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| ヒマナシ4ってなに? 神戸で40年も活動している 4人組のコ−ラスグル−プで わたしもそのメンバ−なのです |
Member 植原・西垣・土居・福田 |
東日本大震災から1年がたちました。
あの日、じつは「竹の子会」の「生オケカラオケ大会」で、
東京に行っていました。
会場の椿山荘で、あの午後2時46分からのゆれは半端ではなく、
大会は中断、どうするかと、主催者はまよっていました。
福島からも大勢来ていました。
結局、1時間半ほど中断して再開。
しかし、会が終わっても帰宅できず、とにかく地下鉄が動くまで待とうと
いうことで、午前2時ごろまでそのまま待機し、
地下鉄で、宿舎までたどり着きました。
翌日羽田からのいつもの便で神戸に帰れました。ラッキー!
毎年3月に行われる大会ですが、今年は時期をずらして行うようです。(3月29日記)
09.4.25東京目白の椿山荘で「竹の子会」の「生オケカラオケ大会」に
ゲスト出演、今年は「別れても(久し振りだね)かみたかし編曲」を
コーラスアレンジして歌いました。毎年出演しているので
おなじみの人達ともたくさん出会いました。
08.3.16東京目白の椿山荘で、恒例竹の子会の生オケ・カラオケ大会に
ゲスト出演しました。主宰の作曲家竹田喬先生は、「いつも君たちの歌を楽しみ
にしていますよ」といわれ、会のあと、作詞家の高橋直人氏らと池袋へ繰り出し
ました。キングレコードの小泉裕一氏も一緒でした。
07.3.11東京目白の椿山荘で、恒例竹の子会の生オケカラオケ大会に、
ゲスト出演、今回も山川敏夫さんの「足手まとい」のバックコーラスと、「たそがれ
酒場」を熱唱、ヒマナシ4の健在ぶりをみせました。
写真は大会の模様です。

06.3.26 東京目白の椿山荘で、恒例竹の子会の生オケカラオケ大会で、
ゲスト出演し、歌手小谷じゅんさんと共演。満場の拍手をあびました。
写真は、小谷じゅんさんとヒマナシ4


04.3.28 東京目白の椿山荘で恒例竹のこ会生オケカラオケ大会に出演、
「トンコ節」で一世風靡した久保幸江さんと共演、満場の喝采を浴びました。
写真は久保幸江さんとヒマナシ4
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03年2月16日には、東京目白の椿山荘で、作曲家竹田 喬氏(東門ブルースの
作曲)の「竹のこ会 生オケ、カラオケ大会で、東門ブルースを披露しました。
写真は竹田先生と(左)、織田みさ穂、花満敏喜と
NEWS
マヒナスターズのリーダー和田 弘氏死去
魅惑のコーラス「和田 弘とマヒナスターズ」のリーダー和田 弘氏が、04年
1月6日死去されました。今から40年前、「ヒマナシ4」がコーラスを始め
たきっかけは、マヒナスターズのコピーからでした。そのころ、大阪の大劇
に出演したマヒナの楽屋を訪れて、撮った写真があります。

この写真の左から二人目が和田 弘氏、その右が私です。
ご冥福をお祈りします。
「愛の木枯らし」の作者保田幸司郎氏が死去
ヒマナシ4のオリジナル曲「愛の木枯らし」の作曲者保田幸司郎氏が、
03年12月4日死去されました。保田先生とは、グループ結成のときから
親しくしていただき、レッスンも受けました。グループ結成40周年には、ゲ
スト出演していただきました。ご冥福をお祈りします。
| ヒマナシ4のメンバー紹介 歌謡コーラスグループヒマナシ4が、40年もやって 来たのは、やはりみんなうた好きと言うこともあるが、 それぞれが特技をもっていることも大きいのである。 では、メンバーのプロフィールを紹介しましょう。 |
| 西垣道生 リードボーカル 私と同郷で、3つ年下だが、学校を出てすぐ、大阪のコロンビア歌謡学院に通って、歌手を目指して勉強した。同級生に、小野由紀子、後輩に大月みやこがいた。そして先輩に保田幸司郎(作曲家)がいた。時は昭和32年ごろ。ラジオ全盛時代で、歌謡のど自慢大会、うたごえ喫茶、キャバレーと遊ぶところに事欠かない時代であった。西垣君はそのころ、NHKののど自慢大などによくでていた。一方、そのころ、私ともう一人の福田はクラシックのハーモニカバンドに入って、週1回神戸YMCAで「アイネクライネ」なんかの合奏をしていた。そして、こども病院などへ演奏をしに行っていた。西垣君と神戸の職場で会って、コーラスをはじめたのが昭和34年ごろであった。その後のコーラス活動はまた後日として、西垣君のことだが、とにかく努力家である。歌手への道はあきらめたが、実践型の彼は、ギターを習い最後は大阪のホールでリサイタルまでやった。歌でも楽器でも人前で演奏できるまで練習したのである。 |
| 土居二郎 リードボーカル 本業は歯科医。メンバーの最年長者音楽は堪能で、学生時代に大阪でタンゴバンドやコーラをやっていた。ギターの名手。昭和34年頃、私たちとの出会いは神戸二宮に歌の上手な歯科医がいるときいて、診療所へ会いにいったがきっかけで、そのころ流行のマヒナスターズやダークダックスのコーラスを4人でハモるようになった。土居氏は歌うと、フランク永井そっくりの甘い声で、女性ファンも多い。松尾和子が神戸のキャバレーにきた時「東京ナイトクラブ」をうたって喝采をあびたのは有名な話。一方、オーディオ関係も詳しく、マイクロホンのマニアでもあり、いつもわれわれがマイクテストにつかわれていた。 |
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福田幸雄 |
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植原文三 |