らくらくISO9001講座


いそい村むらまつり(尾道合宿)講演録
月刊 アイソス 2012年2月号 掲載記事

いかさまの話

 UNO@元化学屋です。私は、尾道合宿で毎年かかさず発表をしていますが、いつもISOに直
接関係がない話をしています。
 ISOの審査で、実態は全然できていないのに、審査用の文書記録だけをきれいに作り、管理
責任者の熱弁で、審査員が丸め込まれる事例が実際にあります。それが、何回目かの維持
審査で発覚します。なぜそのような捏造に引っかかるのか。
 無理矢理ISOに結び付けていますが、今日は、日本の5大捏造事件の話をします。


1.竹内文書

 竹内文書(たけうちもんじょ)は、古事記、日本書紀よりもずっと以前に書かれた歴史書と称
する文書です。昭和の初めに、天津教という宗教団体の教主である竹内巨麿が公表しました。
その内容は、「神武天皇の前に、26朝1168代の神が天皇として世界に君臨した」とか、「2000
億年前に、皇子が世界に散らばり、世界の五色人(黄人、赤人、蒼人、白人、黒人)の祖先と
なった」など、荒唐無稽のものでした。しかし、日本人の優等性を強調したい軍関係者を中心
に支持を集めました。
 また、日本人はユダヤ人の子孫だと主張する酒井勝軍(かつとき)という人物が天津教を訪
れ、モーゼの十戒石の捜索を依頼します。まもなく十戒石が竹内家の宝物から発見されます。
その後も、日本のピラミッドの記録や、キリストが日本に来た記録など、酒井が求めるものが
次々に発見されます。もちろん、酒井の話に合わせて製作したものと思われます。そして、つ
いに竹内巨麿は青森県でキリストの墓を発見します。戦後も、キリストの墓やピラミッドの話は
度々取り上げられ、現在も観光スポットとして健在です。



2.永仁の壷

 永仁の壷は、側面に鎌倉時代の永仁二年(1294)の年号が記された瀬戸焼の壷(正しくは瓶
子)です。昭和34年に重要文化財に指定されました。当時、工芸分野の重要文化財を決定す
る委員は11人いましたが、瀬戸焼の専門家は1人でした。この人が永仁の壷を重要文化財に
推薦し、事実上1人の判断で、重要文化財の指定が決まりました。
 その直後から、瀬戸焼の地元である愛知県の研究者を中心に、疑問の声が上がりました。
ちょうど、名古屋で瀬戸焼の名品を一同に集める展覧会があり、研究者が集って永仁の壷を
他の瀬戸焼と並べて比較したところ、一目瞭然で、贋作と確信したと言います。
 まもなく、陶芸家の加藤唐九郎氏が、自ら贋作したことを認めました。また、他にも加藤氏が
偽作したものが2点重要文化財になっていることがわかり、合わせて指定解除されました。加
藤唐九郎氏は、このことでかえって名を上げ、名工として知られるようになりました。




3.東日流外三郡誌

 東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)は、青森県の津軽半島を中心に、東北地方の歴史
を記録した文書です。江戸時代に各地の史料を収集して編集されたものとされます。これを発
見した和田喜三郎氏は、先祖から伝えられたもので、昭和22年に自宅の天井を破って、文書
の入った長持が落ちて来たと説明していました。
 その中には、「邪馬台国が津軽へ亡命して荒覇吐国(あらはばきのくに)を作り、一時期は大
和朝廷を征服した」とか、「鎌倉時代に、津軽の十三湊(とさみなと)を拠点とする安東氏が、海
外貿易を行って繁栄したが、大津波で壊滅した」など、壮大な歴史が書かれていました。
 東日流外三郡誌は、現代のマスコミ用語(洗脳、闘魂など)が出てきたり、種本が次々に発
覚するなど、偽造としては杜撰なものでした。発見者の和田氏も、地元では信用されていない
人物でした。しかし、東北を舞台とするストーリーに惹かれて支持する人も多く、テレビ番組でも
まじめに取り上げられました。4617冊におよぶという原本は、学術調査を拒否したまま、1999
年の和田喜三郎氏の死去と共に、行方不明となりました。



4.武功夜話

 秀吉の家臣であった前野長康が残した記録や、その関係者の証言を、江戸時代の初めにま
とめた文書と伝えられます。昭和34年に愛知県の旧家で、伊勢湾台風で土蔵が壊れた際に発
見されたといわれています。
 信長、秀吉、蜂須賀小六などの若い頃の逸話が載っていることや、秀吉が築いた墨俣一夜
城の詳しい記録が含まれていることが特徴です。テレビの歴史番組で取り上げられたことで、
注目されるようになりました。
 しかし、古文書の専門家が見れば、文体から一目で偽物と分かるものでした。また、墨俣一
夜城は、江戸時代中期の読物(小説)で作られたストーリーであり、その記録が存在するはず
はありません。しかし、周辺分野の学者や小説家が本物として紹介し、NHK大河ドラマ「秀吉」
ではこれ元に設定が行われました。
 後世に編集した部分はあっても、最初に書かれた部分は本物との説もあり、現在でも真贋論
争が続いています。原本が非公開で、十分な学術調査がされていないことが、議論を長引か
せています。


5.旧石器遺跡捏造

 縄文時代より以前(旧石器時代)の日本に人が住んでいたことが、昭和24年に群馬県の岩
宿遺跡の発見で確認されました。その後、3万年より前の前期旧石器時代に人がいたかどうか
が、論争になっていました。
 1981年宮城県の座散乱木(ざざらぎ)遺跡で3万年前の石器が発掘され論争が決着しまし
た。これ以後、次々に古い遺跡が発見され、1999年には宮城県の高森遺跡で70万年前の地
層から石器が発見されました。
 これらの1981年以降の前期旧石器遺跡の発掘の全てに、アマチュアの考古学者で、石器掘
りの神様といわれたF氏が関与していました。ところが、2000年に毎日新聞によって、F氏が自
ら石器を埋めて遺跡を捏造している様子がビデオ撮影され、スクープされました。その後の調
査で33の遺跡の捏造が証明され、20年間の前期旧石器研究の成果が全て無に帰しました。
 15万年以前の人類はホモサピエンスではないため、考古学というよりも、人類学(古生物学)
の研究分野になります。人類学ではこれらの日本の前期旧石器遺跡を無視していましたが、
考古学界とマスコミが持ち上げて捏造をエスカレートさせました。正式な報告書が作られずに、
マスコミ報道が先行したことも問題とされました。F氏は、アマチュアで高度な知識はありません
でしたが、周りの考古学者が「出そうだ」と言うところに、石器を埋め込んでいました。

これらの捏造事件に共通するのは、以下のような点です

 1)先入観や特定の目的を持って利用しようとする人々が捏造を信じる
 2)話題性が先行して、検証が不十分なままマスコミが取り上げる
 3)検証の仕組みが十分に機能していない
 4)中途半端な専門性による判断が危ない
 5)周囲の関係者が、アイデアを提供する形で、無自覚に捏造の手助けをする。
 6)現物の検証が不十分

これは、ISO審査の参考になる?



参考文献 藤原明著「日本の偽書」、長山靖生著「偽史冒険世界」、松井覚進著「偽作の顛末 永仁の壷」、斉藤光
政著「偽へ書「東日流外三郡誌」事件」、藤本正行・鈴木眞哉著「偽書『武功夜話』の研究」、毎日新聞旧石器遺跡
取材班「発掘捏造」、河合信和著「旧石器遺跡捏造」



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