1999/10/1                                                                                                                                               第2号       戻る

柿 生 中 学 校

  同  窓  会  報  




  

 同窓会会長に就任して

  同窓会会長(十二期) 渡辺辰夫

 本年七月同窓会総会におきまして、小清水会長の後を引き継ぐ事になりました。浅学非才の私ですが、歴史のある同窓会を、より良い形に一歩でも進められればと思っております。とはいえ一人では出来る事ではございませんので多くの同窓会員の皆様方のご理解とご協力を宜しくお願い申し上げます。
 多くの目標を掲げても、絵に描いた餅になってはいけないので、任期中に完成出来るかわかりま
 

せんが、インターネットを取り入れて、母校や各期の活動状況をタイムリーに知らせたり、同窓会報も見る事が出来るような形を作りたいと考えております。何をするにしても先立つ物が必要でございますので皆様の物心両面での支えを、重ねてお願い申し上げます。
 いずれにせよ、同窓会は五十年以上経った今も、新しい形で元気に活動を続ける事だと思っております。新体制のもと、頑張りますので宜しくお願い申し上げ、就任の挨拶とさせて頂きます。

 

再スタートした同窓会


    前会長(九期)小清水貞夫 


 創立五十周年式典の企画を機に野島保氏を中心とする再建委員会の手で再生され、口説かれて会長につき、当初考えた責務を果たせたと考え、三年の任期を終え、退任させて頂きました。
 式典は実行委員会を中心に無事挙行され、同窓会としての学校行事への参加の仕方、会報の創刊など、最小限の活動は軌道に乗りはじめました。

併せて「役員人事の交代の前例の一つともなれば」との思いもあり決断致しました。

 活動を継続させるには、それなりのエネルギーと、皆さんの協力無しには職務を果たすことが出来ません。曲がりなりにも、職務を果たせたことは関係者各位のお陰であり、感謝致します。さらに、財務の強化、名簿の更新管理、学校教育への参画など、今後取り組まなければならない課題は多いと思います。出来ることから取り組み、時間をかけ一つずつ解決し、かつ「活動を継続させることが大事」と考えていくことをお願いしたいと思います。

 

 同窓会の皆様、よろしく


    教頭 稲葉 健二 

  本年四月に柿生中学校に着任してから、早くも六ヶ月経ちました。明るく活発に活動している生徒をみると、私も元気に頑張らなくてはという気持ちでいっぱいです。
 私は、日本百名山の登頂を目標に山登りをしています。自然とのつきあいのなかで、生きていくときに必要なことをたくさん経験します。

 今の子供たちは自然とのふれあいや直接的な経験が少なく、社会の変化にうまく対応していく力が弱いのではないか。生きていく上では自己変革していくことが大切です。これからの教育は地域の人々の協力や地域の豊かな教材、学習環境の活用による多様な体験活動と問題解決学習の展開が今まで以上に重視していくことが求められています。
 豊かな人間関係の中で子供たちが健やかに成長するように精一杯やって行きたいと思います。同窓会の皆様のご理解とご協力をよろしくお願いします。

 

「親は教育の原点」
                 野島 保 (10期)
 もう、二十年近くも前になるだろうか。教育現場、いわゆる教室が荒れて大きな社会問題となった事がありました。先生から生徒へ、生徒から先生へ、また、生徒同志の暴力沙汰が多発し、新聞はこぞって取り上げ原因を論評していました。曰く、産業偏重の社会が悪い、学校での生徒指導に行き過ぎがある、学歴偏重の教育制度に問題あり等でした。
 それぞれに問題解明の手掛かりになる論評が示唆されて、後の学校教育に絵ゆとり芥が大切だ

とされるきっかけなっていきました。それはそれで、見つけ出した方向のひとつ。が、今でも似たように子供が引き起こす事件が多発し、しかも神戸事件のように過激になっていくのは何故だろうか。前記の教育荒廃以来いまだに新聞も取り上げない問題に、親の教育責任があります。学費を払って学校へ預ければ、後の問題は制度や社会の問題だとする子供への教育責任意識は、親が取るべき責任の大半を放棄していると言えます。親がすべき家庭での人間教育の欠如は、益々、情緒不安定の青少年を量産する事を問題にする時に来ています。

 

 

 

開校当時(昭和二二年)の柿生中学校の学校区は、柿生小、東柿生小の二学校からなっていました。
 昭和四四年に南百合丘小学校が開校し、中学の学区は三つの小学校の学区になりました。翌々年南百合丘小は、前年に開校した西生田中学校の学区に分離しました。
 以降は別表に示す様に学区が分離独立していきました。 

 

 学区を調査して感じたのが、昔の学区は明解で、絵小学校の学区=中学校の学区芥でした。現在は必ずしもそのようになっていない地区が多く、学区の線引きが複雑に入り組んでいます。例えば、真福寺小の児童は、柿生中、麻生中、白山中に別れて進学するのです。
 開校当時の柿生中学校の学区には、現在の十一校の小学校と六校の中学校からなっています。
 現在の学区は開校当時の1/4程度の広さになっています。


空撮
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 良き人・自然

  旧職員(S30・4〜46・3在職)
               吉岡 節子 

  昭和三十年三月、学校を卒業して春未だ浅い頃、「今年は川崎市は採用がすくなく、山の上の学校ですが、勤めて下さい」との採用通知を受け、桃の花咲く坂道を上りました。丘には木造の古びた小学校と中学校が並び、固い蕾の山桜と、遙か雪を頂く丹沢連峰が望まれ、空気は澄み風も冷たく、あの時着用していた牡丹色のコートまで鮮明に覚えています。
 柿生は自然と人情の豊かな土地でした。
 花桃から桜の樹、麦秋、苺畑、山々の白緑から深緑、紅葉への変化、蝉の声(蜩)、柿の実の朱、霜柱など土の温もりに加えて思い起こされます。
 市の写生展では、作品の色使いの美しさを誉められたものです。
 転出先の南部校の授業で「季節感を知るには」の問いに答えが返らず、公害地の灰色の空、砂塵、異臭、唯一の色味は夾竹桃であれば無理からぬことと思い、風の動き、空の色、緑の変化など季節の移り変わりを肌で感じとりながら生活した日々の意味を深く感じたものでした。

 

 風景写生の時間に、絵も描かず、草叢の中から菫の花をみつけて「先生かわいいの」と歓声をあげた少女。
 お弁当の時間、箸を忘れて「一度は手で食べてみたかったんだ」と手づかみで、おいしそうに食べていた少年、汚れた廊下の壁の白塗りを手伝ったり、文化祭にはプレハブ教室に土を盛り庭園にしたり、「柿生は、川崎市で唯一の家庭的な学校です」と言われたことが今更のように思い起こされます。
 ベビーブームの頃、生徒数が増加し学年二クラスから三クラスになり、教室は五十名近くの鮨詰め状態で、図書室も普通教室に使用されました。受験戦争を乗り越えるために、学年全体での計画学習を始めました。一人一人がテキストを持ち、自学自習し、週に一回、互いに確認し合うものですが、これで100%の合格発表率を得ました。事後、家事従事志望の女生徒が、放課後「私の将来のため」と学習にとりくんでいたことも感激の一つです。
 真摯な思いが可能性を引き出し、伸びやかな心が育つのでしょう。 

 

同窓会レター@
       同窓会幹事  鈴木 正視 (15期)
 私達十五期生は、卒業して早三十六年、幹事四人で、十年前(四回目)に行われた昔の名簿を一人一人チェックし、住所不明の人は電話帳で調べたり、実家に電話または訪問したり、昔住んでいたと思われる近所の家で聞いたりして数ヶ月、何とか名簿の整理も終わり案内状の発送となった。数日後「転居先不明」で戻った数十五件、再度調べ直し発送。返信のハガキが戻ってこないのは電話で確認。そんなことをしているうちに当日を迎えた。「やあ久振り」「元気だった」「変わらないね、一緒に年をとるんだからね」と、懐かしい顔、顔、顔と四十一人が会場に集まり、賑やかになった。幹事として、嬉しく、楽しい「十五期生の会」でした。



15期生の(平成11年6月)
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同窓会レターA
      同窓会幹事   梶   稔 (23期)
 卒業してか ら二八 年の歳 月が流 れ、久 しぶり に懐か しい顔 と再会することが出来ました。我々、二十三期の同窓会が平成十年十一月八日に五十六名の参加によって開催され、大変楽しい一時を過ごすことが出来ました。
 今回、卒業して以来、初めての同窓会ということで、実に二十八年ぶりの再会という方もかなりいたようで、それぞれに変貌した姿に驚き、驚きの連続でした。
 恩師の先生方は、所用で出席されませんでしたが、昔話に花を咲かせたり、スナップ写真を撮ったりで、あっと言う間に二時間が過ぎてしまいました。今後も定期的に同窓会を開催することを約束し、一次会、二次会、さらには三次会とその夜は延々に続きました。



23期同窓会
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すばらしい環境、柿生中学
             及川 一則島 保 (38期)
 つい最近、数年ぶりに自宅から中学校まで、通学路を歩く機会がありました。在学中は、何て遠いのだろうと思いながら、友達と話をし、毎日通っていた変わり映えのない道でした。しかし、今あらためて通ってみると、自然に恵まれていてなんと良い環境だったのか実感することができました。それというのも、現在、私は川崎市立の小学校で教員一年目をしております。そのような関係で、川崎の南の地区へも研修で、度々行くことがあり、
柿生との違いを感じていたからです。柿生周辺に

は、まだホタルを見ることができる場所も残っています。川崎でこのような土地は、ほとんどありません。このような素晴らしい場所にある中学校を卒業したということは、誇りに思ってよいことだと思います。
 中学校を卒業以来、何人かの同期生の働く姿を、目にする機会がありました。どの方も目的を持って働く、素晴らしい表情をしていました。これも、柿生中学での学校生活があったからではないでしょうか。柿生中同窓生の皆さんの活躍を耳にする度、私も頑張りたいと思っております。

 



バドミントン
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母校通信
       柿生中学同窓会担当  星野 信之

 この春、地域でバドミントンをやってきた男子生徒が入学し、父母の希望もあり男子バドミントン部が誕生しました。全員一年生ですが、市の大会でも先輩達を相手に頑張っており、来年は入賞と期待されています。
 しかし、ここ数年指導者がいないため休部する部も出ており、生徒の希望をかなえるには、外部指導者の導入が考えられています。同窓生の中に我はと思う方がおりましたら学校まで連絡して下さい。

 

  同窓会総会及び役員について

 平成11年7月17日、柿生中学校会議室において同窓会総会を行ない、事業報告、事業計画、新役員等について審議を行ないました。新役員人事では、小清水会長が勇退され、渡辺副会長が新会長に、新たに鈴木正視氏、山田秀樹氏が加わり新体制が発足しました。
(議長は、鈴木富夫氏21期)

 

 

 

役 員
 会  長 渡辺  辰夫(12期)※
 副 会 長 鈴木  正視(15期)※
   〃   梶    稔(23期)
 事務局長 本多  秀吉(23期)
 事務局員 尾作   均(24期)
   〃   山内  忠章(28期)
 常任理事 重田 恵美子(6期)
   〃   野島   保 (10期)
   〃   井上  正春(17期)
   〃   高津原洋一郎(29期)
   〃   松本  周三(39期)
 会計監査 山田  秀樹(20期)※
   〃   碓井  芳春(24期)
 顧  問  関口  惟男 (2期)
   〃   海老澤 芳夫(2期)
   〃   小清水 貞夫(9期)※

 

   事務局より

☆ 同窓会会員の方々の情報を得る手段としてコンピューターによるインターネットがあります。事務局としてもこれからの事業の一つとして活用していきたいと考えています。すでに同窓会ホームページ「この指とまれ!」では、特に二十〜三十代の方々を中心に数十件の登録があるようです。興味のある方はぜひアクセスしてみてください。アドレスはつぎの通りです。

   http//www.yubitoma.sphere.ne.jp/

☆同窓会報の名称を募集中!
よい名前がありましたら事務局までご一報下さい。
▽編集後記

この同窓会報発行には、費用がかかっています。同窓生及び各同期会からのご厚意をお待ちしております。

   郵便貯金
   口座記号 10220
   口座番号 26792761
   口 座 名 柿生中学校同窓会