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ヒマナシ4ってなに?
神戸で40年も活動している
4人組のコ−ラスグル−プで
わたしもそのメンバ−なのです
Member
植原・西垣・土居・福田


夜の三宮を歌った
ご当地ソング「東門ブルース」人気上昇中
カラオケDAMに入っています

神戸の熟年4人組夜の三宮を熱唱
「ネオンの露地をくぐりぬけ 今日もさまよう北野坂
夜の三宮を歌ったご当地ソング「東門ブルース」。
歌うのは、熟年4人のコーラスグループ、「ヒマナシ4(フォー)」。
結成40年をこえるベテラングループです。
レコ−ドデビュ−は、昭和62年。この曲は通信カラオケDAMにもはいっており、
震災後の神戸の街を元気づけたいと、がんばっています

第二弾は「愛の木枯らし」「ブルーナイトイン神戸」で、
ダンスもできる軽快な曲です。有線リクエストもよろしくお願いします

 

ヒマナシ4物語

コ−ラスグル−プ ヒマナシ4 を結成して40年になります。


ヒマナシ4の近況

東日本大震災から1年がたちました。
あの日、じつは「竹の子会」の「生オケカラオケ大会」で、
東京に行っていました。
会場の椿山荘で、あの午後2時46分からのゆれは半端ではなく、
大会は中断、どうするかと、主催者はまよっていました。
福島からも大勢来ていました。
結局、1時間半ほど中断して再開。
しかし、会が終わっても帰宅できず、とにかく地下鉄が動くまで待とうと
いうことで、午前2時ごろまでそのまま待機し、
地下鉄で、宿舎までたどり着きました。
翌日羽田からのいつもの便で神戸に帰れました。ラッキー!
毎年3月に行われる大会ですが、今年は時期をずらして行うようです。(3月29日記)


09.4.25東京目白の椿山荘で「竹の子会」の「生オケカラオケ大会」に
ゲスト出演、今年は「別れても(久し振りだね)かみたかし編曲」を
コーラスアレンジして歌いました。毎年出演しているので
おなじみの人達ともたくさん出会いました。


08.3.16東京目白の椿山荘で、恒例竹の子会の生オケ・カラオケ大会に
ゲスト出演しました。主宰の作曲家竹田喬先生は、「いつも君たちの歌を楽しみ
にしていますよ」といわれ、会のあと、作詞家の高橋直人氏らと池袋へ繰り出し
ました。キングレコードの小泉裕一氏も一緒でした。


07.3.11東京目白の椿山荘で、恒例竹の子会の生オケカラオケ大会に、
ゲスト出演、今回も山川敏夫さんの「足手まとい」のバックコーラスと、「たそがれ
酒場」を熱唱、ヒマナシ4の健在ぶりをみせました。
写真は大会の模様です。


06.3.26 東京目白の椿山荘で、恒例竹の子会の生オケカラオケ大会で、
ゲスト出演し、歌手小谷じゅんさんと共演。満場の拍手をあびました。
写真は、小谷じゅんさんとヒマナシ4



04.3.28 東京目白の椿山荘で恒例竹のこ会生オケカラオケ大会に出演、
「トンコ節」で一世風靡した久保幸江さんと共演、満場の喝采を浴びました。

写真は久保幸江さんとヒマナシ4


03年2月16日には、東京目白の椿山荘で、作曲家竹田 喬氏(東門ブルースの
作曲)の「竹のこ会 生オケ、カラオケ大会で、東門ブルースを披露しました。

写真は竹田先生と(左)、織田みさ穂、花満敏喜と



NEWS
マヒナスターズのリーダー和田 弘氏死去
魅惑のコーラス「和田 弘とマヒナスターズ」のリーダー和田 弘氏が、04年
1月6日死去されました。今から40年前、「ヒマナシ4」がコーラスを始め
たきっかけは、マヒナスターズのコピーからでした。そのころ、大阪の大劇
に出演したマヒナの楽屋を訪れて、撮った写真があります。

この写真の左から二人目が和田 弘氏、その右が私です。
ご冥福をお祈りします

「愛の木枯らし」の作者保田幸司郎氏が死去
ヒマナシ4のオリジナル曲「愛の木枯らし」の作曲者保田幸司郎氏が、
03年12月4日死去されました。保田先生とは、グループ結成のときから
親しくしていただき、レッスンも受けました。グループ結成40周年には、ゲ
スト出演していただきました。ご冥福をお祈りします

 ヒマナシ4のメンバー紹介
歌謡コーラスグループヒマナシ4が、40年もやって
来たのは、やはりみんなうた好きと言うこともあるが、
それぞれが特技をもっていることも大きいのである。
では、メンバーのプロフィールを紹介しましょう。
西垣道生
リードボーカル
私と同郷で、3つ年下だが、学校を出てすぐ、大阪のコロンビア歌謡学院に通って、歌手を目指して勉強した。同級生に、小野由紀子、後輩に大月みやこがいた。そして先輩に保田幸司郎(作曲家)がいた。時は昭和32年ごろ。ラジオ全盛時代で、歌謡のど自慢大会、うたごえ喫茶、キャバレーと遊ぶところに事欠かない時代であった。西垣君はそのころ、NHKののど自慢大などによくでていた。一方、そのころ、私ともう一人の福田はクラシックのハーモニカバンドに入って、週1回神戸YMCAで「アイネクライネ」なんかの合奏をしていた。そして、こども病院などへ演奏をしに行っていた。西垣君と神戸の職場で会って、コーラスをはじめたのが昭和34年ごろであった。その後のコーラス活動はまた後日として、西垣君のことだが、とにかく努力家である。歌手への道はあきらめたが、実践型の彼は、ギターを習い最後は大阪のホールでリサイタルまでやった。歌でも楽器でも人前で演奏できるまで練習したのである。
土居二郎  
リードボーカル

本業は歯科医。メンバーの最年長者音楽は堪能で、学生時代に大阪でタンゴバンドやコーラをやっていた。ギターの名手。昭和34年頃、私たちとの出会いは神戸二宮に歌の上手な歯科医がいるときいて、診療所へ会いにいったがきっかけで、そのころ流行のマヒナスターズやダークダックスのコーラスを4人でハモるようになった。土居氏は歌うと、フランク永井そっくりの甘い声で、女性ファンも多い。松尾和子が神戸のキャバレーにきた時「東京ナイトクラブ」をうたって喝采をあびたのは有名な話。一方、オーディオ関係も詳しく、マイクロホンのマニアでもあり、いつもわれわれがマイクテストにつかわれていた。

福田幸雄 
 サードテナー

学生時代から、野球が好きで、足も速い。体育会系。昔から私とハーモニカバンドに入り、音感ばつぐんだ。組合の専従で、東京ぐらしで、今でも千葉に住んでいるが、ヒマナシの出番には神戸までかけつけてくれるのだ。やはりコーラスから抜けられないらしい。

植原文三   
セカンドテナー

私。グループ結成のはじめから、コーラスのアレンジや、作詞などを担当している。東門ブルースや、愛の木枯らしなどの作詞やコーラスアレンジもてがけた。