います。

 しかし、教える側の人に明らかに力量が足りないなぁ、と感じることもよくありました。言っていることがよくわからない、と言った致命的なことはめったになかったですが、何か物足りない、と感じることが多かったです。

 僕自身、人に物を教える立場に立ったことがあり、その難しさは感じていますし、どうやったらより上手く伝えることができるか?ということをたびたび考えていました。

 答えがわかったわけではもちろんありませんが、ある言葉を知って、指導をしている人たちに足りないものがわかったような気がしました。実は、その言葉は先の大戦中の、誰もが知っている人の言葉でした。

 教える、ということは相手が人間なだけに、ただむちで引っぱたいたところでものを覚えるわけでもなく、怒鳴り散らしたからと言って理解が深まるものでもありません。一番大事なことは何か?僕の考えるところを読んでいただきたいなぁ、と思います。
 正しいかどうかはわかりませんが、これを読んで何かを感じ取っていただきたく思います。

 

「やってみせて、言って聞かせて、させてみて、誉めてやらねば人は動かじ」

 

 実はたったこれだけの言葉です。ご存知の方もいらっしゃるかもしれません。しかし、できていない指導者が多いと思いませんか?

 これは大日本帝国海軍大将山本五十六が残した言葉です。
山本大将は大東亜戦争初期(もしくはそれ以前から)から、これからの戦闘の主力は航空戦力にあると考えていた、当時の軍人たちの中ではきわめて先見の明があった軍人でした。

 これは余談ですが、山本は航空戦力を充実させるため、これも有名な「月月火水木金金」と呼ばれたほどの非常に厳しい訓練を、優秀な飛行機のり達に課し、それが真珠湾攻撃における大戦果−それは当時の航空機による攻撃の常識を覆す、浅い真珠湾においての水平飛行からの雷撃慣行でありました−につながった、と言われています。

 さて、なぜこれほど厳しい訓練を積ませることができたのでしょう?なぜ多くの優秀な飛行機乗りを育てることができたのでしょう?
それは当時の、軍隊という命令には逆らえなかった環境だったから、だとは僕は思いません。・・・この言葉から何が読み取れるか考えてみたいと思います。

 

やってみせること

 指導する人が、まずその教えることをやって見せること。それは、その後の言葉に非常に説得力を持たせることになると思います。

 つまり、この通りにやれば少なくとも指導者と同じことができるのだ、と思わせることができます。実際にやったことのある人、それをやれる人が発する言葉と言うのはやはり信頼されやすいと思います。この”信頼”ということも非常に重要なことです。
 いくら大事なことを言っても、それを相手に信用してもらえなければ、相手はその通りにしてくれませんから。

 

言って聞かせること

 ただ、目の前でやって見せて、「ほら真似してみろ」とそれだけですめば、なにも考える必要はありませんね(^^;;
それですむのは職人の世界だけです。

 誰にでもできるように教えるためには、やはり言葉は必須だと思います。どれだけ、わかりやすい言葉でまた相手の理解できる言葉で伝えることができるか、が重要です。
 それについての具体的な方法は、正直よくわかりません(ぉぃ

 

させること

 で、首尾よく言ったことが伝わったとしましょう。聞いただけで何か物事ができるようになる人、そんな人はほとんどいませんね。
 どうするか?そのまんま、その人にやらせるしかないですよね。

 最初は、頭ではわかっていても、体が動いてくれなかったりする経験は、多くの人がしていると思います。だけど、意外と、いざ教える側に立つとそれを忘れてしまう事がよくあると思います。

 させてみても、なかなか相手が上手くできずにいらいらしたり、自分でさっさとやってしまったりしては、いけないことは当然です。何度か繰り返すうちに、相手も必ずできるようになります。それを待つのも、大事な要素の一つでしょう。

 そこで、やらせてみるとこちらの意図していたことと少し違うようにやっていたりすることもあります。
”必ずこうしなければならない”こと以外は、ある程度相手のやりたいようにやらせるのもひとつの方法だと思います。こちらの意図しないようにやった、ということは自分の伝え方が変であったか、あるいは相手がこちらの話を聞いて想像し創造した、という二通りが考えられます。

 前者であれば単純に教える側の力不足ですから、それを相手のせいにして怒ったりするのはお門違いですし、後者であれば、それは相手が考えて工夫した、ということですからとても喜ばしいことですよね。

 

誉めること

 さて。させること、まではできる指導者はそれほど多いわけではないけど少なくはない、と僕の経験上思います。

 ところが、この”誉めること”に関して、果たしてどのくらいの数の指導者が意識をして実践しているか、非常に疑問です。

 誰だって、誉められればうれしいものです。誉められること、つまり相手に認めてもらえた、ってことです。特に、ジュニアスイマー、簡単に言えば子供です。大人よりも、より誉められることがうれしいだろうということは想像に難くありません。

 誉められてうれしければ、次もがんばろうという気になるでしょうし、やればできるんだ、という気持ちになってもらえることでしょう。

 誉めること、何に対して誉めたっていいと思います。水泳で言えば、そりゃ確かに速く泳げる人がすごいんです。大会で優勝できた、表彰台に乗れた、決勝に残れた。立派な成績です。帰ってきた選手といっしょに喜びましょう。

「よくやった」、「たくさん練習したもんな」、「がんばった甲斐があっただろ」、「練習がんばった成果だな」、「いい泳ぎだった」、「いいタイムじゃないか」
 誉め言葉なんていくらでもありますよ。いかにその人にあった、その場にあった言葉を選ぶか、それはケース・バイ・ケースですけどね。

 さて、んじゃぁそういう立派な成績を残せなかった選手にはどうします?無視しますか?叱咤しますか?愚痴りますか?相手によってはそれは有効なこともありますが、そういう人はそうそう多くないと思いませんか?自分が選手で、先生やコーチにそういう態度をとられたらどう思いますか?
 腹が立ちませんか?コーチの言うことを素直に聞けなくなりませんか?がんばったのに何も言ってもらえなくてやる気を失いませんか?

 よい成績を取ることが目標ですから、それに対して誉めること、これは当たり前でしょう。では、そうではない選手を誉めることはできませんか?できないのならば、あなたは指導者を辞めたほうがいい、と私は思います。

 人と比べたら対したことないタイムでも、ある選手にとってはベストタイムだった。・・・誉められますよね。

 ベストタイムじゃなかったけど、前半の入りはよかった。・・・積極的なレースだったと誉められますね。

 同じくベストじゃないけど、後半ふんばってタイムが前半に比べてあまり落ちなかった。・・・後半にタイムを落とさずふんばる、そう簡単にできることじゃないですよね。

 ベストじゃないし、前半も後半もさえなかった・・・その選手スタートはよくありませんでしたか?ターン後ののびがほかの選手に比べてよくありませんでしたか?フォームがよかったりしませんでしたか?練習でコーチが言っていたことをちゃんと守っていませんでしたか?(たとえばラスト5mを息継ぎしないで泳いだとか、ストロークが大きかったとか、キックがちゃんと打てていたとか)

 誉めようと思ってみれば、いくらだってそんな個所はあるものです。それをしないのは、指導者側の怠慢、と僕は思います。

 

 当たり前ですが、指導するべきところは怒鳴ったり、きついことを言ったりしていいと思います。ただし、厳しいことをさせる反面、誉めるべきところで誉めるんです。人に何かを教えるってことは、そういうことではないですか?

 誉めていればよい、などと思っているわけでは決してありません。いくらでも怒っていいし、いくら厳しい練習を課してもいいです。その分、がんばった選手に対して、誉めるということを意識して行って欲しい、そう思うだけです。

 

 どうも筆力の限界が見え隠れすることろがあり、理解できないところとか、わけわかんないところとか、あるかと思います。正直かいていて、自分の思っていることが上手く伝わらないかも?、と思う部分があります。その辺は、文章中にない部分の僕の気持ちを汲み取ってやってください。

 理解したけどおまえの言うことには納得できん、そう言う方もいらっしゃいましょう。ご意見や反論があればぜひ聞きたいと、正直に思います。僕はこう思った、とそう言うことですから。

 これを読んで何かを感じていただけたら、とてもうれしいです。
全国のジュニアスイマー達、がんばってな(^^)
指導者の皆さん、ぜひ選手に水泳を好きにさせてあげてください。